2014/8/1(金) 「ゴジラ」2014年08月01日 00:00

ゴジラを観た。
映画サービスデーのためもあってか、シネマサンシャインの2D字幕版レイトショーは混んでいた。

なるべく情報を入れずに臨んだのだが、そうか、ゴジラ映画の中でそういうフォーマットなのか。前半はやや退屈、芹沢博士も家族愛もストーリーに絡んでこずシナリオ的にはどうかと思うけど、怪獣が暴れだせばA-OK。

初代ゴジラ(1954)では戦争の記憶が通奏低音となっていたのに対し、今作は9.11&3.11を入れてみました、という感じ。映像はショッキングだが、後を引かない。

もう一度、次は3Dで観るかな。

2014/8/9(土)~8/11(月) 西穂高岳・焼岳2014年08月09日 00:00

無名山塾の技術委員会企画。自分がリーダーで、入会間もないI上・M氏(女性)が参加(T浦・R氏も参加予定だったが体調不良でキャンセル)。
土曜日は台風11号の近づく中を西穂山荘のテント場で1泊、日曜は山荘に逃げ込んで停滞。今回は新人のテント泊経験がテーマのひとつだが、かなりパンチの効いた経験だったか。普通、台風の風が吹き始めてる時にテントを張ったりしないわな。
土曜日の西穂は独標を越えたところで風が強くなったため引き返した。月曜日の焼岳には登頂して、自分は百名山52山目。

■8/8(金)
さわやか信州号・新宿22:30に二人で乗車。4号車はガラ空きで社内にザックを持ち込み、めいめい好きなところに座って寝る。

■8/9(土)
5時半前に上高地に到着。曇り。6時に歩き始め。
田代橋を渡ると西穂への登山道は東屋ふうの屋根を潜るのだが、そこに掛かっている標識が大き過ぎて見落し(その横の焼岳とかウエストン碑とかの方に気をとられた)、同じ方角へ向かう舗装路に入ってしまった。これは地図に載っていないヘリポートへ行く道で行き止まり。引き返して登山道に入る。
樹林の中、30分ほどは緩やかで、そこから急登になる。I上氏はザックが重いようでスピード上がらず、何組かのパーティに追い越される。今回が初テントの彼女に食当(しょくとう。食事担当)を任せたのだが、食材を結構持っているらしい。しかし、軽量化の大切さを知る経験になるだろうとあえて何も言わない。1950mで尾根に乗るといったん平坦になって一息つくが、また登り。エアリア(昭文社の山と高原地図)に水場マークの付いた宝水はチョロチョロした沢で、水を調達するには時間がかかりそうだ。喉を湿しただけで先へ進む。台風11号は今夜半から風が強まるという予報だったが、そろそろ風が出てきた。再び足元が緩やかになると木道があり、焼岳への縦走路を分けて、10:20 西穂山荘に到着。登山口から3:50で、ちょうどエアリアのコースタイムだった。
これから風雨が強くなって危ないようなら小屋に逃げ込ませてもらうということで、一人一泊\1000を払ってテント受付する。東風が吹いているのでそれを避けるようテント場の隅に設営。当然、我々の一張りだけである。
西穂山荘テン場

天気はともかく時間は早いので西穂高岳山頂ピストンに出ようと準備していると、山荘の方(後日確認したところ、ジョームこと粟澤徹氏だった)が来て天候やルート状況を説明してくれた。曰く「上高地へ下山する場合、中尾根付近が風の通り道になっており滑落に注意。風による倒木や太い枝の落下もありうる。焼岳からの下山路も以前の台風で倒木があった。下山するなら明日よりも今日の方がよい。明日下りても雨量規制の通行止めで上高地から出られない可能性がある。日程に余裕があるなら明日一日を山荘で停滞すれば月曜には天候回復するかもしれない」。明日、焼岳に縦走できなければ朝のうちに上高地に下山する心積もりだったのだが、この話で停滞に心が動く。しかしそれも天候次第。今は西穂へ向かおう。

余分な荷物をテントに置き、11:10 出発。下りてくる人たちと擦れ違う。雲が垂れ込めてきていて、笠ヶ岳の山頂が見え隠れする。
I上氏を先にして歩きながら、引き返し条件を決める。1.よろけるほどの風が吹き始めたら。2.土砂降りになったら。3.15時になったら。
一時小雨がパラついたが本降りにならずに止み、独標の基部へ。
独標を望む
ペンキマークが煩いほどあってルートを誤る心配はないが、ここは自分が先に立ち、12:45 西穂独標(2701m)に立った。
独標から下りた箇所が風の通り道であるように見えたが実際にはそれほどのこともなく、次のピークへ。上がってみると岩に「10」とある。独標が「11峰」でさらに山荘に近いところが「12」だ。時刻は13時、風雨もまだ引き返し条件に至らないが、次第に風も強まっているので今回はピラミッドピークの手前、この「10峰」までとした。

14:10 山荘に戻り、別館の売店テーブルで生ビール。テレビはずっと台風ニュースで、この辺は明日が台風本番になる。
テントに戻って食事。I上氏、タマネギ、キュウリなど野菜をいろいろ持ってきている。小梨平ならともかく(大元の計画では今日は小梨平泊だった)これを運び上げるのは重かったろう。雨が激しくなり、ベンチレータから時折吹き込む。天井真ん中のループは外側のポールに掛ける部分と繋がっており、水を導き入れることが判明、レジ袋をあてがって水滴を受ける。
しかし、夜中には雨は止み、風も(場所を選んだ甲斐があって)テントを揺らすことはそれほどなかった。周囲の森のどよめきにも次第に慣れ、意外と楽に一晩を過ごした。

■8/10(日)
3時起床、朝食中にまた降り出した。もちろん風も強く焼岳へ縦走する状況ではないので、山荘での停滞を決定。朝食後にテント撤収し、別館に退避した。まだスタッフも出てくる時間ではないので、ラジオを聴きながら暇潰し。
やがて小屋の朝食も済んで人が出てくる。中高年男女の一団は新潟からのツアーだそうだが、インストラクターの若い男性が来て「会社の方でデータを見て、上高地へ下山することになりました」。窓外の風雨に「怖い」との声もあったが、その後ニュースもないから無事に下山したのだろう。
部屋の掃除も済んで、素泊まり\6800でチェックイン。部屋は「霞沢2」を貸切。食堂がいくらか暖かいので、手持ちの文庫本や山荘の書庫にあった「ゲゲゲの鬼太郎」(ちくま文庫)を読む。恥ずかしながら「鬼太郎」はちゃんと読んだことがなかった。素晴らしい作品。
そうこうするうち、山荘スタッフも集まって粟澤氏のお天気教室が開講。雲のできる仕組みなど実験を交えて気象の基礎知識を解説してくれた。氏は雑誌「ランドネ」に連載を持ち、その講義版もやったそうである。それがタダで聴けるとはラッキー。facebookにも「やさしい山のお天気教室」がある。
風雨は15時過ぎが最も激しかったろうか。別館で夕食を自炊しているところに単独で来た人がいた。明日の天候回復を見込んでの行動だろうが、樹林帯とはいえ、よく登ってきたものだ。

■8/11(月)
3時半起床、暗い別館で食事。残念ながら台風一過とはいかなかった。時折雨が激しくなるが、風はそれほどでもないので焼岳へ向かうことにする。5時過ぎに出発。
縦走路に入り平坦になると、雨は激しくないものの足元は水溜り。きぬがさの池は草に隠れているのか見えなかった。I上氏に地形図と現在地の対応を見せたりしながら、6:45に槍見台(2250m)。何も見えないが、振り返った方角に槍ヶ岳があるはずだ。割谷山からは左右の等高線が密になるが、特に難しい箇所はない。割谷山を巻いたところで擦れ違った夫婦ペアが、西穂山荘~焼岳小屋間で出会った唯一の人間。9:20に焼岳小屋。I上氏はまだザックが重いのか、あるいは雨の中を歩き慣れないためか、ペースが遅い。
小屋前で小休止して、焼岳へ最後の登り。このままI上氏に合わせているとエアリアコースタイム+αで予定した行動時間を大幅にオーバーしそうなので、自分が先に立って歩きのリズムなど説明しながら速度向上を試みる。しかし、最後までI上氏のペースは変えられなかった。特に疲労している様子はないのだが、体力に余裕がなくてペースの切替ができないのだろう。リーダーとして事前に把握しておくべきことではあるが、長い行動は今回が初めてなので、お互いに探りながらという面はある。
展望台を越えて中尾峠を過ぎると何となく硫黄臭くなり、植物も少なくなる。岩のペンキマークは豊富だが、ところどころ消して×になっているのは、岩が不安定で道が変ってしまうのだろう。
焼岳の登り
火山らしく荒れた斜面を登り、ガスの噴出する前を抜け、岩の段差をよじ登って、11:20 焼岳北峰(2444.3m。山頂標識は2393mとなっているが、それは地形図上で少し北西に記された標高)。南峰(2455.4m)の方が高くて三角点もあるが立入禁止なので、これで焼岳登頂ということにする。雨は止んでいるがガスの中、風が強くて寒い。景色もないのでそうそうに下りる。
下りもペースは変らず小屋に戻って12:40。休憩して上高地へ、溶岩流の跡なのだろう、黒っぽく見える峠沢に沿って下る。観光地へ続く道とは思えない高度感の連結ハシゴがある。
下山路のハシゴ
早くから梓川や赤い屋根が見えるだけに樹林の歩きが長く感じられる。ようやく道路に出たのは15時過ぎで、入浴は割愛(この時間に立寄り入浴できる場所があるかは知らないが)。
バスターミナルに着いたのは15:45。急いで身支度だけして16:00新島々行きのバスに乗った。

■今回のルート
西穂高岳・焼岳ルート

2014/8/19(火) クロサンショウウオの卵2014年08月19日 20:00

2008年のGWに飯豊連峰を縦走して川入に下りた時(https://marukoba.asablo.jp/blog/2008/05/03/9511958)、道脇の水の中に見たマシュマロみたいなもの。今日、NHKの妙高山の番組で正体を知った。クロサンショウウオの卵!(正確には卵のう) 6年越しの謎が解けた。
クロサンショウウオの卵

2014/8/23(土)~8/24(日) 餓鬼岳~燕岳2014年08月23日 00:00

単独個人山行。
エアリア(昭文社の山と高原地図)の赤線一般ルートだが、登山口から餓鬼岳山頂まで標高差1600mは思いの外厳しい。
この夏の山行で初めて雨に遭わないで済むかと思ったが、燕岳の稜線に出たところで降られた。

■8/22(金)
一日人間ドックを受診後、そのまま新宿からあずさに乗車。信濃大町のニュー竹乃家旅館に一泊。

■8/23(土)
起床時は小雨だったが、始発電車に乗るべく宿を出る時には止んでいた。信濃常盤駅からタクシーで餓鬼岳登山口へ。迎車料金含めて\2480。車中から餓鬼岳の稜線が見え、晴れてくる様子。
6時に歩き始め。林道を10分ほど入ったところに白沢登山口の道標があり、ここから沢に沿って登っていく。紅葉ノ滝は木の間に見え隠れ。名前の通り、時期には紅葉を透かして見る風情だろう。クサリ付きの桟道が掛かっているが、足を滑らさなければ問題ない。魚止ノ滝は岸壁を薄く水が流れ落ちて清清しい。
魚止ノ滝
滝を横に見ながら登ると水場がある。水を飲み、昨日から着ていて少々汗くさいTシャツを流れに浸した。そこから30分ほどで最終水場(標高1500m)。3リットル汲むとずしりと重い上に、ここから大凪山まで標高差500m以上を一気に上がる急登。擦れ違った単独女性は「下るのも大変」と言っていた。傾斜が緩んだところで休憩していると日が差してきて、気温17℃。歩き出すと笹が生い茂っているが、道端に丸鋸が置いてあった。伸びる夏草をシーズン中に何回か刈り払いしてくれているのだろう。
9時半、大凪山(2079m)を通過。標識がなければ気付かない、ただの登山道だ。大いに凪いでいる山だと納得する。
先ほどまでの勾配ではないにせよ、まだまだ登りがキツい。2350m付近で足元に「百曲り入口 あと1:00」と記した札があるのは、ここが百曲りで小屋まで1時間の意味なのだろう。ジグザグに登って「小屋まであと10分」の標識にようやくゴールが近づいたと思うが、そこからも結構長い。

11:40 餓鬼岳小屋に到着。中を覗いても誰もいなかったのは外回りの掃除でもしていたのだろう、やってきたスタッフを掴まえてテント受付。今時\500は安い。水を買うこともできるが今回は運び上げた分で足りる。トイレは小屋の前にある。
餓鬼岳小屋
テント場は燕岳方面に数分進んだところで、無人だった。隅にテントを張り、荷物整理して出発。ほんの一登りで 12:30に餓鬼岳(2647.2m)登頂。燕岳方面の稜線からガスが湧き立っているが、裏銀座方向の眺望はよい。
餓鬼岳小屋からの眺め
山頂には、小屋まで登る途中で追い越した男性ともう一人男性がいたのみ。静かな山だ。鎮座する祠に下山までの無事をお願いする。

さて、ここから唐沢岳を往復すると、エアリアのコースタイムで約5時間。テントに戻るのが5時半ならまだ明るいだろうが、その前に夕立が来るかもしれない。ここまでの登りでいい加減草臥(くたび)れているので、天気が崩れたらそれを言い訳に引き返そうと歩き出した。先ほどの二人は小屋の方に戻ったし、この先におそらく人はいない。

山頂から少し行くと展望台があり、ここから150mほども下って餓鬼のコブ。ハイマツから岩山がニョッキリ生えているようだ。樹林に入ってもアップダウンがあり疲れが募ってきたところで、花崗岩の壁に沿って進む。これを過ぎたら唐沢岳山頂ではないかと期待したがそんなことはなく、まだ登りは続く。
唐沢岳の登り
高度を稼いだと思ったら今度は砂礫を踏んで下る。岩塊を回り込むようにして最後がロープ付きの急坂。稜線に這い上がり、コマクサ(この辺は花は終わった様子)の群生する砂地を見ながら進んで14:40 唐沢岳(2632.4m)登頂。夕立の気配はないが湧き立つ雲は増している。ここからの展望は素晴らしいそうだが、残念ながら遠くまでは見通せなかった。吹く風も冷たくなってきているので、写真だけ撮って早々に下りる。
餓鬼岳小屋←→唐沢岳は完全にピストンなので、帰りも同じだけ疲れる。特に餓鬼のコブを過ぎて展望台への登りが地獄。地図には餓鬼岳山頂へ上がらずトラバースして小屋へ至る道があるのだが、分岐箇所の道標は山頂を示すのみでトラバース道の岩には×印が付いている。仕方なく登り続け、誰もいない山頂で祠に無事帰還のお礼をして、17:10 小屋に戻った。これまた無人の小屋前ベンチで、真っ白になった空を前に缶ビールを開ける。小屋には数人の客がいたようだ。

■8/24(日)
4:30 出発。曇り、10℃。
行くと、花崗岩にかなりオンボロの木のハシゴや桟道が連続するが、擦れ違う人もないのでどんどん進む。ずっと下に見える水面は高瀬ダムだ。北鎌尾根(http://marukoba.asablo.jp/blog/2012/09/14/9229487)へはあそこから歩いたっけ。
通り雨か、東沢岳でパラパラときたが、7時半に東沢乗越まで行くと日が出てきた。こうなると暑い。稜線が近くなり、前方の崩壊地を見やると、サルが1頭、こちらに尻を向けてゆうゆうと歩いていく。それを追って(もちろん、十分な距離を取っている)こちらも崩壊地を過ぎて樹林に入り、高度を上げる。
2723地点に向かって高山植物とハイマツ混じりの斜面を登りつめ、あとは快適な稜線歩き・・・と思ったら、雨。砂礫の稜線でだいぶ濡れてしまったが、風もあるので岩陰まで行って雨具を着けた。
稜線が砂礫から大岩の連なりに変っていくと、その上にサルが2頭。1頭は時々立ち上がって遠くを見る様子だ。しかし、こちらも待ってはいられない。近づいていくと、彼らの方が岩から下りて姿を消した。
サル
燕岳まで稜線上を行けるのかと思ったら、道はまた東側の草の斜面へと下りていき、雨と露とでますますびしょ濡れ。稜線に復帰したところに「北燕岳頂上」の指導票があったので稜線上を北に戻る感じに行ってみたが、明確な山頂は分からなかった。地形図に山名も標高も示されていない、名前通りに燕岳の北のピークだ。
今度こそ稜線歩きで、咲いているコマクサを見ながら、9:40 燕岳(2763.0m)登頂。
コマクサ
ここまで来て今日はじめて人を見る。餓鬼岳の不人気がよく分かるが、渋くて静かな山も良い。一方の燕は人気だが、雨は小降りになったものの景色は見えないので、特に休憩もせず先へ進む。

雨と風で身体が冷えてしまったので燕山荘でココアを頂く。雨は上がったようだ。あとは一気に下る。下り始めて間もなく陽も出てきたので雨具を脱ぎ、先行者をどんどん追い抜いた。
中房温泉に12時。急いで立寄り入浴し、12:35の穂高駅方面バスに乗車。2台目の乗客は自分ひとりだったが、有明荘で満員となった。

■今回のルート
餓鬼岳~燕岳ルート
  (魚止ノ滝付近で迷走しているように見えるのは、GPS衛星の補足状況が悪いため)
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