2009/8/8(土)~8/10(月) 剱岳2009年08月08日 00:00

無名山塾の自主山行で剱岳へ。
映画「剱岳 点の記」(⇒ 映画.com)に便乗した訳ではないが、山塾本科の夏の企画として、剱をこの前後の日程でいろいろ計画しようというのに乗ったもの。ただ、休みが取れるか不透明だったため単独行とした。ルートは危なげのない一般登山道から、登ったことのない早月(はやつき)尾根を選択。
他の計画を見て、チンネ登攀を狙うM本・Y氏(メンバ:Y田・M氏、S木・Y氏)が同じ日に早月尾根から上がることが判明したので、早月小屋まで行動を共にすることに決定。

前夜24:01の急行能登に乗車すべく大宮駅へ向かうが、線路冠水とかで能登到着が1時間以上遅れた。指定席はM本隊3人はまとまっており、こちらは一人。照明が落とされるまで持ち込んだ酒と新田次郎の文庫本。思ったよりよく眠れた。

■8/8(土)
滑川で乗り換えて上市へ。タクシー会社も慣れたもので、山屋(ヤマヤ)のグループに人数を訊いて車両を割り振っている。駅近くのコンビニに寄ってもらい、登山口の馬場島(ばんばじま)まで8200円。
8:15、標高760mから歩き始め。曇り、22℃。早川尾根の入口に「剱岳の諭」の碑がある。言葉の問題で突っ込みを入れたい点もあるが、碑の建っているのは「剱岳鎮魂の社」の傍ら。ここは素直に読んでおこう。
剱岳の諭
この早月尾根は北アルプス三大急登のひとつ(*1)。今日の目的地である早月小屋(2200m)まで1400m以上、樹林の中を上がらなくてはならない。前夜の雨で足下がぬかるむ中、M本氏を先頭に息が切れないペースで高度を上げていく。登山道で出会う見事な巨木は立山杉という種類らしい。
1260m付近の平坦地で休憩した際、Y田氏のズボンにセミの幼虫が付いていた。羽化するつもりらしいがノンビリした奴だ。仲間は早朝のうちに飛んでいってしまったぞ。S木氏「セミの幼虫の動いてるのは初めて見た」。それにしても暑い。汗でシャツはおろかズボンもびっしょり。これで日が照っていたら干乾しだ。どうせ視界はないし曇っていてよかった。
昼過ぎ、1800m付近で草刈りの2人組に出会う。年配者と若者のペア。暑い中、ご苦労さまです。
このコースは途中200m毎に「ここは標高○○m」と案内板があるのだが、標高1600mとあるのは実際には1551地点。皆、高度計と見比べて案内が100mずれている(つまり実際の標高は1500m)と思ったのだが、後で地形図を確認したところ50m差だった。その次もずれているが、2000mは正確。1920.7mの三角点は「点の記」の主人公・柴崎芳太郎たちが設置したものだそうだ(*2)が見落とした。

13:20、早月小屋に到着。Y田氏が「テン場がこんなに混んでるのは見たことがない」という賑わいぶり。ここまでの道に人は少なかったのに、やはり映画の宣伝効果だろうか。
早月小屋テント場
テン場の隅にM本隊はツェルト、自分は2人用テントを張り、小屋でビールを買って屋外で乾杯。薄いガスがかかり一時は小雨も降って周囲はよく見えないが、雲の隙間から時折、小窓尾根がのぞく。ツェルトに入って(思ったより広く、4人が十分に座れる)さらに飲み、食事。自分のテントに引き上げて20時就寝。

■8/9(日)
夜中に目を覚ますと大雨が降っている。ツェルトの様子を見ると暗く静まっているので、大丈夫なのかなとまた眠る。
3時起床。断続的に小雨。ツェルトに声をかけると「水没したよ」とY田氏。そりゃ大変でした。それぞれに食事をし、天気の様子を見るというM本隊を残して4:20に出発。カッパを着込んでヘッドランプでの行動開始だ。
早月尾根からの眺望
早月尾根からの眺望
1時間ほどすると雨が上がったのでカッパを脱ぐが、その後も降ったり止んだり。気温10℃、岩に触っていると凍傷の跡が少し冷たい気もする。何人か追い抜くが、連続するクサリ場で6~7人パーティの後ろになってからはゆっくり進行。
早月尾根上部
7:10 三度目の剱岳(2999m)登頂(過去2回 ⇒ 2005/9/23~9/242008/8/1~8/3)。
山頂は大賑わい。幸い雨はやみ、割合に見晴らしがきいた。来た方向を振り返ると早月小屋から馬場島。反対側には鹿島槍ヶ岳、五龍岳。立山の奥に槍~穂高、さらに左には富士山も覗いていた。目の下には山塾I干隊が取り付いているはずの源次郎尾根と、1年前に上半を登った八ツ峰。
剱岳山頂から
剱岳山頂から
7:30 下山開始。覚悟はしていたが、カニのヨコバイで渋滞。
カニのヨコバイで渋滞
下を見るとタテバイの基部も行列している。クサリ場、ハシゴを抜けて平蔵の頭までに1時間近くかかったが、ここまで来ると分散したのか人影も少なくなった。また降ったり止んだりだが、面倒なのでカッパは着けない。あとは前剱を突破し、花に誘われて少し横道に入り、一服剱で一服し、剣山荘を過ぎて、10:20 剱沢キャンプ場へ。

小屋が見あたらないが、ここ剱沢だよな? I干隊のテント2張りを探すが見つからず、水場からほど近いところに設営。剱沢小屋は1年前に通過した時に資材置き場かと思った場所に移転しており、テン場からちょっと遠くなっていた。ビールを買いに行って戻る途中でまた降り出し、テントに戻って外に広げてあったザックやカッパを放り込む。止めば外に出て剱を眺め、降り出せば入って新田次郎を読んだり。11時頃、試みに無線でI干隊を呼んでみると応答あり、源次郎を終えてカニのヨコバイで待ちとのこと。13時頃、今度はI干隊から呼び出し、一服剱(言い間違いで、実は前剱)で渋滞とか。テントの特徴を訊いて探してみると、T嬢が残っていた。朝、源次郎尾根に向かったが体調がすぐれず引き返して寝ていたとのこと。新人のS木氏は個人山行扱いだが経験不足のため剱を止められ、立山を歩いている。
とこうするうち、チンネを断念したM本隊が下りてきてツェルトを設営。また降るのは必至なので、上にテントシートを張っている。外でお茶と酒を飲んでいるうちS木氏が合流。しかし、I干隊の帰還が遅い。無線も通じず、そろそろ心配になりだした頃(16時前くらいか)、メンバがパラパラと帰ってきた。
食事の後、I干隊の4人用テントに10人入って宴会。実にうるさいテントだが、周囲を慮って19時過ぎに解散。
明日一緒に下山するK山・N氏がI干隊からこちらのテントに移って就寝。夜中、断続的にかなりの雨と強風。

■8/10(月)
3:40起床。風雨が激しく出発は様子を見ようかと思ったが、夜明け頃には小雨に落ち着いた。外に出てみるとM本隊のツェルトは半壊。3人で火を囲んで耐え、ほとんど寝ていないとか。二晩続きでお疲れさまです。
5:20 出発。K山氏は登りに弱いが岩の転がる下りでは速い。7:15に室堂ターミナルに到着、7:45始発のトロリーバスに乗った。
信濃大町からの大糸線は白馬帰りらしい登山客で混んでいたが、特急あずさには松本で自由席の余裕があった。

■今回のルート
剱岳ルート

*1:・・・とエアリア(昭文社の山と高原地図)にあるのだが、帰宅して調べたところ、北アルプス三大急登は「烏帽子岳(飛騨山脈)のブナ立尾根・笠ヶ岳の笠新道・燕岳の合戦尾根」(ウィキペディア、他)。違うじゃん。ちなみに日本三大急登は「ブナ立尾根、南ア・甲斐駒ヶ岳の黒戸尾根、上越・谷川岳の西黒尾根」。
*2:基準点成果等閲覧サービスで確認すると、1920.7(景4)、剱岳山頂(景27)とも明治40年=1907年の選定。景4の点の記に選定者の記載は無いが、時期は合っている。
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