2008/3/8(土)~3/9(日) 八ヶ岳・赤岳主稜、阿弥陀北稜 ― 2008年03月08日 00:00
無名山塾自主山行。雪山バリエーションルート2本に縦走を組み合わせた、S木・Y氏(女性)の欲張り企画。参加者はK田・K氏(女性)、Y永・H氏、自分で計4人。誰も赤岳主稜は登ったことがない。
自分は雪山バリエーションは初めてで実力的に厳しいかもと思ったが、これ以上ない天気に恵まれて何とかなった。何とかはなったが、相当厳しかったのが実態。
■3/7(金)
ザックを担ぎ、靴やピッケルを入れたバッグを持って出勤、ザックは池袋駅のコインロッカーにデポ。カジュアル・フライデーで助かった。退勤後、池袋パルコのトイレで着替え、服と仕事荷物をロッカーに放り込んで新宿20:00のあずさに乗車。
仕事で乗り遅れたS木氏を茅野駅で待つこと暫し、美濃戸口までタクシー\6000。
八ヶ岳山荘2階の仮眠室は\2000で利用でき、布団も用意されている。ただ、飲料水はなく、自販機の水も売り切れだった。1階土間で寝ている人たちもいた。こちらは無料なのだろう。
■3/8(土)
[本日の予定]美濃戸口~赤岳鉱泉~行者小屋~文三郎尾根~赤岳主稜~赤岳北峰~横岳~硫黄岳~赤岩の頭~赤岳鉱泉
4時起床、5時半出発。途中美濃戸山荘で水を汲んで9時に赤岳鉱泉。ツェルトを一つ張り、不要な荷物を入れる。
9時半に鉱泉を出、行者小屋で身支度。上天気でこれから向かう赤岳がよく見える。文三郎尾根を上がり、赤岳主稜の取り付きへのトラバース(横断)入口となる遭難碑がちょうど12時。少しのんびりし過ぎた。先に登っているのはガイド登山らしい。
S木氏-K田氏、Y永氏-自分の組み合わせでロープを結び、まずK田氏が足下に顔を出しているクサリを支点にビレイ(確保)体勢を取って、S木氏が第一歩。眼下の岩に隠れたポイントにS木氏が支点を作るとK田氏が続き、そのまま取り付きのチョックストーン(岩の割れ目に詰まった石)に向かってトラバース。雪の具合によってはここが雪崩地帯となるらしいが、今は踏み跡もしっかりしていて慎重に行けば問題ない。Y永氏が続き、自分も下りる。
チョックストーン下はボルト2本に残置スリングがかけてあり、S木氏-K田氏組が支点を作ったところに自分が行く。が、K田氏がビレイ体勢をとっているのですぐには近寄れず、自分たちの支点を作れない。Y永氏に待ってもらい、手を伸ばしてボルトにカラビナを掛けて、やっと支点を構築。そうこうしているうちに、文三郎からの入口にギャラリーが出来ていた。どうやらこちらが進むのを待っているらしいが、どうしようもない。
チョックストーンの下は少し開いているが、潜れるかは微妙。S木氏は岩を越えようとして四苦八苦の挙げ句にとうとう落ちたが、もちろんビレイが効いてすぐに止まった。ここで選手交代、Y永氏が岩から下がった残置スリングとアックス(*1)を手掛かりに足を左右に突っ張って身体を持ち上げて上手いこと乗り越した。そのまま登って姿が見えなくなり、やがて「登って」の声。残った3人で相談して、まず自分がチョックストーンを乗り越えられたら、そこから女性2人を手助けすることにする。
ピッケル(自分は縦走用の長いのしか持ってない)を打ち残しのハーケンに引っ掛け残置スリングを掴み、Y永氏を真似た体勢で上がろうとするが、チョックストーンに腕を掛けた(チョックストーンは下から見た印象より薄い)ところで足場がなくなった。ジタバタして体重を移し、なんとか乗り越える。大声でY永氏にそのままロープを張っておいてくれるように伝え、ハーネスにスリングを結んでお助け紐として下ろすと、S木氏がそれを掴んで上がり、K田氏も続いた。
全員通過したのは14時過ぎ。K田氏はここが赤岳主稜の核心だと言うが、それにしても時間掛かり過ぎである。いつの間にかギャラリーもいなくなってしまった。
チョックストーンを上がったところに真新しいボルトがあったがY永氏はそこは飛ばし、岩にスリングを巻いた中間支点を経てリッジ(岩稜)を右上、ビレイ点に到達していた。雪が締まってアイゼンは効くが急斜面で高度感あり。Y永氏はずいぶん長いことここに一人でいたことになる。主稜は日が当たらず寒いという話だったが、無風快晴、時間も遅いせいか日当たり良好で寒くはなかった。
2ピッチ目はK田氏が先頭。岩のフェースを正面突破するようにアイゼンの引っ掻き傷が付いているが難しそうで、左側を巻いて上がっていく。続いて自分。巻くところがちょっとイヤだが、あとは足元に気を配っておけば問題ない。間もなくビレイ点に着くが、ボルトはK田氏が使っているので、隣のピナクル(岩の顕著な突起)にスリングを掛けて支点にする。
さて、ここと下との間で声が通らない。上がってくる途中でK田氏がS木氏に向かって「登って」と言うのを中継したのだが、それも聞こえていなかった様子。さんざん大声で怒鳴りあって、ようやく後続2人が上がってきた。
3ピッチ目、傾斜の緩い雪稜をY永氏先頭、続いて自分。中間の岩場の支点まで。
4ピッチ目、自分先頭。残置ハーケンに中間支点を取って岩を乗り越えると再び雪稜で、ボルト一つと残置スリングのビレイ点あり。後から来たK田氏はカラビナを追加して支点構築した。ここで既に16時近い。
雪稜を登ってくるK田氏
5ピッチ目、Y永氏先頭、上部岩壁の下まで。セカンドで上がるにもピック(ピッケルの頭の尖っている方)を雪面に刺しつつ半ば四つん這いだが、難しくはない。
6ピッチ目、自分が先頭。岩を一段上がって左へ向かうリッジに乗り、先行パーティの足跡を追っていく。細いトラバースには胸くらいの高さにボルトがあったので有り難く中間支点を取り、そのスリングを掴んで越える。
その先はどうも足跡が薄く、岩をよじ登りながら自信がなくなってきた。岩に遮られてビレイしているY永氏は見えない。もし変なところに入って足を滑らせたら中間支点から何m落ちるだろう、この辺でピッチを切りたいが(*2)...とそこで、垂直に近いチムニー(体が楽に入る程度の岩の割れ目)の中に新しいボルトを見つけた。やれ嬉しや、ルートは間違っていなかった。
ボルトにアルパインクイックドロー(スリングの両端にカラビナをセットしたもの)を掛け、ロープを通す。ピッケルを目の上の岩の出っ張りに引っ掛け、足元を確認して身体を持ち上げ・・・られない。右腰が固定されている!? チムニーの中、右手を上げた体勢では腰の状態が見えず、手を下ろそうにも長いピッケルを取り回す余地がない。岩に掛けたピッケルが落ちないことを確認し、冷や冷やしながらリストバンド(一端をピッケルに結び、他端の輪に手首に通す)から手を抜く。すぐにそれを左手に掛け直して左手で岩角を掴むが、一瞬岩から手が離れそうになったりして冷汗ものだ。ようやく右腰を見ると、ザックのギアラックに掛けたカラビナがクイックドローと絡んでいるのだった。狭いチムニーでロープと腰のカラビナが干渉してゲートが開いたのだろう。絡んだカラビナを右手で外し、取り回しに苦労しながらピッケルを右手に持ち直す。改めて身体を持ち上げ・・・またもや動けない(泣) 再びリストバンドを外しピッケルを左手に移して腰を見ると何も障害はない。単にロープが張っているだけだった。「Yさーん、ロープ緩めて!キツ~い」大声で伝えるとやっと動けるようになった。あとは無我夢中でチムニーを抜けると、ボルト2本に残置スリングのビレイ点があった。傍らには先行パーティの足跡も付いている。
等級としては取り付きのチョックストーン乗り越しの方が高いかもしれないが、核心はやはりこちらだろう。
残置スリングに環付きカラビナをセットしてセルフビレイを取り、下に向かって「ビレイ解除」と声を掛ける。ロープを引き上げ、右腰のエイト環に通そうとすると・・・ない!?エイト環はどこだ? 身体を捻って左右の腰周りを確認するがどこにもない。先ほど支点と絡んだ時に腰のカラビナから脱落したのだ(*3)。こんな時はハーフマストでビレイすることを思い出し、支点に環付きカラビナを追加するが、半分パニックになっていたのだろう、ハーフマストの作り方をすぐには思い出せず、無意味にインクノットを作ったりしてしまう。落ち着け、不確かなビレイをしたら命に関わるぞ。下からは「まだ?」と聞いてくるが「待って」と応え、なお試行錯誤。やっとハーフマストができたが、試しに引いてみるとさほど抵抗なくロープが出てしまう。本当にこれでいいのか?(*4) 下からの催促にエイト環を無くしたこと伝えると、「エイトノットで固定すればプルージックで上がる」とY永氏の返答。そうしてもらうことにする。
エイトノットで作った輪をカラビナに掛けて下にOKと伝えると、やがて垂壁の下にK田氏が上がってきた。様子を見に来たのだろう。その後でY永氏側の末端を固定したようだ。さらに待つと、Y永氏がチムニーを這い上がってきた。難しかったらしく、右の手袋を外している。写真を撮ってくれという身振りをするのでシャッターを押した。
ここで17時半、日暮れも近い。続いてK田氏、S木氏も上がってくるが、チムニー内に掛けたクイックドローを回収する余裕はなかった。薄暗くなる中、ザックを取り落とさないよう注意しながらヘッドランプを用意。半分沈んだ太陽を清盛の如く呼び戻したい気分だが、18時に日没。
その後は雪岩ミックスの斜面でそれほど難しくなさそうなので、アンザイレン(ロープを結び合う)だけでY永氏、S木氏が先を行き、ロープがだいたい伸びたところで自分とK田氏が続く。斜面の突き当たり、凹角の岩を越えるところで、暗くなっていることもあり先行二人もちょっと難渋したようだ。待っている間に空を見上げると流れ星がひとつ。岩を越えてみると、二人はピナクルでビレイ体勢を取っていた。
もうすっかり暗く、先行二人はさすがに寒い思いをしたらしい。K田氏の音頭で「がんばろー」と声を出し、同じ順序でさらに進む。
もうここは稜線のような気がする。目前の斜面を上がれば山頂では?と思ったらその通りだった。19:40 山頂小屋に到着。Y永氏は初めての赤岳登頂である。
小屋に入れればそのまま泊まりという選択肢もあったが、雪に半分埋もれた入口はしっかり閉まっていた。4人でツェルト(1~2人用)を被り、K田氏の靴の上にコンロを置いて湯を沸かす。行動食とお茶を出し合って回し、約1時間休憩、ようやく人心地ついた。文三郎尾根を下りるべく、20:50に出発。
一般ルートとはいえ、暗い中で足元を見誤って滑落すればそれまでだ。ルートをよく知っているK田氏を先頭に慎重に下降。ルートはよく踏まれて締まっているので助かった。
山頂近くの厳しいところを無事に過ぎて文三郎尾根に入ると、正面より少し右手の山(横岳?)の樹林帯斜面にヘッドランプのような光が一つ。Y永氏とあんな所に人がいるのかなと言っていると、それがスッと動く。早い。止まったかと思うと不規則に動いて、たちまち麓近くまで移動した。何かの反射だと思うが、山中に反射体がなければあんな光点には見えないだろう。何だったのか。
23:20 赤岳鉱泉に帰着。小屋に灯っている電灯が眩い。山頂で被ったツェルトを張った後、朝張っておいたツェルトに全員入ってお茶と遅い食事。
いやー、厳しかった。縦走どころじゃなかったねー。
と言っても、自分は6ピッチ目で立ち往生しかけたのとエイト環を無くした時以外はそれほど切羽詰まってはいなかった。まったく天気のおかげであるが寒い思いもしなかったし、日が暮れても精神的には状況を面白がっている部分があった。それは、このメンバーならここで滑落するようなことはないだろうという信頼感があってのことだ。赤岳主稜をやるだけの実力が不足していたことは否みようもないが、いい経験だった。誘ってくれたS木氏に感謝。
■3/9(日)
[本日の予定]赤岳鉱泉~行者小屋~阿弥陀北陵~阿弥陀岳~御小屋尾根~美濃戸口
1~2人用ツェルトにY永氏と入ると足がはみ出すが、テントと同じ程度に眠れた。これも好天のおかげだ。
ゆっくり6時過ぎに起床、各ツェルトで食事。と言っても、女性陣はいっそうゆっくりしている。Y永氏とふたり、ツェルトでやることが無くなって外に出てもまだ出てこない。昨夜が遅かったので、今日は仮に阿弥陀北陵をやるにしても朝はのんびりと相談がまとまっていたのである。計画通りに御小屋尾根を下りるセンは昨日時点で消えている。
行者小屋に荷物をデポして北陵をやろうと 9:20に出発、行者小屋に10:10。今日も快晴。
ここまでの道中でK田氏、Y永氏は昨日の疲れが取れていないと、ツェルトを張って待っていることになった。S木氏と二人、10:50に行者小屋を出て、小屋から間もない地点で尾根に取り付く。先行パーティがなければラッセルが辛いところだが、しっかり踏み跡が付いて楽だった。この時間ではもはやラストだろう。ジャンクションピークにちょうど12時。
少し行くと、まばらに灌木の生えた急斜面(第一岩稜)。後半は中途半端に雪が堅く、ピッケルのシャフトは十分に入らないがピックを刺しても引っ掛からないのでちょっとイヤらしかった。ガイドブックには「初心者がいる場合にはここからロープを付ける」とある。
急斜面が終わって雪稜を少し行くと岩壁に突き当たる。先日の講習(https://marukoba.asablo.jp/blog/2008/02/09/9403628)でM本講師が左に巻いたところから取り付くと教えてくれた岩だ。先行パーティがここをビレイ点にしてロープを伸ばしていたが北陵をやっている訳ではないらしい。ビレイの横を通ってロープ沿いに進ませてもらう。
左を見ながら少しだけ上がると、ハーケンを1本打ったクラックがあった。もう少し立派なポイントを想像していたのだが、ここから取り付くことにする。
まずS木氏がハーケンでセルフビレイ。そこに自分が行くと、狭くてハーケンには触(さわ)れない。S木氏がハーケンにスリングを掛けて支点を作り、そこにセルフビレイをセットしてもらった。その状態でロープを出してアンザイレンし、S木氏がリードする体勢を作る。ここはやはり手前のビレイ点を使うのが正解だったらしい。岩稜に上がるのはさほど難しくないが、上部が草付きなのでホールドの確実性はちょっと不安。
S木氏が視界から消えてしばらくすると何か聞こえたがよく分からない。ロープの動きからビレイ解除と判断する。現場では声が通らないものだ。上がってみると、S木氏はピナクルでビレイしていた。
そこから自分がリード、すぐに行き当たったフェース下部に新しいボルトがあったので、ピッチを切るのはこちらの方がよさそうだ。ここも上がるのは特に難しくない。上がるとナイフリッジで、真ん中辺に樹木(ハイマツ?)にスリングが掛けてあったので中間支点を取る。しかし、その先にビレイ点はなさそうだ。S木氏に残りロープを訊いて、様子を見に進む。
ナイフリッジを抜けると緩やかな雪面。ガイドには「ハイマツでビレイ」とあるが、何もかも雪の下である。ただ、雪を均してピッケルを支点に使ったような跡がある。S木氏に声を掛けて先ほどの支点まで戻り、ビレイ体勢を取った。
S木氏が上がってくると、ナイフリッジ上で位置を入れ替わるのは困難なので、ロープを掛け替えて引き続き自分がリード。雪面から先の斜面まで行くが、やはりビレイ点なし。ロープも尽きたので、足場のいいところまで少し下りてピッケルを刺し、それを支点に使った。
もうほとんど終わりである。アンザイレンでS木氏に先に行ってもらい、ロープが出たところで自分が続く。左手に富士山が美しい。山頂直下でS木氏が待っていてくれたので、ロープをまとめて14時過ぎ、一緒に頂上を踏み、握手。山頂は案内表示や石碑の頭だけ出ているような雪面。
14:25 中岳のコルに向かって下降開始。一度、木の根を支点にS木氏が懸垂下降したが、ロープを一杯に使っても難しくない斜面の途中までしか届かず、時間節約にはならなかった。長い急斜面を山側を向いて下りるのは面倒だが、特に問題なし。中岳沢も上から見た時に何人も下りており、今日は雪崩の心配をせずに使える。
15:40 行者小屋に帰着。
阿弥陀北陵は岩よりもまず雪山だった。
ハーネスやヘルメットを外し、荷物をまとめて16:10に出発、南沢を下る。凍っている箇所があるかもとアイゼンを着けたが、沢沿いには土が露出している部分もあって春を感じさせた(そういうところが夜中に凍りつくかもしれないが)。
美濃戸山荘からタクシーを呼び、あとは林道をタラタラ歩く。18時半、美濃戸口着。さすがに疲れた。
タクシーで茅野駅に着くと、K田氏は列車がギリギリでそのまま改札に駆け込み。残り3人はあずさの指定を取って1時間ほど慌ただしく焼き肉屋で打上げ。
■今回のルート
(全体)
(拡大)赤岳主稜
(拡大)阿弥陀北稜
*1:ピッケル(ドイツ語)と同じ意味の英語だが、無名山塾では特に岩登り用のシャフトの短いものを指すことが多い気がする。ここでもその意味。
*2:Y永氏の見たガイドブックによると、チムニーの下でピッチを切る、周囲にはハーケンが乱打されているとのこと。K田氏もチムニー下に何本かハーケンがあったと言うから、そこでビレイした方が安心だったかもしれない。自分はチムニー内にボルトを見つけたことで、その周囲に注意が及ばなくなっていたのだろう。もっとも、チムニー下も足場が狭いので2組のビレイを取れたかは分からないし、Webで読んだ山行記録もピッチを切らずに登っている。
*3:下のビレイ点では、カラーンカラーンといい音が響いたそうである。位置の関係か、あるいはまったく余裕がなかったせいか、自分には何も聞こえなかった。
*4:いいのである。自分は実際にやってみたことがないので自信を持てなかったが、ちゃんと滑落を止められる。
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