2025/4/2(水)~4/4(金) ヒマラヤトレッキング(2)【トレッキング前編】 ― 2025年04月02日 00:00
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■4/2(水) ラメチャップ(空路)~ルクラ~タドコシ~パグディン~モンジョ
ラメチャップで一夜を過ごし、5時にロッジを出てラメチャップ空港へ。改めてセキュリティを通ったので、航空券にスタンプが2回押されている。
7時過ぎに離陸、30分ほどの飛行で今度こそルクラ(2827m)に降り立った。テンジン・ヒラリー空港(旧称:ルクラ空港)は<世界一危険な空港>だとか。下の写真は飛び立とうとしている機体(我々の利用便とは別)で、短い滑走路が手前に向かって高くなっているのが分かる。右側に見えている金色はエドモンド・ヒラリーとテンジン・ノルゲイの像。空港近くのSHERPA LODGE & COFFEE SHOPで朝食。ここでポーターと合流し、各自のダッフルバッグはここからゾッキョが運ぶことになる。昨日(4/1)パグディンまで歩くのが本来の旅程だったが、ラメチャップで一日停滞した分、今日のうちにモンジョまで足を伸ばすことになった。8:50、いよいよトレッキング開始。滑走路のビューポイントで飛び立つ飛行機(上の写真)を眺めていたら、離陸時のプロペラ風に帽子を飛ばされた。早速、マニ車やマニ石といったネパール風物に出会う。人に交じってラバやゾッキョが行き来し、道にはさっそく荷役動物の落とし物が多数。PASANG LHAMU GATEはシェルパ族女性で初めてエベレストに登頂(1993年)したパサン・ラムを記念するもの。テンジンといいパサンといい、ヒマラヤ登山に関するシェルパ族の誇りが感じられる。
下はカトマンズに戻った後、使用済みとして各自に渡されたトレック・カード。"KHUMBU PASANGLHAMU RURAL MUNICIPALITY"(クーンブ・パサンラム農村型自治体。コシ州ソルクーンブ郡に属す)とある。クーンブの入域許可証と思われるが、入域料は2000ルピーのはずでCard Value/Feeの数字と一致しない。あるいはSAGARMATHA NATIONAL PARK(入域料3000ルピー)の方だろうか。
進行方向に見えてくる山は、右がヌプラ(Nupla、5885m)、左の白いのがカリョルン(Karyolung、6511m)らしい。
チェプルン(2660m)辺りでネコを見る。至る処にいるイヌに対してネコは珍しく、この後ナムチェバザールのシェルパ文化博物館にいたもの等、ネパール滞在中に2~3匹しかお目に掛からなかった。と言っても種類としてはありきたりのネコだった。マニ石は左側を通るのが作法。釈迦の弟子が説法を聴く時に師に右肩を向けたことに由来するといい、ラバもきちんと作法を守っている(そんな訳ないか)。一回りすればお経を一回読んだ分の功徳を積めるのはマニ車と同様。道は高度を下げていき、最初の吊橋を渡る。昼前にタドコシ(2600m)に到着してランチ。コックが一緒のツアーは本当に楽ちんで、味もスタイルも日本人向けだ。ジャガイモが日本で食べる以上に美味しい。道端に時折シャクナゲ(日本の山と違い、高く伸びている樹が多い)やサクラの花が咲いているが、乾季の今は盛りという訳ではない。濃いピンクはサクラではなく、モモの花か?ゾッキョ。雌のヤク(正確にはナク)と雄のウシの掛け合わせが多い(逆は性能が落ちるとか)。荷役に使われるのは雄のゾッキョで、雌(正確にはゾム)は乳牛になるとのこと。アップダウンの道を辿ってパグディン(2652m)へ。そそり立つ岩壁は、こういった場所でハチミツを採るのだそう(右側の写真は岩壁のズームアップ)。パグディンは広い。ロッジがあり街があり、ドゥードゥコシ(Dudh Koshi、コシ川)を渡ってまたロッジ。さらに離れたロッジで休憩となる。14時前で気温19℃、一時曇って、風が吹くと涼しい。
徐々に高度を上げていくと、手前の山の端からタムセルク(Thamserku、6618m)が覗いてくる。手前にある岩峰を、メンバのK村・M氏は「大同心だ!」。ドゥードゥコシに合流する川(Manjo Khola / Kyashar Khola)を渡り、16時、モンジョ(2835m)に到着。宿はSHERPA LODGE。ここまで来るとWi-Fiは有料で、このロッジでは300ルピーだった。
【トレッキング中の日課】
ここで、この先のトレッキング中に繰り返すことになる、特にロッジでの日課を記しておこう。
○ロッジ入り。ゾッキョは少し遅れて到着することが多いが、運ばれてきたダッフルバッグが各自の部屋の前に置かれる。お湯を入れた洗面器が配られ、身体を拭う。
○夕食前に食堂に集合。
・パルスオキシメーターで血中酸素濃度、脈拍を計測。結果は各自の記録帳に記入し、S水氏(添乗員)がチェック(この記録帳はツアー中に提出したままで手許にないが、4/2は95-59とメモが残っている)。
パルスオキシメーターは旅行社のものの他にK村氏個人のものがあったが、後者は自分の指とは相性が悪く、計測できない(指先が冷たいとダメ?)ことが多かった。
・全員揃ってミーティング。翌日の予定等を伝達。
・テルモス等を食堂の一角(ガイドやポーターが食事する辺り)に出しておけば、夕食の間にお湯を入れてもらえる。
○夕食。お茶の後にスープ、メインディッシュ。ディッシュの上の一品毎にお代わりを勧めてくれるので、つい食べ過ぎる。食後はお茶を飲んでくつろぎ、各自適当なタイミングで部屋へ引き上げる。
○就寝。この先で高度が上がってもロッジの布団と上掛けでほぼ十分で、日本から持って行った寝袋は、使うとしても上掛けに載せる程度だった。
○朝食の1時間ほど前に起床。
・紅茶が供される。イギリス登山隊が持ち込んだ文化なのだろう。
・お湯を入れた洗面器が配られる。顔を洗うと小さな洗面器から零れる(綺麗に顔を拭えるまで慣れる暇がなかった)。
・ダッフルバッグをパッキングして部屋の前に出す。
○食堂で、パルスオキシメーターによる健康チェック。
○朝食。毎回お粥が付いて、これに塩昆布やふりかけを加えた。味噌汁も定番。食欲不振時のためにお粥やお茶漬けなど持つと良いと言われていた(自分はアルファ米2食と粉末味噌汁を用意)が、これなら自前で持たなくても大丈夫だ。他に主食としてパンケーキやトースト等。主食もおかずもお代わりできる。
○朝食(集合)から1時間程度で出発。このタイミングでのトイレは少々慌ただしく、できれば朝食前に済ませたいところ。
○トレッキング行動中の昼前後、ロッジに入って昼食。先行したコックがロッジのキッチンを借りて準備しておいてくれる。お茶やスープで水分を取れるので、行動用の水はそれほど持ち歩く必要がなかった。
【ネパールのトイレ】
<拭く>文化の日本に対して、<洗う>文化圏に属するネパールではペーパーを使わず、<不浄の手>とされる左手で清める(らしい)。
今回トレッキング中に利用したロッジやカトマンズ(タメル地区)で見たところでは和式便器が多く、傍らに水タンクが置かれ、ペーパーの備え付けは無し。排泄物はタンクから汲んだ水で流す。和式便器のサイドに付いている凹凸は周囲に散った水で足を滑らせないためだろう。気温が下がれば凍ってさらに滑る(実際、トレッキングで高度を上げた屋外トイレでは凍っていた)。
さすがに自分らは持参のペーパーを使ったが、使用後はゴミ箱(旅行者向けに置いているのだろう)に捨てること。うっかりペーパーを流すと詰まることがある。ペーパーはトレッキング中にロッジや道端の店などあちこちで見かけた。買った人の話によると、300ルピー程度する高級品で使い心地はたいへん良い。
各部屋にトイレのあるロッジは稀で、たいていは共同トイレだったが、これは利用するロッジのグレードの問題かもしれない。
さすがにカトマンズのホテルや病院(この後、高山病で入院した)のトイレは洋式で、ボタンを押せば水が流れ、備え付けのペーパーも流せた。なお、洋式便器には傍らに小さなシャワーが付属している場合がある。自分はこれをお尻用と考えたが、便器洗浄用ではという人もあり。これで尻を洗う時、慣れないうちは背中の方に水が回ってビショビショになった。
■4/3(木) モンジョ~ジョルサレ~ナムチェバザール
7時半に出発。ロッジ前に並んだガイド、ポーターの面々。
ゾッキョ使いも出発準備中。
歩き出して15分ほどでSAGARMATHA NATIONAL PARKのゲートがある。必要な手続きは旅行社の方で事前に済ませてあるのだろう、荷物を下ろして簡単なチェックを受けるのみ。最近はドローンを警戒しているらしい。
ゲートを潜って下っていく。吊橋を渡ってジョルサレ(2740m)に入り休憩していると、ゾッキョで運んでいる荷物に施錠している人は開錠番号を教えて、との伝達。ゾッキョがNATIONAL PARKゲートを通る時に検査があったのだ。結局のところは荷物を開けずに済んだらしいが、ゲート通過時には要注意。ジョルサレからまたドゥードゥコシを渡って川沿いに進む。ドゥードゥコシは「ミルク色の河」の意味で、確かに白い。溶かし込んでいる雲母の色だ。
カトマンズの街中では無気力に寝転んでいる犬が多かったが田舎では元気で、ずっとついて来る奴がいる。どこまでが縄張りなんだと思っていると、「犬には構うな、飽きれば離れる」といった注意書き(英文)が出ていた。
間もなく見えてくる二重橋は上側を渡る。橋に結わえ付けられたタルチョがはためき、見下ろす谷間のずいぶん高い梢にも翻っている。
間もなく見えてくる二重橋は上側を渡る。橋に結わえ付けられたタルチョがはためき、見下ろす谷間のずいぶん高い梢にも翻っている。
下側の橋はバンジージャンプ用なのか(上掲のヌプラ/カリョルンの写真の隅にも看板が写っている)。橋の名前は、地図には "Larja Bridge" とあるが、ジャンプの現地看板は "Hillary Bridge,Namche" だ。
川を渡るとナムチェバザールまで標高差約600mの登り、「ナムチェ坂」と称するらしい。石段を登って10:20、地図に "View of Everest" とあるトップダラ(3140m)。国立公園の看板の後ろから木間(このま)越しに見える山並みの一角がエベレストらしいのだが、白く霞んでいてよく判らず、写真にも写らなかった。帰宅後にカシミール3Dで描画してみると、確かに見えていたようだ。
ここで水を飲もうとナルゲンボトルを手にしたところ、え、異様に軽い? なんと蓋が緩んで盛大に漏れており、ザックの内容物が濡れていた。しかも、溶かしてあった粉末イオン飲料の甘ったるい匂いがする。大失敗。
ナムチェバザール(3450m)には昼前に到着。門を潜ると、山肌に張り付くように街が広がっている。
一連の水力マニ車(ギア比が違うのか、回転の速いのもある)で自動的に功徳を積む。
狭い通りから建物に入って急な階段を上がると、本日の宿、SHAMBALA INN(旧名KAMAL HOTEL)の食堂だ。ここも斜面に面しているので、食堂から階段を使わず直接裏口に出ることもできた。
昼食後に集合し、高度順応を兼ねて高台にある博物館へ。まず、Sagarmatha National Park Museum。テンジン像のバックはアマダブラム(Ama Dablam、6814m)。アマダブラムから左に目を移していけばローツェを挟んでエベレストなのだが、如何せん、相変わらず霞んでいて見栄えがしない。傍らのTENZING NORGAY SHERPA Heritage Center内の展示説明に添えられた写真では、こんな様子だ。展示をざっと見て、SHERPA CULTURE MUSEUM(シェルパ文化博物館)に移る。門にはホテル名とともに "EVEREST MUSEUM" と掲げられていたから、ホテル付属の展示施設の一環なのかもしれない。入館料500ルピー、写真撮影は禁止。展示はシェルパ族の住居(日常生活の再現ではなく、それらしい部屋に生活用具や祈祷道具を集めた感じ)と、民俗・風俗の紹介(覗きからくり式に昔の結婚式の踊りのフィルムを観られたり)、山岳ガイドとして活躍したシェルパの顕彰(ここでは登山家は従で、行動を共にしたシェルパが主)。E本・I氏、K村氏と回ったがなかなか見応えがあって、他のメンバはだいたい先に帰ってしまった。
ロッジに戻ると16時。バザール見物は帰路でここに戻った時のことにして、今はザック内の濡れたものを片付けなければ。ザックの防水内袋や折り畳み傘は裏口の水場で洗い、防寒着などは適当に広げ、拭けるものは拭いた。T中氏はバザールでTシャツなど買ってきた。
■4/4(金) ナムチェバザール~シャンボチェの丘~プンキテンガ~タンボチェ
本来の旅程ではナムチェに連泊(4/2~3)だったが、一日分の遅れを取り戻すため先へ進む。その代わり、高度順応のために往復するはずだったシャンボチェの丘を越えて行くことになった。
7時半に出発、標高を上げ、昨日訪れた博物館の高台を見下ろす。高い三角がコンデリ(6186m)、左のピークがヌプラ(Nupla、5885m)。9時、Sagarmatha nextという施設に"I am at 3,775 meters!"の看板。富士山頂1m手前だ。左端が自分、順にF田、E本、I濱、K村の各氏。後ろはサーダーのニマさん。もう少し上がり、シャンボチェの丘のロッジでトイレ休憩。眺めが良いが、まだ霞んでいる。M國氏(元京大山岳部、世界の8000m峰はすべて拝んだという)のカメラで見せてもらった昨年同時期の写真では、青空をバックに山々がクッキリと見えているのに。
ロッジ越しにシェルパ族の聖なる山、クンビーラ(Khumbi Yul Lha、5765m)。クンビーラはヒンズー教においてはガンジス川のワニを神格化した水神、それが仏教に取り込まれ日本に渡って金毘羅になったという話。後で調べてみると、山名(チベット語のアルファベット表記)はKhumbu(地名「クーンブ」)+Yul(~の国(土地))+Lha(神)、つまり<クーンブの(土地の)神>であり、山名を金毘羅と結び付けるのは疑問という意見(⇒ もけけハウス/こんぴらさんはネパールにあり?)もあった。
次にクンビーラから右(東)に振って、左端がタブチェ(Tabuche、6495m)、手前の街灯の上にヌプツェ(Nuptse、7864m)、奥に霞んで一段高いエベレスト(Everest、ネパール語ではSagarmatha、8848.86m)、続けてローツェ(Lhotse、8516m)、右がアマダブラム(6814m)。
下の写真は画質調整して曇り空に見えるが、実際はもっと明るい。左端アマダブラム、中央カンテガ(Kangtega、6783m)とタムセルク(Thamserku、6618m)、その右はクスムカングール(Kusum Khangkaru、6370m)。
エベレスト・ビューホテル(旅のしおりには3800m、ホテル入口には3880mとある)へ移動。全室からエベレストを眺められるという、ツアーでの宿泊など思いもよらない高級ホテルだ。フロント前を通り、テラスにてコーヒータイム。山々は霞んでいるが、持参の双眼鏡でヒマラヤ襞やエベレストと共通するイエローバンドを見ることができた。ホテルで30分ほど過ごして10:20に出発、クムジュンに向けて下る。クンビーラに抱かれた平地で、ここに村ができるのは良くわかる。こういう村の道を歩いていると、なんだか外国にいる気がしない。自分が子供の頃には通学路にぬかるみがあったり、近所で牛を飼っていたり、野良犬が神社の軒下に寝ていたりという具合だった。その風景と今ここのネパールとが地続きに思えてくる。
クムジュンのゴンパ(僧院)には昔から<世界の怪奇>として名高いイエティの頭皮がある(⇒ webムー/雪男の里・クムジュン村の歩き方)のだが、立ち寄る時間のないのが残念。進んで行ってゴーキョ方面への分岐点となるサナサ(3600m)に看板があった。
11:20の休憩時点で薄曇り、16℃、やや風が吹く。12時過ぎ、プンキテンガ(3190m)に到着してランチ。どこでもポテトが美味しい。
プンキテンガは上流にPhungi Glacier(プンギ氷河)を持つ谷がドゥードゥコシに合する地点。13時に出発して吊橋を渡ると、タンボチェに向けての登りとなる。ここにも一連の水力マニ車があり、やがて山道に。観光客向けの馬も通る。休憩地点から進行方向右手の谷奥が氷河で、聳えるのはカンテガやタムセルクか。15時過ぎ、タンボチェ(3867m)のTREKKERS LODGE(⇒ Googleマップ)着。
一息ついてから集合し、隣接するタンボチェ・ゴンパ(⇒ Googleマップ Tengboche Monastery)へ。エベレスト街道でいちばん大きな寺は、タブチェを背にし、カンテガとタムセルクへと至る山々に面する。ご本尊を拝み、暫し座してラマの唱えるお経を聴いた。拝観料300ルピー。戻ってロッジ前を横切った先、ヘリパッドの手前にエベレストに散った登山家たちの慰霊碑が並んでいる。そのうちの一つが『雪煙をめざして』の加藤保男「エベレスト春、秋、厳冬期登頂十周年記念」。日本人の碑が他に二つあった。ロッジの部屋はこんな様子。トレッキング中のロッジはどこも似たり寄ったりの造りだが、ここは部屋にコンセントのあるのが便利だ。
T中氏は洗ったシャツを外に干していたが、夕食後に取り込んだ時には凍っていた。
■4/2~4/4 トレッキングルート
※ベースの地図はツアーで配布されたものを画像化
(分割スキャン後に結合したため、一部にズレ)
(分割スキャン後に結合したため、一部にズレ)
→ ヒマラヤトレッキング(3)【トレッキング後編】へ続く。
※地名表記や各地の標高については、地図や資料によりかなりの異同が見られる。本記事ではツアーの「旅のしおり」や帰国後に添乗員が作成、配布した旅日記の記載を優先し、それ以外にトレッキング用地図(ツアーで配布されたもの、またはNational Geographic版)やガーミンGPS用のトポ等を参照した。
2025/4/5(土)~4/9(水) ヒマラヤトレッキング(3)【トレッキング後編】 ― 2025年04月05日 00:00
■4/5(土) タンボチェ~ソマレ~ディンボチェ
タンボチェのTREKKERS LODGEより、朝のカンテガ(Kangtega、6783m)、タムセルク(Thamserku、6618m)。ヌプラ(Nupla、5885m)、コンデリ(Kongde Ri、6168m)。タブチェ(Tabuche、6495m)(だと思う)。エベレスト(Everest、8848.86m)、ローツェ(Lhotse、8516m)。ロッジの前で生木(ヒマラヤ杉?)を火にくべて煙をあげている。村を清めるサングという風習か。7時半出発。晴れ、8℃。緩やかに下って、8時過ぎにデボチェ(3820m)で小休止。
イムジャコーラ(コーラ:川)の吊橋を渡り、パンボチェ(3930m)でティータイム。洗濯場の向こうに聳えるのはタブチェか?イムジャコーラに流れ込む谷も多く、この辺は水量豊富なのだろう、ソマレへの道中、道脇に所々水流やホースの水場があった。ネパール慣れしていない旅行者が口をつけることはできないが(ペットボトルの水は100~150ルピーでどこにでもあるので、安全な飲料水には不自由しない)。
ソマレの手前の細道でゾッキョの行列待ち。ソマレ(4010m)でランチ。いくつか見かけたパラボラアンテナは何を受信するのかと思ったが、よく見ると焦点位置にヤカンを置いた太陽熱湯沸かし器だ。これはヤク。見た目にゾッキョより毛深いが、実際のところ耐寒に優れ、高所に強い。気もいくらか荒いらしい。高原を行く。正面の山々はポカルデ(Pokalde、5693m)やナガルジャン(Nangkar Tshang、5616m)辺りで、霞んでいなければその右奥にヌプツェからエベレスト、ローツェが見えるはずなのだが。石垣の家畜囲い。イムジャコーラも白い。風が強く肌寒いくらいの川沿いの道を歩き、ディンボチェ(4343m)に14:40到着。
本日の宿はMOONLIGHT LODGE(⇒ Googleマップ)。部屋には山の名前が付いており、自分らはLOBCHE PEAKだった。ここには今日明日と連泊するので、部屋にトイレ(洋式、手動水洗)のあるのがありがたい。Tシャツや小物を簡単に水洗いして中庭の物干し場に掛けたところで小雪が降ってきたので、持参の細引きを部屋のカーテンレールとドアの蝶番の間に張り渡して干し直した(高所で乾燥しているので室内で乾くと思ったのだが、翌日も生乾きで、出発時にそのままパッキングすることになった)。Wi-Fiは48時間1500ルピー(24時間なら1000ルピー)。たいていのロッジでプリペイド式のスクラッチカードを利用している。夕食後、I濱・C氏のバースデイ・サプライズがあり、S水氏らが近所で買ってきたケーキを皆で頂く。水気を含む食感が(自分には)目新しかった。
今日は午後からガスで腹が張って苦しかった。年を取ってガス腹も日常よくあることとなったが、このトレッキング中は食事も美味しくむしろ快調だったのに、高度の影響などあるのだろうか? 夕食後にパンシロンを服(の)んだ。
■4/6(日) ディンボチェ~(往復)チュクン
本日はディンボチェをベースに高所順応トレッキング。人の住む最奥の地チュクン(4730m)を往復するか、ディンボチェに近い北側のナガルジャン(4600mまで上がるとゴンパが建つ)に登るかを選択できる。起床時には曇っており、これでは景色が望めない上にチュクンまで川沿いの道は昨日と同様に寒いのではと気分はナガルジャンに傾いていた。が、次第に晴れてきて、スマホで見るウェザーニュースもネパール各地で好天だ。となればチュクンまで歩こう。出発時にチュクン組とナガルジャン組に分かれたところ、大部分はチュクン組になった。ナガルジャン組はサーダーが引率する。
8:10の出発時にはすっかり晴れた。
9時の休憩時点で14℃。暖まったのでウェアをウィンドブレーカーに替える。
下の写真、正面やや遠くはAma Dablam Glacier(Glacier=氷河)やChhukhung Glacierを隔てた山並み(最高点は6230m)で、地図に山名記載はないもののシェルパはカンレヤムウ(Kang Leyamu)と呼ぶという。右の黒いのはアンプギャブジェン(Amphu Gyabjen、5630m)。T中氏とタブチェ。正面がアイランドピーク(Island Peak、6189m)、その左はピーク38(Peak 38、7591m)から高くなってローツェ(Lhotse、8516m)、ヌプツェ(Nuptse、7864m)の稜線へと続く。エベレストは稜線の向こうに隠れている。アイランドピーク右奥の三角はチョポル(Cho Pol、6735m)、カンレヤムウからアンプギャブジェン。近づくとカンレヤムウに刻まれたヒマラヤ襞が見えてきた。アマダブラム(6814m)はナムチェ辺から眺めるのと全く印象が違う。11:20にチュクン(4730m)に入り、YAK LAND LODGE(⇒ Googleマップ)でランチ。食後で気温3℃、暖かなフリースを着込んだ。
数人でアイランドピークへのルートを少し行ってみることにする。登山隊しか通らない道はやはり物寂しく人の匂いが薄い。残念ながら雲が増えてきたが、日が射すといくらか暖かい。30分ほど進み、小高い場所(GPSによるとチュクンとの標高差90m)に上がった。カンレヤムウのヒマラヤ襞がいよいよ美しい。ローツェからヌプツェの稜線は残念ながら雲の中。最高所で記念撮影。すっかり顔がむくんでいる。バックはアマダブラムか?(霞んでいるうえに現地で山名をあまり気にしていなかった)。チュクンからの帰路は曇って風が強く、寒かった。ディンボチェ近くなってから吐き気を催したが、道から少し外れて立ち止まり、息をついて落ち着かせる。15:10、ロッジに帰着。
夕食前にまたもや吐き気を覚えたが、トイレでの空えずきで治まった。軽い頭痛があったがそれも回復し、食事は普通に摂れた。念のためダイアモックスを服用して就寝。
■4/7(月) ディンボチェ~トゥクラ~ロブチェ
上天気なので、出発前に朝日に照らされた山々をカメラに収めた。
ヌプツェの稜線からローツェ(8516m)。アマダブラム(6814m)。カンテガ(6783m)とタムセルク(6618m)。タブチェ(6495m)とチョラツェ(Cholatse、6335m、右の白い山)。8時に出発。トゥクラに向かってストゥーパまでひと登り。8時半、18℃と暖かい。ここから西側の谷の奥は昨日より澄んで見える。中央アイランドピークの右がチョポル、さらに右に追って遠く薄いのはツアー中これが見納めとなるマカルー(Makalu、8463m)。進行方向は、左の白いのがチョラツェ、そしてアラカムツェ(Arakam Tse、6423m)、中央にチョロ(Cholo、6043m)、遠く白いのはチョ・オユー(Cho Oyu、8201m)か? 右に高いのがロブチェ(Lobuche、6119m)。カンテガ、タムセルクの右に遠くカリョルン(Karyolung、6511m)が姿を現す。タブチェをバックに記念撮影。荒涼とした高原を行く。放棄された放牧小屋(?)のバックはタブチェ。進んで行って振り返れば、アマダブラムからピーク41(Peak 41、6648m)、メラピーク(Mera Peak、6476m)を挟んでカンテガ。行く手に高いのはロブチェ、右の斑(まだら)に白いのがプモリ(Pumo Ri、7165m)。11時半にトゥクラ(4620m)着。ランチにナク(雌のヤク)チーズが付いた。ランチ休憩50分で出発。午後になると曇ってやや風も吹き、寒くなってきた。高度を上げていき、登山家の慰霊碑が立ち並ぶThokla Pass(Pass=峠、4830m)で休憩。ヤクも通る。14:40、ロブチェ(4930m)着。宿はABOVE THE CLOUD LODGE(⇒ Googleマップ)。充電料はスマホ500ルピー、高所で電力事情が厳しいのか、大容量のバッテリーは不可。Wi-Fiは1000ルピー。部屋の電灯が点かない(断線?)というアクシデントがあったが、ヘッドランプを持っているので無問題。
夕方小雪になり、その後晴れた。今は乾季といっても、夕方に少し崩れるという天候パターンだろうか。
夜中トイレに起き、ベッドに戻るとハァハァと息が切れる。やや寒いのでシュラフを拡げて掛け布団に載せた。外では一晩中犬が吠えていた。
■4/8(火) ロブチェ~ゴラクシェプ~(往復)エベレストB.C.
本日はツアー中の最終宿泊地となるゴラクシェプまで上がる。そこに連泊する二日間のメニューがエベレストB.C.(ベースキャンプ)往復とカラパタール登頂で、順序は任意。明日の方が天気が好いとの予報から、眺望の期待できるカラパタールを明日とし、本日はエベレストB.C.に決まった。起床時には窓が凍り付いていた。7時半の出発時は晴れ、4℃。軒から雪解け水が滴り落ちる。Khumbu Glacierの右岸を行く。道は白いが、アイゼンを着けるようなことはない。
行く手は中国との国境を成すプモリ(7165m)、リントレン(Lingtren、6713m)、クンブツェ(Khumbtse、6639m)。9:20、Lobuche pass(5110m)からの眺め。ヌプツェ(エベレストを隠している)~コンマツェ(Kongma Tse、5820m)。左端コンマツェ、奥に尖っているアマダブラム、その右のギザギザはポカルデ(Pokalde、5693m)、手前の山があって奥がカンテガとタムセルク、右端はタブチェ。Khumbu Glacierを見下ろして。ここまで上天気だったが、11時過ぎ、背後に雲が湧いてきた。気温10℃。
11:40、ゴラクシェプ(5170m)に到着し、HIMALAYA LODGE(⇒ Googleマップ)に入った。中庭に置かれた像は17世紀のインドのマハラジャ、shri shivaji raje bhosale。ランチの後、エベレストB.C.を往復する7名が集合、添乗員S水氏とガイドを加え12:45に出発。雲が広がってくる中、氷河の奥へ向けて歩く。と、ライチョウが姿を見せた。正確にはチベットセッケイなのだが、やはり天気が悪いと出てくるのか。時折雪もちらつく。
傾斜はおおむね緩やかなのだが、少し急になると酷く息が切れ、ポールにすがって休む有様。いくら高所とは言え、これはおかしい。大岩のガラガラとした場所での休憩時に急に催したのも、不調の一環だったかもしれない。そこの岩陰はまさしくトイレ場になっており、古い紙が落ちていた(自分はロッジまで持ち帰った)。
やがて眼下の氷河に立ち並ぶテントが見えた。
15時、エベレストB.C.(5350m)に到着。と言っても、ずいぶん奥まで広がっているテント群の、我々は入口まで。今はエベレストの春の登山シーズン(4~6月、5月になると天候安定)の始めで、これらのテントの多くは登山隊のものだろうか。名高いアイスフォールは奥にあるのだろうが、あまり視界が利かない。大岩に上がるなどして記念撮影。キャンプ周辺に30分ほど滞在した。帰路での休憩時(16:10)で気温6℃、小雪。17時過ぎにロッジに帰着したが、ティータイムで椅子に掛けても疲労困憊の態だった。高所に加えて乾燥のためか、咳も出る。ロッジは大混雑で、Wi-Fiも満杯らしく販売停止。夕食を摂っておとなしくベッドに入った。
■4/9(水) ゴラクシェプ~ロブチェ
3時半起床。息切れは完全には治まらず、咳も続く。紅茶にビスケットという優雅な朝だが、混雑のためかいつもの洗面器は出ない。
昨日の様子と今朝の体調から、自分はカラパタール(5545m)に上がるのは無理と判断した。ガイドが一人ついて、体調の良くない他の二人--Y本・K氏(ほとんど食事できていない)、M田・F氏(ここまでの行程で非常に消耗)--と共に一足先にゆっくりとロブチェに下りることに決定。装備の軽アイゼンが必要(かもしれない)のはカラパタールへの道だけで、自分は今回調達した新品を使い損ねた。
カラパタール組と共通の行動食(お結び)を持ち、8時過ぎに出発。晴れ。
しかし、30分程行ったところでM田氏が歩けなくなった。馬を手配しようかというところへS水氏が追いつき、M田氏を連れて戻っていった。
道は緩やかな下りなので、Y本氏と自分は適宜に休憩をとりつつ無事に歩いて、11時半前にロブチェ(4930m)に到着した。
宿はふたたびABOVE THE CLOUD LODGE。無事に登頂を果たしたカラパタール組も下りてきて、14時には皆でお茶となった。山頂からはしっかりエベレストも見えたとのこと。自分もくっきりとしたエベレストを拝みたかったが、健康を保っていればまた機会もあるだろう。
M田氏については、カラパタール組との合流時に「ゴラクシェプからペリチェまでヘリ搬送して入院」と聞いたが、その後、「ペリチェでの診断の結果カトマンズまでヘリで下ろすことになった」とのこと。
■4/5~4/9 トレッキングルート
※ベースの地図はツアーで配布されたものを画像化(分割スキャン後に結合したため、一部にズレ)
※GPSトラック(赤線)が道とずれているのは、地図画像化の際の歪みのため。
→ ヒマラヤトレッキング(4)【高山病編】へ続く。
※地名表記や各地の標高については、地図や資料によりかなりの異同が見られる。本記事ではツアーの「旅のしおり」や帰国後に添乗員が作成、配布した旅日記の記載を優先し、それ以外にトレッキング用地図(ツアーで配布されたもの、またはNational Geographic版)やガーミンGPS用のトポ等を参照した。
実際のところ、山名は本文に書いたほど現地で判っている訳ではなく、帰宅後にカシミール3Dで現地風景を描画して確認している。
2025/4/10(木)~4/13(日) ヒマラヤトレッキング(4)【高山病編】 ― 2025年04月10日 00:00
← ヒマラヤトレッキング(3)【トレッキング後編】からの続き。
■4/10(木)
ロブチェ(4930m)のABOVE THE CLOUD LODGEのベッドで、夜半にふと目を覚ました。別段苦しくはないのだが、呼吸音に何か雑音が入る。息を吐く度(たび)に胸の中でプツプツといっているのだ。これは肺水腫では? 肺内部の気圧が下がると溜まった水に気泡が生ずるのではあるまいか。高山病へのいちばんの対応は高度を下げることで、今日からの下山行程で対処できれば良いのだが・・・と思いつつ、そのまま起床時間まで寝ていた。
朝の健康チェックでS水氏(添乗員)に申告すると、やはりヘリでカトマンズへ下りた方が良いということになった。途中ペリチェでM田・F氏(昨日、ゴラクシェプからヘリ搬送)をピックアップする。昨日までのトレッキング中、ルート上空を結構ヘリが行き交っていたが、自分がそれに乗ることになるとは思わなかった。
ヘリパッドはロッジから少し氷河に寄ったところに設けられている。7時前にヘリパッド近くに出て待機。曇り、8℃。
間もなくヘリが飛んできた。ロッジへの荷揚げ便のようで、荷を下ろした後に乗り込む。7:10に離陸し、ペリチェ(4240m)までわずか3分。氷河には融けた箇所もあるのが見えた。ペリチェでM田氏とガイドのダンバサールさんが乗り込み(M田氏は普通に動ける)、すぐに離陸。曇っていて視界は良くないが、景色はこれで見納めと、自分は後席左、M田氏は右で、それぞれにカメラを構えた。
アマダブラム(6814m)。Milinggo Kholaの奥、地図にHinku Himalとあるピーク群(最高点6070m)。クスムカングール(6370m)(だと思う)。7:22、ルクラ(2827m)に着陸。ロブチェからトレッキングすれば途中3泊するところを12分で一飛びだ。ヘリポートはテンジン・ヒラリー空港の滑走路脇にある。乗継ぎのため、ヘリポートの待合室で暇潰し。通路の椅子の上下には卵やタマネギなどの物資が置かれている。お腹もすいたので、コーヒーコーナーでカフェラテとサンドイッチなど。雨が降り、それが止み、11時半過ぎにようやく飛ぶかと思えば今度はガス。何しろ有視界飛行なので仕方がない。12時過ぎにようやくフライトとなった。ダンバサールさんはここで今回の仕事は終了で、自分の村に帰るとのこと。
ルクラを12:10に離陸。ヘリは近代的で、自機位置をGPSで把握している。飛行中、もうヒマラヤの高山は見えず、眼下の山肌には道路や集落といった人の営みがある。13時、カトマンズ(トリブバン国際空港、1338m)は小雨だった。
ヘリを下りてクルマで滑走路を回り込むように移動すると救急車が待っていた。二人とも急病という訳ではないので救急車は意外だったが、M田氏は一応ベッドに、自分は座席に着いた。相変わらず渋滞のカトマンズ市街をノロノロと走って、13時半、Norvic International Hospitalに入った。
標高を下げただけで呼吸はすっかり楽になり、自分は病院で診断を受けたらホテル入りと思っていたのだが、入院は既定路線だったようだ。まず受入れの診察で、男性医が聴診器を当てて「高山を歩いたため。心配ない」といったことを英語で言う。ここで右手の甲に輸液用の口を付けられた(これがなかなか上手くいかず、二つ付けて一つ外したり、そこからの採血ができずに肘の内側から採ったり)。それから二人用の病室に案内された。ここで、西遊旅行の現地要員バンダーさん(「曲がる」の意味だと自己紹介)が今後のことを説明してくれる。また、西遊旅行社員(一仕事終えて明日帰国)のイトウさんが海外旅行保険の確認、説明に来てくれた。入院費やヘリ料金支払いのためカード残高を確認しておくように。もし不足ならば西遊旅行で建て替えるが、ネパールへの送金料として14%掛かる、とか。ヘリは、M田氏がゴラクシェプ~ペリチェ(ここまで支払い済)~ルクラ~カトマンズ、自分がロブチェ~ペリチェ~ルクラ~カトマンズで、割勘になるはず。
入院中はこの二人部屋で過ごすのかと思ったが、個室の割当ができたようで自分は509号、M田氏も近くの病室に移った。トイレは洋式の水洗(ボタンを押せば流れる。備え付けのペーパーも流せる)、シャワーもある。ナースに手の甲の輸液口をカバーしてもらい、久しぶりにシャワーを浴びてさっぱりした。TVはあるがネパール語のチャンネルばかりでニュース内容も分からない。室温は17℃以下に設定できず、夜中に暑かった。
■4/11(金)
入院中はバンダーさんが折々に顔を出し、食事時にメニューから選んだものを注文する、医師の回診時に通訳する、など世話を焼いてくれた。
フレンチトーストで朝食。10時過ぎに瞬断(短い停電)が2回。ネパールの電力事情を垣間見るようだが、クリティカルでない病棟は停電もさほど気にしないのだろう。マネジメント担当と言う女性が来て一口ケーキのような菓子を置いていく。ネパールには健康保険制度が無く、病院もサービス業として競争が激しいのだろうか。
11時過ぎに輸液を交換し、これで4パック目。他には錠剤が2~3種類出ている。早めの昼食にダルバートを取ったところへ若い医師の回診があり、「It's not tasty,Ah?」などと始めて「咳は? よく眠れたか?」。「Goodだが、昨日診たドクターはそう考えていない」とも。午後に今度は年配医師(主治医?)の回診。バンダーさんとネパール語で話す間こちらは蚊帳の外だが、バンダーさんの説明で「明日(不確実)か明後日(確実)に退院」とのこと。M田氏は明後日退院だそうだ。
バンダーさんに「早く退院してホテルに移りたい」と話してあったのが病院に通じたのか、16時半にTNT(トレッドミルに乗って心電図を取る)を受けることになり、車椅子に乗せられて移動(病人は歩かせないことになっている?)。トレッドミルは初体験で、やはり肺がヘタっているのかスピードが上がると呼吸が追いつかなくなり止めてもらった。TNTの最中、にわか雨。
トレッキング中から軽い咳が続いていたが、TNTを受けた頃から回数が増え始めた。夜になると連続して咳き込んで苦しく、ナースが様子を見に来る程。深夜になってから、ぬるま湯を飲むとしばらく楽になることに気付き、それから少しは眠れた。
■4/12(土)
バンダーさんは今日からホテルを手配してくれていたようだが、咳が不安なので、病院でもう一晩過ごすことにする。午前中の若い医師の回診でも「明日退院」と告げられ、午後には咳止め錠とシロップが出た。輸液は昨日TNTを受ける際に抜いたままだ。
寝不足でボーっとしていたが、夕方になって復活。夜中は1~2時間ごとに白湯を飲んで咳を抑えた。
■4/13(日)
10時半、病院代の回収係が部屋に来て、60万ルピーちょうどをカード決済。食事代など半端な額はどうなった?
11時半に回診。「帰国したら心臓を診てもらえ」と言うのは、TNTの結果か、それともパルスオキシメーターで上手く数値を取れなかったりしたためか?
着替えて書類待ちしていると、13時にまた病院代係が来た。やはり端数があって、約3万7千ルピーを決済。細かい金額は退院寸前に確定という仕組みだろうか。
午前中の支払いからそれほど間を置かずに退院のつもりだったので、昼も食べていない。結局、もうしばらく待たされて診断書や領収書、薬、それに支払い済み証を受け取り、M田氏とともに退院。支払い済み証を提示しないと病院から出してもらえない。
バンダーさんが捕まえたタクシーでホテル・アンバサダーに入った。宿泊客以外はロビーから上に行けない(ただし、レストラン階には上れる)ので、バンダーさんはここで帰った。今晩は自分一人だが部屋はツインで、明日ツアー本隊と合流すれば、またT中氏と同室になる。
レストランで遅い昼食にありつき、部屋で一息ついてから、ホテルを出た。初めてのネパール単独行動にドキドキ。道路を横断する勇気はない(エベレスト街道トレッキングより通り一本の方が危険!)ので、ホテル前から歩道を左へ歩いてみる。細々した商店など並ぶ中に酒を扱う店を見つけ、缶ビールとチベットワイン(合計800ルピー)を買って戻った。
3泊4日の思わぬ入院。前半は高山病だったが、後半の咳も肺を痛めた結果だったろうか。診断書には「急性高山病、洞性徐脈」とある。せっかく異国の地にいるのに自由に出歩けないのは悔しかった。コロナ禍以前ならともかく、今のご時世では病院内を歩き回る気にもならず、入院中にやったことと言えば、タブレット端末に入れておいた河口慧海『チベット旅行記』を読み進めたのと、尾瀬あきらのコミック『夏子の酒』を読破したことくらい。まあ、海外での入院というのも面白い経験だったと思うことにしよう。
入院したのは人生で2回目。そういえば前回は八ヶ岳で右手指に凍傷を負った時(⇒ 2009/1/11~3/27 凍傷日記)のことで、どちらも山絡みなのだった。
■4/10 ヘリ飛行ルート、データ
→ ヒマラヤトレッキング(5)【市街観光~帰国編】へ続く。
※地名表記や各地の標高については、地図や資料によりかなりの異同が見られる。本記事ではツアーの「旅のしおり」や帰国後に添乗員が作成、配布した旅日記の記載を優先し、それ以外に地図(ツアーで配布されたもの、またはNational Geographic版)やガーミンGPS用のトポ等を参照した。
実際のところ、山名は本文に書いたほど現地で判っている訳ではなく、帰宅後にカシミール3Dで現地風景を描画して確認している。
2025/4/14(月)~4/17(木) ヒマラヤトレッキング(5)【市街観光~帰国編】 ― 2025年04月14日 00:00
← ヒマラヤトレッキング(4)【高山病編】からの続き。
■4/14(月)
ホテル・アンバサダー2階のレストランでバイキング形式の朝食を摂った後、外を少し歩いてみる。まず、テンプルの外れたメガネ(⇒ ヒマラヤトレッキング(1)【ネパール入国編】 3/31条)を直せないかと、昨日通り沿いに見つけておいたメガネ店へ行ってみたが、閉まっていた(カトマンズを離れるまでに数回確認したがいつもシャッターが降りており、結局メガネは帰国後に修理した)。タメル地区に行こうと思うがトレッキング前に案内してもらった道が分からず、適当な路地に入ると肉屋の前にニワトリを捌いた跡が残っていたりする。大通りに戻り、ホテルの裏の路地を一回りして部屋に帰った。昼、ロビーにてバンダーさん(西遊旅行の現地要員)とともにヘリ代金回収係と会合。金額は入院中にバンダーさんから聞いていた通り2700US$。普段使っているVISAカードは病院の支払いで限度額まで残り少ないので、JCBカードと分割して決済した。JCBは羽田空港でのUS$購入用に持っていたのが幸いで、これがなければ西遊旅行に借金するところだった。
スマホはWi-Fiがないと通じない(⇒ ヒマラヤトレッキング(付録)、■旅の持ち物/●スマホのeSIM)のだが、Googleマップの現地地図をダウンロードして使えることに気付き、昼食後に再挑戦。メガネ店を確認した後、今度こそタメル地区へ。道路の横断も他の人とタイミング合わせるなど慣れてきた。タメルでエベレストB.C.風景のマグネットや紅茶小箱セットなどあまり嵩張らないものを買い、あとはほぼ当てずっぽうに歩く。Googleマップを見ると前方にラトナ公園があるので、そこには公衆トイレもあるだろうと向かうと、遠くの空に稲妻が走り、ポツポツと降り出した。公園に入らないまま引き返すが、雨はどうやら大丈夫そうだ。ならばホテルに戻る前にナラヤンヒティ宮殿を見ておこうと思ったのだが、門扉に「Closed」の札。16時過ぎにホテルに戻った。下は本日の彷徨の図(ガーミンBasecamp +ネパールトポ)で、ホテルはオレンジ色の小円の箇所。部屋にはT中氏がいた。ルクラは快晴で飛行機はすぐに飛んだとのこと。ラメチャップからバスに7時間近く揺られて来たのだった。自分がツアーを離れた時には食事を摂れずにいたY本・K氏は、その後復調したそうだ。
ツアーメンバーが揃って、ディナーはタメル地区のエベレスト・ステーキ・ハウス(⇒ Googleマップ)へ。サンタさんがふたたびガイドに付いてマイクロバスでホテルを出たが、タメルの狭い道に入ると歩いた方が早い。今日はネパール暦の2082年元旦。と言ってもネパールには暦がいくつもあって複雑怪奇、その一つの新年ということになる。ステーキはシャトーブリアンという高級部位だそう。ビールをお供に完食。ステーキ・ハウスで呑み足りない4人はサンタさんの案内でチャン(ネパールのどぶろく)を置いている店へ。地元の人が食べる店なので、たいそう安い。再利用のペットボトルで出てくる自家製のチャンはメニューには載らない。左からE本氏、自分、T中氏、K村氏、サンタさん。
15世紀、カトマンズ盆地はマッラ王朝の3王国(カトマンズ、パタン、バクタプル)によって治められていた。ホテルサンセットビューから南へ、バグマティ川を渡りマイクロバスで20分ほど(途中でストライキの集会だかデモだかを迂回した)だったが、ここはカトマンズとは別の国だったのだ。メモを取っておかなかったので最初の方の寺院等の名称は分からない。
(↓)注連縄のような綱に大きな木の葉が下げてある。牛はお堂の方を向く。(↓)いくつか見た造形。丸い部分は女性器、それを貫く男性器。(↓)ダルバール広場(⇒ Googleマップ)で象の像があるのはシヴァ神を祀るヴィシュワナート寺院。(↓)クリシュナ寺院。一つの岩から掘り出されたという説明だった。(↓)旧王宮であるパタン博物館の中庭。(↓)王室の浴場トゥシャ・ヒティ。
カトマンズに戻り、夕食はタメル地区のウッツェ(⇒ Googleマップ)でギャコック(チベット鍋)。アワやキビの実を発酵させたビール、トゥンバも頼んだ。ストローで飲み、お湯を継ぎ足せばまた味が出る。
■4/16(水)
ネパール旅行もとうとう最終日。10時半にホテルを出て日本人贔屓という土産物店に寄ってから、トリブバン国際空港へ。ネパールでは海外旅行はまだまだ一大事であるらしく、周囲で行われている見送りが大げさだ。
搭乗便は13:30のバンコク行きタイ航空。待ち時間にロビーの売店で土産物、ついでに缶ビールを買ってルピーを消化する。タメル地区で買って飲み残したウィスキー小瓶を手荷物に入れてあったのだが、没収されてしまった(これが空港入場後に買った酒だったらどうなるのだろう?) 搭乗して自分の座席(36A:3列の窓側)まで進んだところ、窓寄りの2席を若いネパール人らしきペアが占めており、席が違うと英語で言っても通じない様子。間もなくCAがやってきてどかしてくれた。どうやら機の反対側の座席(36H、I辺り)と勘違いしていたらしい。
少々遅れたが無事に離陸し、バンコクへ。飛行場周辺だけで言うと、カトマンズは都市、バンコクは田園だ。スワンナプーム国際空港で土産物を買い足す。関西国際空港に向かう2名とはここでお別れ。成田組は22:10便に乗り換えた。
■4/17(木)
日付が変わって、朝7時に成田国際空港着。
手許に残った140US$(10$しか使わなかった!)を円に戻す。結果的にナムチェバザールやカトマンズで現金を散財する暇もなく、両替屋を儲けさせるだけに終わってしまった。電車を乗り継いで帰宅。
【土産品】
○カトマンズ/タメル地区の店にて
・マグネット(エベレストB.C.からの眺望)2個、280ルピー
300ルピーと言うのを控えめに値切ったが、もっと下げて2割引きくらいから交渉してもよかった。
・ミニタルチョ、価格失念(200~300ルピー?)
10枚の旗にマントラ「オム・マ・ニ・ペメ・フム(Om・Ma・Ni・Padme・Hum)」が2連。
以上、マグネット、タルチョは自室に貼(張)ってある。
・ハチミツ小瓶
・紅茶(小箱 5個セット)、750ルピー
・ヤクミルク石鹸、200ルピー
家で消費した。スーっとした香りで泡立ちも良い。
○カトマンズ/ツアーで入った日本人贔屓の店にて
・粉コーヒー
・紅茶(ティーバッグ)、コーヒー(ドリップ):それぞれ数杯分のパッケージ
・コーヒー豆入りチョコレート 小袋2個
試食したら美味しかったので、自宅用と贈呈用に。
○トリブバン空港(カトマンズ)の売店にて
・マグネット(ブッダ・アイ)
自分のパソコンデスクに貼って、見守ってもらっている。
・ヤクチーズ、ドライフルーツ類、小袋でひとつ300ルピー程度
ヤクチーズは「ハード」の名の通り非常に硬く、口の中で40~50分間転がしてようやく崩れる。不用意に噛み砕こうとすれば歯の方が欠けそうだ。
○スワンナプーム空港(バンコク)の売店にて
・フリーズドライ・ドリアン
匂い(臭い?)で名高いドリアンを食べたことがないので買ってみた。水で戻してみたが、それほどクセがある訳でもない。戻さないでもいける。
・ドライフルーツミックス 2袋
マンゴー、イチゴ、パインアップル、ポメロ(ザボン)。1袋は自宅でのおやつに消費。美味しい。
・Crispy Silkworm Pupae
数種類並んでいた昆虫食シリーズから、蚕のサナギを選択。酒のツマミとしてサクサクと食した。
トレッキング中は食事が美味しくお代わりもしたし、高山病でグロッキーになっても食べることはできた。入院中はベッドに寝転がっているばかり、ツアーに戻ればステーキだ鍋だと締め括りの御馳走コース。絶対に体重を増やして帰ることになると思っていたのだが、帰宅して計ってみると出発前より微減だった。高所での行動は自分の感覚以上にエネルギーを消費するらしい。
帰宅後もしばらく咳が出たが、次第に解消した。
村落を繋ぐトレッキングは何やら懐かしいような気分で歩けた。一方、山は霞みがちで眺望はあまり良くなかったし、高度順応にも失敗した。まあ、ヘリでの下山、外国での入院はそれはそれで面白い経験だったが。ネパールは再訪して、クリアなヒマラヤの山々と対面してみたいと思う。
★★ 2025/3/30(日)~4/17(木) ヒマラヤトレッキング ★★
★★ 完(付録あり) ★★
■4/14(月)
ホテル・アンバサダー2階のレストランでバイキング形式の朝食を摂った後、外を少し歩いてみる。まず、テンプルの外れたメガネ(⇒ ヒマラヤトレッキング(1)【ネパール入国編】 3/31条)を直せないかと、昨日通り沿いに見つけておいたメガネ店へ行ってみたが、閉まっていた(カトマンズを離れるまでに数回確認したがいつもシャッターが降りており、結局メガネは帰国後に修理した)。タメル地区に行こうと思うがトレッキング前に案内してもらった道が分からず、適当な路地に入ると肉屋の前にニワトリを捌いた跡が残っていたりする。大通りに戻り、ホテルの裏の路地を一回りして部屋に帰った。昼、ロビーにてバンダーさん(西遊旅行の現地要員)とともにヘリ代金回収係と会合。金額は入院中にバンダーさんから聞いていた通り2700US$。普段使っているVISAカードは病院の支払いで限度額まで残り少ないので、JCBカードと分割して決済した。JCBは羽田空港でのUS$購入用に持っていたのが幸いで、これがなければ西遊旅行に借金するところだった。
スマホはWi-Fiがないと通じない(⇒ ヒマラヤトレッキング(付録)、■旅の持ち物/●スマホのeSIM)のだが、Googleマップの現地地図をダウンロードして使えることに気付き、昼食後に再挑戦。メガネ店を確認した後、今度こそタメル地区へ。道路の横断も他の人とタイミング合わせるなど慣れてきた。タメルでエベレストB.C.風景のマグネットや紅茶小箱セットなどあまり嵩張らないものを買い、あとはほぼ当てずっぽうに歩く。Googleマップを見ると前方にラトナ公園があるので、そこには公衆トイレもあるだろうと向かうと、遠くの空に稲妻が走り、ポツポツと降り出した。公園に入らないまま引き返すが、雨はどうやら大丈夫そうだ。ならばホテルに戻る前にナラヤンヒティ宮殿を見ておこうと思ったのだが、門扉に「Closed」の札。16時過ぎにホテルに戻った。下は本日の彷徨の図(ガーミンBasecamp +ネパールトポ)で、ホテルはオレンジ色の小円の箇所。部屋にはT中氏がいた。ルクラは快晴で飛行機はすぐに飛んだとのこと。ラメチャップからバスに7時間近く揺られて来たのだった。自分がツアーを離れた時には食事を摂れずにいたY本・K氏は、その後復調したそうだ。
ツアーメンバーが揃って、ディナーはタメル地区のエベレスト・ステーキ・ハウス(⇒ Googleマップ)へ。サンタさんがふたたびガイドに付いてマイクロバスでホテルを出たが、タメルの狭い道に入ると歩いた方が早い。今日はネパール暦の2082年元旦。と言ってもネパールには暦がいくつもあって複雑怪奇、その一つの新年ということになる。ステーキはシャトーブリアンという高級部位だそう。ビールをお供に完食。ステーキ・ハウスで呑み足りない4人はサンタさんの案内でチャン(ネパールのどぶろく)を置いている店へ。地元の人が食べる店なので、たいそう安い。再利用のペットボトルで出てくる自家製のチャンはメニューには載らない。左からE本氏、自分、T中氏、K村氏、サンタさん。
■4/15(火)
朝食時、Y本氏がバイキングの食事を皿に山盛りにしている。やはりこのツアーに参加するような人は、一時的な不調はあっても基本的に強いのだな。
本日はツアー日程上はルクラからのフライト予備日だが、ツアー本隊の飛行が順調だったので、オプションの観光日となった。午前中は、エベレスト遊覧飛行のI濱氏ら3人以外は自由行動。T中氏、E本氏と自分とで街に出た。
タブレットに仕込んできた『地球の歩き方 ネパールとヒマラヤトレッキング 2021~2022』のおすすめ散策ルートに行ってみようと思うのだが、本の地図とGoogleマップによる自位置とのすり合わせが難しくてウロウロ。街角の祭壇で朝の勤行をしている(許可を得て撮影)。燈明はバターだ。
本日はツアー日程上はルクラからのフライト予備日だが、ツアー本隊の飛行が順調だったので、オプションの観光日となった。午前中は、エベレスト遊覧飛行のI濱氏ら3人以外は自由行動。T中氏、E本氏と自分とで街に出た。
タブレットに仕込んできた『地球の歩き方 ネパールとヒマラヤトレッキング 2021~2022』のおすすめ散策ルートに行ってみようと思うのだが、本の地図とGoogleマップによる自位置とのすり合わせが難しくてウロウロ。街角の祭壇で朝の勤行をしている(許可を得て撮影)。燈明はバターだ。
おすすめルートの出発点タメル・チョークに辿り着き、南下してタヒティ・チョークからアサン・チョークへ。チョークは中庭または地域の中心地、あるいは交差点といった意味だとか。アサン・チョーク付近に並ぶ日用品の店は街の人達の生活を感じさせる。
南西に折れてセト・マチェンドラナート寺院(⇒ Googleマップ)。女神像には意外と西洋的なものも。10時になるとお堂から坊さんが現れ、鐘を振って一周りしていた。
そろそろトイレが心配になるので、インドラ・チョーク辺りからコーヒーショップでもないかと探す。ダルバール広場を掠めて西へ向かい、Googleマップの示す店を探すが見当たらず、周囲を見回してレンガ造りの2階に喫茶店らしき看板を見出した。ミルクティー(30ルピー)でくつろぐT中氏。
トイレを貸してくれと頼むと、階下の階段横ドアに掛かっていた南京錠を外してくれた。店は『地球の歩き方』に紹介されている「切手になった窓」に近い場所だったが、そろそろ11時という頃合いなので、おすすめルートはこれまでにしてホテルに戻った。
昼食はマイクロバスで出て、ホテルサンセットビュー(⇒ Googleマップ)にてヒマラヤ蕎麦。ヒマラヤは蕎麦の産地で、ここの職人は戸隠で修業した日本人なのだとか。蕎麦自体は日本で食べるのと遜色なく美味い。中央小皿の三角は何だったろう。
午後、半日観光(オプション料金1万円)を希望した6人は、サンタさん、S水氏(添乗員)と共にパタンへ。15世紀、カトマンズ盆地はマッラ王朝の3王国(カトマンズ、パタン、バクタプル)によって治められていた。ホテルサンセットビューから南へ、バグマティ川を渡りマイクロバスで20分ほど(途中でストライキの集会だかデモだかを迂回した)だったが、ここはカトマンズとは別の国だったのだ。メモを取っておかなかったので最初の方の寺院等の名称は分からない。
(↓)注連縄のような綱に大きな木の葉が下げてある。牛はお堂の方を向く。(↓)いくつか見た造形。丸い部分は女性器、それを貫く男性器。(↓)ダルバール広場(⇒ Googleマップ)で象の像があるのはシヴァ神を祀るヴィシュワナート寺院。(↓)クリシュナ寺院。一つの岩から掘り出されたという説明だった。(↓)旧王宮であるパタン博物館の中庭。(↓)王室の浴場トゥシャ・ヒティ。
(↓)ネパール狛犬?
(↓)交差点脇の屋上からダルバール広場を見渡す。パタンからカトマンズの東へと移動して、ネパール最大のストゥーパ(仏塔、⇒ Googleマップ)のあるボーダナートへ。ブッダの智慧の目が四方を見渡している様は、これぞネパール!という迫力。階段下に靴を脱ぎ、裸足でドームの周囲を巡る。ここも右回りだ。ストゥーパを見上げる片隅に河口慧海のプレートがあった。ストゥーパの周囲には土産物屋や巡礼者向けの店が立ち並んでいる。その一つ、仏画の学校という店を見学し、トイレを借りた。E本氏は小さなマンダラを買っていた(教師作は高く、生徒作は安い。また、文字主体のものは安め)。カトマンズに戻り、夕食はタメル地区のウッツェ(⇒ Googleマップ)でギャコック(チベット鍋)。アワやキビの実を発酵させたビール、トゥンバも頼んだ。ストローで飲み、お湯を継ぎ足せばまた味が出る。
■4/16(水)
ネパール旅行もとうとう最終日。10時半にホテルを出て日本人贔屓という土産物店に寄ってから、トリブバン国際空港へ。ネパールでは海外旅行はまだまだ一大事であるらしく、周囲で行われている見送りが大げさだ。
搭乗便は13:30のバンコク行きタイ航空。待ち時間にロビーの売店で土産物、ついでに缶ビールを買ってルピーを消化する。タメル地区で買って飲み残したウィスキー小瓶を手荷物に入れてあったのだが、没収されてしまった(これが空港入場後に買った酒だったらどうなるのだろう?) 搭乗して自分の座席(36A:3列の窓側)まで進んだところ、窓寄りの2席を若いネパール人らしきペアが占めており、席が違うと英語で言っても通じない様子。間もなくCAがやってきてどかしてくれた。どうやら機の反対側の座席(36H、I辺り)と勘違いしていたらしい。
少々遅れたが無事に離陸し、バンコクへ。飛行場周辺だけで言うと、カトマンズは都市、バンコクは田園だ。スワンナプーム国際空港で土産物を買い足す。関西国際空港に向かう2名とはここでお別れ。成田組は22:10便に乗り換えた。
■4/17(木)
日付が変わって、朝7時に成田国際空港着。
手許に残った140US$(10$しか使わなかった!)を円に戻す。結果的にナムチェバザールやカトマンズで現金を散財する暇もなく、両替屋を儲けさせるだけに終わってしまった。電車を乗り継いで帰宅。
【土産品】
○カトマンズ/タメル地区の店にて
・マグネット(エベレストB.C.からの眺望)2個、280ルピー
300ルピーと言うのを控えめに値切ったが、もっと下げて2割引きくらいから交渉してもよかった。
・ミニタルチョ、価格失念(200~300ルピー?)
10枚の旗にマントラ「オム・マ・ニ・ペメ・フム(Om・Ma・Ni・Padme・Hum)」が2連。
以上、マグネット、タルチョは自室に貼(張)ってある。
・ハチミツ小瓶
・紅茶(小箱 5個セット)、750ルピー
・ヤクミルク石鹸、200ルピー
家で消費した。スーっとした香りで泡立ちも良い。
○カトマンズ/ツアーで入った日本人贔屓の店にて
・粉コーヒー
・紅茶(ティーバッグ)、コーヒー(ドリップ):それぞれ数杯分のパッケージ
・コーヒー豆入りチョコレート 小袋2個
試食したら美味しかったので、自宅用と贈呈用に。
○トリブバン空港(カトマンズ)の売店にて
・マグネット(ブッダ・アイ)
自分のパソコンデスクに貼って、見守ってもらっている。
・ヤクチーズ、ドライフルーツ類、小袋でひとつ300ルピー程度
ヤクチーズは「ハード」の名の通り非常に硬く、口の中で40~50分間転がしてようやく崩れる。不用意に噛み砕こうとすれば歯の方が欠けそうだ。
○スワンナプーム空港(バンコク)の売店にて
・フリーズドライ・ドリアン
匂い(臭い?)で名高いドリアンを食べたことがないので買ってみた。水で戻してみたが、それほどクセがある訳でもない。戻さないでもいける。
・ドライフルーツミックス 2袋
マンゴー、イチゴ、パインアップル、ポメロ(ザボン)。1袋は自宅でのおやつに消費。美味しい。
・Crispy Silkworm Pupae
数種類並んでいた昆虫食シリーズから、蚕のサナギを選択。酒のツマミとしてサクサクと食した。
トレッキング中は食事が美味しくお代わりもしたし、高山病でグロッキーになっても食べることはできた。入院中はベッドに寝転がっているばかり、ツアーに戻ればステーキだ鍋だと締め括りの御馳走コース。絶対に体重を増やして帰ることになると思っていたのだが、帰宅して計ってみると出発前より微減だった。高所での行動は自分の感覚以上にエネルギーを消費するらしい。
帰宅後もしばらく咳が出たが、次第に解消した。
村落を繋ぐトレッキングは何やら懐かしいような気分で歩けた。一方、山は霞みがちで眺望はあまり良くなかったし、高度順応にも失敗した。まあ、ヘリでの下山、外国での入院はそれはそれで面白い経験だったが。ネパールは再訪して、クリアなヒマラヤの山々と対面してみたいと思う。
★★ 2025/3/30(日)~4/17(木) ヒマラヤトレッキング ★★
★★ 完(付録あり) ★★
2025/3/30(日)~4/17(木) ヒマラヤトレッキング(付録) ― 2025年04月17日 00:00
旅行を振り返ってのメモあれこれ。
■旅の持ち物
当たり前の物品以外で、今回用意して役に立ったもの(○)、不要だったもの(●)。
○針金ハンガー、折畳み小物干し、細引き
部屋に洗濯物を干すため。日本でクリーニング品に付いてくるような針金ハンガーなら、帰国時に捨てても惜しくない。小物干しは角形の枠に洗濯挟みが10個程度付いて折り畳めるもの。ロッジの部屋にはフック類など無いことが多いが、何とか工夫して細引きを張り渡した(⇒ トレッキング後編 4/5条)。
○100均のサニタリーバッグ
トイレ後の紙を入れるため。100均なら枚数も適当(自分の買ったのは16枚入り)。
●スマホのeSIM(データ通信用)
ネパール国内で7日間有効のものを事前に2件購入しておいたのだが、結局使わなかった(現地でのアクティベーションを誤ったのか、実際には繋がらなかった)。そもそも現地の通信会社(購入したeSIMではNcell。他にNepal Telecomがある)を介するローミングが、トレッキングする地域をどの程度カバーしているのか分からない。自分はメールチェックや自宅との連絡に一日一回ネットにアクセスできれば事足りるので、ホテルやロッジのWi-Fiで間に合った(トッレキング中にWi-Fiの使えなかったロッジはゴラクシェプのみ)。
○駄菓子のラムネ
「旅のしおり」で「必携」の栄養補助食品の一例にブドウ糖がある。1型糖尿病の山仲間が「駄菓子のラムネはほぼ純粋なブドウ糖だよ」と言っていたのを思い出し、小さなラムネ瓶型の菓子(1個70円台)2個分をジップ袋に詰め替えて持参した。栄養補助が必要な場面は無かったが、安価に即効性のエネルギー補給ができて有用。
●行動用飲料の粉末、スティックコーヒー
行動に必要とされる水分量に基づいて飲料用粉末を用意したが、ツアー中はロッジでのティータイムやランチでかなり賄えるので、自前の水(お湯)はそれほど必要ない(もちろん、ある程度は持ち歩く。その分の飲料粉末は好み次第)。行動中にテルモスのお湯でコーヒーを飲もうかと思ったが、お茶はロッジで頂く分で十分だった。■その他注意事項
○クレジットカードの限度額に余裕を。
一時的に限度額を上げておく(審査に一定の時間が必要)手もある。また、現地で確実に利用できるカードを複数枚持てば、1枚を紛失した場合のバックアップにもなる。
○小額のルピー紙幣を多めに。
博物館やゴンパの入場(拝観)料支払いの際、釣銭の無い場合がある。100ルピー札を多めに用意しておくのが吉。ガイドブックには「チップ用に小額紙幣を」ともあるが、ツアーではチップを渡す場面は無かった。
○スマホアプリの現地データ取得は早めに。
今回、自分はPeakFinderのような山岳名表示アプリの準備を失念しており、カトマンズに戻ってからようやくデータをダウンロードした。GoogleマップのオフラインマップもWi-Fi環境が使えるうちに。
○スマホSIM有効化のPINを確認。
今回、ネパール用eSIMを有効化(実際には使えなかったが)する際、不用意にローミングが発生しないようメインのeSIMを無効化した。これの再有効化に必要なPINを覚えておらず、帰宅するまでスマホ回線やモバイルSuica等のサービスを使えなかった。
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