2022/11/14(月) 「すずめの戸締まり」 ― 2022年11月14日 09:20
「すずめの戸締まり」鑑賞@イオンシネマ熊谷。
新海誠の中ではいちばん素直に楽しめた。基本はファンタジーで、災厄を「戸締まり」(封印)する一方、過去を解放して明日に向かう物語。
しかし、各地の廃墟に現れる後ろ戸は否応なく喪失を想起させ、それは東日本大震災の記憶へと向き合うラストに繋がっていく。3.11からもう10年以上が過ぎたが、津波の後に残された廃墟、すずめの心象風景を映した燃える街の情景を突き付けられると心が波立つ。それに、緊急地震速報の警報音が醸し出す不安感。
入場者特典の冊子「新海誠本」に収録のインタビューで「『君の名は。』と『天気の子』を踏まえた上で、ようやく状況を受け入れて作った作品」「震災文学の流れの中の、数ある作品のうちの一つ(中略)それを(中略)メジャーな規模で公開されるエンタメの枠組みで作ったということに(中略)意味があるはず」と監督は語っている。そうだろうなと思う。
ただ、一度観ただけでは、二つの要石の性質がうまく呑み込めていない。ダイジンは自由を欲して要石の役割をいったん草太に押し付けたが、「すずめの子供になれなかった」から再び役目を引き受けた? サダイジンは使命に忠実なようだが、ヒトに憑り付くとネガティブな心象を顕在化させる?
あと、後ろ戸から現世に溢れ出ようとする禍々しい力に対して「ミミズ」という名付けはどうか。閉じ師が代々封じてきた常世のエネルギーを、そんな即物的で卑小な名で呼ぶだろうか。その辺にも何か仕掛け、あるいは隠された意味がある?
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