2024/4/16(火)~4/17(水) 西丹沢~石割山2024年04月16日 00:00

6月の無名山塾のカモシカ山行(本科応用ステップの夜間行動)を担当するに当たってルートの下見。今回は個人山行として、本番でサブリーダーを務めるT中・H氏と、他にI本・I氏に声を掛けた。西丹沢、道志はそれぞれに歩いている(2022/12/19~12/20 畔ヶ丸~加入道山~大室山2021/11/14~11/15 御正体山~杓子山)が、両エリアを繋ぐのは初めてだ。天候は、曇りから水曜朝方に雨の後、晴れの予報。

■4/16(火)
新松田駅のバス乗り場でI本氏が、出がけに足首を捻って痛いが歩きながら様子を見る、と言う。T中氏も乗車し、西丹沢ビジターセンターへ。平日というのに案外と駐車台数が多い。
ビジターセンターを9:50に出発。西沢沿いに堰堤を越え、丸木橋をいくつか渡る。20分ばかり進んだ橋の無い箇所に少々手間取ったが、山行後のI本氏情報によると、上流10m程に赤テープがあり浅くて渡り易かったとのこと。
出発から1時間、沢から離れると傾斜がキツい。畔ヶ丸を目指している先行パーティを追い越す。11時半、950m地点でI本氏はやはり足が痛むので引き返すことになった(上記の渡渉点情報はこの下山時のもの)。
T中氏と二人になり、痩せ尾根の善六ノタワ(1040m)を11:40に通過。カモシカ本番では下の沢沿いからこの辺りまで、明るいうちに済ませたい。6/1の日没は18:50頃なので、17時行動開始で大丈夫だろう。
善六ノタワ
12時半、畔ヶ丸(1292.3m)に到着し、山頂で休憩。腰を上げて避難小屋を覗いてみると、若者が7~8人もいた。トイレもあって快適そうな小屋だ。
畔ヶ丸避難小屋
避難小屋からモロクボ沢ノ頭へ向かう途中、砂地(花崗岩の風化した真砂土)の下り斜面が滑りやすいが、クサリも付いており、危険というほどではない。
前回は加入道山へと北上したので、この先、モロクボ沢ノ頭から石割山分岐(石割山~御正体山の縦走路)までが初めてのルートとなる。モロクボ沢ノ頭から間もなく、小ピークの鞍部で尾根が細い。周囲が見えていれば何の問題もないが、暗いと要注意かもしれない。
痩せ尾根
大界木山(だいかいぎやま、1246m)を越えると浦安峠への分岐。指導標の柱に「横浜市水道局」とある(⇒ 横浜市/道志水源林)。
ベンチのある城ヶ尾(じょうがお)峠で一本取り、城ヶ尾山(1198.7m)を14時に通過。地形図の1240m地点に「中ノ丸」のプレートが取り付けてあったが、昭文社山と高原地図「丹沢」(2022年版)では、その先の小ピークを中ノ丸としている。
地形図1229mの手前に「ブナ沢ノ頭」の指導標があるが、ブナ沢乗越から下って出会う沢がブナ沢ならば、この位置には無理がある。1229と乗越との間とする山と高原地図が正しいのだろう。
地図ではブナ沢乗越から少し下れば水場なのだが、事前に参照したネット記録には水汲みに片道40~50分というものがあった。今回は二日分の水を担いできたので、乗越から分岐の先を確認することはせずに通過し、15時に菰釣(こもつるし)避難小屋に到着した。山と渓谷オンラインには「収容人数10人」とあるが、それは土間まで使った場合だろう。
菰釣避難小屋
菰釣避難小屋
間もなく、途中で追い抜いてきた父親と息子の二人組が入来。その後に到着したパーティは外にテントを張った。テント組が水汲みから戻って「立派な沢で涸れることはない」と話していたが、地図に二個所ある水マークのどちらまで行ったのだろうか。

■4/17(水)
準備中に外を見ると降っていたため雨具を着け、5時半に出発。しかし、歩き出すとガスはあるものの濡れるほどではない。その後しばらく、空が明るくなったりまた雨の気配になったりしたが、山伏(やまぶし)峠に向かう頃には晴れてきた。
避難小屋から30分足らずで菰釣山(1379m)に登頂。南に伸びる尾根を5分程進んだ先にある三等三角点(1347.9m)を往復した。いったん雲が切れたが、富士山は裾野のみ。
菰釣山から富士山方向
ブナノ丸、油沢ノ頭、樅ノ木沢の頭(地形図1306m)、西沢ノ頭とアップダウン。丸太階段や土嚢で良く整備されているが、西沢ノ頭からの下りには、暗い中で道から外れるのを警戒すべき箇所があった。
西沢ノ頭からの下り注意箇所
7:40に石保戸山(西ノ丸、1297.0m)。山頂の周囲に岩が目立つ故の山名と思うが、読み方が分からない。奥秩父の笠取山近くにある同名1673m峰は「いしやすどやま」(『日本山名総覧』は「いしほどやま」と併記)だが、こちらは?
石保戸山
大棚ノ頭(1268m)手前で送電鉄塔を見上げる地点は、道の穴ぼこにトラロープが張られており要注意。
穴ぼこ道
山伏峠付近は道が錯綜している。直進よりも明瞭な左へと辿った箇所は、作業道と思えた直進が正解だったらしい。多少外しても方角を合わせておけば復帰できるが(反対方向から来た場合は、入り込みそうな道がさらに多いようだ。それらは峠に向けて合流?)。国道への分岐がある遊歩道上の峠は地味だが、その先の左手に鳥居を構えている社が峠の神様なのだろう。
山伏峠
山伏峠の神社
9:20 石割山分岐で休憩。本番時にはこの辺でもう明るくなっているだろうか。
地図に「崩壊地」とある手前で、赤土の道が少々滑りやすい。滑っても今は尻餅をつく程度だが、本番では疲れもあるから、捻挫でもしないよう注意。崩壊は地図の地点よりも、バイケイソウの多く生えた道を過ぎ、地形図1446m地点(日向峰)に向かって尾根が細くなった箇所に目立った。1446mの南を通過する笹の間の道が今回最高地点だ。鉄塔巡視路を分け、石割山手前の細尾根にも崩壊地あり。崩壊箇所にはいずれもトラロープが張られている。
石割山手前の崩壊地
10:20、石割山(1412.3m)に到着。富士山にかかる雲が消えないかと暫く待ったが駄目だった。
石割山
石割神社を拝み、長い長い階段(403段あるとか)を下りた。
石割神社
石割神社
国道から石割の湯へ回って11:40。地図によると神社の階段の上にあった休憩舎から直接温泉へ下りる道があったのだが、見落とした。
入浴と食事を済ませ、富士山駅までバスを利用。山中湖の周囲には富士山と桜目当てか、外国人観光客が多かった。

■今回のルート
西丹沢~石割山ルート_1
         ↑1日目
西丹沢~石割山ルート_2
         ↑2日目

2024/3/14(木)~3/15(金) 大菩薩嶺・鹿鳴ノ滝~大峠2024年03月14日 00:00

大菩薩連嶺は何回か歩いているが、雁ヶ腹摺山はまだ踏んでおらず、また、南北に連なる連嶺の東側ルートは以前から行ってみたいと思っていた。一方、松浦隆康『バリエーションハイキング』(以下、『バリハイ』)を参考に八ッ峰クラブの夏の定例山行に提案した「鹿鳴ノ滝~大峠」の下見もしておきたい。
そこで両者を合わせて、
 1日目:桑西(くわさい)~鹿鳴ノ滝~ハマイバ丸~黒岳~大峠(テント泊)
 2日目:大峠~雁ヶ腹摺山~大樺ノ頭~水無山~上和田
という計画を立てた。『バリハイ』と山と高原地図(昭文社)のコースタイムによれば、両日とも行動時間は6~7時間。雁ヶ腹摺山のネット記録を探すと、今月最初の週末の積雪は「深いところでスネ程度」、その後は暖かい日もあれば降雪も1~2回あったかもしれないが、縦走路に出ればトレースは期待できるだろう。崩れる恐れのない晴天予報の二日間で踏破できなくもあるまい。
・・・と考えたのだが、予想以上の積雪量に加え、一般登山道と油断してのルートミスを重ねてしまい時間切れ、あえなく大峠から撤退となった。

■3/14(木)
大月駅からバスで終点のハマイバ前(バス停名はこれから上る山ではなく、ここの岩魚釣りセンターによるのだろう)へ。9:20に歩き始め。バス停から先も立派な舗装路だが、マイクロバスを含め11人乗り以上の大型バス通行禁止になっている。途中の大山津見神の祠に山行の無事をお願いし、桑西駐車場(⇒ グーグルマップ)まで30分強。左に折れて川を渡り、林道桑西線に入る。
林道桑西線
雪は靴が潜るほどは無く、日当たりの良い箇所は路面が出ている。30分ほどで地形図上の道が実線(軽車道)から破線(徒歩道)に変わる林道終点。右に逸れる実線側には棒杭が立っている。気温16℃と暖かいが、進んでいく破線側は雪が深くなりそうなのでスパッツを着ける。
林道終点
10分ほど行くと、尾根に沿った鹿柵で道が途切れ、沢に行き当たった。鹿柵の向こう側、伐採された斜面に2~3頭の鹿がいる。高度計の読みはやや低いが『バリハイ』にある「枝沢を越える(1140m)」はこれかと沢を跨ぎ越して対岸に上がり、雪に覆われているものの道に見えるラインを進む。地形図の破線道は尾根と沢の間にあるが・・・と思いながら辿ると、やはりどうにも道らしくなくなってきた。右方向に修正して沢の彼岸此岸を観察しつつ登り、対岸の方が雪が少なくて歩き易そうになった箇所でふたたび流れを跨ぐと、錆びたトタン板や木に巻いた古い赤テープが見つかった。『バリハイ』の「トタン板が放置され、かつては小屋が建っていたようである(1240m)」だ。おそらく先の鹿柵にはゲートがあって、道は柵内に続いていたのだろう。歩きづらいところを大回りして時間を食ってしまい、すでに昼近い。下の写真は、誤って渡った沢の対岸とルートに戻った箇所。
沢を渡り、戻った箇所
やがて前方に小滝が現れ、その奥にはもっと大きな滝が見える。
小滝
奥の方が鹿鳴ノ滝(1380m)だった。『バリハイ』に「左奥にも滝が掛かっている。私としては左奥の滝の方が好み」とあるので、まず左へ。こちらは日陰の雪の間に露出した岩壁を流れ落ちている。右の鹿鳴ノ滝は日当たりが良い。滝の下の岩床は滑らかで、浅い流れに足が滑りそうだ。
左の瀧/鹿鳴ノ滝
「鹿鳴ノ滝の手前(左岸)から斜面をトラバースするが、固定ロープも設置されている」(『バリハイ』)はずなのだが、ここはロープなど見当たらない右側の泥斜面を、トラバースはほとんどせずに木の根を掴むなどして強引に直登した。同様に登ったと思しき痕跡も見られたが、足元が滑れば滑落する危険性が大。『バリハイ』の記事は「07年7月下旬歩く」なので、その後ロープは撤去されたのか、あるいは他に登れる箇所があったのか(2018年時点でトラロープありとの記録を帰宅後に発見した ⇒ ヤマレコ/【バリエーション】鹿鳴ノ滝からハマイバ丸)。
バリハイ略図
        『バリハイ』の略図の一部
鹿鳴ノ滝左岸斜面
         よじ登った斜面
急斜面を上がりきると赤テープを見つけたが明瞭な道は無く、まずはともかく上へ。一度は見えた道らしきラインも消え、地形図の1525m点の尾根に乗るように雪の薄いカラマツ林の中を登る。右手に崩壊地を見て(1590m)急登をこなし、傾斜が緩むと地面は真っ白になった。
次第に深くなる雪を分けて高い方を目指していくと、コブを乗り越えて縦走路に出た。鹿鳴ノ滝から1時間半かかって14:10にハマイバ丸(1752.0m)に到着。気温2℃、風が冷たい。
ハマイバ丸
期待していたトレースは、数日前のものと思われる消えかけの一人分のみ。ツボ足では足首から場所によってスネまで潜るが、登山道を示す杭や雪面の窪みでルートは明瞭だ。植生保護(動物侵入防止)のフェンスを一つ乗り越え、二つ目は雪を押しのけて開けて通過する。
15:10に大蔵高丸(1781m)。秀麗富岳十二景三番山頂だが、残念ながら雲が掛かっている。
大蔵高丸
大蔵高丸から湯ノ沢峠へ下りる道は、いったん大月-甲州市境の尾根から西へ外れる。樹林の中を下りながら「先刻までは確かに靴の跡だったが、いつの間にか鹿の足跡だけ。ここは本当に道か?」と一瞬疑った。尾根に戻って明瞭になった道を行くと、またフェンス。そのうちの一つ(地形図1687mを通過した地点)は手前の雪を少しどかして扉の隙間を通過した。
フェンス扉
しかし、扉を閉じようとすると掛け金が受け口に入らない。扉下の雪を取り除いてなんとか受け口に入れてもロック(掛け金が完全に受け口に入ると落ちる仕組み)が掛からない。苦戦するうち、蝶番から扉ごと外れてしまった。そこへやってきた後続の外国人単独男性を先に通し、なおも悪戦苦闘。最終的に上側の蝶番を嵌めてロックの掛からない状態で扉を閉めた。開ける時にロックを外した覚えはないので、おそらくこれで原状復帰だろう。これに懲りて、以降のフェンスは開扉を試みずに乗り越えた。
すでに16時となり、予定の大峠までは到底無理だ。今日は湯ノ沢峠に泊まることにして、避難小屋に16:20到着。小屋には先の単独男性がおり、やまと天目山温泉から入って明日そちらに下りるとのこと。トイレは冬季閉鎖中(下右写真)。水場は確認せず、小屋前で取った雪を溶かして炊事した。
湯ノ沢峠避難小屋

■3/15(金)
昨日のフェンスがどうしても気になり、時間をかけてでも完全に閉めることに決めた。
6:20に小屋を出発。峠から少し南に入ってザックを置き、常備の小さなシャベルだけ持ってフェンスへ。雪を取り除き地面の氷を削って扉の可動域を確保し、上下の蝶番を嵌め直して閉扉、ロックも掛けた。峠からの往復を含めて1時間近くを費やしたが、これで心置きなく山行を続けられる。
あらためて湯ノ沢峠を7:20に出発。トレースは相変わらず、輪郭の崩れた一人分の他は鹿かウサギのみ。
高度を上げると富士山や南アルプスの山々が見えてくる。白谷ノ丸(しろやのまる、1920m)に8:20。遠景の甲斐駒ヶ岳から右に下りてきて、中景の茅ヶ岳の奥に白いのは遠く北アルプスの乗鞍岳から焼岳・霞沢岳。中景に戻って八ヶ岳、さらに右の近景は金峰山から秩父へと連なる。
富士山

白谷ノ丸よりの眺望
白谷ノ丸よりの眺望(山名)

白谷ノ丸よりの眺望
白谷ノ丸よりの眺望(山名)

白谷ノ丸よりの眺望
白谷ノ丸よりの眺望(山名)

黒岳(1987.6m)には9:10。湯ノ沢峠から山と高原地図のコースタイム1時間に対して倍近く掛かっている。国土地理院の木柱の下に三角点標石を探したが、雪穴を広げるのも面倒で諦めた。
黒岳
大峠への分岐は黒岳から少し下ると道標がある。大峠方向にはまったく足跡がないが、地図の実線ルートだ、見れば判るだろう・・・と思ったのが甘かった。
分岐から15分ほど下り、倒木を避ける・・・何か様子がおかしいので右に修正、ここは確実に道だ・・・地形図を見ながら下って行くと、はて、この高度で傾斜が緩むはずだが? それに右手の谷は何だ?・・・西に向かうべきところを北に外したか・・・谷を突っ切るのは困難なので登り返してからトラバース、それでも雪が深く倒木が邪魔をする。ルートに復帰し、あとはもう顕著な尾根だと油断したら、またもや外した。また登り返し&トラバースで修正するが、倒木の陰など深いところでは腿まで潜り、いつの間にかスパッツがずり落ちてズボンも湿ってくる(手袋はブレスサーモのインナーにテムレスを重ねたのが、樹木を掴むなどし易く濡れもなくて正解だった)。谷の上部を回って尾根に上がっても、よくよくみると、ルートはもう一つ向こうの尾根だ・・・ 暖かく風もないので切迫感は無いが、大峠への分岐(1970m)から1830mでルートに戻るまでに2時間20分もかかってしまった。朝のうちは雁ヶ腹摺山まで行けるかと思っていたが、この有様で大峠から先に突入したら下山が何時になるか分からない。大峠から林道を下ることにしよう。
最後に赤岩ノ丸(1792m)を越え、大峠に12:35到着。
大峠
峠には休憩舎がある。道路に下りるとトイレが設置されているが、湯ノ沢峠と同じく冬季閉鎖中。雁ヶ腹摺山方面に入ったところに水場があったはずだが、確認し忘れた。
林道は閉鎖中だが、路面に雪はほとんどない。バス時刻が分からないのでさっさと下り、二人連れの釣り人を追い越してハマイバ前に14:45に帰着すると、幸いにも月水金のみ運行の15:10便があった。

今回、ルートファインディングに関しては落第点であった。大菩薩連嶺東側から雁ヶ腹摺山のルートは、雪の消えた頃にまた来ることにしよう。

■今回のルート
鹿鳴ノ滝~大峠ルート

2024/2/27(火) 奥多摩・土俵岳2024年02月27日 00:00

八ッ峰クラブの定例山行に計画したものが中止となったので、個人山行としてI本・I氏を誘った。
松浦隆康『バリエーションハイキング』に倣い、土俵岳に北面のコカンバ沢(丹田沢)右岸尾根を上がる。ルートに入ってしまえば易しかったが、最初に一波乱あって、八ッ峰クラブで来ていたら厳しいところだった。

武蔵五日市駅からバスで西川橋まで。車中から見ると、山の上の方が白くなっている。
バス停から10:05に歩き始め。<20メートル戻り、「大多摩ウォーキングトレイル」の看板横の小道で南秋川に向けて下り、「消防水利」とある所で道を横切る。簡易舗装の路面は苔むしガードレールが設置されている。百番塔がある>と『バリエーションハイキング』の通りだが、<2つの木橋で南秋川を渡り>の木橋が見当たらない。<08年6月上旬歩く>の後、流失してしまったのか。靴を脱げば造作なく渡渉できる水深だが、水が冷たいので少し上流に戻って石伝いに渡れる箇所を探した。そこも足場の石が滑りそうで、ダブルストックが無ければバランスを取れなかっただろう。
渡渉
対岸の急斜面をよじ登り、木橋があったであろう地点へといったん下る。が、地形図に破線で示された道は見当たらないまま河原に出て、適当な斜面から尾根に取り付いた。植林の中で方角の見当だけ付けて歩きやすい箇所を拾っていくと、林業作業用かと思われる山道に出た。
整備されているとは言えないが明瞭な山道を辿って行くと、標高650mで重機の停められた造成中の作業道に遭遇。日陰には雪が残っている。ここで休憩し、もう少し上がると、地形図にある林道(板東沢丹田線)だった。山道は林道で断ち切られたが、林道を左(東)に進んで枝道(「林道ではなく森林作業道です」と注意書きがある)に入り、さらに分岐を入ると、ふたたび尾根を辿る山道となった。しばらく登り、800mの分岐は左へ進む。
800m分岐
右手に870mの高まりを見、その先の鞍部からは地形図の破線を外して忠実に尾根を辿る。足元は真っ白だが、降り積もった落葉を雪が覆っているだけで、足が潜るようなことはない。ただ、風がやや強く、指先が冷えて痛い。
尾根を辿る
稜線上の縦走路に合流すると昨日以前と思われる足跡が現れた。12:25、快晴の空の下、土俵岳(1005.2m)に登頂。ここは、ハセツネカップ(⇒ 2006/10/8~10/9 日本山岳耐久レース)以来だ。少々樹が邪魔だが、御前山~大岳山の山並みが美しい。
土俵岳山頂
御前山~大岳山
しかし、相変わらず風があるので、長居はせずに日原峠へと下った。
日原峠
峠には十字路の道標が立っている。人里(へんぼり)方向に下って行くと、5~6分で水場。斜面に刺した割り竹を伝ってしっかりと流れており、通年当てにできそうだ。
水場
700m辺りで、地形図上はまだここまで伸びていない林道を横切る。山道は林道をわずかに右に行った箇所から下りていく。
高度が下がるにつれ、目に見えて空気がぬるくなった。13:50、簡素な橋で南秋川を渡り、檜原街道(都道33号)へ。ガードレールに赤テープが巻かれ、「笹尾根ルート 日原峠へ→」と示してある。
日原峠への登山口
ここはバス自由乗降区間だが、トイレもある上川乗まで歩くことにして、14:20に停留所着。出だしに渡渉点&ルート探しがあったにも関わらず、予想よりも早かった。

■今回のルート
土俵岳ルート

2024/2/18(日) 外秩父七峰縦走2024年02月18日 00:00

年一度の体力チェック。2015年から毎年歩いて10回目になる(それ以前にも数回歩き通している)。
歩いている間はほぼ曇りだったが、時々日が射した。雪は日陰にほんの少し残っている程度。風が吹くと肌寒いが登っていると汗をかくので、中間平に下りるまでTシャツで通した。
今年は9時間41分でゴール。トレッキングポールを使った昨年の9時間47分(⇒ 2023/2/21 外秩父七峰縦走)と使わなかった今回とは誤差の範囲か。

今回は秩父高原牧場の道路脇小ピークの大山祇神社に上がってみた。昭和6年に槻川村が建てたもの。
大山祇神社
最後の舗装路歩きで足裏にマメができた。それを庇った歩き方のためか、帰宅してから腰(背中)までも痛い。

2024/1/19(金)~1/20(土) 埼玉-群馬県境・二子山~八丁峠2024年01月19日 00:00

先月未完に終わった県境歩き(12/9~12/11 埼玉-群馬県境・神流湖~二子山)の完結編として、T中・H氏と無名山塾の自主山行。

■1/19(金)
坂本バス停を10:40に出発。暖かくて、ヤッケを着ていると魚尾道登山口までに汗をかいた。前回の下山路を登り、県境尾根上のローソク岩分岐に12:10。
鹿柵に沿って尾根を西に踏み込むと、足元に「昭和57年10月16日以降、叶山は登山禁止」の注意看板が落ちていた。緩やかなアップダウンの後、方向の変わる1040mピークには「志賀坂峠/二子山」の古い指導標が立つ。昔はよく歩かれていたのだろう、明るくて気持ちの良い道だ。
県境の指導標など
県境尾根
1090mの細長い小ピークの端で、県境は南へと向かう。ここには錆びて読めなくなった指導標と、やはり叶山登山禁止の看板がある。しかし、ここまで明瞭だった道が見えなくなった。疎林の広い尾根に目印を探すと、足元に県境を示すらしい赤いプラスチック杭が見つかり、そちらに進んでみる。コンパスを当てるとやや右にずれており一本西の尾根かと疑うが、「境界明確化」の杭もあるので県境には乗っているようだ・・・
「境界明確化」杭
やがて踏み跡は明確になったものの釈然としないままに下って行くと、送電線を潜る高度も地形図の読みと違う。県境は志賀坂トンネルの上を通過するはずが、トンネルの群馬側で国道に下りてしまった。やはり、1090mから出る西側の尾根を辿っていたのだった。「境界明確化」杭は前回にも見ていたため「境界」=県境と思い込んでいたが、違っていたらしい(帰宅後に調べたところでは、神流川森林組合/事業案内の「境界明確化」の写真が、この杭に見える)。
トンネルの袂にある駐車場から諏訪山登山道(尾根コース)に入って県境尾根に復帰した。
諏訪山までは一般登山道で標高差約300mの登り。長い階段を上がった957mの送電鉄塔から眺めて、目立って聳えているのは白石山(毘沙門山)、その右に遠く高いのは武甲山~小持・大持山だ。
志賀坂峠957から
谷コースとの合流を過ぎると道は尾根から群馬側に少し外れるが、県境とのその程度のずれは許容して、諏訪山(1207m)に15:05到着。諏訪大明神の祠の前に三等三角点標石があるのだが、地形図に三角点マークは無い(国土地理院の基準点成果等閲覧サービスには基準点名「志賀坂」記載)。両神山の鋭い稜線を眺め、山頂標の前にテント(T中氏の3人用)を張った。
志賀坂諏訪山の祠
志賀坂諏訪山

■1/20(土)
4時半に起床すると、外は濃いガスに包まれていた。食事トイレを済ませてもガスが取れる気配はなく、濡れ防止に雨具を着けて6時半出発。
県境尾根は南へ向かって登山道から外れるが、歩くのに問題はない。30分ほどアップダウンした鞍部で林道金山志賀坂線に接した後、きつい登りで高度を上げて行く。風に吹かれたガスが霧氷となっていた。
霧氷
7時半、蓬莱山(1377m)に登頂しても、ガスで眺望は皆無。
蓬莱山
蓬莱山から痩せ尾根で鞍部(1350m)に下ると、いよいよ今回の核心となる赤岩尾根P1へ。1450m辺りから特に傾斜が増し、ポールを収納して木を掴んでの登りとなる。所々に赤テープが付いているのは心強い。
P1へ
赤テープを確認し、その上へ身体を持ち上げたところで進路を探る。テープの場所からはさらに上に届きそうに見えたが、直登は難しい。テープより一段下に(下から見て)左へと踏み跡があるように思えるが、それならこのテープは何だ?・・・と行き悩む。正解は赤テープから右へ、枯葉の積もったルンゼを渡るのだった(T中氏がルンゼに見つけた黄色テープが、自分には景色に紛れて見えなかった)。
P1へ(ルンゼ)
ルンゼの先の斜面にはトラロープが下がっていたが、それに頼らなくても登れる。
P1へ(トラロープ斜面)
急斜面が終わってからも、ロープの付いた岩場があった。バリエーションルートとしては案外に親切だが、登りはともかく、ここを下る際には必要になりそうだ。
P1へ(トラロープ岩場)
岩場に限らず、このルートは雨で足元が悪いと危険度が非常に高まりそう。また、今回は装備に入れなかったのだが、天候によらずヘルメットを装着すべきだった。
9:20、無事にP1(1589m)に登頂した。
赤岩尾根P1
ここに来たのは17年ぶりだ(⇒ 2006/10/14~10/15 赤岩尾根)。前回の写真にある「八丁岳」とペンキ書きした岩は山頂部の西寄りだったのか、今回は気付かなかった。ともあれ、これで埼玉県境を黒山(飯能)~雲取山~雁坂峠~甲武信ヶ岳~三国峠~八丁峠~土坂峠~太田部(秩父)と繋いで歩いたことになる。
P1からの下りも急だが、登って来た北側と違って明るい。鞍部から登り返した地点の覆い屋に収まる2基の祠は八丁峠の神様か。ここからの直進を遮るロープに「この先赤岩岳へは行けません」とあるが、赤岩岳は逆方向で、これでは道迷いを誘発しそうだ。道は遮断ロープの左から八丁峠へと下りる。
八丁峠の手前
八丁峠から八丁隧道/坂本方面へ入ると間もなく分岐。前方の赤テープが目立つが、足元を見ると指導標が倒れており、坂本へは右に折れることを確認。このような重要なポイントが荒れたままとは。
つづら折りに下って出合った沢(1250m)は見事に凍っていた。
凍った沢
なおも急降下し、傾斜の緩んだ地点で休憩したが、そのすぐ先がベンチと祠のある大岩(標高990m)だった。ガスの粒は次第に大きく、雨の気配を含む。水流まで下りる頃には雪となって落ちてきた。
小雪の舞う沢
地形図では道は水線の右岸にずっと付いているのだが、実際には何度か渡渉する。要所に赤テープがあるものの、対岸への続き具合が分かりづらかったり、落ち葉に覆われて道が見えなかったりで、何度もルートを探した。薄く氷が着いているのか足元の岩が滑りやすく、登山道の崩落個所も目立つ。昭文社山と高原地図で破線に「ルート不明瞭箇所あり」と注意書きされている通り、侮れない道だった。
道がようやく沢を離れて高くなると、ふたたび祠を見、家財道具の散らばる廃屋跡を過ぎて道路に出た。坂本のバス停に12時半帰着。荷物整理していると、ちょうどバスが来た。
雪は下山中に止んで感じるか感じないかの小雨になったものの、身体が冷えたので、西武秩父で入浴して熱燗にて祝杯。

■今回のルート
二子山~八丁峠ルート

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