2023/12/3(日) 丹沢堀山の家ボッカ2023年12月03日 00:00

毎年恒例、無名山塾のボッカ訓練だが、今年は腰痛の様子見で本ボッカは見送り、堀山の家へのボランティアボッカのみ参加。
計量していないが20kgを越えた程度か、これくらいなら腰への負担も感じない。天気も良く、これほど楽なボッカはなかった。

2023/12/8(金) 劇団だるま座公演「おシャシャのシャン!」2023年12月08日 14:00


「おシャシャのシャン!」チラシ
先日、無名山塾の先輩・坂口理子氏(以下、理子さん)から公演のご案内をいただき、今日14時の部を予約しておいた。
「おシャシャのシャン!」は、元は2008年にNHKで放送された45分のドラマ(日本放送作家協会第31回創作テレビドラマ大賞作品)で、理子さんのデビュー作。それを今回劇団だるま座で舞台化、尺は1時間45分とボリュームアップしている。NHK版は録画してあったので、昨日見返した。
舞台の大鹿村(NHK版では村名を変えているが)には、塩見岳から下山した時にテントを張らせてもらったことがある(https://marukoba.asablo.jp/blog/2006/08/12/9639237)。人が親切な良い村だ。

今日は池袋で献血(202回目、血小板)してから、下北沢の駅前劇場へ。
開演30分ほど前に受付(5000円)し、理子さんに挨拶してから客席中央辺りに着席。左隣は最後まで空いていたが、全体としてほぼ満席のようだった。

NHK版は主役二人の自己肯定の過程がメインテーマだったが、舞台ではそれに加えて村歌舞伎の継承も前面に出ている。その継承の物語として、戦争で途絶えそうになった際に女性が役を引き継いだ時代と現在とを重ねて描く。1時間の拡大もほぼその部分と思う(あとは、演者個々のクローズアップなどか。舞台全体の流れの中で、NHK版から加わった部分をいちいち切り出すのは難しい)。
最後に、実際の大鹿歌舞伎の役者さんが一舞を演じた。

戦時中と現代とで役者をだぶらせることで時代を繋ぐ・重ねる場面など、演劇の面白さと感じた。また、締めで舞台上と客席とが一体化する「おシャシャのシャン!」は小劇場ならではの楽しさ。
一方、歌舞伎途絶の危機としてNHK版で触れられていた三六災害が舞台に取り入れられていない点は、あの崖崩れ跡を実際に見せられる映像の強みなのだろう。
「おシャシャのシャン!」、TVドラマも舞台も、それぞれに良い。

2023/12/9(土)~12/11(月) 埼玉-群馬県境・神流湖~二子山2023年12月09日 00:00

T中・H氏と無名山塾の自主山行。
椛澤初男『群馬の県境を歩く』を参考に、以下のように計画した。
(カッコ数字:同書中の山行番号、時間:同所要時間)
・1日目
 (1) 馬立沢林道~杉ノ峠(6h40m)
・2日目
 (7) 杉ノ峠~坂丸峠~矢久(やきゅう)峠(4h25m)
 (14)矢久峠~二子山~志賀坂峠(6h00m)
・3日目
 (16)志賀坂峠~諏訪山~蓬莱山~八丁峠(5h55m)
下山は八丁峠から、昭文社の山と高原地図「西上州」(手持ちは2021年版。以下、「地図」と表記)の破線ルートで坂本へ(コースタイム2h35m)。
しかし、同書の各行程は日帰りであるのに対し、こちらはテント泊装備の上に全行程の水を持たねばならず(*1)、荷物が重い。思ったように行程が伸びず、2日目に二子山を越えた地点で幕営して、翌朝、坂本へ下山した。
天候には恵まれ、特に土日は季節外れに暖かかった。

■12/9(土)
新町駅でT中氏と落ち合い、神流湖上流側の太田部入口までバス利用。バスが群馬藤岡駅を経由し、自分はここで電車を降りて待っていればよかったことに気付いた。
太田部入口を10時に出発。工事中だが現在は通行可(来年2月中に通行止予定)の太田部橋を渡り、神流川左岸の道を30分ほど歩くと、県境の沢に沿って林道が分岐する。この馬立沢林道に入り、間もなく道が逸れる地点から沢を直進。しかし、すぐに滝が現れた。
馬立沢
右の斜面をほとんど四つん這いで上がるとその上にも滝が見えたので、まとめて巻いてしまおうと斜面をさらに詰めると林道に出た。林道はふたたび沢に近付くと分岐し、一方は対岸へ伸びている。地形図では430m地点の分岐のもう一方が沢に沿って続くので、そのまま道を進むことにした。
馬立沢林道の分岐
しかし、軽トラ程度は通れる幅でつづら折れに高度を上げて行く道は、地形図の線とは別の作業道らしい。今から沢に下りるのも面倒だし、この道が尾根に上がるならば、695ピークを経由して塚山の下で県境に復帰できる。目論見通りに尾根に乗った道が下がる気配を見せたところで、道を離れて樹林に入った。703ピークからの尾根を合わせてからも、道は尾根に沿って付かず離れずに見えている。県境を忠実に辿るならば430m分岐で道を外れて沢を行くのが正解だったが、そちらは傾斜が急でザックの重さに苦しんだことだろう。
13時過ぎ、塚山の西のピーク下で尾根が道と交差した地点で休憩。ザックを置いて塚山(954.0m)を往復した。
塚山
ザックを担ぎ直し、道から離れて907ピークを踏む。尾根上に折々見かける赤いプラスチック杭や「県造林」のコンクリ標柱が県境なのか、埼玉側は植林、群馬側は自然林となっている区間が多い印象。相変わらず尾根に沿って道が見えており、電柱まで立っている。
14:15、竹ノ茅山(978m)に到着。大きなアンテナ施設があり、先ほどの電柱はここへの電力供給用のようだ。休憩中に聞こえた銃声2発は何を狙っているのだろう。
竹ノ茅山
竹ノ茅山から先には地形図で破線(徒歩道)が入っているが、実際のところはこれまでも十分に歩きやすく、特に変化はない。多少のアップダウンを交え、15時に小さな祠のある土坂峠まで下った。
土坂峠の祠
日没前に次の杉ノ峠までは届かないため、土坂峠から少し進んで848m地点手前の鞍部にテントを張った。

■12/10(日)
明るくなるのを待って6:15に出発。
やや高度を上げて行き、大久保山(980m)から先は地図でも登山道(破線)となって、杉ノ峠に7:45。ここは祠の前に御神燈(昭和18年銘)も建っている。
杉ノ峠からは実線の登山道でいっそう歩きやすく、父不見山(ててみずやま/ててみえずやま、1047m)に8:25。前回来た時(https://marukoba.asablo.jp/blog/2023/05/21/9588231)によく判らなかった三角天のダルマ石側面は「海抜千〇六十米 昭和九年 月」と読めそうだ。父不見山の標高とは相違するが、当時の測量値だろうか(*2)。
父不見山
二等三角点(1065.8m)のある長久保ノ頭(大塚)から下りて県境が西北西に向かうところは、踏み跡に惑わされ南西の尾根に外れてしまった。地形図にない作業道を少し辿ってから県境尾根に復帰。
登山道は次の丸山(985m)を巻いているが、あえてピークを踏むつもりで進む。が、明瞭な道や神流マウンテンラン&ウォークのプレート(最新のコースにこの付近は含まれていない)を辿ると、今度は北に外れた。県境は明白かと思うと通常の目印が当てにならず、案外に難しい。丸山から下って行くと、埼玉側に作業道が何本もあるようだ。
坂丸峠に9:40。祠の傍らに「右秩父道 左やま道」と刻んだ道標石がある。
坂丸峠
ふたたび県境に忠実にピークを拾い、小さなアップダウンで矢久峠に10時半到着。車道に下りる手前に白い観音像が建つ。車道を渡って尾根に踏み入る箇所に祠と並んでいる風化の進んだ古い像も観音様だろうか。
矢久峠の観音様
地図の登山道は坂丸峠まで、地形図の徒歩道も矢久峠まででその先に道は無いが、尾根上は相変わらず歩きやすい。「境界明確化」の小さな杭を見ながら行くと、右手に痛々しく削り取られた叶山が見えてくる。
その叶山から伸びているベルトコンベヤー(秩父太平洋セメント・叶山鉱業所 ⇒ https://www.ct-cement.co.jp/business/#kanayama)を跨ぐ辺りで岩場のヘツリに出くわした。
パスしたヘツリ
人が通っている感じはするが、ザックに振られて転落してもつまらないので、左側の斜面に逃げてヘツリ先のピークに上がった。
その下の鞍部(960m)からの登りも、正面の岩がちの急斜面を避けて左側から上がる。斜面に積もった落葉に人の通った跡があるが、こちらもかなり急で息が切れる。
尾根に復帰して急斜面を登って行くと、いよいよ県境が二子山の崖マークと真っ向からぶつかる箇所。岩場に生える木に赤テープなどの目印は見当たらず、周囲を偵察したところ難易度は変わらないので、正面から行く。
二子山手前の岩場
一登りすると、空中に足を出さないと渡れない箇所に出た。その足場の岩も少々ぐらつく感じなので、もっと安全なルートはないかと右側を探るが行き止まり。ここでT中氏が先行して、元の場所を慎重に通過した。次に、一段下りて向かいの岩に上がる箇所は、手を伸ばすとガバ(掴みやすい岩角)が見つかった。上がったところに手袋の落とし物あり。もう少しよじ登ると、二子山の登山道に行き着いた。時に14:10。西峰頂上がすぐそこだが、1年前に二人で踏んでいる(https://marukoba.asablo.jp/blog/2022/11/03/9538035)ので今回はこだわらず、少し進んだ地点で休憩。眼下には志賀坂峠に繋がる県境尾根が、地形図にない道(*3)を山腹に這わせている。
二子山
二子山
あとは登山道通りだが、地形図の県境線から西側に膨らんで岩を伝い下りる箇所に<ここから先「群馬県」>の危険注意看板があった。
群馬県の看板
岩場から下りると15時近い。本日中に志賀坂峠まで進出するには無理があり、また、計画通りに明日八丁峠を回ると16時台の終バスに間に合わない虞(おそれ)がある。今回はここまでとし、この先で泊まって坂本に下山することに決定。泊り場所としては県境尾根上の1043ピークを越えた1040m地点がなだらかと見当をつけたが、実際には1043mに上がるまでもなく、尾根が狭まった1000m地点にテントを張れる平坦地があった。登山道を塞ぐ形になるが、この時間に通る人もいない。ただ、テント内に落ち着いてからも、二子山の方からクライマーの声が聞こえていた。

■12/11(月)
ゆっくり出発するつもりでいたが、バス時刻を再確認したところ休日ダイヤを見ていたことが判明、平日は坂本7:38発を逃がすと3時間待ちになってしまう。慌ててテントを撤収し、6時に出発。県境尾根に沿って続く鹿ネットに設けられたゲートから坂本への下山路に入ると歩きやすい道で、地図のコースタイム1時間15分のところを50分ほどで下りられた。
小鹿野役場でバスを乗り換え、西武秩父に9:18着。祭りの湯が開くのを待って汗を流し、酒と食事(自分はわらじカツ丼)を腹に収めて帰路に就いた。

■今回のルート
神流湖~二子山ルート(1)
         ↑ 1日目
神流湖~二子山ルート(2)
         ↑ 2~3日目

■注
*1:地図では杉ノ峠から南に林道を下りた地点に「ててみず」の水マークがあるが、峠からの往復には1時間程度かかるだろう。ヤマレコの記録(2021/4/11 父不見山)によれば北側の杉ノ峠入口にも水場があるが、これも遠い。
*2:「今昔マップ on the web」で確認したところ、父不見山は1945年まで1060(~1079)m峰だった。
父不見山1928-45年
次に参照できる1972年以降の地形図では1040(~1059)mになっている。
父不見山1972-82年
*3:グーグルマップでは志賀坂峠の西で国道から分岐した林道が矢久峠まで繋がっている。地形図では両峠の近くで途切れている道が開通している訳だ。

2023/12/17(日) 富士山雪上訓練2023年12月17日 00:00

無名山塾の恒例メニュー。最近は2019年(https://marukoba.asablo.jp/blog/2019/12/22/9192767)、2021年(https://marukoba.asablo.jp/blog/2021/12/19/9449495)と1年おきに参加している。今回のメンバーはK澤・Kリーダー、M本・Yサブリーダー含めて13名。古参が少ないのはやや寂しい。

馬返しで前夜泊。
季節外れの暖かさで、自宅から駅まで歩くのに、比喩ではなく汗をかいた。
富士山駅から自分とM本氏はK澤リーダー車に乗せてもらった。タクシー組は雪などまったく無いにも関わらず中ノ茶屋で通行止めだと下ろされてしまい、リーダーが馬返しから引き返して拾って来ることに。
馬返しの駐車場に車は多かったが、テントは我々のみ。
夜、小雨と時折強い風。

当日は予報通りに晴れ、気温は下がった。車で到着したメンバーを加えて5時に全員集合。
歩き方を意識しつつ登って佐藤小屋に8時。六合目の安全指導センターまで来ても雪が無いが、さすがに上方に見えてきた雪面からは盛んに雪煙が上がっている。ここの建物前や、少し上の雪面では別のパーティが訓練していた。
我々はアイゼンを着けてさらに砂利道を上がると、下の登山道(夏の下山道)に白い斜面が見えたので、そちらに移動。
小さいがそれなりに傾斜した面に凍って固くなった雪が付いており、道の部分も砂利が凍り付いている。多少風が通るが、凍えるほどではない。とは言え、じっとしていると冷えてくるので手袋を重ねた。
この斜面でアイゼン歩行(登り、下り、トラバース、方向転換)、ツボ足(雪面を蹴りこむようにして足を乗せる)、滑落停止を練習。雪面が固いためツボ足では滑りそうで、これが本番なら怖い。滑落停止を練習するにはよく滑り、またピッケルを刺すと良く利く点は好適だが、うつ伏せに姿勢を変える際に腰が当たって痛かった。
12時半に下山開始、15時に馬返しに戻った。
電車組は富士山駅の魚民に立ち寄り。

■今回のルート
富士山雪訓ルート

2023/12/20(水) 映画『窓ぎわのトットちゃん』2023年12月20日 13:55

映画『窓ぎわのトットちゃん』鑑賞@イオンシネマ熊谷。

予告編を何回観ても食指が動かなかったのだが、X(旧Twitter)に「意外な傑作」といった評が流れてきたので出掛けてみた。
結果は正解。
予告編で引いてしまったのには昔のお人形のようなキャラクタ造形があったのだが、映画が始まってみるとそれが気にならない。と言うより、この作品にはこの造形でなくてはと思えてきて、トモエ学園の子供たちが生き生きと動き出す。
ストーリーも、美しいイメージ世界に遊ぶ時もあれば、子供に阿(おもね)らずに身体の障害や未発達、死、戦争の影を突き付けてもくる。それを、かなり考証を重ねたのではと思われる設定や背景美術が支えている(エンドクレジットに男鹿和雄の名前があった)。この手触りには「若おかみは小学生!」や「この世界の片隅に」を思い出した。
監督の八鍬新之介はこれまで「ドラえもん」をやっていた人か。一本も観たことがなかったが、名前を覚えておこう。
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