2014/11/9(日) 諏訪大社巡り ― 2014年11月09日 00:00
小淵沢や茅野には何度も来ているが、八ヶ岳に登るばかりでこの土地を見たことがない。最近、『別冊太陽 諸星大二郎『暗黒神話』と古代史の旅』を読んだこともあって、今回は山を軽めにして、一日を諏訪大社と縄文系の博物館に使うことにした。
■11/8(土)
八ヶ岳・三ツ頭から下山し、小淵沢から茅野へ。駅近くで予約しておいたビジネスホテルさかえやにチェックインし、食事に出る。最初に入った店でタブレット端末を使って諏訪大社や尖石縄文考古館への交通を調べるというドロナワ。ここで、目当てにしていた土偶「縄文のビーナス」「仮面の女神」は現在東京に行っていて、こちらにあるのはレプリカだと知る。国立博物館の日本国宝展を参観しなくては。
もう1件、「おやじ」という店に入る。カウンターでひとり飲んでいるのは常連さんだが、何となく話し始めて、キープの「高天」一升瓶から注いでもらったり。岡谷の地酒(http://www.koten-sake.co.jp/)で旨い。すっかりいい気分でベッドに入った。
■11/9(日)
登山装備を茅野駅前ビルのコインロッカーに入れ、下諏訪へ。小雨の中、徒歩で諏訪大社下社春宮へ向かう。まことに立派な神社であるが、思ったより静かだ。
見学しているとボランティア解説員の男性が説明してくれた。今、神様は秋宮の方にいらっしゃること(だから静かなのか?)、御柱のこと、幣拝殿内の彫刻は龍に竹、鶏であり、秋宮では鶏が鶴に変わること。筒粥殿で一月に行われる米と小豆を煮て豊凶を占う神事は、稲作以前の気配がして興味深い。
万治の石仏がすぐ近くなので立寄った。岩に仏の身体をレリーフし、その上に仏頭を載せている。身体の模様は太陽、雷、月など大宇宙のすべてを表し、阿弥陀如来と大日如来を一体に共存させた密教の教えとのこと。
下社の秋宮へは風情のある中仙道経由で徒歩移動。こちらは七五三や菊の品評会で賑わっていた。造りはなるほど、春宮と同じだ。
上社は上諏訪駅から市内循環の「かりんちゃんバス」に乗って約1時間。バス停は諏訪市博物館なのだが、時間がないので博物館はパス。
ここは上社の本宮で、全国一万有余の諏訪神社の総本社。こちらもまた七五三と菊。境内の大欅は<古くは贄(にえ)、御狩(みかり)の獲物(お供物)を掛けて祈願をしたことから「贄掛けの欅」と呼ばれ>た。これはまた狩猟採集的な気配。一方で<毎年春の御頭祭(おんとうさい)には近隣の農家の人々が種もみを浸してその浮き沈みに依って豊凶を占った>「五穀の種池」もある。
諏訪大社はあと一つ上社前宮であるが、そこまで1km少々を歩く。道端の小さな祠まで4本の御柱に囲まれているのが独特だ。
前宮の手前に茅野市神長官守矢(じんちょうかんもりや)史料館がある。守矢家は古来より祭祀を司っていたが、諏訪大明神建御名方命(たけみなかたのみこと)がこの地に至って祭祀権を譲り渡し、上社の神長官という役職に就いたのだという。館内の壁にずらっと並ぶ鹿や猪の首は、菅江真澄の残したスケッチに基づいて復元した上社の御頭祭の様子だ。
史料館の敷地内にあるミシャグチ社には鹿の頭骨や栗の実が供えられており、ますます縄文的な雰囲気。
史料館は建築史家、建築家の藤森照信氏によるもので、近所には同氏の「空飛ぶ泥舟」とかハック・フィンのような樹上の家もある。
上社前宮は祭神が最初に居を構えた、諏訪信仰発祥の地だという。観光客でここまで参拝にくる者は稀なようで静かだった。
これにて諏訪大社巡りは終了だが、もう15時過ぎ。尖石縄文考古館は次の機会に回すことにして、茅野駅まで地図を見ながら歩いた。
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