2023/12/9(土)~12/11(月) 埼玉-群馬県境・神流湖~二子山 ― 2023年12月09日 00:00
T中・H氏と無名山塾の自主山行。
椛澤初男『群馬の県境を歩く』を参考に、以下のように計画した。
(カッコ数字:同書中の山行番号、時間:同所要時間)
・1日目
(1) 馬立沢林道~杉ノ峠(6h40m)
・2日目
(7) 杉ノ峠~坂丸峠~矢久(やきゅう)峠(4h25m)
(14)矢久峠~二子山~志賀坂峠(6h00m)
・3日目
(16)志賀坂峠~諏訪山~蓬莱山~八丁峠(5h55m)
下山は八丁峠から、昭文社の山と高原地図「西上州」(手持ちは2021年版。以下、「地図」と表記)の破線ルートで坂本へ(コースタイム2h35m)。
しかし、同書の各行程は日帰りであるのに対し、こちらはテント泊装備の上に全行程の水を持たねばならず(*1)、荷物が重い。思ったように行程が伸びず、2日目に二子山を越えた地点で幕営して、翌朝、坂本へ下山した。
天候には恵まれ、特に土日は季節外れに暖かかった。
■12/9(土)
新町駅でT中氏と落ち合い、神流湖上流側の太田部入口までバス利用。バスが群馬藤岡駅を経由し、自分はここで電車を降りて待っていればよかったことに気付いた。
太田部入口を10時に出発。工事中だが現在は通行可(来年2月中に通行止予定)の太田部橋を渡り、神流川左岸の道を30分ほど歩くと、県境の沢に沿って林道が分岐する。この馬立沢林道に入り、間もなく道が逸れる地点から沢を直進。しかし、すぐに滝が現れた。
右の斜面をほとんど四つん這いで上がるとその上にも滝が見えたので、まとめて巻いてしまおうと斜面をさらに詰めると林道に出た。林道はふたたび沢に近付くと分岐し、一方は対岸へ伸びている。地形図では430m地点の分岐のもう一方が沢に沿って続くので、そのまま道を進むことにした。
しかし、軽トラ程度は通れる幅でつづら折れに高度を上げて行く道は、地形図の線とは別の作業道らしい。今から沢に下りるのも面倒だし、この道が尾根に上がるならば、695ピークを経由して塚山の下で県境に復帰できる。目論見通りに尾根に乗った道が下がる気配を見せたところで、道を離れて樹林に入った。703ピークからの尾根を合わせてからも、道は尾根に沿って付かず離れずに見えている。県境を忠実に辿るならば430m分岐で道を外れて沢を行くのが正解だったが、そちらは傾斜が急でザックの重さに苦しんだことだろう。
13時過ぎ、塚山の西のピーク下で尾根が道と交差した地点で休憩。ザックを置いて塚山(954.0m)を往復した。
ザックを担ぎ直し、道から離れて907ピークを踏む。尾根上に折々見かける赤いプラスチック杭や「県造林」のコンクリ標柱が県境なのか、埼玉側は植林、群馬側は自然林となっている区間が多い印象。相変わらず尾根に沿って道が見えており、電柱まで立っている。
14:15、竹ノ茅山(978m)に到着。大きなアンテナ施設があり、先ほどの電柱はここへの電力供給用のようだ。休憩中に聞こえた銃声2発は何を狙っているのだろう。
竹ノ茅山から先には地形図で破線(徒歩道)が入っているが、実際のところはこれまでも十分に歩きやすく、特に変化はない。多少のアップダウンを交え、15時に小さな祠のある土坂峠まで下った。
日没前に次の杉ノ峠までは届かないため、土坂峠から少し進んで848m地点手前の鞍部にテントを張った。
■12/10(日)
明るくなるのを待って6:15に出発。
やや高度を上げて行き、大久保山(980m)から先は地図でも登山道(破線)となって、杉ノ峠に7:45。ここは祠の前に御神燈(昭和18年銘)も建っている。
杉ノ峠からは実線の登山道でいっそう歩きやすく、父不見山(ててみずやま/ててみえずやま、1047m)に8:25。前回来た時(https://marukoba.asablo.jp/blog/2023/05/21/9588231)によく判らなかった三角天のダルマ石側面は「海抜千〇六十米 昭和九年 月」と読めそうだ。父不見山の標高とは相違するが、当時の測量値だろうか(*2)。
二等三角点(1065.8m)のある長久保ノ頭(大塚)から下りて県境が西北西に向かうところは、踏み跡に惑わされ南西の尾根に外れてしまった。地形図にない作業道を少し辿ってから県境尾根に復帰。
登山道は次の丸山(985m)を巻いているが、あえてピークを踏むつもりで進む。が、明瞭な道や神流マウンテンラン&ウォークのプレート(最新のコースにこの付近は含まれていない)を辿ると、今度は北に外れた。県境は明白かと思うと通常の目印が当てにならず、案外に難しい。丸山から下って行くと、埼玉側に作業道が何本もあるようだ。
坂丸峠に9:40。祠の傍らに「右秩父道 左やま道」と刻んだ道標石がある。
ふたたび県境に忠実にピークを拾い、小さなアップダウンで矢久峠に10時半到着。車道に下りる手前に白い観音像が建つ。車道を渡って尾根に踏み入る箇所に祠と並んでいる風化の進んだ古い像も観音様だろうか。
地図の登山道は坂丸峠まで、地形図の徒歩道も矢久峠まででその先に道は無いが、尾根上は相変わらず歩きやすい。「境界明確化」の小さな杭を見ながら行くと、右手に痛々しく削り取られた叶山が見えてくる。
その叶山から伸びているベルトコンベヤー(秩父太平洋セメント・叶山鉱業所 ⇒ https://www.ct-cement.co.jp/business/#kanayama)を跨ぐ辺りで岩場のヘツリに出くわした。
人が通っている感じはするが、ザックに振られて転落してもつまらないので、左側の斜面に逃げてヘツリ先のピークに上がった。
その下の鞍部(960m)からの登りも、正面の岩がちの急斜面を避けて左側から上がる。斜面に積もった落葉に人の通った跡があるが、こちらもかなり急で息が切れる。
尾根に復帰して急斜面を登って行くと、いよいよ県境が二子山の崖マークと真っ向からぶつかる箇所。岩場に生える木に赤テープなどの目印は見当たらず、周囲を偵察したところ難易度は変わらないので、正面から行く。
一登りすると、空中に足を出さないと渡れない箇所に出た。その足場の岩も少々ぐらつく感じなので、もっと安全なルートはないかと右側を探るが行き止まり。ここでT中氏が先行して、元の場所を慎重に通過した。次に、一段下りて向かいの岩に上がる箇所は、手を伸ばすとガバ(掴みやすい岩角)が見つかった。上がったところに手袋の落とし物あり。もう少しよじ登ると、二子山の登山道に行き着いた。時に14:10。西峰頂上がすぐそこだが、1年前に二人で踏んでいる(https://marukoba.asablo.jp/blog/2022/11/03/9538035)ので今回はこだわらず、少し進んだ地点で休憩。眼下には志賀坂峠に繋がる県境尾根が、地形図にない道(*3)を山腹に這わせている。
あとは登山道通りだが、地形図の県境線から西側に膨らんで岩を伝い下りる箇所に<ここから先「群馬県」>の危険注意看板があった。
岩場から下りると15時近い。本日中に志賀坂峠まで進出するには無理があり、また、計画通りに明日八丁峠を回ると16時台の終バスに間に合わない虞(おそれ)がある。今回はここまでとし、この先で泊まって坂本に下山することに決定。泊り場所としては県境尾根上の1043ピークを越えた1040m地点がなだらかと見当をつけたが、実際には1043mに上がるまでもなく、尾根が狭まった1000m地点にテントを張れる平坦地があった。登山道を塞ぐ形になるが、この時間に通る人もいない。ただ、テント内に落ち着いてからも、二子山の方からクライマーの声が聞こえていた。
■12/11(月)
ゆっくり出発するつもりでいたが、バス時刻を再確認したところ休日ダイヤを見ていたことが判明、平日は坂本7:38発を逃がすと3時間待ちになってしまう。慌ててテントを撤収し、6時に出発。県境尾根に沿って続く鹿ネットに設けられたゲートから坂本への下山路に入ると歩きやすい道で、地図のコースタイム1時間15分のところを50分ほどで下りられた。
小鹿野役場でバスを乗り換え、西武秩父に9:18着。祭りの湯が開くのを待って汗を流し、酒と食事(自分はわらじカツ丼)を腹に収めて帰路に就いた。
■今回のルート
↑ 1日目
↑ 2~3日目
■注
*1:地図では杉ノ峠から南に林道を下りた地点に「ててみず」の水マークがあるが、峠からの往復には1時間程度かかるだろう。ヤマレコの記録(2021/4/11 父不見山)によれば北側の杉ノ峠入口にも水場があるが、これも遠い。
*2:「今昔マップ on the web」で確認したところ、父不見山は1945年まで1060(~1079)m峰だった。
次に参照できる1972年以降の地形図では1040(~1059)mになっている。
*3:グーグルマップでは志賀坂峠の西で国道から分岐した林道が矢久峠まで繋がっている。地形図では両峠の近くで途切れている道が開通している訳だ。
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