2024/4/11(木)~4/12(金) ほったらかしキャンプ & 山梨のオオカミ狛犬 & 北沢大石棒2024年04月11日 00:00

ほったらかし温泉に行ってみたい。日帰りツーリングでは忙しいので、桜を期待できる時期の平日を狙って、隣接するほったらかしキャンプ場のソロキャン向け<ぼっちサイト>を数日前に予約した。
ツーリングで回るところとしては、オオカミ護符のある金櫻神社を手始めに、青柳健二『オオカミは大神 弐』にリストアップされている寺社からピックアップ。金櫻神社のついでに昇仙峡ロープウェイを使って、NHK「にっぽん百低山」に取り上げられていた弥三郎岳(羅漢寺山)の酒の神様を拝んでおこう。こうしてルートを組んでみると、以前から気になっていた長野の北沢大石棒まで行けそうだ。
天気予報はうまい具合に上向いて晴れ~曇りとなったので、予定通りにrebelを乗り出した。

■4/11(木)
ジャケットは冬から引き続きだが、下はジーパン、グローブは夏用という出で立ちで、8時半に出発、雁坂トンネルを使って山梨に入る。標高を上げると風がやや強くて寒かったが、それ以外の時間は快適に走れた。

金櫻神社に12時到着、駐車場は参道階段前を通過して拝殿傍らまで上がる。参拝の後、金峰山・富士山遥拝所まで登ると、金峰山の五丈岩が見える一方、富士山は春霞のためかぼんやり。
金峰山遥拝
神社建物の周囲の桜はきれいに咲いているが、御神木の金櫻はまだ蕾だった。
金櫻神社
狼の護符は2種類(各500円)あって、両方を頂いた。神社HPに「日本武尊が御東征の砌金峯山の上のこの社に詣でられ」とある。やはりオオカミとヤマトタケルはペアなのだ。
金櫻神社の狼護符

金櫻神社の正面階段を下りると夫婦木神社が間近だったので、そのまま行ってみた。石垣の上のケヤキに注連縄が巻かれ、「自然にできた女性の象徴 雄大な男根は奥殿に」と看板にある。
夫婦木神社のケヤキ
なるほど樹木に現れた陰陽の形象で夫婦木か、と拝殿へ進むと由緒書きに「周圍十米餘、直徑三米餘、樹体の中心空洞にして男女両性をあらわし夫婦和合の形をなす」。御神体である夫婦木(拝観時に貰った紙には「みょうとぎ」とルビがある)は伐り取られた巨木で、空洞の内側へ気根のように下りている枝が男根そのもの。確かに夫婦和合の形だ。受付の女性(巫女の身なりではなかった)の説明によると、日光を求めてウロの中に枝が伸びたという。昭和33年まで自然のまま山中にあって民間の崇拝対象になっていたが、天然記念物の指定が解除されてここに移されたのだとか。拝観料(300円)を支払う価値のある自然の造形だが、当然ながら写真撮影は禁止だ。

○弥三郎岳(羅漢寺山)
バイクで昇仙峡ロープウェイへ移動。往復乗車券(1300円)を買って13:40便でパノラマ台駅へ上がった。
昇仙峡ロープウェイ乗車券
弥三郎岳には15分程で登頂できる。頂上部は岩山で、岩に刻まれた階段に覆いかぶさる松を身をかがめて潜り抜けると、甲斐駒ヶ岳~鳳凰三山の眺めが良い。そこからもう一段上に1058.3m三等三角点がある。
弥三郎岳
山頂手前に酒の神様・弥三郎権現が祀られており、文字の消えかけた由緒書きには次のようにある。
<その昔、甲斐国、御岳(みたけ)(今の昇仙峡)にある名刹羅漢寺に弥三郎という酒造りの名人が寺男として住んでいました。この弥三郎は、武田家の勝ち戦の祝い酒などを造り、大変重宝がられておりました。が、この弥三郎は大の酒飲みで失敗が多く、その非を住職にいさめられ、一斗の酒を最後に禁酒を誓い、その夜、この頂上より天狗になって消えてしまったと伝えられ、いつの頃からか、ここは弥三郎岳と呼ばれ、弥三郎権現としてこの頂上の南側絶壁の岩穴に、現在も酒の神として本殿が祀られております。>
これからも旨い酒が飲めるようお願いした。
弥三郎権現
ロープウェイ駅に戻り、和合権現を拝む。これまた見事な和合ぶりのご神木が、富士山の強い気を受けて強力なパワーを有している、と。昭和39年にここに移されるまで、夫婦木神社の御神体とは別に山中で崇拝を受けていたのだろうか。こんな造形が二つも自然に生まれるとは、不思議なことだ。
和合権現
富士山遥拝所から薄ぼんやりした富士山を眺め、14:40便で仙娥滝駅に降りた。

ロープウェイ駅から歩き。夫婦木神社姫ノ宮に参拝した後、仙娥滝へ。地殻変動による断層によって生じたという、なるほど岩の割れ目をさらに削り広げるように落ちる、美しい滝だ。
仙娥滝

来た道を戻ってフルーツラインに入り、ほったらかしキャンプ場に16時過ぎ到着。受付で宿泊料3500円を支払い、ぼっちサイトへ乗り入れる。本当のキャンプ客はこの時間にはもう落ち着いており選ぶほどの空きは無かったので、目に付いた中段の真ん中(区画No.16)へ停めた。自分は登山用のソロテントでチェアさえ用意していないが、周囲はキャンプ用のテントやタープを張り、焚火を楽しんでいる。富士山は相変わらずぼんやりだが、ともかく眺めは良好。
ほったらかしキャンプ場から富士山
ほったらかしキャンプ場
寝場所を確保してからほったらかし温泉へ。こっちの湯はすでに最終受付の16時を過ぎており、選択の余地なくあっちの湯に入る(入浴料900円+ロッカー100円)。
ほったらかし温泉
湯舟に浸かって右寄りに富士山、左方に大菩薩連嶺と眺めは雄大。写真撮影はできないので、カシミール3Dによる景観図を載せておこう。
ほったらかし温泉からの眺望
自販機で缶ビールを買ってテントに戻り、食事の用意。米1合と混ぜてメスティンで炊くだけというスパイシー炊き込みご飯風なのだが、米だけを炊くより火力が必要だったらしく、固形燃料を追加投入した挙句に芯の残った雑炊になってしまった。ビールの他に持参した黒糖焼酎をお湯割りで飲んで就寝。

■4/12(金)
賞味期限切れのインスタントラーメンで朝食。キャンプ客がのんびりしている中、7:20に出発。
グーグルマップの経路案内に従って甲府市街地に入ると、道路混雑のため遅々として進まない。通勤通学時間帯に甲府の中心地・丸の内を通り抜けるのが、本当に最短だったのか?
ようやく市街地を抜け出して快適に走っていると、集落の中で左折し損なった。が、経路案内はそのまま前進を示すのでこの先で左折するのかと思っていると、何のことはない、どん詰まりのゴルフ場で折り返せというのだった。グーグルマップは案内ルートを広く見通せないのが欠点だ。

 山梨県韮崎市穂坂町上今井2234 ⇒ グーグルマップ
 青柳健二氏ブログ「一心一写」 ⇒ https://asiaphotonet.cocolog-nifty.com/blog/2020/10/post-c4d125.html
9時、グーグルには神社間近から登りの細道に入るよう案内されたが、バイクで行けるのか怪しいので、路肩に駐車して歩く。土道の先に現れたのは参集殿で、続けて神楽殿もあり、思ったより立派な神社だ。その奥の鳥居が、自然木を組んだ、ちょっと息を呑むようなもの。神域への入口に相応しいが、異界へと誘われる心地もする。
山神社
拝殿には大下駄が置かれ、その間から木を四角く組んだ「御腰掛」を拝む形になっている。御腰掛の上の斜面に鉄剣が建っているが、おそらく山自体が礼拝の対象で、御腰掛に神が寄り付く(腰掛ける)のだろう。
山神社 拝殿
狛犬は御腰掛の左右を守っている。頭上の角(宝珠?)やたてがみの表現、巻いている尾など、あまりオオカミらしくないが、青柳氏は『オオカミは大神 弐』で「山神社に奉納されているので、山の神の眷属、狼なのだろう」としている。台座には「文化十酉年四月吉日」とある。1813年だ。
山神社 狛犬
山神社の狛犬
拝殿横に置かれているパネルのような物は何かと思ったら、巨大な天狗面の裏側だった。別棟に保管された鬼瓦に「葉っぱをかたどった物は天狗の持ち物です」と説明書きがあり、すると大下駄も天狗の履物なのだろう。
入ってきたのは拝殿の左側からだったので、正面の石段を下りた。道路に面した石灯籠には「文化三年」とある。参集殿傍らの由来碑は「文武天皇御宇慶雲元甲辰年」(704)や「聖武天皇の御代神亀元甲子年」(724)から説き起こしており、とにかく古い。天狗はともかく、山そのものを祀る形や素朴な鳥居など、祭祀の原初を窺わせる興味深い神社だった。

○神明山法泉院
 山梨県韮崎市穂坂町5481 ⇒ グーグルマップ
 青柳健二氏ブログ「一心一写」 ⇒ 
https://asiaphotonet.cocolog-nifty.com/blog/2020/10/post-9e7a11.html
10分足らずの走行で法泉院に到着。川沿いの集落の最奥で、門前をその名も権現沢川の流れる風情はなかなか良い。山門を潜り本堂の門構えに向かって右側、石段横にお地蔵様などと並んで小さなオオカミ像が三体並んでいる。一つは顔が欠けてしまっているが、素朴な彫りで可愛らしい姿は、大嶽神社の宝暦九(1759)年の狛犬(⇒ 2010/11/21 奥多摩・大岳山~御岳山)を連想させる。
法泉院のオオカミ狛犬
法泉院のオオカミ狛犬

 山梨県韮崎市中田町小田川1259 ⇒ グーグルマップ
 青柳健二氏ブログ「一心一写」 ⇒ https://asiaphotonet.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-6294b6.html
次は国道141号に出て、柳原神社へ。
国道脇に看板を見るがプレハブのみで神社らしき建物は無く、グーグルに従ってその先の細道に入る。が、神社はやはり看板の場所で、一回りして駐車。社殿の移設中らしく、神社はプレハブに納まり、石仏や灯篭などの石造物は整地された一角にまとめて置かれていた。
柳原神社
互い違いを向いた狛犬越しに鳳凰三山が美しい。
柳原神社の狛犬
狛犬の顔やたてがみの造形は山神社のものとよく似ており、青柳氏も言うように同じ石工の手になるものかもしれない。年代は不明だが、傍に置かれた手水鉢の年号は「文化乙亥」と読めそうで、それが正しければ文化十二=1815年であり、狛犬も同じ頃と考えて良さそうだ(台座に「女歳寅」あるいは「九歳寅」とあるが、年号には結びつきそうにない)。
柳原神社の狛犬
柳原神社の狛犬

○常牧山浄居寺(じょうぼくざんじょうこじ)
 山梨県北杜市明野町浅尾新田132 ⇒ グーグルマップ
 青柳健二氏ブログ「一心一写」 ⇒ https://asiaphotonet.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-4846f0.html
「この先寺で行き止まり」と看板のある道を入って行く。寺の庭は枝垂桜などが満開で、今回、花の美しさではここが一番だった。軒下ではつがいの燕が巣作りの真っ最中だ。
浄居寺
目当ての狛犬は本堂裏の庭園から堀を隔てた斜面に、「お稲荷様」として石祠の前に一体、その下に三体が並んでいた。橋を渡り墓地の前を横切って祠に近づく。
浄居寺の「お稲荷様」
どれも黒っぽい石材で、表面のザラツキは彫りのタッチか、それとも風化の結果か? 祠前の一体は目鼻立ちは判然としないものの、今回見た中では法泉院のオオカミに近い造形が感じられる。しかし、尾が上を向いて立っている点はキツネ的だ。
浄居寺の「お稲荷様」(祠前)
並んだ三兄弟の方は脚と胴の間が掘り抜かれておらず、表面はさらに荒く、一層古拙な印象。形からすれば奥多摩のオキノ十二天(⇒ 2015/9/22 奥多摩・日蔭指尾根~十二天尾根)や栃寄の山ノ神(⇒ 2023/4/11 奥多摩・栃寄の山ノ神~オオカミ狛犬探訪)に似ている。
浄居寺の「お稲荷様」(三兄弟)
これらの「お稲荷様」像はどれもオオカミとは断定できないが、自分的にはオオカミ狛犬として認定したい。

11時過ぎに浄居寺を出発、次はずっと北上する。途中、塩川ダムのみずがき湖ビジターセンターがあったので昼食にしようと立ち寄ったのだが、金曜は営業していなかった(今の時期だけ?)。

 山梨県北杜市須玉町小尾3805 ⇒ グーグルマップ
 青柳健二氏ブログ「一心一写」 ⇒ https://asiaphotonet.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/post-7b48.html
昼前に神部神社に到着。説明看板には県指定有形文化財の本殿は1613年建立、神社の創建は701年、「延喜式」に載るとあり、つまり式内社ということだ。山神社ともども長い歴史を刻んでいる。
神部神社
オオカミ狛犬は拝殿の階段の左右に控えていた。ころんとした体形で、青柳氏は「子犬のような」と表現している。目鼻は線彫りで、左右とも口を閉じているように見えるが、向かって右が阿形のはず。こちらは股に一物がある。秩父の宝登山では左の吽形が雄だった(⇒ 2016/7/18 金鑚神社~宝登山)が、阿吽と雌雄の組み合わせは自由なのだろうか。
神部神社の狛犬
神部神社の狛犬

神部神社を出て信州峠へ向かう。瑞牆山のちょうど西に当たる黒森の集落辺りから、険しい山容が眺められた(下の写真はドライブレコーダーの動画から切り出し)。
走行中に瑞牆山を望む
峠を越えて長野に入り、やがて小海線と並行して走る。コンビニのサンドイッチで昼食にし、北沢大石棒の案内板を見て細道へ折れた。

○北沢大石棒
 長野県南佐久郡佐久穂町高野町1421 ⇒ グーグルマップ
 奈良文化財研究所/全国遺跡報告総覧 ⇒ https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/71741
ところが、次の案内板には「北沢大石棒は、保存作業を行うため、茂来館にて展示」との貼り紙が。ともかく元々の場所を見ておこうと、そこから土道に入って駐車した。すると中年男性がやってきて「大石棒ですか?」 石棒の立っていた場所(写真の矢印の小屋辺り)は工事中で今は看板が倒れているだけだが、レプリカを立てる計画があるなどの話をしてくれた。もしかすると、地主=石棒の所有者だったのかもしれない。
北沢大石棒の現地
北沢大石棒の現地
ここまで来て石棒を見ずに帰れるものかと、花の郷・茂来館へ。石棒は入口からすぐにレプリカともども展示してあった。付近の遺跡との関連や、一緒に出土した自然石(現地の看板の傍にあった大石か?)との関係の有無など、謎が多いと説明書きにある。実物はケース入りで触れられないのが残念だが、その代り、屋外に立っていては見えない頂部や底部を観察できた。
北沢大石棒
北沢大石棒
佐久穂町では石棒の保護・活用のための寄付を募っている(⇒ https://www.town.sakuho.nagano.jp/kurashi/bunka/bunka/shogaigakushuka_3248.html)。

見るべきものを見て14時。帰りは高速道を使い、渋滞にも遭わずに済んで16時に帰宅した。二日間の走行距離約420km。

2023/11/27(月) 赤城神社、高津戸峡2023年11月27日 00:00

天気も好いし、比較的暖かなので、rebelを走らせた。
目的地は紅葉が見頃らしい高津戸峡(群馬県みどり市大間々町)。ついでに、赤城神社の神代文字の碑を再訪しよう。

10時半過ぎに家を出て、下道で三夜沢町の赤城神社に12時半到着。
ここには、2005年に赤城山登山の際に立ち寄ったのだった(https://marukoba.asablo.jp/blog/2005/05/28/9533474)。神代文字の碑は「宮城村指定重要文化財」だったのが、「前橋市」のものになっていた。教育委員会が神代文字なんてオカルトを持ち上げていいのかという気もするが、これは文字ではなく「復古神道の遺物」としての碑を取り上げているのだな。
神代文字の碑
神社は今、秋の御鎮祭で、拝殿まで進めなかった。
鳥居前の案内板に「磐座信仰の痕跡」とあった櫃石を見ておこうかとGoogleの経路案内に従って大胡赤城線(県道16号)に乗り入れたが、最寄り地点まで上がっても案内も何もない。神社から登山するつもりでないと行きつけないようだ(⇒ 赤城山をあそぼう!/「櫃石」への行き方)。

高津戸峡は渡良瀬川の左岸、高津戸橋とはねたき橋の間に設けられた450mあまりの遊歩道。紅葉・黄葉する樹木がそれほどたくさんある訳ではなく、渓谷一面紅葉というものではなかった。両端の橋近くにきれいに色付いた樹がある。
高津戸峡
はねたき橋側の紅葉
バイクは停めたままにして、1km弱離れた焼まんじゅう美濃屋まで歩く。焼まんじゅうを3串買い、その場で焼き立てを1串食べ、残りを土産にした。

冬用ジャケットにオーバーズボンを着けると、走行中は快適だが、高津戸峡を歩いて汗をかいた。走行距離約140km。

2023/11/23(木・祝) 田子山富士塚、御嶽神社、西堀氷川神社2023年11月23日 14:00

富士塚とオオカミ信仰を訪ねて、志木~さいたまへrebelを走らせた。今日は10月並みの暖かさということで、春秋向けのジャケットの下にウィンドブレーカー、下半身はジーンズで寒くない。走行距離約74km。

まず、志木市の田子山富士塚へ。
  グーグルマップ ⇒ https://maps.app.goo.gl/QCvUCtw1rjdYPjNB7
大安と友引には登山できるので友引の今日を選んだのだが、行ってみると富士塚のある敷島神社はお祭りなのか七五三の行事なのか、巫女装束の女の子たちが並んで何やら奉納しているところだった。
敷島神社
富士塚は明治5年に完成したもので、たいへん立派。神社側から見上げるのとは反対側に登山道があり、石造物が多い。
田子山富士塚
御胎内まで掘られている。
田子山富士塚の御胎内

  グーグルマップ ⇒ https://maps.app.goo.gl/Cnb9GNFXBCnJD4Em7
境内に目立つツルは、HPに「神使 天神雷鳥大神」とある(ライチョウではないよな)。
御嶽神社
オオカミは金ぴかの社殿の上の方に、武蔵御嶽神社のお札ふうのものが。
御嶽神社
オオカミ像
境内の霊神社にはお馴染み普寛霊神も祀られていた。普寛行者その人がここで修行し、現在も行者像を社宝としているとHPにある。

もう一つ、西堀氷川神社へ。
  グーグルマップ ⇒ https://maps.app.goo.gl/xtJGutv4cKWyNjwS6
境内社が目当てなのだが、氷川神社の狛犬(寛政11年=1799)もなかなか良い。
西堀氷川神社の狛犬
境内社の(たぶん)御嶽神社には武蔵御嶽神社のお札。
西堀氷川神社の御嶽神社
三峯神社には狛オオカミが2対と、神像は日本武尊であろう。
西堀氷川神社の三峯神社
日本武尊像
鳥居側のオオカミ像は昭和59(1984年)。
オオカミ像
祠前のものも同じ頃だろう。
三峯神社

2023/10/28(土)~10/29(日) 千葉ツーリング/チバニアン&オオカミ狛犬探訪2023年10月28日 00:00

仕事時代の仲間、T田・Y氏とは、一度千葉で飲みましょうと以前から言っていた。延び延びになっていたが、この土日は天気予報も悪くないことであるし、ツーリングに出ることにした。
行き帰りに立ち寄るスポットとして、GSSP(国際境界模式地)・チバニアンの他、「千葉県 狼信仰」で検索した神社のいくつかと、前回(https://marukoba.asablo.jp/blog/2023/04/14/9577282)は最後にやや駆け足になった国立歴史民俗博物館をピックアップした。

■10/28(土)
朝のうち大気不安定で雷まで鳴っていたのが落ち着くのを待って、9時に出発。時間節約のため高速道を使ったが、海ほたるの手前がノロノロで閉口した。

木更津東ICで高速を降り、木更津市真里の三峯神社に11時半到着。
  グーグルマップ ⇒ https://maps.app.goo.gl/wN3xk4Y6ETFiUybPA
社殿の前に「三峯講社碑」と「講祠再建記念」碑が建つ。前者は裏面に「此講社ハ明治廿二年ニ・・・」とあり、後者は平成25年の建立。社殿の中には三峯神社のお札を中にしてオオカミの木像が祠を護っていた。祠にはおそらく御眷属守が収められているのだろう。オオカミ像の年代は不明だが、スッキリした造形に鋭い牙や眼光が表現されて、良い造りだ。お札には「真理講社御中」とあり、この地区の三峯講が現在も活動していることが窺われる。
木更津市真里の三峯神社
木更津市真里の三峯神社
この三峯神社の隣にも中に祠を収めた建屋がある。その傍らの碑は台座に「是より西」などとあり、境界標のようなものか。年号は「正徳五 乙未」(1715年)と読めそうだ。
木更津市真里 境界標?

移動途中に道端の蕎麦屋で昼食にし、チバニアンビジターセンターに13時。
養老川の河原にある露頭はビジターセンターから道を下って徒歩5分ほど。この道は、GSSP選定を争ったイタリアとの「学術文化友好の小路」になっている。露頭にはガイドの小父さんがいて説明してくれた。ゴールデンスパイクの打ってある窪んだ線が白尾(びゃくび)火山灰層で、前期更新世と中期の境界。77万4千年前~12万9千年前が中期更新世=チバニアンとなる。崖にはサンプルを採取した穴が何か所もあり、そこに刺してある杭は緑が正磁極期、赤が逆磁極期で、中間の黄が磁極がフラフラと移動していた時期とのこと。正逆の定まらない期間が思ったより長い。
チバニアン露頭

次はずっと北上して千葉駅を通り越し、検見川の三峯神社へ。16時近くで日が傾いてきた。
  グーグルマップ ⇒ 
https://maps.app.goo.gl/mtjiKsWaCMp2n43R6
  写真家・青柳健二氏のブログ ⇒ https://asiaphotonet.cocolog-nifty.com/blog/2019/10/post-6004be.html
階段を上がった鳥居の手前に控える狛犬の台座には「御眷属及び鳥居の篆額修復 平成五年」とある(青柳氏ブログによれば奉納は昭和12年9月)。
検見川の三峯神社 オオカミ像
本殿前の一対は台座に「大正八年」(1919年)とあって割合に古いものだが、銀色にペイントされていて何ともはや。グーグルマップに掲載された写真には口内や目をさらに派手に塗ったものもあり、何度も塗り重ねているのかもしれない。それもまた現在まで崇敬されている証なのかもしれないが。
検見川の三峯神社
検見川の三峯神社 銀色オオカミ

バイクを置いて歩き、ほど近い三峯神社、古峰神社、秋葉神社へ。
  グーグルマップ ⇒ https://maps.app.goo.gl/g788Rq4D7M1JpAYr9
壇上にそれぞれの祠が並んでおり、中央のやや大きい三峯神社には「講社安全 検見川三丁目講社御中」と記したお札が納めてあった。檀の手前の石像(一体のみ)は劣化が著しいが、獅子の狛犬に見える。
三峯神社、古峰神社、秋葉神社
三峯神社、古峰神社、秋葉神社 狛犬?

ついでにもう一つの三峯神社まで、さらに歩く。
  グーグルマップ ⇒ https://maps.app.goo.gl/RD6JE2hNZfhrvRoA9
ここは狛犬無し。社殿の中の祠に御眷属守と「講社安全 検見川二丁目講社御中」と記したお札。丁目毎に講があるのか?
検見川の三峯神社
もう一つの覆い屋は弁天様かしらん。やさしいお顔だ。
検見川の三峯神社 弁天様?

今日のオオカミ信仰探訪はここまでにして、予約しておいたカプセルホテル ザ・インへ向かう。駐車スペースは日本二輪車普及安全協会駐車場・駐輪場案内で徒歩5分ほどの場所に見つけておいた。
T田氏がホテル前まで来てくれて、千葉中央駅の反対側の赤ちょうちん千葉店へ。T田氏が若い頃から親しくしている先輩のS々木氏と3人で楽しく飲んだ(T田氏自身はソフトドリンクなのだが)。

■10/29(日)
7時にチェックアウト。
民博が開くまで時間があるので、まず、ライダーズ神社としても知られる八街神社に参拝。今日はお祭りなのか、幟の棹を立てているところだった。
八街神社

まだ時間があるので、手近なところを検索して、芝山古墳・はにわ博物館へ。着いたのは9時前で少し早いのだが、博物館に本日一番乗り。表情豊かな武人像、犬、はいもとろう人など面白い。大型埴輪の馬を先頭とする行列は、これが築造当時の古墳に飾られていた様子を彷彿とさせる。外の芝山公園にある古墳模型は正しくそれを意図している訳だ。
芝山古墳・はにわ博物館
芝山古墳・はにわ博物館

民博へ向かっていると雲行きが怪しくなり、ついに雨が落ちてきた。移動するうちに止まないかとの期待も空しく次第に本降りになってくるが、あと10分で到着・・・と走り続け、本格的に濡れてしまう前になんとか民博の屋根付き駐輪場に停められた。
入館してみると、企画展「陰陽師とは何者か」を開催中で、それ目当てなのか思ったより人が入っている。せっかくなので、企画展込みの入館料1000円を支払った。
企画展の内容は、「陰陽師のあしあと」(律令制の中での位置付けから民俗への拡散まで)、「安倍晴明のものがたり」、「暦とその文化」の三部構成。パンフレットに曰く「陰陽道は天体観測をはじめとする科学的な営みであるとともに、占いやまじないとも深く結びついてきました」。式神を操るような伝奇的イメージが強いが、長いこと暦の製作を担ったりもしていたのだな。
帰宅時間を考えると、常設展はまたもや駆け足に。幸い、雨は観覧中に止んでいた。

最後にもう一つオオカミ像を確認すべく、船橋の秋葉神社に立ち寄った。
  グーグルマップ ⇒ https://maps.app.goo.gl/ABPgL9dbVhUttDP19
  写真家・青柳健二氏のブログ ⇒ https://asiaphotonet.cocolog-nifty.com/blog/2021/04/post-fab89f.html
階段下のレリーフはオオカミかキツネか。側面の年号は「慶應三卯」(1867年)と読める。
船橋の秋葉神社 レリーフ
社殿前には狛犬や灯篭が失われたと思しき台座が並び、奥にオオカミ像が一対。
船橋の秋葉神社
船橋の秋葉神社 オオカミ像
向かって右の阿形は口の部分が欠けていて、阿の形に開いているのかよく判らない。これは雌のようで、足の下に仔を抱いているが、それも鼻が落ちてしまっている。親の腹にあるボッチは乳首の表現だろうか。
船橋の秋葉神社 雌オオカミ
台座に「奥州同行」とあるのは、側面に氏名を刻まれた人たち(左右で総勢14名)が一緒に旅をした記念という意味なのか。同じく台座には「明治三拾年」とある。

今回はこれまで。帰路ではグーグルナビの指示を見誤って(表示された距離から曲がるのは次の交差点と思っていて曲がり損なうとか)遠回りしたりし、18時半過ぎに帰宅。暗い中での渋滞は疲れるが、途中で花火が見えたのは浦和美園まつりだったか。
今回の走行距離は2日間で約380km。メーターの総距離はようやく6000kmを超えた。

2023/7/23(日)~7/25(火) 知床観光2023年07月23日 00:00

せっかく知床まで来たことであるから、羅臼岳から下山(https://marukoba.asablo.jp/blog/2023/07/19/9606273)後にT中氏と共に観光。

■7/23(日)
テントを畳んで、羅臼温泉野営場から羅臼の街まで徒歩移動。ヤマト運輸営業所が開くのを待って、予め送っておいた着替えなどを受け取り、折り返しにザックを発送。着替えと荷物整理にはバスターミナル(Googleマップ ⇒ https://goo.gl/maps/ri7rReeYAEZfLEpGA)の待合室が使えた。ターミナル前でエゾシカが草を食んでいたりする。
エゾシカ
羅臼では北方領土を眺められるかと思ったのだが、徒歩移動ではウトロへの午前中のバスに間に合わない。羅臼観光は諦め、9:10発のバスに乗車。知床峠を経て半島を横断する道から羅臼岳が大きく眺められた。バスを抜いていくライダーも多い。北海道ツーリング、いいなぁ。
ウトロに戻って、道の駅シリエトクでウニ・イクラ丼(3500円)を食す。ウニが甘い。
ウニ・イクラ丼
午後は予約してあった知床クルーズ。ゴジラ岩観光の知床岬コース(13:30発、大人9000円)。自分は羅臼で受領した荷物に双眼鏡を入れておいたが、無料レンタルもあった。往路では海岸の奇岩や漁業基地などの見どころ解説があり、遠いながらも海岸を歩くクマ(ずいぶん黒い)や、オジロワシの飛んでいたり岩崖に泊まる姿を見られた。半島先端で船のスタッフに写真を撮ってもらい、復路はほぼ真っ直ぐに港に戻る。それでも、岩の上で昼寝するクマらしき影やイルカの群れに出会えた。海上から硫黄山はじめ踏破してきた山々も見える。
知床クルーズ航路
       ↑ 青線:クルーズ航路  赤線:硫黄山~羅臼岳縦走ルート
知床半島先端
知床半島先端にて

硫黄山
3時間のクルーズで港に戻り、オロンコ岩を潜って松浦武四郎翁顕彰碑を見たりなどしてからボンズホームに投宿。男女別相部屋のとほ宿だが、3人部屋にT中氏と二人だった。隣部屋には自転車旅の若者と白人(ニュージーランドと言っていたか?)の若者。風呂トイレは共用だが、コイン式洗濯機・乾燥機を備え、部屋も綺麗で文句無し。素泊りなので夕食を摂れるところを探して、知床クルーズFOX号(クルーズは休業中)で焼肉&ビール&じゃがいも焼酎。
宿でタブレットを使っていて時計が1時間進んでいると思ったら、タイムゾーンがウラジオストクになっていた。確かに地理的に東京より近いかもしれないが、勝手に変更するんじゃない!

■7/24(月)
ボンズホームで朝食(昨日夕方のうちに頼んだ)を摂り、バスで網走に移動。
博物館網走監獄までタクシーを利用し、まず監獄食堂でホッケ定食(900円)と監獄ビール。博物館は入館料1500円に見合うだけの物量があった。『ゴールデンカムイ』もここで大いに取材したのだろう。観覧中に雨が降り出したが、折よく流してきたタクシーを門前で捉まえて今夜の宿へ。
民宿ランプは二人で5040円と異様に安く、線路脇なので夜中に煩いのではと思っていたが、そんなことはなかった。設備は古いが、部屋は6畳8畳に一人ずつで値段相応以上のお得感。他には居続けらしい若者や結構年配のライダー、親子連れもいたようだ。ここも素泊りなので食事場所を求めてさまよい、コンビニで朝食など買ってから宿に近い中華に入った。食事中に結構な大雨。

■7/25(火)
バスで北海道立北方民族博物館へ。特別展示「北方民族の編むと織る」と併せて800円。ここも見応えがあり、アイヌばかりでなくヨーロッパや北米まで「北方」に暮らす民族をカバーしている。モンゴルまで入ってくるのは意外だった。良い展示だったので、総合案内(800円)を購入。
博物館を出て、T中氏は空港へ向かうためにバス待ち。自分は夕方まで時間があるので、ここで解散した。
一人になって、徒歩でオホーツク流氷館へ。ここの展示(700円)は地階のみでやや物足りないが、流氷の実物展示は-15℃と涼しくて良い。実物のクリオネを見たのは初めてだったかも。屋上に上がると、曇りがちで山並みはよく見えなかったが、反対側に網走湖や能取湖(のとろこ)が大きい。
オホーツク流氷館より網走湖
バスを待って市街に戻る。残り時間で見られる施設を考えて、モヨロ貝塚館へ。貝塚は地面の窪みにしかみえないが、続縄文~オホーツク文化の住居跡と墓跡を一巡りしてから博物館(300円)に入る。北の地で猟や漁に勤(いそ)しみ、クマやその他の動物に祈りを捧げる生活が興味深い。
モヨロ貝塚
モヨロ貝塚の動物土製品
早めのバスで女満別空港に向かい、土産の調達と食事を済ませて飛行機に乗った。
夕暮の空

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