2008/11/2(日)~11/3(月) 和名倉山 ― 2008年11月02日 00:00
無名山塾の自主山行。S木・Y氏の企画に自分とH方・Y氏が参加。もともとこの連休は鳥取の氷ノ山を検討したものの取りやめ、次に越後の荒沢岳~兎岳~丹後山を計画したが荒沢岳の岩場のクサリが10月末に外されている上に雪も着いてしまったため中止して、その代替案で出てきたもの。
和名倉山は奥秩父の一峰で標高2036m、雲取~三峰ラインと雁坂峠の間にある。夜中に雲取から三峰まで歩いた時(⇒ 2007/11/24~11/25 雲取山~三峰山カモシカ縦走)、月光に照らされた姿を美しいと思った山だ。和名倉山は秩父側からの名称で甲州側からは白石山と呼ぶ。エアリア(昭文社の山と高原地図)は白石山をカッコ付きで併記しているが、地理院地形図では白石山を採用。一般的な登山道は南の将監峠から付いているが、今回は地図に載っていない仁田小屋尾根ルートを上がる。
■11/2(日)
三峰口駅に集合、タクシーで雲取林道のゲートまで7640円。林道は結構落石があり、通行止めとなったこともあるらしい。ゲートを入って大洞橋を渡り、20分足らず歩くと取付点。「ふれあいの森林」案内板の傍ら、道脇にハシゴが掛けてある。
10:30入山。晴れ。
案内板の前を横切り、薄い踏み跡を辿ってジグザグに上がっていく。やがて道がはっきりして、作業小屋を過ぎ、鹿除けのネット(支柱が開くようになっている)を潜っていくと、若木の植林されたザレた斜面があってトラバース。これを過ぎて沢を渡ると最近建てられた仁田小屋である(11:10)。一般には開放していないらしいが素敵な小屋だ。沢から引いた水が浄水用の大型ポリタン越しに流れているので汲ませてもらう。裏のテラスに回ると雲取山の眺めが良い。
小屋の上に分岐があるが、右は大山祇命(おおやまつみのみこと)の小さな祠。この先の山中で時々一升瓶の欠片を見るが、おそらく猟師が山の神に献げたものだろう。道は左の方が歩きやすい。急登を行き、1405地点のイヌブナ平と呼ばれる平坦地で小休止する(12:10)。ここで、植林作業から下りてきたグループと行き会って挨拶。ここまでTシャツで登ってきたが、この先は藪と聞いてシャツを羽織った。
藪と言っても道はあり迷うことはない(どこまで続いているのか分からないが分岐はあるので、尾根を下る際には注意)。しかし、左右に笹が背丈ほどに生い茂っているので手で掻き分けないと顔に当たる。H方氏は目を突かれてちょっと充血させていた。
その藪の中に仁田小屋ノ頭・1555.0mの三角点があるのだが、こんな場所で測量の役に立つのだろうか。所々藪を刈り払って植林してある。
急登もある藪の中をなおも進み、藪が途切れると1776mの松葉沢ノ頭(13:40)。気持ちの良い疎林帯だ。
そこからまた少し笹があって、1780地点の平坦地に出る。ケーブルや滑車の残骸が散乱しているのは、かつて材木運び出しの基地だったのかもしれない。ちょっと産業遺跡の趣がある。
笹藪はこれで終わり、あとは葉を落とした樹林の中を上がっていく。ここは山火事跡ということだが荒れた感じはしない明るい斜面だ。赤テープもなくなり何処を歩いてもいい(つまり、下りでは方向をしっかり定める必要がある)。樹木が空いた地点からは雲取山方向の眺望が抜群で、秋の山歩きの醍醐味を満喫できる。
樹林が密になって眺望がなくなり、倒木を乗り越えて進むとポカリと狭い空き地に出る。そこが2036mの和名倉山頂でちょっとあっけない。ここの三角点も測量に使えるのか疑問。
15時という時間のためか誰もいないが見るべきものもないので、写真だけ撮って縦走路方面にテン場を探す。
ごく緩やかな斜面で何処でも使えそうなので却って迷うが、日当たりのいい山頂南西側、道から少し外れた疎林中にテントを設営。外で酒を飲み食事していても誰も来ない。暗くなると、様子を見に来たのか鹿の目がヘッドランプを反射して光る。
夜中、梢を揺らす風の音が聞こえていたが、テント周りは落ち葉が動く程度で静か。それよりも鹿が周囲を歩き回っていた。
■11/3(月・祝)
4時起床、5:40出発。曇り、8℃あって暖かい。
一般登山道を南下。八百平は樹木を避ければテン場に使えそうだ。遠くに眺められる南アルプスは農鳥岳~北岳辺り。
7時過ぎに東仙波(2003.1m)に到着。ここから仙波尾根に入る箇所に木の札が掛かっているが、道標なのか立入禁止の警告なのか薄れていて読めない。
ちょっと岩っぽい次のピークまで進んでみると眼下の笹原に踏み跡が付いていて、ここから仙波尾根に取り付くこともできる。カバアノ頭は稜線で植生が分かれて北側は樹が生えているが南側は笹原。雪の時に南側斜面に滑ったら停止は難しそうだ。
引き返して和名倉山頂手前の水場を確認する。地面に道標が置いてある川俣分岐(どこに分岐しているのか? 山頂や二瀬方面を示す道標も取り付けられている)を通過。
疎林を登って傾斜が緩やかになった地点(白石山頂方面の道標が目印になる)から東へ向かうとテープの付いた踏み跡がある。水量豊富とは言えないが明るい水場だ。登山道からの入口付近にテントを張ると便利かもしれない。もっとも周辺の樹木にケモノの爪痕があるのが気になるが。
二瀬分岐まで戻って9時。この先はエアリアの破線ルート(2万5千図には道の表記なし)で、埼玉県警山岳救助隊の警告が樹に張られている。曰く『行方不明事案が散発!! 登山先を「メモ」で家に残すこと!(今さらなんで、次回から心がけること)』。分かってらっしゃるというべきか。
実際のところは赤テープを探しながら行けば迷うことはない。ルートから外れそうな箇所には丁寧に立入禁止テープが張られていたりする。とは言え、やはりコンパスを合わせて地形図と照合しながら進むのが基本だ。
北ノタルは倒木が苔に覆われて幽玄な雰囲気。
樹林を行くと、1913の先の小さな平坦地に『この先、スズタケのヤブ 遭難多し!』の警告があり、藪こぎの身支度。しかし、実際に藪が出てくるのはさらに20分ほど進んだ1684の平坦地辺りからだった。ここも笹の丈は高いが道はある。
藪から出て、10:40に造林小屋跡。手前の小さな流れがエアリアにある水マークだろう。小屋跡を過ぎると錆び付いた線路に車輪の転がる森林軌道跡。中には木の根にくわえ込まれている車軸もある。
もう藪はないだろうと思うとまだ笹あり。軌道跡なので登尾沢ノ頭の下までトラバースでほぼ水平。
登尾沢ノ頭から秩父湖に向かって下りていくルートは、エアリアでは北東方向の尾根、2万5千図では東の尾根。エアリアによると付近に電波反射板があるのだが気づかなかった。道標の置かれていた付近は地面が新しく見えたので、あるいは最近道を付け替えたのかもしれない。道標はエアリアルートを示していた。
尾根を下って秩父湖の吊り橋の袂に12:30、車道に出て二瀬ダムを渡り、秩父湖バス停に13時。ちょうど西武秩父行きが来た。
西武秩父駅アーケードの食堂で打上げをして解散。
和名倉は山頂は地味だが良い山だ。Webに上がっている記録を見ると、様々なルートから20回以上通っているグループもある。この先も楽しめそうである。
■今回のルート
2008/11/9(日) 日和田山清掃登山 ― 2008年11月09日 00:00
無名山塾ほか、日頃日和田山の岩場にお世話になっている人間が感謝を込めて(実際のところは岩場を所有する市へのアピールといった面もある訳だが)、清掃登山。
朝、高麗駅に集合し、時間差で3班に分かれて岩場周辺とハイキングコースのゴミを拾う。と言っても、ハイキングするような人はだいたい環境意識が高いはずで、ほとんどゴミは落ちていない。自分は日和田山の頂上に初めて登った。
11時前に男岩に集合した後、プロによるデモンストレーションが行われた。男岩と女岩の間にロープを張って山岳ガイドの広瀬氏によるチロリアンブリッジと救出、平山ユージ氏による女岩西面のクライミング3本。平山氏の登りは重力を無視しているとしか思えない。
午後にクライミングをやる人は残って、帰宅組は流れ解散。山塾本科生3人でカレー屋に入ったら、後から岩崎主宰を中心とした遠足倶楽部メンバーが加わって賑やかなこととなった。
2008/11/16(日) 天覧山にて救助訓練 ― 2008年11月16日 00:00
飯能市の天覧山にて、無名山塾の年1回の定番訓練メニュー。いわば必修科目なのだが、過去2年休日出勤で参加できなかった。これでようやく基本ステップを消化。
内容は、山でパーティーのメンバーが怪我をした時の一次救助(セルフレスキュー)方法。と言っても数時間の講習で様々なシチュエーションに対応できる技術が身につくはずもない。そのような事態に立ち至った時にパニックに陥らず冷静に判断・行動できるように、ということだ。
実際に試してみたのは、
・岩場でロープを繋いでいたパートナーが転落・負傷した場合に、安定した場所まで下ろす。
(自分が登った分だけ負傷者が下がる、負傷者のところまで登っていって一緒に下りる)
・ロープとカラビナで滑車システムを作り、小さな力で負傷者を引き上げる。
・負傷者を背負って搬送する。
(負傷者を支えるためにスリングを使用、ザック+雨具を使用)
など。
朝方は小雨だったが、日中はほぼ止んでいたので助かった。
それにしても天覧山の蚊はしぶとい。この時期になって何ヶ所も刺された。
2008/11/21(金) アニドウ上映会 ― 2008年11月21日 19:00
久方ぶりのアニドウ上映会@なかの芸能小劇場。
久方ぶりにお目にかかったのは、唐沢俊一氏、K田・T(ミクシィネーム:さざんかQ)氏、S戸口・O(ミクシィネーム:++ungood)氏。K元・T氏がお見えになれなかったのは残念。
なみき会長は今日までポルトガルの映画祭に行っていたとかで、それにちなんでお題は「旅とはなんぞや漫画映画大会」。もっとも、フィルムは出発前に繋いでおいたそうだ。
上映作は "trip" とか "Ttravel" とかで検索した(収集作品はデータベース化しているのだな)とのことで、サイレントの実写コメディに始まり、ウッドペッカー、お約束のベティ、ほとんどホームビデオ感覚のニュース映画「若槻全権軍縮会議に出発」(1929)、作画監督を務めた岡田敏晴氏が最近亡くなった某TVアニメから1本(時間短縮のため24コマ/秒で映写と言っていた。多少チャカチャカしたが主題歌以外はほとんど分からない。これで晴れてフルアニメだ!?)、対象年齢不詳の1950年「轟先生」(亀を助けてキャバレー竜宮城行き)、トゥイーティ、ルーカスからリスペクトを受けたというチャック・ジョーンズのダフィもの。
次回12/27の目玉は1950年の邦画版「ザッツ・エンターテインメント」。スター総出演で、今やおおっぴらにやると映画会社からクレームが付くシロモノらしい。見てみたいが、その日から山に入っている。
中華に入ってビールと紹興酒、シャブシャブ。終電で帰宅。
2008/11/22(土)~11/23(日) 越後駒ヶ岳(敗退) ― 2008年11月22日 00:00
無名山塾の自主山行。今回は自分の企画にT口・H氏が参加して、1泊2日で越後駒ヶ岳へ。
駒ヶ岳は各地にあるので、新潟は魚沼市と南魚沼市に跨る標高2002.7mのこの山は越後駒ヶ岳あるいは魚沼駒ヶ岳と呼ばれる。
今年は木曽駒ヶ岳(⇒ 7/19~7/21)、甲斐駒ヶ岳(⇒ 9/20~9/21)と登り、3つめを目論んだのだが、結果から言うと時間切れで登れなかった。今回の山行はもともと3連休に合わせてもっと長い行程を計画したのだが、T口氏の業務都合などで縮小したのである。
■11/22(土)
朝の新幹線で浦佐へ、そこで乗り換えて小出に8時。予約しておいたタクシーに乗るが、大湯温泉を越えたところで前方に除雪車が。後ろについて国道352号と駒ノ湯への分岐まで入ってもらう(料金4980円)。そこから先、枝折峠方面は「当分の間通行止」になっていた。
駒ノ湯までは舗装路を30分歩く。駒ノ湯山荘はもう閉まっていて道も除雪されていないのだが、一人の足跡があった。それは山荘への橋を渡らず真っ直ぐ登山口に向かっていたが、我々は山荘の様子を見に行き、屋根の下の乾いたところで身支度。そうしているうちに雲が切れて晴れ間が見えてきた。気温は1℃。山荘から9:40に歩き始め。
登山口を入ってすぐの吊り橋は雪対策で足元の板が左端の1枚を残して外されており、下の谷川が丸見え。しかも残された板の上にところどころ雪が載っている。高所恐怖の人には渡れないね。
尾根に取り付いても先行する足跡はずっと続いており、ありがたくトレースを辿らせてもらう。最初は足首くらいだからいいようなものの、やがて、急傾斜だと腿あたりまでくる積雪となる。トレースのおかげで、標高1026m地点までエアリア(昭文社の山と高原地図)のコースタイム通りの3時間で達した。
標高1100m付近に小さなテントが張ってあり、傍らで身支度をしている人がいた。ここまでトレースで楽をさせてもらいましたと挨拶すると、これから空身でこの先のトレースを付けると言い、自分がワカンを着けている間に出発していった。この時点で駒ノ小屋までという本日の予定は消化不能が確定。
その先はクサリ場もある標高差150mほどの急登。先行者は胸の高さの雪をピッケルで切り崩しながら進んで行く。朝からずっとノートレースの雪中を来ているのだから凄いパワーだ。追いついて「遅くてよければ替わりましょうか」と申し出ると「疲れたら」との返事で、そのまま後ろにつかせてもらった。ワカンを持参しなかったT口氏はツボ足で「進まねー」と遅れ気味(ワカンを使うほどの雪があったら二人では行けないとの判断だったが有用性を見直した、と後で言っていた)。
急登を突破し、小倉山手前の平坦部で先行者は引き返していった。我々は小倉山を越えてテントを張ろうと先へ進んだが、樹林に入ると雪が深くてさっぱり捗らない。と言って、樹林の端へ寄ると枝の上に載った雪を踏み抜いて転げ落ちそうで怖い。結局いくらも進めないまま16時に行動を停止、小倉山への最後の登りに掛かる1300m付近で雪を均してテントを設営した。
テントに落ち着いて明日の行程を相談。このペースでは駒ヶ岳は無理だ、そうすると小倉山から先には特にポイントもないから、ラッセルで小倉山に上がって引き返すか。
明日は4時半起床、6時出発と決めて就寝。
夜中は時々風。テントにパラパラと当たるのは樹から落ちてくる雪だろう。
■11/23(日)
二人が二人とも寝過ごして5時半過ぎに起床、食事をしていると外を足音が通過していった。ああ、これじゃ今日もあの人にお世話になりっ放しだ。
テントを畳み不要な荷物をデポして、7:10に出発。曇り、気温-1℃。
トレースがあるので難なく登って小倉山に7:40。先行者の足跡は駒ヶ岳方面に続いているが、ちょうど眼下の盛り上がりの向こうにいるのか姿は見えない。強風の中、しばし山座同定を試みるが、駒ヶ岳山頂はガスに隠れ、荒沢岳方面もよく分からない。銀山平あたりは日が当たっているようだ。20分ほどで下山開始。
テン場で荷物を回収し、昨日のルートを戻る。途中、単独で上がってきた男性から「トレースで楽をさせてもらって」と言われて苦笑。
高度が下がるにつれ雪が解け、足元の斜面に木の根や落ち葉が覗いて歩きにくい。吊り橋は濡れて一層滑りやすくなっていた。11:10 駒ノ湯山荘。
入山時と同じ屋根の下で装備を解いているといつの間にか雨。仕方ないので、一度脱いだオーバーヤッケとズボンを着け直し、大湯まで歩いた。偶然にもちょうどバスが来て、濡れたものを脱ぐのもそこそこに乗車。
小出駅前の「富貴亭食道」(食道は誤字に非ず)で味噌カツ丼(800円)を食し、時間が早いので各駅停車でノンビリ帰った。
■今回のルート





















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