2005/10/29(土) ロケットまつり82005年10月29日 19:30

新宿ロフトプラスワンの人気企画も8回目。
道々買物しつつ歌舞伎町に向かう。

まず図書券を買おうと入った金券屋で北斎展とギリアムの「ブラザーズ・グリム」(https://ja.wikipedia.org/wiki/ブラザーズ・グリム)を各1枚。紀伊国屋のミュージック・テイトでは限定版CD「快楽亭ブラック猛毒十八番 借金男#01」を見つけ「立川談笑落語選集 第一集」とともに購入。ブラック師匠(https://kairakuteiblack-official.amebaownd.com/)はどうやら助かってしまったようで、CDの売上は葬式代ではなく借金返済に充てられるのだろう。落語界の異端・立川流からさえ除名になった異端中の異端の存在は天然記念物異常、もとい以上に貴重なので目出度いことである。

ロフトには開場時間の20分ほど前に着いたが、既に店内は八割方埋まっていた。

出演は毎度お馴染み、語り手の垣見氏、林氏と聞き手の松浦氏、あさり氏。今回笹本氏は取材で不参加。(以下、敬称略)
ロケットまつり8

今回は出演者の前に何やら丸っこいものが置かれている。ロフトスタッフが「宅配便で届いたんですがドキドキ」とか。何しろ推進剤の入った球形ロケットだ。「点火したらこの中跳ね回りますよ。点火玉もあります」(林)。昭和34~35年頃、秋葉鐐二郎氏がドクター論文用に作ったもの。地上燃焼試験や打上もしたが公式記録には残っていない。それを林氏が例によって保管していた。
球形ロケット
これとは別に、終わり近くなって剥き身の推進剤が登場。「今回は燃やすのは止めておきましょう」と言ってるそばからスタッフがお皿とライターを持ってきて結局点火することに。しかも最初は小さい切れ端だったのがだんだん大きくなる。「前の席の方はかなり刺激臭あると思います」。まったく危ないトークライブだ(笑)。

いろいろ面白い話が聴けたのだが、危ない繋がりで書いておくと・・・

人工衛星「おおすみ」の誕生は1970/2/11。これにより日本はソ米仏に続き4番目の人工衛星自力打上国となった。中国は4/24に「東方紅」を打ち上げている。この時期、防衛庁主導でメーカーが集まり、中国の衛星打上時期を推定する「新橋会」という集まりがあり、垣見はそのメンバだった。米ソ月着陸競争の決着が付いた頃、日中間にもささやかな宇宙競争があったのだ。日本の宇宙開発は平和利用が大前提なので、こんな話は表に出てこない。ラムダやミューに軍事目的が隠されていた訳ではないが、固体燃料ロケットは目標を変更すればすなわちミサイル。ラムダの時代には制御、つまり誘導の研究はアメリカから禁止されていた。ミューの時も設計図を全部提出させられた。
もっとも新橋会の日当でゴルフをやったというオチで、まあ平和な話。

林が某大手運輸会社の人間から聞いた話もずいぶん危ないが、「ここだけの話」なので書けない。

6月のロケットまつり6(https://marukoba.asablo.jp/blog/2005/06/03/9534006)でも語られたロケット弾を焚火に放り込んだ話は再び大ウケ。
群馬県相馬が原で自衛隊が推進薬の入った70mm AARロケット弾(この辺聴きながらのメモだが、知識ないので間違っているかも)を人手で運搬中、手が滑ったかで焚火の中に落とした。総員退避!で慌てて逃げたが、結局焚火が自然消火するまで何も起こらなかった。固体燃料はそれくらい安定でないと、燃料を詰めていつでも撃てる状態にしておくミサイルには使えない。

危ない話はこれくらいで、おかしかったのは・・・
ラムダで一度、燃焼室ひとつにノズル4つの型の燃焼試験をやった。垣見が設計したのだが、ノズルの付く鏡板(かがみいた、きょうばん)を内側にしてしまった。
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【燃焼室】 )< (不等号がノズルのつもり)
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点火すると燃焼室が膨らむから、ノズルがすっぽ抜けてしまう。試験の時、垣見、林、秋葉は建物の屋上から見ていたのだが、燃焼が進んで噴射音が変わった時、垣見が「抜けるぞ、抜けるぞ」(と、林の語り)。ここで場内爆笑、拍手。垣見は事前に設計ミスに気付いたのだが、あるいはと思って燃焼試験に臨んだのだそう。結果、見事にノズルが飛んで海の中へ。林「抜けたのはノズルではなくて垣見さんの設計じゃないですか」と遠慮がない。抜けた後、タバコの煙の輪っかそっくりのが出たそうである。
糸川英夫は試験結果をまとめる時、4ノズルにすることで4種類の実験(ノズルの材質とか)が一度に出来ると理屈を付けた。実際は全部同じ材質だったが、実物は海の底。

もうひとつ、糸川の臨機応変ぶりを伝えるエピソード。
道川海岸では打上3分前に花火で知らせるのが通例だったが、ある時、花火屋が来なくて代わりにペンシルを打ち上げた。この発想の柔軟さは実験主任の糸川のものだろう、と。
あさり「役に立ったんですか?」
垣見 「シューっといって分かったでしょう」
松浦 「上でドンといったらまずいんじゃないですか」
林、打上記録の一覧を見ながら「昭和31/9/29、カッパ1型3号機、尾翼の先端を切り取る、とあります」。まさしく現場で手作りの実験だ。

きりがないのでこの辺で切り上げるが、最後に日本のモノづくりについて考えさせられた話題。
日産(プリンス)自動車でロケットの組立をやっていた人間は皆スポーツマンだった。養成工で東大の人間にも負けないくらい頭もよかった。かつては貧しくて上の学校に行けなくても優秀な人間には技術を仕込むシステムがあった。ところが豊かになると誰もが学校へ行き、手を動かす技術職は蔑まれる。結果、技術力が低下してしまった。
どうする、日本?

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