2006/11/11(土) 日和田山(男岩) ― 2006年11月11日 00:00
無名山塾の同期と自主山行。参加者はK室・H&I夫妻(I氏が今回のリーダ)、U山・K氏(サブリーダ)、S木・Y氏、自分。そこにクライミング派の先輩Y川氏が加わってくれた。
同時に講習も開催されるのだが、もう3回受講したし、今回は自主優先。
昨夜の予報では夕方から雨だったのでバイクで行くことにした(自宅から1時間足らずである)のだが、出発時にはもうポツポツ。結果から言うと16時頃の撤収まで本降りにはならず、十分岩に触れられたのでよかった。
しかし、前回の自主もバイクを使ったら帰りは大雨だったな。これからは雨車(アメシャ)と呼ぼうか。
閑話休題。
いつも賑わう岩場だが、この天気ではさすがに山塾以外に人がいない。講習組に先んじて到着し、トップロープを3本セット。南面クラック、西面バルジとステミング・フェイスのつもりだったが、下りてみると西面は見当がずれていて、ステミングのつもりで自分が張ったのは松ノ木ハングだった。これは難しすぎるのでY川氏が登って付け替え。
K室・I氏らは最初、登山靴でクラックをやったが、濡れて滑るのでかなり厳しかった模様。「あ゛~」という雄叫びが響いていた。
その後は講習組が南面を使い、自主組は西面に集中。自分はこの面のルートは登りきったことがない。
まずY川氏にビレイしてもらってバルジに取り付くが手も足も出ない。ビレイを交替してお手本を見せてもらうがやはりダメ。他のメンバも苦労したが、I氏はテンションかけながらもなんとか登った。もう一度Y川氏が手足のホールドを変えたお手本を見せる。その後I氏はすんなり上がり、自分も何回かトライしてようやく上がった。回数を重ね、教えてもらったホールドを時間をかけずに繋いでどうにかというところなので、とても自力で登ったといばれる状況ではないが。それに、核心を抜けたところで岩に顎で張り付いたりもした。それでもやっぱり登れると気分がいい。
ステミング・フェイスも難しい。S木氏は乾いている時には登りきっているのだが、今回は不調。自分は当然登りきれず。両手を適切なホールドにかけていても足が上がらずぶら下がってしまう。
Y川氏がバルジに右寄りから上がるルートを示し、K室・H氏らはそこも登るが、自分は試さず。腕がそろそろやばいし、帰りにクラッチ操作するだけの握力を残しておかねば。
Y川氏が雑巾を持って上がり、下りながら使えそうな箇所の水をふき取ったりチョークをつけたりと面倒見てくれるのだが、それでも濡れたチャートは難しかった。
しかし、雨のために時間短縮することもなく済んだし、濡れた岩の経験もできたし、思ったより満足感のある一日だった。
明日も山塾の救助訓練があるので、自分を除く自主組は巾着田泊まり。自分は明日出勤のため、おとなしく帰宅。
2006/11/12(日) 化け物の文化史 ― 2006年11月12日 00:00
今日は午後から休日出勤なのだが、その前に上野の国立科学博物館へ。目当ては先日のアニドウ(⇒ 11/5 アニドウ上映会)の時に唐沢俊一氏、K元・T氏が話しておられた「化け物の文化史」。最終日だが開館直後に入ったおかげで空いていた。
主催は科博と「生き物文化史学会」。副題の「化け物に注がれた科学の目」にも表されているように、テーマは科学的なものの見方の拡張過程、化け物に対する人々の関心の在り方ということだ。
第一会場は「日本に生息した化け物たち」と題して、遠野の清六天狗の遺物、天狗、人魚のミイラ、カッパの手などを実物展示。信仰から本草学による記述、江戸時代の展開(ポケモンのようなという説明書き)、蘭癖大名の収集品と展示を展開する。化け物そのものより文献とか絵図、薬の原料など周辺資料が多い。テーマからすれば納得できるが、ちょっと寂しい。もっと化け物を!
その中の「和漢三才図会」の表紙に張られたラベルに「甫水井上圓了蔵書」とある。明治の妖怪博士だ。所蔵は東洋大学付属図書館。
ほぉ、と思ったら、第二会場「化け物の進化」に圓了、柳田國男、南方熊楠、白井光太郎、寺田寅彦の「化け物」に関連する事績の紹介。圓了は東洋大学の創設者で、甫水と号したのか。
ここには岡野玲子『陰陽師』の原画まで展示してあった。うーん、やっぱりちょっと寂しいなぁ。
ミュージアムショップで図録が\500。
同時に開催されていた「南方熊楠展」を覗く。変形菌が一杯。偉人・異人である。
2006/11/16(木) ダリ回顧展 ― 2006年11月16日 00:00
日曜の泊まり勤務の振替で今日は休み。上野の森美術館で開催中の「生誕100年記念 ダリ回顧展」へ。
昼前の時点で入場待ち行列はないものの、中ではじっと並んでいないと絵のそばに寄れない程度の混み具合。平日のためか、主婦層、学生風あたりが多い。
出品点数は約90。最初に展示されている「病める子供」はダリ18~19歳の自画像。以下ほぼ年代順に「ダリと家族」「ダリとシュールレアリスム」「ダリの晩年」などのコーナーが設けられている。
映画との関わりで「アンダルシアの犬」のビデオ上映もあった。
特に目に止まった作品のメモ。
・静物('24頃):キュービスム
・パン籠('26):ダリ的な画風の最初?
・雲で満たされた頭を持つ男('36):マグリットふう
・ネロの鼻の近くの脱物質化('47):明らかな核分裂のイメージ。台座に彫られた文字は「ATOMIC VS NEMO」?
・映画『白い恐怖』の夢のシーンのデザイン('45頃):これは怖い
立体鏡作品が2組あったが、立体視はできず。図録で試してみよう。
よく知られた(自分でも知っている)作品では「焼いたベーコンのある自画像」「記憶の固執の崩壊」などが出品されているが、ダリの全体像を示すには点数が不足か。それでもダリの人生に沿って感心の移り変わりが分かるし、珍しい作品も見られたのでよかった。
K田・T(ミクシィネーム:さざんかQ)氏ご用達のとんかつ井泉で遅い昼食。
2006/11/18(土) 第55回 桂平治独演會 ― 2006年11月18日 14:00
お江戸日本橋亭にて桂平治独演会を聴く。
K田・T(ミクシィネーム:さざんかQ)氏繋がりで師匠ご本人から案内ハガキを頂き、前売り料金の\2000。
前から2列目に座ると、間もなくK田氏もいらっしゃった。
開口一番は桂ち太郎「転失気(てんしき)」。おならと盃のどちらも「ツマミがいります」とサゲていたが、本来は「プープーが出ます」だったらしい。現代では通じにくいので工夫したのだろう。
落語ばなし/落語「転失気」の舞台を行く ⇒ https://rakugonobutai.web.fc2.com/18tennsiki/tensiki.html
三笑亭恋生は海外のトイレ事情をまくらに「二人旅(ににんたび)」。婆さんの演技が上手い。K田氏によると来年真打昇進とのこと。
次がいよいよ平治師匠「位牌屋」。
「三ぼう」ってのがあって、これをやっていれば寄席のお客に失礼にならない。それは「泥棒、つんぼう、けちん坊」とドケチの噺に入る。小僧が聞いたとおりの問答を頓珍漢な場面で繰り返すパターンだが、掠めてきた位牌を「生まれた子供のになさい」というサゲはブラックだ。大きな声で表情豊かにエネルギッシュな語り。
お仲入りがあって、林家正楽師匠の紙切り。
まず古風な相合傘、躍動感溢れる馬を切ってみせてから客の注文を受ける。「酉の市」「木枯らし」「舞子さん」などの声に応え、背景まで入れた情景を切り取る技が見事。木枯らしなんてどうするかと思ったら風の流線を入れていた。終わってからK田氏「紙切りしている師匠を頼もうかと思ったんだけど」。メタなネタ。
トリはもちろん平治師匠で「質屋庫(しちやぐら)」。
前座噺が一番難しい、文治師匠の内弟子として修行したのが財産になっている、例えば扇子の使い方と、酒を飲むしぐさをやってみせる。大盃をゴクリゴクリと飲み干す様が実に美味しそう。広げた面の隅に口をつければ扇が扇に留まらずイメージが広がるとの説明。何気なく見ていたが、なるほど洗練された芸である。以上まくら。
本編は熊さんの腕っ節自慢と化け物怖い落差の演技が可笑しい。
打ち上げに出るというK田氏と別れて淡路町まで歩く。これまで通りかかるたびに行列が出来ていて見送った「神田まつや」が開いていたので、夕食には早いが暖簾をくぐった。5時前なのにほぼ満席。蕎麦はパラっとした感じでコシがあり、つるつると入る。酒と盛り蕎麦で\1150。さすがに評判の老舗、リーズナブルで美味し。
2006/11/23(木・祝) 表妙義 ― 2006年11月23日 00:00
(2024/2/5記)
写真とGPSトラック以外に記録が残っていない(当時のミクシィ日記は下の文章冒頭の参加メンバ部分のみ、【作成中】のまま放置状態だった)。以下、ルートと写真のみ掲げる。
***
無名山塾の仲間との自主山行。メンバはS木・Y氏、K山・N氏、Y永・H氏、自分。それにK藤講師とI藤・Y氏の参加を得て体制は万全。
前夜、K藤講師らは車で現地入りし、自分は電車。最終電車が出て駅舎を追い出され、歩き出したところが迎えの車組とすれ違ってしまったりという一幕があった。
道の駅みょうぎの駐車場で一夜を明かし、7:20に出発。
大の字に上がる。
奥の院を経て、見晴で稜線へ。
大のぞきには「御嶽三社大神」の碑が建つ。
9:55 天狗岳(1084m)から、浅間山が浮かんで見えた。
10:20 相馬岳(1104.0m)。
稜線上の1094m(末尾のルート図では「朝日岳」の上辺り)を過ぎて...
断崖を伝い下りる。
14:50 中之岳神社に下山した。
■今回のルート
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