2010/6/5(土)~6/6(日) BBQ&つづら岩2010年06月05日 00:00

6/5夜、無名山塾会員の催しで、奥多摩の落合キャンプ場でバ-ベキュー。低料金の上、調理用具など貸してもらえて施設もきれい、お薦めのキャンプサイトである。
事前の秋川牛(⇒ あきる野市・松村精肉店/秋川牛について)の買い出しなど付き合ったが、それに加えて差し入れが豪華でお腹いっぱい。さんざん飲み食いして、バンガローでバタンキュー。

一夜明け、かねて予定のI干・S氏とのつづら岩自主山行。自分もI干氏も歩き系で岩登りには熱心でないのだが、BBQ会場からほど近いつづら岩で、マルチピッチ(二人でロープを繋いで登り継いでいく技術)をちょっと復習しておこうか、という目的。
一番易しい「オケラルート」は最初のピン(*1)がなくなっていて、それより上に支点なしで行くのは怖いので断念。
「一般ルート」(*2)は自分がリード(一番手)で登った(A0*3 使いまくり)が、ピッチを切ったところでセカンド(二番手)で取り付いたI干氏が行き悩んでギブアップ。同じく自主山行で来ていたM井・Y氏に交代で上がってもらった。
右端の比較的易しいルートはI干氏が1ピッチ目リードで上がり、自分は2ピッチ目を担当。
17時過ぎまでやって本日のメニュー終了。
その後酒を飲んだら列車を終点まで乗り過ごしてしまい、5000円以上の出費。トホホ...

*1:岩に打ってある、ロープを掛けるための支点。ロープを掛けておけば、転落した場合に転落距離をそこまでに抑えられる。
*2:岸壁に拓かれている登攀ルートに付いている名称。
*3:支点に掛けたカラビナやロープを掴んで登る。クライミングとしては「ずる」の部類だが、登山の現場では要はそこを突破すればいいのだ。

2010/6/13(日) はやぶさ、帰還2010年06月13日 00:00

遙か3億km(太陽-地球間の2倍)の彼方、小惑星イトカワのサンプル採取に挑んだ小惑星探査機「はやぶさ」が帰還。
2003年5月に打上げ、2005年11月イトカワにタッチダウン、その後、推進剤漏れなどで満身創痍となりながら4年半。
よく頑張った。よく還った。
カプセル切り離し後のはやぶさ本体は、当初予定通りに惑星間空間への新たな旅へ送り出してあげたかったが、大気圏に再突入し燃え尽きた。
それもまたよし。本体を構成していた物質は塵となってふるさと地球に舞い降りる。おかえり、はやぶさ。

はやぶさプロジェクトには地球帰還を果たした時点で100点満点以上をあげたいが、これは始まりの終わり。多くの人を感動させたはやぶさをバネに、はやぶさ2以降を是非実現させたい。

帰還を前に、ビデオで「サマーウォーズ」を観る。ロードショウの時にも書いた(⇒ 2009/8/15記事)が、やはり傑作。今回ビデオで一時停止してみて、冒頭の物理部部室にイトカワの新聞記事を発見した。映画のスタッフもはやぶさに祝杯を挙げたろうか。

2010/6/15(火) 多胡碑2010年06月15日 00:00

仕事にある程度余裕ができたので、さんざん休日出勤した分の振替休暇を取る。
ゆっくり起床してみると晴れていたので、しばらくぶりにバイクを走らせた。

行き先はかねてより見てみたいと思っていた多胡碑(たごひ)(⇒ 2005/10/9 『宗像教授異考録 第一集』)。所在地は、以前は「群馬県多野郡(旧多胡郡)吉井町」だったが、「高崎市吉井町」になっていた。平成の大合併で歴史的な郡名が消えたわけだ。

公園の一角に覆屋があって碑はその中。ガラス越しにしか見られないのが残念だが、ドア脇のスイッチを押すと照明が点いて説明音声が流れる。
多胡碑
同じ公園内に多胡碑記念館があり、上野(こうずけ)三碑と呼ばれる多胡碑、山上碑(やまのうえのひ)、金井沢碑の説明や、他の古碑のレプリカ、文字の歴史などを展示している。

多胡碑は1300年前のものとは思えないほど状態がよく、掘られた文字もくっきり。碑に擦りつけるとイボがとれるとか、碑の欠片が瘧(おこり)に効くといった迷信があったそうだが、実行に移す者は少なかったようだ。
ほど近い秩父で銅が産出して和同開珎を鋳造したのが708年、平城京遷都が710年、多胡碑に記された多胡郡の設置が711年。都の動きと連動してこの関東の地に多くの渡来人が住んだのだろう。
刻まれた「羊」の文字(人名とする説が有力)から多胡碑は地元で「ひつじさま」と呼ばれた。そこから生まれたのであろう羊太夫の伝説は秩父にも伝わる(⇒ 和同保勝会/羊太夫の伝説をめぐって)。「胡」といい「羊」といい遙か西域を思わせる文字であるし、伝説の「馬」「羽」といった要素はさらに遠くギリシャ神話のペガサスを連想させる。もちろん、この程度の印象は人類共通の寓話の域を出ないものではあるが。

出掛けてきた目的は多胡碑だが、記念館の展示でさらに古い山上碑が近いことが分かったのでそちらに回る。道脇に無料駐車場あり。
ハイキングコースが設定された丘陵地帯で、民家脇を入り石段を登ると古墳が口を開けている。その脇にやはり覆屋に入って碑がある。こちらは681年、古墳の墓誌とされる。我が国に現存する石碑のうち、二番目に古いものである。この辺は古代の先進地帯だったのだなぁ。
山上碑
古墳に柵はないので狭い羨道(せんどう、えんどう)を潜ってみると真っ暗な玄室には仏様がいらっしゃった。説明書きによると、江戸時代に馬頭観音を祀り、札所であったとのこと。昔の人はおおらかだね。
山上古墳

2010/6/17(木) はやぶさ2予算増額の嘆願署名2010年06月17日 00:00

松浦晋也氏のtwitterで知って、自分も署名してきた。

「はやぶさ」も順調に行って帰ってきていればこれほどの人気にはならなかったろうという点はちょっと「何だかなぁ」と思うが、<「はやぶさ2」予算、首相ら前向き…仕分けと逆>(読売新聞 2010.6.16)なんてこともあるから、日本人の情緒的な反応もプロジェクトの後押しになるならヨシ。

それにしても、予算を減らした上に事業仕分でさらに削ったものをあっさり翻すというのも、その時々の国民のご機嫌取りで腰が定まらない話。政権が替わっても相変わらず日本の宇宙開発、ひいては科学技術の行方に確固としたビジョンがないようでは、予算だけ使ってまとまった成果は手にできずに終わってしまうだろう。

とりあえず、今の勢いではやぶさ2を実現させよう。
かぐやあかつきイカロスはやぶさ2・・・と繋いで、無人探査を日本のお家芸として定着させるのだ。そのためには手頃な打上げロケット(M-Vの技術を継ぐ固体ロケットが好い)も必要。サンプルリターンもやって再突入技術を確実なものにする。探査機の技術はそのまま気象衛星や測地衛星、国産GPSに活用できるだろう。固体、液体を並列することで両者のいいとこ取りをしたロケットも出来るかもしれない。ロケットと衛星の開発・運用体制を一揃い、需要を途切れさせずに世代継承可能な形で保有すれば、その先に独自の有人宇宙計画も見えてくる。

まずは「はやぶさ2」実現を。
「はやぶさ」帰還に声援を送った方、よければ署名を。

2010/6/17(木) ホシヅル~2010年06月17日 12:00

ホシヅルストラップ
携帯ストラップ(大小2羽?セット)、世田谷文学館星新一展で限定発売中。
これで「★★と☆☆☆☆」できる(笑)←吾妻ひでお『不条理日記』

絵はがきも同時購入。
♪とっても好き/ボッコ、プッコ、ノッコ/星から来た仲間よ♪

会場一角のバーに立つ人造美人のボッコちゃん。
ボッコちゃん

展覧会図録は、最近買った『僕らを育てたSFのすごい人 柴野拓美インタビュー』(⇒ 国立国会図書館サーチ)と併せて読むことにしよう。
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