2006/7/24(月) 映画「日本沈没」2006年07月24日 00:00

もう内容についてはいろいろ聞いている(この記事もネタバレあり)が、それでも人物関係には驚いた。

SF映画としてはヌルい。もともと原作が日本列島を沈めるという大仕掛けを除けばPF(ポリティカル・フィクション)なのだが、そのSFの部分である列島沈没の理論付け過程を放棄してしまっている。田所博士の「科学者にとっていちばん大切なのは勘だ」のセリフもなし。だから、政治家(政治屋という扱いだ)が田所を揶揄する場面も浮いて見える。

ヌルいと言えば、小野寺があの状況で玲子を抱かないのもヌルい。あの時点で小野寺は死を覚悟しているのだから、イギリスで幸せに暮らそうなどと言うのはそれこそ綺麗事。唐沢俊一氏も書いておられたが、抱いてこその未来ではないか。
もっとも、災害救助現場にあって二人だけでテントを一晩占有している時点でリアリティがないから、その中で何が起きても起きなくてもどうでもいいや、という気がしないでもない。

・・・と貶したが、スペクタクルがあって不可能に挑む男がいて結果何とかなるという、ハリウッド流にものを考えさせない映画としては正解のまとめ方だろう。ここまでご都合主義でやったのだから、もしかして小野寺を助けるのではと思ったが、さすがにそれはなかった(それをやったら「ザ・コア」だ)。

納得いかないのが爆薬の件。N2が「数は揃わないが核なみの破壊力」なら、核を使えよ、核を。何があっても核兵器を肯定的に扱わないのが政治的に正しいのだな。
しかし、あのタイミングで爆発が起こるなら、結城は最初から生還を見込めなかったのでは? 起爆はリモートコントロールにして、安全圏まで離れてから点火するよね、ふつう。

オタク的には、N2爆薬、「この地方に被害はない」、「奇跡は起きます、起こしてみせます!」など、どこかで聞いたようなセリフに内心(笑)。

まあ、映画としては結構見られる。及第点を付けていい。

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