2016/8/13(土) 川苔山~赤杭山2016年08月13日 00:00

今回は地形図も持たず、まるきり普通の奥多摩ハイキング。低山でもいくらか涼しいかと、滝のある川苔山をチョイス。

川乗橋バス停から歩き出したのは9時前くらいだったか(GPSのデータが取れてなかった)。曇りがちでそれほど暑くないが、舗装路を先に行く人たちを追い越していくと汗が出る。
細倉橋を渡ったところに一室のトイレが設置されているが、水力発電設備の都合とかで現在は使用停止。ここからから登山道に入るが、ほとんどのハイキング客を追い抜いたか、人影はまばらになった。
いくつか小さな滝を見ながら行く。沢沿いの道は悪いということはないが、踏み外せば場所によって死ぬこともありそうだ。9:50に百尋ノ滝に到着。一尋は両腕を広げた長さで6尺または5尺だから、名前の通りならば150m以上の落差ということになる。さすがに実際は40m程度らしいが、それでも圧巻だし、美しい。それに期待通り涼しいので、少し離れた岩に腰を下ろして一服。大方のハイキング客はこの滝が目当てだろう、ここで数パーティを見る。
百尋ノ滝
滝から川苔山へ向かう道は一気に100mほど高度を上げて西へ。30分ほどで分岐があり、足毛岩の肩を経由する方を選ぶ。指導標によると川苔山まで0.3km遠回りになるためか、こちらにはほとんど人影がなく、山頂までに出会ったのは下ってきた一人のみ。日が出るかと思うと薄くガスがかかったりする中、11:10に川苔山(1363.2m)登頂。

下りは赤杭(あかぐな)尾根を使って古里(こり)駅へ。山頂からしばらく、分岐がいくつかあるが、指導標に従えば迷わず歩ける。傍らに色づいていた実をひとつ口に入れると、酸味が勝って甘くはなかった。よく見るベリー類だが、名前を確認したことがなかった。キイチゴで合ってる?
キイチゴ?
エビ小屋山(1147.0m)の分岐に立つ指導標は分岐を示していない(古里駅・赤杭山←→川苔山のみ)が、踏み跡は付いていて標高差50m程度を往復。いったん未舗装の作業道に出て、舗装路になる手前で再び山道に。地図によると道は赤杭(赤久奈)山頂を通らないのだが、指導標が「赤久奈山 あと10m」と示してくれていた。山頂(923.6m)は地味な高まりだが、山名標と三角点標石がある。さらに下って行き、道が向きを変えて尾根を横切るところで、この上が三ノ戸山(809m)かと斜面を登ってみる。ザレ気味の急傾斜を上がると、朽ちた山名標が置かれていた。
三ノ戸山を過ぎると自動車の音が聞こえてきて、13:30に登山口(道路の法面に付いた階段)に出た。

そこから古里駅までは10分足らず。駅前の食堂でビールとイワナの塩焼き定食を頼んだ。

■今回のルート
川苔山ルート

2016/8/20(土) テトラクロマット第3回公演「風は垂てに吹く」2016年08月20日 00:00

山の先輩にして脚本家の坂口理子さん繋がりで、劇団テトラクロマットの公演を鑑賞。

TLS(Totally Locked-in State)の闇と、朝と夜の狭間の世界を交錯させる構成が巧み。
テトラクロマットの舞台はいつも小道具の使い方に感心するのだけど、今回は舞台中央のモノが無線機から始まって七変化。人と人(犬)の絆はロープで示され(山でパートナーを結ぶロープからですか? 理子さん)、それが時にしがらみともなる。そして最後の上昇気流の爽快さ。
それにしてもライカが可哀想で涙が出る。
本当のライカはもともとクドリャフカ(巻き毛)と呼ばれていたのが、スプートニク2号搭載の時に「吠えるもの」という意味のライカ(手持ちの資料には「子山羊の毛皮」とするものもある)に改名された。軌道上で1週間程度生きたという当時のソ連発表と違って、打上げ後数時間でパニックを起こして死んでいる。宇宙船内部が非常な高温になる欠陥もあったという。やっぱり可哀想だ。幽明の狭間を彷徨いもするだろう。
リンク先にある天文台の写真は外秩父の堂平山で、作劇に当たって取材に行ったとのこと。

2016/8/27(土)~8/29(月) 立山・松尾峠~新湯~ザラ峠2016年08月27日 00:00

S木・Y氏(女性)リーダー、F見・M氏と自分の3人パーティで無名山塾の自主山行。自分の五十肩があるので歩き主体のルート選定だったが、いろいろとハプニングだらけ。日曜に下山する計画が一日遅れる仕儀となった。

■8/26(金)
新宿22:50のバスで富山へ。バスタを初めて使ったが、ビールを買おうにも売店がないのは大いに減点。慌てて駅に戻り、入場券で改札を通ってやっと買った。

■8/27(土)
富山駅から立山へ、アルペンルートのバスを弥陀ヶ原で下車。雨模様の中を9時に出発。木道と車道で追分まで戻り、松尾峠への木道に入る。20分ほどで展望台に向かって道の方向が変わる辺りで湯川谷に下りる分岐。「この道路は、砂防工事専用の緊急避難道路として整備されたものです。通行禁止」の看板と柵を乗り越える。晴れていれば展望台から谷の様子を観察するところだが、今日はガスで何も見えまい。エアリア(昭文社の山と高原地図)では1971.7m三角点と展望台、松尾峠がほぼ一緒だが、地形図上の「松尾峠」の文字は周遊ルートを外れて地形が一気に谷に落ち込む辺りになっており、本来の道はこちらだったのかもしれない。
その緊急避難道路に入ると踏み跡はほぼ明瞭で、松尾峠方面を示す指導標もある(逆方向はない)。たまに草が深くルートを探す箇所もあるものの、急傾斜にはロープや簡易ハシゴが付いており、なるほど谷底からの避難を考えたルートなのだと分かる。
松尾峠への避難道
傾斜が一段落して1530地点を過ぎ、「松尾峠まで1.7km」で古い線路跡を跨ぐ。さらに急斜面をハシゴで下りて12時に河原に出た。泥鰌池から東へ500m足らずの地点で、峠から2時間かけて600m以上下ったことになる。ここで休憩。
流木の取り残された堰堤の上を渡り、湯川谷左岸へ。砂防工事のダンプが通る道から左に分かれて兎谷を渡り、「湯川入口」の看板に従ってさらに左に折れる。基本的に湯川に沿って登ると思ったのだが、ここで工事現場の人が道路を行けば新湯だと教えてくれた。
堰堤工事のサンダーバードの如き重量感に圧倒されながら行くと、湯川谷と滝谷の中間、標高1490m辺りに事務所があり、ここではこの先の立入は認められないと言われた。がそれ以上のことはなく、工事関係者としてはそう言うしかないのだろう。「昭和十年度第二號石堰堤」と刻んだ標石を見るにつけ、かつての温泉道と砂防工事の歴史を想う。
石堰堤碑
標石脇の梯子段を上がるとコンクリート養生中の道路があり、その終点に13:20。地形図の刈込池の「刈」字の下辺りで、周囲を探ると切り崩した泥斜面を上がった際に「新湯↓」と記した赤テープが付いていた。急傾斜を懸垂下降すると、左右から植物がせり出しているものの確かな道に出た。古い登山道が道路工事で寸断されているのだろう。途中、ルートを探す場面もあったが、道は湯川谷に並行しており、電線のようなケーブルも見える。
新湯への道
14:10 新湯の上の湯池に到着。湯気が上がり、手を浸けてみると結構熱い。ここから谷の方に湯が落ちる箇所があるはずだが、池の縁を回っていくのは無理だ。池の手前でケーブルは道からそれて斜面を下りているが、そこを探っても先が見えず、懸垂下降できるか判断できない。結局少し戻って樹林から河原の見える位置で懸垂下降。後で確認したところ地形図で土崖マークの始まる箇所で、樹林の下は抉れていた。
湯池/河原へ下降
河原を進んで行くと、崖際の水流の跡が黒っぽく温泉ふうになってきた。そろそろかと思っていると、S木氏が「ここじゃない?」 事前に見た記録では河原に湯船があったが、言われてみるとこの水流跡の窪みが確かにそれだ。崖上からわずかな流れがあり、これが暖かく、この上が湯池なのだ。何と温泉は消失していた。ショック。時に15:20。周辺を確認の上、ここならば谷から一段高いので多少増水しても安全とテントを張った。

■8/28(日)
夜中、テントの外でサラサラと水流の音がする。4時前に起床してみると、湯池からの岩肌をお湯が流れ落ちているではないか。湯船を修復すれば温泉にならないものでもない。湯池の水量は変動するのか。半分より欠けた月が出ていて、天気は良さそうだ。
昨夜の残り物で朝食にし、足元が見えるようになるのを待って 4:50 出発。沢に踏み込むので、自分は素足に持参のサンダルだが、だんだん擦れて皮が剥けてしまった。水は冷たくなかったが素足はよろしくない。沢の合流を地図と照らし合わせながら行き、前方の視界が開けると、正面の赤茶けた地肌むき出しのピークは地形図の2154mか? 右手の断崖を有する峰が「大鳶山の大崩壊地」らしい。
朝日の当たる大崩壊地
2000mの下辺りで右から入ってくる支沢を見送ると水がなくなる。ここで靴に履き替え、いよいよザラ峠の登りだ。峠までの標高差350m、ザラという名前よりは大きい感じの角の鋭い岩屑が累々とした急斜面。昭文社地図には危険マークの一方、廃道ながらも実線ルートが入っているのだが、足元がとにかく不安定。二本足では不足で手をつかなければ安定しない。岩の間に草の生えた箇所を拾って、自分はやや左、二人は右寄りに登る。ガラ場の左手の斜面からはまだ水流がきている。三人の間に入ってきた小さな灌木帯を横切って二人に合流。コンパスを合わせると峠から少しずれているが、上がってから回り込むのであろうと登り続ける。
ザラ登り
登るほどに傾斜が増し、ガラ場を真っすぐよりも上がりやすいかと思える左手の灌木の斜面をF見氏がロープを引いて先行、上でフィックスしたロープに自分はプルージックをかけて登る。ところが、これもまた満足な手掛かりのない急斜面で、ロープに頼ったゴボウになってしまった。F見氏はよく登ったなと思うが、ピッチを切った箇所も枝が邪魔な上に足場が狭く、3人が安定して立っていられない。最後に上がってきたS木氏がそのまま先へロープを伸ばしていくが、出だしから崩れそうな岩で苦労している。バリエーションとしても登られているルートでないことは明らかだ。しばらく待って再びプルージック登り。
上がってみると、前方は脆そうな細い岩を経て灌木林に入り、そこから尾根に上がれそうな様子。後方は「大鳶山の大崩壊地」。で、ここはどこだ?とGPSと地形図を突き合わせて確認する間、F見氏には待ってもらう。ハンディGPSの小さな画面では判りづらいが周辺の地形と併せ考えて、ザラ峠に上がる地形図上の破線から南へずれたものと判断。先ほど「峠から少しずれている」と思ったのが、そのままずれ続けてしまったか。ここは無理に前進せず、確実な地点まで戻ることにする。
灌木を分けてガラ場まで懸垂下降し、あとは斜面側を向いて、石の細かい箇所では半ば滑りならが下りる。
懸垂下降で後退
正しいルートであるはずの谷底を前に安定した場所で休憩。ガラ場を離れて灌木の斜面に取り付いたのが9時半、後退を決定したのが11時半、ここまで戻って14時半。ルートミスでずいぶん時間を食ってしまった。緊張したためか喉も渇いた。
谷の底まで下りてもやはり明瞭なルートは見当たらないが、方角を修正して再びガラ場登り。自分は左手の水流に行って水分補給した。藪に行き当たって多少なりとも踏み跡と見えるところに入って行き詰まり、後尾にいた自分が先頭でガラ場まで引き返すと、あとの二人はその手前で別の道らしきものを行ってしまい、近くで声はするのに姿が見えない。結局それぞれにルートを探しながら登り、最後は自分が藪の中から稜線に出た二人を見上げ、そこから強引に藪を突っ切ることになった。
息を切らせて稜線上に揃ったのが17:20。どうやらザラ峠(2348m)を踏むことなく、峠の北に突き上げてしまったようだ。これから室堂に下山しても今日中の帰宅のは無理。幸い電話が通じたので、各自に家族へ連絡し、山塾宛にもリーダーから一報を入れた。
ここからは一般ルート、昭文社地図のコースタイムは5時間以上あるが、今日中に室堂まで下りてテントを張り、明日朝イチで帰ろうと歩き出した。しかし、次第に身体が重くなる。これは脱水の症状だ。二人との間隔が開き気味になりながら必死に足を出すうち、次第に風が強まってきた。台風の影響が出るのはまだ先と予想していたが、風が先に来たらしい。一般ルートとは言え時によろけるような風を受けて暗い中を進むのは危険かもと思っているところへ、龍王岳の先の分岐に建つ富山大学の小屋(「富山大学立山施設」の看板が掛かっている。正確には小屋ではなく気象や動植物の観測拠点)が現れたので、その陰に風を避けてテントを張らせてもらった。施設への到着は20:50。ザラ峠から3時間50分はコースタイム通りだが草臥(くたび)れた。

■8/29(月)
テント撤収して6時半に下山開始。やがてガスも取れ、一ノ越手前からミクリガ池、ミドリガ池がきれいに見えた。7:40 室堂バスターミナルに到着。
立山の眺望
バスで立山に下り、駅前の千寿壮で入浴。お湯を落とす前でよかった。さらに、もはや急ぐこともないのでカルデラ砂防博物館を見学。湯池が本当に間欠泉だったとは。新湯周辺の地形模型を見ながら、登山道がこう付いていてこの辺から懸垂下降して・・・と検証。ピンポン玉の雪崩実験は真面目な内容だが楽しい。
さて、富山へ出ようと電車に乗ったところが、途中の踏切でトラックが横転しており立往生。結局立山に戻り、駅構内で昼を食べてから、代替バスが出ることになった。
最後までハプニング続きの山行だった。ま、こんなこともあるわな。

■今回のルート
ザラ峠ルート

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