2026/9/1(火)~9/2(水) 乗鞍岳(丸黒尾根から) ― 2026年09月01日 00:00

日本海の親不知から乗鞍岳まで北アルプスを繋げるのが以前からの大計画なのだが、今年2月の安房峠~十国山は天候不順のため流れ、なかなか完結出来ない。残雪期に十国山から金山岩までピストンし、金山岩~乗鞍岳を後付けするつもりだったが、一足先に最後の部分を歩いてしまおう。
乗鞍岳は1992年8月(O倉・K氏と畳平から)、2004年7月(休暇村から)に続いて3回目。今回の登りは西側の九蔵ノ尾根、または丸黒尾根からのルートを検討し、高山市の朝日支所にどちらも刈り払いされていることを確認した上で、麓にキャンプ場のある丸黒尾根を選択した。最近NHK「にっぽん百名山」同ルート回の再放送があって参考にしたが、それで決めた訳ではない。

前日8/31は、バスタ新宿から飛騨高山バスターミナルまで高速バスを使い、のらマイカー岩滝線(一律100円)に乗り継ぎ。車中で、今回平湯に下りれば親不知まで一応繋がることに気付いた。
飛騨高山キャンプ場は他に客無し。テント料金1250円、コインシャワー(3分100円)あり、売店・自動販売機無し。トイレはキャンプサイトにあるが、管理棟内の方が快適。怪しい雲行きの下で食事し、あとはkindle本を読んで暇を潰す。夜も時折パラパラと雨音がしていたが本降りにはならず、シュラフカバーのみで眠れた。

■9/1(火)
テントを畳んでザックを持ち上げたところに降り出したが、テント札返却と水汲みのため管理棟に寄っている間に止んだ。気温は18℃。今回のルート中の水場は(畳平の売店は別にして)登り始め近くの2箇所と平湯に下山間近の1箇所のみ。それも山と高原地図に「涸れることもある」「夏場には涸れる」とある。もし補給できなくても今日明日の行動と炊事が何とかなるだけの水を持ったのでザックが重い。
5:55出発。入口には「この先危険」のウマが置かれ、登山道を示すものはない(下の写真は前日のもの。出発時は曇り空)。
登山道入口
草の生えた道を上がって行くとスキーリフトの終点。登山道は手前で分岐したはずなので戻ると、道のカーブ箇所から反対側に入る、やはり指導標など無い細道があった。
樹林と笹の間の道には国立乗鞍青少年交流の家による丸黒山登山のポイント標識がある。東屋のある御嶽見晴台は樹が茂って見晴らし無し。三等三角点(1595.1m)のある日影平山を稼いでおく。コバノフユイチゴか、赤い実を口に入れると爽やかな酸味。
フユイチゴ
新道旧道分岐で指導標の「新道」の指す方に道は見当たらず、否応なく旧道に入る。最初の水場は笹薮から流れ出ており、やや汲みづらいが2L補給した。ますます重いが、これで遠慮なく水を飲める。次の水場にも汲めるだけの水流があった。
水場
枯松平休憩所は奥に部屋があり、宿泊に使えそう。
枯松平休憩所
ここで合流する新道は笹藪にわずかに薄い部分が見えるのみで、何年も刈り払いされていない様子だ。
もう少し進むと丸黒山への登りにかかる<ガンバル坂>。
ガンバル坂
苔むした階段を一歩一歩上がっていると、下りてきた単独登山者と出逢った。小平地で休憩した後も同じような傾斜が続く。<根性坂>の看板は足元を見ているうちに通過してしまったようだ。ようやく傾斜が緩み、丸黒山手前でまた単独男性と擦れ違い。この日見たニンゲンは二人だけだった。丸黒山(1956.2m)に10:15到着。樹林の一角が開けているが、山並みには雲が掛かっている。
丸黒山
丸黒山から1820mまで下りると、あとは2357mの奥千町避難小屋まで、地図のコースタイムで3時間程の長~い登り。笹が刈り払われた道を行くと、2100mを超えた地点に「日影平7km・乗鞍岳7km」の指導標。傍らには朽ち果てた先代も建っている。この辺は千町ヶ原の一角と思うが、樹林のため開放感はない。
乗鞍岳中間点
その先に「火口域から4km圏内」の表示あり。標柱のこの荒れようはクマかしらん。
火口域4km
道が湿ってきて古い木道が現れ、やがて樹林が途切れる箇所も出てくる。九蔵ノ尾根ルート(青屋登山道)との合流点でパッと開けた。
千町ヶ原の湿原
樹林に入ったり出たりする道にはぬかるみが増え、今回下ろした靴(⇒ 8/10記事)がドロドロだ。青屋登山道から乗鞍山頂まで88体あるという石仏を見ながら進む。
青屋登山道の石仏
ザックの重さに草臥れて小屋前の急登で右腿に痙攣がきたが、14時半、奥千町避難小屋(⇒ 山と渓谷オンライン/帰ってきた避難小屋)に辿り着いた。
奥千町避難小屋
小屋は無人。外壁のプレートによると平成11(1999)年建築で、こざっぱりしている。携帯トイレブースは屋内に仕切られた板張りの一角で、元は普通のトイレだったのだろう。
奥千町避難小屋
夕方になるとガスが出てきた。シュラフカバーのみで就寝。

■9/2(水)
起床時、ガスを透かして月、星が見えた。5:10出発。北側の山並みに目立つ三角は笠ヶ岳。
奥千町避難小屋の朝
朝の山並み
石仏に見守られた道は笹や草が深く、朝露がズボンを濡らす。標高2500mを超えて森林限界を突破、ハイマツにササとシャクナゲの交じる広い尾根となった。御嶽山が雲の上に顔を出したりガスに隠れたり。
6:50に中洞権現。ここの石仏は八十番。
中洞権現
剣ヶ峰への登りに差し掛かると足元がガレになり、花の終わったチングルマやコバイケイソウもあって、いよいよ3000m級高山らしくなってくる。山頂に近づくと旨い具合に晴れてきた。
山頂近づく
石仏の終点である大日岳は残念ながら立入禁止で、その山腹をトラバースして行くと・・・剣ヶ峰山頂が見えた!
剣ヶ峰見ゆ
大日岳と剣ヶ峰との鞍部でコマクサ(花はしおれかけ)を見、最後のガレを登って、8時半、乗鞍岳・剣ヶ峰(3025.6m)に登頂。ここは一等三角点だ。さすがに百名山で、登山者が幾人もいる。
乗鞍岳・剣ヶ峰登頂
権現池はいかにも火口湖らしい。
権現池
南側の雲の上に木曽御嶽、中央~南アルプス、八ヶ岳が浮かぶ。後ほど山頂小屋の山名案内を見て判明したのだが、北岳の隣に微かに富士山も見えていたのだった。
乗鞍岳山頂からの眺望
南アルプス
20分ほど山頂で過ごし、頂上小屋から肩ノ小屋へと下る。ここまで来ると観光地の雰囲気になってくる。道路歩きでは面白くないので摩利支天岳は割愛、富士見岳(2817m)、大黒岳(2772m)と踏んで、桔梗ヶ原で車道に出た。
富士見岳
大黒岳
大黒岳から下りてしまうと、サイクリング以外に人はいない。平湯・十国山登山口に10:40。
平湯・十国峠登山口
登山口からいったん下ってまた登り。<平湯マデ8.6km/姫ヶ原0.4km>の古びた指導標から以前は平湯大滝へ行けたらしいが、今は一本道だ。
姫ヶ原
道端のクロマメノキ(アサマブドウ)の実をひとつ摘まむとほのかに甘い。ハイマツ&シャクナゲの間の道は硫黄岳山頂(2554m)を掠めて下っていく。次第にハイマツの丈が高くなり、やがて樹林帯に。乗鞍権現社に向けての登りには歩き難い流水路らしき箇所もあり、雨の時には難儀しそうだ。12時半、乗鞍権現社(2400m)に到着した。権現社に上がる手前に十国山への指導標がある。
乗鞍権現社
十国山方面は、地図に「金山岩までは悪路だが通行可」とある。確かに入口からして指導標が無ければ道には見えない。最低限の荷だけ持って踏み込んでみると人の通った跡はあり、赤テープも付いている。しかし、枝を掴み岩を越えて進むうち、一度踏み跡を見失った。森林限界を超えるとハイマツの踏み分け道で進路は明瞭になるが、一部にザレた急斜面もあって楽ではない。最上部はガラガラとした岩場で、いちばん高く見える岩(2532m)まで行ってみると、三角点標石の上面のように□で囲んだ+マークが刻まれていた。ここまでルートを伸ばして、今回の山行目的を達成。
金山岩
金山岩
やや雲があるものの、乗鞍からは見えなかった北アルプスの山々をここで拝むことができた。残雪期にやり残している安房山~十国山も。少し場所を移すと、十国峠避難小屋の屋根も間近く見える。今は藪で通行困難だろうが、しっかり雪が付いていれば難しくなさそうだ。
金山岩からの眺望
金山岩からの眺望(山名)
乗鞍権現社に戻ると13:40。その後も道が細かったりと歩きづらいが、じきに楽になった。最後の水場は登山道から沢へ下りるようだ。水は間に合っているし平湯の売店が開いているうちに下山したいので確認しなかったが、水音がしていたので補給も可能だったろう。
水場指導標
さっさと歩いて<平湯/白猿(はくえん)ヶ池>の指導標(朽ちていてほとんど読めない)を過ぎ、1870.7m三角点を見ると草の広場に飛び出した。荒れた林道でどんどん高度を下げ、最後に平湯温泉スキー場のリフト乗場を通り過ぎて、16:05、国道(1306m)に下りた。

平湯キャンプ場はすぐ傍。徒歩でのテント泊は予約不要、入場料800円のみで利用できる。ただ、管理棟は18時に閉まってしまい、それ以降アルコール類は買えない。テントを張って、まずバスターミナルの売店(こちらも18時閉店)で土産品と缶ビールを確保してから、落ち着いて平湯の湯で汗を流した。
キャンプ場に蛾などは多少いるが刺すような虫はおらず、トイレもウォシュレットで快適。雨にも降られずに済んだ。

翌朝はぐずぐずしていると降ってくる恐れがあったので、早めに撤収してターミナルに移動。7:35の新宿行きを待った。

■今回のルート
       ↓ 1日目
乗鞍岳ルート(1)
       ↓ 2日目
乗鞍岳ルート(2)
       ↓ 高度グラフ
乗鞍岳高度グラフ

2026/9/10(木) 「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉」 ― 2026年09月10日 09:45

「劇場版 魔法少女まどか☆マギカ〈ワルプルギスの廻天〉」鑑賞@イオンシネマ熊谷。

いや、これはムズカシイ。というか、観客置き去り?で一度では理解できない。ワルプルギスの夜はTVシリーズでまどかに救われたのではなかったか? とりあえず、魔法少女の人数はもう少し整理しても良かったのではないかという印象。
『叛逆の物語』の正当なる続編-そして、新たな始まり(公式サイト)。まどかへの愛(執着)ゆえに円環の理に叛逆したほむらが解放されることを期待したのだが。それと、まだやるつもりかキュウベエ。

○9/14(月) 追記
2回目鑑賞@イオンシネマ熊谷。
少し分かった。ワルプルギス(マルグリート)はまどかに救われたが、その後ほむらが世界を上書きしてしまって再び形を得たのだった。
すべての魔法少女には「もういいんだよ」と安らいで欲しい。一方、悪魔ほむらにはまどかを取り戻して欲しい。そしてやはり不穏なキュウベエ。続編を待つしかないが、実現は今作の興行成績次第か。

2026/9/18(金)~9/20(日) インカ道トレッキング(1)【ペルー入国~クスコ観光編】 ― 2026年09月18日 00:00

昨年12月、ヒマラヤトレッキング(⇒ 2025/3/30~記事)以来毎月送付されてくる西遊旅行のパンフレットをめくっていて、ふとマチュピチュに行こうかという気になった。マヤ、インカの<謎の巨石文明>、<空中都市マチュピチュ>といったフレーズに子供時分から憧れがあったのだ。マチュピチュまで全てホテル泊のツアーもあるが、ここはテント泊でたっぷり歩くプランを選択し、T中・H氏に声を掛けてみると「行く」との返事。直近の6月ツアーは募集人数満杯だったため9/4発を申し込んだが、これは現地のインカ道入域証が完売しており、結局9/18発となった。日程が後ろにずれたのは結果的に正解で、ツアー現地での話で先週はずっと雨だったとか。
12日間コースで、参加13名、添乗員1名、旅行代金986,960円(申込金、燃油サーチャージ、オプショナルツアー等、全てコミ)。

■9/18(金)
北千住の叔父宅に前泊し、成田空港に7:30集合。参加者は男5、女8、うち夫婦が2組。
9:35発のアエロメヒコで飛び立ってメキシコシティ国際空港まで13時間。メキシコは日本より15時間遅れで、現地時間の21時で消灯。日本では真昼間で当然眠くはならず、時間の経過が遅い遅い。目を瞑(つむ)って極力眠ろうとしながらも、座席ディスプレイで飛行経路の残り距離を睨んで過ごす。5時過ぎに点灯し、間もなく食事が出たが、その後また暗くなった。西遊旅行の配慮で通路側席を取っているのでトイレは助かる。
メキシコシティで3時間待ち、リマまでさらに6時間のフライト。成田から合計22時間以上を要した訳だが、日付変更線を越えてペルーはまだ18日の夕方(日本との時差14時間)。空がどんよりしているのは悪天ではなく海霧とのこと。
Hotel Limaq(⇒ Googleマップ)に入る。現地の酒ということで、食事にはピスコサワー(20sol、1solは約50円)を付けた。部屋の冷蔵庫に入っている酒も、現物とスペイン語のメニューを照らし合わせるとだいたい見当がつく(瓶のラベルがジョニ黒だから、NEGRA=黒だろう、とか)。
リマでの酒

■9/19(土)
朝食はホテルで用意したサンドイッチ(ハム&チーズ)とパインジュースで、これを集合時間前に食堂で流し込んだ。
7:05発予定のLATAM航空(国内線)は1時間遅れ。着陸が近くなる頃、眼下に凄い雪山が見えた。
クスコ近くの山
山を掠め、街の上でダイナミックに機動して、9時、クスコに着陸。ホテルはSan Agustín El Dorado(サン・アグスティン・エル・ドラド、⇒ Googleマップ)。自分とT中氏の部屋は、3ベッドの広さだった。
クスコ空港で合流した現地ガイドのアルトゥーロ氏に引き連れられ、まずホテル近くの太陽神殿(⇒ Googleマップ)へ。現地名のQorikancha(コリカンチャ)はケチュア語で「黄金に囲まれた場所」だとか。インカの石組の上にサント・ドミンゴ教会が建っている。
太陽神殿
そこからセントラル・デ・サン・ペドロ市場(⇒ Googleマップ)へ。大屋根の下の無数の店は、<パン区画>等ある程度整理されているようだ。屋根の外の路上にもハーブやら何やらの出店あり。クイ(テンジクネズミ)のロースト(?)が長い歯を剥いている。
セントラル・デ・サン・ペドロ市場
セントラル・デ・サン・ペドロ市場
次はアルマス広場(⇒ Googleマップ)。丘に囲まれた街、広場に立ち並ぶ壮麗な教会、大聖堂、インカ皇帝像が印象的だ(下の写真は翌朝撮影)。
アルマス広場の教会
クスコ大聖堂
アルマス広場のインカ皇帝像
大聖堂の中に掲げられた十字架は最初にスペインから運んできたもので、囚われの皇帝アタワルパもこれを見たはずという(⇒ Cusco Cathedral/One Complex, Three Churches)。カタコンベ(地下墓地)なども見るが、時差ボケが出てきたか、ガイドの説明中にあくびを噛み殺した。
遅い昼食を摂ってホテルに戻る。近所の両替所で100米ドルをペルー・ソル(sol)に替えると、50sol紙幣が3枚来た。やや使いづらいが、小額紙幣は不足気味らしい。

夕食はアルマス広場からインカの石組の路地を行ったレストランで。有名な「十二角の石」(⇒ Googleマップ)はこの路地にある。帰りに、ガイドブックにあった「十四角の石」を探した(下の写真も翌朝のもの)。
インカ石組の路地
インカの石組
十二角の石
十四角の石
この夕食に限らず、食事は事前に前菜・メインディッシュ・デザートを各自選ぶことが多かったが、料理名を聞いても具体的なイメージが湧かないので、メモを取っておかないと自分が何を選んだのか忘れてしまいがちなのだった。ホテルでは自分らの部屋にA塚氏、M尾旦那氏を誘い、昼間スーパーマーケットで買っておいたピスコを飲んだ。

■9/20(日)
4時前に目覚め、ホテルの食堂でT中氏と早めの朝食(バイキング形式)。集合時間まで間があるので、一人で散歩に出た。昨日のアルマス広場から石組の道を辿って写真を撮る。サン・ペドロ市場には人が集まって開店準備中。路上の物売りも出始めていた。

8時に集合してバスに乗り込み、クスコ周辺の観光に出発。混雑を避けようとのガイド判断で、まずサクサイワマン(⇒ Googleマップ)へ向かう。
市中の交差点でワラーチクイの行列に出くわして通過待ち。現在は観光化しているが本来は成人儀礼&試練による役割付与の行事(⇒ Warachikuy in Cusco)で、衣装等に表された4色(赤緑青黄)はインカ帝国の4州を象徴するとのこと。細道を上ってサクサイワマンの入口で降車すると、各自にクスコ周辺の観光チケットが渡された。
クスコ観光チケット
遺跡の広場では子供らが祭りの出し物の準備中。インカ戦士やコンドルの扮装も見かけた。
サクサイワマンのコンドル
遺跡は大小の石を組み上げた堂々たる城塞。サクサイワマンとは現地のケチュア語で「満腹したハヤブサ」の意味だとか。
サクサイワマン
丘の上からはクスコの街を一望できた。
サクサイワマンから眺めるクスコ市街
1時間程見学して出口に迎えに来たバスに乗ると、反対車線は上がってくる車で大渋滞。サクサイワマンを朝一番に持ってきた判断は大正解であった。

次はモライ遺跡(⇒ Googleマップ)へ。発見時にはアリーナかと推測された同心円状の窪地は、高低差(=気温差)を利用したインカ時代の農業試験場。その時代から系統的な品種改良の概念があったことに驚く。同様構造が3箇所あり、標高約3500mということもあって一巡りするのに息が切れた。周囲に見える美しい雪山は5000m級だ。
モライ遺跡
モライ遺跡
モライ遺跡から眺める高山

聖なる谷・ウルバンバ渓谷へ下りて行き、マラスの塩田(⇒ Googleマップ)へ。塩分濃度の高い温泉(鉱泉?)水を3500枚以上ある塩田に導き入れており、働いている人の姿も見える。インカあるいはそれ以前の時代から営々と切り開いてきたのであろう、凄い眺めだ。
マラス塩田を見下ろす
マラス塩田
見学路を歩いていると暑くなってくる。売店では塩の小袋が一つ1sol。土産用に塩田上層と粒の荒い中層のものを買い求める。下層の塩は工業用になるとか。

最後にチンチェーロの織物工房へ(場所はここだが、名称は違う気がする ⇒ Googleマップ)。チンチェーロは、傀儡皇帝マンコ・インカがスペインに対して反乱を起こした際に最初の拠点とした、とガイドの説明。観光用であろうが、リャマやアルパカ、クイが飼われている。
リャアマとアルパカ
クイ(テンジクネズミ)
工房では糸紡ぎと染色の実演。数家族が店を出しているとのことで、羊とアルパカ混紡のマフラーを米ドルで購入。
毛織物実演

クスコに戻り、アルマス広場のちょっと和風のレストラン( ⇒ Googleマップ)にて夕食。
和風(?)の食事
個別に頼んだビール代に昼間両替した50sol紙幣を出すと、欠損箇所を指して首を振る。別の紙幣にすると受け取った。偽札の問題でもあるのだろうか。
使用困難な紙幣

2026/9/21(月)~9/24(木) インカ道トレッキング(2)【トレッキング編】 ― 2026年09月21日 00:00


■9/21(月)
スーツケース(街歩き用の衣類、靴を残す程度でほぼ空)はホテルに預け、ポーターに運んでもらう荷物をダッフルバッグ(西遊旅行貸与。同じく貸与のシュラフを含めて7kg以内)にまとめる。6時、専用車でトレッキング開始点のピスカクチョへ向け出発。

クスコ市内で目にした選挙ポスターが田舎の道々にも見られる。犬のシルエット、ヘルメット、「A」の文字、「1」、「3」と様々なシンボルがあり、それらにバツを付けたのもある。最初、バツは反対勢力と思ったのだが、投票時のチェックの意味らしい。
途中、道路脇の土産物屋(アンタの街を過ぎた辺り ⇒ Googleマップ)でトイレ休憩。オウムが嘴で止まり木にぶら下がって一人遊びしている、その屋根のシーサー的な置物についてガイドのアルトゥーロ氏に訊いてみる(アルトゥーロ氏は現地語=ケチュア語と英語のバイリンガルで、その英語を添乗員の紙谷氏が訳してくれる)と、「守り神で、インカ時代はアルパカ、リャマ等だったが、スペイン時代に牡牛に変化。内部に動物の脂肪を入れた」とのこと。ここには小さな民俗資料館が併設されていた。
ペルーのシーサー
道はマチュピチュ行き高原列車の線路と並行しており、山間部に入るとかなり険しい箇所にレールが敷かれている。土砂崩れで埋まっているように見える箇所もあった。

9時、ピスカクチョ(標高2700m--標高は資料や現地看板によって多少の差があるが、ガイドの配布した「INKA TRAIL MAP」記載値を優先)に到着し、先着していたポーターとビジターセンター前の広場で簡単に顔合わせ。ポーター29人にコックも加わり、ツアー参加者(13人)の倍以上に支えられる旅になる(写っているのが我々の乗ってきた専用車)。
ピスカクチョ到着
ビジターセンターの壁画を前にガイドが簡単に説明。コンドル(天上)-ピューマ(地上)-ヘビ(地下)に象徴される世界の三層構造は、後に訪れる遺跡にも現れる(壁画にヘビはいなかったと思うが)。
ビジターセンター壁画
km.82駅の傍ら、インカトレイルの看板前で集合写真を撮り、10時前にトレッキング開始。
インカトレイル出発の記念撮影
インカトレイルに出発

吊橋を渡ってウルバンバ川の左岸を行く。程近い休憩舎にあった供え物。お札は無効になった旧紙幣か、あるいは紙銭的なものかもしれない。
屋根の供え物
次の集落(地図にはYAHURHUACAとある)で見た日干し煉瓦(アドベ)の建物。
アドベ
道端にはサボテンが多い。昨日の織物工房で赤の染色に使っていたカイガラムシの付いているのもある。
サボテン
対岸の遺跡の前を通過する高原列車。
カァナバンバ(or Salapunku)
この遺跡(上の写真)はGoogleマップではSalapunkuだが、ガイドの説明はアナバンバだった。「バンバ」は<平らな場所>の意で、元は「アナパンパ」<炎の街>だったのではないか、いずれにせよインカ時代の名称は不明だが、と。インカ道の休憩所、タンボ<旅籠(はたご)>らしい。
やがてトレイルはウルバンバ川を離れ、登りにかかる。
登り道
ウィルカラカイ遺跡と、そこから見下ろす谷底のリャクタパタ遺跡(⇒ Googleマップ)。
ウィルカラカイ
リャクタパタ
ウィルカラカイは関所、「リャクタパタ」は<川の上の街>の意で貴族のタンボだった。リャクタパタの川に面した曲線はヘビ=地下世界で、そこから地上、天上と三層の世界を表している、とガイドの説明。
13時過ぎ、先行したポーターの設営してくれたキッチンテント(Googleマップではここか?)に入り、コックが腕を振るったご馳走をいただく。街のレストランより美味しい上、自分の好きなだけ取ればよいので食べ過ぎの心配もない。14時半までゆっくりと昼休憩。
9/21 昼食
クシチャカ川沿いに歩いて、HATUNCHACAの集落で休憩。棒の先にポンポン様のものを付けて軒先に掲げておくのは「チチャ(トウモロコシのドブロク)があるよ」の印。
HATUNCHACA集落
16時過ぎ、ワイジャバンバ(3000m)に到着した。売店や救護所もあって、キャンプ地(⇒ Googleマップ)には坂を上がる。
ワイジャバンバ

二人相部屋組は4人用テント、一人は2人用テントと贅沢な広さ。自分らのテントは出入口のファスナーの噛み合わせが外れるという不具合があったが、紙谷氏に伝えると食事の間に(たぶんポーターが)応急修理してくれた(前後に口のあるテントで、翌日は前後を入れ替えて壊れた側を使わないよう設営された)。
ワイジャバンバのキャンプ地
下の売店から出張販売に来ており、ビールが20sol、Wi-Fi(スマホを渡してパスワード入力してもらう)が10solだった。停電のためかWi-Fiは1時間程度で切断してしまったが、自宅にLINEを送れたのでヨシ。
夕食はキャンプ地の上段の建物にて。テーブルに着くとパルスオキシメーターが回ってきて、各自の健康手帳に血中酸素濃度と脈拍、動悸や頭痛の有無などを記入して添乗員に提出する。今夕の数値は92-70と良好。食事も美味い。

■9/22(火)
5時、各テントに添乗員が声掛けし、その後ポーターがお茶と洗面器を配ってくれる。ダッフルバッグと自分のザックを外に出して朝食。行動食としてクラッカーなどとパッションフルーツ(自分はパカイマヨでテントに入ってから食べた)が用意されていた。
パッションフルーツ
6時半に出発。間もなく、ルート中の最高所であるワルミワニュスカ峠を遠望する。
ワルミワニュスカ峠遠望
雨が落ちてきたが雨具を着けるまでもなく止み、時折薄日の差す天候。
休憩したアヤパタのキャンプ地(⇒ Googleマップ)の売店には、民族衣装のおばさんが商品を運び込んでいた。
アヤパタ
下の写真はアヤパタとルルチャパンパの中間、標高3400mを超えた辺り。植物の勢いが強い。インカ道のうち現在の生活道路として使われている部分は、前のフジモリ大統領(今年7月に娘のケイコが大統領に就いた)時代に修復したとのこと。
標高3400m樹林
ルルチャパンパ(3800m、⇒ Googleマップ)のキャンプ地で早めのランチ。下の写真で手前のグレーは男女別のトイレテント、奥がキッチンテント。テント傍の木にハチドリがやってきて蜜を吸う。
ルルチャパンパ
ハチドリ
ランチ後にまた小雨が来て雨具を羽織ったものの、じきに止んだ。

峠に向かって高度を上げていくと、右手の山肌を侵食した水流跡が、下の草原(数頭のリャマが草を食んでいる)に岩石交じりの白い土砂を拡げている。今回ツアーの出発前に「インカ道の序盤の一部区間に土砂崩れの危険性があることから、8月中旬より一時閉鎖」「再開」とメール連絡があったのがこれだったらしい。エルニーニョの影響もあり乾季にも関わらず降水量が多く、土砂はワイジャバンバまで達したとか。
山肌の雨裂
雨裂とリャマのいる草原
休憩を挟みながらのゆっくりしたペースながら、いよいよ峠に迫り・・・
ワルミワニュスカ峠に迫る
13:40、全員無事にワルミワニュスカ峠、別名Dead Woman's Pass(4215m、⇒ Googleマップ)に登り着いた。
ワルミワニュスカ峠
ワルミワニュスカ峠
振り返れば谷のどん詰まりがワイジャバンバで、そこから1200m上がったことになる。
ワルミワニュスカ峠から振り返る
この標高にして曇っていても気温は20℃ある。元気の余っているT中氏などは傍らの小山にまで上がっていた。

峠の反対側の階段を下りるとトイレあり。ここでもまた一時小雨。
あとは標高差600mの下りで、16時前にパカイマヨ(3615m、⇒ Googleマップ)に到着した。インカ時代の畑を基に作ったそうで、テントサイトが段々になっている。
パカイマヨのキャンプ
夕食前にポーター、コックが勢揃いしての紹介では、エステバンといったスペイン風の名前が多い。最年少は写真の切れ目に重複して写っている若者で、たしか19歳だった。
ポーター、コック勢揃い
夕食時のパルスオキシメーター数値:87-72

■9/23(水)
日課のお茶と洗面器、荷出し、朝食を済ませ、7時半に出発。ルート中第二の高所・ルンクラカイ峠に向けて石段の道を行く。
ルンクラカイへ

ルンクラカイ遺跡の看板(峠まではまだ標高差200m程ある)を通過し、トレイル上の遺構でガイドの説明を聞く。上方が狭まった扉の石組は、ここに限らずインカの遺跡に特徴的だ。
ルンクラカイ遺跡
ガイド曰く、ルンクラカイは遺構の卵型の部分から生命を表す聖所と考えられたが、実は軍事目的でチャスキ(インカの飛脚)の中継所でもあったか、と。その卵型(⇒ Googleマップ)はもう少し歩いた地点からよく見えた。
ルンクラカイ遺跡

さらに進んだ休憩地からワルミワニュスカ峠方面を眺めやると、雲に隠れていた峠が現れるタイミングがあり、仰向けのDead Womanのあそこが顔だの胸だのと言いあうものの、自分にはどうも判らなかった。
ワルミワニュスカ峠を振り返る
池を見てからひと登りし、10時前にルンクラカイ峠(3960m)に到達。美しい青い鳥が木の葉に見え隠れしている。4人ほど(写真左からM尾氏、T中氏、自分、A塚氏)で傍らの小山に登ると、サブガイドのエリスバン氏が動物の糞を指し、クマが周囲に生えている植物を好んで食べると言う。トレイル出発点のビジターセンター壁画にあったメガネグマ(アンデスグマ)であろう。
ルンクラカイ峠
クマ糞
峠から下りると、すぐに岩のトンネルあり。
ルンクラカイ峠近くのトンネル

石畳の道で緩やかに高度を下げ、11時にサヤクマルカ遺跡(3600m、⇒ Googleマップ)。居住エリアや神殿エリアを有し、山の上から水を引いていたという。向こうの山腹に見える平坦地がランチ場所になる。
サヤクマルカ遺跡
サヤクマルカ遺跡
サヤクマルカ遺跡
サヤクマルカ遺跡
サヤクマルカから下りて歩きながら、遺跡の続きで「竹のような植物があれば導水管に使えるのに」と話していたら、実際に篠(しのだけ)が出てきた。ガイドも、この辺から植生が変わってくると言う。
12時、チャキコーチャ(3600m、⇒ Googleマップ)にてランチ。食後の休憩時、日当たりの良い花にチョウあるいはガが群れている。
チャキコーチャのチョウ、ガ
そこの水流でポーターが食器を洗って油が浮いているのは、割とおおらかな感じ。

道は緩やかな登り。この辺りの石畳はインカ時代のオリジナルをよく残しているとのこと。
植物が濃く、コケは厚く水を含んでいる。
オリジナルのインカ道
オリジナルのインカ道
インカ道の植生
またトンネルあり。岩肌にタガネのような跡が見られ、人の手で掘り拡げたことが窺える。
インカトンネル

プユパタマルカのキャンプ地(3650m、⇒ Googleマップ)に15:20着。眺めの良いテントサイトで、いよいよマチュピチュ山が見えてくる。
プユパタマルカのキャンプ地
プユパタマルカのキャンプ地
プユパタマルカのキャンプ地よりマチュピチュ山
少し高い処に上がるとスマホ電波(docomo ahamo)が通じた。少し下にプユパタマルカ遺跡があるが、それは明日。
今日はどうも、最高地点を越えた昨日よりも息が切れ、疲れた。乾燥のためか軽い咳も出る。T中氏やA塚氏は持参のアルコールを飲んでいたが、自分はテントでおとなしくしていた。夕食時のパルスオキシメーター数値は92-83で、悪くはない。

■9/24(木)
朝食に WELCOME TO MACHUPICCHU のケーキが付いた(下の写真はA塚氏撮影)。
コックのレアンドロ氏
ポーターは本日のルート途中の分岐から列車駅へ下りるので、このキャンプ地にてお別れ。出発前に集まって握手を交わした。
朝の山肌から立ち上る霧が雲霧林地帯にいることを感じさせる。
雲霧林

7時に出発。急な石段を下りると水場があった。キャンプ地で使う水はここから運び上げたのだ。
プユパタマルカの下り石段、水場
続いてプユパタマルカ遺跡(⇒ Googleマップ)。プユパタマルカは<雲の中(上)の街>の意。壁の形は山を模している。二重になった扉が寺院の特徴。上部の大岩に穿たれた穴は柱跡のように見えるが、用途は判明していないとのこと。下の草原に水路が伸びている。
プユパタマルカ遺跡
プユパタマルカ遺跡

プユパタマルカ遺跡

プユパタマルカ遺跡
さらに石段を下りて行き、休憩場所から振り返ると「あの岩、ピューマそっくり」。
ピューマ岩
道々、小規模な石組があるのは茶店だったかも。
茶店?
またトンネルを潜り・・・
トンネル
9時半に送電鉄塔のある分岐地点。ポーター達はここからウィニャイワイナ経由で下りてマチュピチュ村へ先回りし、あるいは街へ戻る。

9:45、インティパタ遺跡(現地看板によると2930m、⇒ Googleマップ)。2001年に発見された山の斜面いっぱいの段々畑、<太陽のテラス>だ。湧水と地味から場所を選定し、段々もただ削って平面を作ったのではなく、大石、砂利、土と多層構造にしてある。マチュピチュへ食料を供給する農場であったとともに、高原とアマゾン地域との間の物資交換の場でもあった。
インティパタ遺跡
リャマがのんびり座り込んでいる。
インティパタのリャマ
遺跡の麓へと向かうと、今度は3頭ばかりで道を塞いでいた。
インティパタのリャマ
インティパタ遺跡

ウィニャイワイナのキャンプ地で最後のトレッキングランチを頂き、ウィニャイワイナ遺跡(⇒ Googleマップ)を往復。遺跡は上部に神殿、水路の付いた段々を挟んで下部に居住区がある。段々畑はさらに下へと続いている。
ウィニャイワイナ遺跡
ウィニャイワイナ遺跡
限られた見学時間で居住区まで下りると、急いで登り返すのに息が切れた。ドイツ的な風貌の大層な体格の御婦人がヘタっていたが、インカトレイルのショートバージョンではウルバンバ川からここへ上がってくるらしい。大変である。
ウィニャイワイナ遺跡

ウィニャイワイナから折り返すように北へ。ランの花など見ながら行くと、いよいよ太陽の門を前にした急階段(⇒ Googleマップ)になる。
石畳と傍らの花
太陽の門への急階段
しかし話に聞いていたほどキツくはなく、皆支障なく登り切って、13:40、太陽の門(インティプンク、⇒ Googleマップ)に至った。
太陽の門
ここから、ついにマチュピチュ遺跡が見える。集合写真を撮るとともに、それぞれ添乗員・紙谷氏にシャッターをお願いした。ガイド・アルトゥーロ氏を入れて、T中氏と自分。
太陽の門にて
そうしているうちに14時ちょうど、自分の他2~3人のスマホからけたたましいアラーム音が! T中氏は何か表示が出て<OK>で止まったそうだが、自分のスマホには何の表示もない。マナーモードにしても止まらず、やむなくシャットダウンした。後で調べてみると、ペルーの災害警報システムの訓練を誤って拾ったらしい。マチュピチュではdocomo ahamoが使えたが、その副作用と言うべきか。

太陽の門からマチュピチュ山の山腹をトラバースしてマチュピチュ遺跡に向かう(下の写真は翌日ワイナピチュ山頂からの眺望)。
マチュピチュ山
途中、山の形を模したかと思われる岩。手持ちのガイドブックには「儀式の石。岩の上を冬至の日に太陽の光が通る」とある。コカの葉を焚く欧米人グループがいた。
山を模した?岩
続いてパチャママの聖なる岩(⇒ Googleマップ)。この大岩も山を象っているらしい。岩の向かって左下部に黄色のペイントが施してあるとガイドの説明。日本人の感性ならば自然の岩壁の下に神を祀るところだが。
パチャママの聖なる岩
そして15時、マチュピチュ遺跡(2400m、⇒ Googleマップ)に到着。4日間のトレッキング行程を全員無事に歩き通した。後でGPSトラックデータを見ると、距離40km超、累積標高4000m超であった。耳にタグを付けてたリャマが、観光客などまるで気にせず草を食んでいる。
マチュピチュ遺跡
マチュピチュ遺跡にて
今日は観光はせず、遺跡を眺め写真を撮って出口へ。行列に並んでバスに乗車し、ハイラム・ビンガム・ロードでマチュピチュ村へと下りた。

ホテルはTierra Viva Cusco Machu Picchu。夕食は鉄道駅近くのToto's Houseで。食事をしていると、トレッキング中の集合写真や各自のスナップをカードにしたものを現地のおじさんが売りに来た。いつ撮った?と思うが、10solで1枚購入。
トレッキング写真カード
本日、そして最後のパルスオキシメーター数値:93-83。

一人で街をぶらついてみる。土産物屋でマチュピチュのマグネットをひとつ求め、酒屋でホテル飲み用のウィスキー小瓶を買う(結局飲まずに日本まで持ち帰ったが)。この酒屋でも例の50sol紙幣は使えなかった。
マチュピチュマグネット

■トレッキングルート(9/25の遺跡観光&ワイナピチュ登頂を含む)
    ※カシミール3DのタイルマッププラグインでOpenStreetMapを表示
インカ道トレッキング地図
    ※高度グラフ
インカ道トレッキング高度グラフ

2026/9/25(金) インカ道トレッキング(3)【マチュピチュ&ワイナピチュ編】 ― 2026年09月25日 00:00


■9/25(金)
昨日、マチュピチュ山側から眺めたのはこんな景色だった。空中都市マチュピチュは、マチュピチュ<老いた峰>とワイナピチュ<若い峰>の間の尾根に造られている。ウチュイワイナピチュの別名はフチュイピチュ<小さな峰>。
マチュピチュ&ワイナピチュ
マチュピチュ遺跡
遺跡およびワイナピチュについては事前に以下の注意事項を聞かされている。
・ザックは28リットル以内(自分は昨日までのトレッキングに使った30リットルをサブザックに切り替える)。
・ペットボトル、傘は禁止。ストックは原則禁止。
・トイレは遺跡の入場ゲートにあるのみ。途中で催したらゲートを出るしかない(再入場不可)。
ところが、朝、部屋のトイレに座ると下痢。生水に注意とは常に言われることだが、夜中にトイレに起きた際にぼんやりしたまま水道水を一口二口飲んだ気がしないでもない。まあ、出すものを出したから何とかなるか・・・ 結果的にこまめにトイレを使って乗り切ったが、翌日まで腹具合が落ち着かなかった。

ホテル前からウルバンバ川越しの岩壁。ワイナピチュもそそり立っているが、同様の地質なのだろう。
ホテル前の岩壁
8時前のバス乗り場。遺跡、ワイナピチュとも一日当たりの入場者数を制限しているが、それでもこの行列だ。
バス行列
バスはのべつ発車しており、日光いろは坂の如きハイラム・ビンガム・ロードでマチュピチュセンター(⇒ Googleマップ)へ上がる。トイレを済ませて9時前に入場(チケットはマチュピチュとワイナピチュの2枚。ゲートでパスポートと照合する)。
マチュピチュチケット
草ぶきの復元された貯蔵庫。
貯蔵庫
左端に太陽の神殿が見える。
マチュピチュ遺跡。左端に太陽の神殿
段々畑の一段はかなり高く、見張り小屋ははるか上。
段々畑を見上げる
太陽の神殿。二つの窓からは夏至と冬至に太陽が真っすぐ差し込み、中の聖なる石を照らす。インディ・ジョーンズの世界だ(マチュピチュ遺跡を世界に紹介したハイラム・ビンガムが映画のモデルになった)。
太陽の神殿
太陽の神殿下。飾り棚が刻んであり、パチャママの神殿だったか。
太陽の神殿下
美しい石積みに触れてはいけない。
美しい石積み
水汲み場。
水汲み場
王の別荘。床の丸穴は天体観測の水鏡?
王の別荘
石に刻んであるアルファベットは復元の目印だろう。
石積み復元の目印
地面を掘り込んで断面を見せている。
地面の断面
雲に半分隠れたヤナンティン山(マチュピチュの北西、標高4547m)他。谷が深い。
ヤナンティン山など

10時過ぎ、遺跡を抜けてワイナピチュの入口へ。ノートに氏名と時刻、サインを記入する。今日は帰路の列車時刻が決まっているので、疲れたからゆっくり登るという訳にはいかない。それでも1名が遺跡で待つことにしただけで、他の12名は揃って入山した。
ワイナピチュ入口
右下に登山道階段が見える。
どこから登る?ワイナピチュ
最初に緩やかなアップダウンがあって、あとはひたすら登る。先頭に立つサブガイド・エリスバン氏について行くのに汗をかいた。遅れ気味の1名は紙谷氏が荷物を引き受けてサポートしているようだ。
ワイナピチュ登り

ワイナピチュ登り
ワイナピチュ登り
やがて遺跡とマチュピチュ山の眺望が開ける。
遺跡とマチュピチュ山
貯蔵庫(あるいは乾燥室)で休憩。
貯蔵庫で休憩
標高2667mの看板にて集合写真。遺跡との標高差約250mを皆登り切った。しかし、実際の山頂はもう一段上だ。
ワイナピチュ登頂間近

ワイナピチュ頂を見上げる
11時過ぎ、山頂には他のグループもいて混雑していた。遺跡をバックにちょうど腰を下ろせる岩があり、順番に紙谷氏に撮影してもらう。
ワイナピチュ山頂にて
この時は何も考えなかったが、尻に敷いたこの岩もマチュピチュ山を模しているように見える。かつて山に向かって生贄を捧げたりした場所ではあるまいな。
ワイナピチュ山頂
山頂には10数分滞在した。山頂部は上り下りが分かれていて、下り階段には掴まるものがないと怖さを感じる箇所もある。岩の割れ目を抜けて行くと、窪みの連なった岩。山頂での儀式に使われたものだろうか。
ワイナピチュの下り
元のルートに合流して、12時過ぎにワイナピチュのゲートを出た。

待っていた1名と合流して遺跡見学の続き。
ヤナンティン山を象る聖なる石。ただし、山は自分の背後にある。
聖なる石とヤナンティン山
この岩(下の写真)は手前の丸いピークを模すと、ガイドが説明していたと思う。マチュピチュには山の形を表した岩が33あるとも(これもうろ覚え)。
山を模した岩
水を張って天体観測に用いた石。ハイラム・ビンガムを案内した子供が石臼だと説明したため、長い間そう信じられてきたとか。
天体観測した石

チケットを取った見学ルートはサーキット3だが、途中で通行止めになりサーキット2に入ったとのこと。遺跡全体を見るにはサーキット1~3のチケットを買わなければならない。
12:40に遺跡を出た。レストランでバイキング形式の昼食を摂った後、行列してバス待ち。

マチュピチュ村に戻り、駅へと歩く。駅前の迷路のような土産物屋を冷やかしたりトイレを探したり。列車時刻が迫り、ホテルで出しておいたダッフルバッグを受け取って駅の雑踏へ。
駅の雑踏
切符は乗車時に回収され、自分で席番号を覚えておくという不思議なシステム。
高原列車
ウルバンバ渓谷の車窓風景を楽しみながら約2時間、17時半過ぎにオリャンタイタンボ着。ここで往路にも使った専用車に乗り換えたのだが、駅周辺の狭い道は観光客を迎えるクルマで酷い混雑ぶりだった。
すっかり暗くなってからクスコに帰着。元のホテルSan Agustín El Doradoに入り、館内レストランで夕食。早くも「戻ってきた~」という感覚になる。
ホテルフロントに併設(?)の貴金属店でT中氏ら2~3人がネックレス等の銀製品を買うと、店の女主人が全員にインカクロスのペンダントをくれた。
インカクロス

■本日の歩行ルート
マチュピチュ&ワイナピチュルート

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