2026/4/8(水)~4/9(木) 三頭山~軍荼利山 ― 2026年04月08日 00:00
この2~3月は、安房峠~十国山、北ア・表銀座といった雪山計画が天候で流れたり自分の腰の具合で参加できなかったり。さらに4月初は、2泊で愛知までの海岸線ツーリングに出ようと宿も取っていたのだが、これも好天が三日続かずに断念。せめて晴天の二日間で何処か歩こうと、奥多摩の三頭山から西へ小菅の湯まで足跡を伸ばすことを考えたが、平日には帰りのバスが無い。一方、三頭山から東はかつてハセツネカップで踏破したものの、GPSログがほとんど取れていなかった(⇒ 2006/10/8~10/9記事)。過去ログをまとめて眺めた時に空白があるのも面白くないので、歩き直しておくのも悪くなかろう。登山としての興趣は、山中テント泊と、三頭山への登りと浅間峠からの下りに使う山と高原地図(以下、「地図」)の破線ルートということになる。
■4/8(水)
上野原からバスで終点の飯尾まで。ハイキング客もいたが、終点までに皆降りてしまった。
身支度して10時過ぎに出発。民家を過ぎて沢沿いの山道に入る。破線ルートだけあって指導標は見当たらない。
まずは大羽根山(954.5m)だが、地図の破線は南側の尾根を真っすぐ登っている。地理院地形図に道の表記は無い。登り尾根を横切る手前にそれらしい踏み跡があったが、道なりに坂の上まで行って「大羽根峠 七八〇m」の札を確認してから尾根に取り付いた。
尾根の高まりを右手に見る緩い登り。土砂が落ちて消えかけている箇所もあるが、道は続いている。しかし、どこで尾根に上がるのかと思ううちに右手の尾根が下がってきたではないか。このまま進んで前方の尾根に乗ればピークへの道があるのかもしれないが、今ここで尾根に上がってしまえ、とシカかヒトか判らない足跡を見ながら薄を掴み、テント泊装備に水を加えたザックの重みにあえぎながら急斜面を這い上がった。尾根上にはやはり踏み跡があったがやや不明瞭。地図と相違して、道は西尾根に上がってから山頂へ向かっているようだ。954.5m三角点標石の周囲には山頂の目印など特に無し。地図には飯尾から30分とあるが、1時間掛かってしまった。
細長い山頂部から先は迷う箇所もなく、大茅(1237m)を12時前に通過。
稜線上の大沢山に近づくと足元に岩も出てくる。地図に?(迷)マークがあるのは、下りに使う場合に尾根の分岐する箇所(1300m)か。
12:40(大羽根山から1.5時間)、大沢山(1482m)に到着。ここまで来ると他の登山者もいて気楽だ。大沢山から三頭山まではピストンなので荷物をデポしてもよいのだが、鈍った身体に幾らかなりともトレーニングを課すべく、ザックを担いで往復することにした。
避難小屋を経て最後の登り。階段や石段で三頭山(西峰)に13時登頂。奥多摩の山でいつも思うが、この御影石の山頂標は実に詰まらない。山頂標傍らの石標は三角点ではなく、何かの境界標のようだ。
ベンチに掛けると富士山が正面にバッチリ。
腰を上げ、来た道を戻る・・・おっと、大きな山頂標に安心して、最高点を踏み忘れた。山頂に引き返し、指導標を確認して鞘口(さいぐち)峠の方へ。最高点の中央峰(1531m)を踏み、その先の東峰で1527.6m三角点を確認した。
↑ 中央峰
↑ 東峰
東峰には展望台もあるのだが、皆西岳で満足してしまうのか、無人だった。西峰を含め、山頂部には計30分ほど滞在。
↑ 展望台より、御前山~大岳山~馬頭刈山
西峰を巻いて、来た道に戻る。今回の最高点を踏んだので、あとは基本的に下りだ。大沢山から下りた地点に立つ「日本山岳耐久レース 35km地点」の指導標はかなり古びており、自分の出場した2006年のままだろう。今回はレースと逆回りで、レース時はここまでの登りを約9時間で来ている。あの頃は元気があったものだ。
1173と1159との中間「クメケタワ」(と指導標にある)、タワはピークの間の撓(たわ)んだ地点だが、クメケは何だろうか。槙寄山(まきよせやま、1188.2m)は登ると言うほどのこともない高まりにベンチがあって休憩。計画時に泊地としていた数馬峠(上平峠)を15時半前に通過し、笛吹(うずしき)峠に16時前到着。ここにある百番塔は表裏それぞれに「みぎ」「ひだり」と刻んだ道しるべ石で、大日側は「みぎ かずま」「ひだり さいはら」(と、複数のネット記事にある)。百番塔側はよく判らないが「みぎ うえはら」「ひだり ひのはら」だろうか?(左の檜原はかなり確からしい。右はそれに対して上野原かという程度。彫られた文字は「つりはら」のように見える)
さらに進んで二等三角点の丸山(1098.3m)を踏む。山頂下分岐の指導標に立てかけてある朽ちた柱(?)に記されているのは「ガンバの冒険」か? 名作アニメ(50年前の作品を今現在再放送中だ)の名を取ったハイキングクラブでもあったのだろうか。
テント適地を探しながら進み、16:45 小棡(こゆずり)峠を越えた地点で道脇の平坦地を泊り場とした。
夜は静かだった。
■4/9(木)
5時半過ぎに出発。今日も晴れたが、少し風がある。
次の土俵岳(1005.2m)には、無名山塾・I本氏と来たことがある(⇒ 2024/2/27記事)。日原峠に佇む石仏を拝み、6:45、浅間峠に至った。明治時代の石祠と馬頭尊、大正の道標柱、現代の関東ふれあいの道碑と、古くからの賑わいを感じさせる峠だ。2本並んだ杉の大木には注連縄が掛けてある。
指差す矢印が大正モダン(?)
計画段階では下山開始地点としたが、今から下りたのでは早過ぎる。スマホが通じたので自宅にLINE連絡の上で、軍荼利山(軍刀利山、ぐんだりやま)まで進んで長尾尾根(北尾根)を下りることにした。
熊倉山(966m)を過ぎた次の970m小ピークが軍荼利山で、ちょうど8時。北に向かう踏み分け道を確認するが、いったん見送ってさらに先のピークに鎮座する軍刀利神社元社を拝みに行く。神社は素朴な石祠が本体。鳥居前は南側が開けており、富士山の雄大な姿を最後に眺めることができた。
軍荼利山に戻って8:15。北尾根に入る。
地図の破線ルート(地形図には道記載無し)で、南郷バス停までのコースタイムは2時間。指導標は無く、登山の目印としては時折赤テープがある程度。樹木に「南郷共益会所有地」のプレートが付いている。岩がちの痩せた箇所もあるが、難しいことはない。
明瞭な尾根で分かりやすい・・・と思っていたら、支尾根に引き込まれた。こんなに下ってしまうはずがないと気付いて修正。844mで「長尾尾根」の木札を確認、今度は尾根を誤らないようコンパスを振る。地図では道路を目指して向きを変える高度が読みづらく、少し下り過ぎてから方向転換。470mで痩せ尾根に入る手前で左手に下る踏み跡があるが、これはすぐに消滅した。痩せ尾根を進むと、末端(地形図477m)から下りる箇所に赤テープは付いているものの「ここ、本当にルートか?」という斜面。掴まり伝いで下りると、また歩きやすくなった。この辺、地図にはあっさり「急坂」とある。
地図で「渡渉注意」の沢は、滑り難い石に足場を定め飛び越した。対岸は石垣の手前に土の斜路があって道路に上がれる。
あとは舗装路を辿る。バス道下の建設会社資材置き場のようなところでシャツをはだけて汗を拭い、南郷バス停に10:20。バスまで30分足らずのちょうど良いタイミングで、無事に山行を終了できた。
■4/10(金) オマケ
行動中から鼻水を垂らしていたが、翌日はベッドの中のクシャミに始まり、クシャミ・鼻水・涙目の花粉症三点セットに参って、久しぶりに鼻炎薬を服(の)んだ。
■今回のルート
↑ 1日目
↑ 2日目
2026/3/28(土) 「プロジェクト・ヘイル・メアリー」 ― 2026年03月28日 08:40
「プロジェクト・ヘイル・メアリー」鑑賞@イオンシネマ熊谷。
⇒ 作品公式サイト
科学性とエンタテインメントのバランスが良く、SF映画の最良の形のひとつと言ってよい出来。
宇宙船内で一人だけ記憶喪失状態で目覚めた主人公とともに状況把握を進めて行く原作のスリリングさは抑えられたが、前のページに戻る訳にいかない映画という媒体ではこれが正解。誰にでも(とまでは言いきれないが)ついてこられて、なおかつスリリング、しかもバディものとして感動的。
「予告編でもうロッキーを見せちゃうの!?」という思いもあったが、それでまったく問題ない造りになっていた。
本作のプロデューサーも務める原作者アンディ・ウィアーは、『火星の人』(映画は「オデッセイ」)といい本作といい、映画化に恵まれたな。

入場者プレゼントのワッペン
2026/3/24(火) 「アメリと雨の物語」 ― 2026年03月24日 14:10
「アメリと雨の物語」(吹替版)鑑賞@TOHOシネマズららぽーと富士見。
⇒ 作品公式サイト
60年代末、日本に赴任中のベルギー外交官の家に生まれたアメリは、2歳半になって初めて、チョコレートの味をきっかけに自己と外界とを認識する。以後急速に話し、動き回り、他者と関わり、「死」さえも感じて世界を拡げていく。自分を「神」と思っていたアメリだが、やがて自己を相対化して「人」の仲間入りを果たす。アメリに限らず、誰でも(自分も)そうして人間になったのだろう。
お手伝いのニシオさんは空襲の記憶からすると1940年くらいの生れか。自分はアメリより数年年長だから、ニシオさんのような人が身近にいたかもと、今さらのように思う。また、生活描写で描かれる掃除機や置時計が記憶の底を刺激する。
X(旧Twitter)のTLとパッと見の絵柄だけで、なるべく予備知識を入れずに出掛けた。鑑賞後に公式サイトを読んでみると、監督のマイリス・ヴァラード、リアン=チョー・ハンは「ロング・ウェイ・ノース」「カラミティ」のレミ・シャイエと仕事をしてきた人物か。なるほど、輪郭線を排しフラットに彩色されたキャラクターが共通している。
Xも中身はほとんど読まずに流していたのだが、TLの大部分は「この世界の片隅に」片渕須直監督のリポストのようだ。片渕監督は公式サイトにコメントも寄せている。自分も大いに推す。
2026/3/16(月) 「パリに咲くエトワール」 ― 2026年03月16日 09:15
「パリに咲くエトワール」鑑賞@イオンシネマ熊谷。
⇒ 作品公式サイト
監督・谷口悟朗(「プラネテス」)、脚本・吉田玲子(「若おかみは小学生」他、お気に入り多数)とくれば押さえてこうと映画館へ。
明治末~大正の時代。自分の希望を抑圧されながらも絵を描きたいフジコと、薙刀の流派を継ぐことを期待されながらバレリーナを夢見る千鶴がパリで再会する。二人の少女は励ましあい隣人たちの協力も得て、千鶴はバレエ舞台へのチャンスを手にするが、一方フジコは行き詰っていた。第一次大戦の影がヨーロッパを覆い、二人にも帰国の圧力が強まる...
自分のやりたいこと、夢に向かって精一杯手を伸ばせ。女だ、東洋人だなんて枠に囚われるな、というメッセージは清々しい。
絵としてはジブリ映画の近藤勝也によるキャラクターデザインで安心して観ていられるが、王道に過ぎてややステレオタイプな印象も。
千鶴の母親・薙刀師範の声が榊原良子で、これはコワい。
2026/3/15(日) 奥武蔵・伊豆ヶ岳~子ノ権現 ― 2026年03月15日 00:00
八ッ峰クラブの定例山行企画だったが、参加者が少なく、有志での電車山行となった。12月の大岳山(⇒ 12/14記事)にも参加のI田・T氏、T橋・T氏と自分の3人で決行。今回は正丸駅スタート、正丸峠は通らずに伊豆ヶ岳に登り、子ノ権現から西吾野駅に下りる計画。
伊豆ヶ岳には記録の残る限りで4回来ており(⇒ 過去記事:2009/7/4、2010/1/24、2011/4/10、2012/6/2)、それ以前、山歩きを始めて間もない頃にO倉・K氏と登った覚えもある。
正丸駅を8時に出発。晴れ。
集落を抜けるまでに同様のハイキング客何組かに追い抜かれたが、30分足らずで大岩の傍らに馬頭尊の祀られた正丸峠分岐に至る。予定通り、ここから左(南西)の登山道に入る。
次の分岐には右手に登っていく道を指す「名栗げんきプラザ」の古びた道標があったが、地図を確認しても見当たらず、廃止された施設なのかと思う。先行パーティもそちらには行っておらず、それ以上疑わずに直進。しかし暫く進んで気付いたが、予定していた山と高原地図の赤実線ルートは「名栗げんきプラザ」の方だった。踏み込んだルートは地図では細い黒線で登山道扱いではない(地理院地形図では破線=徒歩道)のだが、ずいぶんしっかりしている。また、地図をよく見ると、「げんきプラザ」は先ほどの実谷(じっこく)分岐から長岩峠を越えて県道へと下り、さらにその向こうにあるのだった。道標にはもっと手近な長岩峠を示して欲しいものだ。
⇒ 名栗げんきプラザ
その先で、さすが赤線の入らないルートと言うべきか進路が不明瞭になり、右手の尾根に上がる踏み跡を選択すると、これもハズレ。同様に外す人も多いらしく、下に見えた赤テープ目指して斜面を突っ切って下りる足跡があった。
尾根に突き上げたところでまたもやミス。トラロープで遮られているにも関わらず、関東ふれあいの道に合流したと思い込んで左(東)へ行ってしまった。よく踏まれていかにも道と思えた足元がやがて怪しくなって引き返し、30分弱のロス。登ってきた道を指す「←正丸駅」道標の面する側を考えれば正しい進行方向は明らかだが、思い込みというのは始末が悪い。
あとはもうミスを誘う箇所はない。素直に尾根を辿り、今度こそ関東ふれあいの道に合流。すぐに伊豆ヶ岳下の分岐になる。男坂はトラロープで塞がれており素直に巻道に入ると、指導標に「男坂と女坂の中間にあるみち」とLGBTQのようなことが書いてある。地図に「男坂は落石注意。女坂は通行禁止 中間道を歩く」とある中間道だが、登り切ってみても女坂の出入口はまったく分からなかった。
伊豆ヶ岳(850.9m)に10時過ぎ登頂。ルート誤りをした割には、地図のコースタイム(2時間10分)通りだった。山名はアイヌ語由来とも、遠く伊豆半島まで眺められるからだともいう。馬酔木の花が咲いていた。山頂で20分ほど休憩。
古御岳(こみたけ、830m。子ノ権現から小床峠経由で下りて行く先にある御岳山に対する「古」か?)、高畑山(たかはたけやま、695m。「ナローノ高畑山」の山頂標もある。「ナローノ」は「楢生」からとの説あり)とピークを踏みながらも高度を下げて行く。中ノ沢ノ頭(イモグナの頭)には巻道があり、自分だけ622.7m三角点を確認。
尾根上の最低点となる天目指峠(あまめざすとうげ、490m)で交差する林道にはサイクリングのグループがいた。解説板によると、アマメは豆柿、サスは焼畑のこと。
峠から登りにかかったところで、I田氏がちょっと足を捻った拍子に「足が攣った」。ここで山行を中止して峠から林道を下りるようかと思ったが、暫く立ち止まった後で本人は行けそうと言う。子ノ権現まで辿り着けばタクシーも呼べるだろうとそのまま続行し、結局、この後は特に問題なく歩き通せた。
アップダウンして祠のある愛宕山(660m)を越え、子ノ権現に13時半過ぎに到着。ここは過去に少なくとも3回訪れている(⇒ 2009/7/4、2011/4/10、2019/7/24)が、巨大草鞋など変わりないな。
自分だけ奥の院まで上がって鐘を撞き、釈迦堂を拝んだ。門前の土産物屋に少しお金を落とそうと、柚子味噌(430円)を買う。店番の老人がお釣りを間違えるのは、80歳にして目も耳も遠いため(対面の店のおばさんの話)だ。
西吾野駅に向けて下山。集落入口にある静之神社は、岩室に祀られた祠に舞台のような拝殿が設けてある。Googleマップに寄せられた情報によると祭神は罔像女神(みずはのめのかみ)に五帝龍神と水神系であるが、これは鳥居前の石祠に関するものかもしれない。
国道に出たところで道端の「カレーパン」の幟に惹かれてロックガーデンカフェ(⇒ Googleマップ)に立寄り。カレーパン(200円)は揚げたてで美味しかった。
西吾野駅に15:43到着。ルートミスしたのは油断だったが、I田氏にもさほど無理なく歩けて、良いハイキングだった。
■今回のルート




























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