2014/8/9(土)~8/11(月) 西穂高岳・焼岳 ― 2014年08月09日 00:00
無名山塾の技術委員会企画。自分がリーダーで、入会間もないI上・M氏(女性)が参加(T浦・R氏も参加予定だったが体調不良でキャンセル)。
土曜日は台風11号の近づく中を西穂山荘のテント場で1泊、日曜は山荘に逃げ込んで停滞。今回は新人のテント泊経験がテーマのひとつだが、かなりパンチの効いた経験だったか。普通、台風の風が吹き始めてる時にテントを張ったりしないわな。
土曜日の西穂は独標を越えたところで風が強くなったため引き返した。月曜日の焼岳には登頂して、自分は百名山52山目。
■8/8(金)
さわやか信州号・新宿22:30に二人で乗車。4号車はガラ空きで社内にザックを持ち込み、めいめい好きなところに座って寝る。
■8/9(土)
5時半前に上高地に到着。曇り。6時に歩き始め。
田代橋を渡ると西穂への登山道は東屋ふうの屋根を潜るのだが、そこに掛かっている標識が大き過ぎて見落し(その横の焼岳とかウエストン碑とかの方に気をとられた)、同じ方角へ向かう舗装路に入ってしまった。これは地図に載っていないヘリポートへ行く道で行き止まり。引き返して登山道に入る。
樹林の中、30分ほどは緩やかで、そこから急登になる。I上氏はザックが重いようでスピード上がらず、何組かのパーティに追い越される。今回が初テントの彼女に食当(しょくとう。食事担当)を任せたのだが、食材を結構持っているらしい。しかし、軽量化の大切さを知る経験になるだろうとあえて何も言わない。1950mで尾根に乗るといったん平坦になって一息つくが、また登り。エアリア(昭文社の山と高原地図)に水場マークの付いた宝水はチョロチョロした沢で、水を調達するには時間がかかりそうだ。喉を湿しただけで先へ進む。台風11号は今夜半から風が強まるという予報だったが、そろそろ風が出てきた。再び足元が緩やかになると木道があり、焼岳への縦走路を分けて、10:20 西穂山荘に到着。登山口から3:50で、ちょうどエアリアのコースタイムだった。
これから風雨が強くなって危ないようなら小屋に逃げ込ませてもらうということで、一人一泊\1000を払ってテント受付する。東風が吹いているのでそれを避けるようテント場の隅に設営。当然、我々の一張りだけである。
天気はともかく時間は早いので西穂高岳山頂ピストンに出ようと準備していると、山荘の方(後日確認したところ、ジョームこと粟澤徹氏だった)が来て天候やルート状況を説明してくれた。曰く「上高地へ下山する場合、中尾根付近が風の通り道になっており滑落に注意。風による倒木や太い枝の落下もありうる。焼岳からの下山路も以前の台風で倒木があった。下山するなら明日よりも今日の方がよい。明日下りても雨量規制の通行止めで上高地から出られない可能性がある。日程に余裕があるなら明日一日を山荘で停滞すれば月曜には天候回復するかもしれない」。明日、焼岳に縦走できなければ朝のうちに上高地に下山する心積もりだったのだが、この話で停滞に心が動く。しかしそれも天候次第。今は西穂へ向かおう。
余分な荷物をテントに置き、11:10 出発。下りてくる人たちと擦れ違う。雲が垂れ込めてきていて、笠ヶ岳の山頂が見え隠れする。
I上氏を先にして歩きながら、引き返し条件を決める。1.よろけるほどの風が吹き始めたら。2.土砂降りになったら。3.15時になったら。
一時小雨がパラついたが本降りにならずに止み、独標の基部へ。
ペンキマークが煩いほどあってルートを誤る心配はないが、ここは自分が先に立ち、12:45 西穂独標(2701m)に立った。
独標から下りた箇所が風の通り道であるように見えたが実際にはそれほどのこともなく、次のピークへ。上がってみると岩に「10」とある。独標が「11峰」でさらに山荘に近いところが「12」だ。時刻は13時、風雨もまだ引き返し条件に至らないが、次第に風も強まっているので今回はピラミッドピークの手前、この「10峰」までとした。
14:10 山荘に戻り、別館の売店テーブルで生ビール。テレビはずっと台風ニュースで、この辺は明日が台風本番になる。
テントに戻って食事。I上氏、タマネギ、キュウリなど野菜をいろいろ持ってきている。小梨平ならともかく(大元の計画では今日は小梨平泊だった)これを運び上げるのは重かったろう。雨が激しくなり、ベンチレータから時折吹き込む。天井真ん中のループは外側のポールに掛ける部分と繋がっており、水を導き入れることが判明、レジ袋をあてがって水滴を受ける。
しかし、夜中には雨は止み、風も(場所を選んだ甲斐があって)テントを揺らすことはそれほどなかった。周囲の森のどよめきにも次第に慣れ、意外と楽に一晩を過ごした。
■8/10(日)
3時起床、朝食中にまた降り出した。もちろん風も強く焼岳へ縦走する状況ではないので、山荘での停滞を決定。朝食後にテント撤収し、別館に退避した。まだスタッフも出てくる時間ではないので、ラジオを聴きながら暇潰し。
やがて小屋の朝食も済んで人が出てくる。中高年男女の一団は新潟からのツアーだそうだが、インストラクターの若い男性が来て「会社の方でデータを見て、上高地へ下山することになりました」。窓外の風雨に「怖い」との声もあったが、その後ニュースもないから無事に下山したのだろう。
部屋の掃除も済んで、素泊まり\6800でチェックイン。部屋は「霞沢2」を貸切。食堂がいくらか暖かいので、手持ちの文庫本や山荘の書庫にあった「ゲゲゲの鬼太郎」(ちくま文庫)を読む。恥ずかしながら「鬼太郎」はちゃんと読んだことがなかった。素晴らしい作品。
そうこうするうち、山荘スタッフも集まって粟澤氏のお天気教室が開講。雲のできる仕組みなど実験を交えて気象の基礎知識を解説してくれた。氏は雑誌「ランドネ」に連載を持ち、その講義版もやったそうである。それがタダで聴けるとはラッキー。facebookにも「やさしい山のお天気教室」がある。
風雨は15時過ぎが最も激しかったろうか。別館で夕食を自炊しているところに単独で来た人がいた。明日の天候回復を見込んでの行動だろうが、樹林帯とはいえ、よく登ってきたものだ。
■8/11(月)
3時半起床、暗い別館で食事。残念ながら台風一過とはいかなかった。時折雨が激しくなるが、風はそれほどでもないので焼岳へ向かうことにする。5時過ぎに出発。
縦走路に入り平坦になると、雨は激しくないものの足元は水溜り。きぬがさの池は草に隠れているのか見えなかった。I上氏に地形図と現在地の対応を見せたりしながら、6:45に槍見台(2250m)。何も見えないが、振り返った方角に槍ヶ岳があるはずだ。割谷山からは左右の等高線が密になるが、特に難しい箇所はない。割谷山を巻いたところで擦れ違った夫婦ペアが、西穂山荘~焼岳小屋間で出会った唯一の人間。9:20に焼岳小屋。I上氏はまだザックが重いのか、あるいは雨の中を歩き慣れないためか、ペースが遅い。
小屋前で小休止して、焼岳へ最後の登り。このままI上氏に合わせているとエアリアコースタイム+αで予定した行動時間を大幅にオーバーしそうなので、自分が先に立って歩きのリズムなど説明しながら速度向上を試みる。しかし、最後までI上氏のペースは変えられなかった。特に疲労している様子はないのだが、体力に余裕がなくてペースの切替ができないのだろう。リーダーとして事前に把握しておくべきことではあるが、長い行動は今回が初めてなので、お互いに探りながらという面はある。
展望台を越えて中尾峠を過ぎると何となく硫黄臭くなり、植物も少なくなる。岩のペンキマークは豊富だが、ところどころ消して×になっているのは、岩が不安定で道が変ってしまうのだろう。
火山らしく荒れた斜面を登り、ガスの噴出する前を抜け、岩の段差をよじ登って、11:20 焼岳北峰(2444.3m。山頂標識は2393mとなっているが、それは地形図上で少し北西に記された標高)。南峰(2455.4m)の方が高くて三角点もあるが立入禁止なので、これで焼岳登頂ということにする。雨は止んでいるがガスの中、風が強くて寒い。景色もないのでそうそうに下りる。
下りもペースは変らず小屋に戻って12:40。休憩して上高地へ、溶岩流の跡なのだろう、黒っぽく見える峠沢に沿って下る。観光地へ続く道とは思えない高度感の連結ハシゴがある。
早くから梓川や赤い屋根が見えるだけに樹林の歩きが長く感じられる。ようやく道路に出たのは15時過ぎで、入浴は割愛(この時間に立寄り入浴できる場所があるかは知らないが)。
バスターミナルに着いたのは15:45。急いで身支度だけして16:00新島々行きのバスに乗った。
■今回のルート
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