2021/5/7(金) 「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」2021年05月07日 13:50

「劇場版 ヴァイオレット・エヴァーガーデン」鑑賞@アップリンク渋谷

最近TVシリーズを一気見して、その勢いで劇場版の上映館を探した。昨年9月の公開でロードショウはとっくに終わっているので、観られるところは少ない。アップリンクは初めて行く館で、ミニシアターと思ったら「小さなカルチャー・センター」(HPの施設案内)なのだった。スクリーン3は小さ目の映写幕にリクライニングチェアで、自室でくつろいでいるような雰囲気。ただ、空調の音がずっと聞こえているのは減点。

映画は、TVシリーズの中でもとりわけ印象深い第10話の後日譚を外枠にして、ヴァイオレットが受けた代筆依頼とギルベルト少佐との再会を描く。TVから引き続きの吉田玲子・脚本、石立太一・監督で手堅く、またもや涙腺にくる。最終的にヴァイオレットと少佐は結ばれて幸せな結末、なのだが、さて。
ふたりが離れ離れになった戦場での少佐の最後の言葉「心から、愛してる」は、男女の愛の意味だったのか? 人間になる以前に戦場に放り込まれ「武器」として生きるしかなかった少女に庇護と人間性回復の援助を与えながら、やはり戦場に伴わざるを得ず、最後には腕を失う重傷を負わせてしまった。そんな少女に対する「愛」とは? そこには、対等の立場ではなく保護対象とする視線もあれば、負い目も入っているだろう。単純に相手を愛しく想うだけであるはずがない。
一方のヴァイオレットにとって少佐は何もなかった自分を「人間」にしてくれた、いわば親以上の絶対の存在で、慕うのは当然。しかし辛辣な言い方をするならば、それは飼犬がマスターを求める習性と変わるところがないのではないか。彼女は代筆という仕事を通して肉親や恋人の情から、さらに創作として昇華された人の心の在り方を学んできたが、少佐に対する自分の感情とそれらとの関係をどう捉えたのか?
ヴァイオレットは少佐と逢った後エカルテ島を離れ、少佐は島で生きる、という結末にした方が彼女の可能性を拡げたのではないかと思えてくる。

TVと劇場版の間に「外伝 - 永遠と自動手記人形 -」があったのか。上に書いた疑問はその中で描かれているのだろうか。

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