2010/6/15(火) 多胡碑2010年06月15日 00:00

仕事にある程度余裕ができたので、さんざん休日出勤した分の振替休暇を取る。
ゆっくり起床してみると晴れていたので、しばらくぶりにバイクを走らせた。

行き先はかねてより見てみたいと思っていた多胡碑(たごひ)(⇒ 2005/10/9 『宗像教授異考録 第一集』)。所在地は、以前は「群馬県多野郡(旧多胡郡)吉井町」だったが、「高崎市吉井町」になっていた。平成の大合併で歴史的な郡名が消えたわけだ。

公園の一角に覆屋があって碑はその中。ガラス越しにしか見られないのが残念だが、ドア脇のスイッチを押すと照明が点いて説明音声が流れる。
多胡碑
同じ公園内に多胡碑記念館があり、上野(こうずけ)三碑と呼ばれる多胡碑、山上碑(やまのうえのひ)、金井沢碑の説明や、他の古碑のレプリカ、文字の歴史などを展示している。

多胡碑は1300年前のものとは思えないほど状態がよく、掘られた文字もくっきり。碑に擦りつけるとイボがとれるとか、碑の欠片が瘧(おこり)に効くといった迷信があったそうだが、実行に移す者は少なかったようだ。
ほど近い秩父で銅が産出して和同開珎を鋳造したのが708年、平城京遷都が710年、多胡碑に記された多胡郡の設置が711年。都の動きと連動してこの関東の地に多くの渡来人が住んだのだろう。
刻まれた「羊」の文字(人名とする説が有力)から多胡碑は地元で「ひつじさま」と呼ばれた。そこから生まれたのであろう羊太夫の伝説は秩父にも伝わる(⇒ 和同保勝会/羊太夫の伝説をめぐって)。「胡」といい「羊」といい遙か西域を思わせる文字であるし、伝説の「馬」「羽」といった要素はさらに遠くギリシャ神話のペガサスを連想させる。もちろん、この程度の印象は人類共通の寓話の域を出ないものではあるが。

出掛けてきた目的は多胡碑だが、記念館の展示でさらに古い山上碑が近いことが分かったのでそちらに回る。道脇に無料駐車場あり。
ハイキングコースが設定された丘陵地帯で、民家脇を入り石段を登ると古墳が口を開けている。その脇にやはり覆屋に入って碑がある。こちらは681年、古墳の墓誌とされる。我が国に現存する石碑のうち、二番目に古いものである。この辺は古代の先進地帯だったのだなぁ。
山上碑
古墳に柵はないので狭い羨道(せんどう、えんどう)を潜ってみると真っ暗な玄室には仏様がいらっしゃった。説明書きによると、江戸時代に馬頭観音を祀り、札所であったとのこと。昔の人はおおらかだね。
山上古墳

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