2023/11/4(土) 琴平神社~オオカミ狛犬探訪2023年11月04日 00:00

オオカミ狛犬のある、三波川の琴平神社へバイクを走らせた。
  グーグルマップ ⇒ https://maps.app.goo.gl/f77ZdajASpoGMiwR6
  写真家・青柳健二氏のブログ ⇒ https://asiaphotonet.cocolog-nifty.com/blog/2019/06/post-71f455.html

道路の対岸に鎮座するが、かつて架かっていた橋は落ちてしまい、上流側の人家の間から回り込む。
苔むした狛犬は阿吽とも良い表情だ。台座の文字は「大願成就 明治三十五年」と読めた。
琴平神社
琴平神社の狛犬
神社の由緒書き看板には「明治二十二年には創健者、新井岡五郎師が山岳宗教根本道場として当神社の奥の院にあたる雨降山を開山し山頂付近に御嶽三柱大神、大山衹神社と共に琴平大神を祀り」とある。
奥の院の存在はグーグルマップで知っていたが、具体的な位置は未確認。社殿の裏に回ってみると斜面に続く岩崖で、崖を背にして注連縄を張った祠が祀られていた。祠の左手は沢地形で、崖から細い水流が落ちている。もちろん、これは奥の院ではない。と言って、ここから山に登っていく道も見当たらない。
琴平神社裏の祠
それならグーグルマップの経路案内に従ってみようとバイクで林道に乗り入れたが、路面には落ち葉が散り敷き、一部は舗装が剥がれ砂利も出て、かなり厳しい。グーグルの示す最寄り地点のヘアピンカーブ(標高730m)まで来ても奥の院への道などは無く、電波も入らなくなって情報も取れない。もう少し走ってみたが、相変わらず路面が悪いので引き返した。
帰宅後に確認すると、あと少しだけ上がれば雨降山に繋がる稜線だった。そこからならば奥の院まで歩けたかもしれない。
琴平神社周辺地図

2023/11/8(水) 「ゴジラ-1.0」2023年11月08日 09:25

「ゴジラ-1.0」鑑賞@イオンシネマ熊谷。

ストーリー、映像的には概ね満足。「生きて、抗え。」のキャッチコピー通り、悔いを抱えながらも生を肯定し、犠牲を徒に美化しない姿勢が良い。
まあ、ゴジラ対策があまりに属人的な点--高い技術を持っていそうな一個人を探している間に調達可能な職工で進めておけよ、とか、数年のブランクのある零戦乗りが試験飛行もなしに震電を乗りこなせるか、とか--はあるけれども。
それと、ゴジラを斃した(と思った)後、彼らは何に向かって敬礼したのだろう?

しかし、戦中戦後の人間の、現代の視点からの分かったふうなセリフはもとより、言葉遣い自体がフニャフニャして気持ち悪い。当時の日本人の話し言葉について考証した結果ならともかく、おそらくそこまで突き詰めてはいないだろう。戦中世代に関するイメージにはこれまで制作されてきたフィクションによる部分も大きいだろうが、それを覆してまで現代風に喋らせる必然性は感じられなかった。
あと、震電の飛翔はCGだけでなく、実体を使用した特撮も欲しい。クライマックスの盛り上げメカとして現状のCGのみでは少々迫力不足なのだが、もはや東宝でさえ模型特撮をやる技術、あるいは予算と期間は無いのか。

売店に「君たちはどう生きるか」のガイドブック(71ページ、税抜1200円)があったので購入。パンフは情報量少ないとのことで見送ったが、こちらはどうだろう。

2023/11/13(月)~11/15(水) 乾徳山~北奥千丈岳~甲武信ヶ岳2023年11月13日 00:00

金峰山~甲武信ヶ岳の縦走路は過去に2度歩いている(https://marukoba.asablo.jp/blog/2008/06/28/9401561https://marukoba.asablo.jp/blog/2010/06/25/9401586)のだが、そこからほんの少し外れた奥秩父最高点・北奥千丈岳には立ち寄らなかった。今回は雪が来る前に、これも未踏の乾徳山から入って北奥千丈岳を踏み、縦走路へと繋げよう。下山は甲武信ヶ岳から、使ったことのない近丸新道経由で西沢渓谷とする。三日間晴天のもちそうな日程を選んで実行に移した。

■11/13(月)
事故のためJRが遅延し、山梨市駅9:12発のバスを逃がして10:21発に乗車、乾徳山登山口に10:53。傍らに「皇太子殿下 乾徳山登頂紀念」の碑がある。11:05に出発。晴れ、気温13℃。
徳和川に沿って行き、乾徳神社に山行の無事をお願いする。乾徳山登山口(標高988m)に11時半。そのまま未舗装路を進む方向に「徳和渓谷・大ダオ」とあり、黒金山~北奥千丈岳ラインからのエスケープに使えそうだ(*1)。
乾徳山登山口
登山道に入るとなかなかの急登で、植林の中、高度を上げる。1140mで絡む林道は通行止めで、1230m辺りでも林道らしい跡に出合った。二番目の林道手前にあったはずの銀晶水には気付かず通過。1320m辺に「駒止」の立札あり。
ずっと登りで休憩ポイントが無いと思っていると、ようやく傾斜が緩み、12:45に錦晶水(1480m付近)に到着。落葉松(カラマツ)林の間を流れる浅い沢に塩ビパイプが刺してある。パイプ前にしゃがみこんで、チョロチョロとした水流をペットボトルで受けた。今晩の泊りと明日の行動用の水を確保するため、ここで30分近く停止。水汲み中に鹿の声を聞く。少し風が出て気温は6℃。
錦晶水
歩き出すと水の入ったザックの重さが堪えるが、傾斜が緩んだのは助かる。道の前方に来たのが乾徳山か。
乾徳山
ここまでですれ違ったのは、夫婦連れや若者4人組等、計8人ばかり。この時間に登っている者はおらず、終わってみれば乾徳山から先にも誰もいなかった。
13:20、国師ヶ原十字路に到着。奥に見えるオシャレな風情の高原ヒュッテは、山梨市が管理する避難小屋だ。
高原ヒュッテ
十字路から指導標に従って頂上の方へ進むと、すぐに役小角(えんのおづぬ)像と前宮跡。
役小角像/前宮跡
ふたたび傾斜が増して月見岩の分岐に突き当たる。案内板を見ると、山頂迄に様々な奇岩があるようだ。山梨市観光協会の公式サイトによると「山には髭剃(ひげそり)岩、月見岩、鳳(おおとり)岩など数々の奇岩や山岳信仰の痕跡が見られます」。
月見岩
まず扇平の手洗石。
手洗石
地形図の岩崖マークに差し掛かるとクサリ付きの岩場が現れ、岩陰には霜柱が残っている。
大岩が真っ二つに割れた髭剃岩は、細身の人なら擦り抜けられるか?
髭剃岩
細い岩棚の通過は、重いザックに振られないよう慎重に。壁側にバランス保持のクサリが欲しい。
岩棚
岩の隙間を鉄ハシゴで降りて回り込むとカミナリ岩。テラスを挟んでクサリ場が続く(上部はクサリが2本)が、手掛り足掛りを見定めれば難しくはない。
カミナリ岩
クサリを登りきり、さらに岩に上がると次の岩壁(これが鏡岩?)が目の前だが、ルートは足元を通っており、ここに上がる必要はなかった。
鏡岩?
胎内は今は塞がっているが、かつては胎内潜りができたのだろうか。
胎内
なおもロープ付きの岩場を通過して行くと、先ほどの案内板に「クサリ20m」とあった鳳岩。足場になりそうな割れ目の間隔が広く、皆が足を掛ける箇所は磨かれてツルツルと滑って、クサリに頼らざるを得ない。登りきるとかなりの高度感だ。
鳳岩
鳳岩 下から/上から
国師ヶ原までの歩きやすく整備された道から一転して、山頂下の岩場は油断すれば重大事故に繋がる。鳳岩の迂回路をはじめ、登山道の整備は皇太子殿下(当時)のおかげかもしれないが、この一連の岩場を登られたのだろうか。
14:50、乾徳山(2031m)に登頂。
乾徳山
平地に広がる街の向こうに富士山が聳え、その左の山また山は奥多摩から大菩薩辺り。
乾徳山からの眺望 富士山
乾徳山からの眺望 大菩薩
乾徳山からの眺望 大菩薩(山名)
行く手の黒金山の左は金峰山から国師ヶ岳、右は甲武信ヶ岳から雁坂峠。国師や甲武信の稜線は白く見える。黒金山から左に下がって剥げているように見える鞍部が本日の寝床、大ダオか。
乾徳山からの眺望 国師ヶ岳
乾徳山からの眺望 国師ヶ岳(山名)

乾徳山からの眺望 甲武信ヶ岳
乾徳山からの眺望 甲武信ヶ岳(山名)
先があるので10分程で腰を上げる。山頂からの下りもクサリ・ハシゴ付きの岩場が連続するが、上りのように長いものは無い。岩場を下り切ると水のタル分岐で、国師ヶ原への迂回新道を指す道標には「ガレ場の急下降あり」と注意がある。
シャクナゲ交じりの樹林の足元は、数日前のものと思われる雪が粒々からやがて日陰では地面を覆うようになってきた。大ダオへの分岐をいったん見送り、日没間際の16:35に黒金山(2231.8m)に到着。
黒金山
山頂近くにテント適地を発見したが、予定通りに大ダオまで下ろう・・・と思ったら、昭文社山と高原地図に「尾根広く道迷いに注意」とある辺りで地面がフカフカになった。さては道を外したかと左寄りに修正すると、薄暗くなる中で笹の踏み分けに出た。獣道の可能性も考えつつ進むと赤テープを見出し、大ダオの広い笹原に出たのが17時半近く。樹林との境で風除けできる場所を考えていたのだが、暗い中で平坦地を探すのも難しく、原っぱの真ん中の指導標の傍らにテントを張った。
大ダオ
丈の低い笹の上なので、テントの床がフワフワする。お湯を沸かす際にちょっと目を離した隙にコンロが倒れて水をこぼしてしまったが、寝心地は悪くなかった。街の灯が近く見え、スマホの電波も入る。星空がきれいだ。

■11/14(火)
3時半前に起き出すと、テント内壁に霜がついていた。吊るしておいた濡れタオルも凍っている。
5:40に出発。山と高原地図に「道不明瞭」とあるが、尾根を外さなければ問題ないだろう。一登りすると、トラロープの張られた箇所を踏み跡が回り込んでいる。やがて下りになったので2047m小ピークを越えたようだ。トラロープからこちら、赤テープを見かけないが、道と思える線が断続的に現れる。しかし下り過ぎではないか?とコンパスを出すと、いかん、これは南へ向かう尾根だ。「道不明瞭」の先入観のあるところで道らしき線に惑わされた形だが、下りに入った時点で方位を確認すべきだった。トラロープまで戻って30分のロス。明るくなってみれば、トラロープの位置から正しい方向に付いた赤テープを容易に発見できた。
あとは迷う個所もなく、7:20に方向転換点のゴトメキ(漢字では「御止木」)。落ち朽ちた指導標にはおそらく「白檜平」とあったのだろう。その白檜(しらべ)平に7:50。林道を横切ると、シラベ(シラビソ)の間に草に隠れるような水流があった。黒金山からここまでが地図の破線ルート。日没・夜明けの薄暗さの中でルートを外したが、日中であれば赤テープなどの目印も適度にあって、それほど難しくはなさそう。
奥千丈岳に向かう尾根ルートの「石楠花新道」を進む。8時半、少し暖かくなったと思っても-1℃、凍っていたタオルは柔らかくなってきたが、ザックの外に付けたペットボトルの水は氷入りのままだ。
奥千丈岳の手前は地図に「倒木多い」とある通り、乗り越えたり潜ったり。
倒木帯
奥千丈岳(2409.6m)は、山頂標があるだろうと思っているうちに通過してしまった。地形図をよく見ると尾根が合流しているだけでピークという訳ではない。ネットに上がった最近の記録を見ると樹の幹に山名板が付いているのだが、足元に気を取られていて見逃したか。
緩やかな登りから2511mへの急坂、また緩やかになった後、いよいよ奥秩父最高点への登り。木々も、雪というよりは氷を着けて真っ白になってきた。
氷化粧の木々
10:15、北奥千丈岳(2601m)に登頂。
北奥千丈岳
眺望良好、方位指示盤の示す山々を眺め渡せる。
北奥千丈岳よりの眺望
北奥千丈岳よりの眺望(山名)
北奥千丈岳よりの眺望
北奥千丈岳よりの眺望(山名)
北奥千丈岳よりの眺望
北奥千丈岳よりの眺望
山頂で15分ほど過ごす。人には会わないが、大弛峠~国師ヶ岳縦走路の方から話声が聞こえた。
甲武信ヶ岳への縦走路との連結点には5分ばかりで到着。これで今回山行の目的は果たした。
国師ヶ岳(2591.9m)の三角点は一等だ。
国師ヶ岳
あとは淡々と進むが、そろそろ草臥(くたび)れてきて、国師から大きく下ってから甲武信に至るアップダウンは結構堪えた。東梓(2271.8m)12:50~富士見(2373m)14:15~水師(みずし、2396m)15:00~千曲川源流遊歩道分岐15:10(*2)~甲武信ヶ岳(2475m)15:35と、登りのペースがまるで上がらない。甲武信ヶ岳にいた単独男性が、乾徳山への登り以来、初めて出会った人間になる。
甲武信ヶ岳登頂
16時に甲武信小屋でテント泊(予約済、1000円)受付。水は別料金(100円/1L)。テントは他に2張あった。本日の行動時間は、山と高原地図のコースタイム10時間10分に対して10時間20分。テント泊装備を担いでいる点からすれば悪くないが、コースタイムが大き過ぎる部分(*2)があるので微妙なところ。

■11/15(水)
10時過ぎのバスに合わせて、6時に出発。
木賊山(とくさやま、2468.8m)へ登る途中、岩崖の迫る樹林切れ目から見ると、下方はガスに沈んでいる。下りにかかってからもガスっぽかったが、次第に晴れた。
近丸新道と徳ちゃん新道との分岐まで、標高差約600mを急坂で下る。7時、おそらく西沢渓谷の時報チャイムを聞く頃には日が射して風も止んだが、気温は-4℃。短く一登りして、7時半に分岐。
今回下りる近丸新道は、前半(上部)で一気に下り、後半はヌク沢沿いにほぼトラバースのイメージ。
下りて行くと、やや透明感のある真っ白い石が無数に散らばっている箇所があった。その後もこの岩石はしばしば見掛けたが、砕け易い性質らしくあまり大きなものは無いようだ。甲武信ヶ岳の中腹には古く硅石の採掘場があったそうで、これがそうなのだろうか。
硅石?
地図に「大きな砂防堰堤がある 増水時注意」とあるのがヌク沢の渡渉点で、堰堤の手前の丸木橋を今日は問題なく渡れる。
ヌク沢の渡渉点
落葉に埋もれるようなコンクリート小屋やコンテナ(?)の残骸を過ぎると、軌道跡が現れた。桟道の掛かっている崩落個所で途切れるのかと思いきや、その先にも断続する。そもそも近丸新道自体が採石軌道跡に設けられたものらしい(YAMAP/2020.5.30「ヌク沢採石軌道・三富鉱山軌道」)。
軌道跡
地図に「荒れている」とあるのは、桟道や橋が古びていたり、斜面から砂が押し出して登山道を覆っている箇所のことか。
荒れた登山道
登山口に出る直前の分岐は左が「ナレイ沢(トイレ)」で近道かもしれないが、ここは素直に「西沢渓谷」へ直進し、9時に登山口に出た。そこを通り過ぎて行く登山者は徳ちゃん新道を登るのだろう。この近丸新道では単独女性とすれ違っただけだった。
トイレ前のベンチで荷物を整理し、顔と手を洗ってバス停へ。30分ほど待って市営バスに乗車し、笛吹の湯に立ち寄り。露天風呂はぬるかった。自販機に牛乳など健康的な飲料しか無いのが惜しい。

■今回のルート
乾徳山~甲武信ヶ岳ルート(1)
        (1)乾徳山登山口~北奥千丈岳
乾徳山~甲武信ヶ岳ルート(2)
        (2)北奥千丈岳~西沢渓谷

*1:山と高原地図「金峰山・甲武信」(2022年版)では薄い破線が大ダオではなく、黒金山に近い2070m辺りに繋がっている。実際のところ、薄暗くなっていたとは言え黒金山から下る途中に分岐は見かけなかったし、大ダオには徳和を指す指導標があったから、山と高原地図の誤りだろう。
*2:以前にも思ったことだが、山と高原地図の富士見→千曲川源流遊歩道分岐のコースタイム「1:30」は長過ぎる。

2023/11/23(木・祝) 田子山富士塚、御嶽神社、西堀氷川神社2023年11月23日 14:00

富士塚とオオカミ信仰を訪ねて、志木~さいたまへrebelを走らせた。今日は10月並みの暖かさということで、春秋向けのジャケットの下にウィンドブレーカー、下半身はジーンズで寒くない。走行距離約74km。

まず、志木市の田子山富士塚へ。
  グーグルマップ ⇒ https://maps.app.goo.gl/QCvUCtw1rjdYPjNB7
大安と友引には登山できるので友引の今日を選んだのだが、行ってみると富士塚のある敷島神社はお祭りなのか七五三の行事なのか、巫女装束の女の子たちが並んで何やら奉納しているところだった。
敷島神社
富士塚は明治5年に完成したもので、たいへん立派。神社側から見上げるのとは反対側に登山道があり、石造物が多い。
田子山富士塚
御胎内まで掘られている。
田子山富士塚の御胎内

  グーグルマップ ⇒ https://maps.app.goo.gl/Cnb9GNFXBCnJD4Em7
境内に目立つツルは、HPに「神使 天神雷鳥大神」とある(ライチョウではないよな)。
御嶽神社
オオカミは金ぴかの社殿の上の方に、武蔵御嶽神社のお札ふうのものが。
御嶽神社
オオカミ像
境内の霊神社にはお馴染み普寛霊神も祀られていた。普寛行者その人がここで修行し、現在も行者像を社宝としているとHPにある。

もう一つ、西堀氷川神社へ。
  グーグルマップ ⇒ https://maps.app.goo.gl/xtJGutv4cKWyNjwS6
境内社が目当てなのだが、氷川神社の狛犬(寛政11年=1799)もなかなか良い。
西堀氷川神社の狛犬
境内社の(たぶん)御嶽神社には武蔵御嶽神社のお札。
西堀氷川神社の御嶽神社
三峯神社には狛オオカミが2対と、神像は日本武尊であろう。
西堀氷川神社の三峯神社
日本武尊像
鳥居側のオオカミ像は昭和59(1984年)。
オオカミ像
祠前のものも同じ頃だろう。
三峯神社

2023/11/27(月) 赤城神社、高津戸峡2023年11月27日 00:00

天気も好いし、比較的暖かなので、rebelを走らせた。
目的地は紅葉が見頃らしい高津戸峡(群馬県みどり市大間々町)。ついでに、赤城神社の神代文字の碑を再訪しよう。

10時半過ぎに家を出て、下道で三夜沢町の赤城神社に12時半到着。
ここには、2005年に赤城山登山の際に立ち寄ったのだった(https://marukoba.asablo.jp/blog/2005/05/28/9533474)。神代文字の碑は「宮城村指定重要文化財」だったのが、「前橋市」のものになっていた。教育委員会が神代文字なんてオカルトを持ち上げていいのかという気もするが、これは文字ではなく「復古神道の遺物」としての碑を取り上げているのだな。
神代文字の碑
神社は今、秋の御鎮祭で、拝殿まで進めなかった。
鳥居前の案内板に「磐座信仰の痕跡」とあった櫃石を見ておこうかとGoogleの経路案内に従って大胡赤城線(県道16号)に乗り入れたが、最寄り地点まで上がっても案内も何もない。神社から登山するつもりでないと行きつけないようだ(⇒ 赤城山をあそぼう!/「櫃石」への行き方)。

高津戸峡は渡良瀬川の左岸、高津戸橋とはねたき橋の間に設けられた450mあまりの遊歩道。紅葉・黄葉する樹木がそれほどたくさんある訳ではなく、渓谷一面紅葉というものではなかった。両端の橋近くにきれいに色付いた樹がある。
高津戸峡
はねたき橋側の紅葉
バイクは停めたままにして、1km弱離れた焼まんじゅう美濃屋まで歩く。焼まんじゅうを3串買い、その場で焼き立てを1串食べ、残りを土産にした。

冬用ジャケットにオーバーズボンを着けると、走行中は快適だが、高津戸峡を歩いて汗をかいた。走行距離約140km。
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