2025/5/19(月)~5/20(火) 金峰山・御嶽古道2025年05月19日 00:00

金峰山が金櫻神社の御神体であることは、以前に昇仙峡を訪れた時(⇒ 2024/4/11~4/12記事)に知った。その後、金峰山古道復活プロジェクトのことを聞く。これはひとつ、神社から金峰山まで通して歩いてみなくてはなるまい。もっとも復活プロジェクトは古道へと続く林道の整備なので、神社から歩く者には関係なさそうだ。
金峰山は、それ自体を目指して登ったことが一度(金峰山荘から。⇒ 2003/5/24記事)、カモシカ山行で通過したことが二度(⇒ 2008/6/28記事2010/6/26記事)あり、今回登頂すれば4回目となる。

■5/19(月)
甲府駅からバスで終点の昇仙峡滝上まで(1090円)。金櫻神社まで徒歩2.1kmの緩い登りで早くも汗をかいた。
手水舎にザックを置き、階段を上がってお参り。さらに遥拝所まで登って金峰山を望む。
金峰山遥拝
階段下に戻り、11:20出発。鳥居右側の「この先、車両の通り抜けはできません」の道に入る。川沿いで、人家から離れると虫がうるさい。10分ほど進むと水道設備(?)の傍らに、「危険箇所多数の為一般の通行を禁止」の掲示とバリケードフェンスで塞がれた山道の入口があった。地形図で徒歩道(破線表記)である「猫坂」の範囲が判らないが、事前にネットで読んだ記録ではここを始点としている。11時半を過ぎ、曇り、18℃。
【参照したネット記録】
 ・ヤマレコ/金峰山の表参道・金櫻神社から猫坂を往く(往復)
 ・やぶ山をこよなく愛する登山ガイド 三ちゃんの山日誌/猫坂
古道入口
入ってみれば良い道で、また10分ほど進むと電柱を過ぎた箇所に左へ逸れて行く道がある。
電柱を過ぎ左へ上がる
上掲ネット記録にここを直進してしまうと滝が出てきてやや危険とあったので、左へ登る。すぐに「雄滝」のプレートを付けた杭が立っており、斜面を少し下りると滝と橋が見えた。
雄滝
傍らに祠や墓石(一つの石に信士、信女の名が並べて彫ってあり、明和、安永の年号がある)の残る概ね歩きやすい道で、沢には鉄板の橋が掛かっている。
祠と墓石
苔むした石垣の上を通過し、鉄階段で林道に出た(地形図1069m地点の東、徒歩道と軽車道=実線との交点)。時刻は12:10、いつしか日が射してきた。
石垣の上の道
林道に絡む
林道に絡んだ後は道が不明瞭になるが、沢の右岸を進む。何となく踏み跡はあるのだが、それもいよいよ怪しくなって強引に尾根に上がった。他に楽な道があったのかもしれないが、上がった先にも目印のテープが付いている。いったん道形に復帰した後またもや細くなった踏み跡を追うと、舗装された林道の上に出た。路面までの急斜面を木を掴んで下りる際、左手小指を法面吹付で擦りむいた。
猫坂から林道に下りた斜面
上掲の記録によると御岳林道に下りる手前が猫坂峠で、鳥居跡や祠、造林記念碑があるとのこと。そういった物は見なかったので、踏み跡につられて峠から少し外れたようだ。小指に絆創膏を巻くなど15分ほど休憩して12:55。
ここからしばらく林道歩き。国指定天然記念物の燕岩(つばくろいわ)岩脈は「黒富士火山による火砕流の堆積を貫いた岩脈が地表に現れたもの。幾重にも節理が重なった様子は学術的に極めて貴重」(説明看板より抜粋)。
燕岩岩脈
マウントピア黒平(くろべら)を通過し、地形図986m地点の三叉路に13:30。手持ちの山と高原地図「金峰山・甲武信」(2022年版)では、実線ルートがここから林道をショートカットしている。塞がれているが、あの斜路だろうか?
ショートカット入口
予想に反してバリケードの先は山道ではなく、道祖神の祀られた細道が民家を繋ぐ山村風景だった。バリケード突破は住民の方には迷惑だったかもしれない。小さな神社の先のゲートを脇から抜けると山道になり、10分ほどで林道に出た。
ショートカットの風景
ショートカット内のゲート
黒戸奈神社のある集落に入ると、カーブに集められた石碑等の中に山梨名物の丸石道祖神(⇒ 山梨の歴史を旅するサイト)があった。
丸石道祖神など
黒戸奈神社を通過(14:15)して10分ほど行くと、道路から右手の樹林に入っていく踏み跡がある。
怪しい踏み跡
林道をショートカットできるかと辿ってみると、何処かで外したらしく行き詰まった。少し戻って落葉を踏んで谷を上がり、あとは適当に方向を定めて林道に出た。ここは素直に林道を歩いた方が早かったか。
15:20、甲府市森林浴広場(標高1240m)に到着。元はキャンプ場として整備されていたのだろうが、今は水場もトイレも無い。それでも、広々とした草地のテントサイトは快適そうだ。古道復活プロジェクトはここまでの道路整備だったようで、今はクルマが一台停まっている。
甲府市森林浴広場
すぐ前の渓流(精進沢)に下り、一泊の炊事と明日の行動用の水を汲む。きれいな水だが、念のため浄水器を通したので少々時間がかかった。
16時に森林浴広場を出発、広場の手前に立つ「金峰山古道」の古い指導標に従って地形図の徒歩道に入る(山と高原地図の実線ルートは林道を辿っている)。
「金峰山古道」入口
1540mまで登ると、地形図に記載のない道が合流してきた。
地形図にない道
徒歩道とは方角がずれるが、歩き易そうなのでそちらに行ってみると、トラバース気味に数分進んで別の道に出た。来た側はトラロープで塞がれている。出た側は地形図の軽車道と思われるが、地形図ほど真っすぐではなくジグザグに上がって行く。森林浴広場からの徒歩道合流と思しき地点にはそちらに行かないようバリケードに「←登山道→」と表示されており、つまり、山と高原地図のルートに誘導しているようだ。
この辺は平坦でテントも設営しやすいが、もう少し登って17:40、1709.7m三角点に至る道と地形図に無い北上する道との分岐に泊まることにした。せっかくなのでザックを置いて三角点を確認しに上がると、三角点付近のみスマホが通じた。
暗くなると、特定の一頭だろうか、盛んに鹿が鳴く。虫がほとんどいないのは付近に水がないためか。風もなく静かな夜だった。
テント場

■5/20(火)
3時前に起床。木々の間に下弦の月が見えた。今日は気温が上がる予報なので、行動用の水は多めに2L持つことにしよう。4時半に出発。10℃、晴れ。
道は1709.7m三角点を一端とする高まりを通って北上するが、スマホは通じなかった。方角により電波を取れる場合があるのだろう(三角点の南側が良い?)。
山と高原地図では五丈岩(地図での表記は「五丈石ごじょうせき」)まで破線ルートであるのに対し、地形図には造林記念碑(1770mピークの南東)まで道の記載はほぼ無い。実際は軽車道レベルの歩きやすい道だ。1692mの前後のみ地形図に入っている徒歩道は広い道から左に逸れるが、すぐに合流。登山道はそのまま軽車道を斜め横断して右へ下りている。と言うより、昔からの徒歩道を軽車道が利用したり突っ切ったりしたのだろう。
作業道から登山道へ
5:10、地形図の徒歩道(実際は軽車道レベル、1690m)に出た。傍らに造林記念碑が建っている。登山道(地形図でも、ここから金峰山まで徒歩道表記になる)は軽車道を横切ってカラマツ林の中へ。
造林記念碑
道は細いが迷うようなことはなく、赤さびた古い指導標もある。
赤さびた指導標
6:15、水晶峠(1934m)に登り着いた。今でも水晶が採れるのだろうか。
水晶峠
峠から下り、岩のゴロゴロした枯れ沢から御室川の二股の間に入り、尾根を登って御室小屋跡(1938m)に6:40到着。倒壊した小屋の手前はテント好適地だが、水の気配はなかった。梢で風の音がする。気温10℃、まだ涼しい。
御室小屋跡
御室小屋跡テント場
小屋跡から歩き出すと「やまなしの森林100選 金峰山のネズコ林」の看板。次いで現れるシャクナゲは蕾を付けている。
ネズコ林、シャクナゲ
ここから、金峰山頂まで標高差660mの急登で、早くもハシゴ、クサリが出てきた。今日は岩が乾いているから問題ないが、濡れていたら嫌らしそうだ。
ハシゴ、クサリ
クサリの付いた岩場
地形図の岩崖マーク(2000m)の上に出ると、五丈岩を望めた。
五丈岩を望む
2100m付近のハシゴを上がった大岩の下には石碑と修験の碑伝(ひで)。
大岩に石碑と碑伝
2190m辺りでロープの張られた崩壊地を通過し、樹林の中で高度を稼ぐ。2300mでいったん樹林帯から頭を出し、2400mを超えると五丈岩が次第次第に近く見えてくる・・・のだが、なかなか行きつかない。
五丈岩が次第に近く・・・?
最後のひと登りというところでルートを外したらしく、踏まれた様子のない岩場を適当に登り、大岩の左側から奥秩父の縦走路に出た。
最期のひと登り
金櫻神社御神体の五丈岩まで歩き通して、山行目的を達成できた。時刻は9:20。造林記念碑から山と高原地図のコースタイム3時間40分に対して30分遅れだった。
五丈岩
山頂に上がって休憩。予想ほど暑くはないもののここまでTシャツ姿で来たのだが、稜線は風が強くシャツを羽織った。三角点は2595.2m、山頂2599mは山頂標傍らの岩の上か。そこに立つと好展望を得られるが、遠くは霞んでよく見えなかった。瑞牆山の向こうは八ヶ岳だ。
金峰山登頂
金峰山頂より
山頂部で30分ほど過ごしてから下山開始。平日にも関わらず多数の登山者と擦れ違う。登りの猫坂、古道に雪はまったく無かったが、下山路では数箇所でシャーベット状に融け残っていた。富士見平小屋を過ぎた1722m地点付近から見る瑞牆山が圧巻。
瑞牆山
13:10、瑞牆山荘に下山。公衆トイレで身体を拭いて着替え、山荘で缶ビールを飲んでバス(韮崎駅まで2300円)を待った。

■今回のルート(上:2日目、下:1日目)
金峰山・御嶽古道ルート(2日目)

金峰山・御嶽古道ルート(1日目)

2025/3/30(日)~4/17(木) ヒマラヤトレッキング(付録)2025年04月17日 00:00


旅行を振り返ってのメモあれこれ。

■旅の持ち物
当たり前の物品以外で、今回用意して役に立ったもの(○)、不要だったもの(●)。
○針金ハンガー、折畳み小物干し、細引き
部屋に洗濯物を干すため。日本でクリーニング品に付いてくるような針金ハンガーなら、帰国時に捨てても惜しくない。小物干しは角形の枠に洗濯挟みが10個程度付いて折り畳めるもの。ロッジの部屋にはフック類など無いことが多いが、何とか工夫して細引きを張り渡した(⇒ トレッキング後編 4/5条)。
○100均のサニタリーバッグ
トイレ後の紙を入れるため。100均なら枚数も適当(自分の買ったのは16枚入り)。
●スマホのeSIM(データ通信用)
ネパール国内で7日間有効のものを事前に2件購入しておいたのだが、結局使わなかった(現地でのアクティベーションを誤ったのか、実際には繋がらなかった)。そもそも現地の通信会社(購入したeSIMではNcell。他にNepal Telecomがある)を介するローミングが、トレッキングする地域をどの程度カバーしているのか分からない。自分はメールチェックや自宅との連絡に一日一回ネットにアクセスできれば事足りるので、ホテルやロッジのWi-Fiで間に合った(トッレキング中にWi-Fiの使えなかったロッジはゴラクシェプのみ)。
●行動用飲料の粉末、スティックコーヒー
行動に必要とされる水分量に基づいて飲料用粉末を用意したが、ツアー中はロッジでのティータイムやランチでかなり賄えるので、自前の水(お湯)はそれほど必要ない(もちろん、ある程度は持ち歩く。その分の飲料粉末は好み次第)。行動中にテルモスのお湯でコーヒーを飲もうかと思ったが、お茶はロッジで頂く分で十分だった。

■その他注意事項
○クレジットカードの限度額に余裕を。
一時的に限度額を上げておく(審査に一定の時間が必要)手もある。また、現地で確実に利用できるカードを複数枚持てば、1枚を紛失した場合のバックアップにもなる。
○小額のルピー紙幣を多めに。
博物館やゴンパの入場(拝観)料支払いの際、釣銭の無い場合がある。100ルピー札を多めに用意しておくのが吉。ガイドブックには「チップ用に小額紙幣を」ともあるが、ツアーではチップを渡す場面は無かった。
○スマホアプリの現地データ取得は早めに。
今回、自分はPeakFinderのような山岳名表示アプリの準備を失念しており、カトマンズに戻ってからようやくデータをダウンロードした。GoogleマップのオフラインマップもWi-Fi環境が使えるうちに。
○スマホSIM有効化のPINを確認。
今回、ネパール用eSIMを有効化(実際には使えなかったが)する際、不用意にローミングが発生しないようメインのeSIMを無効化した。これの再有効化に必要なPINを覚えておらず、帰宅するまでスマホ回線やモバイルSuica等のサービスを使えなかった。

2025/4/14(月)~4/17(木) ヒマラヤトレッキング(5)【市街観光~帰国編】2025年04月14日 00:00

ヒマラヤトレッキング(4)【高山病】からの続き。

■4/14(月)
ホテル・アンバサダー2階のレストランでバイキング形式の朝食を摂った後、外を少し歩いてみる。まず、テンプルの外れたメガネ(⇒ ヒマラヤトレッキング(1)【ネパール入国編】 3/31条)を直せないかと、昨日通り沿いに見つけておいたメガネ店へ行ってみたが、閉まっていた(カトマンズを離れるまでに数回確認したがいつもシャッターが降りており、結局メガネは帰国後に修理した)。タメル地区に行こうと思うがトレッキング前に案内してもらった道が分からず、適当な路地に入ると肉屋の前にニワトリを捌いた跡が残っていたりする。大通りに戻り、ホテルの裏の路地を一回りして部屋に帰った。
路地の神様
昼、ロビーにてバンダーさん(西遊旅行の現地要員)とともにヘリ代金回収係と会合。金額は入院中にバンダーさんから聞いていた通り2700US$。普段使っているVISAカードは病院の支払いで限度額まで残り少ないので、JCBカードと分割して決済した。JCBは羽田空港でのUS$購入用に持っていたのが幸いで、これがなければ西遊旅行に借金するところだった。
スマホはWi-Fiがないと通じない(⇒ ヒマラヤトレッキング(付録)、■旅の持ち物/●スマホのeSIM)のだが、Googleマップの現地地図をダウンロードして使えることに気付き、昼食後に再挑戦。メガネ店を確認した後、今度こそタメル地区へ。道路の横断も他の人とタイミング合わせるなど慣れてきた。タメルでエベレストB.C.風景のマグネットや紅茶小箱セットなどあまり嵩張らないものを買い、あとはほぼ当てずっぽうに歩く。Googleマップを見ると前方にラトナ公園があるので、そこには公衆トイレもあるだろうと向かうと、遠くの空に稲妻が走り、ポツポツと降り出した。公園に入らないまま引き返すが、雨はどうやら大丈夫そうだ。ならばホテルに戻る前にナラヤンヒティ宮殿を見ておこうと思ったのだが、門扉に「Closed」の札。16時過ぎにホテルに戻った。下は本日の彷徨の図(ガーミンBasecamp +ネパールトポ)で、ホテルはオレンジ色の小円の箇所。
カトマンズ彷徨
部屋にはT中氏がいた。ルクラは快晴で飛行機はすぐに飛んだとのこと。ラメチャップからバスに7時間近く揺られて来たのだった。自分がツアーを離れた時には食事を摂れずにいたY本・K氏は、その後復調したそうだ。
ツアーメンバーが揃って、ディナーはタメル地区のエベレスト・ステーキ・ハウス(⇒ Googleマップ)へ。サンタさんがふたたびガイドに付いてマイクロバスでホテルを出たが、タメルの狭い道に入ると歩いた方が早い。今日はネパール暦の2082年元旦。と言ってもネパールには暦がいくつもあって複雑怪奇、その一つの新年ということになる。
ネパール新年
ステーキはシャトーブリアンという高級部位だそう。ビールをお供に完食。
ステーキはシャトーブリアン
ステーキ・ハウスで呑み足りない4人はサンタさんの案内でチャン(ネパールのどぶろく)を置いている店へ。地元の人が食べる店なので、たいそう安い。再利用のペットボトルで出てくる自家製のチャンはメニューには載らない。左からE本氏、自分、T中氏、K村氏、サンタさん。
チャンを求めて
チャンで乾杯

■4/15(火)
朝食時、Y本氏がバイキングの食事を皿に山盛りにしている。やはりこのツアーに参加するような人は、一時的な不調はあっても基本的に強いのだな。
本日はツアー日程上はルクラからのフライト予備日だが、ツアー本隊の飛行が順調だったので、オプションの観光日となった。午前中は、エベレスト遊覧飛行のI濱氏ら3人以外は自由行動。T中氏、E本氏と自分とで街に出た。
タブレットに仕込んできた『地球の歩き方 ネパールとヒマラヤトレッキング 2021~2022』のおすすめ散策ルートに行ってみようと思うのだが、本の地図とGoogleマップによる自位置とのすり合わせが難しくてウロウロ。街角の祭壇で朝の勤行をしている(許可を得て撮影)。燈明はバターだ。
朝の勤行
おすすめルートの出発点タメル・チョークに辿り着き、南下してタヒティ・チョークからアサン・チョークへ。チョークは中庭または地域の中心地、あるいは交差点といった意味だとか。アサン・チョーク付近に並ぶ日用品の店は街の人達の生活を感じさせる。
タヒティ・チョーク
アサン・チョーク
南西に折れてセト・マチェンドラナート寺院(⇒ Googleマップ)。女神像には意外と西洋的なものも。10時になるとお堂から坊さんが現れ、鐘を振って一周りしていた。
セト・マチェンドラナート寺院
セト・マチェンドラナート寺院
セト・マチェンドラナート寺院
そろそろトイレが心配になるので、インドラ・チョーク辺りからコーヒーショップでもないかと探す。ダルバール広場を掠めて西へ向かい、Googleマップの示す店を探すが見当たらず、周囲を見回してレンガ造りの2階に喫茶店らしき看板を見出した。ミルクティー(30ルピー)でくつろぐT中氏。
茶店
トイレを貸してくれと頼むと、階下の階段横ドアに掛かっていた南京錠を外してくれた。店は『地球の歩き方』に紹介されている「切手になった窓」に近い場所だったが、そろそろ11時という頃合いなので、おすすめルートはこれまでにしてホテルに戻った。
カトマンズ彷徨2
昼食はマイクロバスで出て、ホテルサンセットビュー(⇒ Googleマップ)にてヒマラヤ蕎麦。ヒマラヤは蕎麦の産地で、ここの職人は戸隠で修業した日本人なのだとか。蕎麦自体は日本で食べるのと遜色なく美味い。中央小皿の三角は何だったろう。
ヒマラヤ蕎麦
午後、半日観光(オプション料金1万円)を希望した6人は、サンタさん、S水氏(添乗員)と共にパタンへ。
15世紀、カトマンズ盆地はマッラ王朝の3王国(カトマンズ、パタン、バクタプル)によって治められていた。ホテルサンセットビューから南へ、バグマティ川を渡りマイクロバスで20分ほど(途中でストライキの集会だかデモだかを迂回した)だったが、ここはカトマンズとは別の国だったのだ。メモを取っておかなかったので最初の方の寺院等の名称は分からない。
(↓)注連縄のような綱に大きな木の葉が下げてある。牛はお堂の方を向く。
パタンの寺院
パタンの寺院
(↓)いくつか見た造形。丸い部分は女性器、それを貫く男性器。
男女和合
(↓)ダルバール広場(⇒ Googleマップ)で象の像があるのはシヴァ神を祀るヴィシュワナート寺院。
ヴィシュワナート寺院
(↓)クリシュナ寺院。一つの岩から掘り出されたという説明だった。
クリシュナ寺院
(↓)旧王宮であるパタン博物館の中庭。
パタン博物館の中庭の像
(↓)王室の浴場トゥシャ・ヒティ。
王室の浴場
王室の浴場
(↓)ネパール狛犬?
ネパール狛犬
(↓)交差点脇の屋上からダルバール広場を見渡す。
ダルバール広場
パタンからカトマンズの東へと移動して、ネパール最大のストゥーパ(仏塔、⇒ Googleマップ)のあるボーダナートへ。ブッダの智慧の目が四方を見渡している様は、これぞネパール!という迫力。階段下に靴を脱ぎ、裸足でドームの周囲を巡る。ここも右回りだ。
ボーダナート
ストゥーパを見上げる片隅に河口慧海のプレートがあった。
河口慧海のプレート
ストゥーパの周囲には土産物屋や巡礼者向けの店が立ち並んでいる。その一つ、仏画の学校という店を見学し、トイレを借りた。E本氏は小さなマンダラを買っていた(教師作は高く、生徒作は安い。また、文字主体のものは安め)。
カトマンズに戻り、夕食はタメル地区のウッツェ(⇒ Googleマップ)でギャコック(チベット鍋)。
ギャコック
アワやキビの実を発酵させたビール、トゥンバも頼んだ。ストローで飲み、お湯を継ぎ足せばまた味が出る。
トゥンバ

■4/16(水)
ネパール旅行もとうとう最終日。10時半にホテルを出て日本人贔屓という土産物店に寄ってから、トリブバン国際空港へ。ネパールでは海外旅行はまだまだ一大事であるらしく、周囲で行われている見送りが大げさだ。
搭乗便は13:30のバンコク行きタイ航空。待ち時間にロビーの売店で土産物、ついでに缶ビールを買ってルピーを消化する。タメル地区で買って飲み残したウィスキー小瓶を手荷物に入れてあったのだが、没収されてしまった(これが空港入場後に買った酒だったらどうなるのだろう?) 搭乗して自分の座席(36A:3列の窓側)まで進んだところ、窓寄りの2席を若いネパール人らしきペアが占めており、席が違うと英語で言っても通じない様子。間もなくCAがやってきてどかしてくれた。どうやら機の反対側の座席(36H、I辺り)と勘違いしていたらしい。
少々遅れたが無事に離陸し、バンコクへ。飛行場周辺だけで言うと、カトマンズは都市、バンコクは田園だ。
カトマンズ離陸
バンコク着陸
スワンナプーム国際空港で土産物を買い足す。関西国際空港に向かう2名とはここでお別れ。成田組は22:10便に乗り換えた。

■4/17(木)
日付が変わって、朝7時に成田国際空港着。
手許に残った140US$(10$しか使わなかった!)を円に戻す。結果的にナムチェバザールやカトマンズで現金を散財する暇もなく、両替屋を儲けさせるだけに終わってしまった。電車を乗り継いで帰宅。

【土産品】
○カトマンズ/タメル地区の店にて
・マグネット(エベレストB.C.からの眺望)2個、280ルピー
 300ルピーと言うのを控えめに値切ったが、もっと下げて2割引きくらいから交渉してもよかった。
・ミニタルチョ、価格失念(200~300ルピー?)
 10枚の旗にマントラ「オム・マ・ニ・ペメ・フム(Om・Ma・Ni・Padme・Hum)」が2連。
 以上、マグネット、タルチョは自室に貼(張)ってある。
・ハチミツ小瓶
・紅茶(小箱 5個セット)、750ルピー
・ヤクミルク石鹸、200ルピー
 家で消費した。スーっとした香りで泡立ちも良い。
○カトマンズ/ツアーで入った日本人贔屓の店にて
・粉コーヒー
・紅茶(ティーバッグ)、コーヒー(ドリップ):それぞれ数杯分のパッケージ
・コーヒー豆入りチョコレート 小袋2個
 試食したら美味しかったので、自宅用と贈呈用に。
○トリブバン空港(カトマンズ)の売店にて
・マグネット(ブッダ・アイ)
 自分のパソコンデスクに貼って、見守ってもらっている。
・ヤクチーズ、ドライフルーツ類、小袋でひとつ300ルピー程度
 ヤクチーズは「ハード」の名の通り非常に硬く、口の中で40~50分間転がしてようやく崩れる。不用意に噛み砕こうとすれば歯の方が欠けそうだ。
○スワンナプーム空港(バンコク)の売店にて
・フリーズドライ・ドリアン
 匂い(臭い?)で名高いドリアンを食べたことがないので買ってみた。水で戻してみたが、それほどクセがある訳でもない。戻さないでもいける。
・ドライフルーツミックス 2袋
 マンゴー、イチゴ、パインアップル、ポメロ(ザボン)。1袋は自宅でのおやつに消費。美味しい。
・Crispy Silkworm Pupae
 数種類並んでいた昆虫食シリーズから、蚕のサナギを選択。酒のツマミとしてサクサクと食した。

トレッキング中は食事が美味しくお代わりもしたし、高山病でグロッキーになっても食べることはできた。入院中はベッドに寝転がっているばかり、ツアーに戻ればステーキだ鍋だと締め括りの御馳走コース。絶対に体重を増やして帰ることになると思っていたのだが、帰宅して計ってみると出発前より微減だった。高所での行動は自分の感覚以上にエネルギーを消費するらしい。
帰宅後もしばらく咳が出たが、次第に解消した。
村落を繋ぐトレッキングは何やら懐かしいような気分で歩けた。一方、山は霞みがちで眺望はあまり良くなかったし、高度順応にも失敗した。まあ、ヘリでの下山、外国での入院はそれはそれで面白い経験だったが。ネパールは再訪して、クリアなヒマラヤの山々と対面してみたいと思う。

★★ 2025/3/30(日)~4/17(木) ヒマラヤトレッキング ★★
★★        完(付録あり)         ★★

2025/4/10(木)~4/13(日) ヒマラヤトレッキング(4)【高山病編】2025年04月10日 00:00


■4/10(木)
ロブチェ(4930m)のABOVE THE CLOUD LODGEのベッドで、夜半にふと目を覚ました。別段苦しくはないのだが、呼吸音に何か雑音が入る。息を吐く度(たび)に胸の中でプツプツといっているのだ。これは肺水腫では? 肺内部の気圧が下がると溜まった水に気泡が生ずるのではあるまいか。高山病へのいちばんの対応は高度を下げることで、今日からの下山行程で対処できれば良いのだが・・・と思いつつ、そのまま起床時間まで寝ていた。
朝の健康チェックでS水氏(添乗員)に申告すると、やはりヘリでカトマンズへ下りた方が良いということになった。途中ペリチェでM田・F氏(昨日、ゴラクシェプからヘリ搬送)をピックアップする。昨日までのトレッキング中、ルート上空を結構ヘリが行き交っていたが、自分がそれに乗ることになるとは思わなかった。
ヘリパッドはロッジから少し氷河に寄ったところに設けられている。7時前にヘリパッド近くに出て待機。曇り、8℃。
間もなくヘリが飛んできた。ロッジへの荷揚げ便のようで、荷を下ろした後に乗り込む。
緊急下山のヘリコプター
7:10に離陸し、ペリチェ(4240m)までわずか3分。氷河には融けた箇所もあるのが見えた。
融けた氷河
ペリチェでM田氏とガイドのダンバサールさんが乗り込み(M田氏は普通に動ける)、すぐに離陸。曇っていて視界は良くないが、景色はこれで見納めと、自分は後席左、M田氏は右で、それぞれにカメラを構えた。
アマダブラム(6814m)。
アマダブラム
Milinggo Kholaの奥、地図にHinku Himalとあるピーク群(最高点6070m)。
Hinku Himal
クスムカングール(6370m)(だと思う)。
クスムカングール(推測)
7:22、ルクラ(2827m)に着陸。ロブチェからトレッキングすれば途中3泊するところを12分で一飛びだ。ヘリポートはテンジン・ヒラリー空港の滑走路脇にある。
ルクラに着陸
乗継ぎのため、ヘリポートの待合室で暇潰し。通路の椅子の上下には卵やタマネギなどの物資が置かれている。お腹もすいたので、コーヒーコーナーでカフェラテとサンドイッチなど。雨が降り、それが止み、11時半過ぎにようやく飛ぶかと思えば今度はガス。何しろ有視界飛行なので仕方がない。12時過ぎにようやくフライトとなった。ダンバサールさんはここで今回の仕事は終了で、自分の村に帰るとのこと。
ルクラを12:10に離陸。ヘリは近代的で、自機位置をGPSで把握している。
ルクラから乗ったヘリ
飛行中、もうヒマラヤの高山は見えず、眼下の山肌には道路や集落といった人の営みがある。
カトマンズまでの景色
カトマンズまでの景色
13時、カトマンズ(トリブバン国際空港、1338m)は小雨だった。
ヘリを下りてクルマで滑走路を回り込むように移動すると救急車が待っていた。二人とも急病という訳ではないので救急車は意外だったが、M田氏は一応ベッドに、自分は座席に着いた。相変わらず渋滞のカトマンズ市街をノロノロと走って、13時半、Norvic International Hospitalに入った。
標高を下げただけで呼吸はすっかり楽になり、自分は病院で診断を受けたらホテル入りと思っていたのだが、入院は既定路線だったようだ。まず受入れの診察で、男性医が聴診器を当てて「高山を歩いたため。心配ない」といったことを英語で言う。ここで右手の甲に輸液用の口を付けられた(これがなかなか上手くいかず、二つ付けて一つ外したり、そこからの採血ができずに肘の内側から採ったり)。
輸液用の口
それから二人用の病室に案内された。ここで、西遊旅行の現地要員バンダーさん(「曲がる」の意味だと自己紹介)が今後のことを説明してくれる。また、西遊旅行社員(一仕事終えて明日帰国)のイトウさんが海外旅行保険の確認、説明に来てくれた。入院費やヘリ料金支払いのためカード残高を確認しておくように。もし不足ならば西遊旅行で建て替えるが、ネパールへの送金料として14%掛かる、とか。ヘリは、M田氏がゴラクシェプ~ペリチェ(ここまで支払い済)~ルクラ~カトマンズ、自分がロブチェ~ペリチェ~ルクラ~カトマンズで、割勘になるはず。
入院中はこの二人部屋で過ごすのかと思ったが、個室の割当ができたようで自分は509号、M田氏も近くの病室に移った。トイレは洋式の水洗(ボタンを押せば流れる。備え付けのペーパーも流せる)、シャワーもある。ナースに手の甲の輸液口をカバーしてもらい、久しぶりにシャワーを浴びてさっぱりした。TVはあるがネパール語のチャンネルばかりでニュース内容も分からない。室温は17℃以下に設定できず、夜中に暑かった。
病室

■4/11(金)
入院中はバンダーさんが折々に顔を出し、食事時にメニューから選んだものを注文する、医師の回診時に通訳する、など世話を焼いてくれた。
フレンチトーストで朝食。10時過ぎに瞬断(短い停電)が2回。ネパールの電力事情を垣間見るようだが、クリティカルでない病棟は停電もさほど気にしないのだろう。マネジメント担当と言う女性が来て一口ケーキのような菓子を置いていく。ネパールには健康保険制度が無く、病院もサービス業として競争が激しいのだろうか。
11時過ぎに輸液を交換し、これで4パック目。他には錠剤が2~3種類出ている。早めの昼食にダルバートを取ったところへ若い医師の回診があり、「It's not tasty,Ah?」などと始めて「咳は? よく眠れたか?」。「Goodだが、昨日診たドクターはそう考えていない」とも。
病院の食事(ダルバート)
午後に今度は年配医師(主治医?)の回診。バンダーさんとネパール語で話す間こちらは蚊帳の外だが、バンダーさんの説明で「明日(不確実)か明後日(確実)に退院」とのこと。M田氏は明後日退院だそうだ。
バンダーさんに「早く退院してホテルに移りたい」と話してあったのが病院に通じたのか、16時半にTNT(トレッドミルに乗って心電図を取る)を受けることになり、車椅子に乗せられて移動(病人は歩かせないことになっている?)。トレッドミルは初体験で、やはり肺がヘタっているのかスピードが上がると呼吸が追いつかなくなり止めてもらった。TNTの最中、にわか雨。
トレッキング中から軽い咳が続いていたが、TNTを受けた頃から回数が増え始めた。夜になると連続して咳き込んで苦しく、ナースが様子を見に来る程。深夜になってから、ぬるま湯を飲むとしばらく楽になることに気付き、それから少しは眠れた。

■4/12(土)
バンダーさんは今日からホテルを手配してくれていたようだが、咳が不安なので、病院でもう一晩過ごすことにする。午前中の若い医師の回診でも「明日退院」と告げられ、午後には咳止め錠とシロップが出た。輸液は昨日TNTを受ける際に抜いたままだ。
寝不足でボーっとしていたが、夕方になって復活。夜中は1~2時間ごとに白湯を飲んで咳を抑えた。

■4/13(日)
10時半、病院代の回収係が部屋に来て、60万ルピーちょうどをカード決済。食事代など半端な額はどうなった?
11時半に回診。「帰国したら心臓を診てもらえ」と言うのは、TNTの結果か、それともパルスオキシメーターで上手く数値を取れなかったりしたためか?
着替えて書類待ちしていると、13時にまた病院代係が来た。やはり端数があって、約3万7千ルピーを決済。細かい金額は退院寸前に確定という仕組みだろうか。
午前中の支払いからそれほど間を置かずに退院のつもりだったので、昼も食べていない。結局、もうしばらく待たされて診断書や領収書、薬、それに支払い済み証を受け取り、M田氏とともに退院。支払い済み証を提示しないと病院から出してもらえない。
バンダーさんが捕まえたタクシーでホテル・アンバサダーに入った。宿泊客以外はロビーから上に行けない(ただし、レストラン階には上れる)ので、バンダーさんはここで帰った。今晩は自分一人だが部屋はツインで、明日ツアー本隊と合流すれば、またT中氏と同室になる。
レストランで遅い昼食にありつき、部屋で一息ついてから、ホテルを出た。初めてのネパール単独行動にドキドキ。道路を横断する勇気はない(エベレスト街道トレッキングより通り一本の方が危険!)ので、ホテル前から歩道を左へ歩いてみる。細々した商店など並ぶ中に酒を扱う店を見つけ、缶ビールとチベットワイン(合計800ルピー)を買って戻った。
ビールとワイン

3泊4日の思わぬ入院。前半は高山病だったが、後半の咳も肺を痛めた結果だったろうか。診断書には「急性高山病、洞性徐脈」とある。
診断書
せっかく異国の地にいるのに自由に出歩けないのは悔しかった。コロナ禍以前ならともかく、今のご時世では病院内を歩き回る気にもならず、入院中にやったことと言えば、タブレット端末に入れておいた河口慧海『チベット旅行記』を読み進めたのと、尾瀬あきらのコミック『夏子の酒』を読破したことくらい。まあ、海外での入院というのも面白い経験だったと思うことにしよう。
入院したのは人生で2回目。そういえば前回は八ヶ岳で右手指に凍傷を負った時(⇒ 2009/1/11~3/27 凍傷日記)のことで、どちらも山絡みなのだった。

■4/10 ヘリ飛行ルート、データ 
 (ルート図はガーミンBasecampネパールトポ、グラフはカシミール3Dで作成) 
ヘリ飛行経路
ヘリ飛行グラフ


※地名表記や各地の標高については、地図や資料によりかなりの異同が見られる。本記事ではツアーの「旅のしおり」や帰国後に添乗員が作成、配布した旅日記の記載を優先し、それ以外に地図(ツアーで配布されたもの、またはNational Geographic版)やガーミンGPS用のトポ等を参照した。
実際のところ、山名は本文に書いたほど現地で判っている訳ではなく、帰宅後にカシミール3Dで現地風景を描画して確認している。

2025/4/5(土)~4/9(水) ヒマラヤトレッキング(3)【トレッキング後編】2025年04月05日 00:00

■4/5(土) タンボチェ~ソマレ~ディンボチェ
タンボチェのTREKKERS LODGEより、朝のカンテガ(Kangtega、6783m)、タムセルク(Thamserku、6618m)。
カンテガ、タムセルク
ヌプラ(Nupla、5885m)、コンデリ(Kongde Ri、6168m)。
ヌプラ、コンデリ
タブチェ(Tabuche、6495m)(だと思う)。
タブチェ(だと思う)
エベレスト(Everest、8848.86m)、ローツェ(Lhotse、8516m)。
エベレスト、ローツェ
ロッジの前で生木(ヒマラヤ杉?)を火にくべて煙をあげている。村を清めるサングという風習か。
朝の煙
7時半出発。晴れ、8℃。
緩やかに下って、8時過ぎにデボチェ(3820m)で小休止。
イムジャコーラ(コーラ:川)の吊橋を渡り、パンボチェ(3930m)でティータイム。洗濯場の向こうに聳えるのはタブチェか?
パンボチェの洗濯場
イムジャコーラに流れ込む谷も多く、この辺は水量豊富なのだろう、ソマレへの道中、道脇に所々水流やホースの水場があった。ネパール慣れしていない旅行者が口をつけることはできないが(ペットボトルの水は100~150ルピーでどこにでもあるので、安全な飲料水には不自由しない)。
ソマレの手前の細道でゾッキョの行列待ち。
ゾッキョの行列待ち
ソマレ(4010m)でランチ。いくつか見かけたパラボラアンテナは何を受信するのかと思ったが、よく見ると焦点位置にヤカンを置いた太陽熱湯沸かし器だ。
太陽熱湯沸かし器
これはヤク。見た目にゾッキョより毛深いが、実際のところ耐寒に優れ、高所に強い。気もいくらか荒いらしい。
ヤク
高原を行く。正面の山々はポカルデ(Pokalde、5693m)やナガルジャン(Nangkar Tshang、5616m)辺りで、霞んでいなければその右奥にヌプツェからエベレスト、ローツェが見えるはずなのだが。
高原を行く
石垣の家畜囲い。イムジャコーラも白い。
石垣の家畜囲い
風が強く肌寒いくらいの川沿いの道を歩き、ディンボチェ(4343m)に14:40到着。
本日の宿はMOONLIGHT LODGE(⇒ Googleマップ)。部屋には山の名前が付いており、自分らはLOBCHE PEAKだった。ここには今日明日と連泊するので、部屋にトイレ(洋式、手動水洗)のあるのがありがたい。Tシャツや小物を簡単に水洗いして中庭の物干し場に掛けたところで小雪が降ってきたので、持参の細引きを部屋のカーテンレールとドアの蝶番の間に張り渡して干し直した(高所で乾燥しているので室内で乾くと思ったのだが、翌日も生乾きで、出発時にそのままパッキングすることになった)。Wi-Fiは48時間1500ルピー(24時間なら1000ルピー)。たいていのロッジでプリペイド式のスクラッチカードを利用している。
洗濯物&WI-FIカード
夕食後、I濱・C氏のバースデイ・サプライズがあり、S水氏らが近所で買ってきたケーキを皆で頂く。水気を含む食感が(自分には)目新しかった。
今日は午後からガスで腹が張って苦しかった。年を取ってガス腹も日常よくあることとなったが、このトレッキング中は食事も美味しくむしろ快調だったのに、高度の影響などあるのだろうか? 夕食後にパンシロンを服(の)んだ。

■4/6(日) ディンボチェ~(往復)チュクン
本日はディンボチェをベースに高所順応トレッキング。人の住む最奥の地チュクン(4730m)を往復するか、ディンボチェに近い北側のナガルジャン(4600mまで上がるとゴンパが建つ)に登るかを選択できる。
起床時には曇っており、これでは景色が望めない上にチュクンまで川沿いの道は昨日と同様に寒いのではと気分はナガルジャンに傾いていた。が、次第に晴れてきて、スマホで見るウェザーニュースもネパール各地で好天だ。となればチュクンまで歩こう。出発時にチュクン組とナガルジャン組に分かれたところ、大部分はチュクン組になった。ナガルジャン組はサーダーが引率する。
8:10の出発時にはすっかり晴れた。
9時の休憩時点で14℃。暖まったのでウェアをウィンドブレーカーに替える。
下の写真、正面やや遠くはAma Dablam Glacier(Glacier=氷河)やChhukhung Glacierを隔てた山並み(最高点は6230m)で、地図に山名記載はないもののシェルパはカンレヤムウ(Kang Leyamu)と呼ぶという。右の黒いのはアンプギャブジェン(Amphu Gyabjen、5630m)。
チュクンへのトレッキング
T中氏とタブチェ。
T中氏とタブチェ
正面がアイランドピーク(Island Peak、6189m)、その左はピーク38(Peak 38、7591m)から高くなってローツェ(Lhotse、8516m)、ヌプツェ(Nuptse、7864m)の稜線へと続く。エベレストは稜線の向こうに隠れている。アイランドピーク右奥の三角はチョポル(Cho Pol、6735m)、カンレヤムウからアンプギャブジェン。
アイランドピークを中心に
近づくとカンレヤムウに刻まれたヒマラヤ襞が見えてきた。アマダブラム(6814m)はナムチェ辺から眺めるのと全く印象が違う。
カンレヤムウ~アマダブラム
11:20にチュクン(4730m)に入り、YAK LAND LODGE(⇒ Googleマップ)でランチ。食後で気温3℃、暖かなフリースを着込んだ。
数人でアイランドピークへのルートを少し行ってみることにする。登山隊しか通らない道はやはり物寂しく人の匂いが薄い。残念ながら雲が増えてきたが、日が射すといくらか暖かい。30分ほど進み、小高い場所(GPSによるとチュクンとの標高差90m)に上がった。カンレヤムウのヒマラヤ襞がいよいよ美しい。
カンレヤムウのヒマラヤ襞
ローツェからヌプツェの稜線は残念ながら雲の中。
ローツェ~ヌプツェ
最高所で記念撮影。すっかり顔がむくんでいる。バックはアマダブラムか?(霞んでいるうえに現地で山名をあまり気にしていなかった)。
最高所で記念撮影
チュクンからの帰路は曇って風が強く、寒かった。ディンボチェ近くなってから吐き気を催したが、道から少し外れて立ち止まり、息をついて落ち着かせる。15:10、ロッジに帰着。
夕食前にまたもや吐き気を覚えたが、トイレでの空えずきで治まった。軽い頭痛があったがそれも回復し、食事は普通に摂れた。念のためダイアモックスを服用して就寝。

■4/7(月) ディンボチェ~トゥクラ~ロブチェ
上天気なので、出発前に朝日に照らされた山々をカメラに収めた。
ヌプツェの稜線からローツェ(8516m)。
ヌプツェの稜線からローツェ
アマダブラム(6814m)。
アマダブラム
カンテガ(6783m)とタムセルク(6618m)。
カンテガとタムセルク
タブチェ(6495m)とチョラツェ(Cholatse、6335m、右の白い山)。
タブチェとチョルツェ
8時に出発。
トゥクラに向かってストゥーパまでひと登り。8時半、18℃と暖かい。ここから西側の谷の奥は昨日より澄んで見える。中央アイランドピークの右がチョポル、さらに右に追って遠く薄いのはツアー中これが見納めとなるマカルー(Makalu、8463m)。
アイランドピークからマカルー
進行方向は、左の白いのがチョラツェ、そしてアラカムツェ(Arakam Tse、6423m)、中央にチョロ(Cholo、6043m)、遠く白いのはチョ・オユー(Cho Oyu、8201m)か? 右に高いのがロブチェ(Lobuche、6119m)。
チョルツェからロブチェ
カンテガ、タムセルクの右に遠くカリョルン(Karyolung、6511m)が姿を現す。
カリョルン
タブチェをバックに記念撮影。
タブチェをバックに
荒涼とした高原を行く。放棄された放牧小屋(?)のバックはタブチェ。
放牧小屋とタブチェ
進んで行って振り返れば、アマダブラムからピーク41(Peak 41、6648m)、メラピーク(Mera Peak、6476m)を挟んでカンテガ。
アマダブラム~カンテガ
行く手に高いのはロブチェ、右の斑(まだら)に白いのがプモリ(Pumo Ri、7165m)。
ロブチェ~プモリ
11時半にトゥクラ(4620m)着。ランチにナク(雌のヤク)チーズが付いた。
トゥクラでのランチ
ランチ休憩50分で出発。午後になると曇ってやや風も吹き、寒くなってきた。
午後は寒い
高度を上げていき、登山家の慰霊碑が立ち並ぶThokla Pass(Pass=峠、4830m)で休憩。ヤクも通る。
Thokla Passで休憩
Thokla Passのヤク
14:40、ロブチェ(4930m)着。宿はABOVE THE CLOUD LODGE(⇒ Googleマップ)。充電料はスマホ500ルピー、高所で電力事情が厳しいのか、大容量のバッテリーは不可。Wi-Fiは1000ルピー。部屋の電灯が点かない(断線?)というアクシデントがあったが、ヘッドランプを持っているので無問題。
夕方小雪になり、その後晴れた。今は乾季といっても、夕方に少し崩れるという天候パターンだろうか。
夜中トイレに起き、ベッドに戻るとハァハァと息が切れる。やや寒いのでシュラフを拡げて掛け布団に載せた。外では一晩中犬が吠えていた。

■4/8(火) ロブチェ~ゴラクシェプ~(往復)エベレストB.C.
本日はツアー中の最終宿泊地となるゴラクシェプまで上がる。そこに連泊する二日間のメニューがエベレストB.C.(ベースキャンプ)往復とカラパタール登頂で、順序は任意。明日の方が天気が好いとの予報から、眺望の期待できるカラパタールを明日とし、本日はエベレストB.C.に決まった。
起床時には窓が凍り付いていた。7時半の出発時は晴れ、4℃。軒から雪解け水が滴り落ちる。
ロッジの朝
Khumbu Glacierの右岸を行く。道は白いが、アイゼンを着けるようなことはない。
行く手は中国との国境を成すプモリ(7165m)、リントレン(Lingtren、6713m)、クンブツェ(Khumbtse、6639m)。
氷河右岸を行く
9:20、Lobuche pass(5110m)からの眺め。ヌプツェ(エベレストを隠している)~コンマツェ(Kongma Tse、5820m)。
ヌプツェ~コンマツェ
左端コンマツェ、奥に尖っているアマダブラム、その右のギザギザはポカルデ(Pokalde、5693m)、手前の山があって奥がカンテガとタムセルク、右端はタブチェ。
コンマツェ~タブチェ
Khumbu Glacierを見下ろして。
クンブ氷河を見下ろす
ここまで上天気だったが、11時過ぎ、背後に雲が湧いてきた。気温10℃。
11:40、ゴラクシェプ(5170m)に到着し、HIMALAYA LODGE(⇒ Googleマップ)に入った。中庭に置かれた像は17世紀のインドのマハラジャ、shri shivaji raje bhosale。
ゴラクシェプ・ヒマラヤロッジ
ランチの後、エベレストB.C.を往復する7名が集合、添乗員S水氏とガイドを加え12:45に出発。雲が広がってくる中、氷河の奥へ向けて歩く。
氷河の奥へ向けて
と、ライチョウが姿を見せた。正確にはチベットセッケイなのだが、やはり天気が悪いと出てくるのか。時折雪もちらつく。
ライチョウ
傾斜はおおむね緩やかなのだが、少し急になると酷く息が切れ、ポールにすがって休む有様。いくら高所とは言え、これはおかしい。大岩のガラガラとした場所での休憩時に急に催したのも、不調の一環だったかもしれない。そこの岩陰はまさしくトイレ場になっており、古い紙が落ちていた(自分はロッジまで持ち帰った)。
やがて眼下の氷河に立ち並ぶテントが見えた。
エベレストBCが見えた
15時、エベレストB.C.(5350m)に到着。と言っても、ずいぶん奥まで広がっているテント群の、我々は入口まで。今はエベレストの春の登山シーズン(4~6月、5月になると天候安定)の始めで、これらのテントの多くは登山隊のものだろうか。名高いアイスフォールは奥にあるのだろうが、あまり視界が利かない。
エベレストBC
エベレストBCが見えた
大岩に上がるなどして記念撮影。キャンプ周辺に30分ほど滞在した。
エベレストBCにて
エベレストBCにて
帰路での休憩時(16:10)で気温6℃、小雪。17時過ぎにロッジに帰着したが、ティータイムで椅子に掛けても疲労困憊の態だった。高所に加えて乾燥のためか、咳も出る。
ロッジは大混雑で、Wi-Fiも満杯らしく販売停止。夕食を摂っておとなしくベッドに入った。

■4/9(水) ゴラクシェプ~ロブチェ
3時半起床。息切れは完全には治まらず、咳も続く。紅茶にビスケットという優雅な朝だが、混雑のためかいつもの洗面器は出ない。
昨日の様子と今朝の体調から、自分はカラパタール(5545m)に上がるのは無理と判断した。ガイドが一人ついて、体調の良くない他の二人--Y本・K氏(ほとんど食事できていない)、M田・F氏(ここまでの行程で非常に消耗)--と共に一足先にゆっくりとロブチェに下りることに決定。装備の軽アイゼンが必要(かもしれない)のはカラパタールへの道だけで、自分は今回調達した新品を使い損ねた。
カラパタール組と共通の行動食(お結び)を持ち、8時過ぎに出発。晴れ。
しかし、30分程行ったところでM田氏が歩けなくなった。馬を手配しようかというところへS水氏が追いつき、M田氏を連れて戻っていった。
道は緩やかな下りなので、Y本氏と自分は適宜に休憩をとりつつ無事に歩いて、11時半前にロブチェ(4930m)に到着した。
宿はふたたびABOVE THE CLOUD LODGE。無事に登頂を果たしたカラパタール組も下りてきて、14時には皆でお茶となった。山頂からはしっかりエベレストも見えたとのこと。自分もくっきりとしたエベレストを拝みたかったが、健康を保っていればまた機会もあるだろう。
M田氏については、カラパタール組との合流時に「ゴラクシェプからペリチェまでヘリ搬送して入院」と聞いたが、その後、「ペリチェでの診断の結果カトマンズまでヘリで下ろすことになった」とのこと。

■4/5~4/9 トレッキングルート
トレッキング後半ルート
   ※ベースの地図はツアーで配布されたものを画像化
     (分割スキャン後に結合したため、一部にズレ)
   ※GPSトラック(赤線)が道とずれているのは、地図画像化の際の歪みのため。

ヒマラヤトレッキング(4)【高山病編】へ続く。

※地名表記や各地の標高については、地図や資料によりかなりの異同が見られる。本記事ではツアーの「旅のしおり」や帰国後に添乗員が作成、配布した旅日記の記載を優先し、それ以外にトレッキング用地図(ツアーで配布されたもの、またはNational Geographic版)やガーミンGPS用のトポ等を参照した。
実際のところ、山名は本文に書いたほど現地で判っている訳ではなく、帰宅後にカシミール3Dで現地風景を描画して確認している。

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