2024/8/5(月) 「ツイスターズ」2024年08月05日 13:00

「ツイスターズ」鑑賞@イオンシネマ熊谷。

38年前の前作「ツイスター」はTVで観た。今作は予告編を観て「竜巻の猛威をCGで見せ、そこにヒーロー、ヒロインが現実にはありえないようなアクションで絡むのか」とあまり食指が動かなかったのだが、良い評判を聞いたので出かけてみた。
結果は、CGには違いないが作り物感に白けるようなことはなく、ありえないアクションは控えめ(全くないとは言わない)。ヒーロー、ヒロインの肉弾戦よりも、観測機器や理論の裏付けのある対策で竜巻に挑んでいく姿勢が気持ち良い。ラストの大竜巻鎮静化もヒロインの働きによるものか偶然の結果なのか「調べてみなければ」という謙虚さ。そういった描写をさらに深めてくれれば<科学者映画>と呼んでもよいところだ(自分の中で<科学者映画>の筆頭は「コンタクト」である)。
ディザスタームービをそれほど観ている訳ではないが、平均点以上の出来だろう。2時間楽しめた。

ヒーローはどこかで見た顔だと思ったら、「ドリーム」(⇒ 予告編 Youtube)のジョン・グレンだった。

2024/8/8(木)~8/12(月) 礼文、利尻2024年08月08日 00:00

無名山塾T中・H氏との北海道シリーズ第3弾(第1弾 ⇒ 2022/7/27~7/29 大雪山~トムラウシ山、第2弾 ⇒ 2023/7/19~7/22 硫黄山~羅臼岳)。ただし、礼文岳、利尻山とも登山としてはごく易しいため、個人山行とした。
計画した旅程は以下の通り。
 8/ 8:羽田⇒(飛行機)⇒稚内⇒(フェリー)⇒礼文島(香深)、桃岩荘ユースホステル
 8/ 9:礼文島8時間コース(スコトン岬発)、桃岩荘ユースホステル
 8/10:礼文岳、礼文島⇒(フェリー)⇒利尻島(鴛泊)、利尻ぐりーんひるinn
 8/11:利尻山、利尻島⇒(フェリー)⇒稚内、ゲストハウスモシリバ
 8/12:稚内⇒(飛行機)⇒羽田
初日の飛行機遅延のため予定の完全消化はできなかったものの、まずまずの天気で島を歩けて、自分としてはほぼ満足。しかし、T中氏は利尻山に登れず、不完全燃焼だったかもしれない。

■8/8(木)
羽田10:40便(ANA571)が前日の首都圏ゲリラ豪雨の影響で機材繰りがつかず、13:30発と大幅遅れ。これでは礼文行きのフェリーに間に合わないので、空港から桃岩荘に電話して1泊目の予約をキャンセルし、稚内のホテルを安さ優先で探した。明日最初のフェリーで礼文島に渡っても8時間コースを歩くのは無理なので、明日は礼文岳、明後日に(可能なら)8時間コースと、順序を入れ替えることにした。
羽田空港
離陸してしまえば飛行は順調で、稚内空港へ向けて降下していくと風力発電の風車が多数見える。バスで南稚内駅へ移動し、ホテル宗谷(⇒ じゃらん)に投宿。だいぶオンボロだが、フロントで北海道限定焼きそば弁当とアイスキャンデーをサービスしてくれるのは良い。確保できたのはダブルベッドルーム(2名で15000円)だが、テントで寝ることを思えば何でもない。ホテル近くの寿司屋「魚一」で飲んでから、ツルハドラッグで明日の食糧など仕入れた。

■8/9(金)
ホテルから2.5kmばかり歩いて稚内のフェリーターミナル(⇒ ハートランドフェリー)へ。朝一6:30の便で礼文島へ渡る。ガスが掛かっているが、いちばん高いのが礼文岳だろう。
礼文島
バス待ちのため、香深のフェリーターミナル周辺で1時間ほど暇を潰す。レンタサイクル(港近くの店では500円/1時間、3000円/1日)もあり、それを利用している人たちも後で見かけた。
バスから窓外を見ていると、海岸線から道路を挟んですぐに急斜面が立ち上がり、一部は崖と呼ぶレベル。その狭隘な土地に斜面(崖)を背にして家が建っている。海側に目をやると、利尻の島影が雲間から少しだけ覗いた。
内路BSの傍らに「礼文岳登山口」の看板があり、標高は10m。駐車スペースにはクルマ4~5台の他に自転車も停めてあった。着替えなどをデポして、10時過ぎに行動開始。登山口は津波避難場所の入口にもなっていて、数分登った海抜45m地点が避難場所になっている。
礼文岳登山口
「花の浮島」と言われる礼文島だけあって、盛りは過ぎているものの様々な花が見られた。ヒヨドリバナ、キリンソウ、ハンゴンソウ、コウゾリナ、アメリカオニアザミ、ヤマハハコ、オトギリソウ、トウゲブキ、ネジバナ、オオヤマサギソウ、シロヨメナ(?)、等々。
ヒヨドリバナ、キリンソウ
ハンゴンソウ、コウゾリナ
アメリカオニアザミ、ヤマハハコ
オトギリソウ、トウゲブキ
ネジバナ、オオヤマサギソウ、シロヨメナ?
登山道の初っ端(しょっぱな)にはラズベリーらしい実もあった。(※植物名には同定誤りがあるかも)
登るにつれて花は少なくなっていくが、ササの間に頭を出しているのはガクアジサイかと思う(実際はアジサイ科のノリウツギのようだ)と、似たような花が他の木に巻き付いて咲いている。ツルアジサイというのは初めて見た。
ノリウツギ、ツルアジサイ
道は最初こそ急登だが、じきにだらだら登りとなり、ぬかるみもある。緩やかではあるが樹林や笹の中で風もないので思ったより汗をかき、中ほどの「合流点」(標高220m)で休憩。以前は起登臼(きとうす)ルートが合流したのだが、そちらにはトラロープが張られて進入禁止になっている。
山頂手前の小ピークまで来ると南側が開けたが、近い稜線から先はガスで見通せない。頂上へ向けて笹原の間に道が伸びている。
礼文岳山頂手前からの眺望
礼文岳山頂への道
12時、礼文岳(489.8m)に登頂。三角点は一等だ。やはりガスで遠望は利かない。山と高原地図によると「利尻山の展望が素晴らしい」のだが残念。
礼文岳山頂
礼文岳三角点
半分終わっている花はチシマワレモコウか、それともエゾイブキトラノオか?
チシマワレモコウ?
山頂迄に何組かと擦れ違い、また、後から2~3人が登ってきた。
下山しても次のバスまで時間が余るので、山頂で40分ほどのんびりと過ごした。登山口に戻って14時。
電話でタクシー(イシドウハイヤー)を呼ぶことができて、運転手(石堂さん)から食事場所などを教えてもらった。桃岩荘の周囲には何もないとのことで、ユース前BS(この停留所名は桃岩荘と関係があった)近くのセイコーマートで降りて夕朝食とビールなど仕入れ、そこから歩いてうすゆきの湯へ。汗を流してからフェリー時間に合わせてターミナルに赴くと、狙い通りに桃岩荘の送迎バスが来ていた。噂通り、出港するフェリーに向かって旗を振ったりしているが、旗持ちは子供か? バスには桃岩荘の他に民宿はな心の名前も入っている。後で聞いたところでは、はな心は元ユースホステルで、ユース前BSはその名残。オーナーは礼文島入植の始祖の家系で、桃岩荘と共に経営しているのだとか。

フェリーで着いた客とともにバスで桃岩荘へ。今日はいつになく初回客が多いらしいが、一方でスタッフとツーカーの常連(若い女性だった)もいる。車中での説明(?)に曰く
 ・バスは乗客の掛け声がないと動かない。声が小さいとダメ。
 ・桃岩荘に馴染みになると、桃岩ネームが与えられる。説明しているのはダテチャン、運転手はオービスヒカル、とか。
 ・新桃岩<タイム>トンネルを潜ると、現実世界より30分進んだ桃岩時間が適用される。
  (真面目な話では、かつて客がフェリーに乗り遅れるといったことがあり、30分前倒しで行動することになったと)
 ・桃岩荘を楽しむため、知性、教養、羞恥心を車中で丸めて外へ放り出す。帰りに拾っていかないと社会復帰できない。
そんなこんなで桃岩荘に到着。ここから礼文三大奇岩(桃岩、猫岩、地蔵岩)すべて見えるとのことだが、地蔵岩は少し歩かないといけないようだ。
桃岩荘
桃岩、猫岩
軒下に置いてある「茨城発 67歳 日本一周中」の札を付けた自転車は以前にネットで見た気がするが、同じような旅をしている別人だろうか。
受付で明日の予定を訊かれ「8時間コース」と答えると、連泊でないと無理とのこと。8時間コースは勝手に歩くのではなく、泊り客でパーティを組むのだった。しかも、宿のクルマがスコトン岬まで送ってくれると思っていたのが実際にはセイコーマートまでで、そこからバスで出発地へ向かうのだ。自分ら二人の足であれば、早朝の浜中を起点に香深井まで歩いて夕方のフェリーに間に合う計算だったのだが、バスを使っての団体行動では到底無理だ。明日は岬めぐりの4時間コースということになる。
ベッドを割り当てられ、買ってきた弁当を食堂で食べ、洗濯機を使ったりしているうちに、桃岩荘名物、ミーティングの時間となった。礼文島の紹介などまともなコーナーもあるが、あとはスタッフ先導で歌ったり踊ったり大騒ぎ。「○気の桃岩ユース」と噂に聞いた通りだ。T中氏は蛇口の付いたパンツを履かされて「8時間給水係」に任命されていた。
桃岩荘ミーティング
ミーティングの後、8時間コース、4時間コースそれぞれに説明を受けて参加を申請する。8時間コースは7~8人いるが、4時間を歩くのは我々だけとなった。

◇本日(8/9)のルート(礼文岳)
8/9_礼文岳ルート

■8/10(土)
8時間コース、4時間コースの参加者は点呼の後、5:45(実時間)に桃岩荘のクルマで出発。我々はこのままチェックアウトなので、セイコーマートで桃岩スタッフとはお別れとなる。バス初便をしばらく待ち、8時間組は浜中まで、我々は終点のスコトン岬へ。
土産物店を冷やかしてから岬の先端に下りてみる。途中、岬の腹に波にさらわれそうにして民宿が建っているのに驚いた(⇒ 民宿スコトン岬)。
スコトン岬
曇って風が強く、波も荒い。道端には白やピンクのノコギリソウ、カワラナデシコなどが見られた。
ノコギリソウ、カワラナデシコ
7:40に出発。コース終点の浜中からフェリーターミナルに戻るバスは11:47なので、使える時間は正しく4時間だ。
バス道を少し戻って右へ折れると、野原の中のペンション風の建物は星観荘(⇒ ゆうひの丘Homepage)。絵になるロケーションで、宿泊料もリーズナブルだ。
その先の分岐を右に取って鮑古丹へ。クルマの入れない道で、傍らにはムラサキツメクサ、チシマワレモコウ(あるいはトラノオ)、ツリガネニンジンなど。ヨモギに付いている白いブツブツは虫こぶらしいがよく分からない。
ムラサキツメクサ、チシマワレモコウ
ツリガネニンジン、ヨモギの虫こぶ
海に落ち込む崖を見ながらゴロタ山へ。
ゴロタ山
てっぺん(180m)にゴロタ岬の標柱があって、本当の突端までは行けない。そこから下りていく草原の道は陸地の細さを感じさせて、特に風が強かった。
ゴロタ岬
ゴロタノ浜に下りるとイブキジャコウソウ、ハマナスには花も実もある。
イブキジャコウソウ、ハマナス
鉄府辺りでは二枚貝の穴の開いた貝殻が拾えると桃岩荘ミーティングで言っていたが、バス時間もあるので砂浜には行かなかった。ただ、玄関の軒下にたくさん置いている民家があって、実物は見られた。
鉄府で9:40。ここから浜中へのショートカットもあるが、時間は大丈夫だろうと澄海(すかい)岬の方へと進む。崖下の海岸沿いに踏み跡を辿ると、右手の岩山の上に祠が見えるところで行き止まりになった。地図を確認すると祠は鉄府厳島神社で、岬めぐりコースはここまで来ないはずだが...戻ってみると、崩壊斜面の下に道標が立っているところから登る道があるのだった。斜面に気を取られて道を見落としていた。T中氏は時間を気にしたが、とりあえず自分は坂道を上がってみると、鉄府漁港からゴロタノ浜、ゴロタ岬まで一望。そこへT中氏も上がってきた。
澄海岬付近から見るゴロタ岬
少し進むと澄海岬を見下ろし、神社を経て車道に下りる。車道の先が岬だが、万一バスを逃すと痛いので岬は割愛した。
あとは車道歩きで浜中へ。時期が終わって閉鎖されたレブンアツモリソウ群生地を通過し、11時前にバス停に到着。地図に「ゴマフアザラシが見られる」とある海岸に下りて時間を潰したが、荒れ気味の海に生き物の姿は見えなかった。

ターミナルに戻って、今日もうすゆきの湯。ウニ丼1万円が話題の炉ばたちどり(⇒ 食べログ)は混んでいたので、並びの食堂(民宿)さざ波でホッケの開き定食を食す。まだフェリーまで間があるので、礼文町郷土資料館に入る。クイズラリーの賞品で回したガチャはサメの歯(を模したプラスチック)のアクセサリーだった。

16:30のフェリーで利尻島(鴛泊)に渡り、ターミナルから徒歩で利尻ぐりーんひるinnへ。チェックインして食事に出たが、ターミナルとの間で唯一目に入った居酒屋は人手不足らしく入れず、DCMニコットで弁当を買って戻った。食堂で食べていると、桃岩荘で会った男性がいる。また礼文に戻るそうで、何故今日は利尻なのかよく分からなかったが、あのノリにハマった人なのだろう。恐るべし桃岩荘。

◇本日(8/10)のルート(岬めぐり4時間コース)
8/10_礼文4時間ルート

■8/11(日・祝)
朝、利尻山の登山口までぐりーんひるのクルマで送ってもらえる。ところが、朝食を食べていると、T中氏が「下痢をしてしまって、今日はやめておきます」。T中氏を残し、2台に分乗して自然休養林北麓野営場(標高210m)(⇒ 利尻富士町/キャンプ情報)へ。駐車車両、テント多数。宿泊者同士でつるむことなく、それぞれに出発していく。自分は登山届を書いて、5時過ぎに歩き始め。曇り。
すぐに日本名水百選の甘露泉水があるので、掌に受けて飲んでみる。特に冷たくはないが、良い水だ。岩から湧き出しているし、利尻・礼文にキタキツネはいない(⇒ 北海道森林管理局/利尻島生物群集保護林)ので、エキノコックスの心配はない。
笹交じりの樹林の道を登っていくうちガスが濃くなり、一時は降ってきそうな気配だったが、6時頃には空が明るくなってきた。次第に傾斜が強くなり、六合目(760m)・第一見晴台で雲海を見る。
利尻山第一見晴台より
七合目(895m)・胸突き八丁から一層の急登。傾斜が一段落する第二見晴台で一休みしていると、薄いガスをスクリーンにしてブロッケンが見られた。
利尻山第二見晴台でブロッケン
八合目(1218m)・長官山(ちょうかんざん)まで登ってようやく利尻山頂を望めるのだが、ガスがなかなか取れない。山名は北海道長官・佐上信一の登山(1933年)を記念したもので、その歌碑が建っている。
利尻山八合目より山頂
ここの三角点(1218.7m)は登山道から離れて歌碑の先にあったようだが、未確認。下山後に一等三角点であることに気付いたが、惜しいことをした。
緩やかなアップダウンで利尻岳山小屋(1230m)を過ぎ、樹林を抜ける。ふたたび傾斜が強まり、ハイマツ帯から草原、さらに火山らしく赤茶の荒れた地面が出てくる。沓形登山コースとの合流点には登山道整備のための土嚢の運搬依頼が掲示されていた。整備は終わったようで運ぶべき土嚢は置かれていないが、その運搬先は丸太階段の先の「マリオみたいなところ」。なるほど、この斜面がザレた状態だったら、さぞ登りづらいだろう。
利尻山マリオの土管
さらに階段状の整備が続き、最後の斜面を登って、9時に利尻山(北峰、1719m)に登頂した。神社の傍らには「天堅嶽」と刻まれた石碑(⇒ 利尻山登山路の石碑)が横たえられている。
利尻山頂へ
利尻山神社
利尻山頂より
隣の南峰(1721m)の方が少し高く道も見えるのだが、崩落が激しいため、残念ながら立入禁止となっている。西の沓形方面から南にかけては晴れたが、それ以外はやはり雲がかかり、礼文島は確認できなかった。何はともあれ、最北の百名山をゲット。山頂はスマホが通じたので、T中氏にLINEで登頂を連絡した。
20分ほど景色を堪能してから下山を開始。利尻山の花は礼文岳の部分集合という感じだが、クロツリバナやチシマギキョウ、リシリブシ(トリカブトの仲間)、シコタンハコベ辺りが目新しいところだ。
クロツリバナ、チシマギキョウ
リシリブシ、シコタンハコベ
12:20に野営場に戻ってみると、駐輪場に日本一周オジサンの自転車が停めてある。桃岩から移動してきて、今晩はここでキャンプするのか。

野営場から車道をゆるゆると30分ほど下った利尻富士温泉で汗を流し、利尻山神社に挨拶してから、フェリーターミナルでT中氏と合流した。
T中氏は体調回復したものの、フェリーまでに見るべき場所もなく(ペシ岬に登る気力など互いに持ち合わせていない)、ターミナル前のTSUKI CAFEでビールなど頼んで時間を潰した。
稚内行き17:40発フェリーに乗船してみると2等に椅子席はなく(優先席には設置)、靴を脱いで上がるカーペットスペースのみ。乗船開始前から長い行列ができていたのは、良い場所を取るためだったのか。行列に並ばずに出遅れたが隅に空きを見つけ、稚内までの1時間半あまりを過ごした。

稚内ではゲストハウスモシリバに投宿。ここも予約できたのはダブルベッド(5150円 /人)だったが、何も問題なし。周囲の飲食店などは既に閉まっているので、またもやセイコーマート頼みで夕食を仕入れ、宿のダイニングで食べた。スタッフや周りの宿泊者の雰囲気も良く、施設も清潔で、満足できる宿だ。

◇本日(8/11)のルート(利尻山)
8/11 利尻山ルート

■8/12(月・祝)
チェックイン時に頼んでおいた朝食(自分はトースト1000円)をダイニングで摂る。自由に飲めるコーヒーもあって嬉しい。
チェックアウトし、バスでノシャップ岬へ。ここで初めて利尻山の全体を見るが、裾野だけは海面にたなびく雲に隠されていた。
ノシャップ岬
ノシャップ寒流水族館青少年科学館のわっかりうむ開館まで、開いていた南極越冬隊資料展示コーナーを見物。
南極越冬隊資料展示コーナー
すぐ近くに稚内観光スポットに名の出る樺太食堂があり、次々にやってくるライダーなどが入店待ちしているが、こちらはさすがに朝食から間を置かずに入るのは苦しい。
わっかりうむでは、水族館の展示や、フンボルトペンギンの餌やり、お姉さんの声にもやる気を見せないゴマフアザラシのショー、科学館のプラネタリウム(申し訳ないが眠かった)など一通り見学。
ペンギン&アザラシショー
適当な時間になったので、樺太食堂へ。回転が速く、少しの待ち時間で入れた。食事そのものを除いて店内は撮影禁止だが、壁や天井一面に貼られたメッセージが圧巻。二人ともうにだけうに丼(5950円)を注文する。礼文で1万円と話題になっていたので、これが安く思えてしまう。うには甘くコメも美味しく炊けていて、大いに満足した。
うに丼
手近な土産物店のあきかわ屋で自宅と叔父方にメロンなど発送。バスで稚内駅に戻り、空港行きに乗り継ぎ。15:10のANA574は20分遅れで飛び、浜松町の日高屋で夕食兼打上げをした。

2024/8/18(日) 弥生美術館(小松崎茂展)2024年08月18日 15:00

弥生美術館にて<日本出版美術家連盟(JPAL)の作家展>として3人を取り上げるうちのひとつ、小松崎茂展を観る。
K田・T(ミクシィネーム:さざんかQ)氏、S戸口(ミクシィネーム:++ungood)氏と誘い合わせたのだが、S戸口氏は奥様の体調不良のためキャンセル、K田氏と二人での鑑賞となった。

これが名高い「イルカがせめてきたぞっ」か。
イルカがせめてきたぞっ
そして、このパネルは拡大コピーかと思いきや、手描きであることにK田氏が気付いた。サインを見れば、小松崎の最後の内弟子・上田信の手になるものだ。
イルカパネル
しかし、このイルカ、ボンベから何を吸っているのだろう?

美術館3Fの一室にまとめたこじんまりとした展示で、他に『メカニック・ファンタジー  小松崎茂の世界』(集英社、1982年)の原画数点、パラフィン紙を掛けて赤黒に着色した漫画原稿、いろはかるたの絵札(45枚を額装)、『宇宙戦争』挿絵(小説中に馬車の場面があったろうか。本はおそらくこれ ⇒ 国会図書館サーチメルカリ)、1930年代のスケッチをもとに描き直した風景画など。
『宇宙戦争』挿絵
本展に挨拶文を寄せている小松﨑憲子氏(茂の孫)は、【公式】小松崎茂ONLINE美術館で代表作やサンダーバードetc関連の作品を展示してくれている。

高畠華宵の美人画なども眺めてから美術館を出て、K田氏と根津駅そばの秋田屋に入ってかき氷を食べた。

2024/8/19(月)~8/22(木) 仙塩尾根(塩見岳~仙丈ヶ岳)2024年08月19日 00:00

8月中にもうひとつ大きな山に行きたい。かねて考えていた仙塩尾根はどうかと調べてみると、鳥倉林道ゲート行きの毎日あるぺん号があり、小屋の予約も取れる。天気予報はあまり好くないが、塩見から仙丈へと北上することにした。

■8/18(日)
北千住の叔父宅に荷物を置いて弥生美術館へ(⇒ 8/18 弥生美術館(小松崎茂展))。戻って夕食を御馳走になり、竹橋を23時発のあるぺん号(14500円、伊那大島駅でタクシーに乗換え)に乗車した。

■8/19(月)
伊那大島駅でタクシーに移ったのは自分を含めて2名だけだった。鳥倉林道ゲート(標高1650m)には予定通りの5時前に到着。身支度・トイレを済ませて5:20に出発、林道歩きで鳥倉(豊口)登山口(1770m)まで40分。途中、右手に朝日を浴びて、前茶臼山~奥茶臼山の稜線(帰宅後調べ。茶臼岳に非ず)が見えた。
茶臼山の稜線
登山口から入ると、樹林の間の道にマルバダケブキやキオンが咲いている。
マルバダケブキ、キオン
1時間ほど登ると「4合目付近が崩落」との掲示。「登山口から三伏峠小屋まで ○/10」の指導標が合目を示すとすれば確かにそれらしい箇所があったが、それより何度も現れる荒れた丸木桟道の方が危なっかしい。
崩壊個所

荒れた桟道
三伏峠との中間にある<ほとけの清水>はチョロチョロながらもしっかり流れていた。登山口にあった地質説明によると「仏像構造線はジュラ紀の付加体と白亜紀の付加体の境界断層で、(中略)断層破砕帯から水が湧き、水場になっています」。
ほとけの清水
塩川ルート分岐を8:10に通過。山と高原地図(手持ちは2021年版)で破線の塩川ルートだが、現場にはロープが張られて進入禁止になっていた(⇒ 大鹿村/登山道情報)。かつて塩川小屋に泊まってここに来たのは、もう20年前のこと(⇒2004/9/10~9/13 塩見岳~農鳥岳)か。
8時半過ぎ、三伏峠に到着。数人が休憩している他、カメラを持って散策する人もいる。
三伏峠
プラティパスなど用意して水場を探して行くと、小河内岳方面への分岐を入ったところで行き会った小父さんが「水? 今止めてきた」。三伏峠小屋の管理人さんらしく、タンクに貯まるまで使えないとのこと。その代わりに小屋で無料で2.5Lほど入れてもらえた。水場まで往復すると30分程度はかかるようで、却って助かったかも。
三伏峠を9時に出発。のぞき岩はガスで眺望無し。
のぞき岩
10時過ぎに本谷山(2658.3m)で一休みし、さらに1時間で「小屋はじきかやぁ いんね あと40分だに」の札を見る(小屋は近いかなぁ? いや、あと40分だよ・・・だろうか)。
小屋まで40分
11時半過ぎ、塩見新道分岐。新道方面はロープが張られて進入禁止だが、時間も早いので少し探ってみる。ロープを潜ったところにザックを置いて権右衛門山の先まで行ってみたが、道はそれほど荒れておらず、赤テープも適度に付いていた。
塩見新道分岐
権右衛門山に向かう途中、本谷山の登りで追い越していった単独男性と擦れ違った。彼は2512地点から登山道を外れて尾根通しで来たらしい。こちらは引き返しながら適当な斜面を山頂と思しき高みへ上がってみたが、ハイマツに遮られて眺望無し。1時間で新道分岐に戻った。
体色が鮮やかなこのイモムシ、たぶん蛾だと思うが何だろう?
きれいなイモムシ
三伏峠からは割合に歩きやすい道だったが、ここでちょっとした岩場を乗り越え、塩見小屋に13時過ぎに到着。
塩見小屋
素泊まり(9000円)を予約済で、案内されたのは別館の<い2>。2段の上段窓側で、仕切り毎にシュラフと枕が備えてある。並びに他の宿泊者はおらず、気兼ねなく使える。小屋のシュラフは敷くだけにして、その上に自前のシュラフを拡げた。
塩見小屋別館内
下段の<いの一番>は百名山完遂者の特別室らしく、他より広いスペースに座椅子やお持ち帰りできる百名山バンダナが備えられていた。同宿で話をした3人パーティ(女性二人のうち一人は70歳過ぎで「好山病」と元気)の男性は、塩見が99山目と惜しいところ。コロナ禍で山小屋もずいぶん快適になったものだが、トイレは20年前と同じくトイレ袋方式だ。本館脇の展望所ではスマホの電波が良く入った。
自炊は基本的に屋外だが、雨の場合などは本館の談話室でもOK(ただし、準備を含め小屋の食事時間は不可)とのこと。周囲の山がガスに見え隠れしている中、別館外のベンチでスパゲッティを茹でた。
塩見小屋から塩見岳

塩見小屋から仙丈ケ岳方面
塩見小屋から仙丈ケ岳方面(山名)
小屋に戻ると、18時半過ぎにザーッと降り出した。すぐに止んだが、その後も断続する雨音を聞きながら就寝。

■8/20(火)
3時起床。小雨のため、暗い談話室で食事。寝場所に戻り、この天気では4時半ではまだ暗いな・・・と思っているうちにすっかり明るくなった。5:20、雨具を着けて出発。
歩き出すと、雨は落ちてこないもののガスで眺望はなく、足元はしっとり濡れている。一時日の射すこともあったが、行動中はずっと小雨が降ったり止んだりだった。
塩見岳へ
クサリもある岩場を通過し、塩見岳西峰に6:20。手前に御料局三角点、山頂標の傍らに現在の三角点(3047.3m)がある。塩見岳は2006年(⇒ 2006/8/12~8/15 北岳~塩見岳、大鹿村)以来の3度目、3000m級は昨年の木曽御嶽山(⇒ 2023/8/31~9/2 木曽御嶽山)以来。
塩見岳西峰
隣の東峰(3052m)の方が高いので、そちらに移動。5分ばかりの距離なのに西峰はガスに霞んでいる。二人組が来たので互いにシャッターボタンを押し合った。
塩見岳東峰
東峰の指導標は地面から抜けており、矢印の指す方向はデタラメだ。一応コンパスで方角を確認して岩斜面を下り、今回のテーマ、仙塩尾根を開始。
北俣岳分岐まで来ると歩きやすくなる。ここから二軒小屋へも繋げてみたい。雪投沢源頭を過ぎていくと、2006年にキャンプした水場付近が見える。この付近は現在幕営禁止だが、当時その認識はなかったと思う。
雪投沢源頭
肩の広場から2719を巻いて行くと、草原が現れて雰囲気が変わる。ダケカンバが地面に押し付けられたようになっているのは雪の重みのためだろう、足元で雨に俯いているのはハクサンフウロか?
草原
さらにイブキジャコウソウ、小さなイチゴ、礫の道に戻るとタカネビランジ。
イブキジャコウソウ、イチゴ、タカネビランジ
北荒川岳に8:20。三角点(2698.0m)の山だというのに、指導標の標高が誤っている。
北荒川岳
北荒川岳から下りていく辺りはバイケイソウの群落で、花の時期にはきれいだろう。新蛇抜山(2667m)は、山頂下をトラバースしている道から分岐して往復10分足らず。竜尾見晴は眺望なく通過。安倍荒倉岳山頂への分岐を示す看板は足元の倒木に付けられており、見落としそうになった。三角点(2693.0m)の山だが、地味な頂だ。
安倍荒倉岳
11:10、熊の平小屋に到着し、本日の行動を終了。時間は早いが、この先で泊まれるのは両俣小屋で遠すぎる(地図のコースタイムで4.5時間)。テント受付(2000円/人)の際、北沢峠から広河原への林道は通行禁止と告げられた。「バスが運休なのは知っているけど、人も通れない?」と訊くと、重ねて「通行禁止です」。静岡市営の小屋としては公式通達に外れることは言えないのだな、と察した。分散しているテン場から水場・トイレに近いところを選び、雨の中で設営。
熊の平小屋 テント、水場
15時前に雨は止んだが、テントから出歩くほどの眺望もない。スマホも通じず、ラジオを聞いたりkindle本を読んだりして過ごした。就寝時になっても、見える範囲に他のテント無し。

■8/21(水)
起床時、雲の切れ間に星が見えた。風も無く、テント撤収が楽だ。4:10、ヘッドランプで行動開始。
小屋から離れたテン場に1張あった。稜線に出て高度を上げると、背後に月と塩見岳。
月明の塩見岳
三国平を過ぎると、朝日を浴びる農鳥岳の隣に富士山。
農鳥岳と富士山
三峰岳(みぶだけ)に向けて岩場になり、ストックを収納し手袋を着ける。先行する若者6人パーティに追いつくと、彼らは北岳に向かうとのこと。安全なところで追い越させてもらい、6時に三峰岳(2999m)。
三峰岳
右手に大きな間ノ岳からぐるりと360度の大展望は、今回の山行中で一番の眺めだった。
山頂はスマホが通じたのでメールチェックや自宅への現在地連絡などしつつ、20分近くを過ごした。
三峰岳より、間ノ岳~塩見岳
三峰岳より、間ノ岳~塩見岳(山名)

三峰岳より、農鳥岳~仙丈ケ岳
三峰岳より、農鳥岳~仙丈ケ岳(山名)

三峰岳より、仙丈ケ岳~間ノ岳
三峰岳より、仙丈ケ岳~間ノ岳(山名)
山頂から下り、指導標に「仙丈ヶ岳 7時間50分 10.5km」とある分岐を南へ。この10.5kmが自分にとっての初ルートで、野呂川越まで下った後、仙丈ヶ岳へ700m超の登りとなる。
しかし、初めての道だから面白いという訳でもなく、最初のうちこそクサリ付きの岩場などもあるが、ほぼ灌木、樹林の間を黙々と進むのみ。時折、シダの美しい場所があったり、木間越しに仙丈ヶ岳~甲斐駒ヶ岳が見えたりする。苔むした三角点標石(2315.7m)を見て、野呂川越(2300m)に8:20。
横川岳(2478m)には、指導標に加えて間違った尾根に入り込まないようロープが張られていた。独標(2499m)の岩場にはロープが下がっている。晴れてはいるものの、仙丈ヶ岳方面にはガスが湧いてきた。
行く手の仙丈ヶ岳~甲斐駒ヶ岳
高望池(こうぼういけ)は湿地風の草が生えた広場で池は見当たらず。「水場 2min」と指導標にあるが、行動用の水に余裕はあるし「枯れることあり」なので、わざわざ確認はしなかった。
伊那荒倉岳は三角点(2517.6m)標石の傍らに山名板があるが、その先の2519mが山頂だろうと進んでも何もなかった。深い樹林、苔むす倒木や岩など、南アルプスらしさは味わえる。
伊那荒倉岳
樹林の合間の草地にはバイケイソウが点在し、フウロが咲いている。大仙丈ヶ岳が近づくとハイマツ帯となり、その間にハナゴケの群落も見られた。
ハナゴケ
大仙丈ヶ岳(2975m)は、もう頂上かと思うとまだ先があってなかなか辛い。山頂を前にして行き会った空身の男性が三峰岳以来初めての人間で、「高望池の水場は出てましたか?」と訊かれた。12:40に登頂。
大仙丈ヶ岳
仙丈ヶ岳は手前にガスが来ているが、山頂部は見えている。
大仙丈ヶ岳より仙丈ヶ岳
あとはわずかな高度差で仙丈ヶ岳へ。足元にはミネウスユキソウ、タカネナデシコ、コバノコゴメグサ、トウヤクリンドウなど。
ミネウスユキソウ、タカネナデシコ
コバノコゴメグサ、トウヤクリンドウ
13:25、仙丈ヶ岳(3032.9m)に登頂。小仙丈ヶ岳手前まで来たことはある(⇒ 2013/1/3~1/5 仙丈ケ岳(敗退))ものの、この山頂に立つのは登山を始めて間もない頃(⇒ 1991/8/16~8/18 甲斐駒ケ岳・仙丈ヶ岳)以来、実に33年ぶり。遠目には人がいたようだったが、今は無人だ。山頂標の傍らの岩に、石仏や「手力男命」「○○○大神」と刻んだ碑が立てかけられている。かつては「前岳三柱大神」の石碑があったとのことだが、今、少し離れて「二柱大神」と読めるのがそれか?
仙丈ヶ岳
仙丈ヶ岳の三角点、石碑
山頂で15分程過ごし、小仙丈ヶ岳への稜線を辿って仙丈小屋へ下りると14:05。熊の平小屋から地図のコースタイムちょうど、午後は大気の状態が不安定との予報だったが、崩れないうちに行動を終了できた。
受付(寝具無し素泊まり8000円を予約済)をすると、天気予報が悪いためキャンセルが相次ぎ、本日の宿泊は4人とのこと。寝場所は跳ね上げ階段を上がった2F(外から見れば3F?)で、割り当てられたのは3人パーティの隣の4番コーナーだった。
仙丈小屋
小屋前の水場が枯れてしまい、水は500円/500mlでの販売。今日の行動用が余ったので炊事用+αで2リットル買ったが、小屋の食事(2食3000円)と比べると、ずいぶんと水は高い。大仙丈ヶ岳で会った男性はここのスタッフなのだった。水の調達先として高望池の様子を見に行ったのだろう。
日が射しているうちに小屋前のベンチにテントを拡げ、傍らでお茶。小屋に生ビール(1000円)もあるが、いささか疲れて飲む元気がない。やがてガスが掛かったので撤収したが、テントはほぼ乾いた。自炊は小屋内のテーブルでも座敷席でもOK。ゆっくりと食べて寝場所に引っ込んだ。ガスが濃くなり、17時半過ぎには雷が鳴ったが、夜中には星が出たようだ。

■8/22(木)
3時に起床、暗い座敷席で食事して4:20に出発。広河原までのコースタイム6時間超なので、11時発のバスを目指す。
小屋から西に上がり、もう一度仙丈ヶ岳山頂を踏んだ。下っていくと、ガスの中、ハイマツからライチョウの声。その下のやや広い場所でご来光待ちをしていた同宿3人パーティと会話を交わしたが、明るくなってもまだガスが取れない。5時半に小仙丈ヶ岳(2864m)。
小仙丈ヶ岳
あとはさっさと下りて、7:10に北沢峠に到着。
峠には登山者が多くいて戸台行きバスを待つなどしており、こもれび山荘も開いていた。広河原への林道に通行禁止の表示は見当たらず。野呂川出合まで路面状態にも問題なかった。
ここまで来て、出合に架かる北沢橋にロープが張られ「通行止」となっている。自己責任でロープを跨いで橋を渡ると間もなく、路肩が崩落していた。続けて路面が半ば以上崩壊して大穴が開いているが、人間は山際を歩ける。さらに大岩が落石防止柵を押し倒していて「これは酷い」と思ったのだが、実はまだ序の口なのだった。
林道崩壊
地形図上で小太郎沢と三好沢の中間となる橋は完全に落ちていて、沢を跨がなければならない。渡渉点まで踏み跡が付いているから、橋が落ちたのは最近のことではないのだろう。渡渉して踏む岩に先行する靴跡があったので、やや安心する。
橋が無い
極めつけは三好沢。橋の上に大岩が転がり、その先がまったく埋まっている。恐る恐る近づいてみると岩の間にロープが付いていて通り道が分かるのだが、そのロープがほとんど腐っている!?
三好沢
崩壊地のロープ
ロープを伝って岩の堆積を越えても、路面に下りる道筋が見えない。周囲を探すと、上に向かってまたロープ。上がってからトラバースになり、ようやく路面に下りることができた。登山道の岩場よりよっぽど緊張する。
崩壊地の上をトラバース
林道改良工事の現場まで来れば、工事車両が通っているのだから安全だ。しかし、この崩壊林道の修復ではなく、沢の対岸を工事しているのだった。この林道の復旧はありうるのだろうか。広河原まで下りて初めて、通行禁止の看板が出ていた。
通行禁止看板
広河原のバス停に9:56着。11時目当てで歩いてきたので10時発便は念頭になく、慌てて南アルプスマイカー規制協力金300円を支払い、バスに乗った。

甲府駅から1kmほど歩き、予め見つけておいた喜久乃湯温泉へ。温泉とは言いながら、番台にオバチャンが座っている本当の銭湯だった(温泉の湯舟もある)。銭湯料金430円+石鹸50円で汗を流した。
帰宅後にGPSデータを確認したところ、四日間の歩行距離55km、登り累積標高5400m。仙塩尾根は長かった。

■今回のルート(北が上=日の逆順)
塩見岳~仙丈ケ岳ルート(4)
         ↑8/22:仙丈小屋~広河原
塩見岳~仙丈ケ岳ルート(3)
         ↑8/21:熊の平小屋~仙丈小屋
塩見岳~仙丈ケ岳ルート(2)
         ↑8/20:塩見小屋~熊の平小屋
塩見岳~仙丈ケ岳ルート(1)
         ↑8/19:鳥倉林道ゲート~塩見小屋

2024/8/24(土) SMSCAクリーン登山(仙元山)2024年08月24日 00:00

昨年(⇒ 2023/8/26 SMSCAクリーン登山(官ノ倉山))に引き続き、今年も無名山塾の担当は小川町で、仙元山を中心に6人でゴミ拾い。今回のルートの大半は、以前に歩いたことがある(⇒ 2017/9/9 仙元山(小川町)~嵐山・登山靴履き慣らし)。

小川町駅を8:20に出発。八高線の線路を渡って、山道へ。入口の安永六(1777)年の庚申塔からは昔の往来が偲ばれる。
庚申塔と謎の石
朽ちかけた指導標を時折見るルートだが、この時期には歩く人もあるまいと思っていたら、何組かのハイキングとトレランと出会った。しかし、この山に入る人の絶対数が少ないだろうし、それも地元がほとんどであろうから、ゴミなどほとんど無い・・・かと思うと、一箇所に集中して空き缶、ペットボトル、食品トレイなどが落ちていた。古いものばかりで、かつて不法投棄した奴でもいたのか。
小倉峠からいったん道路に出る。大聖寺(だいしょうじ)へのルートを探すと、沢沿いに草を踏み分けた道で、それこそ入る人もいない様子。沢から離れて植林の間の普通のハイキング道に合流すると、やがて墓地に出た。皆汗だくで、お寺の水道で水分補給。
あとは道路歩きで、途中のトイレの様子を調査するのも目的のひとつ。ふるさと歩道のトイレ前で集めたゴミの量を確認して、14時にクリーン登山は終了。猛暑の熱気に煽られてか昼頃からカミナリが鳴っていたが、降られずに済んだ。

今年もまた、花和楽(かわら)の湯で入浴(1400円)して暑気払い。飲んでいるうちに夕立となり、いくらか涼しくなった。

■今回のルート
クリーン登山ルート

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