2007/4/21(土)~4/23(月) 白毛門~巻機山 ― 2007年04月21日 00:00
S木・Y氏(女性)と、無名山塾の自主山行。
計画立案のS木氏が声を掛けていた3人のうち2人は都合がつかず、結局S木氏と自分の2人パーティとなった。
■4/21(土)
大宮から朝一のMaxときに乗車して高崎、そこから水上まで車窓を眺めていると、桜が散りかけから満開以前へと遡っていく。水上からはタクシーで土合駅の先の白毛門登山口へ(料金¥3220)。
駐車場で身支度をして9時に歩き始め。明るい曇り空で風もなく、気温10℃と暖かい。今年はどこもそうだが雪が少なく、1時間も登ってやっと道が白くなった。途中、夏山なみの軽装の若者二人組とすれ違う。以前、GWに雪のことを考えず西黒尾根を登ってしまった自分(http://marukoba.asablo.jp/blog/2001/04/29/9214274)を思い出す。一時、雨がパラついたものの本降りにはならず、汗をかきかき11:20に松ノ木沢ノ頭を通過。その先でアイゼンを装着して、12:30白毛門1720mに登頂。
ここまでは昨年3月に雪山講習(https://marukoba.asablo.jp/blog/2006/03/25/9462949)で来ている。その時は山頂から東の尾根に入り、一回りして土合に戻ったのだった。今回はまっすぐ北上して上越国境を行く長い縦走だ。ここまで見かけた人たちはみな白毛門往復らしい。この先には足跡がついていない。
休憩の後、新しいルートに踏み出す。地図では尾根上を笠ヶ岳へ向かうが、実際はトラバース気味の部分があり、谷側の足が深く潜って歩きづらい。少し風が出てきて気温5℃。笠ヶ岳の直登は白毛門ほどの斜度はないが、トレースがないため結構キツかった。13:40に避難小屋。しっかりしたカマボコ型で居心地はよさそうだ。
笠ヶ岳を過ぎるとシュルント(雪が緩んで切れ落ちる時の割れ目)が目立ってきた。雪庇も雪が落ちた後の壁といった様子。踏み抜く心配はなさそうだがシュルントから崩れる可能性はあり、歩きやすさと危険を考慮してルート取りする。雪が消えて夏道の出ている南側斜面では春本番の気分。
1934ピークを14:30に通過、山頂手前の岩壁を左に抜けて、15:20 本日の幕営地、朝日岳1945mに到着。巻機方面から来ているパーティがあるかと思ったが、相変わらず誰もいない。どこにテントを張るか迷う広さだが、雨が落ちてきたこともあり、山頂を下りて平らになった部分にさっさと設営する。今回は自分の2人用テントなので手間は掛からない。テントに入って間もなく天候は回復。
S木氏持参のワインを飲み、食事をして、20時過ぎに就寝。暖かくて安楽な夜かと思ったら、やがて風が吹き始めた。テントが撓(たわ)んで顔にあたり、おちおち寝ていられない。夜半、外のピッケルにかけておいたアイゼンが心配になってテント内に取り込んだが、次第に風は治まった。
■4/22(日)
3:30起床、5:50出発。薄曇り。
6:10にジャンクションピーク。道標に「巻機山(難路道ナシ)」とある。夏は藪こぎだろうが、今はまだ雪を踏んで行ける、はず。風が出てきた。
6:50に1757地点の次のピーク(2.5万図に1757とあるのがピークと勘違いしそうだが、よく見ると稜線上の登りにかかる手前の一点である)。ここでS木氏の携帯(au)にメールが入った。通話は無理かもしれないが、万一の場合にはメールで救援要請できるかも。
7:30 大烏帽子山。三角点は周りの雪が解けて顔を出していた。
ますます雪が緩んでシュルントが目立つ。隠れている部分をうっかり踏むとズボっと潜る。大烏帽子山を下りて行くと、右は急傾斜、前面はシュルントが左右に横切る個所があり、間隔を開けて慎重に割目を跨ぎ越した。足元からバウムクーヘン(アンモナイト?)状の雪玉がコロコロと転がり、それが切っ掛けとなって小雪崩が起きたりもする。
9:10 檜倉山(ひぐらやま*1)。広い山頂は藪と雪のまだらになっているが、三角点は見つからず。池糖(ちとう)は雪を被っても色が変わって見えていた。
動物の足跡以外は真っ白な斜面を下り、柄沢山へ向っての登りにかかる地点で上着を脱いでTシャツになる。標高差約300mの柄沢山がでっかい。
先に立って歩いていると、後ろでS木氏が腰まで潜って四苦八苦している。湿った雪なので、踏み抜くとぎゅっと締まって足を固めてしまうのだ。ピッケルでは足りず、スコップを使って足を抜く。単独だったら脱出に結構手間取るかもしれない。藪の上で踏み抜くと下は空洞という個所もあり、這い上がる時にさらに落ち込まないかヒヤヒヤする。
1659地点の手前では雪庇から崩れた巨大な雪のブロックが斜面に転がっていた。あれの下敷きになったら即圧死ではないだろうか。
山頂手前で一休みして、12:04に柄沢山。地図によれば三角点があるはずだが、雪に埋もれているのか見当たらず。山頂を示す標識もなし。気温は10℃で一定しているが風が強い。
柄沢山頂から次の目印となる1809ピーク(地図に2か所ある1809地点の手前の方)の見当をつけて歩き出す。いったん下り、また登って13時。ここだと思って高度計を見ると1835m。柄沢山では合っていたし、???である。しばらく休憩しつつ悩むが現在位置を特定できない。ともかく間違った稜線に乗っていることはないはず(柄沢山に標識がなかったことが一抹の不安を呼ぶが)なので、そのまま進む。
13:20 二つの1809地点の間のピークかと思われる辺りでガスが出てきた。(*2)
ガスの上がってくる中で痩せ尾根を渡る。現在地が不明瞭な状態で天候も崩れてくると早めにテントを張ろうということになるが、本日の予定地は米子頭山(コメゴノカシラヤマ *3)を越えた場所である。山頂のどのくらい手前なのか分らないが、そうそう好適地があるはずもない。
場所を探しながら歩いて13:50、平坦地を見つけた。二つ目の1809の手前だろうか、その先は登りになっている。左の藪はいいとして、右は雪の斜面で平らな部分にもシュルントがあるが、雨も降り出して贅沢を言ってはいられない。テントはシュルントを避けて張ったが、トイレに行くには溝を跨がねばならない。シュルントの隠れた部分を踏み抜くと腿まで落ちてしまうので、積極的に穴をあけて雪を入れた。これだけしておけば、夜中に寝ぼけて出ても斜面に滑り落ちないで済むだろう。
テントに入ってホッとする。先頭を行くとピッチが上がりすぎるためか、今日はかなり消耗した。S木氏は元気だ。お茶をたくさん飲んで疲労回復。
落ち着いたところで現在地を推測。S木氏は、地形から見て米子頭山手前の小ピークに登るところではないかと言う。柄沢山からの距離感がうまく掴めないが、地形、高度からすると正解のように思える。何処にいるにせよ、明日は進むしかない。
携帯を確認してみると、au、ドコモとも通じる。S木氏が無名山塾K藤講師にかけると、「まだそんなところにいるの!?」と驚かれた。今日は谷川岳西黒尾根の講習で、当初の計画ではこちらの下山を合わせることになっていたのである。この時は通話できたが、20時前に確認した時は不通になっていた。
やることをやってしまい、今日はバーボン。飲んだり食事したりしているうちに天気は少し持ち直した。
■4/23(月)
4時起床。ガス、弱い雨と風。気温1℃。
万一に備えて、今日はテント本体とフライを二人で分けて持つ。十分に明るくなるのを待って6:30に出発。
最初の登りがちょっと嫌らしく、ロープを用意したS木氏が先に行く。急傾斜にキックステップで足場を作り、枝や笹を掴んで上がる。結局ロープは使わなかったが、今回一番の難所だったかもしれない。
幕営地点の推測に基づいてコンパスを合わせて進んでいくと、7時に米子頭山に着いた。読みが当たっていた訳だ。ガスで視界10m程度。横殴りの雨に飛ばされた氷が混じっているのだろう、フードを被らないと顔が痛い。
その後、雨は止んだがガスはそのままで、コンパスと高度計を見ながら歩く。おおむね的確にルートを取るが、巻機山手前で登山道が県境を離れる部分は少し外して1928ピークの間近を通過した。
9:20 巻機山の広い山頂の東側に到着。
相変わらず視界がないので牛ヶ岳は割愛して1967ピークを探すが分らない。9:30 たまたま夏道の一部が出ているのを見つけ、低いケルンがあったので山頂と思うことにする(*4)。
次は避難小屋に向かう下り口を見つけないといけない。ところどころ古い足跡が見えるのだが当てにはならず、コンパスと高度計で見当をつけ、地図を睨んで下降開始。少し行くとしっかりした足跡が出てきた。10時に避難小屋、10:20にニセ巻機。
足跡を参考にコンパスに従って1128地点まで来たが、その後、樹林の中で方向を外したらしい。尾根コースを下りていたはずが、割引(わりめき)沢沿いの道に近い方に出てしまった。畑の端を行くと道に出て、その先が尾根コース登り口だった。12:50 行動終了。
雪崩の跡の間近をルート取りを考えたり、ガスの中をコンパス頼りに歩いたり、勉強になる山行だった。
タクシーを呼んでもらって六日町に移動し、郵便局裏にある「公衆浴場 中央温泉」で汗を流す。名称こそ温泉であるが番台におばちゃんの座っている銭湯であった。
■今回のルート(山行時のGPS軌跡を2022/2/11時点の地形図に反映)
1日目
2日目
3日目
*1:ネット検索してみると「ひのきくらやま」と読んでいる例もある。
*2:帰宅後、GPSデータを地図に落として確認。正解地点は・・・
13時、1809地点と思ったのは、二つの1809の間のピーク。柄沢山から眺めた時にピークの数を地図と合わせ損ねたらしい。
13:20、ガスの出てきたのは二つ目の1809地点。
*3:読みが分からず、行動中は仮に「よねずやま」と呼んでいた。*1ともども、地図にルビを振ってもらいたいものである。
*4:日本百名山の山頂がそんなに地味なはずはなく、実際は立派な標柱があるらしい。しかし、GPSデータを見るとちゃんと山頂を通過している。
2007/4/28(土) 竜喰(りゅうばみ)谷 ― 2007年04月28日 00:00
K室・H氏企画の無名山塾自主山行で、奥秩父の沢登り入門ルート。参加者は他に、K室・I氏、U山・K氏、S藤・H氏、自分。
最寄り駅は奥多摩駅だがアプローチが長いため、入渓点近くで前泊となる。奥多摩駅からは青梅街道を西進し、エアリア(昭文社の山と高原地図)では「奥多摩」をはみ出して「雲取山・両神山」まで行ってしまう。一之瀬林道に入って3kmほど、しゃくなげ橋近くの駐車スペースにテントを張った。一之瀬川と竜喰谷の出合いはすぐそこ。
翌朝7時に出発。曇り空で水に入るのは少し寒そうなので、カッパを着こむ。天気は荒れ模様の予報。
谷に入ってすぐに釣り人1名と遭遇。「水に入るな。そっちが楽しみでやってるんならこっちも楽しみなんだから」と言う。お互い道楽なのはその通りだが、沢登りで流れに入らずに済むはずがない。そのすぐ先の滝は岸を行ったが、後は気にせずに進む。滝よりも上流に人間が入ったところで、魚が逃げ出すとも思えない。
しばらく特に難しい滝もなく進む。水も思った程は冷たくない。釜(滝の下の淵)が深くてどうしようかなと思っていると、U山氏、K室・I氏が腰まで浸かって行ってしまったり。
ルート中で一番高いF4「下駄小屋ノ滝」12mは水流の左側を上がる。
↑F4 2段12m「下駄小屋ノ滝」
↑F5 10mナメ滝
2番目のF7 10mは左側のガレを木を掴むようにして高巻き、沢床へ戻る急傾斜を懸垂下降した。
8m階段状のF8はシャワークライム。まずU山氏が取り付くがホールドが乏しく、水の冷たさに負けて撤退。次に自分がチャレンジ。流水に叩かれて手が冷たいのを我慢してホールドを探していると、たちまち袖口襟元から水が入ってズボンまで濡れてしまう。とてもスピーディとは言えないが登りきった。K室・I氏、S藤氏は最初から左岸を高巻いたが、そちらも結構怖かったそうだ。
↑ F8 2段8m
流れを快適に歩いていると、水中に金粉の如く光るものがある。これが砂金だったらピッケルじゃなくツルハシを持ってくるようだねーなどと言いながら注意して見ると、流れに溜まった砂の上に多く集まっている。指先にとって見ると角度によって金色に光ったり赤茶に見えたりする。岩の薄片らしい。
二俣を左にダテ(楯)ノ沢に入り、11:20、2.5万図で水線の消える先辺りで林道の橋(標高1520m)に出た。道に上がって装備を解き、休憩。
その先は直接1537のピークに向かおうとしたのだが、林道に分岐が多く、現在地を把握できないうちに登山道に出てしまった。あらためて位置を確認し、「ミノワの頭」と標識のある1537から尾根伝いに二ノ瀬を目指す。仕事で入る人がいるのだろう、だいたい踏み跡があったが一部藪こぎして車道に出た。
歩いている最中は天候が回復してきていたのだが、13:40 駐車スペースに戻ったところで妖しい風が巻いて降り始め。行動中に雨に遭わずに済んだのはラッキー。
丹波山温泉のめこい湯で汗を流して食事。その間に雨は通り過ぎた。
■今回のルート
※最初に1353ピークに向かっているように見えるのは、GPS衛星の
捕捉が不十分のため。実際は竜バミ谷を遡行している。
2007/4/29(日) 「人類にとって文学とは何か」 ― 2007年04月29日 13:30
紀伊国屋書店創業80年記念シンポジウム。紀伊国屋サザンシアターにて、13:30開演。入場料\1500。
出演は以下の面々。
・小松左京(作家)
・瀬名秀明(作家、東北大学機械系特任教授)
・スーザン・J・ネイピア(米・タフツ大学教授)
・巽孝之(慶應義塾大学文学部教授)
加えて、小松御大にはいつものように乙部女史が付き添っている。
以下、チラシより惹句を引用。
> 現代日本SFが歩み始めて半世紀。かつて新たな文明批評の
> かたちであったSFは社会的にも浸透と拡散を遂げ、いまや
> あらゆる表現ジャンルにおいて変質と解体の道を辿った。
> その過程で、文学はいかに自らの射程を「人間」から「人類」へ
> 拡大したのか?
> 現代における想像力の根源的な意味を問う。
シンポジウムのタイトルをもうひとつ大きくした「宇宙にとって文学とは何か」は小松左京の年来のテーマで、今回は御大がそれをどうまとめるかを聴きに出掛けた。
開場15分ほど前にエレベータでS戸口(ミクシィネーム:++ungood)氏に遭遇。自分の席が2列8番で、S戸口氏は12番。チケット購入に数日の差があったのにこれではガラガラか・・・と思ったが、会場はそこそこ埋まっていた。
開演時間になると、リメイク版の映画「日本沈没」のビデオが5分ほど。テーマにそれほど関係するとも思えないが、後の休憩時間にロビーで樋口真嗣監督を見かけた。
ビデオが終わって出演者登壇。小松御大は車椅子から椅子に移るなり、「タバコが吸えるんだ」と嬉しそう。それを巽氏が引き取って「ステージの上だけは消防庁に許可を取った」。
進行は前半で巽、瀬名、ネイピア各氏のプレゼンテーションに御大がコメント、休憩を挟んで後半のディスカッションとなる。
前半トップの巽氏は全体のイントロダクションとして「人類にとって文学とは何か 未来・終末・境界知」。
ネイピア氏は『人類の子供たち』と『日本沈没』の比較。
シンポジウムの協賛に岩波書店『文学』編集部が入っているが、夏季号のSF特集との連動企画とのこと。発売になったら読んでみよう。
※2024/3/4記
以上、作成中のミクシィ日記のまま(人名表記「S戸口氏」のみ変更)。登壇各氏の発言やディスカッション内容は、とうとう書く時間を取れないままに終わっていたのだった。
最近のコメント