2021/5/22(土)~5/23(日) 男体山2021年05月22日 00:00

日光エリアは白根山は何回か行っているし、中禅寺湖の南の赤倉山も歩いている(https://marukoba.asablo.jp/blog/2014/05/18/9402434)が、代表たる男体山は残していた。そもそも「日光」は男体山をご神体とする二荒山(ふたらさん)神社の二荒を「にこう」と読んだことに由来するという。朝に家を出ての日帰りは厳しいし山頂ピストンもつまらないので、避難小屋利用の一泊行程とした。天気予報は思わしくないが致し方ない。

■5/22(土)
家を出るなり小雨が降り出したが、傘を持っていないのでそのまま駅へ。
リバティけごんで東武日光に着き、登山口のバス停は二荒山神社前だなと思うところにちょうど来た二荒山神社行きに乗車したら、中宮祠ではなく世界遺産めぐりの神社本殿行きだった。これも縁なので雨の中を参拝してからバス道に戻り、中禅寺温泉行きに乗車。中禅寺温泉ではまだ降っていたが中宮祠まで歩くうちに止み、トイレ前のベンチで雨具を脱ぐ。
中宮祠からの入山届には下山時刻を記入するようになっているが、16時志津避難小屋として提出。午後の入山は受け付けないらしい。登拝料1000円を支払うとお守りを頂ける。
10:15、傍らに金色の龍がとぐろを巻く奥宮登拝口の鳥居を潜った。
奥宮登拝口
最初は石段で、男体山一合目遥拝所。そこから山道を少し上がったところで、先日購入した折り畳み式のトレッキングポールを使ってみようと取り出したのだが、伸ばした状態でうまくロックできずに15分ほど悩む。繋いで強く引くだけの単純操作なのだが、一度試してみただけなので力加減を忘れていた。真っすぐに登っていくと三合目で道路に出て、四合目までクネクネと舗装路歩き。四合目近く、中禅寺湖を見下ろす地点に立ち止まっている人もあったが、雲に隠れていて特段の眺望なし。しかし、雲が一部切れて、青空も覗いてきた。11:30、四合目(1667地点)の社務所小屋(鍵が掛かっている)前で休憩。
四合目の鳥居から再び山道に入ると傾斜が増す。五合目の避難小屋はトタン張りの資材置場というのが実際で、土間の壁沿いに狭い腰掛板があるのみ。緊急避難以外に泊まることは想定していないのだろう。
五合目避難小屋
六合目あたりから足元に岩が目立ってきて、12時半に七合目。小屋(神社?)近辺に休憩中のグループが2、3あり、自分も適当な岩に腰かけて休憩。昭文社山と高原地図には「岩石の道、落石注意」とある。岩はしっかりしているので落石を起こすとは思えないが、先ほどから岩に手をかけるような登りなのでポールをザックに収納した。
八合目の瀧尾神社の付近には修験の道ふうの太いクサリ(の断片?)が付いていたが、上り下りに掴む位置ではなく、祠や小屋の固定用だろうか。傍らの小屋は社務所兼緊急避難小屋で、「宿泊はご遠慮ください」と注意書きがある。
瀧尾神社
八合目避難小屋
2250mを越えると傾斜は緩やかになり、丸太の土留め階段と敗れた土嚢の道。それが赤茶けた溶岩に覆われるようになり、樹木も姿を消すとがぜん男体山が活火山(と言っても最新の噴火は7000年前)であることを認識させられる。ガスが掛かって一層荒涼感の募る中、13時半に二荒山神社奥宮に到着。単独の男性が二人いた。ここに「男体山山頂 2486m」の木札が掛かっているが、本当の山頂は右手の小高い方だろう。
男体山山頂

男体山奥宮
左手の平坦地には二荒山大神の御神像が立っている。方位指示盤もあるがガスで眺望はゼロ。奥宮に戻って小高く見えた方に行くと、また山頂標があって櫓に鐘が下がっていたのでひとつ打ち鳴らす。
男体山山頂
岩の小山の上に鳥居と「男体山頂 影向石」の碑(鎮座壱千弐百年、昭和50年7月と刻む)があったので、ここを山頂と認定した。岩を固めた上にまだ新しい金属製の剣が立っている(落雷は大丈夫なのだろうか)。2484.2mの三角点標石は小山の下にあった。地図には「大展望広がる1等三角点」とあるが、ガスのため眺望は相変わらず近くの山がぼんやり見える程度。気温7℃で肌寒い。それでも降られないで助かった・・・と思っていたら霧雨になったので雨具を着ける。北に向かう道の傍らに古いブロックで囲んだ升目が見えるのは、かつては奥宮がこちらに建っていたのだろうか。

14時、下山開始。背の低い笹の道に入ると雪の残る箇所があった。この季節になっても山の北側はあまり気温が上がらないのだな。上の方の道はそれほど悪くないが、トラロープを張った崩壊地(2270m付近)あり。その下でも右の斜面が崩れている(2225m手前の土がけ)が危険はない。止んでいた雨がまた降り出し、14:50に五合目。
五合目から下は地図に「急坂続く」とある。急なばかりでなく深く抉れた道に下りる大きな段差が多い。急坂ではストックを持て余し気味だが、そういった段差で先にストックを突いて支えにできるのは有効。しかし、その道がぬかるみ、時にずるずると滑るのには閉口した。靴に浸水するには至らないが、どろどろだ。
三合目、一合目の標柱を過ぎるに従って傾斜が緩み、15:40、石仏の並びを過ぎて志津避難小屋に到着。
志津避難小屋
小屋の外壁に「←洗場」とあるのでまずそちらに行ってみると、小屋横の塩ビパイプから水が申し訳程度に落ちている。その下に埋められたポリバケツが水を溜めているので確かに手を洗う程度はできるが、飲料水を取るのは厳しい(地図にも「水はあてにできない」とあるので、十分に担いできた)。そのまま小屋を廻って行くと「二荒山神社 志津宮」の祠がある。避難小屋も実はこの宮の社務所であり、また「志津行屋」なのだった。小屋の中には女性の先客が一人いた。コロナ禍のご時世なので挨拶だけして、離れた一角に場所を占める。その後は大学山岳部と見える10人程度のパーティが来て、外にテントを張った上で食事だけ小屋の中で作り、食べていた。翌朝、学生の一人に聞いてみると、女峰山からここに下りて、これから男体山に登るとのこと。新人の体力作り山行だろうか。

■5/23(日)
出発準備をしていると、先客の女性が話しかけてきた。昨日は一言交わしただけで気づかなかったが、英語かそうでなければドイツ語風の日本語。ここまで来たが天気が悪くて登れず今日は下りる、「自分ヒトリデハアブナイデス」。お気をつけてと返して、こちらも5:10に出発。雲は多いが青空も見えている。しかし足元の草や笹が濡れているだろうからスパッツを着けた。
すぐ林道に出て、地図に従って右へ。最初は歩きやすい道なのだが、次第に荒れてきて、やがて完全に路面崩壊。どこで外したかと引き返すと小屋への分岐まで戻ってしまった。ここを右に折れたのが既に間違いで、志津乗越は左へ少し行ったところだった。
あらためて志津乗越に5:55。今度こそ右に折れて志津林道に入る。路面は荒れていて、この先のゲートが無くても一般車は入れそうにない。道端に崩れた鹿の骨と毛皮があった。6:50に馬立、石のゴロゴロした沢筋を横切って少し登ると荒沢出合で、そのまま行けば女峰山だが、今日は道標の示す「裏見-日光」へ。10分足らず行くと、笹の上にポツンと石仏があった。
野の石仏
笹原の道をどんどん進む。7:50、裏見滝・寂光滝分岐を通過。この前後は特に笹が深く、スパッツを着けていてもズボンの膝辺りが濡れてきた。カッコウが盛んに鳴き、緩やかに下るにつれツツジの赤が増えてくる。
ツツジ
下山するまで誰にも会わないかと思ったが、ここで夫婦二人連れとすれ違った。落葉の厚く積もった斜面を下りると、道は寂光滝に落ちる沢に並ぶ。沢に近付く踏み跡もあるのだが、雨の後で足を滑らせたら滝に転落しそうだ。8:40に若子(じゃっこ)神社に到着、そこから沢に下りて滝を見上げた。若子神社は明治以前は寂光寺だったと案内書きにある。「じゃっこう」から「じゃっこ」とは安直な。
寂光滝
あとは自動車道歩き。道端の石仏群の頭がことごとく落とされているのは廃仏毀釈の狼藉か。9時半にバス道に出て山行終了。
頭の落ちた石仏群
田母沢の駐車場トイレでシャツを替え、徒歩で二荒山神社に参拝。これで今回の起点に戻った。まだ時間が早いので、東照宮を拝観(\1300)。三猿、陽明門、眠り猫、鳴龍・・・小学校の修学旅行以来、50年近くぶりだ。駅前の食堂で日光の地ビールとゆば餃子を味わってからリバティに乗車した。

■今回のルート
男体山ルート

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