2006/3/18(土) 「死者の書」再び2006年03月18日 00:00

昨日「蓮如とその母」を観た(https://marukoba.asablo.jp/blog/2006/03/17/9608489)勢いで、先日睡魔の攻撃に屈した(https://marukoba.asablo.jp/blog/2006/03/10/9608246)「死者の書」に再挑戦。
睡魔に襲われなくても難しいわ、これ。
鑑賞後、後の席から「最後が分からない」なんて声が聞こえてきて、自分だけじゃないと安心したり。

原作の折口信夫は柳田国男と並ぶ民俗学者。すると、このタイトルで思い出すのはチベットの「死者の書」だ。これは臨終を迎える人の枕元で読まれる教典で、死者が死後に出会う光景とその対処法を説き、解脱へと導く。エジプトにも「死者の書」があるが、こちらは神々や悪霊への対応法を記した冥界ガイドブックで趣が違う。

映画のラスト、郎女(いらつめ)が蓮糸曼荼羅を描きあげて流す涙の意味が分からなかった。曼荼羅こそが「死者の書」で、それを描くことによって大津皇子(おおつのみこ)のさ迷える魂を鎮めるが、それは同時に俤人(おもかげびと)を喪うことでもある、という解釈はどうか。
松岡正剛による原作の読み解きは以下にあり。

大津皇子の亡霊が山越阿弥陀に重なるのが面白い。語部の媼(かたりべのおうな)の存在もそうだが、仏教とそれ以前の観念の混交が日本人の死生観を形作っている。

映画を見直してみて、人形の息吹も感じられてきた。
郎女の一途さ、清らかさ、大伴家持や恵美押勝(えみのおしかつ)の政治的立場。しかし、宮沢りえの「阿弥陀ほとけ、あなとうと」の台詞はいまいちだな。

上映の後、しばらく古書店街をぶらついたりしてから新宿へ。
A井・K(ミクシィネーム:こうよし)氏と久しぶり(10年以上!ぶり)にオフラインで落ち合っていつもの店へ。彼女はアルコールには強いが日本酒は知らないと言うので、日本酒党になるようなのと頼んだら山形正宗が出てきた。料理はたらの芽とたけのこの天ぷら、桜しゅうまいなど。春の味わいで美味。2~3杯飲んでいろいろ話し、店を替えてラムやウォッカなど各自ダブルで2杯。彼女は特に顔色も変わらず。こういう酒が飲めるのは楽しい。

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