2026/5/15(金)~5/17(日) 三嶺~剣山2026年05月15日 00:00

昨年の今頃、無名山塾のI本・I氏から四国の剣山か石鎚山へ行かないかとの誘いあり。石鎚は以前に歩いた(⇒ 2018/10/12~10/16記事)ので剣ならと返事しておいたのが、日程調整を経てようやく具体化した。歩くのは一般道なので山塾山行にはせず、I本氏計画による個人登山。
行動中はずっと晴天。下界は真夏日に迫る地点もあったほどで汗をかいたが、良い山行だった。

前日、新幹線で岡山へ。特急南風に乗り換えたところにI本氏がいた。阿波池田で4S STAY 彩り旅宿 池田温泉横に投宿。バックパッカー向きのお手軽宿だが、清潔で悪くない。隣の池田温泉は町の銭湯で、入浴料450円は各種決済手段に対応・・・のはずだが、番台のおばちゃんに通じたのはPayPayのみだった。後から気付いたが、4S STAYの靴置きに宿泊者が自由に使える入浴セットが用意してある。夕食を摂った海鮮どんぶり どんには古いオーディオ機器が並んでいた。
阿波池田 オーディオ機器

■5/15(金)
8:16発に乗るべく池田駅前バス停に行くと、南アフリカから来たという婦人が「このバスはかずら橋へ行くか?」と英語で訊いてきた。バスは大歩危小歩危など経て終点のかずら橋夢舞台からそのまま久保行きとなる。途中「京上」「天皇森」といったバス停があるのは、やはり劔神社に安徳天皇を祀る平家伝説か。波の下にも都のさぶらふぞ。10:16に久保着。車中で話した単独女性はさらに乗り換えて名頃まで行き、三嶺(みうね)に上がるとのこと。
10時半に歩き始め。バス道(と言っても、すれ違いも困難な一車線)のトイレ前から下りて橋を渡り、車道を進む・・・と行き過ぎた。「市道久保蔭線改良工事」の標石と古びた「イザリ峠登り口」の案内板の箇所から登山道に入る。山と高原地図「石鎚・四国剣山」(手持ちは2018年版)の破線ルートだ。
20分足らずで廃屋に出合う。
廃屋
足元にオトシブミと思われる葉巻がいくつも落ちているが、これほど細く巻いているものは初めて見た。
オトシブミ?
要所にテープがあるが、時折見失って探すことになる。ルートを外さない限り、道形はあった。
12時半、車道と絡む天狗塚登山口に出た。「イザリ峠」の標柱も立っている。駐車スペースに車両無し。ここからは地図の実線ルートで、登山道の状態は格段に良くなった。
大きなヒルと思ったのは、帰宅後に検索してみるとシーボルトミミズらしい。オレンジ色の小蛇(ジムグリ?)や、何やらの糞(犬サイズ? 熊ほど大型ではない)を見る。
シーボルトミミズ、ジムグリ?
道端の石碑は写真の他にもっと薄れたものもあったが、剣神社の丁目石的なものだろうか。
石碑
第一ピーク(1476m)下で擦れ違った軽装単独男性はどんなルートを歩いてきたのだろう? さらに登っていくと足元にササが現れ、やがて樹林を出て北側の山並みを見渡せる。
天狗峠手前からの北側山並み
14時半、天狗峠に登り着いた。東を眺めやると、三嶺の右に二つのピークが並んで霞んでいる。ここからだと剣山は三嶺に隠れるだろう、高ノ瀬(こうのせ)とその手前のピークか?と話していたのだが、実はあれこそが剣山と次郎笈(じろうぎゅう)であることが後になって判るのだった。峠から自分だけ天狗塚(1812m)へ。I本氏はお亀岩避難小屋へ先行する。
天狗塚へ
天狗塚から西へ伸びるなだらかな尾根は、なるほど「牛ノ背」だ。
天狗塚
東には三嶺から北に下りる尾根とその向こうの山並み。
天狗塚から東
天狗塚から東(山名)
いったん牛ノ背側に下り、天狗塚を巻いて峠に戻った。
地図では天狗峠から地蔵ノ頭を経てお亀岩なのだが、実際の道は地蔵ノ頭に上がらずにお亀岩に向かっている。が、あえて地蔵ノ頭に立ち寄った。笹原の道でI本氏に追いつくと、右手に現れる大岩がお亀岩か?
お亀岩?
その岩の傍らの分岐まで上がると、避難小屋が見えた。
お亀岩避難小屋
16時過ぎ、お亀岩避難小屋に到着。ドアを開けるとストーブ(使うなら薪を持参のこと)のある素敵な小屋だ。部屋は半分が2階構造で多人数を収容できるが、今日は貸し切り。部屋の隅に細長く切ったマットも用意してある。ただ、トイレ(大)のドアを開けたら大きなハエがワッと飛び出してきて床にも足の踏み場もないほど死骸が散乱しているのにはビビった。もう一つの(大)はそれほどでもない。「紙は捨てないで」と注意書きあり。男子用(小)は特に問題無い。
水場は光石への路に入って5分程下る。パイプからチョロチョロと落ちており、ペットボトルを置いておけば苦労無く汲めるものの、二人で30分程掛かった。
お亀岩避難小屋の水場
食事中に、外はガスとなった。

■5/16(土)
夜中には銀河が見えたとのことで、起床時は晴れ。5:20出発。
笹が濡れているためスパッツを着けたが不足で、雨具ズボンを履く。歩いていると暑い。
西熊山(1816.0m)を踏み、緩やかなアップダウンで西へ西へ。見事な笹原だ。地形図には「三嶺・天狗塚のミヤマクマザサ及びコメツツジ群落」とある。地形図1754付近でスマホが通じた。
笹原
三嶺の手前で分岐する光石方面への道には「フスベヨリ谷 通行注意」の立札があった。山頂に先に上がっている一人が見える。7:50、三嶺(1893.6m)に登頂。
三嶺
休憩していると次々と人が来る。東側からが多い。誰も足元をカバーしていないので、我々も雨具・スパッツを外した。山頂でのんびりと40分ほど過ごす。
剣山に向けて山頂から南へ下りる道は急降下でクサリ場が連続し、結構険しい。一息ついた後も「三嶺の天狗岩」が現れたりする。
三嶺からの下り
三嶺を振り返る
緩やかなアップダウンとなり、ちょっとした鞍部の小さな池にはオタマジャクシがうじゃうじゃといた。
カヤハゲ(東熊山、1720m)付近は名前の通り、カヤが優勢で遠目には剥げた様に見える。剣山も近づいてきた。
カヤハゲ
カヤハゲ(山名)
白髪(しらが)避難小屋に10:20到着。
白髪避難小屋
この先は剣山近くまで水場は無い。小屋手前に立つ案内板に従って踏み跡に入り、急斜面を50mほど降下すると良い沢があった。水流の周囲は足元が悪いので、暗くなってからでは危なそうだ。
白髪避難小屋の水場
水場へ向かう笹原には「明治三十五年/国有林字別府 面積百町 植栽三十万本」と刻んだ植林碑がある(⇒ 林野庁ホームページ/物部白髪山)。
到着時に小屋は無人だったが、戻ると6~7人パーティの他、休憩や泊りらしき人がいて賑わっていた。この人出からすると、本日の泊り場所である丸石避難小屋も混むかもしれない。そこで、ここからは自分が先行して小屋のスペースを確保することにした。時刻は11:10。
1700.9m三角点のピークに「平和丸」の山頂標あり。日当たりの良い山腹にピンク色のツツジが固まって咲いている。白い花もあった。
山腹のツツジ
ツツジと白い花
中東山分岐辺りから谷あいに案外近く見える集落が名頃なのだろう。高ノ瀬(こうのせ、1740.9m)まで来ると剣山がクッキリと見える。昨日、天狗塚からは霞んでいたものが、いよいよ近づいた。ここもスマホ電波あり。
高ノ瀬から剣山
丸石避難小屋に13:50到着。休憩が一人いたが、宿泊では一番乗りだった。部屋の隅に置いてあるザックには「遭難者の荷物ではありません。三好警察署」とある。救助活動用の物資か。
丸石避難小屋
フロアにシートを拡げて二人分のスペースを確保すると、あとは小屋前の倒木に腰を下ろしてスマホでkindle本を読むなどして暇を潰すしかない。鹿が3頭やってきて、先頭がじっとこちらを窺う。警戒はしても人を恐れる様子はない。
丸石避難小屋の鹿
やがて単独男性がやってきて小屋の傍らにテントを張った。I本氏は16時頃到着。小屋泊は他に単独男性(72歳)と若い二人組。水無しトイレ無しの小屋に泊まろうという酔狂は、週末でも少なかった。雑談の中で、剣山は別名「太郎笈(たろうぎゅう)」と聞く。隣の次郎笈は弟分という訳だ(⇒ 市報みよし 2018年10月号)。三嶺は地域によって「みうね」「さんれい」と呼び名が変わるとか。若い二人組は「さんれい」派だった。

■5/17(日)
5時半に出発。天気晴朗なれども風強し。
緩やかな登りで丸石(1683.9m)を越え、次郎笈への登りにかかる。と、下りてきた若者二人組が「剣山のリフトに行きたいんですが」。地図は持っていないと言う。それは無茶だと返しながら地図を見せて、引き返して次郎笈から剣山へ向かうのだと説明した。剣山観光から適当に歩いて、こちらから回れると思ったのか。しかし素直な子たちで、次郎笈の山頂下でまた会った時には「先ほどはありがとうございました」と言ってくれた。
次郎笈水のあるトラバース道を分け、傾斜の増す120mの標高差を頑張って、剣山と次郎笈を結ぶ稜線に上がる。7時半、次郎笈(1930.0m)に登頂。
次郎笈
ここは四等三角点だが、稜線に出た地点には古い三角点標石らしきものが横たわっていた。
次郎笈の三角点
あとは剣山本峰へ上がるのみ。
次郎笈から剣山を望む
次郎笈から下りると風はやんだ。剣山頂下で階段が現れ、木道を踏んで剣山(1954.9m)に登頂! 時刻は10:10。周囲を囲われていて標石にタッチできないのが残念だが、ここは一等三角点だ。
剣山
剣山
テラスからは遠く石鎚山まで見える。あれが三嶺、天狗塚ならば、登ってきたのは青く霞んでいる尾根か。
石鎚山を遠望
石鎚山を遠望(山名)
見ノ越からの登山バス(13:45)を目当てに歩いてきたが、まだ時間はある。自分はつづろお堂まで下ってそのバス(14:43)を待ち、I本氏と車中で合流することにした。
剣山は信仰の山で、山頂部にはいくつも神社がある(⇒ 剣山登山道案内図劔山本宮劔神社/道案内)。まず、剣山本宮宝蔵石神社。
剣山本宮宝蔵石神社
頂上ヒュッテで登山バッジを買い、目についた指導標に従って大劔神社へ。通りがかったパーティが「この岩が剣山の名の由来」と喋っていたが、真偽は知らない。
大劔神社
ここ大劔神社には刀掛の松、西島駅への指導標はあるが、全体の案内図は無い。両劔神社と古劔神社はリフト駅の傍らだったか?と思ったのはハズレ。駅まで下りたところで案内図を見て、刀掛の松まで登り返す羽目になった。
刀掛の松から入っていくと、神社への指導標に「荒れた道です。気を付けて」。実線登山道より悪い道だったが、苔むした岩や岩崖を見て行く道は神寂びた感じで悪くない。
岩山の上に祠があり、その奥の岩に注連縄が懸かっていて山頂を遥拝するようになっていた。
三十五社
ここが何神社なのか判然としないが、傍らの岩に掛かっているトラロープは登下降用なのか? しかし、これは生半可な登山より危険だ。下りるのはやめておこう。帰宅後に確認すると、この祠は三十五社(上掲「道案内」の12)で、古劔神社は先ほどの岩崖辺りにあった(道案内11)のを見落としたらしい。
細い道を辿っていくと、岸壁を背にした小屋掛けに両劔神社(道案内20)が祀られていた。
両劔神社
そこからまた悪い道を上がって行くと、石鎚山のようなクサリの掛かった「おくさり」(道案内19)。
おくさり
続いて不動の岩屋(道案内18)。ハシゴの下りている奥から水流の音が聞こえるが、真っ暗でザックを抱えて下りてみる気はしない(写真ではストロボを焚いてハシゴの下が写っているが、現地では何も見えなかった)。
不動の岩屋
そうこうするうちに11時半近い。つづろお堂まで下りたのではバスに間に合わず、自分も見ノ越から乗ることにした。
剣山頂への道を見送って元のルートに合流する方へ進むと、「つるの舞へ 20m」という指導標があったので入ってみる。ここも突端の岩に注連縄を懸けて山頂を拝する場所だった。
つるの舞
刀掛の松から西島駅へ戻り、リフトを横目に見ノ越へと下る。駅の下の野営場にはテントが一つ張ってあった。西島神社は気付かずに通過し、見ノ越間近の無名の神社でI本氏に追いつく形になった。
劔神社に無事下山のお礼をする。ここは宿泊も可能(⇒ にし阿波~剣山・吉野川観光圏公式サイト)。
劔神社
劔神社
12:50、見ノ越に下山。登山バスの乗場を確認してから、鳥居階段前の民宿まつうらで乾杯した。

登山バス(3000円)でJR貞光駅に出、列車を乗り継いで高松へ。乗り合わせた乗客が気軽に世間話をしているのは地域性か。我々にもJR四国勤務と言う男性が話しかけてきて、高松の食事処など教えてくれた。
ホテルリブマックス高松駅前に投宿し、ホテル宛に送っておいた観光用装備を受け取る。列車内で聞いた、まいしょく家 高松兵庫町店で食事。言うだけあって米が美味しい。ホテルに戻って登山用ザックの発送をフロントに依頼(宅急便ラベル(着払い)はフロントで貰える。梱包用の袋(宅急便スキーザックカバー)は観光用装備に入れておいた)して、今回の山行は無事に完了した。

■今回のルート
剣山ルート(全体)
剣山(高度グラフ)
        ↑ 全体
剣山ルート(1日目)
        ↑ 1日目
剣山ルート(2日目)
        ↑ 2日目
剣山ルート(3日目)
        ↑ 3日目

2026/4/8(水)~4/9(木) 三頭山~軍荼利山2026年04月08日 00:00

この2~3月は、安房峠~十国山、北ア・表銀座といった雪山計画が天候で流れたり自分の腰の具合で参加できなかったり。さらに4月初は、2泊で愛知までの海岸線ツーリングに出ようと宿も取っていたのだが、これも好天が三日続かずに断念。せめて晴天の二日間で何処か歩こうと、奥多摩の三頭山から西へ小菅の湯まで足跡を伸ばすことを考えたが、平日には帰りのバスが無い。一方、三頭山から東はかつてハセツネカップで踏破したものの、GPSログがほとんど取れていなかった(⇒ 2006/10/8~10/9記事)。過去ログをまとめて眺めた時に空白があるのも面白くないので、歩き直しておくのも悪くなかろう。登山としての興趣は、山中テント泊と、三頭山への登りと浅間峠からの下りに使う山と高原地図(以下、「地図」)の破線ルートということになる。

■4/8(水)
上野原からバスで終点の飯尾まで。ハイキング客もいたが、終点までに皆降りてしまった。
身支度して10時過ぎに出発。民家を過ぎて沢沿いの山道に入る。破線ルートだけあって指導標は見当たらない。
まずは大羽根山(954.5m)だが、地図の破線は南側の尾根を真っすぐ登っている。地理院地形図に道の表記は無い。登り尾根を横切る手前にそれらしい踏み跡があったが、道なりに坂の上まで行って「大羽根峠 七八〇m」の札を確認してから尾根に取り付いた。
大羽根峠
尾根の高まりを右手に見る緩い登り。土砂が落ちて消えかけている箇所もあるが、道は続いている。しかし、どこで尾根に上がるのかと思ううちに右手の尾根が下がってきたではないか。このまま進んで前方の尾根に乗ればピークへの道があるのかもしれないが、今ここで尾根に上がってしまえ、とシカかヒトか判らない足跡を見ながら薄を掴み、テント泊装備に水を加えたザックの重みにあえぎながら急斜面を這い上がった。尾根上にはやはり踏み跡があったがやや不明瞭。地図と相違して、道は西尾根に上がってから山頂へ向かっているようだ。954.5m三角点標石の周囲には山頂の目印など特に無し。地図には飯尾から30分とあるが、1時間掛かってしまった。
細長い山頂部から先は迷う箇所もなく、大茅(1237m)を12時前に通過。
大茅
稜線上の大沢山に近づくと足元に岩も出てくる。地図に?(迷)マークがあるのは、下りに使う場合に尾根の分岐する箇所(1300m)か。
12:40(大羽根山から1.5時間)、大沢山(1482m)に到着。ここまで来ると他の登山者もいて気楽だ。大沢山から三頭山まではピストンなので荷物をデポしてもよいのだが、鈍った身体に幾らかなりともトレーニングを課すべく、ザックを担いで往復することにした。
避難小屋を経て最後の登り。階段や石段で三頭山(西峰)に13時登頂。奥多摩の山でいつも思うが、この御影石の山頂標は実に詰まらない。山頂標傍らの石標は三角点ではなく、何かの境界標のようだ。
三頭山
ベンチに掛けると富士山が正面にバッチリ。
三頭山からの富士山
腰を上げ、来た道を戻る・・・おっと、大きな山頂標に安心して、最高点を踏み忘れた。山頂に引き返し、指導標を確認して鞘口(さいぐち)峠の方へ。最高点の中央峰(1531m)を踏み、その先の東峰で1527.6m三角点を確認した。
三頭山中央峰
        ↑ 中央峰
三頭山東峰
        ↑ 東峰
東峰には展望台もあるのだが、皆西岳で満足してしまうのか、無人だった。西峰を含め、山頂部には計30分ほど滞在。
三頭山展望台より
        ↑ 展望台より、御前山~大岳山~馬頭刈山
西峰を巻いて、来た道に戻る。今回の最高点を踏んだので、あとは基本的に下りだ。大沢山から下りた地点に立つ「日本山岳耐久レース 35km地点」の指導標はかなり古びており、自分の出場した2006年のままだろう。今回はレースと逆回りで、レース時はここまでの登りを約9時間で来ている。あの頃は元気があったものだ。
日本山岳耐久レース 35km地点
1173と1159との中間「クメケタワ」(と指導標にある)、タワはピークの間の撓(たわ)んだ地点だが、クメケは何だろうか。槙寄山(まきよせやま、1188.2m)は登ると言うほどのこともない高まりにベンチがあって休憩。計画時に泊地としていた数馬峠(上平峠)を15時半前に通過し、笛吹(うずしき)峠に16時前到着。ここにある百番塔は表裏それぞれに「みぎ」「ひだり」と刻んだ道しるべ石で、大日側は「みぎ かずま」「ひだり さいはら」(と、複数のネット記事にある)。百番塔側はよく判らないが「みぎ うえはら」「ひだり ひのはら」だろうか?(左の檜原はかなり確からしい。右はそれに対して上野原かという程度。彫られた文字は「つりはら」のように見える)
笛吹峠の百番塔
さらに進んで二等三角点の丸山(1098.3m)を踏む。山頂下分岐の指導標に立てかけてある朽ちた柱(?)に記されているのは「ガンバの冒険」か? 名作アニメ(50年前の作品を今現在再放送中だ)の名を取ったハイキングクラブでもあったのだろうか。
「ガンバの冒険」?
テント適地を探しながら進み、16:45 小棡(こゆずり)峠を越えた地点で道脇の平坦地を泊り場とした。
夜は静かだった。

■4/9(木)
5時半過ぎに出発。今日も晴れたが、少し風がある。
次の土俵岳(1005.2m)には、無名山塾・I本氏と来たことがある(⇒ 2024/2/27記事)。日原峠に佇む石仏を拝み、6:45、浅間峠に至った。明治時代の石祠と馬頭尊、大正の道標柱、現代の関東ふれあいの道碑と、古くからの賑わいを感じさせる峠だ。2本並んだ杉の大木には注連縄が掛けてある。
浅間峠
大正年間の道標柱
        指差す矢印が大正モダン(?)
計画段階では下山開始地点としたが、今から下りたのでは早過ぎる。スマホが通じたので自宅にLINE連絡の上で、軍荼利山(軍刀利山、ぐんだりやま)まで進んで長尾尾根(北尾根)を下りることにした。
熊倉山(966m)を過ぎた次の970m小ピークが軍荼利山で、ちょうど8時。北に向かう踏み分け道を確認するが、いったん見送ってさらに先のピークに鎮座する軍刀利神社元社を拝みに行く。神社は素朴な石祠が本体。鳥居前は南側が開けており、富士山の雄大な姿を最後に眺めることができた。
軍刀利神社元社
軍刀利神社元社からの眺望
軍荼利山に戻って8:15。北尾根に入る。
軍荼利山
地図の破線ルート(地形図には道記載無し)で、南郷バス停までのコースタイムは2時間。指導標は無く、登山の目印としては時折赤テープがある程度。樹木に「南郷共益会所有地」のプレートが付いている。岩がちの痩せた箇所もあるが、難しいことはない。
長尾尾根(入口付近)
明瞭な尾根で分かりやすい・・・と思っていたら、支尾根に引き込まれた。こんなに下ってしまうはずがないと気付いて修正。844mで「長尾尾根」の木札を確認、今度は尾根を誤らないようコンパスを振る。地図では道路を目指して向きを変える高度が読みづらく、少し下り過ぎてから方向転換。470mで痩せ尾根に入る手前で左手に下る踏み跡があるが、これはすぐに消滅した。痩せ尾根を進むと、末端(地形図477m)から下りる箇所に赤テープは付いているものの「ここ、本当にルートか?」という斜面。掴まり伝いで下りると、また歩きやすくなった。この辺、地図にはあっさり「急坂」とある。
急坂
地図で「渡渉注意」の沢は、滑り難い石に足場を定め飛び越した。対岸は石垣の手前に土の斜路があって道路に上がれる。
渡渉点から道路へ
あとは舗装路を辿る。バス道下の建設会社資材置き場のようなところでシャツをはだけて汗を拭い、南郷バス停に10:20。バスまで30分足らずのちょうど良いタイミングで、無事に山行を終了できた。

■4/10(金) オマケ
行動中から鼻水を垂らしていたが、翌日はベッドの中のクシャミに始まり、クシャミ・鼻水・涙目の花粉症三点セットに参って、久しぶりに鼻炎薬を服(の)んだ。

■今回のルート
三頭山~軍荼利山ルート(1)
        ↑ 1日目
三頭山~軍荼利山ルート(2)
        ↑ 2日目

2026/3/15(日) 奥武蔵・伊豆ヶ岳~子ノ権現2026年03月15日 00:00

八ッ峰クラブの定例山行企画だったが、参加者が少なく、有志での電車山行となった。12月の大岳山(⇒ 12/14記事)にも参加のI田・T氏、T橋・T氏と自分の3人で決行。今回は正丸駅スタート、正丸峠は通らずに伊豆ヶ岳に登り、子ノ権現から西吾野駅に下りる計画。
伊豆ヶ岳には記録の残る限りで4回来ており(⇒ 過去記事:2009/7/42010/1/242011/4/102012/6/2)、それ以前、山歩きを始めて間もない頃にO倉・K氏と登った覚えもある。

正丸駅を8時に出発。晴れ。
集落を抜けるまでに同様のハイキング客何組かに追い抜かれたが、30分足らずで大岩の傍らに馬頭尊の祀られた正丸峠分岐に至る。予定通り、ここから左(南西)の登山道に入る。
正丸峠分岐
次の分岐には右手に登っていく道を指す「名栗げんきプラザ」の古びた道標があったが、地図を確認しても見当たらず、廃止された施設なのかと思う。先行パーティもそちらには行っておらず、それ以上疑わずに直進。しかし暫く進んで気付いたが、予定していた山と高原地図の赤実線ルートは「名栗げんきプラザ」の方だった。踏み込んだルートは地図では細い黒線で登山道扱いではない(地理院地形図では破線=徒歩道)のだが、ずいぶんしっかりしている。また、地図をよく見ると、「げんきプラザ」は先ほどの実谷(じっこく)分岐から長岩峠を越えて県道へと下り、さらにその向こうにあるのだった。道標にはもっと手近な長岩峠を示して欲しいものだ。
その先で、さすが赤線の入らないルートと言うべきか進路が不明瞭になり、右手の尾根に上がる踏み跡を選択すると、これもハズレ。同様に外す人も多いらしく、下に見えた赤テープ目指して斜面を突っ切って下りる足跡があった。
尾根に突き上げたところでまたもやミス。トラロープで遮られているにも関わらず、関東ふれあいの道に合流したと思い込んで左(東)へ行ってしまった。よく踏まれていかにも道と思えた足元がやがて怪しくなって引き返し、30分弱のロス。登ってきた道を指す「←正丸駅」道標の面する側を考えれば正しい進行方向は明らかだが、思い込みというのは始末が悪い。
ルートミス地点
あとはもうミスを誘う箇所はない。素直に尾根を辿り、今度こそ関東ふれあいの道に合流。すぐに伊豆ヶ岳下の分岐になる。男坂はトラロープで塞がれており素直に巻道に入ると、指導標に「男坂と女坂の中間にあるみち」とLGBTQのようなことが書いてある。地図に「男坂は落石注意。女坂は通行禁止 中間道を歩く」とある中間道だが、登り切ってみても女坂の出入口はまったく分からなかった。
LGBTQ坂
伊豆ヶ岳(850.9m)に10時過ぎ登頂。ルート誤りをした割には、地図のコースタイム(2時間10分)通りだった。山名はアイヌ語由来とも、遠く伊豆半島まで眺められるからだともいう。馬酔木の花が咲いていた。山頂で20分ほど休憩。
伊豆ヶ岳
古御岳(こみたけ、830m。子ノ権現から小床峠経由で下りて行く先にある御岳山に対する「古」か?)、高畑山(たかはたけやま、695m。「ナローノ高畑山」の山頂標もある。「ナローノ」は「楢生」からとの説あり)とピークを踏みながらも高度を下げて行く。中ノ沢ノ頭(イモグナの頭)には巻道があり、自分だけ622.7m三角点を確認。
中ノ沢ノ頭
尾根上の最低点となる天目指峠(あまめざすとうげ、490m)で交差する林道にはサイクリングのグループがいた。解説板によると、アマメは豆柿、サスは焼畑のこと。
峠から登りにかかったところで、I田氏がちょっと足を捻った拍子に「足が攣った」。ここで山行を中止して峠から林道を下りるようかと思ったが、暫く立ち止まった後で本人は行けそうと言う。子ノ権現まで辿り着けばタクシーも呼べるだろうとそのまま続行し、結局、この後は特に問題なく歩き通せた。
アップダウンして祠のある愛宕山(660m)を越え、子ノ権現に13時半過ぎに到着。ここは過去に少なくとも3回訪れている(⇒ 2009/7/42011/4/102019/7/24)が、巨大草鞋など変わりないな。
子ノ権現にて
自分だけ奥の院まで上がって鐘を撞き、釈迦堂を拝んだ。門前の土産物屋に少しお金を落とそうと、柚子味噌(430円)を買う。店番の老人がお釣りを間違えるのは、80歳にして目も耳も遠いため(対面の店のおばさんの話)だ。
西吾野駅に向けて下山。集落入口にある静之神社は、岩室に祀られた祠に舞台のような拝殿が設けてある。Googleマップに寄せられた情報によると祭神は罔像女神(みずはのめのかみ)に五帝龍神と水神系であるが、これは鳥居前の石祠に関するものかもしれない。
静之神社
国道に出たところで道端の「カレーパン」の幟に惹かれてロックガーデンカフェ(⇒ Googleマップ)に立寄り。カレーパン(200円)は揚げたてで美味しかった。
西吾野駅に15:43到着。ルートミスしたのは油断だったが、I田氏にもさほど無理なく歩けて、良いハイキングだった。

■今回のルート
伊豆ヶ岳~子ノ権現ルート

2026/2/6(金) 外秩父七峰縦走2026年02月06日 00:00

毎年恒例の体力チェック。
晴れ、秩父市の最高気温16℃予報と暖かい。最近の記録的な少雨で、雪は堂平山頂付近の日陰にうっすら消え残るのみ。
その堂平の三角点が一等であることに気付いた。
堂平山の三角点

七峰縦走ハイキング大会がスタンプラリー形式(⇒ YAMASTA(ヤマスタ))になったので、試してみた。
七峰スタンプ帳

今回のタイムは10時間2分。歩いている最中は普段のスピードのつもりだったが、昨年(⇒ 2025/2/14記事)より15分も遅いのはどうしたことか。


■今回のルート
外秩父七峰縦走ルート

2026/1/19(月)~1/20(火) 黒富士~茅ヶ岳2026年01月19日 00:00

無名山塾のI本・I氏に声を掛け、気楽な泊り山行。テント泊ではあるが山と高原地図の実線ルートを繋ぐだけなので、山塾の自主ではなく個人山行とした。茅ヶ岳、金ヶ岳は二度目(⇒ 前回2023/4/4記事)だ。
八ッ峰クラブの1月山行(午年にちなんで馬頭刈山)は参加者が少なく中止となったので、これが今年の登山初め。

■1/19(月)
腫れて暖かい。
I本氏とは甲府駅で行き会い、竜王駅から甲斐市民バス(敷島北部線)で清川BSに12:48。助手席含めて7人乗りの車種だったが、他の乗客は途中で乗降した常連女性のみ。運転手と近場の山の話をしていた。午後からの登山開始は常識からすると遅いが、バスがこの時間しか無いので致し方ない。
BSから歩き出すと、太刀岡山がボリューム感をもって迫る。
太刀岡山
車道を15分ほど歩き、太刀岡山登山道入口の看板に従って橋を渡り、民家前の小径から登山道へ。岩壁下の祠に山行の無事をお願いして少し登ると、鋏(ハサミ)岩が突き立っている。鋏岩の向こうに茅ヶ岳~金ヶ岳(かながたけ)がきれいに見える。
鋏岩
標高差200m以上を真っすぐに登り、太刀岡山の三角点(1295.6m)ピークに14時過ぎ。石祠や山梨百名山、「こうふ開府五〇〇年記念」で選定された甲府名山の標柱があった。休憩の後、緩やかな鞍部を経て踏んだ北峰(1322m)には山名プレートが置いてあるのみ。
太刀岡山
冬枯れの樹林を下り、越道(こえど)峠(1168m)で未舗装林道を横切る。
尾根を登っていくと、行く手右の山腹、地形図の岩崖マークの箇所に抉れた岩壁が見える。大月辺りならば「鬼の岩屋」とでも名付けそう(⇒ 大月観光協会/大月桃太郎伝説)な様相で、鬼頬山(おにがわやま)の名の由来かもしれない。
鬼頬山の岩崖
1350mより上は等高線の詰まった急登で、テント泊装備に水と食料の重量MAXでは大変キツい。上り詰めると山頂部は細長く、鬼頬山(1516m)の山頂標は北寄りにあった。ここも甲府名山に選定されている。
鬼頬山
16時をまわり夕暮れも間近だが、擦れ違った単独の若者は地元民だろうか。鬼頬山北の鞍部を過ぎ、泊り場所を探しながらゆるゆると登る。計画では八丁峰(1610m)と黒富士の間の鞍部を泊地としていたが、八丁峰手前に平坦地を見出し、それぞれにソロテントを張った。歩き終えたのは16:50、その前からしきりに鹿の声がしている。ここではスマホが通じた。
八丁峰手前の泊地
テントに入って落ち着いていると風の音が急激に高まった。大方は木を鳴らすだけだが、夜中に時折テントを揺るがせた。

■1/20(火)
5:50、ヘッドランプで出発。晴れ、風は変わらない。
八丁峰から東へ下り、曲岳方面への分岐まで行くと、I本氏は体力温存のため黒富士へは行かずここで待つと言う。計画行程を無理強いすることもないので、自分だけ先へ進んだ。暗い中で草原の踏み跡を外すこともあったが、特に困難もなく黒富士(1633m)に登頂。甲府名山の山頂標傍らから見下ろす街の灯がきれいだった。山頂から反対側に下っていく道は昇仙峡の方へ抜けるのかもしれない(バスの運転手が、黒富士から昇仙峡へ行く単独女性を乗せたことがあると話していた)。
黒富士
I本氏のところまで戻ると6時半。黒富士まで地図のコースタイムで片道30分のところ、それほど急がずとも往復で30分少々だった。明るくなったのでヘッドランプを外す。
これまた甲府名山の小岩峰、升形山(1650m)に6:50。岩のてっぺんに立ったところ、ヤッケのフードを風に煽られた拍子に被っていたバンダナふうキャップを持っていかれてしまい、頭が寒い。黒富士なめの富士山、踏んできた鬼頬山などの向こうに甲府盆地と、眺望が良い。
枡形山
枡形山からの眺望
縦走路に戻り、八丁峠を経て曲岳(まがりだけ、1642.8m)に7:45。短いながらも急登で、山頂手前の展望舞台からは山麓に平見城(ひらみじょう)畜産団地を抱えた太刀岡山が良く見える。曲岳は山梨百名山に数えられている。
曲岳から見た太刀岡山
曲岳の下りには岩場が出てくる。下の写真の岩は出口が狭く、ザックを擦りながら後ろ向きになり足元を確認しながら下りるようだった。
曲岳の岩場
下って行って尾根の先端左右が崖になる手前の「めまい岩」を突端まで伝うと、正面に八ヶ岳、左手にこれから進む観音峠から金ヶ岳。
めまい岩
めまい岩からの眺望
尾根から下りていったん道路に出、観音峠からふたたび登山道に入る。入口に「観音峠ルートは大明神開拓地ルートより急峻な箇所が多いので注意」と敷島町(合併して現在は甲斐市の一部)のプレートがあった。なるほど注意書きの通り痩せ尾根や岩場、クサリ場が現れ、ついで急登にかかる。予想より変化に富んだルートで楽しい。
観音峠ルートの岩場
1650mピークまで登ると、先ほどからペースが上がらないと言っていたI本氏が「この先の分岐で待っているから、金ヶ岳を往復してきて」。お言葉に甘え、先行して分岐(1750m、ここにも「観音峠」のプレートあり)へ進み、10:55、金ヶ岳(1764m)を踏んだ。薄曇りで風も冷たいが、LINEを打ったりして休憩。
分岐まで戻るとI本氏が腰を下ろしており、さらに15分ほど休憩。
分岐から下り、茅ヶ岳と富士山を望む。太刀岡山も目立っている。
茅ヶ岳と富士山
鞍部手前で石門を潜る。
茅ヶ岳の石門
茅ヶ岳(1704.0m)には12:25登頂。雲の多いのが残念だが、見晴らしは素晴らしい。
茅ヶ岳より、甲斐駒~鳳凰
茅ヶ岳より、八ヶ岳、金ヶ岳
茅ヶ岳より、金峰山など奥秩父の山々
茅ヶ岳より、富士山
茅ヶ岳からの下りは深田記念公園へ向けて尾根ルートを採る。急傾斜が終わると後は易しい道だ。空身の単独男性と擦れ違い、今回山行中に会ったのはこれが二人目にして最後だった。
尾根を下りて道路に出たところでタクシーを呼ぶと、25分程で深田記念公園の駐車場に到着とのこと。14:20にその駐車場に下山し、身支度を済ませたところにタクシーが来た。
甲府名山(升形山、黒富士、鬼頬山、太刀岡山)、山梨百名山(茅ヶ岳、曲岳、黒富士、太刀岡山)をそれぞれ四つ稼ぐ山行となった。

タクシーで韮崎駅まで4400円。何か食べようと店を探し、結局少し歩いてココスに入った。韮崎は駅前が少々寂しい。

■今回のルート
黒富士~茅ヶ岳ルート

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