2024/1/19(金)~1/20(土) 埼玉-群馬県境・二子山~八丁峠2024年01月19日 00:00

先月未完に終わった県境歩き(12/9~12/11 埼玉-群馬県境・神流湖~二子山)の完結編として、T中・H氏と無名山塾の自主山行。

■1/19(金)
坂本バス停を10:40に出発。暖かくて、ヤッケを着ていると魚尾道登山口までに汗をかいた。前回の下山路を登り、県境尾根上のローソク岩分岐に12:10。
鹿柵に沿って尾根を西に踏み込むと、足元に「昭和57年10月16日以降、叶山は登山禁止」の注意看板が落ちていた。緩やかなアップダウンの後、方向の変わる1040mピークには「志賀坂峠/二子山」の古い指導標が立つ。昔はよく歩かれていたのだろう、明るくて気持ちの良い道だ。
県境の指導標など
県境尾根
1090mの細長い小ピークの端で、県境は南へと向かう。ここには錆びて読めなくなった指導標と、やはり叶山登山禁止の看板がある。しかし、ここまで明瞭だった道が見えなくなった。疎林の広い尾根に目印を探すと、足元に県境を示すらしい赤いプラスチック杭が見つかり、そちらに進んでみる。コンパスを当てるとやや右にずれており一本西の尾根かと疑うが、「境界明確化」の杭もあるので県境には乗っているようだ・・・
「境界明確化」杭
やがて踏み跡は明確になったものの釈然としないままに下って行くと、送電線を潜る高度も地形図の読みと違う。県境は志賀坂トンネルの上を通過するはずが、トンネルの群馬側で国道に下りてしまった。やはり、1090mから出る西側の尾根を辿っていたのだった。「境界明確化」杭は前回にも見ていたため「境界」=県境と思い込んでいたが、違っていたらしい(帰宅後に調べたところでは、神流川森林組合/事業案内の「境界明確化」の写真が、この杭に見える)。
トンネルの袂にある駐車場から諏訪山登山道(尾根コース)に入って県境尾根に復帰した。
諏訪山までは一般登山道で標高差約300mの登り。長い階段を上がった957mの送電鉄塔から眺めて、目立って聳えているのは白石山(毘沙門山)、その右に遠く高いのは武甲山~小持・大持山だ。
志賀坂峠957から
谷コースとの合流を過ぎると道は尾根から群馬側に少し外れるが、県境とのその程度のずれは許容して、諏訪山(1207m)に15:05到着。諏訪大明神の祠の前に三等三角点標石があるのだが、地形図に三角点マークは無い(国土地理院の基準点成果等閲覧サービスには基準点名「志賀坂」記載)。両神山の鋭い稜線を眺め、山頂標の前にテント(T中氏の3人用)を張った。
志賀坂諏訪山の祠
志賀坂諏訪山

■1/20(土)
4時半に起床すると、外は濃いガスに包まれていた。食事トイレを済ませてもガスが取れる気配はなく、濡れ防止に雨具を着けて6時半出発。
県境尾根は南へ向かって登山道から外れるが、歩くのに問題はない。30分ほどアップダウンした鞍部で林道金山志賀坂線に接した後、きつい登りで高度を上げて行く。風に吹かれたガスが霧氷となっていた。
霧氷
7時半、蓬莱山(1377m)に登頂しても、ガスで眺望は皆無。
蓬莱山
蓬莱山から痩せ尾根で鞍部(1350m)に下ると、いよいよ今回の核心となる赤岩尾根P1へ。1450m辺りから特に傾斜が増し、ポールを収納して木を掴んでの登りとなる。所々に赤テープが付いているのは心強い。
P1へ
赤テープを確認し、その上へ身体を持ち上げたところで進路を探る。テープの場所からはさらに上に届きそうに見えたが、直登は難しい。テープより一段下に(下から見て)左へと踏み跡があるように思えるが、それならこのテープは何だ?・・・と行き悩む。正解は赤テープから右へ、枯葉の積もったルンゼを渡るのだった(T中氏がルンゼに見つけた黄色テープが、自分には景色に紛れて見えなかった)。
P1へ(ルンゼ)
ルンゼの先の斜面にはトラロープが下がっていたが、それに頼らなくても登れる。
P1へ(トラロープ斜面)
急斜面が終わってからも、ロープの付いた岩場があった。バリエーションルートとしては案外に親切だが、登りはともかく、ここを下る際には必要になりそうだ。
P1へ(トラロープ岩場)
岩場に限らず、このルートは雨で足元が悪いと危険度が非常に高まりそう。また、今回は装備に入れなかったのだが、天候によらずヘルメットを装着すべきだった。
9:20、無事にP1(1589m)に登頂した。
赤岩尾根P1
ここに来たのは17年ぶりだ(⇒ 2006/10/14~10/15 赤岩尾根)。前回の写真にある「八丁岳」とペンキ書きした岩は山頂部の西寄りだったのか、今回は気付かなかった。ともあれ、これで埼玉県境を黒山(飯能)~雲取山~雁坂峠~甲武信ヶ岳~三国峠~八丁峠~土坂峠~太田部(秩父)と繋いで歩いたことになる。
P1からの下りも急だが、登って来た北側と違って明るい。鞍部から登り返した地点の覆い屋に収まる2基の祠は八丁峠の神様か。ここからの直進を遮るロープに「この先赤岩岳へは行けません」とあるが、赤岩岳は逆方向で、これでは道迷いを誘発しそうだ。道は遮断ロープの左から八丁峠へと下りる。
八丁峠の手前
八丁峠から八丁隧道/坂本方面へ入ると間もなく分岐。前方の赤テープが目立つが、足元を見ると指導標が倒れており、坂本へは右に折れることを確認。このような重要なポイントが荒れたままとは。
つづら折りに下って出合った沢(1250m)は見事に凍っていた。
凍った沢
なおも急降下し、傾斜の緩んだ地点で休憩したが、そのすぐ先がベンチと祠のある大岩(標高990m)だった。ガスの粒は次第に大きく、雨の気配を含む。水流まで下りる頃には雪となって落ちてきた。
小雪の舞う沢
地形図では道は水線の右岸にずっと付いているのだが、実際には何度か渡渉する。要所に赤テープがあるものの、対岸への続き具合が分かりづらかったり、落ち葉に覆われて道が見えなかったりで、何度もルートを探した。薄く氷が着いているのか足元の岩が滑りやすく、登山道の崩落個所も目立つ。昭文社山と高原地図で破線に「ルート不明瞭箇所あり」と注意書きされている通り、侮れない道だった。
道がようやく沢を離れて高くなると、ふたたび祠を見、家財道具の散らばる廃屋跡を過ぎて道路に出た。坂本のバス停に12時半帰着。荷物整理していると、ちょうどバスが来た。
雪は下山中に止んで感じるか感じないかの小雨になったものの、身体が冷えたので、西武秩父で入浴して熱燗にて祝杯。

■今回のルート
二子山~八丁峠ルート

2023/12/29(金)~12/30(土) 霞沢岳西尾根2023年12月29日 00:00

T中・H氏と無名山塾の自主山行。
これまでに3度敗退を繰り返した霞沢岳西尾根(⇒ 2014/12/30~12/312020/12/30~12/312021/4/16~4/17)だが、今回は条件が良く、ようやく登頂できた。

■12/29(金)
松本から中の湯までバス利用。釜トンネル入口で登山届を提出し、朝方に7人パーティが入ったと聞く。12時半に出発。
予報通りに晴れて暖かく、気温は+1℃。オーバーズボンを着けたら早くも釜トンネルで汗をかいてしまい、上高地トンネルを抜けたところでヤッケを脱いだ。どちらのトンネルも内部は照明されており自前のランプは不要、路面は乾いていた。
砂防工事事務所への道を入るとようやく雪が積もっているが、しっかりと踏まれている。トレースに従い、急斜面のササをかき分けて尾根に上がると13時半。
西尾根に取り付く
最初のうちこそ緩やかな箇所もあるが、西尾根は基本的に結構な傾斜でザックの重さが堪える。その等高線が一段と密になった1780mでアイゼンを装着。以前(⇒ 2020/12/30~12/31)に泊まった1840m地点を通過し、木を掴んで身体を持ち上げるような急斜面をこなすと傾斜が緩んだ。
15時半、1920m付近でトレース脇の雪面を均してテント設営。雪が柔らかくて整地してもやや傾いでいるが、寝るには差し支えない。無風で静かな夜だった。
テント

■12/30(土)
テントの隅に靴と一緒に置いたスパッツが起床時にも凍っていない。年末とは思えない暖かさだ。
今回は山頂ピストンなので、不要な荷物はテントに残していける。ハーネス、ヘルメットを装着、ロープは自分が持つ。尾根ルートなので雪崩はないだろうと、スコップはT中氏のみ。ワカンは不要かもしれないが、先行パーティとラッセル交替するかもしれないのでザックに入れた。明るくなるのを待ち、6:50に行動開始。
2000m手前に先行パーティのテント2張を見て、2050mまで急登。その後等高線の間隔はほぼ一定になるが、実地の感覚では相変わらずキツい登りだ。背後の焼岳の上に満月過ぎの月が掛かる。
8時、2200mを超えた地点で気温は-5℃。さらに上がると乗鞍岳方面の視界が開け、今年3月にアカンダナ山を巻き下りて未完に終わったルート(⇒ 3/18~3/21 焼岳~白谷山)も見える(写真右の白い三角が白谷山、そこから中央の安房山に繋がるコブがアカンダナ山)。
乗鞍岳方面
やがて前方に見えてきた岩峰はK1か?・・・と思っていると、2500m付近でナイフリッジとなる。
ナイフリッジ
トレースに従ってリッジ側面を通過すると、先ほどの岩峰こそ西尾根の核心となる岩場(2530m)だった。基部に7人パーティがいる。
核心の岩場
追いついて挨拶を交わすと、彼ら彼女らは関西からとのこと(帰路でテントを見たところ「蛍雪」と大書されていた。おそらく関西蛍雪山岳会であろう)。人数の少ないこちらが核心部を先行させてもらう。フィックスロープが3本もあったので、その1本にプルージックを掛けて登った。岩が露出し適度に手掛り足掛かりがあって難しくなかったが、そこは雪や氷の状態次第だろう。
核心部(上から)
         (帰路、核心部を下りるところ)
ロープの末端まで登り切ると、ふたたび細いリッジにトレースが続く。振り返れば、焼岳をバックに7人パーティが核心を登っている。
核心部を振り返る
広くなった尾根を、いよいよ山頂へ。
霞沢岳山頂へ
細長い山頂の南端に乗り上げ、山頂標の立つ北端に移動。9:45、霞沢岳(2645.8m)に登頂した。
霞沢岳登頂
山頂からは眺望が素晴らしい。やや風が強いものの、気温は+1℃。天候と言い雪の量・状態と言い、つくづく今回は条件に恵まれた。
霞沢岳より 穂高方面
霞沢岳より 穂高方面(山名)

霞沢岳より 徳本峠方面
霞沢岳より 徳本峠方面(山名)
やがて7人パーティも到着し、写真を撮りあった。彼ら彼女らはK1まで行くとのこと。
10時に下山開始。核心部の手前で日帰り3人パーティとすれ違う。核心部はフィックスロープを使って半マスト懸垂(プルージックのバックアップ付き)にしたが、ロープを掴めばほとんど歩いて下りられた。ただ、ロープが汚れているためか滑りが悪い。用意した自前ロープの出番は無し。
12時前にテントに帰着。計画ではもう一泊して下山なのだが、明日は雨予報のため、時間があればテントを下へ移そうと考えていた。が、この時間ならばこのまま下山して15時台のバスに乗れるのではないか。テント撤収して急ぐと、14時過ぎに中の湯バス停まで下りられた。
バスは14:30の便があり、松本の駅ビルにて宿題(西尾根)を片付けた祝杯を挙げた。

■今回のルート
霞沢岳ルート

2023/12/17(日) 富士山雪上訓練2023年12月17日 00:00

無名山塾の恒例メニュー。最近は2019年(https://marukoba.asablo.jp/blog/2019/12/22/9192767)、2021年(https://marukoba.asablo.jp/blog/2021/12/19/9449495)と1年おきに参加している。今回のメンバーはK澤・Kリーダー、M本・Yサブリーダー含めて13名。古参が少ないのはやや寂しい。

馬返しで前夜泊。
季節外れの暖かさで、自宅から駅まで歩くのに、比喩ではなく汗をかいた。
富士山駅から自分とM本氏はK澤リーダー車に乗せてもらった。タクシー組は雪などまったく無いにも関わらず中ノ茶屋で通行止めだと下ろされてしまい、リーダーが馬返しから引き返して拾って来ることに。
馬返しの駐車場に車は多かったが、テントは我々のみ。
夜、小雨と時折強い風。

当日は予報通りに晴れ、気温は下がった。車で到着したメンバーを加えて5時に全員集合。
歩き方を意識しつつ登って佐藤小屋に8時。六合目の安全指導センターまで来ても雪が無いが、さすがに上方に見えてきた雪面からは盛んに雪煙が上がっている。ここの建物前や、少し上の雪面では別のパーティが訓練していた。
我々はアイゼンを着けてさらに砂利道を上がると、下の登山道(夏の下山道)に白い斜面が見えたので、そちらに移動。
小さいがそれなりに傾斜した面に凍って固くなった雪が付いており、道の部分も砂利が凍り付いている。多少風が通るが、凍えるほどではない。とは言え、じっとしていると冷えてくるので手袋を重ねた。
この斜面でアイゼン歩行(登り、下り、トラバース、方向転換)、ツボ足(雪面を蹴りこむようにして足を乗せる)、滑落停止を練習。雪面が固いためツボ足では滑りそうで、これが本番なら怖い。滑落停止を練習するにはよく滑り、またピッケルを刺すと良く利く点は好適だが、うつ伏せに姿勢を変える際に腰が当たって痛かった。
12時半に下山開始、15時に馬返しに戻った。
電車組は富士山駅の魚民に立ち寄り。

■今回のルート
富士山雪訓ルート

2023/12/9(土)~12/11(月) 埼玉-群馬県境・神流湖~二子山2023年12月09日 00:00

T中・H氏と無名山塾の自主山行。
椛澤初男『群馬の県境を歩く』を参考に、以下のように計画した。
(カッコ数字:同書中の山行番号、時間:同所要時間)
・1日目
 (1) 馬立沢林道~杉ノ峠(6h40m)
・2日目
 (7) 杉ノ峠~坂丸峠~矢久(やきゅう)峠(4h25m)
 (14)矢久峠~二子山~志賀坂峠(6h00m)
・3日目
 (16)志賀坂峠~諏訪山~蓬莱山~八丁峠(5h55m)
下山は八丁峠から、昭文社の山と高原地図「西上州」(手持ちは2021年版。以下、「地図」と表記)の破線ルートで坂本へ(コースタイム2h35m)。
しかし、同書の各行程は日帰りであるのに対し、こちらはテント泊装備の上に全行程の水を持たねばならず(*1)、荷物が重い。思ったように行程が伸びず、2日目に二子山を越えた地点で幕営して、翌朝、坂本へ下山した。
天候には恵まれ、特に土日は季節外れに暖かかった。

■12/9(土)
新町駅でT中氏と落ち合い、神流湖上流側の太田部入口までバス利用。バスが群馬藤岡駅を経由し、自分はここで電車を降りて待っていればよかったことに気付いた。
太田部入口を10時に出発。工事中だが現在は通行可(来年2月中に通行止予定)の太田部橋を渡り、神流川左岸の道を30分ほど歩くと、県境の沢に沿って林道が分岐する。この馬立沢林道に入り、間もなく道が逸れる地点から沢を直進。しかし、すぐに滝が現れた。
馬立沢
右の斜面をほとんど四つん這いで上がるとその上にも滝が見えたので、まとめて巻いてしまおうと斜面をさらに詰めると林道に出た。林道はふたたび沢に近付くと分岐し、一方は対岸へ伸びている。地形図では430m地点の分岐のもう一方が沢に沿って続くので、そのまま道を進むことにした。
馬立沢林道の分岐
しかし、軽トラ程度は通れる幅でつづら折れに高度を上げて行く道は、地形図の線とは別の作業道らしい。今から沢に下りるのも面倒だし、この道が尾根に上がるならば、695ピークを経由して塚山の下で県境に復帰できる。目論見通りに尾根に乗った道が下がる気配を見せたところで、道を離れて樹林に入った。703ピークからの尾根を合わせてからも、道は尾根に沿って付かず離れずに見えている。県境を忠実に辿るならば430m分岐で道を外れて沢を行くのが正解だったが、そちらは傾斜が急でザックの重さに苦しんだことだろう。
13時過ぎ、塚山の西のピーク下で尾根が道と交差した地点で休憩。ザックを置いて塚山(954.0m)を往復した。
塚山
ザックを担ぎ直し、道から離れて907ピークを踏む。尾根上に折々見かける赤いプラスチック杭や「県造林」のコンクリ標柱が県境なのか、埼玉側は植林、群馬側は自然林となっている区間が多い印象。相変わらず尾根に沿って道が見えており、電柱まで立っている。
14:15、竹ノ茅山(978m)に到着。大きなアンテナ施設があり、先ほどの電柱はここへの電力供給用のようだ。休憩中に聞こえた銃声2発は何を狙っているのだろう。
竹ノ茅山
竹ノ茅山から先には地形図で破線(徒歩道)が入っているが、実際のところはこれまでも十分に歩きやすく、特に変化はない。多少のアップダウンを交え、15時に小さな祠のある土坂峠まで下った。
土坂峠の祠
日没前に次の杉ノ峠までは届かないため、土坂峠から少し進んで848m地点手前の鞍部にテントを張った。

■12/10(日)
明るくなるのを待って6:15に出発。
やや高度を上げて行き、大久保山(980m)から先は地図でも登山道(破線)となって、杉ノ峠に7:45。ここは祠の前に御神燈(昭和18年銘)も建っている。
杉ノ峠からは実線の登山道でいっそう歩きやすく、父不見山(ててみずやま/ててみえずやま、1047m)に8:25。前回来た時(https://marukoba.asablo.jp/blog/2023/05/21/9588231)によく判らなかった三角天のダルマ石側面は「海抜千〇六十米 昭和九年 月」と読めそうだ。父不見山の標高とは相違するが、当時の測量値だろうか(*2)。
父不見山
二等三角点(1065.8m)のある長久保ノ頭(大塚)から下りて県境が西北西に向かうところは、踏み跡に惑わされ南西の尾根に外れてしまった。地形図にない作業道を少し辿ってから県境尾根に復帰。
登山道は次の丸山(985m)を巻いているが、あえてピークを踏むつもりで進む。が、明瞭な道や神流マウンテンラン&ウォークのプレート(最新のコースにこの付近は含まれていない)を辿ると、今度は北に外れた。県境は明白かと思うと通常の目印が当てにならず、案外に難しい。丸山から下って行くと、埼玉側に作業道が何本もあるようだ。
坂丸峠に9:40。祠の傍らに「右秩父道 左やま道」と刻んだ道標石がある。
坂丸峠
ふたたび県境に忠実にピークを拾い、小さなアップダウンで矢久峠に10時半到着。車道に下りる手前に白い観音像が建つ。車道を渡って尾根に踏み入る箇所に祠と並んでいる風化の進んだ古い像も観音様だろうか。
矢久峠の観音様
地図の登山道は坂丸峠まで、地形図の徒歩道も矢久峠まででその先に道は無いが、尾根上は相変わらず歩きやすい。「境界明確化」の小さな杭を見ながら行くと、右手に痛々しく削り取られた叶山が見えてくる。
その叶山から伸びているベルトコンベヤー(秩父太平洋セメント・叶山鉱業所 ⇒ https://www.ct-cement.co.jp/business/#kanayama)を跨ぐ辺りで岩場のヘツリに出くわした。
パスしたヘツリ
人が通っている感じはするが、ザックに振られて転落してもつまらないので、左側の斜面に逃げてヘツリ先のピークに上がった。
その下の鞍部(960m)からの登りも、正面の岩がちの急斜面を避けて左側から上がる。斜面に積もった落葉に人の通った跡があるが、こちらもかなり急で息が切れる。
尾根に復帰して急斜面を登って行くと、いよいよ県境が二子山の崖マークと真っ向からぶつかる箇所。岩場に生える木に赤テープなどの目印は見当たらず、周囲を偵察したところ難易度は変わらないので、正面から行く。
二子山手前の岩場
一登りすると、空中に足を出さないと渡れない箇所に出た。その足場の岩も少々ぐらつく感じなので、もっと安全なルートはないかと右側を探るが行き止まり。ここでT中氏が先行して、元の場所を慎重に通過した。次に、一段下りて向かいの岩に上がる箇所は、手を伸ばすとガバ(掴みやすい岩角)が見つかった。上がったところに手袋の落とし物あり。もう少しよじ登ると、二子山の登山道に行き着いた。時に14:10。西峰頂上がすぐそこだが、1年前に二人で踏んでいる(https://marukoba.asablo.jp/blog/2022/11/03/9538035)ので今回はこだわらず、少し進んだ地点で休憩。眼下には志賀坂峠に繋がる県境尾根が、地形図にない道(*3)を山腹に這わせている。
二子山
二子山
あとは登山道通りだが、地形図の県境線から西側に膨らんで岩を伝い下りる箇所に<ここから先「群馬県」>の危険注意看板があった。
群馬県の看板
岩場から下りると15時近い。本日中に志賀坂峠まで進出するには無理があり、また、計画通りに明日八丁峠を回ると16時台の終バスに間に合わない虞(おそれ)がある。今回はここまでとし、この先で泊まって坂本に下山することに決定。泊り場所としては県境尾根上の1043ピークを越えた1040m地点がなだらかと見当をつけたが、実際には1043mに上がるまでもなく、尾根が狭まった1000m地点にテントを張れる平坦地があった。登山道を塞ぐ形になるが、この時間に通る人もいない。ただ、テント内に落ち着いてからも、二子山の方からクライマーの声が聞こえていた。

■12/11(月)
ゆっくり出発するつもりでいたが、バス時刻を再確認したところ休日ダイヤを見ていたことが判明、平日は坂本7:38発を逃がすと3時間待ちになってしまう。慌ててテントを撤収し、6時に出発。県境尾根に沿って続く鹿ネットに設けられたゲートから坂本への下山路に入ると歩きやすい道で、地図のコースタイム1時間15分のところを50分ほどで下りられた。
小鹿野役場でバスを乗り換え、西武秩父に9:18着。祭りの湯が開くのを待って汗を流し、酒と食事(自分はわらじカツ丼)を腹に収めて帰路に就いた。

■今回のルート
神流湖~二子山ルート(1)
         ↑ 1日目
神流湖~二子山ルート(2)
         ↑ 2~3日目

■注
*1:地図では杉ノ峠から南に林道を下りた地点に「ててみず」の水マークがあるが、峠からの往復には1時間程度かかるだろう。ヤマレコの記録(2021/4/11 父不見山)によれば北側の杉ノ峠入口にも水場があるが、これも遠い。
*2:「今昔マップ on the web」で確認したところ、父不見山は1945年まで1060(~1079)m峰だった。
父不見山1928-45年
次に参照できる1972年以降の地形図では1040(~1059)mになっている。
父不見山1972-82年
*3:グーグルマップでは志賀坂峠の西で国道から分岐した林道が矢久峠まで繋がっている。地形図では両峠の近くで途切れている道が開通している訳だ。

2023/12/3(日) 丹沢堀山の家ボッカ2023年12月03日 00:00

毎年恒例、無名山塾のボッカ訓練だが、今年は腰痛の様子見で本ボッカは見送り、堀山の家へのボランティアボッカのみ参加。
計量していないが20kgを越えた程度か、これくらいなら腰への負担も感じない。天気も良く、これほど楽なボッカはなかった。
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