2024/4/2(火) 「オッペンハイマー」2024年04月02日 09:35

「オッペンハイマー」鑑賞@イオンシネマ熊谷。

昨年米本国で話題になりながら、日本公開が遅れていた。その理由の一つに<広島・長崎の惨状が取り上げられていない>点があったらしいが、実際に作品を観てみると、オッペンハイマーの幻視する閃光や周囲の人間にダブる被爆者のイメージで十分に描写されていると感じた。戦争の真っ最中に新兵器でJAPをやっつけた!となれば、単純に快哉を叫ぶ米国民が大多数であったのが現実。恨まれるのは原爆の開発者ではなく使用した自分だと言うトルーマン大統領も、その責任をどの程度まで感じていたことか。それに対するオッペンハイマーの「自分の手が血塗られた」感覚は重い。

映像にカラーパートとモノクロパートがあって、しばらくはモノクロは回想か?と思っていたが、時系列による区分ではなかった。それに聴聞会が主な舞台となることもあってセリフ=字幕=情報量が多い。その辺の映画の構造や流れを把握したうえで、もう一度観たい。

原作は大部の伝記でちょっと手が出ない。手元にある『千の太陽よりも明るく 原爆を造った科学者たち』を読み返そうか。

2024/4/11(木)~4/12(金) ほったらかしキャンプ & 山梨のオオカミ狛犬 & 北沢大石棒2024年04月11日 00:00

ほったらかし温泉に行ってみたい。日帰りツーリングでは忙しいので、桜を期待できる時期の平日を狙って、隣接するほったらかしキャンプ場のソロキャン向け<ぼっちサイト>を数日前に予約した。
ツーリングで回るところとしては、オオカミ護符のある金櫻神社を手始めに、青柳健二『オオカミは大神 弐』にリストアップされている寺社からピックアップ。金櫻神社のついでに昇仙峡ロープウェイを使って、NHK「にっぽん百低山」に取り上げられていた弥三郎岳(羅漢寺山)の酒の神様を拝んでおこう。こうしてルートを組んでみると、以前から気になっていた長野の北沢大石棒まで行けそうだ。
天気予報はうまい具合に上向いて晴れ~曇りとなったので、予定通りにrebelを乗り出した。

■4/11(木)
ジャケットは冬から引き続きだが、下はジーパン、グローブは夏用という出で立ちで、8時半に出発、雁坂トンネルを使って山梨に入る。標高を上げると風がやや強くて寒かったが、それ以外の時間は快適に走れた。

金櫻神社に12時到着、駐車場は参道階段前を通過して拝殿傍らまで上がる。参拝の後、金峰山・富士山遥拝所まで登ると、金峰山の五丈岩が見える一方、富士山は春霞のためかぼんやり。
金峰山遥拝
神社建物の周囲の桜はきれいに咲いているが、御神木の金櫻はまだ蕾だった。
金櫻神社
狼の護符は2種類(各500円)あって、両方を頂いた。神社HPに「日本武尊が御東征の砌金峯山の上のこの社に詣でられ」とある。やはりオオカミとヤマトタケルはペアなのだ。
金櫻神社の狼護符

金櫻神社の正面階段を下りると夫婦木神社が間近だったので、そのまま行ってみた。石垣の上のケヤキに注連縄が巻かれ、「自然にできた女性の象徴 雄大な男根は奥殿に」と看板にある。
夫婦木神社のケヤキ
なるほど樹木に現れた陰陽の形象で夫婦木か、と拝殿へ進むと由緒書きに「周圍十米餘、直徑三米餘、樹体の中心空洞にして男女両性をあらわし夫婦和合の形をなす」。御神体である夫婦木(拝観時に貰った紙には「みょうとぎ」とルビがある)は伐り取られた巨木で、空洞の内側へ気根のように下りている枝が男根そのもの。確かに夫婦和合の形だ。受付の女性(巫女の身なりではなかった)の説明によると、日光を求めてウロの中に枝が伸びたという。昭和33年まで自然のまま山中にあって民間の崇拝対象になっていたが、天然記念物の指定が解除されてここに移されたのだとか。拝観料(300円)を支払う価値のある自然の造形だが、当然ながら写真撮影は禁止だ。

○弥三郎岳(羅漢寺山)
バイクで昇仙峡ロープウェイへ移動。往復乗車券(1300円)を買って13:40便でパノラマ台駅へ上がった。
昇仙峡ロープウェイ乗車券
弥三郎岳には15分程で登頂できる。頂上部は岩山で、岩に刻まれた階段に覆いかぶさる松を身をかがめて潜り抜けると、甲斐駒ヶ岳~鳳凰三山の眺めが良い。そこからもう一段上に1058.3m三等三角点がある。
弥三郎岳
山頂手前に酒の神様・弥三郎権現が祀られており、文字の消えかけた由緒書きには次のようにある。
<その昔、甲斐国、御岳(みたけ)(今の昇仙峡)にある名刹羅漢寺に弥三郎という酒造りの名人が寺男として住んでいました。この弥三郎は、武田家の勝ち戦の祝い酒などを造り、大変重宝がられておりました。が、この弥三郎は大の酒飲みで失敗が多く、その非を住職にいさめられ、一斗の酒を最後に禁酒を誓い、その夜、この頂上より天狗になって消えてしまったと伝えられ、いつの頃からか、ここは弥三郎岳と呼ばれ、弥三郎権現としてこの頂上の南側絶壁の岩穴に、現在も酒の神として本殿が祀られております。>
これからも旨い酒が飲めるようお願いした。
弥三郎権現
ロープウェイ駅に戻り、和合権現を拝む。これまた見事な和合ぶりのご神木が、富士山の強い気を受けて強力なパワーを有している、と。昭和39年にここに移されるまで、夫婦木神社の御神体とは別に山中で崇拝を受けていたのだろうか。こんな造形が二つも自然に生まれるとは、不思議なことだ。
和合権現
富士山遥拝所から薄ぼんやりした富士山を眺め、14:40便で仙娥滝駅に降りた。

ロープウェイ駅から歩き。夫婦木神社姫ノ宮に参拝した後、仙娥滝へ。地殻変動による断層によって生じたという、なるほど岩の割れ目をさらに削り広げるように落ちる、美しい滝だ。
仙娥滝

来た道を戻ってフルーツラインに入り、ほったらかしキャンプ場に16時過ぎ到着。受付で宿泊料3500円を支払い、ぼっちサイトへ乗り入れる。本当のキャンプ客はこの時間にはもう落ち着いており選ぶほどの空きは無かったので、目に付いた中段の真ん中(区画No.16)へ停めた。自分は登山用のソロテントでチェアさえ用意していないが、周囲はキャンプ用のテントやタープを張り、焚火を楽しんでいる。富士山は相変わらずぼんやりだが、ともかく眺めは良好。
ほったらかしキャンプ場から富士山
ほったらかしキャンプ場
寝場所を確保してからほったらかし温泉へ。こっちの湯はすでに最終受付の16時を過ぎており、選択の余地なくあっちの湯に入る(入浴料900円+ロッカー100円)。
ほったらかし温泉
湯舟に浸かって右寄りに富士山、左方に大菩薩連嶺と眺めは雄大。写真撮影はできないので、カシミール3Dによる景観図を載せておこう。
ほったらかし温泉からの眺望
自販機で缶ビールを買ってテントに戻り、食事の用意。米1合と混ぜてメスティンで炊くだけというスパイシー炊き込みご飯風なのだが、米だけを炊くより火力が必要だったらしく、固形燃料を追加投入した挙句に芯の残った雑炊になってしまった。ビールの他に持参した黒糖焼酎をお湯割りで飲んで就寝。

■4/12(金)
賞味期限切れのインスタントラーメンで朝食。キャンプ客がのんびりしている中、7:20に出発。
グーグルマップの経路案内に従って甲府市街地に入ると、道路混雑のため遅々として進まない。通勤通学時間帯に甲府の中心地・丸の内を通り抜けるのが、本当に最短だったのか?
ようやく市街地を抜け出して快適に走っていると、集落の中で左折し損なった。が、経路案内はそのまま前進を示すのでこの先で左折するのかと思っていると、何のことはない、どん詰まりのゴルフ場で折り返せというのだった。グーグルマップは案内ルートを広く見通せないのが欠点だ。

 山梨県韮崎市穂坂町上今井2234 ⇒ グーグルマップ
 青柳健二氏ブログ「一心一写」 ⇒ https://asiaphotonet.cocolog-nifty.com/blog/2020/10/post-c4d125.html
9時、グーグルには神社間近から登りの細道に入るよう案内されたが、バイクで行けるのか怪しいので、路肩に駐車して歩く。土道の先に現れたのは参集殿で、続けて神楽殿もあり、思ったより立派な神社だ。その奥の鳥居が、自然木を組んだ、ちょっと息を呑むようなもの。神域への入口に相応しいが、異界へと誘われる心地もする。
山神社
拝殿には大下駄が置かれ、その間から木を四角く組んだ「御腰掛」を拝む形になっている。御腰掛の上の斜面に鉄剣が建っているが、おそらく山自体が礼拝の対象で、御腰掛に神が寄り付く(腰掛ける)のだろう。
山神社 拝殿
狛犬は御腰掛の左右を守っている。頭上の角(宝珠?)やたてがみの表現、巻いている尾など、あまりオオカミらしくないが、青柳氏は『オオカミは大神 弐』で「山神社に奉納されているので、山の神の眷属、狼なのだろう」としている。台座には「文化十酉年四月吉日」とある。1813年だ。
山神社 狛犬
山神社の狛犬
拝殿横に置かれているパネルのような物は何かと思ったら、巨大な天狗面の裏側だった。別棟に保管された鬼瓦に「葉っぱをかたどった物は天狗の持ち物です」と説明書きがあり、すると大下駄も天狗の履物なのだろう。
入ってきたのは拝殿の左側からだったので、正面の石段を下りた。道路に面した石灯籠には「文化三年」とある。参集殿傍らの由来碑は「文武天皇御宇慶雲元甲辰年」(704)や「聖武天皇の御代神亀元甲子年」(724)から説き起こしており、とにかく古い。天狗はともかく、山そのものを祀る形や素朴な鳥居など、祭祀の原初を窺わせる興味深い神社だった。

○神明山法泉院
 山梨県韮崎市穂坂町5481 ⇒ グーグルマップ
 青柳健二氏ブログ「一心一写」 ⇒ 
https://asiaphotonet.cocolog-nifty.com/blog/2020/10/post-9e7a11.html
10分足らずの走行で法泉院に到着。川沿いの集落の最奥で、門前をその名も権現沢川の流れる風情はなかなか良い。山門を潜り本堂の門構えに向かって右側、石段横にお地蔵様などと並んで小さなオオカミ像が三体並んでいる。一つは顔が欠けてしまっているが、素朴な彫りで可愛らしい姿は、大嶽神社の宝暦九(1759)年の狛犬(⇒ 2010/11/21 奥多摩・大岳山~御岳山)を連想させる。
法泉院のオオカミ狛犬
法泉院のオオカミ狛犬

 山梨県韮崎市中田町小田川1259 ⇒ グーグルマップ
 青柳健二氏ブログ「一心一写」 ⇒ https://asiaphotonet.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-6294b6.html
次は国道141号に出て、柳原神社へ。
国道脇に看板を見るがプレハブのみで神社らしき建物は無く、グーグルに従ってその先の細道に入る。が、神社はやはり看板の場所で、一回りして駐車。社殿の移設中らしく、神社はプレハブに納まり、石仏や灯篭などの石造物は整地された一角にまとめて置かれていた。
柳原神社
互い違いを向いた狛犬越しに鳳凰三山が美しい。
柳原神社の狛犬
狛犬の顔やたてがみの造形は山神社のものとよく似ており、青柳氏も言うように同じ石工の手になるものかもしれない。年代は不明だが、傍に置かれた手水鉢の年号は「文化乙亥」と読めそうで、それが正しければ文化十二=1815年であり、狛犬も同じ頃と考えて良さそうだ(台座に「女歳寅」あるいは「九歳寅」とあるが、年号には結びつきそうにない)。
柳原神社の狛犬
柳原神社の狛犬

○常牧山浄居寺(じょうぼくざんじょうこじ)
 山梨県北杜市明野町浅尾新田132 ⇒ グーグルマップ
 青柳健二氏ブログ「一心一写」 ⇒ https://asiaphotonet.cocolog-nifty.com/blog/2020/07/post-4846f0.html
「この先寺で行き止まり」と看板のある道を入って行く。寺の庭は枝垂桜などが満開で、今回、花の美しさではここが一番だった。軒下ではつがいの燕が巣作りの真っ最中だ。
浄居寺
目当ての狛犬は本堂裏の庭園から堀を隔てた斜面に、「お稲荷様」として石祠の前に一体、その下に三体が並んでいた。橋を渡り墓地の前を横切って祠に近づく。
浄居寺の「お稲荷様」
どれも黒っぽい石材で、表面のザラツキは彫りのタッチか、それとも風化の結果か? 祠前の一体は目鼻立ちは判然としないものの、今回見た中では法泉院のオオカミに近い造形が感じられる。しかし、尾が上を向いて立っている点はキツネ的だ。
浄居寺の「お稲荷様」(祠前)
並んだ三兄弟の方は脚と胴の間が掘り抜かれておらず、表面はさらに荒く、一層古拙な印象。形からすれば奥多摩のオキノ十二天(⇒ 2015/9/22 奥多摩・日蔭指尾根~十二天尾根)や栃寄の山ノ神(⇒ 2023/4/11 奥多摩・栃寄の山ノ神~オオカミ狛犬探訪)に似ている。
浄居寺の「お稲荷様」(三兄弟)
これらの「お稲荷様」像はどれもオオカミとは断定できないが、自分的にはオオカミ狛犬として認定したい。

11時過ぎに浄居寺を出発、次はずっと北上する。途中、塩川ダムのみずがき湖ビジターセンターがあったので昼食にしようと立ち寄ったのだが、金曜は営業していなかった(今の時期だけ?)。

 山梨県北杜市須玉町小尾3805 ⇒ グーグルマップ
 青柳健二氏ブログ「一心一写」 ⇒ https://asiaphotonet.cocolog-nifty.com/blog/2017/06/post-7b48.html
昼前に神部神社に到着。説明看板には県指定有形文化財の本殿は1613年建立、神社の創建は701年、「延喜式」に載るとあり、つまり式内社ということだ。山神社ともども長い歴史を刻んでいる。
神部神社
オオカミ狛犬は拝殿の階段の左右に控えていた。ころんとした体形で、青柳氏は「子犬のような」と表現している。目鼻は線彫りで、左右とも口を閉じているように見えるが、向かって右が阿形のはず。こちらは股に一物がある。秩父の宝登山では左の吽形が雄だった(⇒ 2016/7/18 金鑚神社~宝登山)が、阿吽と雌雄の組み合わせは自由なのだろうか。
神部神社の狛犬
神部神社の狛犬

神部神社を出て信州峠へ向かう。瑞牆山のちょうど西に当たる黒森の集落辺りから、険しい山容が眺められた(下の写真はドライブレコーダーの動画から切り出し)。
走行中に瑞牆山を望む
峠を越えて長野に入り、やがて小海線と並行して走る。コンビニのサンドイッチで昼食にし、北沢大石棒の案内板を見て細道へ折れた。

○北沢大石棒
 長野県南佐久郡佐久穂町高野町1421 ⇒ グーグルマップ
 奈良文化財研究所/全国遺跡報告総覧 ⇒ https://sitereports.nabunken.go.jp/ja/71741
ところが、次の案内板には「北沢大石棒は、保存作業を行うため、茂来館にて展示」との貼り紙が。ともかく元々の場所を見ておこうと、そこから土道に入って駐車した。すると中年男性がやってきて「大石棒ですか?」 石棒の立っていた場所(写真の矢印の小屋辺り)は工事中で今は看板が倒れているだけだが、レプリカを立てる計画があるなどの話をしてくれた。もしかすると、地主=石棒の所有者だったのかもしれない。
北沢大石棒の現地
北沢大石棒の現地
ここまで来て石棒を見ずに帰れるものかと、花の郷・茂来館へ。石棒は入口からすぐにレプリカともども展示してあった。付近の遺跡との関連や、一緒に出土した自然石(現地の看板の傍にあった大石か?)との関係の有無など、謎が多いと説明書きにある。実物はケース入りで触れられないのが残念だが、その代り、屋外に立っていては見えない頂部や底部を観察できた。
北沢大石棒
北沢大石棒
佐久穂町では石棒の保護・活用のための寄付を募っている(⇒ https://www.town.sakuho.nagano.jp/kurashi/bunka/bunka/shogaigakushuka_3248.html)。

見るべきものを見て14時。帰りは高速道を使い、渋滞にも遭わずに済んで16時に帰宅した。二日間の走行距離約420km。

2024/4/16(火)~4/17(水) 西丹沢~石割山2024年04月16日 00:00

6月の無名山塾のカモシカ山行(本科応用ステップの夜間行動)を担当するに当たってルートの下見。今回は個人山行として、本番でサブリーダーを務めるT中・H氏と、他にI本・I氏に声を掛けた。西丹沢、道志はそれぞれに歩いている(2022/12/19~12/20 畔ヶ丸~加入道山~大室山2021/11/14~11/15 御正体山~杓子山)が、両エリアを繋ぐのは初めてだ。天候は、曇りから水曜朝方に雨の後、晴れの予報。

■4/16(火)
新松田駅のバス乗り場でI本氏が、出がけに足首を捻って痛いが歩きながら様子を見る、と言う。T中氏も乗車し、西丹沢ビジターセンターへ。平日というのに案外と駐車台数が多い。
ビジターセンターを9:50に出発。西沢沿いに堰堤を越え、丸木橋をいくつか渡る。20分ばかり進んだ橋の無い箇所に少々手間取ったが、山行後のI本氏情報によると、上流10m程に赤テープがあり浅くて渡り易かったとのこと。
出発から1時間、沢から離れると傾斜がキツい。畔ヶ丸を目指している先行パーティを追い越す。11時半、950m地点でI本氏はやはり足が痛むので引き返すことになった(上記の渡渉点情報はこの下山時のもの)。
T中氏と二人になり、痩せ尾根の善六ノタワ(1040m)を11:40に通過。カモシカ本番では下の沢沿いからこの辺りまで、明るいうちに済ませたい。6/1の日没は18:50頃なので、17時行動開始で大丈夫だろう。
善六ノタワ
12時半、畔ヶ丸(1292.3m)に到着し、山頂で休憩。腰を上げて避難小屋を覗いてみると、若者が7~8人もいた。トイレもあって快適そうな小屋だ。
畔ヶ丸避難小屋
避難小屋からモロクボ沢ノ頭へ向かう途中、砂地(花崗岩の風化した真砂土)の下り斜面が滑りやすいが、クサリも付いており、危険というほどではない。
前回は加入道山へと北上したので、この先、モロクボ沢ノ頭から石割山分岐(石割山~御正体山の縦走路)までが初めてのルートとなる。モロクボ沢ノ頭から間もなく、小ピークの鞍部で尾根が細い。周囲が見えていれば何の問題もないが、暗いと要注意かもしれない。
痩せ尾根
大界木山(だいかいぎやま、1246m)を越えると浦安峠への分岐。指導標の柱に「横浜市水道局」とある(⇒ 横浜市/道志水源林)。
ベンチのある城ヶ尾(じょうがお)峠で一本取り、城ヶ尾山(1198.7m)を14時に通過。地形図の1240m地点に「中ノ丸」のプレートが取り付けてあったが、昭文社山と高原地図「丹沢」(2022年版)では、その先の小ピークを中ノ丸としている。
地形図1229mの手前に「ブナ沢ノ頭」の指導標があるが、ブナ沢乗越から下って出会う沢がブナ沢ならば、この位置には無理がある。1229と乗越との間とする山と高原地図が正しいのだろう。
地図ではブナ沢乗越から少し下れば水場なのだが、事前に参照したネット記録には水汲みに片道40~50分というものがあった。今回は二日分の水を担いできたので、乗越から分岐の先を確認することはせずに通過し、15時に菰釣(こもつるし)避難小屋に到着した。山と渓谷オンラインには「収容人数10人」とあるが、それは土間まで使った場合だろう。
菰釣避難小屋
菰釣避難小屋
間もなく、途中で追い抜いてきた父親と息子の二人組が入来。その後に到着したパーティは外にテントを張った。テント組が水汲みから戻って「立派な沢で涸れることはない」と話していたが、地図に二個所ある水マークのどちらまで行ったのだろうか。

■4/17(水)
準備中に外を見ると降っていたため雨具を着け、5時半に出発。しかし、歩き出すとガスはあるものの濡れるほどではない。その後しばらく、空が明るくなったりまた雨の気配になったりしたが、山伏(やまぶし)峠に向かう頃には晴れてきた。
避難小屋から30分足らずで菰釣山(1379m)に登頂。南に伸びる尾根を5分程進んだ先にある三等三角点(1347.9m)を往復した。いったん雲が切れたが、富士山は裾野のみ。
菰釣山から富士山方向
ブナノ丸、油沢ノ頭、樅ノ木沢の頭(地形図1306m)、西沢ノ頭とアップダウン。丸太階段や土嚢で良く整備されているが、西沢ノ頭からの下りには、暗い中で道から外れるのを警戒すべき箇所があった。
西沢ノ頭からの下り注意箇所
7:40に石保戸山(西ノ丸、1297.0m)。山頂の周囲に岩が目立つ故の山名と思うが、読み方が分からない。奥秩父の笠取山近くにある同名1673m峰は「いしやすどやま」(『日本山名総覧』は「いしほどやま」と併記)だが、こちらは?
石保戸山
大棚ノ頭(1268m)手前で送電鉄塔を見上げる地点は、道の穴ぼこにトラロープが張られており要注意。
穴ぼこ道
山伏峠付近は道が錯綜している。直進よりも明瞭な左へと辿った箇所は、作業道と思えた直進が正解だったらしい。多少外しても方角を合わせておけば復帰できるが(反対方向から来た場合は、入り込みそうな道がさらに多いようだ。それらは峠に向けて合流?)。国道への分岐がある遊歩道上の峠は地味だが、その先の左手に鳥居を構えている社が峠の神様なのだろう。
山伏峠
山伏峠の神社
9:20 石割山分岐で休憩。本番時にはこの辺でもう明るくなっているだろうか。
地図に「崩壊地」とある手前で、赤土の道が少々滑りやすい。滑っても今は尻餅をつく程度だが、本番では疲れもあるから、捻挫でもしないよう注意。崩壊は地図の地点よりも、バイケイソウの多く生えた道を過ぎ、地形図1446m地点(日向峰)に向かって尾根が細くなった箇所に目立った。1446mの南を通過する笹の間の道が今回最高地点だ。鉄塔巡視路を分け、石割山手前の細尾根にも崩壊地あり。崩壊箇所にはいずれもトラロープが張られている。
石割山手前の崩壊地
10:20、石割山(1412.3m)に到着。富士山にかかる雲が消えないかと暫く待ったが駄目だった。
石割山
石割神社を拝み、長い長い階段(403段あるとか)を下りた。
石割神社
石割神社
国道から石割の湯へ回って11:40。地図によると神社の階段の上にあった休憩舎から直接温泉へ下りる道があったのだが、見落とした。
入浴と食事を済ませ、富士山駅までバスを利用。山中湖の周囲には富士山と桜目当てか、外国人観光客が多かった。

■今回のルート
西丹沢~石割山ルート_1
         ↑1日目
西丹沢~石割山ルート_2
         ↑2日目

2024/4/23(火) 「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章」2024年04月23日 18:50

「デッドデッドデーモンズデデデデデストラクション 前章」鑑賞@ユナイテッド・シネマわかば。
映画公式サイト ⇒ https://dededede.jp/

脚本が吉田玲子であることに気づき、公開から1箇月遅れで観た。アニメーションディレクター(監督とどう違う?)は「ぼくらのよあけ」(⇒ 2022/10/27 「ぼくらのよあけ」)他の黒川智之。
吉田玲子にSFのイメージは薄く、「ガルパン」「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」の世界線がある意味SFであるくらいだが、本作もまた、侵略者(?)の母艦出現というSFの王道で幕を上げながら、いきなり日常生活の続く3年後へ舞台は移って、前章はとりあえず<女の子>(変化球の子も後章に向けて登場)たちの関係性の物語。たぶん原作コミックのままなのだろうが、凰蘭の表情、喋りが良い。
もう一つの現実、侵略者に対する米軍や自衛隊の暗躍といった不穏な空気を湛えつつ、その日常から世界の危機へと舞台が拡大するのであろう後章が楽しみだ(来月末までお預けか~)。

2024/4/28(日)~4/29(月) 雁ヶ腹摺山~岩殿山2024年04月28日 00:00

3月に時間切れで未踏破となった大菩薩連嶺の東側ルート(⇒ 3/14~3/15 大菩薩嶺・鹿鳴ノ滝~大峠)を片付けよう。今回は大月駅から上和田までバスを利用し、昭文社山と高原地図の破線ルートを西進して雁ヶ腹摺山を踏み、大峠に泊。翌日、雁ヶ腹摺山から実線ルートで姥子山~セーメーバンと南下し、最後に岩殿山から大月駅へと戻る周回計画。晴れから曇り程度の予報を狙って出掛けた。

■4/28(日)
9時にバス終点の上和田に着。晴れ。
地図によるとバス停の先から左に逸れる道がある。ここかと思って「仙元塔」碑の建つコンクリ舗装に入ったが、これは違った。
上和田 入口誤り
民家の庭先にいた人に尋ねて、そこから細い踏み跡で正しい道に出た。コンクリ舗装の先に入口のあった道は小さな橋を渡って登り坂となる。集落のはずれで「水無山・大峰」の指導標に従って山に入った。
上和田 山道入口
しかし、そこから踏み跡ははっきりせず、赤テープなどの目印も見当たらない。地形図の徒歩道(破線)は今見上げている尾根の向こう(北)側についているが、地図の登山道は尾根を忠実に辿って水無山に上がる。適当に登っていくと歩きやすい道に出て赤テープも付いていたが、あえて外して高いところを進んだ。足元に山桜の花びらが散っている。
上和田から約600mの登りで、10:45に水無山(1139m)。平坦な疎林の山頂を少し東へ進んで探してみたが山頂標は見当たらなかった。落ちていたベニヤ板がその残骸か。
明るい灌木の道で大峰へ。山梨ではお馴染みの「恩」(恩賜林)のコンクリ標石がある。11:40、小さな祠のある大峰(1403m)で休憩。1420.7m三等三角点の泣坂ノ頭を通過し、アップダウンしながら1409mを経て送電線を潜った。
1409近くの送電鉄塔
その先で地図に「送電線巡視路の分岐に注意」とあるのだが、まんまとこれに嵌まった。1410mで登りを前にして右に誘導する赤テープがあり、小ピークを巻くのかとそちらへ行くと、トラロープを張った崩壊地を渡っている。踏み込むと水を含んでグズグズとしており、崩壊するのも無理はない。
巡視路崩壊地
崩壊個所をクリアして尾根に戻るのだろうと思いきや、道は尾根に沿ってむしろ下がり気味に続いている。道を無視して尾根に上がるか、いや、もう少し辿ってみるか・・・と進むと支尾根に当たって方向を変えていくので、これはダメだと強引に支尾根に這い上がった。支尾根から元の尾根に戻る地点(1540m)に立っていた泣坂ノ頭を指す指導標は、反対方向(西)から来た時に支尾根に入るのを防ぐ目的だろう。見るからに登山用の赤テープに騙されたが、思い返してみると崩壊地にあったプラスチック階段は巡視路によくあるものだ。尾根を外してから戻るまで40分、正しいルートに対してロスタイムは20分程度だが、傾斜が急で足元が悪い分、時間以上に疲れた。
地図に「展望良い」とある1597mの送電線鉄塔を潜り、14:50にここも三等三角点の大樺ノ頭(おおかんばのあたま、1776.7m)。
1597m鉄塔
大樺ノ頭
大樺ノ頭と雁ヶ腹摺山との中間の鞍部付近で、穴の中に黒い糞が収まっているのを見る。これは以前に真夏の山中で見かけて、獣の習性か虫の仕事か、それとも虫屋による罠かと思ったのと同じものか?(⇒ 2016/7/24 笹子峠~旭山/糞虫の謎) 今回のは獣のもののように見える。
糞穴
雁ヶ腹摺山に向けて最後の登り。踏む人が少ないためか古びても崩れていない階段を踏み、15時半、秀麗富嶽十二景の一番山頂(1874m)に登頂した。ここにいた単独男性が今日山に入ってから見た最初の人間。残念ながら富士山方面は雲が掛かっている。景色は明日に期待することにしよう。
雁ヶ腹摺山
雁ヶ腹摺山
単独男性はいなくなり、こちらも10分ほどで腰を上げた。山頂下の枯れた草原から指導標に従って大峠へと下る。さすが実線ルート、これまでと比べて格段に歩きやすい。水場「麗水 御硯水」は峠も間近い1570m付近にあった。パイプから落ちている水をプラティパスとペットボトルに汲み、少し奥の流れを手で受けて顔を洗う。
御硯水
大峠には16時半到着。上和田から7時間10分、地図のコースタイムを10分オーバーした。駐車場にはクルマが1台、原付バイクが1台いるが、この時間なら散策する人もいないだろうと東屋内にテント設営した。
大峠
落ち着いてみると、壁の上の方から「チッチッチーチー、ガサゴソ」。ログハウス風の木組みの間に何か巣食っているらしい。最初は鳥かと思ったが、どうやらネズミか何かの小動物のようだ。
新たに上がってきた若者もいたが、やがてクルマ類は皆下りて、峠は無人となった。薄暗くなっても鳥が囀り鹿が鳴いていたが、夜は静かだった。

■4/29(月・祝)
朝食を済ませて峠のトイレを使ったところ、詰まり気味で少々焦る(帰宅後、大月市HPから一報しておいた)。出発準備中に、朝の富士山狙いであろうクルマが1台上がってきた。
4時半に行動開始し、雁ヶ腹摺山に上がると5:15。夜明けの富士山が美しい。上手い具合に月もちょうど上に出ている。
雁ヶ腹摺山からの富士山
月と富士山

500円札の富士山
旧500円札の景色を楽しんでから、大月へ向かって南下開始。
高度を下げていって林道を横切り、姥子山への登り。地形図に標高1503m記載のある西峰は地味な小ピークで、その先の東峰が秀麗富嶽十二景。雁ヶ腹摺山と並んで、ここも一番山頂だ(⇒ 大月市観光協会/秀麗富嶽十二景)。
姥子山西峰
姥子山東峰
山頂標の足元に「山神社 5分」とあるので、山頂から東へ(地図の破線ルートで、1327mを経て林道に至る)少し下りてみると、南側を見晴らせる岩の上に祠が祀られていた。この下の集落を見守っているのか、氏子と思われる氏名を記した板が納められていた。
姥子山の山神社
林道まで戻り、舗装路を5分ほど歩く。ガードレールに「この先約100m付近で携帯電話が使用できます」との掲示あり。
ふたたび山道に入り、「登り尾根」を下る。1200m辺りから右側斜面が大きく伐採されて鹿避け(?)ネットが張られおり、ネット沿いに尾根末端まで進むと荒れた林道に出合った。手持ちの地図(2023年版)には尾根を途中で下りて百間干場(ひゃっけんほしば)まで道路を10分とあるが、伐採のため百間干場近くまで尾根を辿るように変わったのだろう。
沢沿いの道に金山峠への指導標がやたらと立っている辺りが百間干場だと思うが、地名表示には気付かず、登り道に入る。
百間干場
金山民宿村への分岐がある金山峠を通過(地形図では送電線を潜った先の鞍部が峠になっている)し、次の分岐を大垈山方向へ。地図に「尾根の北側を巻く」とある通りに道が付いているが、巻き終えたところに立っていた大垈山への指導標は巻いてきた尾根を指しているように見える。足元がフカフカと踏まれていないのを怪しみながら行ってみたが、やはり何もなく引き返した。実際の大垈山山頂は樹齢約300年の白ブナの先の小ピークで、三角点は無いが山頂標では1179.8mとなっている。
白ブナ
セーメーバン(晴明盤、1006.2m)からサクラ沢峠(700m)へと高度を下げる。トズラ峠の手前で美しいセンチコガネを地面に見つけた。近くには見当たらないが、昨日見たものと考え合わせると、食事(糞)の探索中か。
センチコガネ
トズラ峠で車道を横切ると、登り口の広場に早くも「岩殿山」の看板が立っている。時刻は9時半、行動開始から5時間、いささか疲れを覚えてきた。
笹平北峰(730m)の手前に「富士山景勝地」の看板があったが、富士山は見えず。方向の変わる笹平(713.4m)は名の通りに笹の生えた箇所のようだったが、三角点には気付かず通過。
稚児落し手前の分岐を過ぎると「岩殿山 林間ルート/岩場ルート」の分岐道標あり。地図でも地形図でもこの辺は天神山に向かって一本道で、よく分からないが岩場方向へ進む。振り返ると大岩壁。足元も岩盤からすぐに崖で、万一転落すれば一巻の終わりだろう(こちらのブログに良い写真がある ⇒ 週末は山を目指す/岩殿山)。
稚児落し
岩場を過ぎるとまた「林間ルート/岩場ルート」の指導標。林間ルート=送電線巡視路か?と思いながら直進すると、大峠以来初めて人に会った。天神山(590m)山頂の石祠には天神様の像が祀られている。
進んでいくと、「進入禁止 崩落のため」のトラロープがあり、そのまま「林内コース」へ。地図、地形図で兜岩のピークを北側に巻いている箇所だ。巻き終えた反対側も当然進入禁止だが、岩壁にクサリやロープが残っている。楽しいルートだったろうに残念だ(先に引用した「週末は山を目指す」は7年前にこのルートを登っている)。
兜岩は進入禁止
またもや「岩殿山 鎖場/林内経由」の分岐道標があるので、ポールを収納し、手袋を着けて「鎖場」へ。まずトラロープ付きの坂が現れて拍子抜けするが、次が本当のクサリ場で、女性二人が後続が上がるのを待っていた。下に何人もいるとのことで、割り込みで下りさせてもらう。十分な足場もあって難しくないが、Tシャツ姿では岩肌に肘を擦りそうになった。下の写真は、自分が下りきって、待っていたグループが登っていくところ。
クサリ場1
続けてもう一段。こちらは誰もいなかったのでサッと下りた。
クサリ場2
また「稚児落し(林間コース)」指導標を見る。先ほどのクサリ場を避けて、地図で小さく北側に巻いているルートだろう。
「岩殿城の入口にあたる」と説明看板のある築坂峠から、いよいよ最後の登りにかかる。石段の傍らに「落石の恐れがあるため強瀬側へは下山できません」の看板。大月駅に一番近いこのルートを下る予定だったのに。続く石段の急坂が疲れた身体にキツい。揚城戸跡は、大岩に城門の柱(?)穴が残っている。
揚城戸跡
頂部西端にある「三角点大1」と刻んだ標石は何だろう? 裏には「日道公」とある。国土地理院の三角点は岩殿山には無い(笹平は含めないとして)のだが。
日道公三角点
そこから高い方へ行き、ようやく頂上だと思ったら「秀麗富嶽十二景 八番山頂この先」。馬場跡、倉屋敷跡などを過ぎ、11:50、岩殿山(634m)に登頂した。富士山は見えなかったが、山頂手前で満開のツツジが出迎えてくれた。
岩殿山
ツツジ
岩殿山からの下山路は、地図で実線の畑倉ルートの他、破線の東ルート、強瀬ルートがある。が、先ほど通行止めを確認した強瀬ルートに加え、東ルートも案内は見当たらず、電波塔裏の入口らしき箇所もトラロープで封鎖されていて下りられない様子。仕方なく、遠回りの畑倉ルートを採った。
ほとんど下りきったところで、「鬼の岩屋」の指導標に従ってみる。岩壁が庇状に張り出して上から水が落ちており、岩陰遺跡でもありそうな雰囲気。岡山の向こうを張る大月桃太郎伝説の一環だった。
鬼の岩屋
畑倉登山口に12:20下山。コースタイム8時間5分よりは若干早かった。馬頭観音と並んでいるのは、山梨によくある丸石道祖神のひとつか?
畑倉登山口
車道を歩く途中で、東ルート、強瀬ルートとも山頂へは行けないことを確認した。13時前に大月駅に戻り、うづき(⇒ 大月観光協会/食べる)で生ビールと餃子定食(計1500円)。

■今回のルート
雁ヶ腹摺山~岩殿山ルート

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