2021/5/3(月)~5/4(火) 道志縦走・雛鶴峠~二十六夜山2021年05月03日 00:00

無名山塾のI本・I氏と個人山行。生まれが5日しか違わないI本氏とは前回のボッカ訓練(http://marukoba.asablo.jp/blog/2020/12/05/9324091)で久しぶりに会って、少し遠ざかっていた山をそろそろ再開しようと思うとの話だった。その時は気候が良くなったらどこか行きましょうと言って別れ、今回はその具体化。このGWに計画した焼岳~十石山を悪天のため中止したので、その穴埋めでもある。
今回のルートはI本氏の提案。氏はこれで道志エリアはほぼ完成とのこと。自分は2013年12月の御正体山(山頂割愛)、2014年9月の秋山二十六夜山以来だ。

■5/3(月・祝)
予報の通りに晴れた。
上野原からバスで終点の無生野(むしょうの)まで。バス停横に石碑等が集められており、右の大きいのが「南無観世音」、真ん中の丸いのは「大念仏□□□」、左の灯篭は「秋葉大権現」。奥にも碑があるが判読できなかった。
無生野の石碑群
無生野の大念仏は重要無形民俗文化財に指定されている(https://kunishitei.bunka.go.jp/heritage/detail/302/626)。そこに来た男性に挨拶すると、「今年はコロナで中止だが、今度見に来てください」と仰っていた。
身支度をして、9:40に出発。しばらくは車道歩きで、道脇には「旧鎌倉裏街道 秋山村郷土史研究部」とあった。雛鶴峠の立派な歌碑やひなづる姫の民話の紹介板など見ながら行くと雛鶴神社。平成元(1989)年の神社再建之碑があり、先ほどの歌碑などと共に歴史や伝承を梃子に村興し(現在は上野原市秋山だが)を図ったものだろうか。登山の無事を祈念して参拝。
ヘアピンカーブを通過して行くと新雛鶴トンネル入口(*1)。ここから旧道で雛鶴峠に上がるはずと思うが道は無く、あまり踏まれていない急斜面に赤テープが付いている。ともかく這い上ってみると舗装路に出た。地図をよく見ると、ヘアピンの頂点からこちらの旧道に入るのだった。10:30、旧道の閉鎖されたトンネルに到着。「ハイキングコース入口」の看板が出ているが、登山ポストといったものは見当たらない。
九十九折に登っていくと10分ほどで「ひなづる峠」の道標があり、倉岳山方向と今回の進路の赤鞍ヶ岳方向との分岐になっている。植林の中を高度を上げていき、927mの日向舟。「舟」は、舟を伏せたように見えるなど地形を表すものか。植林からいつしか自然の広葉樹林へと変わり、境界標には恩賜林を示す独特の「恩」字が入っている。912地点を過ぎて尾根の交点で東へと向かう辺り、少し踏み外したらしく道が不明瞭になった。踏み跡に復帰し赤テープを辿ると北に向かって下りて行ってしまう。引き返して高みに上がると間違えようのない道があった。周辺にいくつも見える赤テープは林業の目印なのかもしれない。
12時半にサンショ平(棚ノ入・タンノイリ)。昭文社「山と高原地図」では十字路に見えるが、実際はふたつのT字路が隣接している。無生野に直接下りる分岐となる奥側に立派な道標が建っているが、「ルートは荒廃しています。直登ルートの方が危険は少ないですが、増水時右岸から左岸への渡渉が困難な場合がある」と付記あり。
今回のルート上の水場は下山口近くの一箇所だけなので、行動用と炊事用の水を背負っている。その重量に息を切らせて登っているところをすれ違った単独のご婦人が、雛鶴神社を歩き出してから初めて会った人。赤鞍ヶ岳(朝日山、1299m)には13:05。樹木で眺望は遮られるが、広くて気持ちの良い山頂だ。岩殿山~岩戸ノ峰(高丸)は名前に反して登山道は岩っぽくないが、見る方向によっては岩山なのだろうか。本坂峠に単独行らしいテント一張。峠から一登りして休憩を取ったブドウ岩ノ頭(1244m)にも特に岩は無い。
ブドウ岩ノ頭からいったん120m以上も下り、登って登って登って菜畑山(なばたけうら、1283.0m)に15:10。「○○うら」の山名で思いつくのは奥多摩の川苔山近くの「日向沢ノ峰(ひなたざわのうら)」だが、他にもあるだろうか。通過してきた岩戸ノ峰の別名「高丸」のような「まる」は朝鮮語で峰の意味だという(*2)が、「うら」にも何か由来がありそうだ。
閑話休題(あだしごとはさておきつ)。
菜畑山頂には丸太を模したコンクリート椅子が四つ。その中央の鉄柱跡は、かつて屋根を支えていたものらしい。富士山は雲に隠れて下の方が覗くだけだが、南東~南側の大室山など尾根の襞々がよく見える。コーヒーを淹れたりのんびりした後、もう人も来ないだろうとテント設営。事前にネットで見たより狭い印象だが、ソロテントなら3~4張は可能だ。それぞれに食事して就寝。風もなく静かな夜だが、夏向きの薄いシュラフでは少し寒かった。時折鹿の声を聞く。
菜畑山

■5/4(火・祝)
5時半に出発。快晴。富士山もよく見える。宝永火山の辺りまですっかり白いのは週末に降雪があったのかもしれない。地形図にマークされている電波塔は山頂から下りて右手の樹林の中にあった。
30分で水喰ノ頭(1344m)。ここも広くてテント好適地だが、道標の板が欠けて破片が落ちている。その後、好展望を挟み多少のアップダウンで今倉山へと向かう。昭文社地図にはヤブとあるが、歩行の邪魔になるほどのこともない。三等三角点のある今倉山(東峰)(1470.1m)に7時半。同じく広い山頂に荒らされた道標。休憩してから進むとすぐに西峰。標高は1480mで、三角点こそないものの東峰より高い。マジックで「御座入山」と書き込まれた道標はまたもや傷つけられている。「二十六夜山」の上に爪を掛け、「今倉山」を下から齧ったように見え、柱の裏側も抉られている。そこから下りて分岐になっている西ヶ原の道標は柱の上部から削られ、被せてあったキャップが少し離れて落ちていた。こう続くと特定の熊が「オレの縄張りにヘンな奴が立っている」と攻撃を加えたのかと思ったが、下山後のI本氏調べによると「登山用道標などの、クレオソートやペンキが塗られた人工物にもクマの爪痕や歯形が残ることがある。クマ剥ぎと同様に、有機溶剤への嗜好性と考えられている」そうである。ラリった熊に出くわしたら怖いかも。しかし、水喰ノ頭の道標は枯れきっていそうだが。今回の山行中、大きな糞や普通のクマ剥ぎは見なかった。
やられ道標集(1)
やられ道標集(2)
やられ道標集(3)
西ヶ原から再び高度を上げた赤岩(松山、1450m)は地図にある通りの超展望。御正体山を前衛に置いた富士山を筆頭に360度のパノラマ。方位指示盤も設置されている。今倉山から来る人が2~3人いて、一人は指示板に現場猫(仕事猫)のフィギュアを置いて写真を撮っていた。ここの道標は無傷で、熊の縄張りから外れたようだ。景色を眺めたり山座道程をしたりで30分ほどを過ごした。
赤岩にて
1410mを経て高度を下げ、林道に絡む。崩落した岩が路面の半分以上を塞いでいた。
崩落
そこから緩やかに登って、二十六夜山(1297.1m)に9:45。ここもまた富士山の眺望が良い。菜畑山からここまで、富士山と御正体山の重なり具合が変わっていくのも面白い。山頂の西側に「廿六夜」の碑がある。側面に刻んである年号は読めなかったが、傍らの説明版に曰く「江戸時代・・・旧暦の正月と七月の二十六日・・・夜半の月光に現れる阿弥陀仏、観世音菩薩、勢至菩薩の三尊の姿を拝むと平素の願いがかなうと信じられ・・・月待ちの行事が行われました」。祈りの場であるとともに寄り合って飲食する楽しみでもあったのだろう。しかし、ここまでご馳走を持って上がるのも大変そうだ。
二十六夜山より
二十六夜塔

あとは下りるばかり。今回のルート中唯一の水場「仙人水」は涸れ沢を渡ったところの岩の割れ目から湧き出している。地中の水を堰き止める位置に岩があり、漏斗のように割れ目に水を集めているのか。
仙人水
沢沿いに下り、水流が現れる箇所の岩の上には水神様と思しき祠が祀られていた。
やがて道路に出て突き当たったT字を右へ、オートキャンプ場を過ぎて芭蕉月待ちの湯に到着(11:30)。入浴料\720。コロナ対策でレストランは営業していなかったが、売店の缶ビールで乾杯した。次のバスは14時過ぎなのでタクシーを呼び、大月まで\5240。
一般ルートながら静かな山で、眺望も得られたし、なかなか良い山行だった。

■今回のルート
道志縦走ルート

*1:手持ちの「山と高原地図 高尾・陣馬」(2013年)には無生野からトンネルまでにバス停が二つ記されているが、廃止された模様。地図上の赤倉岳バス停と思しき箇所には「二十六夜山(2)コース」の大きな案内板がある。が、そこに紙を貼り足して「この案内板は相当以前に設置されたものなので・・・情報としての価値はありません」というのは、整備する予算が出ない中での誠実さなのだろう。
*2:谷有二『山名の不思議』(平凡社ライブラリー)P.96~

2021/5/7(金) 「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」2021年05月07日 13:50

「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」鑑賞@アップリンク渋谷

最近TVシリーズを一気見して、その勢いで劇場版の上映館を探した。昨年9月の公開でロードショウはとっくに終わっているので、観られるところは少ない。アップリンクは初めて行く館で、ミニシアターと思ったら「小さなカルチャー・センター」(HPの施設案内)なのだった。スクリーン3は小さ目の映写幕にリクライニングチェアで、自室でくつろいでいるような雰囲気。ただ、空調の音がずっと聞こえているのは減点。

映画は、TVシリーズの中でもとりわけ印象深い第10話の後日譚を外枠にして、ヴァイオレットが受けた代筆依頼とギルベルト少佐との再会を描く。TVから引き続きの吉田玲子・脚本、石立太一・監督で手堅く、またもや涙腺にくる。最終的にヴァイオレットと少佐は結ばれて幸せな結末、なのだが、さて。
ふたりが離れ離れになった戦場での少佐の最後の言葉「心から、愛してる」は、男女の愛の意味だったのか? 人間になる以前に戦場に放り込まれ「武器」として生きるしかなかった少女に庇護と人間性回復の援助を与えながら、やはり戦場に伴わざるを得ず、最後には腕を失う重傷を負わせてしまった。そんな少女に対する「愛」とは? そこには、対等の立場ではなく保護対象とする視線もあれば、負い目も入っているだろう。単純に相手を愛しく想うだけであるはずがない。
一方のヴァイオレットにとって少佐は何もなかった自分を「人間」にしてくれた、いわば親以上の絶対の存在で、慕うのは当然。しかし辛辣な言い方をするならば、それは飼犬がマスターを求める習性と変わるところがないのではないか。彼女は代筆という仕事を通して肉親や恋人の情から、さらに創作として昇華された人の心の在り方を学んできたが、少佐に対する自分の感情とそれらとの関係をどう捉えたのか?
ヴァイオレットは少佐と逢った後エカルテ島を離れ、少佐は島で生きる、という結末にした方が彼女の可能性を拡げたのではないかと思えてくる。

TVと劇場版の間に「外伝 - 永遠と自動手記人形 -」があったのか。上に書いた疑問はその中で描かれているのだろうか。

2021/5/7(金) 「クー!キン・ザ・ザ」前売り2021年05月07日 19:00

クー!キン・ザ・ザ」の前売りを買おうと思ってアップリンク吉祥寺に立ち寄ったらコロナ休館だった。
前売券は公式HPから購入できたからいいけど、緊急事態宣言は延長されるし、5/14からの公開予定はどうなる?
とりあえず、本家「不思議惑星キン・ザ・ザ」のBlu-rayを見返しておこう。

2021/5/8(土) 蓑山神社(美の山公園)~オオカミ狛犬探訪2021年05月08日 00:00

冬の間バッテリーを下ろしていたバイクをしばらくぶりに乗り出して、秩父のオオカミ狛犬を訪ねる。今回は皆野の美の山公園内にある蓑山神社

最初は小鹿野まで行こうと白石峠を越えるつもりだったのだが、峠の入口まで行ってみると秩父方面は通行止めとの掲示があった。昨年8月にも通れなかった(http://marukoba.asablo.jp/blog/2020/08/14/9278845)が、そのままなのか? 仕方ないので寄居の折原から有料道路に入り、皆野長瀞ICで下りる。付近に冨士嶽大神があるので寄ってみようと思ったのだが、アプローチが分からなかった。
140号線から左折してうねうねと登った先が美の山公園。空いていた第2駐車場の隅にバイクを停める。公園内は結構人がいて、芝の上でお茶を飲んだりしている。ハイキングの人もいた。
案内図に従って公園の反対側に向かって歩いていくと榛名神社があり、目当ての蓑山神社はそこから山道をかなり下ったところだった。登山道並みの階段(実際、ハイキングコースなのだろう)を踏んで行くと社殿の横に出て、鳥居はさらに石段を下りたところにある。里から来て神社に参拝するのなら、まず鳥居を潜り、石段を登って拝殿に至る訳だ。
蓑山神社

蓑山神社
参道に並んだ灯篭の中では文政11(1828)年がいちばん古い。オオカミ狛犬は台座に明治23(1890)年とある。顔の作りは釜伏峠(寄居)の釜山神社のものを思わせるが、身体はずん胴でひょろ長く、前足の付け根(肩)の表現など少々稚拙な印象。それでも浮いたあばら骨や長い尾など、オオカミの特徴を押さえている。
蓑山神社の狛犬

蓑山神社の狛犬

釜伏神社の狛犬
       釜伏神社の狛犬

由緒書きには「武蔵風土記による」として、「知知夫彦命(ちちぶひこのみこと)が当地の開拓に当たった時、長雨による不作が起きた。命がこの山に登り祈念したところ雨は止み、その際に蓑を懸けた松を蓑懸松、この山を蓑山と呼ぶようになった」とある。神社は畠山重能(はたけやま・しげよし。平安時代後期の人)が蓑懸松の傍に大山祇(おおやまつみ)神、大己貴(おおなむち)神、高龗(たかおかみ)神を祀ったのが起源という。その後、高龗神は旱魃時の祈雨祭のため坊が池のほとりに遷座し、代りに稚産霊(わくむすび)神を合祀した、と。

美の山山頂の展望台に上がって秩父市街のパノラマを眺めてから山を下りる。途中に善女龍神社・雷電神社があり、その由緒書きには「この地に庵を結んだ真言僧・歓喜坊が竜神に祈念して日照りを収めた。竜神池のほとりに建てた社は明治15年に焼失、椋神社が境内社として祭祀を行ってきたが、平成6年に新社殿が完成した」とある。蓑山神社の高龗神が遷座した「坊が池」がこの竜神池なのか? そして、どうやら椋神社と繋がりがあるらしい。椋神社にもオオカミ狛犬がある(http://marukoba.asablo.jp/blog/2020/08/14/9278845)。蓑山神社の由来にはオオカミ信仰に付き物の日本武尊は登場しないが、ここのオオカミ像は椋神社に由来するのかもしれない。

2021/5/22(土)~5/23(日) 男体山2021年05月22日 00:00

日光エリアは白根山は何回か行っているし、中禅寺湖の南の赤倉山も歩いている(https://marukoba.asablo.jp/blog/2014/05/18/9402434)が、代表たる男体山は残していた。そもそも「日光」は男体山をご神体とする二荒山(ふたらさん)神社の二荒を「にこう」と読んだことに由来するという。朝に家を出ての日帰りは厳しいし山頂ピストンもつまらないので、避難小屋利用の一泊行程とした。天気予報は思わしくないが致し方ない。

■5/22(土)
家を出るなり小雨が降り出したが、傘を持っていないのでそのまま駅へ。
リバティけごんで東武日光に着き、登山口のバス停は二荒山神社前だなと思うところにちょうど来た二荒山神社行きに乗車したら、中宮祠ではなく世界遺産めぐりの神社本殿行きだった。これも縁なので雨の中を参拝してからバス道に戻り、中禅寺温泉行きに乗車。中禅寺温泉ではまだ降っていたが中宮祠まで歩くうちに止み、トイレ前のベンチで雨具を脱ぐ。
中宮祠からの入山届には下山時刻を記入するようになっているが、16時志津避難小屋として提出。午後の入山は受け付けないらしい。登拝料1000円を支払うとお守りを頂ける。
10:15、傍らに金色の龍がとぐろを巻く奥宮登拝口の鳥居を潜った。
奥宮登拝口
最初は石段で、男体山一合目遥拝所。そこから山道を少し上がったところで、先日購入した折り畳み式のトレッキングポールを使ってみようと取り出したのだが、伸ばした状態でうまくロックできずに15分ほど悩む。繋いで強く引くだけの単純操作なのだが、一度試してみただけなので力加減を忘れていた。真っすぐに登っていくと三合目で道路に出て、四合目までクネクネと舗装路歩き。四合目近く、中禅寺湖を見下ろす地点に立ち止まっている人もあったが、雲に隠れていて特段の眺望なし。しかし、雲が一部切れて、青空も覗いてきた。11:30、四合目(1667地点)の社務所小屋(鍵が掛かっている)前で休憩。
四合目の鳥居から再び山道に入ると傾斜が増す。五合目の避難小屋はトタン張りの資材置場というのが実際で、土間の壁沿いに狭い腰掛板があるのみ。緊急避難以外に泊まることは想定していないのだろう。
五合目避難小屋
六合目あたりから足元に岩が目立ってきて、12時半に七合目。小屋(神社?)近辺に休憩中のグループが2、3あり、自分も適当な岩に腰かけて休憩。昭文社山と高原地図には「岩石の道、落石注意」とある。岩はしっかりしているので落石を起こすとは思えないが、先ほどから岩に手をかけるような登りなのでポールをザックに収納した。
八合目の瀧尾神社の付近には修験の道ふうの太いクサリ(の断片?)が付いていたが、上り下りに掴む位置ではなく、祠や小屋の固定用だろうか。傍らの小屋は社務所兼緊急避難小屋で、「宿泊はご遠慮ください」と注意書きがある。
瀧尾神社
八合目避難小屋
2250mを越えると傾斜は緩やかになり、丸太の土留め階段と敗れた土嚢の道。それが赤茶けた溶岩に覆われるようになり、樹木も姿を消すとがぜん男体山が活火山(と言っても最新の噴火は7000年前)であることを認識させられる。ガスが掛かって一層荒涼感の募る中、13時半に二荒山神社奥宮に到着。単独の男性が二人いた。ここに「男体山山頂 2486m」の木札が掛かっているが、本当の山頂は右手の小高い方だろう。
男体山山頂

男体山奥宮
左手の平坦地には二荒山大神の御神像が立っている。方位指示盤もあるがガスで眺望はゼロ。奥宮に戻って小高く見えた方に行くと、また山頂標があって櫓に鐘が下がっていたのでひとつ打ち鳴らす。
男体山山頂
岩の小山の上に鳥居と「男体山頂 影向石」の碑(鎮座壱千弐百年、昭和50年7月と刻む)があったので、ここを山頂と認定した。岩を固めた上にまだ新しい金属製の剣が立っている(落雷は大丈夫なのだろうか)。2484.2mの三角点標石は小山の下にあった。地図には「大展望広がる1等三角点」とあるが、ガスのため眺望は相変わらず近くの山がぼんやり見える程度。気温7℃で肌寒い。それでも降られないで助かった・・・と思っていたら霧雨になったので雨具を着ける。北に向かう道の傍らに古いブロックで囲んだ升目が見えるのは、かつては奥宮がこちらに建っていたのだろうか。

14時、下山開始。背の低い笹の道に入ると雪の残る箇所があった。この季節になっても山の北側はあまり気温が上がらないのだな。上の方の道はそれほど悪くないが、トラロープを張った崩壊地(2270m付近)あり。その下でも右の斜面が崩れている(2225m手前の土がけ)が危険はない。止んでいた雨がまた降り出し、14:50に五合目。
五合目から下は地図に「急坂続く」とある。急なばかりでなく深く抉れた道に下りる大きな段差が多い。急坂ではストックを持て余し気味だが、そういった段差で先にストックを突いて支えにできるのは有効。しかし、その道がぬかるみ、時にずるずると滑るのには閉口した。靴に浸水するには至らないが、どろどろだ。
三合目、一合目の標柱を過ぎるに従って傾斜が緩み、15:40、石仏の並びを過ぎて志津避難小屋に到着。
志津避難小屋
小屋の外壁に「←洗場」とあるのでまずそちらに行ってみると、小屋横の塩ビパイプから水が申し訳程度に落ちている。その下に埋められたポリバケツが水を溜めているので確かに手を洗う程度はできるが、飲料水を取るのは厳しい(地図にも「水はあてにできない」とあるので、十分に担いできた)。そのまま小屋を廻って行くと「二荒山神社 志津宮」の祠がある。避難小屋も実はこの宮の社務所であり、また「志津行屋」なのだった。小屋の中には女性の先客が一人いた。コロナ禍のご時世なので挨拶だけして、離れた一角に場所を占める。その後は大学山岳部と見える10人程度のパーティが来て、外にテントを張った上で食事だけ小屋の中で作り、食べていた。翌朝、学生の一人に聞いてみると、女峰山からここに下りて、これから男体山に登るとのこと。新人の体力作り山行だろうか。

■5/23(日)
出発準備をしていると、先客の女性が話しかけてきた。昨日は一言交わしただけで気づかなかったが、英語かそうでなければドイツ語風の日本語。ここまで来たが天気が悪くて登れず今日は下りる、「自分ヒトリデハアブナイデス」。お気をつけてと返して、こちらも5:10に出発。雲は多いが青空も見えている。しかし足元の草や笹が濡れているだろうからスパッツを着けた。
すぐ林道に出て、地図に従って右へ。最初は歩きやすい道なのだが、次第に荒れてきて、やがて完全に路面崩壊。どこで外したかと引き返すと小屋への分岐まで戻ってしまった。ここを右に折れたのが既に間違いで、志津乗越は左へ少し行ったところだった。
あらためて志津乗越に5:55。今度こそ右に折れて志津林道に入る。路面は荒れていて、この先のゲートが無くても一般車は入れそうにない。道端に崩れた鹿の骨と毛皮があった。6:50に馬立、石のゴロゴロした沢筋を横切って少し登ると荒沢出合で、そのまま行けば女峰山だが、今日は道標の示す「裏見-日光」へ。10分足らず行くと、笹の上にポツンと石仏があった。
野の石仏
笹原の道をどんどん進む。7:50、裏見滝・寂光滝分岐を通過。この前後は特に笹が深く、スパッツを着けていてもズボンの膝辺りが濡れてきた。カッコウが盛んに鳴き、緩やかに下るにつれツツジの赤が増えてくる。
ツツジ
下山するまで誰にも会わないかと思ったが、ここで夫婦二人連れとすれ違った。落葉の厚く積もった斜面を下りると、道は寂光滝に落ちる沢に並ぶ。沢に近付く踏み跡もあるのだが、雨の後で足を滑らせたら滝に転落しそうだ。8:40に若子(じゃっこ)神社に到着、そこから沢に下りて滝を見上げた。若子神社は明治以前は寂光寺だったと案内書きにある。「じゃっこう」から「じゃっこ」とは安直な。
寂光滝
あとは自動車道歩き。道端の石仏群の頭がことごとく落とされているのは廃仏毀釈の狼藉か。9時半にバス道に出て山行終了。
頭の落ちた石仏群
田母沢の駐車場トイレでシャツを替え、徒歩で二荒山神社に参拝。これで今回の起点に戻った。まだ時間が早いので、東照宮を拝観(\1300)。三猿、陽明門、眠り猫、鳴龍・・・小学校の修学旅行以来、50年近くぶりだ。駅前の食堂で日光の地ビールとゆば餃子を味わってからリバティに乗車した。

■今回のルート
男体山ルート

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