2025/1/15(水) ミミズク土偶の世界2025年01月15日 14:00

今日は比較的暖かいので、軽くバイクを走らせた。行き先は、企画展「ミミズク土偶の世界」を開催中の岩槻郷土資料館

ミミズクやフクロウのような丸く囲まれた顔を持つ土偶を「ミミズク土偶」と呼び、代表例がさいたま市岩槻区の真福寺貝塚で出土し、国指定有形文化財となっているこれ↓(現物は東京国立博物館に収蔵、今回はレプリカ展示)。
真福寺貝塚のミミズク土偶
しかし、県内出土品に限っても、並べてみると様々な印象のものがある。
口を縦長にすると本当に鳥っぽいし、中空で大振りに作られたものは用途も自ずと異なっていたのではなかろうか。
ミミズク土偶いろいろ
土器の口縁部にミミズク顔をあしらうこともあった。これは刺突文で刺青を表している?
土器の口縁部にミミズク顔
展示の目玉のひとつは、12~13km離れた遺跡から出土した、よく似た2体の土偶。上手い作り手が出張制作するようなことがあったのだろうか。
双子の土偶?

郷土資料館は、昭和初期に建てられた旧岩槻警察署で、建物自体が資料だ。入館無料、企画展も無料。
岩槻郷土資料館

2025/1/14(火) 「鹿の国」2025年01月14日 11:40

「鹿の国」鑑賞@ポレポレ東中野

諏訪大社、ミシャグジといえば、あずさ回数券の消化がてら一日訪ねて回ったのはもう10年近く前だ(⇒ 2014/11/9 諏訪大社巡り)。
狩猟のイメージの強い諏訪信仰だが、映画では狩猟と農耕との繋がりが描かれる。現在の鹿猟や田植えの映像と、「鹿の腹を裂いて流れる血に稲籾を撒くと一夜にして育った」(播磨国風土記)神話のイメージとが重なり合う。厳冬の三ヶ月間、穴倉に籠もった生き神の少年・大祝(おおほうり)の前で芸能を繰り広げ、春を迎えたという「御室(みむろ)神事」の再現も興味深い。祭文をお経に取り込もうと試みる僧侶も登場して、神仏分離以前の諏訪信仰が今なお生命を保っていることが窺える。
諏訪の地をまた巡ってみたい。

2024/12/16(月) 二宮神社、正勝神社~オオカミ狛犬探訪2024年12月16日 00:00

天気も好いので、あきる野市方面へバイクを乗り出した。

路肩の駐車スペースの下に湧水池があり、澄んだ水にたくさんの鴨が浮かんでいる。この池も神社の一部で、『縄文神社』ではこちらが神社の根源と見立てている。さもありなんという雰囲気だ。
二宮神社の池
神社へは道路の反対側の階段を上がる。
二宮神社
拝殿は特に彫刻など無いシンプルな造りだが、本殿には室町時代後期以前の建築「宮殿(くうでん)」を収めるとのこと。
この地で出土した縄文土器等を展示している二宮考古館が休館日(月・火曜日・祝日)だったのは残念。

次は、天保十(1839)年のオオカミ像があるとの情報をキャッチした正勝神社。
拝殿前の御神灯も文政十一(1828)年と古い。
正勝神社
目当ての像は本殿の右に置かれた覆い屋に単独で祀られていた。形としては口を閉じた吽形に思えるが、阿形が口を開けているとは限らないので、なんとも言えない。もともと単独だったのか、それとも片割れが失われたのか。年号は台座に彫られている。背後の護符は武蔵御岳神社のもののようだ。
正勝神社のオオカミ像

最後に、眺めが良いという赤ぼっこ(⇒ おうめ観光ガイド/長淵山ハイキングコースMAPグーグルマップ)に寄ろうと思ったのだが、グーグルに任せたら林道終点に案内され、あとは「徒歩1分」などと宣(のたま)う。しかし、林道ゲート横から山に入っていく道を辿るとお墓があり、その先は頼りない踏み跡。1分どころではないがこの上なのかと、踏み跡や昔の作業道のような地形を追い、枝を分けて登ると未舗装路に出た。が、GPSを確認すると赤ぼっこは道を外れてまだその先。これは到底行きつけないと引き返した。駐車地点から往復30分、つまらない汗をかいてしまった。
赤ぼっこに挫折

本日の走行距離、約100km。

2024/11/15(金) 東博特別展「はにわ」2024年11月15日 11:30

池袋で献血(208回目、全血400ml)の後、上野に回って東京国立博物館特別展「はにわ」
仔馬を先頭に大行進したり、サルの親子が犬に追い上げられたり、最後に平謝り(違)
馬の行進

犬猿の円筒埴輪

ひざまずく男子

真面目な話、群馬から良い埴輪がたくさん出ているのだな。展示の冒頭を飾る「踊る人々」はさらに身近な熊谷産だったのか。

2024/10/15(火) 両神神社、四阿屋山~オオカミ像探訪2024年10月15日 00:00

ようやく良い気候になったが、明日からまた天気が崩れる予報なので、その前にバイクを走らせた。
目的地は、ネットで情報をキャッチした秩父(小鹿野町)・四阿屋山(あずまやさん)のオオカミ碑とする。
四阿屋山の山頂下には両神神社奥社がある。ならば、里宮もセットで訪れよう。

9時に家を出、途中までナビ無しで走って道を間違えたりもしたが、10:40に両神神社(里宮)に到着。
両神神社(里宮)
由緒書きに曰く「はじめ丹生明神(たんしょうみょうじん)と称し、丹党薄(たんとうすすき)氏の氏神であった。大正六年、国策により、信仰崇拝する神社を合併して村社とした。その結果、奥社は四阿屋山(あずまやさん)に、里宮は薬師堂に置くこととし(中略)両神神社と改称した。祭神は、罔象女神(みつはのめのかみ)で、合祀(ごうし)として伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、建御名方神(たけみなかたのかみ)ほか五十余柱」。名前こそ両神神社だが、両神山に対する信仰は背景に退いているようだ。狛犬など面白い石造物も無い。
隣のお堂が薬師堂で、平安時代に創建され、目の病気に霊験あらたかとのこと。なるほど、「め」の絵馬が無数に掛かっている。
薬師堂
薬師堂の奉納額、絵馬
両神神社脇の道に入ると、路面にコケの生えている箇所もあってバイクにとっては少々走りづらい。11:15、四阿屋山駐車場に停車。
フクジュソウやロウバイの季節には花を目当てにバスも入るらしいが、今はガラ空きだ(到着時には1台だけ、2段になった駐車場の下段に停まっていた)。

まず、四阿屋山に登ることにする。
駐車場から少しだけ戻って薬師堂コースに入る。すぐの小ピークと、そこから少し進んだ尾根上に小祠が祀られていた。小ピークの方の覆い屋には「三峰」の札が付いていたが、三峯神社なのかどうか。二つ目の方は陶器のキツネからするとお稲荷さんなのか。
尾根上の小祠
送電鉄塔を過ぎて登りに掛かる。ハイキングコースの分岐には道標や案内図があるので安心。鳥居山コースと合流した先に両神神社奥社があった。
両神神社奥社
ここも狛犬などは無し。建屋の前に2枚建つ碑は明治四十一年の「村社寄附連名」だ。里宮の説明書きにあった大正六年の合併以前で、その時ここは何神社だったのか。
山頂に直登する尾根は「急坂につき登山禁止」になっているが、巻いて登っていく登山道も急登かつクサリでちょっと楽しい。
クサリ場
駐車場から40分、汗をかいて四阿屋山(771.5m)に登頂。狭い山頂に方位指示盤があるが、開けているのは西側のみ。そちらも両神山の頭は雲に隠れていた。
四阿屋山
四阿屋山から見る両神山
下りは「岩場・クサリ場多し 初級者通行止」のつつじ新道が面白そうだが、それでは下のバス道(大堤)まで下りてしまう。おとなしく、展望休憩舎から山居広場経由で駐車場に戻った。
あとは肝心のオオカミ碑。情報源のブログによると、桜本コース脇の小ピークにある金毘羅宮からこの駐車場に上る途中にあるらしい。桜本コースを下りていくがオオカミ碑に気付かないまま、金毘羅宮へ入る道も見落として、小ピークの裏側から強引に上がった(そちらの斜面にも赤テープが付いていたが)。
金毘羅宮の建屋に収められた祠の左右に木彫りの狛犬らしきものが見えるが、これはオオカミではなさそう。
金毘羅宮
あらためて左手に注意しながら駐車場に戻っていくと、今度は石造物らしきものが見えた。大きなものではなく、道から見上げる位置なので、知らなければ気付かないだろう。
オオカミ碑など
オオカミ碑に刻まれた文字は「大狼神王守」と読めるが、「大」の下に「犬」が二つ並んでいる。情報源のブログによれば、碑の上部中央は梵字「キャ」で十一面観音を示し、波線は山脈を表現しているらしい。年号は見当たらないが、風化の程度や右隣の石仏(明治十九年)から推測すれば明治期か。
オオカミ碑
オオカミ碑
左隣のサイコロみたいな石は、これも情報源ブログによると女人講の碑とのこと。両側面には2文字の女性の名が並んでいる(写真は正面と右側面)。
女人講碑

バス道に下りてすぐの道の駅 両神温泉薬師の湯は火曜定休だった。代わりに道の駅 龍勢会館に寄って最中のような焼き菓子を土産に買い、15時半に帰宅。走行距離126km。

■今回のルート(歩行部分のみ)
四阿屋山ルート

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