2005/4/10(日) 『黙って行かせて』 ― 2005年04月10日 00:00
この間(https://marukoba.asablo.jp/blog/2005/04/05/9524911)H頭・A氏(女性)から借りた『黙って行かせて』を読む。実際には先週のうちに読んだのだけど、今日ざっと読み返した。
著者ヘルガ・シュナイダーは1937年生まれ。母はナチス親衛隊員で'41年から終戦までアウシュビッツ第2強制収容所ビルケナウの看守。
著者が4歳の時に母は家族のもとを去り親衛隊へ。'71年に著者が母を訪ねて再会。
この本は介護施設での27年ぶり、57年間で2回目にして最後の対面を綴った実話もの。
ただし、あくまでも自伝小説であり脚色もある。著者に寄れば「3パーセントのフィクションが混じった」とのこと。
ボケ(認知障害というのか)ながらも未だにユダヤ人を絶滅させる「最終解決」を支持する母。しかも子供に返っているかと思うと狡猾さを残してもいる。
その母を憎めない、しかし愛することもできない娘。
タイトルは、娘を帰らせまいと取り乱す母に対して著者の思うこと。
著者は渋る母に駆け引きを仕掛けてまで収容所での行動を喋らせようとする。それに対して母はナチに忠実だったことを恥じない。最後には「あたしは昔のまま、変わらないわ」と断言する。
しかしその母も、娘との'71年の再会の後、罪悪感からか家族の記憶を捨て去ろうとして正気を失っていったらしい。著者は母の言葉が真実なのか、それともこちらが聞きたいと思うことを話しているのかと疑い、思う。わたしは負けたのだと。
とうてい容認できない思想に凝り固まった老人の言動と、その娘の解きほぐされることのない感情。これを読んで活力が湧いたり癒されたりする人はいないだろうし、歴史に新たな光を当てている訳でもない。
それでも一息に読ませる力があるのはなぜか。
捨てきれない親子の絆とか、社会の狂気に巻き込まれた人間の脆さと強さとか、過去のあまりに大きな蛮行に対してどう向き合う(足掻く)べきなのかについて考えさせるから、というのは優等生的に過ぎるか。
母との対話の中で思い出され語られていく著者の過去が「物語」に深みを与えていることは確か。これは間違いなく小説であると思う。
重い内容にもかかわらず読みやすい本である。
貸してくれたH頭氏はこの本の校閲担当。資料としてナチの制服の本まで買っていた(この資料本は現在K田・T氏の書棚に収まっている)。読んでみたら制服の話は本文1行+訳注3行だけ!? 校閲というのも大変な仕事である。
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