2005/6/19(日) 「クジラの島の少女」2005年06月19日 00:00

NHK-BS2での先日の放送を録画してあった「クジラの島の少女」(2002年、ニュージーランド)を観る。

先祖はクジラに乗って来たという伝説をもつマオリの族長とその孫として生まれた少女パイケア。祖父が跡取りと期待した孫息子=少女の双子の弟は死産だった。パイケアは本来族長を継ぐべき男子の名だが、孫息子にしか目が向かない祖父に反抗して父親が命名したのだ。やがて父は国を出る。パイケアが自己を主張することは長男以外を跡取りと認めない祖父にとっては伝統の破壊を意味した。子供らしく愛情を求めつつも因習を打ち破ろうとするパイケア。そこにささやかな奇跡が起こって・・・

公式サイトによると<ニュージーランド版「風の谷のナウシカ」とも言える感動作>。うーん、ちょっと違う気がする。
「ナウシカ」ではまず異世界の構築に圧倒される。ナウシカは最初から民に愛される姫さまである。もっとも人と蟲の双方に親和性を持つ特異な存在ではあるが。
一方「クジラの島」は現代のニュージーランドが舞台であり、そこにこそ映画のテーマもある。パイケアは自己を確立して世界との関係を取り結ぼうという年頃の子供である。

パイケア役は11歳の新人だそうだが見事な演技である。それに実に可愛らしい。
説明臭を感じさせずマオリ族の伝統や現状を見せるのも上手い。

祖父との葛藤を中心に描くが、パイケアには味方になってくれる祖母や叔父がいる。喧嘩した男の子とも友達になれそう。決して孤独ではないので観ている方も辛くはない。

この映画は新たな神話を語っていると言えるだろう。伝統的な価値観が失われて若者は故郷を捨てるか日々を無為に暮らす。老人は伝統にしがみつくも無力感に襲われる。そこに少女が奇跡とともに新しい価値観をもたらし村は再生するのである。

今日は同じくTV録画の「インビジブル」も再生。どうでもいい作品だが、ただ言いたいのは、どうしたバーホーベン、愛と正義は最後に勝つ!でいいのか?
あとは『哲学の冒険』のネタになっていたように、透明化と道徳的な逸脱との関係を深く考察するか。

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