2026/7/14(火)~7/16(木) 富士山登山ルート37762026年07月14日 00:00

海抜0mからの富士山登頂を以前から考えていたのだが、9月の古代インカ道トレッキング向けの高度順応を兼ねてT中・H氏に声を掛け、実行の運びとなった。ルートは富士市が設定しており(⇒ 【公式】富士山登山ルート3776)、挑戦日数は2泊3日を選択。ただし、砂走りをやってみたかったので、下山は須走口五合目とする。出来合いルートで宿泊もキャンプ場に山小屋と登山としての興趣に乏しいので、無名山塾の山行ではなく個人行とした。
夏の富士山は1995年にO倉・K氏と日帰りで登った(⇒ 1995/8/14記事)のみ、残雪期を含めても2014年(⇒ 2014/6/7~6/8記事)以来だ。2013年にはデナリへ向けての高度順応で4月(3340mまで)5月の2回登っている。あとは吉田口五~六合目付近での雪上訓練が数回。
さて、22年ぶりの富士山、この猛暑の中を歩ききれるか?

■7/14(火)
新幹線で新富士駅に8時過ぎ着。富士市のコミュニティバス「しおかぜ」(200円)でふじのくに田子の浦みなと公園へ。
ルート起点のボックスからパンフレットとゼッケンを貰う。
ルート3776起点
海岸はテトラポッドに覆われて風情の無いのが残念だが、ともかく水際まで行って手を浸した。
田子の浦海岸
このルートのスタンプラリー開始ポイントにチェックインし、展望台に上がったりなどした後、9:13に歩き始め。道路上の要所にルート案内が貼ってあるので、迷わず進める。
田子の浦から富士山
ルート3776案内表示
チェックポイントに富士市役所が入っているので、ルートからやや外れるが行ってみる。もっと近い地点からも同じポイントにチェックインできることに後から気付いたが、汗だくのところを市役所内で冷たい水を汲み、コンビニでアイスを食べて涼んだのでヨシ。
道路に戻ってひたすら北上。標高56.2m市役所から少し行くと道がずっと登り坂になる。ひたすら暑い。東名高速を潜り、道端のコンビニ(セブン-イレブン三ツ倉町店)に逃げ込んで身体を冷やす。新東名を跨ぎ、大淵地区でバス停(曽比奈 ⇒ Googleマップ)ベンチにへたり込む。ここまで来ると街を離れて道路上に木陰のできる箇所もあり、歩くのがいくぶん楽になった。
そうは言っても暑いことに変わりない。日陰で休憩していると、同じルート3776をやっているらしい単独男性が追い抜いていく。NINOMARU Village(⇒ Googleマップ)の「富士山の雪解け水」が有難い。
NINOMARU Village 雪解け水
先へ進むと、ふじひのきパーク(⇒ Googleマップ)へ抜けるショートカットもあるようだが、ここはルート3776に忠実に車道を辿る。パーク手前にあった<中継点 ふじひのきパーク>看板のベンチで休憩していると、また単独男性に追い抜かれた。ほぼ平坦な道から富士山スカイラインに接続してゆるゆると登り、本日の泊り場所、PICA表富士に到着したのは17:20、8時間と少しかかって標高1150mまで上がった。
予約していたログコテージは定員6名のところ、先ほど<ふじひのきパーク>看板で抜いていった男性と3名での利用。管理棟のシャワーを使い、冷えたビールなど買ってきて飲む。普段「避難小屋サイコー」(テントを担がずに済む)と言っている身には「キャンプ場ゴクラク」なのだった。

■7/15(水)
同室男性は今日山頂まで登って泊まると早立ちしていった。こちらは5時出発。晴れ。
車道を1時間半ほど歩き、旧料金所ゲート前(1460m)からようやく山道に入る。アスファルトから離れると気分が好い。
旧料金所ゲート前
富士山麓登山道
7時、発破か?と思う音。いや、自衛隊の大砲だ。この時間から演習開始らしい。三合を過ぎたところで、短パンを長ズボンに履き替えた。
2352地点まで上がり、宝永山を眺める。水ヶ塚公園から登った時(2013年4月)、ここで靴擦れ予防に絆創膏を貼ったことを思い出した。
宝永火口
その先の宝永第二火口縁からトラバースに入り、富士宮口五合目へ。火口縁から新六合や御殿場口登山道へ繋いだらゲートを通過せずに登ることになるが、その場合は下山時にチェックされるのだろうか。
富士宮口五合目(2370m)に10時到着。入山料4000円支払い済みのQRコード(スマホアプリ)を見せてリストバンドと缶バッジを貰い、売店・休憩エリアで大休止。下りてきた人から、毎年富士山に登っている数え百歳の「トメさん」がこの上にいると聞く。T中氏は今朝の道路歩きから靴底が剥がれそうな気配があり、テーピングテープを巻きつけて手当した。
腰を上げて10:30にゲートを通過、一般登山客に交じって登る。新六合まで来てから、五合目でスタンプラリーのチェックインを忘れたことに気付いた。六合、六合五尺とさすがに疲れも出てくる中、息子さんとTVクルーの付いたトメさんを追い越す。
13時過ぎ、七合に予約しておいた山口山荘に到着。チェックイン時間(14時以降)前で、缶ビール(800円)を飲みT中氏は食事を頼んで休憩。水は宿泊者でもペットボトル1本600円(通過者への販売分は品切れ)。チェックインして、上段の就寝スペースを割り当てられた。
山口山荘
山口山荘
日光の下に出る気にはなれず、休憩室で暇潰しするうちに団体客も入ってきた。トメさんはかなり遅くなって到着し、休憩室で食事する間に息子さんが団体のお姉さま方相手に「87歳から毎年登るようになり、一日一合ずつ13泊予定」などと喋っている。我々は御来光はどうでもよいので、団体が出た後に出発することに決めて就寝。3000m超ながら、人が多いため暑い。

■7/16(木)
宿泊者のほとんどが出発した後に起床。休憩室は閉まっているので、靴脱ぎ場でパンを少し齧って3時に出発。風があるが、シャツの上に雨具の上着を重ねる程度で十分だ。
4時半、早くも営業している九合目の万年雪山荘で休憩するうちに夜が明けた。
夜明け
時間ずらしが功を奏して胸突き八丁も渋滞無く通過し、5時半に浅間大社奥宮まで登り着いた。最後のチェックポイントは忘れずにスタンプゲット。
浅間大社奥宮
スタンプ帳
お参りした後、剣ヶ峰へ。この最後の坂はザレていて、いつもながら登りにくい。
剣ヶ峰へ
記念写真待ちの行列に並び、6時、日本最高峰3776mに登頂した。三角点は二等だ。
富士山頂
富士山頂三角点
あとは御鉢巡りを半分。下の写真は金明水への分岐地点から見た剣ヶ峰。
御鉢巡りで剣ヶ峰
久須志神社の先から下山道に入り、砂走りを駆け下りた(写真奥に白く山中湖が見える)。
砂走り
8:43、須走口五合目に下山。短パンに履き替え、コーラを買って御殿場行きバスに乗った。

富士山登山ルート3776は初日の30km道路歩きがいちばんキツく、2日目、3日目と楽になる道程だった。ただし下山も駅まで歩きとすると、少し違うかもしれない。
ゼッケン
御殿場駅から1kmほどのオアシス御殿場へと歩き、入浴、食事して帰路に就いた。

■付記
下山翌日のニュースで、トメさんが救助要請したとのこと。山口山荘に入る前に転倒して腰などを強打しており、翌日出発したものの動けなくなったらしい。再チャレンジするのだろうか。

■今回のルート
  ↓ 1日目(田子の浦~PICA表富士)
富士山ルート(1)
  ↓ 2~3日目(PICA表富士~富士宮口五合目~七合目~山頂~須走口五合目)
富士山ルート(2)
  ↓ 高度グラフ
富士山 高度グラフ

2026/6/20(土)~6/21(日) 大菩薩嶺~奥多摩(カモシカ)2026年06月20日 00:00

昨年(⇒ 2025/6/14~6/15記事)に引き続き、無名山塾のカモシカ山行を担当。当初は昨年のリベンジ(将監峠~雲取山~東日原)を予定したのだが、長沢背稜がツキノワグマによる人的被害防止のため5月から通行止めとなっており、計画変更した。
参加の3人(男2、女1)は昨年も一緒に歩いており、体力気力的な面で気を遣わないで済む。天気予報は良くなく真夜中がいちばん悪いが、日が替わる頃から回復してきそうだ。

■6/20(土)
19時半、雨の中を初狩駅に集合。立河原まで国道を歩き、細道に入る。昭文社山と高原地図「大菩薩嶺」(手持ちは2023年版)では実線ルートなのだが、指導標などは無い。遮断ロープを跨ぎ中央自動車道を潜って行くとようやく滝子山の指導標が現れるが、山道に入るとどうも不明瞭だ。
滝子山の指導標
そのうちに踏み跡が一本化して迷う心配もなくなったかと思うが、二度目に鉄塔を潜る(710m)と道が消えてしまう(地図にも「踏み跡薄い」とある)。方角を確認して進み、尾根に乗った。穴沢山(954.4mピーク)に21:40到着。雨具を着ていると汗だくだった。1090mで東側からの登山道が合流すると、俄然歩きやすくなる。立河原からここまで、感覚としては実線ではなく破線ルートに近い。
滝子山の三角点(1590.3)に23:45。せっかくなのでピーク(1610m)を往復するうちに日が替わった。

■6/21(日)
滝子山の先の分岐には我々の進路である大谷ヶ丸(おおやがまる)も表示されていたのだが暗闇に紛れて見えず、笹子方面への分岐を見送ったものと勘違いして逆にそちらに入ってしまった。すぐに気づいて引き返す。大谷ヶ丸の分岐に1時半(三角点は確認せず)。雨は小降りになったものの、時折ぶり返してくる。風が吹くと寒い。
米背負峠から上がると、大岩の立つ天下石山(1590m)。
天下石
徐々に高度を稼いで、ハマイバ丸(1752.0m)に3:10。前回ここに来た時(⇒ 2024/3/14~3/15記事)は雪だったことを思い出す。わずかにアップダウンするだけの楽な道になるが、いくらか明るくなってきた空が時にパッと白く光り、間をおいてどろどろと聞こえる。3:50、大蔵高丸(1781m)はガス。
大蔵高丸
大蔵高丸から下りると、樹林の小鳥たちが囀り始めた。4時半に湯ノ沢峠(1650m)。雷鳴が続くようなら暫く避難小屋に退避しようかと思ったのだが、幸い収まったようだ。計画行程の地図上のコースタイムは15時間10分で、ここがちょうど中間点。実際には9時間近く掛かっているが、雨の夜間歩行でこの時間ならば上等だ。
疲れてきた身体にはキツい登りで白谷ノ丸(しろやのまる、1920m)に上がり、黒岳(1987.6m)に至って6:10。ここの三角点は一等だが、基準点名は「小金沢山」だ。
黒岳の一等三角点
川胡桃沢ノ頭(かわくるみさわのあたま、1940m)を越えて、鞍部に下りる。地図にはここ(賽ノ河原とあるが、長閑な笹原)から西へ往復20分の水場が記載されているのだが、現地には何の表示も無い。雲が切れてようやく晴れるかと思ったのだが、まだこの先もぐずぐずとガスが掛かるのだった。
賽ノ河原
鞍部からの130mを頑張って、牛奥ノ雁ヶ腹摺山(うしおくのがんがはらすりやま、1990m)に7時半。後は大きな高低差は無く、小金沢山(こがねざわやま、2014.4m)に8:20。ここは三等三角点で基準点名は「雨沢」というのは、ここと黒岳とで呼称の混乱があったのだろうか。それはさておき今回の最高地点なので、集合写真を撮っておく。
小金沢山にて
笹原から天狗棚山(てんぐだなやま、1957m)に上がり、今回の大菩薩連嶺はここまで。9時半、石丸峠手前の分岐から東へ、牛ノ寝通りに入る。
歩きやすいが退屈な道で、下りならまだしもだが、登りに使うのはそれなりに疲れそう。一箇所、木製の桟道があって、もし今回のルートが逆だったら、雨の夜中にこれを渡るのは怖いかもしれない。ひたすら歩いていると、今度こそ晴れてきた。登山部で上日川にテントを張ったと言う高校生集団と後になり先になりして小菅の湯を目指す。
13:40、無事に下山。歩行距離約34km、18時間行動だった。

小菅の湯には高校生集団も続いて到着。若者たちと一緒に入浴し、14:41の大月駅行バスに乗車、駅近くのうづきで打上げとした。

■今回のルート
大菩薩嶺~奥多摩ルート(前半)
         ↑ 前半:初狩駅~湯ノ沢峠
大菩薩嶺~奥多摩ルート(後半)
         ↑ 後半:湯ノ沢峠~小菅の湯
大菩薩嶺~奥多摩ルート(高度グラフ)

2026/5/15(金)~5/17(日) 三嶺~剣山2026年05月15日 00:00

昨年の今頃、無名山塾のI本・I氏から四国の剣山か石鎚山へ行かないかとの誘いあり。石鎚は以前に歩いた(⇒ 2018/10/12~10/16記事)ので剣ならと返事しておいたのが、日程調整を経てようやく具体化した。歩くのは一般道なので山塾山行にはせず、I本氏計画による個人登山。
行動中はずっと晴天。下界は真夏日に迫る地点もあったほどで汗をかいたが、良い山行だった。

前日、新幹線で岡山へ。特急南風に乗り換えたところにI本氏がいた。阿波池田で4S STAY 彩り旅宿 池田温泉横に投宿。バックパッカー向きのお手軽宿だが、清潔で悪くない。隣の池田温泉は町の銭湯で、入浴料450円は各種決済手段に対応・・・のはずだが、番台のおばちゃんに通じたのはPayPayのみだった。電気風呂は腰痛箇所にビリビリ来る。後から気付いたが、4S STAYの靴置きに宿泊者が自由に使える入浴セットが用意してあった。夕食を摂った海鮮どんぶり どんには古いオーディオ機器が並んでいた。
阿波池田 オーディオ機器

■5/15(金)
8:16発に乗るべく池田駅前バス停に行くと、南アフリカから来たという婦人が「このバスはかずら橋へ行くか?」と英語で訊いてきた。バスは大歩危小歩危など経て終点のかずら橋夢舞台からそのまま久保行きとなる。途中「京上」「天皇森」といったバス停があるのは、やはり劔神社に安徳天皇を祀る平家伝説か。波の下にも都のさぶらふぞ。10:16に久保着。車中で話した単独女性はさらに乗り換えて名頃まで行き、三嶺(みうね)に上がるとのこと。
10時半に歩き始め。バス道(と言っても、すれ違いも困難な一車線)のトイレ前から下りて橋を渡り、車道を進む・・・と行き過ぎた。「市道久保蔭線改良工事」の標石と古びた「イザリ峠登り口」の案内板の箇所から登山道に入る。山と高原地図「石鎚・四国剣山」(手持ちは2018年版)の破線ルートだ。
20分足らずで廃屋に出合う。
廃屋
足元にオトシブミと思われる葉巻がいくつも落ちているが、これほど細く巻いているものは初めて見た。
オトシブミ?
要所にテープがあるが、時折見失って探すことになる。ルートを外さない限り、道形はあった。
12時半、車道と絡む天狗塚登山口に出た。「イザリ峠」の標柱も立っている。駐車スペースに車両無し。ここからは地図の実線ルートで、登山道の状態は格段に良くなった。
大きなヒルと思ったのは、帰宅後に検索してみるとシーボルトミミズらしい。オレンジ色の小蛇(ジムグリ?)や、何やらの糞(犬サイズ? 熊ほど大型ではない)を見る。
シーボルトミミズ、ジムグリ?
道端の石碑は写真の他にもっと薄れたものもあったが、剣山の丁目石的なものだろうか。
石碑
第一ピーク(1476m)下で擦れ違った軽装単独男性はどんなルートを歩いてきたのだろう? さらに登っていくと足元にササが現れ、やがて樹林を出て北側の山並みを見渡せる。
天狗峠手前からの北側山並み
14時半、天狗峠に登り着いた。東を眺めやると、三嶺の右に二つのピークが並んで霞んでいる。ここからだと剣山は三嶺に隠れるだろう、高ノ瀬(こうのせ)とその手前のピークか?と話していたのだが、実はあれこそが剣山と次郎笈(じろうぎゅう)であることが後になって判るのだった。峠から自分だけ天狗塚(1812m)へ。I本氏はお亀岩避難小屋へ先行する。
天狗塚へ
天狗塚から西へ伸びるなだらかな尾根は、なるほど「牛ノ背」だ。
天狗塚
東には三嶺から北に下りる尾根とその向こうの山並み。
天狗塚から東
天狗塚から東(山名)
いったん牛ノ背側に下り、天狗塚を巻いて峠に戻った。
地図では天狗峠から地蔵ノ頭を経てお亀岩なのだが、実際の道は地蔵ノ頭に上がらずにお亀岩に向かっている。が、あえて地蔵ノ頭に立ち寄った。笹原の道でI本氏に追いつくと、右手に現れる大岩がお亀岩か?
お亀岩?
その岩の傍らの分岐まで上がると、避難小屋が見えた。
お亀岩避難小屋
16時過ぎ、お亀岩避難小屋に到着。ドアを開けるとストーブ(使うなら薪を持参のこと)のある素敵な小屋だ。部屋は半分が2階構造で多人数を収容できるが、今日は貸し切り。部屋の隅に細長く切ったマットも用意してある。ただ、トイレ(大)のドアを開けたら大きなハエがワッと飛び出してきて床にも足の踏み場もないほど死骸が散乱しているのにはビビった。もう一つの(大)はそれほどでもない。「紙は捨てないで」と注意書きあり。男子用(小)は特に問題無い。
水場は光石への路に入って5分程下る。パイプからチョロチョロと落ちており、ペットボトルを置いておけば苦労無く汲めるものの、二人で30分程掛かった。
お亀岩避難小屋の水場
食事中に、外はガスとなった。

■5/16(土)
夜中には銀河が見えたとのことで、起床時は晴れ。5:20出発。
笹が濡れているためスパッツを着けたが不足で、雨具ズボンを履く。歩いていると暑い。
西熊山(1816.0m)を踏み、緩やかなアップダウンで西へ西へ。見事な笹原だ。地形図には「三嶺・天狗塚のミヤマクマザサ及びコメツツジ群落」とある。地形図1754付近でスマホが通じた。
笹原
三嶺の手前で分岐する光石方面への道には「フスベヨリ谷 通行注意」の立札があった。山頂に先に上がっている一人が見える。7:50、三嶺(1893.6m)に登頂。
三嶺
休憩していると次々と人が来る。東側からが多い。誰も足元をカバーしていないので、我々も雨具・スパッツを外した。山頂でのんびりと40分ほど過ごす。
剣山に向けて山頂から南へ下りる道は急降下でクサリ場が連続し、結構険しい。一息ついた後も「三嶺の天狗岩」が現れたりする。
三嶺からの下り
三嶺を振り返る
緩やかなアップダウンとなり、ちょっとした鞍部の小さな池にはオタマジャクシがうじゃうじゃといた。
カヤハゲ(東熊山、1720m)付近は名前の通り、カヤが優勢で遠目には剥げた様に見える。剣山も近づいてきた。
カヤハゲ
カヤハゲ(山名)
白髪(しらが)避難小屋に10:20到着。
白髪避難小屋
この先は剣山近くまで水場は無い。小屋手前に立つ案内板に従って踏み跡に入り、急斜面を50mほど降下すると良い沢があった。水流の周囲は足元が悪いので、暗くなってからでは危なそうだ。
白髪避難小屋の水場
水場へ向かう笹原には「明治三十五年/国有林字別府 面積百町 植栽三十万本」と刻んだ植林碑がある(⇒ 林野庁ホームページ/物部白髪山)。
到着時に小屋は無人だったが、戻ると6~7人パーティの他、休憩や泊りらしき人がいて賑わっていた。この人出からすると、本日の泊り場所である丸石避難小屋も混むかもしれない。そこで、ここからは自分が先行して小屋のスペースを確保することにした。時刻は11:10。
1700.9m三角点のピークに「平和丸」の山頂標あり。日当たりの良い山腹にピンク色のツツジが固まって咲いている。白い花もあった。
山腹のツツジ
ツツジと白い花
中東山分岐辺りから谷あいに案外近く見える集落が名頃なのだろう。高ノ瀬(こうのせ、1740.9m)まで来ると剣山がクッキリと見える。昨日、天狗塚からは霞んでいたものが、いよいよ近づいた。ここもスマホ電波あり。
高ノ瀬から剣山
丸石避難小屋に13:50到着。休憩が一人いたが、宿泊では一番乗りだった。部屋の隅に置いてあるザックには「遭難者の荷物ではありません。三好警察署」とある。救助活動用の物資か。
丸石避難小屋
フロアにシートを拡げて二人分のスペースを確保すると、あとは小屋前の倒木に腰を下ろしてスマホでkindle本を読むなどして暇を潰すしかない。鹿が3頭やってきて、先頭がじっとこちらを窺う。警戒はしても人を恐れる様子はない。
丸石避難小屋の鹿
やがて単独男性がやってきて小屋の傍らにテントを張った。I本氏は16時頃到着。小屋泊は他に単独男性(72歳)と若い二人組。水無しトイレ無しの小屋に泊まろうという酔狂は、週末でも少なかった。雑談の中で、剣山は別名「太郎笈(たろうぎゅう)」と聞く。隣の次郎笈は弟分という訳だ(⇒ 市報みよし 2018年10月号)。三嶺は地域によって「みうね」「さんれい」と呼び名が変わるとか。若い二人組は「さんれい」派だった。

■5/17(日)
5時半に出発。天気晴朗なれども風強し。
緩やかな登りで丸石(1683.9m)を越え、次郎笈への登りにかかる。と、下りてきた若者二人組が「剣山のリフトに行きたいんですが」。地図は持っていないと言う。それは無茶だと返しながら地図を見せて、引き返して次郎笈から剣山へ向かうのだと説明した。剣山観光から適当に歩いて、こちらから回れると思ったのか。しかし素直な子たちで、次郎笈の山頂下でまた会った時には「先ほどはありがとうございました」と言ってくれた。
次郎笈水のあるトラバース道を分け、傾斜の増す120mの標高差を頑張って、剣山と次郎笈を結ぶ稜線に上がる。7時半、次郎笈(1930.0m)に登頂。
次郎笈
ここは四等三角点だが、稜線に出た地点には古い三角点標石らしきものが横たわっていた。
次郎笈の三角点
あとは剣山本峰へ上がるのみ。
次郎笈から剣山を望む
次郎笈から下りると風はやんだ。剣山頂下で階段が現れ、木道を踏んで剣山(1954.9m)に登頂! 時刻は10:10。周囲を囲われていて標石にタッチできないのが残念だが、ここは一等三角点だ。
剣山
剣山
テラスからは遠く石鎚山まで見える。あれが三嶺、天狗塚ならば、登ってきたのは青く霞んでいる尾根か。
石鎚山を遠望
石鎚山を遠望(山名)
見ノ越からの登山バス(13:45)を目当てに歩いてきたが、まだ時間はある。自分はつづろお堂まで下ってそのバス(14:43)を待ち、I本氏と車中で合流することにした。
剣山は信仰の山で、山頂部にはいくつも神社がある(⇒ 剣山登山道案内図劔山本宮劔神社/道案内)。まず、剣山本宮宝蔵石神社。
剣山本宮宝蔵石神社
頂上ヒュッテで登山バッジを買い、目についた指導標に従って大劔神社へ。通りがかったパーティが「この岩が剣山の名の由来」と喋っていたが、真偽は知らない。
大劔神社
ここ大劔神社には刀掛の松、西島駅への指導標はあるが、全体の案内図は無い。両劔神社と古劔神社はリフト駅の傍らだったか?と思ったのはハズレ。駅まで下りたところで案内図を見て、刀掛の松まで登り返す羽目になった。
刀掛の松から入っていくと、神社への指導標に「荒れた道です。気を付けて」。地図の実線登山道より悪い道だったが、苔むした岩や岩崖を見て行く道は神寂びた感じで悪くない。
岩山の上に祠があり、その奥の岩に注連縄が懸かっていて山頂を遥拝するようになっていた。
三十五社
ここが何神社なのか判然としないが、傍らの岩に掛かっているトラロープは登下降用なのか? しかし、これは生半可な登山より危険だ。下りるのはやめておこう。帰宅後に確認すると、この祠は三十五社(上掲「道案内」の12)で、古劔神社は先ほどの岩崖辺りにあった(道案内11)のを見落としたらしい。
細い道を辿っていくと、岩壁を背にした小屋掛けに両劔神社(道案内20)が祀られていた。
両劔神社
そこからまた悪い道を上がって行くと、石鎚山のようなクサリの掛かった「おくさり」(道案内19)。
おくさり
続いて不動の岩屋(道案内18)。ハシゴの下りている奥から水流の音が聞こえるが、真っ暗でザックを抱えて下りてみる気はしない(写真ではストロボを焚いてハシゴの下が写っているが、現地では何も見えなかった)。
不動の岩屋
そうこうするうちに11時半近い。つづろお堂まで下りたのではバスに間に合わず、自分も見ノ越から乗ることにした。
剣山頂への道を見送って元のルートに合流する方へ進むと、「つるの舞へ 20m」という指導標があったので入ってみる。ここも突端の岩に注連縄を懸けて山頂を拝する場所だった。
つるの舞
刀掛の松から西島駅へ戻り、リフトを横目に見ノ越へと下る。駅の下の野営場にはテントが一つ張ってあった。西島神社は気付かずに通過し、見ノ越間近の無名の神社でI本氏に追いつく形になった。
劔神社に無事下山のお礼をする。ここは宿泊も可能(⇒ にし阿波~剣山・吉野川観光圏公式サイト)。
劔神社
劔神社
12:50、見ノ越に下山。登山バスの乗場を確認してから、鳥居階段前の民宿まつうらで乾杯した。

登山バス(3000円)でJR貞光駅に出、列車を乗り継いで高松へ。乗り合わせた乗客が気軽に世間話をしているのは地域性か。我々にもJR四国勤務と言う男性が話しかけてきて、高松の食事処など教えてくれた。
ホテルリブマックス高松駅前に投宿し、ホテル宛に送っておいた観光用装備を受け取る。列車内で聞いた、まいしょく家 高松兵庫町店で食事。言うだけあって米が美味しい。ホテルに戻って登山用ザックの発送をフロントに依頼(着払い宅急便ラベルはフロントで貰える。梱包用の袋(スキーザックカバー)は観光用装備に入れておいた)して、今回の山行は無事に完了した。

■今回のルート
剣山ルート(全体)
剣山(高度グラフ)
        ↑ 全体
剣山ルート(1日目)
        ↑ 1日目
剣山ルート(2日目)
        ↑ 2日目
剣山ルート(3日目)
        ↑ 3日目

2026/4/8(水)~4/9(木) 三頭山~軍荼利山2026年04月08日 00:00

この2~3月は、安房峠~十国山、北ア・表銀座といった雪山計画が天候で流れたり自分の腰の具合で参加できなかったり。さらに4月初は、2泊で愛知までの海岸線ツーリングに出ようと宿も取っていたのだが、これも好天が三日続かずに断念。せめて晴天の二日間で何処か歩こうと、奥多摩の三頭山から西へ小菅の湯まで足跡を伸ばすことを考えたが、平日には帰りのバスが無い。一方、三頭山から東はかつてハセツネカップで踏破したものの、GPSログがほとんど取れていなかった(⇒ 2006/10/8~10/9記事)。過去ログをまとめて眺めた時に空白があるのも面白くないので、歩き直しておくのも悪くなかろう。登山としての興趣は、山中テント泊と、三頭山への登りと浅間峠からの下りに使う山と高原地図(以下、「地図」)の破線ルートということになる。

■4/8(水)
上野原からバスで終点の飯尾まで。ハイキング客もいたが、終点までに皆降りてしまった。
身支度して10時過ぎに出発。民家を過ぎて沢沿いの山道に入る。破線ルートだけあって指導標は見当たらない。
まずは大羽根山(954.5m)だが、地図の破線は南側の尾根を真っすぐ登っている。地理院地形図に道の表記は無い。登り尾根を横切る手前にそれらしい踏み跡があったが、道なりに坂の上まで行って「大羽根峠 七八〇m」の札を確認してから尾根に取り付いた。
大羽根峠
尾根の高まりを右手に見る緩い登り。土砂が落ちて消えかけている箇所もあるが、道は続いている。しかし、どこで尾根に上がるのかと思ううちに右手の尾根が下がってきたではないか。このまま進んで前方の尾根に乗ればピークへの道があるのかもしれないが、今ここで尾根に上がってしまえ、とシカかヒトか判らない足跡を見ながら薄を掴み、テント泊装備に水を加えたザックの重みにあえぎながら急斜面を這い上がった。尾根上にはやはり踏み跡があったがやや不明瞭。地図と相違して、道は西尾根に上がってから山頂へ向かっているようだ。954.5m三角点標石の周囲には山頂の目印など特に無し。地図には飯尾から30分とあるが、1時間掛かってしまった。
細長い山頂部から先は迷う箇所もなく、大茅(1237m)を12時前に通過。
大茅
稜線上の大沢山に近づくと足元に岩も出てくる。地図に?(迷)マークがあるのは、下りに使う場合に尾根の分岐する箇所(1300m)か。
12:40(大羽根山から1.5時間)、大沢山(1482m)に到着。ここまで来ると他の登山者もいて気楽だ。大沢山から三頭山まではピストンなので荷物をデポしてもよいのだが、鈍った身体に幾らかなりともトレーニングを課すべく、ザックを担いで往復することにした。
避難小屋を経て最後の登り。階段や石段で三頭山(西峰)に13時登頂。奥多摩の山でいつも思うが、この御影石の山頂標は実に詰まらない。山頂標傍らの石標は三角点ではなく、何かの境界標のようだ。
三頭山
ベンチに掛けると富士山が正面にバッチリ。
三頭山からの富士山
腰を上げ、来た道を戻る・・・おっと、大きな山頂標に安心して、最高点を踏み忘れた。山頂に引き返し、指導標を確認して鞘口(さいぐち)峠の方へ。最高点の中央峰(1531m)を踏み、その先の東峰で1527.6m三角点を確認した。
三頭山中央峰
        ↑ 中央峰
三頭山東峰
        ↑ 東峰
東峰には展望台もあるのだが、皆西岳で満足してしまうのか、無人だった。西峰を含め、山頂部には計30分ほど滞在。
三頭山展望台より
        ↑ 展望台より、御前山~大岳山~馬頭刈山
西峰を巻いて、来た道に戻る。今回の最高点を踏んだので、あとは基本的に下りだ。大沢山から下りた地点に立つ「日本山岳耐久レース 35km地点」の指導標はかなり古びており、自分の出場した2006年のままだろう。今回はレースと逆回りで、レース時はここまでの登りを約9時間で来ている。あの頃は元気があったものだ。
日本山岳耐久レース 35km地点
1173と1159との中間「クメケタワ」(と指導標にある)、タワはピークの間の撓(たわ)んだ地点だが、クメケは何だろうか。槙寄山(まきよせやま、1188.2m)は登ると言うほどのこともない高まりにベンチがあって休憩。計画時に泊地としていた数馬峠(上平峠)を15時半前に通過し、笛吹(うずしき)峠に16時前到着。ここにある百番塔は表裏それぞれに「みぎ」「ひだり」と刻んだ道しるべ石で、大日側は「みぎ かずま」「ひだり さいはら」(と、複数のネット記事にある)。百番塔側はよく判らないが「みぎ うえはら」「ひだり ひのはら」だろうか?(左の檜原はかなり確からしい。右はそれに対して上野原かという程度。彫られた文字は「つりはら」のように見える)
笛吹峠の百番塔
さらに進んで二等三角点の丸山(1098.3m)を踏む。山頂下分岐の指導標に立てかけてある朽ちた柱(?)に記されているのは「ガンバの冒険」か? 名作アニメ(50年前の作品を今現在再放送中だ)の名を取ったハイキングクラブでもあったのだろうか。
「ガンバの冒険」?
テント適地を探しながら進み、16:45 小棡(こゆずり)峠を越えた地点で道脇の平坦地を泊り場とした。
夜は静かだった。

■4/9(木)
5時半過ぎに出発。今日も晴れたが、少し風がある。
次の土俵岳(1005.2m)には、無名山塾・I本氏と来たことがある(⇒ 2024/2/27記事)。日原峠に佇む石仏を拝み、6:45、浅間峠に至った。明治時代の石祠と馬頭尊、大正の道標柱、現代の関東ふれあいの道碑と、古くからの賑わいを感じさせる峠だ。2本並んだ杉の大木には注連縄が掛けてある。
浅間峠
大正年間の道標柱
        指差す矢印が大正モダン(?)
計画段階では下山開始地点としたが、今から下りたのでは早過ぎる。スマホが通じたので自宅にLINE連絡の上で、軍荼利山(軍刀利山、ぐんだりやま)まで進んで長尾尾根(北尾根)を下りることにした。
熊倉山(966m)を過ぎた次の970m小ピークが軍荼利山で、ちょうど8時。北に向かう踏み分け道を確認するが、いったん見送ってさらに先のピークに鎮座する軍刀利神社元社を拝みに行く。神社は素朴な石祠が本体。鳥居前は南側が開けており、富士山の雄大な姿を最後に眺めることができた。
軍刀利神社元社
軍刀利神社元社からの眺望
軍荼利山に戻って8:15。北尾根に入る。
軍荼利山
地図の破線ルート(地形図には道記載無し)で、南郷バス停までのコースタイムは2時間。指導標は無く、登山の目印としては時折赤テープがある程度。樹木に「南郷共益会所有地」のプレートが付いている。岩がちの痩せた箇所もあるが、難しいことはない。
長尾尾根(入口付近)
明瞭な尾根で分かりやすい・・・と思っていたら、支尾根に引き込まれた。こんなに下ってしまうはずがないと気付いて修正。844mで「長尾尾根」の木札を確認、今度は尾根を誤らないようコンパスを振る。地図では道路を目指して向きを変える高度が読みづらく、少し下り過ぎてから方向転換。470mで痩せ尾根に入る手前で左手に下る踏み跡があるが、これはすぐに消滅した。痩せ尾根を進むと、末端(地形図477m)から下りる箇所に赤テープは付いているものの「ここ、本当にルートか?」という斜面。掴まり伝いで下りると、また歩きやすくなった。この辺、地図にはあっさり「急坂」とある。
急坂
地図で「渡渉注意」の沢は、滑り難い石に足場を定め飛び越した。対岸は石垣の手前に土の斜路があって道路に上がれる。
渡渉点から道路へ
あとは舗装路を辿る。バス道下の建設会社資材置き場のようなところでシャツをはだけて汗を拭い、南郷バス停に10:20。バスまで30分足らずのちょうど良いタイミングで、無事に山行を終了できた。

■4/10(金) オマケ
行動中から鼻水を垂らしていたが、翌日はベッドの中のクシャミに始まり、クシャミ・鼻水・涙目の花粉症三点セットに参って、久しぶりに鼻炎薬を服(の)んだ。

■今回のルート
三頭山~軍荼利山ルート(1)
        ↑ 1日目
三頭山~軍荼利山ルート(2)
        ↑ 2日目

2026/3/15(日) 奥武蔵・伊豆ヶ岳~子ノ権現2026年03月15日 00:00

八ッ峰クラブの定例山行企画だったが、参加者が少なく、有志での電車山行となった。12月の大岳山(⇒ 12/14記事)にも参加のI田・T氏、T橋・T氏と自分の3人で決行。今回は正丸駅スタート、正丸峠は通らずに伊豆ヶ岳に登り、子ノ権現から西吾野駅に下りる計画。
伊豆ヶ岳には記録の残る限りで4回来ており(⇒ 過去記事:2009/7/42010/1/242011/4/102012/6/2)、それ以前、山歩きを始めて間もない頃にO倉・K氏と登った覚えもある。

正丸駅を8時に出発。晴れ。
集落を抜けるまでに同様のハイキング客何組かに追い抜かれたが、30分足らずで大岩の傍らに馬頭尊の祀られた正丸峠分岐に至る。予定通り、ここから左(南西)の登山道に入る。
正丸峠分岐
次の分岐には右手に登っていく道を指す「名栗げんきプラザ」の古びた道標があったが、地図を確認しても見当たらず、廃止された施設なのかと思う。先行パーティもそちらには行っておらず、それ以上疑わずに直進。しかし暫く進んで気付いたが、予定していた山と高原地図の赤実線ルートは「名栗げんきプラザ」の方だった。踏み込んだルートは地図では細い黒線で登山道扱いではない(地理院地形図では破線=徒歩道)のだが、ずいぶんしっかりしている。また、地図をよく見ると、「げんきプラザ」は先ほどの実谷(じっこく)分岐から長岩峠を越えて県道へと下り、さらにその向こうにあるのだった。道標にはもっと手近な長岩峠を示して欲しいものだ。
その先で、さすが赤線の入らないルートと言うべきか進路が不明瞭になり、右手の尾根に上がる踏み跡を選択すると、これもハズレ。同様に外す人も多いらしく、下に見えた赤テープ目指して斜面を突っ切って下りる足跡があった。
尾根に突き上げたところでまたもやミス。トラロープで遮られているにも関わらず、関東ふれあいの道に合流したと思い込んで左(東)へ行ってしまった。よく踏まれていかにも道と思えた足元がやがて怪しくなって引き返し、30分弱のロス。登ってきた道を指す「←正丸駅」道標の面する側を考えれば正しい進行方向は明らかだが、思い込みというのは始末が悪い。
ルートミス地点
あとはもうミスを誘う箇所はない。素直に尾根を辿り、今度こそ関東ふれあいの道に合流。すぐに伊豆ヶ岳下の分岐になる。男坂はトラロープで塞がれており素直に巻道に入ると、指導標に「男坂と女坂の中間にあるみち」とLGBTQのようなことが書いてある。地図に「男坂は落石注意。女坂は通行禁止 中間道を歩く」とある中間道だが、登り切ってみても女坂の出入口はまったく分からなかった。
LGBTQ坂
伊豆ヶ岳(850.9m)に10時過ぎ登頂。ルート誤りをした割には、地図のコースタイム(2時間10分)通りだった。山名はアイヌ語由来とも、遠く伊豆半島まで眺められるからだともいう。馬酔木の花が咲いていた。山頂で20分ほど休憩。
伊豆ヶ岳
古御岳(こみたけ、830m。子ノ権現から小床峠経由で下りて行く先にある御岳山に対する「古」か?)、高畑山(たかはたけやま、695m。「ナローノ高畑山」の山頂標もある。「ナローノ」は「楢生」からとの説あり)とピークを踏みながらも高度を下げて行く。中ノ沢ノ頭(イモグナの頭)には巻道があり、自分だけ622.7m三角点を確認。
中ノ沢ノ頭
尾根上の最低点となる天目指峠(あまめざすとうげ、490m)で交差する林道にはサイクリングのグループがいた。解説板によると、アマメは豆柿、サスは焼畑のこと。
峠から登りにかかったところで、I田氏がちょっと足を捻った拍子に「足が攣った」。ここで山行を中止して峠から林道を下りるようかと思ったが、暫く立ち止まった後で本人は行けそうと言う。子ノ権現まで辿り着けばタクシーも呼べるだろうとそのまま続行し、結局、この後は特に問題なく歩き通せた。
アップダウンして祠のある愛宕山(660m)を越え、子ノ権現に13時半過ぎに到着。ここは過去に少なくとも3回訪れている(⇒ 2009/7/42011/4/102019/7/24)が、巨大草鞋など変わりないな。
子ノ権現にて
自分だけ奥の院まで上がって鐘を撞き、釈迦堂を拝んだ。門前の土産物屋に少しお金を落とそうと、柚子味噌(430円)を買う。店番の老人がお釣りを間違えるのは、80歳にして目も耳も遠いため(対面の店のおばさんの話)だ。
西吾野駅に向けて下山。集落入口にある静之神社は、岩室に祀られた祠に舞台のような拝殿が設けてある。Googleマップに寄せられた情報によると祭神は罔像女神(みずはのめのかみ)に五帝龍神と水神系であるが、これは鳥居前の石祠に関するものかもしれない。
静之神社
国道に出たところで道端の「カレーパン」の幟に惹かれてロックガーデンカフェ(⇒ Googleマップ)に立寄り。カレーパン(200円)は揚げたてで美味しかった。
西吾野駅に15:43到着。ルートミスしたのは油断だったが、I田氏にもさほど無理なく歩けて、良いハイキングだった。

■今回のルート
伊豆ヶ岳~子ノ権現ルート

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