2024/12/16(月) 二宮神社、正勝神社~オオカミ狛犬探訪 ― 2024年12月16日 00:00
天気も好いので、あきる野市方面へバイクを乗り出した。
まずは武藤郁子『縄文神社 首都圏篇』で読んだ二宮神社。
⇒ グーグルマップ
路肩の駐車スペースの下に湧水池があり、澄んだ水にたくさんの鴨が浮かんでいる。この池も神社の一部で、『縄文神社』ではこちらが神社の根源と見立てている。さもありなんという雰囲気だ。
神社へは道路の反対側の階段を上がる。
拝殿は特に彫刻など無いシンプルな造りだが、本殿には室町時代後期以前の建築「宮殿(くうでん)」を収めるとのこと。
この地で出土した縄文土器等を展示している二宮考古館が休館日(月・火曜日・祝日)だったのは残念。
次は、天保十(1839)年のオオカミ像があるとの情報をキャッチした正勝神社。
⇒ グーグルマップ
拝殿前の御神灯も文政十一(1828)年と古い。
目当ての像は本殿の右に置かれた覆い屋に単独で祀られていた。形としては口を閉じた吽形に思えるが、阿形が口を開けているとは限らないので、なんとも言えない。もともと単独だったのか、それとも片割れが失われたのか。年号は台座に彫られている。背後の護符は武蔵御岳神社のもののようだ。
最後に、眺めが良いという赤ぼっこ(⇒ おうめ観光ガイド/長淵山ハイキングコースMAP、グーグルマップ)に寄ろうと思ったのだが、グーグルに任せたら林道終点に案内され、あとは「徒歩1分」などと宣(のたま)う。しかし、林道ゲート横から山に入っていく道を辿るとお墓があり、その先は頼りない踏み跡。1分どころではないがこの上なのかと、踏み跡や昔の作業道のような地形を追い、枝を分けて登ると未舗装路に出た。が、GPSを確認すると赤ぼっこは道を外れてまだその先。これは到底行きつけないと引き返した。駐車地点から往復30分、つまらない汗をかいてしまった。
本日の走行距離、約100km。
2024/10/15(火) 両神神社、四阿屋山~オオカミ像探訪 ― 2024年10月15日 00:00
ようやく良い気候になったが、明日からまた天気が崩れる予報なので、その前にバイクを走らせた。
目的地は、ネットで情報をキャッチした秩父(小鹿野町)・四阿屋山(あずまやさん)のオオカミ碑とする。
四阿屋山の山頂下には両神神社奥社がある。ならば、里宮もセットで訪れよう。
9時に家を出、途中までナビ無しで走って道を間違えたりもしたが、10:40に両神神社(里宮)に到着。
⇒ グーグルマップ
由緒書きに曰く「はじめ丹生明神(たんしょうみょうじん)と称し、丹党薄(たんとうすすき)氏の氏神であった。大正六年、国策により、信仰崇拝する神社を合併して村社とした。その結果、奥社は四阿屋山(あずまやさん)に、里宮は薬師堂に置くこととし(中略)両神神社と改称した。祭神は、罔象女神(みつはのめのかみ)で、合祀(ごうし)として伊弉諾尊(いざなぎのみこと)、伊弉冉尊(いざなみのみこと)、建御名方神(たけみなかたのかみ)ほか五十余柱」。名前こそ両神神社だが、両神山に対する信仰は背景に退いているようだ。狛犬など面白い石造物も無い。
隣のお堂が薬師堂で、平安時代に創建され、目の病気に霊験あらたかとのこと。なるほど、「め」の絵馬が無数に掛かっている。
両神神社脇の道に入ると、路面にコケの生えている箇所もあってバイクにとっては少々走りづらい。11:15、四阿屋山駐車場に停車。
⇒ グーグルマップ
フクジュソウやロウバイの季節には花を目当てにバスも入るらしいが、今はガラ空きだ(到着時には1台だけ、2段になった駐車場の下段に停まっていた)。
まず、四阿屋山に登ることにする。
駐車場から少しだけ戻って薬師堂コースに入る。すぐの小ピークと、そこから少し進んだ尾根上に小祠が祀られていた。小ピークの方の覆い屋には「三峰」の札が付いていたが、三峯神社なのかどうか。二つ目の方は陶器のキツネからするとお稲荷さんなのか。
送電鉄塔を過ぎて登りに掛かる。ハイキングコースの分岐には道標や案内図があるので安心。鳥居山コースと合流した先に両神神社奥社があった。
⇒ グーグルマップ
ここも狛犬などは無し。建屋の前に2枚建つ碑は明治四十一年の「村社寄附連名」だ。里宮の説明書きにあった大正六年の合併以前で、その時ここは何神社だったのか。
山頂に直登する尾根は「急坂につき登山禁止」になっているが、巻いて登っていく登山道も急登かつクサリでちょっと楽しい。
駐車場から40分、汗をかいて四阿屋山(771.5m)に登頂。狭い山頂に方位指示盤があるが、開けているのは西側のみ。そちらも両神山の頭は雲に隠れていた。
下りは「岩場・クサリ場多し 初級者通行止」のつつじ新道が面白そうだが、それでは下のバス道(大堤)まで下りてしまう。おとなしく、展望休憩舎から山居広場経由で駐車場に戻った。
あとは肝心のオオカミ碑。情報源のブログによると、桜本コース脇の小ピークにある金毘羅宮からこの駐車場に上る途中にあるらしい。桜本コースを下りていくがオオカミ碑に気付かないまま、金毘羅宮へ入る道も見落として、小ピークの裏側から強引に上がった(そちらの斜面にも赤テープが付いていたが)。
金毘羅宮の建屋に収められた祠の左右に木彫りの狛犬らしきものが見えるが、これはオオカミではなさそう。
あらためて左手に注意しながら駐車場に戻っていくと、今度は石造物らしきものが見えた。大きなものではなく、道から見上げる位置なので、知らなければ気付かないだろう。
オオカミ碑に刻まれた文字は「大狼神王守」と読めるが、「大」の下に「犬」が二つ並んでいる。情報源のブログによれば、碑の上部中央は梵字「キャ」で十一面観音を示し、波線は山脈を表現しているらしい。年号は見当たらないが、風化の程度や右隣の石仏(明治十九年)から推測すれば明治期か。
左隣のサイコロみたいな石は、これも情報源ブログによると女人講の碑とのこと。両側面には2文字の女性の名が並んでいる(写真は正面と右側面)。
バス道に下りてすぐの道の駅 両神温泉薬師の湯は火曜定休だった。代わりに道の駅 龍勢会館に寄って最中のような焼き菓子を土産に買い、15時半に帰宅。走行距離126km。
■今回のルート(歩行部分のみ)
2024/10/2(水) 高崎・御嶽山神社、ようばけ~オオカミ狛犬探訪 ― 2024年10月02日 00:00
曇りや雨に挟まれた好天の予報にバイクを乗り出した。天気が好すぎて、春秋向けのジャケットでは汗をかいた。もう10月だからと夏向けのメッシュジャケットを洗濯したというのに、今日はまた30℃超えとは。
行き先はまず、オオカミ像の情報をキャッチした高崎の御嶽山神社。
⇒ グーグルマップ
11時前に出発し下道を1時間40分ほど、路地に入り込んでマップの示す地点に到着。門前に「三鏡講教會所」の石柱(側面は「明治廿八年十二月建之」)の建つ空家がそれらしい。
横から庭を覗くと石碑が見えるが、草ぼうぼうで踏み込むのは躊躇われる。路地を回ってみると「御嶽山神社入口」とあるものの、民家脇を入った門扉の先は同じ草の庭。ここから祠を確認できたが、先ほどの横からの方がまだしも入りやすい。
草を踏み分けて門扉から見えた祠へ。二つ並んだ祠の向かって右側を一対のオオカミ像が守る。
台座を含めて彫り出したと見える像は劣化が進み、表面のひび割れ、剥落が目立つ。阿形の鼻はすでに落ちてしまっている。
小さいながらも肋(あばら)を強調し、爪も力強くてなかなか良い造形だ。尾は本体から離して彫ったものが折れてしまったのか?
神社本殿にはシャッターが下りており、祭神等は窺えなかった。路地からも見えた石碑は、行者名を刻んだものと、「教會所建築敷地購求寄附」。
草をかき分けているうちに何箇所も蚊に喰われ、服に草の種が引っ付いた。
高崎まで往復するだけでは面白くないので、ジオパーク秩父のようばけへ回る。
⇒ グーグルマップ
グーグルマップに「ようばけ」を指定して経路案内させたら、山の間の細道に入り、ようばけ(崖)を抱える山の裏(東)側で「到着しました」。確かに距離的には近いが・・・ ナビの目的地は「おがの化石館」にすべきだった。
おがの化石館の駐車場に停めて、ようばけまで徒歩10分。赤平川の浅い流れの対岸に見事な地層が露わになっている。小学生の一団は理科の野外授業だろうか。
おがの化石館に戻り、300円を支払って入館。最初は静かだったが、やがて河原にいた小学生たちで賑やかになった。展示のメインはやはりパレオパラドキシア。
ようばけで採れたカニ化石など地質時代を身近に感じさせる一方、京都産の桜石(偽化石)は自然の造形とは思えない美しさだ。
大正5(1916)年に秩父を訪れた宮沢賢治に関する展示もあった。
17時前に帰宅。走行距離約160km。
2024/8/8(木)~8/12(月) 礼文・利尻 ― 2024年08月08日 00:00
無名山塾T中・H氏との北海道シリーズ第3弾(第1弾 ⇒ 2022/7/27~7/29 大雪山~トムラウシ山、第2弾 ⇒ 2023/7/19~7/22 硫黄山~羅臼岳)。ただし、礼文岳、利尻山とも登山としてはごく易しいため、個人山行とした。
計画した旅程は以下の通り。
8/ 8:羽田⇒(飛行機)⇒稚内⇒(フェリー)⇒礼文島(香深)、桃岩荘ユースホステル泊
8/ 9:礼文島8時間コース(スコトン岬発)、桃岩荘ユースホステル泊
8/10:礼文岳、礼文島⇒(フェリー)⇒利尻島(鴛泊)、利尻ぐりーんひるinn泊
8/11:利尻山、利尻島⇒(フェリー)⇒稚内、ゲストハウスモシリバ泊
8/12:稚内⇒(飛行機)⇒羽田
初日の飛行機遅延のため予定の完全消化はできなかったものの、まずまずの天気で島を歩けて、自分としてはほぼ満足。しかし、T中氏は利尻山に登れず、不完全燃焼だったかもしれない。
■8/8(木)
羽田10:40便(ANA571)が前日の首都圏ゲリラ豪雨の影響で機材繰りがつかず、13:30発と大幅遅れ。これでは礼文行きのフェリーに間に合わないので、空港から桃岩荘に電話して1泊目の予約をキャンセルし、稚内のホテルを安さ優先で探した。明日最初のフェリーで礼文島に渡っても8時間コースを歩くのは無理なので、明日は礼文岳、明後日に(可能なら)8時間コースと、順序を入れ替えることにした。
離陸してしまえば飛行は順調で、稚内空港へ向けて降下していくと風力発電の風車が多数見える。バスで南稚内駅へ移動し、ホテル宗谷(⇒ じゃらん)に投宿。だいぶオンボロだが、フロントで北海道限定焼きそば弁当とアイスキャンデーをサービスしてくれるのは良い。確保できたのはダブルベッドルーム(2名で15000円)だが、テントで寝ることを思えば何でもない。ホテル近くの寿司屋「魚一」で飲んでから、ツルハドラッグで明日の食糧など仕入れた。
■8/9(金)
ホテルから2.5kmばかり歩いて稚内のフェリーターミナル(⇒ ハートランドフェリー)へ。朝一6:30の便で礼文島へ渡る。ガスが掛かっているが、いちばん高いのが礼文岳だろう。
バス待ちのため、香深のフェリーターミナル周辺で1時間ほど暇を潰す。レンタサイクル(港近くの店では500円/1時間、3000円/1日)もあり、それを利用している人たちも後で見かけた。
バスから窓外を見ていると、海岸線から道路を挟んですぐに急斜面が立ち上がり、一部は崖と呼ぶレベル。その狭隘な土地に斜面(崖)を背にして家が建っている。海側に目をやると、利尻の島影が雲間から少しだけ覗いた。
内路BSの傍らに「礼文岳登山口」の看板があり、標高は10m。駐車スペースにはクルマ4~5台の他に自転車も停めてあった。着替えなどをデポして、10時過ぎに行動開始。登山口は津波避難場所の入口にもなっていて、数分登った海抜45m地点が避難場所になっている。
「花の浮島」と言われる礼文島だけあって、盛りは過ぎているものの様々な花が見られた。ヒヨドリバナ、キリンソウ、ハンゴンソウ、コウゾリナ、アメリカオニアザミ、ヤマハハコ、オトギリソウ、トウゲブキ、ネジバナ、オオヤマサギソウ、シロヨメナ(?)、等々。
登山道の初っ端(しょっぱな)にはラズベリーらしい実もあった。(※植物名には同定誤りがあるかも)
登るにつれて花は少なくなっていくが、ササの間に頭を出しているのはガクアジサイかと思う(実際はアジサイ科のノリウツギのようだ)と、似たような花が他の木に巻き付いて咲いている。ツルアジサイというのは初めて見た。
道は最初こそ急登だが、じきにだらだら登りとなり、ぬかるみもある。緩やかではあるが樹林や笹の中で風もないので思ったより汗をかき、中ほどの「合流点」(標高220m)で休憩。以前は起登臼(きとうす)ルートが合流したのだが、そちらにはトラロープが張られて進入禁止になっている。
山頂手前の小ピークまで来ると南側が開けたが、近い稜線から先はガスで見通せない。頂上へ向けて笹原の間に道が伸びている。
12時、礼文岳(489.8m)に登頂。三角点は一等だ。やはりガスで遠望は利かない。山と高原地図によると「利尻山の展望が素晴らしい」のだが残念。
半分終わっている花はチシマワレモコウか、それともエゾイブキトラノオか?
山頂迄に何組かと擦れ違い、また、後から2~3人が登ってきた。
下山しても次のバスまで時間が余るので、山頂で40分ほどのんびりと過ごした。登山口に戻って14時。
電話でタクシー(イシドウハイヤー)を呼ぶことができて、運転手(石堂さん)から食事場所などを教えてもらった。桃岩荘の周囲には何もないとのことで、ユース前BS(この停留所名は桃岩荘と関係があった)近くのセイコーマートで降りて夕朝食とビールなど仕入れ、そこから歩いてうすゆきの湯へ。汗を流してからフェリー時間に合わせてターミナルに赴くと、狙い通りに桃岩荘の送迎バスが来ていた。噂通り、出港するフェリーに向かって旗を振ったりしているが、旗持ちは子供か? バスには桃岩荘の他に民宿はな心の名前も入っている。後で聞いたところでは、はな心は元ユースホステルで、ユース前BSはその名残。オーナーは礼文島入植の始祖の家系で、桃岩荘と共に経営しているのだとか。
フェリーで着いた客とともにバスで桃岩荘へ。今日はいつになく初回客が多いらしいが、一方でスタッフとツーカーの常連(若い女性だった)もいる。車中での説明(?)に曰く
・バスは乗客の掛け声がないと動かない。声が小さいとダメ。
・桃岩荘に馴染みになると、桃岩ネームが与えられる。説明しているのはダテチャン、運転手はオービスヒカル、とか。
・新桃岩<タイム>トンネルを潜ると、現実世界より30分進んだ桃岩時間が適用される。
(真面目な話では、かつて客がフェリーに乗り遅れるといったことがあり、30分前倒しで行動することになったと)
・桃岩荘を楽しむため、知性、教養、羞恥心を車中で丸めて外へ放り出す。帰りに拾っていかないと社会復帰できない。
そんなこんなで桃岩荘に到着。ここから礼文三大奇岩(桃岩、猫岩、地蔵岩)すべて見えるとのことだが、地蔵岩は少し歩かないといけないようだ。
軒下に置いてある「茨城発 67歳 日本一周中」の札を付けた自転車は以前にネットで見た気がするが、同じような旅をしている別人だろうか。
受付で明日の予定を訊かれ「8時間コース」と答えると、連泊でないと無理とのこと。8時間コースは勝手に歩くのではなく、泊り客でパーティを組むのだった。しかも、宿のクルマがスコトン岬まで送ってくれると思っていたのが実際にはセイコーマートまでで、そこからバスで出発地へ向かうのだ。自分ら二人の足であれば、早朝の浜中を起点に香深井まで歩いて夕方のフェリーに間に合う計算だったのだが、バスを使っての団体行動では到底無理だ。明日は岬めぐりの4時間コースということになる。
ベッドを割り当てられ、買ってきた弁当を食堂で食べ、洗濯機を使ったりしているうちに、桃岩荘名物、ミーティングの時間となった。礼文島の紹介などまともなコーナーもあるが、あとはスタッフ先導で歌ったり踊ったり大騒ぎ。「○気の桃岩ユース」と噂に聞いた通りだ。T中氏は蛇口の付いたパンツを履かされて「8時間給水係」に任命されていた。
ミーティングの後、8時間コース、4時間コースそれぞれに説明を受けて参加を申請する。8時間コースは7~8人いるが、4時間を歩くのは我々だけとなった。
◇本日(8/9)のルート(礼文岳)
■8/10(土)
8時間コース、4時間コースの参加者は点呼の後、5:45(実時間)に桃岩荘のクルマで出発。我々はこのままチェックアウトなので、セイコーマートで桃岩スタッフとはお別れとなる。バス初便をしばらく待ち、8時間組は浜中まで、我々は終点のスコトン岬へ。
土産物店を冷やかしてから岬の先端に下りてみる。途中、岬の腹に波にさらわれそうにして民宿が建っているのに驚いた(⇒ 民宿スコトン岬)。
曇って風が強く、波も荒い。道端には白やピンクのノコギリソウ、カワラナデシコなどが見られた。
7:40に出発。コース終点の浜中からフェリーターミナルに戻るバスは11:47なので、使える時間は正しく4時間だ。
バス道を少し戻って右へ折れると、野原の中のペンション風の建物は星観荘(⇒ ゆうひの丘Homepage)。絵になるロケーションで、宿泊料もリーズナブルだ。
その先の分岐を右に取って鮑古丹へ。クルマの入れない道で、傍らにはムラサキツメクサ、チシマワレモコウ(あるいはトラノオ)、ツリガネニンジンなど。ヨモギに付いている白いブツブツは虫こぶらしいがよく分からない。
海に落ち込む崖を見ながらゴロタ山へ。
てっぺん(180m)にゴロタ岬の標柱があって、本当の突端までは行けない。そこから下りていく草原の道は陸地の細さを感じさせて、特に風が強かった。
ゴロタノ浜に下りるとイブキジャコウソウ、ハマナスには花も実もある。
鉄府辺りでは二枚貝の穴の開いた貝殻が拾えると桃岩荘ミーティングで言っていたが、バス時間もあるので砂浜には行かなかった。ただ、玄関の軒下にたくさん置いている民家があって、実物は見られた。
鉄府で9:40。ここから浜中へのショートカットもあるが、時間は大丈夫だろうと澄海(すかい)岬の方へと進む。崖下の海岸沿いに踏み跡を辿ると、右手の岩山の上に祠が見えるところで行き止まりになった。地図を確認すると祠は鉄府厳島神社で、岬めぐりコースはここまで来ないはずだが...戻ってみると、崩壊斜面の下に道標が立っているところから登る道があるのだった。斜面に気を取られて道を見落としていた。T中氏は時間を気にしたが、とりあえず自分は坂道を上がってみると、鉄府漁港からゴロタノ浜、ゴロタ岬まで一望。そこへT中氏も上がってきた。
少し進むと澄海岬を見下ろし、神社を経て車道に下りる。車道の先が岬だが、万一バスを逃すと痛いので岬は割愛した。
あとは車道歩きで浜中へ。時期が終わって閉鎖されたレブンアツモリソウ群生地を通過し、11時前にバス停に到着。地図に「ゴマフアザラシが見られる」とある海岸に下りて時間を潰したが、荒れ気味の海に生き物の姿は見えなかった。
ターミナルに戻って、今日もうすゆきの湯。ウニ丼1万円が話題の炉ばたちどり(⇒ 食べログ)は混んでいたので、並びの食堂(民宿)さざ波でホッケの開き定食を食す。まだフェリーまで間があるので、礼文町郷土資料館に入る。クイズラリーの賞品で回したガチャはサメの歯(を模したプラスチック)のアクセサリーだった。
16:30のフェリーで利尻島(鴛泊)に渡り、ターミナルから徒歩で利尻ぐりーんひるinnへ。チェックインして食事に出たが、ターミナルとの間で唯一目に入った居酒屋は人手不足らしく入れず、DCMニコットで弁当を買って戻った。食堂で食べていると、桃岩荘で会った男性がいる。また礼文に戻るそうで、何故今日は利尻なのかよく分からなかったが、あのノリにハマった人なのだろう。恐るべし桃岩荘。
◇本日(8/10)のルート(岬めぐり4時間コース)
■8/11(日・祝)
朝、利尻山の登山口までぐりーんひるのクルマで送ってもらえる。ところが、朝食を食べていると、T中氏が「下痢をしてしまって、今日はやめておきます」。T中氏を残し、2台に分乗して自然休養林北麓野営場(標高210m)(⇒ 利尻富士町/キャンプ情報)へ。駐車車両、テント多数。宿泊者同士でつるむことなく、それぞれに出発していく。自分は登山届を書いて、5時過ぎに歩き始め。曇り。
すぐに日本名水百選の甘露泉水があるので、掌に受けて飲んでみる。特に冷たくはないが、良い水だ。岩から湧き出しているし、利尻・礼文にキタキツネはいない(⇒ 北海道森林管理局/利尻島生物群集保護林)ので、エキノコックスの心配はない。
笹交じりの樹林の道を登っていくうちガスが濃くなり、一時は降ってきそうな気配だったが、6時頃には空が明るくなってきた。次第に傾斜が強くなり、六合目(760m)・第一見晴台で雲海を見る。
七合目(895m)・胸突き八丁から一層の急登。傾斜が一段落する第二見晴台で一休みしていると、薄いガスをスクリーンにしてブロッケンが見られた。
八合目(1218m)・長官山(ちょうかんざん)まで登ってようやく利尻山頂を望めるのだが、ガスがなかなか取れない。山名は北海道長官・佐上信一の登山(1933年)を記念したもので、その歌碑が建っている。
ここの三角点(1218.7m)は登山道から離れて歌碑の先にあったようだが、未確認。下山後に一等三角点であることに気付いたが、惜しいことをした。
緩やかなアップダウンで利尻岳山小屋(1230m)を過ぎ、樹林を抜ける。ふたたび傾斜が強まり、ハイマツ帯から草原、さらに火山らしく赤茶の荒れた地面が出てくる。沓形登山コースとの合流点には登山道整備のための土嚢の運搬依頼が掲示されていた。整備は終わったようで運ぶべき土嚢は置かれていないが、その運搬先は丸太階段の先の「マリオみたいなところ」。なるほど、この斜面がザレた状態だったら、さぞ登りづらいだろう。
さらに階段状の整備が続き、最後の斜面を登って、9時に利尻山(北峰、1719m)に登頂した。神社の傍らには「天堅嶽」と刻まれた石碑(⇒ 利尻山登山路の石碑)が横たえられている。
隣の南峰(1721m)の方が少し高く道も見えるのだが、崩落が激しいため、残念ながら立入禁止となっている。西の沓形方面から南にかけては晴れたが、それ以外はやはり雲がかかり、礼文島は確認できなかった。何はともあれ、最北の百名山をゲット。山頂はスマホが通じたので、T中氏にLINEで登頂を連絡した。
20分ほど景色を堪能してから下山を開始。利尻山の花は礼文岳の部分集合という感じだが、クロツリバナやチシマギキョウ、リシリブシ(トリカブトの仲間)、シコタンハコベ辺りが目新しいところだ。
12:20に野営場に戻ってみると、駐輪場に日本一周オジサンの自転車が停めてある。桃岩から移動してきて、今晩はここでキャンプするのか。
T中氏は体調回復したものの、フェリーまでに見るべき場所もなく(ペシ岬に登る気力など互いに持ち合わせていない)、ターミナル前のTSUKI CAFEでビールなど頼んで時間を潰した。
稚内行き17:40発フェリーに乗船してみると2等に椅子席はなく(優先席には設置)、靴を脱いで上がるカーペットスペースのみ。乗船開始前から長い行列ができていたのは、良い場所を取るためだったのか。行列に並ばずに出遅れたが隅に空きを見つけ、稚内までの1時間半あまりを過ごした。
稚内ではゲストハウスモシリバに投宿。ここも予約できたのはダブルベッド(5150円 /人)だったが、何も問題なし。周囲の飲食店などは既に閉まっているので、またもやセイコーマート頼みで夕食を仕入れ、宿のダイニングで食べた。スタッフや周りの宿泊者の雰囲気も良く、施設も清潔で、満足できる宿だ。
◇本日(8/11)のルート(利尻山)
■8/12(月・祝)
チェックイン時に頼んでおいた朝食(自分はトースト1000円)をダイニングで摂る。自由に飲めるコーヒーもあって嬉しい。
チェックアウトし、バスでノシャップ岬へ。ここで初めて利尻山の全体を見るが、裾野だけは海面にたなびく雲に隠されていた。
ノシャップ寒流水族館&青少年科学館のわっかりうむ開館まで、開いていた南極越冬隊資料展示コーナーを見物。
すぐ近くに稚内観光スポットに名の出る樺太食堂があり、次々にやってくるライダーなどが入店待ちしているが、こちらはさすがに朝食から間を置かずに入るのは苦しい。
わっかりうむでは、水族館の展示や、フンボルトペンギンの餌やり、お姉さんの声にもやる気を見せないゴマフアザラシのショー、科学館のプラネタリウム(申し訳ないが眠かった)など一通り見学。
適当な時間になったので、樺太食堂へ。回転が速く、少しの待ち時間で入れた。食事そのものを除いて店内は撮影禁止だが、壁や天井一面に貼られたメッセージが圧巻。二人ともうにだけうに丼(5950円)を注文する。礼文で1万円と話題になっていたので、これが安く思えてしまう。うには甘くコメも美味しく炊けていて、大いに満足した。
手近な土産物店のあきかわ屋で自宅と叔父方にメロンなど発送。バスで稚内駅に戻り、空港行きに乗り継ぎ。15:10のANA574は20分遅れで飛び、浜松町の日高屋で夕食兼打上げをした。
2024/6/22(土) 越生・あじさい街道、あじさい山公園 ― 2024年06月22日 00:00
もう3週間以上、バイクを動かしていない。天気の良い今日、とりあえずバッテリー充電のために近場を走らせておこう。グーグルマップを眺めて、越生のあじさい街道からあじさい山公園(⇒ グーグルマップ)へ行ってみることにした。
13時過ぎに乗り出して、あじさい山公園駐車場(⇒ グーグルマップ)まで30分強。ここから公園まで結構あって、20分ほど歩く。道路の脇に色とりどりのあじさいが咲いている。
あじさい山公園のあじさいは、山の下の方にネットで囲われて植わっているのみ。「現在再生活動中のため、あじさい山公園のあじさいは鑑賞することができません」(⇒ 東京のイベントおでかけ情報)とのこと。ともかく階段や坂道を上がっていくと、アジサイよりもカエデが見事に枝を広げている。紅葉の頃にまた来てみようか。
公園の一番上の見晴台までですでに汗をかいたが、その横に、トラジマのパイプで塞がれた道がまだ続いている。見晴台のすぐ上が山頂なのだろうと入ってみると、雨に抉られたハイキング道はどこまでも登り。飲料を持たなかったことを後悔しつつ、結局見晴台から25分も登り続けて、羽賀山(566.4m)まで行ってしまった。
山から下り、あじさい街道を戻っていると、道の脇から動物が2頭飛び出し、追いかけっこをしてこちらに向かってくる。一瞬イノシシかと緊張するが、次には「なんだタヌキか」、さらに「おや、顔つきが違う。これはアナグマか」。2頭は自分の手前でふたたび道脇のヤブに飛び込んでいった。アナグマに会ったのは初めてだ。
駐車場に戻ると16時近い。往復で8km以上、標高差436mほど、思わぬ運動をしてしまった。
バイクで走り出して間もなく、目に留まったうめその梅の駅で「うめりんあんころ餅」を買って帰宅した。
■今回のルート(歩行部分のみ)
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