2009/1/10(土)~1/11(日) 八ヶ岳・天狗尾根2009年01月10日 00:00

S木・Y氏(女性)企画の無名山塾自主山行。メンバはY永・H氏、自分で3人パーティ。10月に登った天狗尾根(https://marukoba.asablo.jp/blog/2008/10/18/9524420)の厳冬期バージョンだ。ただし、下りはツルネ~権現岳~天女山の計画。10~11日にM本・Y講師の<ツルネ東稜~権現岳>講習隊も入っているので、互いの安全管理とコース上での迎撃を目論んだ次第。

■1/9(金)
山行をスピーディに運ぶため、美し森の駐車場で前夜泊。
今回はテント(Y永氏の2~3人用)のフライを省略して本体のみという荷物軽量化優先なのだが、家を出る時に雨で、傘を持つハメになった。
駐車場のトイレは冬期閉鎖、自販機も動いておらず、水を調達する当てが外れた。仕方なく積もっていた新雪を溶かして水を作ってから就寝。

■1/10(土)
4:45出発。-4℃。歩き始めには星が出ていたが、やがて曇って一時小雪。出合小屋に向かう途中で旭岳に行くパーティに追い越されたので最初からラッセルの苦労をしないで済んだ。日が出ると、雲はあるものの青空。地獄谷を進むうちに風が出てきた。
8:10に出合小屋。気温は下がって-7℃。小屋内で身支度をしていた2~3パーティはいずれも旭岳らしい。こちらも一服してからワカンを着けるが、S木氏の新品が上手くいかない。よくよく見ると片方のベルトが短い欠陥商品? 四苦八苦の挙げ句、何とか装着に成功した。

そんなこんなで小屋を出発したのは9時。小屋の先の分岐から天狗尾根取付に向かう方向にはトレースがない。10月に見ておいたルートだが、潜ると膝上くらいまでの雪の中、歩きやすい箇所を探しながら行く。9:30に前回と同じ取付地点に到着。そのまま斜面を登り始めるが、雪の下は枯れ草ですぐにワカンでは対応できなくなってしまった。登りかけた斜面を均してアイゼンに履き替えるが、登る前に斜面を観察して適切な装備を選ぶべきだったと反省。
尾根に乗り、樹木にザックを引っ掛けられながら進んで、11:10に左右の切れ落ちた岩場(標高2100m付近)。前回、風に吹かれたら嫌だと思った箇所だ。今回も幸い無風だったが、狭い尾根が真っ白になった下に岩を隠していると思うと相当に怖い。岩から下りる際は雪を払って手掛かりを探しながらのクライムダウンで特に緊張した。
クライムダウン
その後はまた樹林帯の登り。引き続きアイゼンでノントレースのルートを進むと、標高2140m付近で赤岳沢方向から来た足跡に出会った。やがて尾根から離れていったところを見ると登山者ではないのだろう。標高2300mにかかる頃から風が強まり、気温-11℃、雪が舞う。キレット~権現岳辺りの稜線は雲に隠れて荒れていそうだと思っていたが、同じ気流に入ったのか。

この頃から1型糖尿病を抱えるY永氏の体調が思わしくなくペースダウン。山行を中止して引き返すことも検討したが、本人の意見を聞いて早めにテントを張ることにする。13:30、標高2350m付近で樹林の間に平坦な箇所を見つけて、本日の行動を終了。テント内で休息するとY永氏も回復した。講習隊と無線交信すると、予定のキレット小屋までは無理と判断してツルネの取付で泊まりとのこと。
夕方には晴れ間が戻り風も収まっていたが、日が暮れると再び吹き始めた。フライなしのテントには風がしみ通り、コンロに向いている身体の前面はまだ暖かいが背中が寒い。S木氏は「これはテントではなくツエルトと一緒、クライミングのシェルター」と強調していた。夜中、時折テントを揺らす突風。

■1/11(日)
3:30起床、5:30出発。気温-17℃、ヘッデンの光の中に舞うのは雪かダイヤモンド・ダストか。樹林帯を進む内に夜が明けると晴れ。
6:20、カニのハサミ手前の樹林を出るところ(標高2460m)でハーネス、ヘルメットを装着。樹林を出ると強風。

カニのハサミは、前回はハサミの間を通過したが、今回は左側を巻く。簡単に通れるような記録をWebで読んでいたのだが、狭い足場にハサミの岩が張り出していて、大きなザックを背負い手袋をした状態では少々怖かった。
7時過ぎにハサミを通過したところで講習隊と交信、まだテント内で天候の様子見とのこと。こちらも計画より進行が遅れているし、キレットの降下も厳しそうなので、今回は文三郎尾根を下ることにする。
次の岩場は10月の時は印象に残らなかったのだが、今回見るとかなり急。ピッケルをダガーポジション(ピック=尖端を前にした持ち方)で使って登る。

7:30、斜上するフィックスロープの付いた30m正面岩壁。続く雪壁と併せて今回のハイライトと目された箇所だ。この雪壁のために今回ダブルアックスを用意している。
フィックスロープ始点の樹木に支点を作り、Y永氏のビレイでS木氏が先行。正面岩壁から雪壁に上がる箇所を苦労して抜け、雪壁上部まで行った。
30m正面岩壁
次に自分がロープにプルージックを取って続く。プルージックを上げていくのが鬱陶しく、雪壁に上がる箇所はフィックスロープを掴んで半ばゴボウで登ってしまった。雪壁もプルージックを扱うためには片手を空けておかなくてはならず、ダブルアックスは使えない。右手でピッケルを雪面に打ち込み、左手でプルージックを上げながら登る。雪壁は足元の雪がしっかりしているのとロープがあるのとで、それほど難しく感じなかった。Y永氏の上がってきたのは9時過ぎ。それからロープをまとめて、結局、ここに2時間ほどを要した。
30m正面岩壁
移動を始めてから振り返ると雪壁を上がってくる人が見えた。今回の天狗尾根で見かけたのはこの2人パーティ(おそらくガイド山行)のみ。もっと混雑する人気ルートかと思っていたが、案外静かである。

印象的な岩場については前回の記憶があるのだがその間のことは曖昧で、時によろけるほどの風の中、ルートを探りながら前進する。岩を斜めに上がっていく箇所では二人が通過した後、手袋をしての手掛かりに難儀したのと足場を探る時にストラップで下げたメガネが邪魔になるのとで手こずってしまった。

大天狗基部に10時。前回は二つ目の残置スリングを使ってテラスに上がったが、今回は一つ目を使うことにする。前回と同じ樹に支点を作り、自分のビレイでS木氏リード。S木氏、Y永氏の登りを下から見ていると、残置スリングから上に乗り越すところが難しく、そこを上がってテラスに向かうトラバースも嫌らしいようだ。自分で行ってみると、特にトラバースに手掛かりが乏しく、足場も切れ落ちた下を覗いて探す必要があって怖かった。大天狗には1時間以上を消費。

ルートを探しながら小天狗を通過し、一般の縦走ルートに突き上げる稜線に出たのが11:40。岩場でのビレイや待ち時間を除いて、5時間以上も休憩なしの行動だった。
縦走路に出るとなお一層の強風。しばしば前に進めないほどの西風が来るので稜線から吹き落とされるのを恐れ、あえて縦走路を風上側に外したコースを取って文三郎尾根に乗った。尾根手前では雪の斜面をトラバースする踏み跡があったから、冬道として使われているのかもしれない。

13:10、樹林帯に入る手前でようやく風がやんだ。小休止でオーバー手袋を外すと右手の指先が硬い。ウールの手袋が凍ったか? 右手を出してみると、なんと中指・薬指・小指の半ばから先がカチカチで真っ白。縦走ルート手前の休憩では何ともなかったし、縦走ルートに上がるのにクサリを掴んだ時も異常は感じなかったから、この1時間ほどの間に凍傷にやられたのである。今回は特に指先が冷たいとか痛いとかいうことはなかったのだが(足指の方が痛かった)。3本の指はピッケルを握るのでもともと血行が良くないところに冷たい強風に吹かれたためだろう。そのまま行者小屋まで下り、テルモスの湯(ぬるくなっていてちょうど良い)に浸けたら、すぐに色が戻った。指先は紫色だが。

16:20、美濃戸に到着して山行終了。冬型気圧配置による強風に悩まされたが、天候はまずまず。楽しい反面、冬山の難しさ(ザックと手袋)、厳しさ(強風、凍傷)を感じさせられた。

あずさ車中で打上げをし、さらに自分とS木氏は新宿に残っていた講習隊の「飲みたい人」と合流。飲んでいるうちに気づくと、凍傷の指に水泡が膨らんでいた。

■今回のルート
八ヶ岳・天狗尾根ルート

2009/1/11(日) 八ヶ岳(天狗尾根)で凍傷2009年01月11日 23:50

バカの自慢話なので、以下、本気でつきあわないように(^^;)

八ヶ岳の天狗尾根を登ってきた(https://marukoba.asablo.jp/blog/2009/01/10/9524409)。
そこで、右手の中指・薬指・小指の半分が軽い凍傷になった。
気づいたら、3本の指の半ばから先が白く、カチカチになっていたのである。
下山して落ち着いたところでぬるま湯に浸したらすぐに色が戻り(指の先端は紫色だが)、腫れた感じになっていたが、やがて3本それぞれに水ぶくれができた。
おぉ、生きてる(笑)

いずれ皮が剥けて痛かったり痒かったりするのだろうが、組織が生きていれば上等。こうやってキーボードも打てることだし。

こんなのは本格的に山をやっている人にとっては日常茶飯事なのであろうが、自分にとっては初めてなので、ちょっと書いてみた。

【1/12追記】
中指と薬指の大きな水疱が破れて浸出液とめどなし。小指にも小さな水疱。3本とも先端に紫色の部分が残っているが、触れてみるとその感覚はある。指全体が多少腫れており、中指と薬指は腫れに押されて爪が少し持ち上げられている感じ。第2度の凍傷ということになる。

【1/13追記】
昼休み、仕事場近くの病院に行く。水疱で浮いた皮膚が浸出液でふやけて相当に見た目が悪い。軟膏を塗ってガーゼと包帯を巻く。30%負担で\1240支払。薬は7日分、プロレナール錠(末梢の血行改善、血栓抑止)、ユベラNソフトカプセル(コレステロール低減、末梢の血行改善)で\1480。こうグルグル巻きでは箸も使いづらい。

2009/1/11(日)~3/27(金) 凍傷日記2009年01月11日 23:55

前の記事(https://marukoba.asablo.jp/blog/2009/01/11/9520125)では軽く書いたが、結局、凍傷で10日以上も入院するハメに。登山時の記事(https://marukoba.asablo.jp/blog/2009/01/10/9524409)と一部重複するが、受傷からほぼ治癒するまでの経過を書き留めておこう。

■1/11(日)
5:30に八ヶ岳・天狗尾根の樹林に張ったテントを出た時は気温-17℃、カニのハサミ手前で樹林を出ると風が強い。小天狗を通過し、一般縦走ルートに突き上げる稜線に出たのが11:40。岩場でのビレイや待ち時間があるので特に疲労はないが、5時間以上の連続行動だった。縦走路に出ると一層の強風。しばしば前に進めないほどの西風が吹く稜線を途中で下り、西側斜面をトラバースして文三郎尾根に乗った。
13:10、樹林帯に入る手前でようやく風がやんだ。小休止でオーバー手袋を外すと右手の指先が硬い。ウールの手袋が凍るのか?と右手を出してみると、なんと中指・薬指・小指の半ばから先がカチカチで真っ白。先ほどの休憩では何ともなかったし、縦走ルートに上がる際にクサリを掴んだ時も異常は感じなかったから、この1時間ほどの間に凍傷にやられたのだ。3本の指はピッケルを押さえてもともと血行が阻害されやすい上、冷たい強風の中でバランスを取るため特に強く握っていたのが原因だろう。それにしても、今回は特別に指先が冷たいとか痛いということはなかったし、強風も以前の経験の範囲内のことなので、この程度で指が凍ってしまうとは意外。
そのまま行者小屋まで下り、テルモスの湯に指を浸けたらすぐに色が戻った。指先には紫色の部分が少し残っているが(*1)。
ぬるま湯に浸けた後の凍傷状態
美濃戸からバスで茅野へ、あずさ車中で打上げをし、さらに自分とS木・Y氏(女性)は新宿で飲んでいた講習隊(無名山塾・M本講師の「雪山と友達になる会/ツルネ東稜~権現岳」)メンバーと合流。指は腫れぼったい。ふと気づくと、中指に水疱が膨らんでいた。
帰宅した時点で多少の痺れ感はあるものの、指の血色は変わらず、動作にも不自由なかった。

■1/12(月・祝)
中指の第一関節の上と第一~二関節の間、薬指の第一~二関節の間に大きな水疱ができていた。やがてこれが破れて浸出液とめどなし。ティッシュで押さえてもすぐにビッショリになる。小指にも小さな水疱。3本とも先端に紫色の部分が残っているが、触れてみるとその感覚はある。指全体が多少腫れており、中指と薬指は腫れに押されて爪が少し持ち上げられている感じ。S木氏がメールで教えてくれた参考になりそうなホームページ等を読み、現状は第二度の凍傷で感染防止が肝心と考えた。
一日様子を見たが浸出液が収まらない。明日病院に行くことにして、ネットで仕事場近くの外科を検索。

■1/13(火)
起床してみるとシーツや寝間着に浸出液で染みができていた。
指にガーゼを巻いて出勤。昼休みを待って見つけておいた病院に行く。ガーゼを外してみると水疱で浮いた皮膚が浸出液でふやけて相当に見た目が悪い(*2)。
医師は凍傷を診たことがないらしく医師向けの虎の巻(?)で「凍傷」の項を引いた上で、軟膏を塗ってガーゼを巻き、末梢の血行を改善する薬(*3)を出してくれた。
昼休みを30分ほどオーバーしたが午後も普通に仕事。定時後、茅野で買った「雷鳥の里」を周囲の席に配りながら、「凍傷をやっちゃって」とガーゼ巻きの右手を披露する。
帰宅して風呂に入り、指にティッシュを巻き付けて就寝。

■1/14(水)
朝、受傷部位の見た目は昨日と変わらない。
昼休みに再び病院へ。指の状態を見た医師は「これは専門医へ行った方が良い」と、御茶ノ水の順天堂医院・皮膚科に紹介状を書いてくれた。
いったん仕事に戻り、早退して御茶ノ水へ。

順天堂で診てもらうと「感覚障害、蒼白、表皮壊死」との診断。壊死した皮膚の下から膿も出ている(第三度の凍傷)。指の組織を救うため血管を拡張する点滴をなるべく早くにした方が良い、そのためには入院が必要とのこと。受傷部位の手当は仕事場近くの病院と同じく軟膏を塗ってガーゼを巻き包帯で包む(これを包交=ほうこうと呼ぶ)。飲み薬も同じものが出た(*4)。

入院を決めるに当たって。
医師a:入院してなるべく早くに点滴した方が良いけれど、今は一日4万円の個室しか空いていません。どうしますか。
自分:(一晩で帰れるものと勘違いしている)4万! まあ仕方ないですね。
(しばらく手続きで待つうち、期間の目安は2週間と聞こえ)
自分:えぇ!? 仕事もあるし、何とか通院で点滴できないですか?
医師a:相談してみます。
医師a、b:治療効果を考えて場合によっては動脈から点滴を入れるかも。やはり入院していただいた方が。
自分:分かりました。大部屋が空き次第、そちらに移るということで。(*5)

まず上司に、続けて仕事場に電話して緊急入院を告げ、手持ちの仕事の段取りを付ける。と言っても若い者に振っただけだが。作業に比較的余裕のあるタイミングでよかった。自宅にも電話。
入院前検査で尿検査、心電図、胸部レントゲンと回ってから入院手続き。指先以外は健康なので院内の案内図を渡されて自分で動き回る。
個室にはシャワー・トイレが付き、TVや冷蔵庫もあってビジネスホテル並の設備。ベッドは頭側足側それぞれに角度を調整できる豪華版。部屋の等級1A(特別療養環境室料、税込み\39,900)、予納金38万円は持ち合わせなく、後で。
ハム&ツナサンドの夕食の後、左手首近くの静脈から点滴1本(*6)を入れる。途中で眠り、夜中に看護師さんが後処理に来た。浸出液のため指にガーゼを追加するも、掛け布団に点々と染み。

■1/15(木)
朝、院内のATMで卸して予納金入金。
10時半、ベッドでの包交前に受傷部位を写真撮影する。以後、毎日午前中に医師による診察と包交。
凍傷 1/15
     ※上および次の写真は、2/27通院時にプリントアウトを貰ったもの。
       写真データは渡せないらしい。
11時から点滴。山行以来触れると軽い痺れ感(第一度の凍傷)のあった左手中指、薬指の先端が張って痺れ感が強まる。血管拡張の効果だろうか。
13時半、母面会。着替え等、必要物持ってきてもらう。
15時過ぎ、点滴終了後に左手首の点滴チューブと右手を防水してもらってシャワーを浴びる。
その後、ペインクリニック(*7)にて星状神経節ブロック。やや年配の女医による説明で、血管の収縮を司る交感神経を抑えることで血管拡張する、点滴との併用でも確実に効果はあるとのこと。副作用の説明も受け、同意書にサインした上でベッドに。注射は若い男の医師が担当し、首の正面右寄り(*8)を押さえて場所を探り、針を刺して局所麻酔薬をじんわり注入する感じ。注射後間もなく右上半身に温感があり、手の温度は2度も上がった。ガーゼの下の中指先がピリピリするのは血管が開いていく感覚か。右目は腫れぼったく左耳も暖かくなった気がする。そのままで20分安静にしてから部屋に戻る。
浸出液で指のガーゼが濡れるので、就寝前にガーゼを追加で巻いてもらった。

■1/16(金)
11:20 包交。薬指先腹側は血色が戻ってきた。死んで浮いた皮膚を切除する。治療は静脈点滴&交感神経ブロックを続けると医師より説明あり。
午後、母が衣類、読み物(コミック)、マルセイバターサンド持ってきてくれる。
16時半、神経ブロック。部屋に戻ってから指先ピリピリ感があったが、昨日ほどではない。次回治療用に外用感染治療剤ゲーベンクリーム(スルファジアジン銀)が出た。今日は点滴なし。

■1/17(土)
10時、包交。薬指は爪下も色が戻ってきた。中指先端は変わらず色が悪い。浮いた皮膚や組織(皮膚の下、肉部分も少し?)を除去。なるべく指を動かすように、力を入れるだけでもよいとのこと。
11時半から点滴。
窓を開けようとして手が滑り、中指をぶつけた。
昼食後、点滴しながら神経ブロック。
戻ると北千住の叔母が来てくれていた。有料ながら四人部屋が空いたとのことで、点滴棒(点滴のパックを下げるキャスター付の棒)を押しながら9Fから12Fへ部屋移動。階毎にナースステーションがあり看護師さんが簡単に引継ぎをする。四人部屋の廊下に近いベッドで等級4A(\6820)、個室と比較すると快適度は落ちる(食事一品少ない、サイドテーブル無し、TVにケーブル無し、ベッド可動は頭の上下のみ)が、贅沢は申しません。
午前中にぶつけた中指、包帯がすこし赤くなっている。看護士さんに告げると、医師に確認して「組織を取ったためもあるだろうし、包帯に滲む程度の出血ならそのままで構わない」とのこと。
21時過ぎに消灯(個室は全く自由だった)してしまうと夜中に目が覚める。起床は6時。一週間仕事した後の週末ならともかく、毎日9時間は眠れない。

■1/18(日)
朝、起床時間の電灯が点くのが待ち遠しい。
これまで就寝前に指のガーゼを追加してもらっていたが、今朝は表面に染みが出た程度で済んだ。浸出液も収まってきたようだ。中指先端は相変わらず色が悪いが、腹側の一部に血色が見えるか? 薬指は爪全体がピンク色でよさそう。
10時から点滴。日曜はペインクリニックが休みのため神経ブロックなし。
午後、叔母来る。

■1/19(月)
起床後、状態把握のための採血。
9時半シャワー。これまで毎日看護師さんに右手を防水してもらっていたが、今日からは包帯を外して浴びられる。お湯をかけると少し染みる。
包交時に写真撮影。中指の腹側と横の血色が少し広がったように見える。医師からは「経過は良い、中指先端は点滴を続けて様子を見ましょう」と。
凍傷 1/19
13:40 教授回診。教授を取り巻いてぞろぞろ10人近く? 感覚の戻り具合を聞いて「慎重に行きましょう。あまり無理をされないように。冬は大変ですからね」。
14時、職場のS野課長。
15時、母、叔母。薬剤師(マスクしているが美人)が来て投与(点滴、塗布、服用)している薬の説明をしてくれる。インフォームド・コンセントの一環か。どれも血管を拡張し血行を促す効果がある。
16時、神経ブロック。新しい髭の先生で、前回までと比べると少し痛い。

■1/20(火)
9時、シャワー。通常のシャワー室は男女が午前午後で日変わりのため、今日は皮膚科処置室のを使う。
シャワー後に包交。中指先、左右横の血色は確実に広がった。爪の色も改善して、医師「順調ですね」。再生した皮膚が突っ張って指が曲げ難くなるかもしれないとのこと。その時は皮膚を切開するそうだ。
10時半から点滴。13時、神経ブロックはメガネの美人女医。
19時半頃、S木氏、見舞いと称して柿の種、ナッツ、各種お茶、マグカップ等持参。20時半までロビーで凍傷の原因など話し合う(真面目な話ばかりしていた訳ではないけれど)。

■1/21(水)
朝、いつも通りにシャワー、包交。中指先にも感覚出てきた感じ。小指に続いて中指も皮膚が硬化。いずれ剥けるだろう。
11時から点滴。15時、点滴を着けたまま神経ブロック。また新しい、ちょっといかつい先生。帰りがけ、最初にやってくれた先生が「いかがですか」と声をかけてくれる。

■1/22(木)
包交時に先生に見込みを訊ねてみると、日曜の処置後に退院にしましょう、とのこと。
10時過ぎから点滴。普段より早く11時前に神経ブロックに呼ばれる。また新しい、若い男医で、この人は注入が速い。針を刺して「首にズーンと来ますよ。あと3秒です。3、2、1」。
点滴の終わるタイミングでY田・M氏が来てくれる。無名山塾で凍傷はよくあるが、入院は聞いたことないと。

■1/23(金)
包交時、最初に水疱のできた中指中ほどの死んだ皮膚を取り除くと下にピンクの新しい皮膚ができつつあり、ウィンナソーセージのよう。1/16に出ていたゲーベンクリームは中止になったと回収。
10時半から点滴。
母、叔母来る。荷物を少し持ち帰ってもらう。
17時過ぎ、入院中最後の神経ブロックは先日のメガネ女医。外来で受ける場合の説明を聞く。

■1/24(土)
今日はシャワーなし。
10時前に包交。中指・薬指の爪の根元が剥き出しになってきている。ある程度爪が伸びたら抜けるだろうとのこと。これから治癒の過程で痛みが出るかもしれないので、痛み止めの意味で神経ブロックを受けるのも良いでしょう、とも。小指先端の皮膚は堅くなり水疱跡も小さなカサブタになったので治療なし。
凍傷 1/24
明日の退院を前に入院費を精算。\327,930のうち差額室料が半分以上の\181,080を占める。それを除けば、足かけ12日も入院していた割には安いという印象。
12:40から点滴。

■1/25(日)
シャワーを浴びてから点滴、包交。退院後は特に食事などの注意点はなし。アルコールも飲んでみて具合が悪いようなら控えればよいが、影響するとは思えないとのこと。薬はいつもの軟膏と飲み薬が出た。
叔母来るが、特にやることもなし。入院中の荷物を売店から宅急便に預け、15時退院。午前中に退院できるつもりだったので昼抜きだが、中途半端な時間に食事するのも面倒で、そのまま帰宅した。

買ったきり読むヒマのなかった本を少し片付けられたし、食事(制限のない患者は2種類から選択できる)も思ったほど悪くなかった(もう一品欲しいとは思ったが)。身体からアルコールも抜けた。特に傷が痛むでもなく、看護師さんに面倒を見てもらって快適、楽々な入院生活だった。できることならずっと入院していたい...さて、明日からまた仕事だ。

■1/26(月)
朝、冷水で手を洗うと右手の指先が痛い。左手よりも明らかに敏感になっている。出勤すべく家を出て冷気に当たっても同様、ポケットに入れても暖まらない感じ。まだ血の巡りが悪いということだろう。
小指は水疱跡から死んだ皮膚が剥がれ、ピンクの新しい皮膚が隙間から盛り上がってくるように覗く。

■1/28(水)
中指先端、爪の生え際は触ると感じるが、爪の脇は未だ感覚戻らず。爪は根本がほぼ離れた。
薬指も中指ほどではないが先端にあまり感覚がない。爪の根本がかなり剥き出しになっている。

■1/30(金)
午後、外来で順天堂へ。医師「中指の爪は新しいのが生えてきていると思うが、柔いので古いのは自然に剥がれるまで残しておくように。薬指の爪もやがて抜けるだろう。小指の爪は微妙。感覚の戻らない中指先端は被さっている死んだ皮膚の下にどれだけ組織が残っているか」。中指先端の硬い部分は赤いと言うよりむしろ黒が勝っており、その下の色を反映しているのかもしれない。が、硬くなった部分にピンクの新しい皮膚が接しているのだから、けっこう無事なのではないか。皮膚の新しい部分は少し腫れている感じ。やはり完成するまでは抵抗力が弱いらしい。
凍傷 1/30
飲み薬は毎食後の2週間分が出た。薬を含めて\620。
個人で入っている生命保険に付加してあった入院給付(1日1万円)の請求書類を提出。

■2/2(月)
入浴時、中指の先にキャップのように被さっていた硬い皮膚が爪と共に抜けた。赤黒かったのはやはり死んだ皮膚で、現れた指先はピンク色。新しい爪はまだ顔を出していなかった。指先を軽く触っても感じないが押すと痺れ感がある。全体に、新しい皮膚が出た部分はちょっと腫れている。
小指の皮膚の硬化していた部分も半分以上剥けた。先端部分はまだ硬くて窮屈な感じ。爪は皮下出血でもしたように黒っぽいが、今のところしっかり付いている。

■2/6(金)
薬指の爪の根本が一部覗く。数日で抜けそう。
小指の爪も多少グラついてきた様子。

■2/7(土)
入浴後、薬指の爪が抜けた。指先の硬化した皮膚もかなり緩んだが一部がまだ付いている。緩んで離れた部分は不衛生なので切り取る。
小指の皮膚はほとんど剥けた。
中指の見た目は変わらないが、腫れによる痛みは少し治まった。指先に軽く触っても痺れ感があるから、感覚はよくなっている。

■2/13(金)
午後、順天堂。経過を見て記録写真を撮り、一応包交するのみ。薬はまだあるので今回は出ない。
中指・薬指は多少腫れていて、先端に触れると強い痺れ感。腫れのためか少し曲がりづらく、指先の腹が手のひらに届かないが、医師は「結構曲がりますね」。曲げ伸ばししてリハビリするようにとのこと。両指とも新しい爪が出てきた。
小指も少し腫れているが感覚、曲がり具合は正常。爪の根本の後退が進んでいるので、やがて抜けるだろう。

■2/27(金)
午後、順天堂。今週に入ってから自分でカーゼを巻くのを止めており、経過を見るのみ。今日もカルテ用に写真を撮った。入院中に2回撮った写真のプリントアウトを貰う。飲み薬が出る。軟膏はまだ残っている。
中指・薬指の腫れは相変わらずだが、痺れ感は徐々に収まっている。腫れのため少し曲がりづらく、指先の腹が手のひらに届かないのも変わらず。細かいことや指先に力のかかる作業は少し難しい。血の巡りがまだ悪いようで、今日のように寒い日(午前中に護国寺では雪が降っていた)には先端が冷たく、少し痛む。小指の爪はまだ抜けないが、先端部分に指から剥がれたような白っぽさがある。

■3/6(金)
小指の爪は根本に新しいのが見えてきたと思っていたところ、出勤前の身支度中何処かに引っ掛けた拍子にあっさり剥がれた。
中指、薬指の腫れは先端のみとなったが曲げづらさは変わらず。痺れ感はだいぶ治まった。

■3/27(金)
午後、順天堂。経過観察のみで治療なし。次回(1ヶ月半後)外来までの飲み薬をもらう。
今回もカルテ用の写真を撮る。3本の指の爪は半分くらいまで伸びてきた。中指、薬指の指先はまだ腫れていて真っ直ぐに伸びないが、手の平の側からでは受傷したことがほとんど分からない。先端腹側には少し痺れが残っているが、これも腫れによるものかもしれない。指の温度は元に戻ったようだ。
医師「酷かったのがきれいに治りましたね」(自分ではそんなに酷いと思っていなかった)
  「山には行かないですよね?」
自分「また行きますよ」
医師「指を冷やさないように気をつけてください」(美人女医さんに、懲りない奴と思われたかな)


後日、S木氏から『感謝されない医者 ある凍傷Dr.のモノローグ 』(金田正樹、山と渓谷社)という本を借りた。
この本には水疱ができた指を後に切断などの症例が載っており、受傷直後に読んでいたら不安だったろう。「はじめに」の一節。
「凍傷はすべてヒューマンエラーによる受傷であり、防ぐことができた疾患である。ミスがどうして起こったのか、どうしたら起こらないようになるのか、そのためには実際の症例を分析することが重要である」
耳が痛いが、その言葉に従ってまとめを試みておこう。

【今回の凍傷の原因、防止策】
・寒冷、強風の稜線でピッケルを握り通しで指先が血行不良となったことが第一の原因と思われる。また雪山装備の重さのため、肩から腕の血行が阻害されたことも考えられる。
 手が冷たい、痛いという感覚がなくても折々に状態を確認し、また腕や指を動かして血行を確保すべきだった。金属に触れていると温度を奪われるので、ピッケルの握り部分にテープを巻くなども有効と思われる。
・行動中の栄養、水分摂取不足も影響したかもしれない。
 空腹や渇きを覚えなくても適宜に補給すること。脱水状態では血液の粘度が高まり血行不良の原因となる。『感謝されない医者 』にも「行動中の暖かい飲み物は凍傷予防の薬」とある。
・身体の末端だけでなく、全身の保温に気を配ること。
 肉体的、精神的ストレスが交感神経を刺激し血管を収縮させる。今回治療の一環として首にある星状神経節のブロックを受けたが、首回りが冷気に晒されるとこの神経節が優位に働き出してしまう。自分は暑がりなので山行中も首回りを割合ルーズにしておくことが多い。これが手指の血行不良を助長した可能性がある。
・受傷後の手当が不十分だった点も回復に思った以上の時間を要した一因として挙げられる。
 今回は受傷後に指先をお湯に浸けたら色が戻ったので安心したのだが、結果はご覧の通り。受傷に気づいたらよく暖め、なるべく早くに受診すること。素人判断は禁物。
・事後のことになるが、受診先の適切な選択も大切。今回は凍傷=怪我→外科と考えて病院を探したが、実際にはまず皮膚科だった。患者の絶対数が少なく診療経験のない医師も多いと思われる。今回は早めに順天堂を紹介してもらえて助かった。

【注】
*1:この時は色が戻ったことに安心してしまったが、もっと長く湯に浸して暖めた方が良かったと思われる。
*2:後から考えると表皮の壊死が始まっていたのだが、この時点では水膨れの皮が剥けたとしか思っていない。我ながら暢気なものだ。それ以前に、皮膚をいたわって水疱を極力破らないようにすべきだった。
*3:プロレナール錠(末梢の血行改善、血栓抑止)、ユベラNソフトカプセル(コレステロール低減、末梢の血行改善)
*4:軟膏はプロスタンディン軟膏0.003%(プロスタグランジンE1製剤-蓐瘡、皮膚潰瘍治療剤)。仕事場近くの病院で使ったものは未確認だが、同じだと思う。飲み薬はユベラだけになった。
*5:後で聞いたところによると、病院側の都合で差額の発生する部屋に入った場合は室料を支払う必要はないとのこと。ただし、入院の際に同意してしまうと支払わざるを得ない。今回は上のようなやりとりで室料差額についての承諾書にもサインしたので素直に支払った。また差額部屋に入る事があったらねばってみよう。
4日目に個室から四人部屋に移動したが、移動日は後者にカウントしてくれた。
*6:維持液(ソルデム3A輸液500ml)+タンデトロン20μg(プロスタグランジンE1製剤)。点滴1本を4時間の目安で落とす。退院までほぼ毎日同じ点滴を受けた。身体の内から外からプロスタグランジン漬けだ。手首に刺した針(樹脂製である程度の柔軟性がある)とそこから出るチューブは退院まで付け替えなかった。
*7:「麻酔科・ペインクリニック」という部門。説明の中で動脈からの点滴についても聞いたが、現在はあまり行われないとのこと。
*8:星状神経節は首の左右にあり、各上半身の血流をコントロールしている。受傷部位が右手なのでブロックする神経節も右側。

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