2021/10/8(金)~10/12(火) 小無間山~茶臼岳 ― 2021年10月08日 00:00
無名山塾の自主山行。3年前に台風による現地の通行止めでキャンセルした計画のリベンジ。T中・H氏との二人パーティで、全体計画は以下の通り。
・10/ 9:白樺荘→No.9鉄塔脇→1452→小無間山→大無間山→三方嶺→小根沢山→アザミ沢ノコル付近(テント)
・10/10:アザミ沢ノコル付近→大根沢山→信濃俣→百俣沢ノ頭→光小屋(テント)
・10/11:光岳小屋→易老岳→茶臼岳→茶臼小屋(テント)
・10/12:茶臼小屋→茶臼岳登山口→白樺荘
■10/8(金)
移動日。
大井川鐡道は金谷~井川を3日以内に往復するなら周遊券がお得なのだが、今回は片道切符を買った。千頭から先の南アルプスあぷとライン(井川線)はもともとダム建設のために敷設された路線で、小さな車両が山と渓谷の際をカーブで車輪をキーキーと鳴らしながら走っていく。アプトいちしろ~長島ダム駅間は日本唯一のアプト式で、いちしろで電気機関車を連結する様子が見られた。
長島ダムや奥大井湖上駅周辺など散策してみたいところだ。終点の井川駅には売店など無く、地区の自主運行バスを待つ間、井川五郎ダムに付設の井川展示館を見学。バスは井川本村の細い道をバス停を拾いながら行くが、白樺荘まで貸切状態だった。
白樺荘は二人部屋で夕食と朝の弁当(おにぎり二つ)を付けて\6330とリーズナブル。茶臼岳の見える温泉で、明日一日で我々と同じルートを上がり大根沢山(おおねざわやま。以下、山名の読みは白山書房『日本山名総覧』による)から田代沢ノ頭を経て白樺荘へ戻るという単独男性と話をした。日帰り装備とは言え相当な健脚だ。
■10/9(土)
晴れ。白樺荘を5時に出発、車道を30分ほど歩き明神橋を渡ったところの法面に付いたハシゴ(コンクリに埋め込まれたステップ)が登山口になる。傍らに水が流れており、昭文社の山と高原地図(手持ちは2018年版。以下「昭文社地図」)にも「水」マークがあるが、水は白樺荘で汲んできた(自分は4.5L)。
ハシゴを上って送電鉄塔の巡視路に入るとロープの連続する急傾斜で、小沢を横切る箇所が特に不安定。地形図1080地点付近のNo.8鉄塔で送電線を潜り、No.9への案内板を通過(No.9鉄塔は通らない)、1310m付近で小無間山への尾根に乗った。尾根道はしっかりしており、古い指導標もある。地形図に明神橋から小無間山への道の表記は無く、昭文社地図でもNo.9鉄塔脇までの巡視路が赤破線の他はグレーの細線なのだが、昔からの登山道なのだろう。いったん廃れた道が、井川湖(田代)からの登山道崩壊に伴い再び歩かれるようになったということか。10:20、小無間山(2149.7m)登頂。樹林に囲まれ落葉の散り敷いた小広場で眺望は無い。地形図では「しょうむけんざん」とルビを振っているが、『日本山名総覧』では「しょうむげんざん」だ。田代ルートの崩壊地を偵察しようと思ったが、少し行ってみただけでは見えなかった。
小無間山から三方嶺までは昭文社地図の破線ルートで稜線通し、崩壊地の際を通る箇所もあるが特に問題は無い。「大無間山←→小無間山」のプラスチックプレートが何枚も付けられており、進行方向の変わる関ノ沢ノ頭(中無間山・なかむげんざん、2109m)では尾根を誤らないよう張られたトラロープから下がったプレートに山名がマジック書きされていた。
その先、昭文社地図に「尾根を乗換える」とある地点は、広くなっているもののテープに従えば自然に進める。少し雲が出て薄いガスのかかることもあったが、大無間山手前では大根沢山越しに光岳を望めた。明神橋からピストンと言う単独男性とすれ違い、12:30、大無間山(だいむげんざん、2329.6m)登頂。山頂標の下に落ちている錆びたプレートは「大井川鉄道」と読めた。シラビソの樹林に囲まれた広い山頂で水さえあればテント適地だが、やはり眺望は無い。
山頂で休憩後、そのまま続く道を進もうとしたところ、矢印で登山道を示したプレートに「前無間 風イラズ おもり」の書込みがあった。帰宅後に調べると、前無間は山頂から南東に伸びる尾根の最初の小ピーク(2300m)で展望がある模様。風イラズ(不入)は南尾根の1990.5m三角点、「おもり」は尾盛駅で、南尾根を登ってくるルートがあるのだった(https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-3143877.html)。西側の林道から取り付いた記録もある(https://www.yamareco.com/modules/yamareco/detail-2363076.html)。いずれにせよ廃道扱いの古い道らしい。大無間山から三方嶺への道は山頂から小無間山側に戻ったところから分岐していた。三隈池(水たまりのある湿地だった)辺りから足元が低い笹原になり、踏分け道(けもの道?)が多く付いている。三方嶺(2150m、『日本山名総覧』では三方峰・さんぼうみね)に14:10到着。
西側が大きく崩壊しているのを横目に北へ向かう。
この先は光岳南の百俣沢ノ頭(ひゃくまたざわのかしら)までバリエーションルートだ。とは言え、畑薙ダム~大根沢山~大無間山も歩かれているので道は割合にしっかりしている。小根沢山(2127m)手前で行き会った大きなザックの単独女性にアザミ沢ノコルの様子を尋ねると「かなり下ってゴミだらけの水を少し汲めた」とのこと。小根沢山を越えたところで北東尾根に引き込まれそうになったがすぐに修正し、15:50 アザミ沢ノコル(1845m)手前の等高線間隔がやや開けている地点(1920m)に到達。
テント場として目星をつけておいた場所なのでザックを置いて周囲を探索し、少し下りたところにやや斜めだが2張分の場所を見つけた。ところがザックに戻ろうとして位置を見失い、少々焦る。間もなくザックを回収して、暗くなる前にテント設営できた。水は運び上げた分で炊事と明日の行動用をほぼ確保できたので、コルの水場を偵察して汲めるならば追加すればよい。
■10/10(日)
曇り。テント地を5:30に出発。
アザミ沢ノコルの右(東)側は笹斜面で、踏分け道がいくつか付いている。傾斜が急なので、水を持って登り返すことを考えると少なくとも片手は空けておくべき。笹斜面を下り沢地形を少し辿ると岩肌に細い水流があった。T中氏がそこでプラティパスに汲む間に自分はコルから50mほどまで下りてみたが、水流と呼べる箇所は無かった。ネット記事には100m下ったというものもあるが、岩や倒木で足元が悪そうだ。最初の水流も細いので、ペットボトルでは飲み口を流れに当てられないかもしれない。
コルに戻って前進、2127地点の手前で小雨(ガス?)を感じるが、この時はすぐに止んだ。2127に上がると風が通って肌寒く(9℃)、行く手の大根沢山の紅葉もくすんで見える。
大根沢山(2239.6m)に7:40登頂。樹木に囲まれた空間で、ここに泊まってもいいだろう。田代沢ノ頭への尾根が分岐する地点は広い樹林だが、樹幹に赤スプレーで「信濃俣」「田代沢」と方向が示されていた。
信濃俣に進路を定めて広い尾根を下って行くと、踏み跡、テープ類が乏しくやや迷走したが、やがて明瞭な道に復帰した。しかし、その後もブナ沢ノコル(1849との間)までに踏み跡(と見える地形)に惑わされて尾根を外すこと2回、時間と体力をロスした。また、1900m付近で行き当たる岩壁では、左右に踏み跡があり岩を巻くのでは?と思われて偵察してみるが、直登するのが正解。岩に取り付いてみれば難しくないのだが、登るのか迷った登山者が左右に踏み跡を付けたのだろう。
大根沢山からブナ沢ノコルまではただでさえ急傾斜で、昨日すれ違った女性の体力にあらためて舌を巻いた。
ブナ沢ノコルの左(西)側斜面には水場に下りると思われる踏み跡があったが、確認はしなかった。ふと気づくと、ストラップで首から下げていたメガネが無い。どこかで枝に引っ掛けて取られてしまったのだろう。ゴミを残してしまったことは申し訳ない。
1849を越えて登っていくと尾根は細いが特に問題は無くブナ沢の頭(1913m地点)に到着。再び小雨になるが、空は明るい。西俣山(2107mピーク)もまた樹木に囲まれた広場の山頂。地形図で南下する道との分岐になっている椹沢山(さわらざわやま、2320m)から北に向かい、信濃俣(2332.1m)に14:10。三角点標石に立てかけてあるプレートの文字は消え、山名はダテカンバに括り付けた小さな板で知れるのみの地味な山頂だ。
信濃俣から急降下して小ピークをもう一つ越えた信濃俣ノコル(2090m)で雨が本降りになってきた。ここから百俣沢ノ頭まで300mの登りだが、疲れてきた上にアップダウンでなかなか高度が上がらないのが辛い。17時、バリエーションルートを突破し、百俣沢ノ頭に到着。
百俣沢ノ頭から光岳の一般道への合流までは昭文社地図の破線ルートでコースタイムは1:10。立派な指導標には「→光小屋 ←柴沢吊橋」と記され、信濃俣方向は立てかけられた板にスプレー書きされている(柴沢吊橋はここからムギウネホツを経て下りていくルートだが、寸又川林道崩壊のため寸又峡へは行けない、と昭文社地図にある)。薄暗くなる中、光小屋へと向かうが、道が沢に入った?と思ううちにロスト。暫しルートを探し、明瞭な道に戻るとすっかり暗くなって背後にはガス越しの三日月が見えていた。少し進むと今度はハイマツ帯で進路を失う。周囲を探ると踏み跡が一段下りた先に樹木のトンネル様の空間が見えたので踏み込んでみるが、到底道ではない。一段下りたところまで戻ってみると明白な道が見つかった。周囲が明るければ簡単に辿れる道なのだろうが、ヘッドランプでは視野が限られ思わぬ苦戦を強いられる。ふと気づくと頭上は満天の星空になっていた。ようやく一般道に合流し、光小屋に辿り着いたのは18:45。
今年はコロナ禍のため小屋は営業していないが、避難小屋として開放されている。寒いし疲れたので小屋に入ろうと思っていたのだが、1階も2階も埋まっており既に皆就寝中。致し方なく小屋前のテント場に設営したが、まだ水を取る仕事が残っている。ところが小屋の周囲に水場への案内が見つからない。茶臼岳方面への道を無益に辿った挙句に戻ってみると、先ほど見落としていた下り道が見つかった。昭文社地図に「往復20分」とある水場はそこからずいぶんと下った先で、パイプ2本から流れ出ている。水を持っての登り返しは途中で呼吸を整えなければならず、テントに落ち着いたのは20時過ぎだったろう。長い一日の終わりに仰ぎ見る星空では天の川に白鳥が身を浸していた。
■10/11(月)
上天気で、小屋前から見る夜明けの富士山が美しい。
テント撤収し、空身で光岳山頂(2591.5m)を踏み光石まで足を伸ばす。山頂すぐ先の展望台からは辿ってきた大無間山~信濃俣、昨日予想外の苦戦をした百俣沢ノ頭からの尾根までが一望。光石の向こうの尾根に光岳が影を伸ばしていた。
テント場に戻り、6:50 出発。イザルガ岳(2540m)で再び眺望を楽しみ、易老岳(2354m)で小休止。希望峰から仁田岳(2524.2m)を往復して、今回山行中の最高点となる茶臼岳(2604m)に12:20登頂。山頂は風が強いので、茶臼小屋まで下りて休憩した。この小屋も開放されていて2階にシュラフが一つ敷いてあったが、トイレは使用不能。ここではスマホが通じる。
計画時点では茶臼小屋泊だったが、今日の行程には余裕があるので一つ先のテント場まで下りることにして、横窪沢小屋に14時半到着。ここもまた開放されていたので小屋に入れてもらう。小屋下にある流しを備えた水場は使えなかったが、そこから沢に通じる道があり、沢水を汲んだ。光岳からこちらには思ったより人が少なく、この小屋も一晩貸切だった。
■10/12(火)
曇り。ゆっくり6時に出発、急降下してウソッコ沢小屋。クラシックな佇まいで、小屋内の張り紙によるとネズミが出るそうだが居心地は良さそうだ。同じく張り紙に「テント張り場は管理人にお尋ねください」とあり、幕営も可能なのかもしれない(ちょっと見たところ周囲に平坦地は無さそうだが)。
昭文社地図ではウソッコ沢小屋から下に吊橋が四つある。最初の4号橋は踏板が朽ちかけた感じで頼りない。その次は設置作業中で、現状は粗末な木橋。次に2号橋を渡り、次はまた設置中で重機が入っていた。沢からトラバース気味に上ってヤレヤレ峠、長い畑薙大吊橋を渡り、8:20 茶臼岳登山口に出た。
あとは延々と道路歩き。畑薙第一ダムの傍らには南アルプス遭難者の名前を刻んだ供養碑があった。末尾は平成26年だったが、もし遭難したら自分たちの名も刻まれるのだろうか。
白樺荘に10時半到着。温泉を楽しみにしていたのだが、火曜は定休日だった! 幸い休憩室やトイレを使わせていただけたので、トイレで身体を拭いて着替え、自販機で買ったビールを飲んでバスを待った。
来る時もお世話になった井川地区自主運行バスでは、運転手さんからトランスジャパンアルプスレースで活躍する望月将悟氏(井川出身)の話など聞いた。バスを井川本村内で降り、アルプスの里で食事。自分はダムカレーを頼んだ。
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