2008/4/27(日) 『ライディング・ロケット ぶっとび宇宙飛行士、スペースシャトルのすべてを語る』 ― 2008年04月27日 00:00
マイク・ミュレイン著『ライディング・ロケット ぶっとび宇宙飛行士、スペースシャトルのすべてを語る 上・下』(金子浩・訳、化学同人)を読む。
著者のミュレイン(*1、https://mikemullane.com/)は1978年採用のNASA宇宙飛行士(TFNG = Thirty-Five New Guys)の一人で、ミッションスペシャリストとして3度シャトルで飛んでいる('84 STS-41D、'88 STS-27、'90 STS-36)。後の2回は軍事ミッションなので詳しくは語られないが、激しい競争の中を3度も選抜されたのだから優秀な飛行士なのだろう。しかし、本の内容は「そんなことまで書いちゃっていいの?」というくらいに開けっぴろげだ。
その開けっぴろげには3種類ある。
まず、個人的な問題。成長期の家庭環境や奥さんとのなれそめなど、必ずしも品行方正とは言えないことをペラペラと。また、同僚のジュディ・レズニックによろめきかけたことも告白している(p217-227)。
次に、宇宙飛行の人間的側面を描き出したもの。
それから、NASA内部の管理体制やスペースシャトルの設計・開発・運用に関する批判。
どれもNASAを引退した後だからこそ書ける部分もあるだろうが、特に宇宙飛行の人間的側面をユーモアを盛りこんで語るのは、やはり著者の持ち味なのだろう。自身を含む軍人宇宙飛行士は皆「惑星AD」出身(AD = Arrested Development = 発育不全)、つまり女性との付き合い方を知らず、悪ガキ的に振る舞う連中だと繰り返し書き、いろいろと面白いエピソードを並べてくれる。下ネタも多い。
例えば・・・
・STS-41Dは3回も打上げ中止になった。打ち上げ前には膀胱を空にするのだが、毎回UCD(尿収集装置)のお世話になった(上p275-276他)。
・STS-41Dの飛行中、コマンダーのハーツフィールドがハバナ通過をカウントダウンして「カストロの頭の上でくそを垂れてやったよ」(上p310)。
・ビル・シェパード(1984年組)はトイレから朝食のソーセージを漂わせた。パニックを起こしたクルーがそれから遠ざかろうと壁から壁へ跳ねかえっている中、ティッシュを手に追いかけたビルは、とうとう掴まえるとぱくりと食べてしまった。これは著者のミッションではないが、トイレを使った最高のいたずらと紹介している(上p321)。
生理現象の話では笑わせてくれるが、シャトルとは5人とか7人の人間が数日から2週間を過ごす生活の場なのだということを思い起こさせる。
一方、究極の非日常として、打上げカウントダウンの度の緊張と不安(飛行士と打上げを見守る家族双方の)もしっかりと描いている。実際に宇宙に行った飛行士だけが着けられる金のピンバッジは、打上げに耐えた時点で与えられるべきだというのはまったくの本音だろう。
また、STS-41Dではレズニックの髪がIMAX映画(*2)のカメラに巻き込まれて撮影が中断してしまったが地上にはフィルム詰まりと報告した(上p317-319)といった裏話もある。
こんな話は現役飛行士からは絶対に出てこない。これが書けるのは宇宙飛行士を引退したから、そして当事者がもういないからである。彼女は1986年のチャレンジャー事故で死亡した。
著者はレズニックとは特に仲がよかったようだ。著者が出張先で「ターザン」撮影前の女優ボー・デレクに会った時「おれ、ターザン。おまえ、ジェーン」とやったのだが、<この話を聞いたジュディ・レズニックは、わたしをターザンと呼びはじめた。短かった残りの人生のあいだ、ジュディは二度とわたしをマイクと呼ばなかった。いつだってターザンだった>(上p162-163)という一節は胸に迫る。実際の飛行経験に裏付けられたチャレンジャー最期の光景(下p109-112)は、想像とは言いながら読後しばらく忘れられそうにない。
レズニックを殺したNASAの管理体制(の不在)やシャトルの設計運用に見られる慢心、政治圧力に対する弱さへの批判も鋭い。
無人テストなしでの有人飛行、飛行時の脱出手段のないシャトル(*3)については<開発チームのだれも、「われわれは神だ。われわれは万能だ」などという不敬な表明をしたわけではなかったが、表明したも同然だった。スペースシャトル自体がその証拠だった>(下p62)。
ミッションに危険をもたらしかねないパートタイム宇宙飛行士に対する抵抗感も語られる。かつての英雄ジョン・グレンも今や上院議員としての影響力を行使して割り込んでくる老人だ(下p33-35)。「高齢者」という訳語になっているが、心中ではたぶん「クソじじい」だろう。また、さすがに人物を特定できる書き方はしていないが、ミッションの足を引っ張るだけのお客さんもいたらしい。
一時期の飛行士の搭乗割当の不透明さ、秘密主義は本当に酷いものだった。当時、割当権限を握っていたのは中間管理職のジョージ・アビーだったが、宇宙飛行士室室長には、月面を歩きシャトルの初飛行を成功させたパイロット、ジョン・ヤングが就いていたのに。追い詰められた著者が宇宙飛行士としての自負を曲げて精神科医の診療を受けた時、同僚飛行士の多くが既に同じく限界に達していたことを知ったのだった(下p92-97)。
もう間もなくスペースシャトルの時代は終わる。1981年の初飛行から2010年の運行終了までに130回を越える程度の飛行だから、平均すれば年に5回も上がっていない(https://www.nasa.gov/space-shuttle/)。その間にオービター2機と14名の飛行士を失った(犠牲はこれ以上増えないと思うが...)。宇宙輸送システムとして当初構想の成功を収めたとは言い難いし、相当危険な乗り物でもある。それでも宇宙開発に一時代を画したのは間違いない。そのシャトル時代を現場からの視点で生き生きと描いたものとして、本書には読む価値がある。
*1:名前の読みは、『宇宙年鑑2008』(アストロアーツ)では「R.ミュラン」、DVD「The Dream is Alive 人類の宇宙への夢を乗せて」(⇒ アマゾンの商品ページ)では「マイク・マレイン」。DVDを原音(ナレーションはウォルター・クロンカイト!)で聴くと「ムレイン」に近い感じ。
*2:上記のDVD。レズニックのこの髪の量では無理もないと思わせる映像が入っている。著者も写っている。
*3:正確に言えば、コマンダーとパイロットだけが乗り組んだ最初の4回の飛行には脱出座席が備えられていた。また、チャレンジャー事故後には飛行中のシャトルからポールを伝って離れパラシュート降下する脱出手段が用意されたが、錐揉みになったら使用不可能。
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