2019/4/5(金)~4/7(日) 仙ノ倉北尾根 ― 2019年04月05日 00:00
無名山塾の自主山行。先月敗退した仙ノ倉北尾根に同じメンバ(T中・H氏、Y岡・Y氏、自分)で早くも再挑戦、今度は成功した。自分にとっては2012年3月の初戦以来、三度目の正直ということになる。
■4/5(金)
22位過ぎ、T中氏を乗せたY岡氏の車に自宅からピックアップしてもらい、土樽へ。駅前で車中泊。
■4/6(土)
車で毛渡橋袂の平標登山口へ移動。そこから入る道は除雪されているが通行止めのバーが出ている。来かかった人の話で途中に駐車スペースがありそうなので入ってみると、平標に向かう分岐のところに停められた。6:50に出発、晴れ。
前回と同じ道で8時半に群大仙ノ倉山荘。気温8℃、少し風。ただ、行く手の頂の上を流れる雲は速い。小休止の後、山荘前の橋を渡っていると、イタチのような小動物が向こう岸を走っていった。オコジョかもしれない。
前回はバッキガ平からすぐに北尾根に取り付いて広い斜面を登ったが、今回は左手に見える稜線伝いに行こうと回り込む。スキー跡に引かれて少し回り込み過ぎたが、狙い通りに尾根に乗った。木の幹にペンキマークも付いており、それなりにポピュラーなルートらしい。間もなく男女4名パーティと出会い、もう一人前後していたカメラを携えた年配男性を加え、ワカンで脛程度のラッセルを適当に交替しながら進む。
小屋場ノ頭を越えた平坦地で我々がアイゼンに履き替えている間に、他の5名が先に出た。
その先のナイフリッジは、前回は稜線にピッケルを刺してその下の斜面をキックステップで横歩きして突破したが、今回は先行が稜線にトレースを付けた部分と崩壊した斜面を避けてキックステップ&トラバースする部分とがあった。続く急斜面は時に踏み抜いたりしながら黙々と高度を上げる。
前回テントを張った1530m小ピークを過ぎたあたりで単独男性が引き返し、4人パーティも幕営準備に入った。我々はこの好天の間に最低限シッケイノ頭まで、あわよくばその先のピークまで進みたい。
前回到達点の1627mを過ぎ、シッケイノ頭への斜面までは左に落ちないよう樹木沿いに進む。キックステップの急登が一段落すると、いよいよシッケイノ頭に出る最後の急斜面となる。自分を先頭にさあ登ろうというその時、ボンッという音。「今イヤな音聞いたー」と振り返るとY岡氏も固まっていた。その後ろのT中氏には聞こえなかったようだ。近くの雪面に亀裂が入ったのだろうと探しても特に見えるものはなく、進むかいったん安全地帯に退くかと考えていると、T中氏が「右に木の生えたラインがある」。太い木があるところは雪崩が通らないはずと、そちらに進路を取ることにした。しかしそのラインも木は疎らで、キックステップや樹木を掴んでの登りがあるかと思うと、雪に隠れた亀裂を踏み抜いたりもする。ピッケル、アイゼンを駆使して急傾斜を這い上り、シッケイノ頭の突端に出た。この先は広々としてわずかに高くなった箇所がシッケイノ頭だろう。計画ではここで幕営だが、まだ14時を過ぎたところであり、また明日は天候が下り坂の予報なので、行けるところまで行くこととした。
シッケイノ頭から見て、右から上がってきた尾根から繋がる形で美しいピラミッド型のピークがある。仙ノ倉山かと期待するが、地形図よりも近い印象の上に標高差300mには足りないように見える。
尾根に上がる部分は表面がクラストしており踏むと割れるが、雪が薄く潜り込むほどのことはない。尾根に上がって見上げるピークは下から見たよりも傾斜が急で、風で雪が飛ばされて半分氷化した斜面の登りは太腿に堪(こた)えた。一歩一歩身体を持ち上げて登り切ったところは山頂に続く平坦部の先端で、シッケイノ頭からピークと見えたのはここだった。強風の中で歩みを進め、16時に仙ノ倉山(2026.3m)登頂。リベンジ達成、自分にとっては三度目の正直を祝して3人で握手を交わす。
強風のため山頂に長居はできない。平標方面に下り、2021m手前の鞍部でルートから風下(南)側に外れると緩やかな斜面ながらもいくらか風が遮られるので、ここをテント地とする。スコップでL字を切ってガリガリの雪を平坦に削りテント設営。テント前は緩やかとはいえ凍った雪の斜面なので、手ぶらで、特にテントシューズで歩くのは危ない。テント入口からトイレまで短い道を掘って安全を確保する。自分はTシャツの上にヤッケという軽装だったので、風の中のテント設営は少々冷えた。シュラフに入ってからも風が壁を押していたが、いつしか収まっていった。ただ、時折突風が吹いていたようだ。
■4/7(日)
テント撤収し、5:50出発。-4℃、また風が強い。雲は多いが切れ目から太陽が覗く。昨日、4名パーティの前に出てからは仙ノ倉山頂まで踏み跡がなかったが、山頂からこちらには平標方面からの往復らしいトレースが付いている。
稜線上の道は日当たりが良いためか木道や笹が露出している箇所が多い。ところどころで「東芝ランプ」の赤い道標が谷川岳肩ノ小屋までの距離を示しているのは、かつて小屋で同社製品を使っていたのだろうか。しかし、仙ノ倉と平標の中間地点で「10500m」の表示は、見るとメゲてしまいそうな数字だ。平標の登り口に祀られていた「大山祇(オオヤマツミ)」の石碑に今後も変わらぬ無事を祈って平標山頂を通過。山頂標と並んで三角点標石も出ていた。松手山へのルートに入り、1677m地点を過ぎると風も止んだので、ヤッケを脱ぐ。
松手山から踏み跡を辿ると1411mから尾根を外して東へと下り、別荘地の間の舗装路に出た。10時にバス停に到着し、越後湯沢駅へ。さらにバスで土樽へ。ところがバス終点の「土樽」は駅ではなく集落開発センター前で、毛渡橋までは1kmほどの歩き。登山口に荷物を置いて車を回収、帰途に就いた。
■今回のルート
2019/4/7(日) アブラムシ大発生 ― 2019年04月07日 00:00
仙ノ倉北尾根から帰宅してみると、今日、家の南面に大量のアブラムシが飛来したとのこと。母が文字通りに掃いて捨てた後だったが、一部残っていた。ヒゲナガアブラムシという種類らしいが、雲の如くに移動していたものの一部が家に堰き止められたのか。
・・・いや待て、拡大してみると羽は無い。なら、一体どこからどうやって!?
2019/4/20(土)~4/21(日) 三岩岳(会津駒ヶ岳敗退) ― 2019年04月20日 00:00
無名山塾の技術委員会企画山行。リーダーS木・Y氏(女性)、サブリーダK澤・K氏と自分、メンバは久々のY永・H氏、お馴染みT中・H氏、本科生のH・Y氏(女性)、O宮・T氏、Y本・S氏(女性)で計8名パーティ。三岩岳から会津駒ヶ岳縦走の計画だったが、ペースが上がらず三岩岳ピストンに終わった。
■4/20(土)
会津高原尾瀬口駅に集合、タクシーで小豆温泉へ。上天気。第50回国体の山岳縦走競技開催記念碑の裏で身支度し、残雪を踏んで高い方へと歩き出したのだが、沢に突き当たる。道路を小豆温泉の方へスノーシェッドの入口まで戻り、あらためて斜面に取り付いたのが11:25。
道はないが日当たりがよく雪の切れた斜面をやや強引に上がると小ピークで899.5m三角点の尾根に乗ったことが判る。ブナ主体の樹林は木の周りが解けて地面が見える程度の積雪。マンサクの花も咲いている。
登っていくと1100mを超えた辺りのブナの幹に刻んだ落書きあり。
幼稚なことを、しょうがねぇなぁと思いながら近寄ってみると「大正九年」などと読める。1920年、ほぼ100年前だ。こうなると登山の歴史を刻んだものと言えなくもない。1世紀前、おそらく青年のグループが登ってきて記念に名前などを刻んだのだろう。その時はナイフによる刻みも鋭いささやかなものだったのが、木の成長に従って彫刻刀で彫ったかのような大きさになった。果たして今から100年後にも登山という遊びがあるだろうか、とも思う。
徐々に雪は深くなるものの困難な箇所はない。にも関わらず、どうもO宮氏の足が遅い。夏の空木岳に肉と鉄板を持ち上げて泊まり合わせた人にご馳走するような氏のことで体力はあるはずなのだが。S木氏のコーラである程度持ち直したので、シャリバテ&脱水気味だったのかもしれない。O宮氏のためばかりではないが、計画の三岩岳付近までの進出は止めて泊まることにする。
15:40、1400mを超えた斜面で木の間を選んで整地し、テント二張設営。Y本氏はツェルト泊を経験してみたいと、傍らにツェルトを立てた。寝場所ができてもまだ明るさが残っているので、テーブルを作ってお茶、アルコール、食事。これも残雪期登山の楽しさだ。
■4/21(日)
テントを撤収、アイゼン装着して5時過ぎに出発。雲は多いが無風で暖かい。
1700mまで登ると傾斜が緩むが、昨日に引き続きペースの上がらないメンバもいて、パーティが二つに分かれた。後のグループについてゆっくり行くと、1816m地点で先行グループにいたS木リーダが待っていて、「今回は縦走を取りやめ、三岩岳までのピストンとします」。理由は「このペースで会津駒ヶ岳に向かっても今日中に下山(帰宅)できない」。時に7:10、適切な判断である。そうとなればテント泊装備を担いでいても仕方ないので荷物はここにデポ。
小休止の後、身軽になって登っていくと間もなく、雪に埋もれて屋根の一部が見えるだけの三岩避難小屋。先行組はここに荷物を置いていた。そこから広い雪面を思い思いに登っていくと正面にピークが見えるが、それは三岩岳ではない。本科生に地形図を見てもらい、今この斜面を上がっているのだからあれは大戸沢岳に向かう稜線にある小ピークで、三岩岳山頂へはこの先で右に向かうはず、などと説明する。
地図読み通り、緩やかな稜線に出て方向を変えると一登りで最高所に立った。平坦で山頂がはっきりしないが、見まわすと山頂標が辛うじて雪から頭を出しており、これにて三岩岳(2065.2m)登頂(8:10)。南に向かって弓なりに伸びている稜線が予定のコースで、奥に見える白い三角が会津駒ヶ岳か。会津駒は1月にも敗退しており、なかなかに遠い。南東方向に連なる山々の向こうは日光の女峰山など、その左(東)寄りは塩原の高原山の山塊のようだ。
8時半に下山開始。山頂から真っ直ぐに下って避難小屋手前で自分たちの踏み跡に合流、荷物を回収して10時半にテン場に戻り休憩。往路をそのまま辿り、最後の小ピークの先で今度は登山道が見えて、登ってきた斜面より楽に道路まで下りられた(13:00)。
スノーシェッドを潜って小豆温泉へ行ってみると、なんと休業中(帰宅後に調べてみると、どうも窓明の湯の移転前の施設だったらしい)。がっかりしてそのままそこのバス停へ。会津高原尾瀬口駅に戻ると電車の時間が迫っていた。焦って切符を買い、売店で買った酒を放り込んだバッグを持ち上げると滴(しずく)がポタポタ。ワカンの爪がビールのアルミ缶を突き破っていた。とほほ。
■今回のルート
2019/4/27(土)~4/28(日) 谷川岳主脈(敗退) ― 2019年04月27日 00:00
無名山塾から派生したみどるの会の山行に参加。平標からトマノ耳へと谷川岳の主脈を踏破する計画だったが、強風のため仙ノ倉山の手前で引き返した。
参加者はみどるのM川・N氏(リーダ)、F沢・T氏、H・M氏(女性)、M上・K氏(みどるの会代表)、みどると本科掛け持ちのお馴染みT中・H氏、自分の6人。⇒ みどるの会ホームページ
■4/27(土)
越後湯沢駅に集合。自分は新幹線を使わず一足先に到着していて、改札の方に行ったところT中氏たちが警官と話している。風体を怪しんで職質か?と思ったら、遭難防止に新潟の山のグレーティング表など配っているのだった。それによると、今回の中間地点である仙ノ倉山は<技術的難易度B、体力度4>だ。
バスで平標登山口へ移動。駅では雨だったが薄日が出て小雪が舞う程度に改善した。トイレのある駐車場から11時に歩き始め。河内沢の左岸の登山道に入るが、やがて歩きづらくなって舗装路に出、ヤカイ沢の出合で右岸に移ってしばらく行くと平元新道の入口(1190m)となる。可愛らしい道祖神が置かれ、側面には「満天の星降るごとし登山小屋」。これから向かう平標山ノ家を詠んだものか。あらためて身支度して、12:10に登山開始。
登り始めは空も明るく、足元の雪にも途切れる箇所がある程度でツボ足で進んだが、やがて本格的な降雪となり、高度を上げるにつれ風も強まってきた。1500mを超えた辺りでアイゼン装着。先行者の踏み跡もなくなって、急斜面に登りやすいルートを探しながら行く。
平標山と大源太山の稜線の真ん中に建つ平標山ノ家(1640m)に14:10到着。
小屋泊とテント泊に分かれ、テント組(T中氏、H氏、自分)はテント設営してから休憩料金を払って小屋組に合流、夕食までコタツで団欒した。先行していた単独男性が避難小屋の方に泊まっていた。風雪は相変わらず。
■4/28(日)
幸いに風も収まり、少し青空の覗く曇り空の下、アイゼン装着して6時半過ぎに出発。雪は締まっており歩きやすい。
次第に雲が取れてきた一方で風は強まり、昭文社山と高原地図のコースタイム50分のところを五割増しの感じで7:50に平標山(1983.8m)に登頂。雪は薄く、山頂標や三角点標石はすっかり露出し、凍った地面も見えている。遠い山並みや富士山も見えるが、風は強く、薄くて低い雲が広がってきた。
(M川氏撮影)
皆で集合写真を撮った後、F沢氏は膝が不調との理由で縦走を断念し、M上氏とともに下山することになった。
残った4人で仙ノ倉山へ向け出発。緩やかに1900m鞍部まで下り、また緩やかな登り。稜線上は雪が薄く、凍った木道や階段はアイゼンでは歩きづらい。ただ、笹の間の窪んだ道にはさすがに雪が詰まっている。風はますます強く、以前に右手指を凍傷にやられた自分は二重手袋では指先が冷えてきた。気温からすれば指が凍り付くほどのことはないが、念のため手袋をさらに重ねることにして3人には先に行ってもらう。手袋を万全にして3人に追い付くべく足を速めると、2021mを越えたところでその3人が戻ってきた。強風のため前進を断念するとのこと。自分としてはまだ行ける感覚だが、リーダー判断は尊重すべきだし、今回はみどるの会山行に参加させてもらっている立場でもある。素直に回れ右をして、自然に自分が先頭になった。9:05、仙ノ倉山を前にして撤退。
50分ほどで平標山に戻った。太陽は暈(かさ)を被っているものの空は明るくなり、風も弱まった。登ってきていた数人は山頂までのピストンのようだが、現況から判断するなら縦走も問題なさそうな雰囲気だ。
山ノ家まで下りると、先に下山したF沢氏・M上氏が先ほどまで休んでいたとのこと。トイレを借りるなどしてから下山開始、来た道を辿っていくとやがて二人の背中が見え、パーティが再集合した。
下って行って雪が切れたと思うとすぐに平元新道入口(11:40)。アイゼンを外し、ずっと道を歩いて最後は小学校(廃校)の敷地を通ってバス停へ(12:50)。昨夜、山ノ家の避難小屋にいた兄さんが一足先に下りてバス待ちをしていた。時刻表を確認するとちょうど越後湯沢行の時間で、慌ててピッケルなど刃物を片付け、身支度が済んだところにバスが来た。
例によって駅で反省会、ぽんしゅ館で土産を買った。
■今回のルート

















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