2020/11/1(日) 下唐子1号墳(御嶽山古墳) ― 2020年11月01日 14:30
オオカミ狛犬目当てに都下や埼玉県内の神社をいくつか訪ねてきたが、地元(埼玉県東松山市)に御嶽教は入っていたのだろうか? ネット検索してみると、御嶽神社がふたつ見つかり、そのひとつ、下唐子に行ってみた。
唐子中央公園から西へ200m、下唐子古墳群の1号墳(御嶽山古墳)。
こんもりした塚で、鳥居から階段を登ると、塚の上に石碑が並んでいる。正面中央が「御嶽大神」、向かって右が「八海山大神」、左が「三笠山大神」。「御嶽大神」の裏の「木曽御嶽勧請ノ記」によると、下唐子に生まれた下田又平という人が幼くして大病を患ったが、大里郡御正村(みしょうむら、現在は熊谷市の一部)の行者の祈祷により平癒、以来御嶽大神を信仰した。この地にはもともと愛宕神社があったが他に遷座して空地となっていたのを私財を擲(なげう)って購入、紀元二千六百年(昭和15=1940年)を機に大神を勧請した、と。都下の御嶽神社は武蔵御岳山と繋がるものが多い印象だが、ここはどうやら木曽に直通らしい。そうするとオオカミ信仰は無さそうだ。
左右に立ち並ぶ碑は、武尊山大神、長崎大神、三宝荒神、秋葉大神、白河大神、摩利支大神、阿留摩耶(あるまや)大神など。木曽御嶽の一峰がアルマヤ天であり、また信仰登山で唱える真言に「アルマヤ天狗 すまんぎ そわか」というのがある(https://www.yamareco.com/modules/diary/8544-detail-54622)。碑はいずれも昭和15年建立と思えるが、その間に立つ石仏はそれよりも古そうだ。
2020/11/14(土) 御嶽神社(東松山市野田) ― 2020年11月14日 13:00
地元の御嶽神社、下唐子に引き続き野田へ。
鳥居を潜ると右に大きな碑が三つ、奥から「糸部大霊神」「糸部二代大霊神」「糸部三代大霊神」。順に昭和6年、39年、平成3年の建立でほぼ30年ごと、だんだん小さくなるのは先代に敬意を表したのか。その奥の建屋に御嶽神社の扁額が掲げられている。他に小さな碑があるが、狛犬などの造形物は無し。
霊神碑の裏面は建立費の寄付者一覧で縁起などの説明は無いが、おそらく三代続いた御嶽教の行者なのだろう。隣接するお宅が糸部さん4代目なのかもしれない。
2020/11/21(土)~11/22(日) 六林班峠~袈裟丸山 ― 2020年11月21日 00:00
無名山塾の自主山行。最初は赤城山から袈裟丸山に繋ぐ計画だったのだが、COVID-19感染が日々拡がる中、不特定多数と接触する移動を避け、車を停めて周回できるルートに変更した。昨年11月の日光白根山~皇海山の続きとして、リーダーはK林・I氏が務め、T中・H氏と自分、山塾の新顔のS谷・A氏、O野・Y氏(女性)が参加。天候に恵まれて気分よく歩けたが、腰が痛い。
■11/21(土)
池袋でK林氏の車にピックアップしてもらい、首都高~東北道を利用して9時前にわたらせ渓谷鉄道の沢入(そうり)駅着。駐車場で予約のジャンボタクシーを待って国民宿舎かじか荘に移動。タクシー料金1万円は予約時に取り決めたものだが、当地の人との接触を極力避け5人まとまって移動する手段としては妥当なところか。
かじか荘駐車場で身支度して9:50出発。雲もないのにどこから落ちてくるのか、細かな水滴が顔に感じられる。次第に風が出てきて落ち葉が舞う。庚申山荘に12時。
山荘から六林班峠に向かう。2005年7月に皇海山からの下りに使って荒れていると思った(http://marukoba.asablo.jp/blog/2005/07/23/9319557)ルートだが、相変わらずササが深く崩壊箇所もある。前回はササに隠れた道を踏み外しそうになったが、T中氏は以前に単独で下りて本当に転げ落ちたそうだ。今回のメンバはササも崩壊地もほぼ危なげなく通過したが、一箇所、足元が見えず危ない場所があった。
(↑2枚目は2005年の記事の写真と同じ個所。下がっているトラロープが真新しい)
長いトラバースの末、昭文社山と高原地図の水マーク(峠への登りにかかる前の1630m付近)で一泊の炊事と明日の行動用の水を補給。水を取れる場所は他に三才沢(1611小ピークの手前、1570m付近)もあった。水マークから少し登った1670m付近の沢も流量は少ないが使えそう。さらに上の1740m付近の岩肌にも流れがあったが汲むのは難しい。
14:45 六林班峠に到着し、周辺を探索。峠から男山(1857m)方向に踏み込むとたちまちササが覆い被さってくるが、その中を踏み分け道が錯綜している。適当な平坦地を見出し、各自にツェルトを建てて宿泊準備。自分は共同装備の補助ロープ担当なのでそれを樹間に張って下げる形にし、他メンバはストックを利用して設営した。
寝場所を確保した後は外で夕食。日没近くなると風も止んだのでそれほど冷えず、各自に着込んだりシュラフカバーをまとったりで対応できた。食当のS谷氏、O野氏は新顔ながらJMIAからの参加でトレランもやっているのでパワーがある。食材が豊富に出てきて、豪華な牛肉鍋の夕食。
就寝中、時折鹿の声を聞く。3シーズンのシュラフで、テントなら快適なところだがツェルトでは少々寒かった。
■11/22(日)
4時起床、各自に食事。ツェルト内で座った姿勢から前に手をついて外に出ようとしたところで背(腰)に痛みが走った。恐る恐る腰を曲げ伸ばししてみると痛みはあるものの動かすことはできる。数年前に自宅で荷物を持ち上げようとして同様の状態になったが、数日で解消した記憶がある。今日一日は何とかなるだろう。
5時半に出発。気温2℃、快晴無風。上弦に近い月が出ている。
ササの間の踏み分けに入るが、すぐに紛れてしまい、ルートを探す。後でGPSの軌跡を見ると南東に進み過ぎていたのだが、Uターンして再び踏み分けを見つけ、男山への案内板に行き会った。出発時に各々スパッツや雨具のズボンを着けたが、ササが乾いているのは助かる。
やがて赤く染まる東の空には明けの明星。ササをかき分けて進み、男山(1857m)を越えたところで雲海上の美しい日の出を迎えた。
法師岳手前の鞍部に単独男性のテントあり。近くにもササの切れ目があったので、この鞍部にテント2~3張りは可能だろう。
7:20 法師岳(1940m)を通過、次の1932m小ピークにかかるとシャクナゲが出てきて道を探しつつ進む。稜線に立つと左手(栃木側)が切れ落ちており足元注意。そこから下りた鞍部は開けた笹原。ここにテントを張るのも快適そうだ。
今回のルート中最高峰の1961mに向かうとシャクナゲにコメツガも交じっていっそう抵抗が強まる。
8時に最高峰登頂。「袈裟丸山」の山名版が付いていた。10分ほど休憩して、次の1958.0mに8時半。ここの山名版も「袈裟丸山」だが、昭文社地図では1961mは無名、1958.0mが奥袈裟となっている。根元まで剥き出しでグラグラしている標石は、この後の1940m地点、中袈裟、後袈裟丸山にも同様のものがあったから、三角点ではなく県境を示すのだろう。そうだとすると、1958.0m三角点標石は見逃した(*1)。昭文社地図では六林班峠~1961が破線、1961~後袈裟丸山が実線ルートとなっている。実際、奥袈裟手前のヤブが今回ルート中で最も頑強だった。また、ここまで全体的に目印が少ない。普通なら赤テープを期待できそうな箇所でも自分で進路を見極めなければならず、乏しい目印も赤テープではなく目立たないビニール紐だったりする。
9:20 中袈裟で休憩。さすがに実線ルートだけあって踏み跡を探す必要はなくなったが、まだシャクナゲやコメツガをかいくぐって登った頂は5人には狭い。皆が口を閉じると何も聞こえない、静かな山だ。開けている南西側の尾根尾根を眺めていると歩いてみたくなる。
10時に後袈裟丸山(山名版によると読みは「あとけさまる」、1908m)。ヤブから解放された広くて気分の良い頂なので再び休憩。
行動開始から4.5時間、ちょうど昭文社地図のコースタイムだが、割合に良いペースで進んできたつもりだったので、ちょっとガッカリする。「前袈裟丸山から後袈裟丸山の間・八反張は風化が激しく危険ですので通行を禁止します」との注意が掲示されているが、通過した記録もネットにあり、実際のところ昨日から辿ってきたルート以上に危険ということはないだろう。たとえ整備された登山道でも自己責任なのだから、「禁止」したところでほとんど意味がない。
朽ちかけた指導票に従って前袈裟丸山に向かう低いササの道に入る。しばらく行くと土の急斜面にロープが付いており、そこを下りてクサリの手すりのあるリッジを渡り、前袈裟への登りにかかるところで道が崩壊していた。手すりの支柱が抜けてクサリにぶら下がっているような状態だが、別段困難もなく通過。
前袈裟丸山(1878.3m)は南~南西の眺望が良い。当初予定していた赤城山からのルート途上にある変電所が見えた。地図で見てもそうだが、実際眺めてみるといかにも長大なルートだ。
(↑奥の白っぽいのが日光白根、その左手前の台形が皇海山)
(↑中央奥の大きいのが男体山)
ササもおとなしくなった樹林帯を行くとカマボコ型の避難小屋のある広場を通過し、小丸山(小袈裟、1676m)に上がる。ここは皇海山や日光方面の展望が良い。そこから間もなく、散在する溶岩の上に小石を積んだ箇所があるが、分岐のある賽ノ河原までに石積みはここともう一箇所あった。
賽ノ河原から塔ノ沢コースに入るとすぐに避難小屋。新旧二棟あり、新の方には布団も積んであって快適そうだが、別棟のトイレは傾いていた。
小屋近くに沢があり、地図に水マークは無いものの煮沸すれば使えそうだ。その沢が大きくなり、渡渉を繰り返して下って行く。
寝釈迦像は階段の刻まれた岩山の上にあった。説明書きに曰く「勝道上人が掘ったとも言われ、また弘法大師が巡錫中この像を見て開眼したとも伝えられ、また徳川初期の作とも言われている」。勝道上人は庚申山荘への途上に「庚申山開山の祖」の碑があった。帰宅してから調べてみると、日光開山の祖でもあり、奈良時代、聖武天皇の頃の生まれの人。弘法大師空海より40年ほど早いようだ。彼らと徳川時代とを並べるのはあまりにも大雑把と思うが、実際の像を見ると平安以前に遡るものとは思えない。おそらくは説明書きにもあるように「徳川幕府の直轄であった足尾銅山に送り込まれた多数の囚人が病死したので、その菩提を弔うため」というところなのだろう。
13:40 木橋を渡って「寝釈迦入口」で道路に出、登山口の駐車場を経てウンザリする車道歩きの末、14:40 沢入駅に帰着。
ちょうどやってきたトロッコ列車を見てから水沼駅に移動、併設の温泉センターで入浴、食事。帰りは関越道を使い、途中でいったん高速を下りて自宅に着けてもらった。
■今回のルート
*1 後で読んだネット記録によると、三角点は山名版から45m離れているとのこと。⇒ https://blog.goo.ne.jp/s-aki_1946/e/21b569f9b759826ed73e16dfecd2d061
2020/11/23(月) 腰痛日誌 ― 2020年11月23日 00:00
土日の山行(http://marukoba.asablo.jp/blog/2020/11/21/9319777)中に腰に来た。
ギックリ腰というほどではないが、おそらく筋肉の損傷なのだろう。数年前に初めてやって、去年は一応医者にも掛かった(http://marukoba.asablo.jp/blog/2019/10/05/9334228)。今後の参考のために今回も記録を残しておこう。
■11/22(日) ※袈裟丸山の山行記録(上のリンク)も参照。
4時起床。ツェルト内で座った姿勢から前に手をついて外に出ようとしたところで背(腰)に痛みが走った。恐る恐る腰を曲げ伸ばししてみると痛みはあるものの動かすことはできる。腰を屈(かが)めると痛むので、ザックを背負う時も腕で持ち上げて腰を捻らないようにしていた。
■11/23(月・祝)
ベッドの中でも仰向けから横向きに寝返りを打とうとすると痛む。立ったまま靴下を履こうと背を屈めるのも辛いので、ベッドに腰を下ろす。そこから立ち上がる時も、すっと背を伸ばすことができず、やや前屈みになってその背の角度のまま足の筋力で立ち上がる感じ。
とは言えさほどの不自由はなく、自転車で買い物に出たり、部屋に掃除機をかけたりしていた。
■11/24(火)
痛みは和らいできた。立ち上がる時はまだ背を真っすぐ伸ばすことはできないが、今朝は立ったまま靴下を履けた。
■11/27(金)
姿勢によっては腰の奥に多少の違和感が残っているな、という程度まで解消。
■11/29(日)
今日はまた痛みが腰の表面に出てきた感じだが、動作を制限される程ではない。昨日、週末ノルマの8kmを走ったのと、腹筋運動を再開したため?
■12/1(火)
起床時に屈むと少し痛むが、これは就寝中の姿勢の問題だろう。その後は一日違和感もなく過ごす。これで完治か?
■12/31(木)
霞沢岳(敗退)の下山時、テントを詰めて重くなったザックを背負ったタイミングで急激な痛みを覚えるものの普通に動けるのでそのまま行動。帰宅して落ち着いてからも背中を伸ばす時に痛むが、動作に支障はなく多少スローモーになる程度。
■2021/1/10(日)
動作に支障はないが、腰の内部に常に違和感を抱えている感じ。構わずに腹筋運動や週一のジョギングをやっているが、動かした方がいいのか、なるべく安静にしているべきなのか。
■2021/1/16(土)
治ったかなと思っていると、ちょっとした荷物を持ち上げたところでぶり返した。位置は腰から少し上がって、背中の下部。背骨の左側の筋肉が局所的に痛む感じ。
2020/11/25(水) E型肝炎!? ― 2020年11月25日 00:00
先日献血したのだが、日本赤十字から親展の郵便が来た。
「【E型肝炎ウィルス(HEV)核酸増幅検査】が陽性となりましたが、再検査では陰性となりました。・・・疑陽性反応である可能性が高いと考えられます」。
献血カードの表記によると181回目の献血で、それだけの回数をやっていればそんな検査結果が出ることもあるだろう。
「ただし、極まれにHEVに感染していてウィルス量が少ない場合も同様の結果になることがありますので、万が一、体調がすぐれない場合は」と専門医のいる病院にかかれるように紹介状まで同封してくれている。今回の献血は輸血用に用いることはしなかったそうで、こうやって献血する側、輸血を受ける側双方の安全を確保してくれているのだな。
「今回の献血日から6か月間は献血をご遠慮ください」ともある。半年たつと誕生日が近い。次の献血は還暦記念だな。
(2020/5/20 追記)
無事に半年経ったので紹介状を開封してみた。
他に、医師から血液センターへ診療報告をするハガキが1枚。
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