2014/1/3(金)~1/4(土) 大菩薩嶺~滝子山 ― 2014年01月03日 00:00
新年のシャレ山行として、単独で大菩薩へ。シャレというのはこれ(写真)。
シャレだけではつまらないので、<一日に長距離を歩く>ことをテーマに、大菩薩峠から初雁駅まで南下することにした。思ったより雪があったものの、ずっとトレースが付いていたので計画通りに歩き通せた。
■1/3(金)
奥多摩駅からバスで終点の丹波へ。10:30、薄雲のある晴。林道に入ると日陰で0℃、藤タワに向かう道に入るとアスファルトに雪が残っている。
山道に入るとうっすら雪だが、風がないので登りは暑い。藤タワに11:40。道はしばらく等高線に沿って進み、日当たりによって雪があったりなかったり。エアリア(昭文社の山と高原地図)に水マークと「沢を2回渡渉する」の記載がある箇所は実際には橋が3つ架かっている。水場が雪で埋まっている場合を考えて駅で汲んできたのだが、水流があった。
沢に水音がなくなる辺で左岸から右岸へと渡り尾根へ上がっていく。追分への手前で単独男性と擦れ違ったのが大菩薩峠までに出会ったただ一人。追分に12:40。石尾根から雲取山方面がよく見える。
ノーメダワ(*1)を過ぎると俄然雪が深くなり、スパッツを着ける。フルコンバ(*2)に15時。気温 -5℃、風が通って寒い。
15:50 大菩薩峠に到着。介山荘は戸締りをして小屋主夫妻(?)が荷物を担ごうとしているところだった。避難小屋には外に2人(後でテントを張った)、中に2人と、思ったより人がいる。
とりあえず寝具などを置いて日のあるうちに山頂往復に出る。雷岩で夕景の富士を撮り、大菩薩嶺(2056.9m)に16:30登頂。鹿が白い尻を見せて走り去っていった。
戻る途中で日没となったが、ヘッデンは点けずに避難小屋に帰着。
居合わせた2人は酒飲み山行だそうで、鍋などやっていた。こちらはアルファ米で茶漬けのお手軽メニュー。ウィスキーのお湯割りを寝酒に、20時就寝。
■1/4(土)
4時起床、簡単に食事して5時出発。晴。-5℃だが風はなく、寒さを感じない。甲州市の夜景がきれいだ。 牛ノ寝通りへの分岐手前にツェルト1張り、中で一人寝ている様子。雪原から樹林へとトレースを辿る。
東の空が明るくなってきて、6:35 小金沢山(こがねざわやま、2014.3m)。この標高が今回の目的なので、三角点標石にカメラを置いてセルフ撮影。ここは風が通って-7℃に下がった(この気温は湯ノ沢峠に下りるまでほぼ一定していた)。
昨日までのトレースも目的は同じで、もしかすると小金沢山までではないかと思ったが、まだ先に続いていた。とは言え、やはり踏み込む人数は減ったらしく、ツボ足となって歩きづらい箇所もある。鹿が鳴くと思うと5~6頭の一団が前を横切って走り抜けていく。
7:20 牛奥の雁ヶ腹摺山~8:35 黒岳。富士山がだんだん明るくなって美しい。白谷丸(しらやのまる)から遥かに見える高層ビル群は池袋サンシャインから新宿副都心か? 正面に富士山、右手に白根三山~鳳凰~甲斐駒、さらに八ヶ岳まで眺められる。
道に覆い被さるような笹をのけて、湯ノ沢峠に9:20。気温は+1℃に上昇し、穏やかだ。
ここは十字路で、四方へトレースが付いていた。予定通り南へ向かうと植生保護のために設けられた柵の中を通る。少々曇ってきたが、大蔵高丸(1770m)も秀麗富嶽十二景のうちで眺めがよい。暑いのでヤッケを脱ぎ、シャツの袖を捲くる。
ハマイバ丸(1752.0m。指導標には「破魔射場丸」と漢字も記してある)に11時。草臥れてきたので、ナントカ丸ごとにザックを降ろして水を飲み、行動食を口に入れる。
米背負峠を越え、樹林の間のツボ足トレースを追って、大谷ヶ丸(1643.8m) 12:10。ようやくエアリアのコースタイムか、それより遅い速度でしか進めない。トレースを付けた先人の苦労を想う。
ここで方角が変わり、東側の尾根へ。1567m地点を過ぎたところはトレースが不明瞭で、谷間で鹿トレース(+人の足跡も重なっていた)に少し引っ張られた。赤テープと正しいトレースを見つけて道標のある登山道に復帰。樹林の単調な登りはますます暑く、長袖シャツも脱いでTシャツになる。鎮西ヶ池の手前で擦れ違った2人組はこちらの姿にビックリした様子だったが。彼らはやまと天目山温泉に下りるとのこと。大菩薩峠から下山するまでに見た人間はこの二人だけだが、三が日はもっと賑やかだったのだろうか。
13:40、最後のピーク滝子山(1590.3m)に登りついて思わず遠吠え。いや、思ったより疲れた。トレースがあっても雪は侮れない。
最後にまた周囲を眺めてから下りにかかる。一瞬、アイゼンを着けようかと思う傾斜だがすぐに緩み、三角点を過ぎると雪が融けてずるずるの泥道。その後はそれほど悪い箇所はなく、薄い雪や落葉を踏んで行く。1100mで尾根から下りる箇所の道標には「初狩駅」が2枚付いており、左に下る方は(藤沢)、直進する方は(立河原)とマジックで書き添えられている。手持ちの地図にはないが直進方向にも道が出来たのだろうか。予定通りに左へ下りると、やがてベンチと「最後の水場」の札。沢に下りて顔を洗い、さらに下って15:10に林道に出た。ここで身なりを整える。とうとうアイゼンは使わなかった。
初狩駅までの舗装路でちょっと膝が痛む。駅には16時前に到着、数分で大月行があったので、コーラだけ買って乗車した。
■今回のルート(初日と二日目とに分割)
*1:タワ=弛(たる、たゆ)むで鞍部の意だが、ノーメは何だろう?
*2:フル=古。コンバ=木場=木材を加工する場所。転じて休息所。
2014/1/11(土)~1/12(日) 八ヶ岳・赤岳主稜 ― 2014年01月11日 00:00
無名山塾の自主山行。H方・Y氏企画にT口・H氏、S木・T氏、自分の4人。赤岳主稜は自分は2008年3月(https://marukoba.asablo.jp/blog/2008/03/08/9403647)以来の2回目、他のメンバは初めて(T口氏は取付きまでは行ったそうだが)。
前回はだいぶ失敗したが、今回はルート本体はまずまずの出来。しかし、大渋滞で参った。
■1/11(土)
10時過ぎに茅野駅に集合、S木氏の車で美濃戸へ。赤岳山荘の駐車場まで行けるかと雪道に入ったが上り坂でスリップ、チェーンを装着し人手で押しても無理で、車は坂下の駐車可能スペースに置くことにする。
12:30から歩いて16時に行者小屋に到着。テン場代1人\1000(トイレ設備基準で考えると高い)。水場で冷たい水をたっぷり汲み、テント内でキムチ鍋。アルコールは、自分以外はS木氏が少し飲むだけで皆大人しい。
明日は4時起床、5:30出発と決め、20時頃就寝。
■1/12(日)
予定通りに起床、食事を済ませたが、朝のトイレ(男女兼用のものが2つだけ)が大行列で夜明け前の寒気の中、30分以上も待たされる。ようやく準備が整って出発したのは 6:30。晴れ、-20℃。アメリカに大寒波をもたらした冷気が日本にもくるという予報がこれか。
1時間ほどで文三郎道から赤岳主稜の取付きへ下りる地点に到着。樹林帯を出るまでは穏やかだったが、ここは風が強い。すでに取付きは待ち行列になっていて、我々はここで身支度。ロープはH方&S木、T口&自分の2組で結ぶ。
20分ほど待って取付きへと前進。トラバース中に小さな雪崩がきたが無人地点を舐めたのみで問題なし。途中に出ている岩の通過が確保なしでは少し怖かった(岩を掴もうとするより、立って歩いた方がよかった)。
このチョックストーンの取付きが最初の難関で、前のパーティが詰まっている。足元の雪を安定させ、待ちに待つこと1時間以上、ようやく順番がきたのが9:30頃か。
まずH方氏が上がる。ビレイするS木氏の足元からロープが滑り落ちていくのを押さえようと自分たちのロープを置いてピッケルを伸ばすが、止められるものでもなかった。H方氏の登りはT口氏の陰になっていて岩の上に出るまで見えなかったのだが、体勢に無理があったようだ。岩に身体を寝かすようにして這い上がった。そのままルンゼを登っていってピッチを切り、次にS木氏が上がる。続けて自分のビレイでT口氏、割合にすんなり岩を越えた。しかし、ルンゼを上がっていくにつれビレイする手元のロープが絡む。待ちの間にほぐしておければよかったのだが斜面では思うに任せず、繰り出しながらと思っても無理。T口氏には安定した場所で待ってもらい、絡みをほどく。その間に、次に待っていた3人パーティに行ってもらった。やっと整理できて登攀再開。自分も取付きは前回より上手く上がれたと思う。ルンゼの上部からはロープに導かれて岩に手を掛けて登ったが、実はその奥の雪面が楽に歩けたのだった。
T口氏のビレイでそのまま先に進むと立った壁。ホールド(手掛かり)スタンス(足場)は十分にあるが、身体が固くて足が上がらず、膝登りだ。前回はこの直登を避けたのだったか? 岩を巻くのが少し怖い箇所があるはずと思いながら登っていたが、それらしいところはなく、緩斜面をツルベ(ロープを結んだ二人で先頭を交替しながら進むこと)で上がる。
再び岩を攀じる箇所でまた渋滞している。H方&S木組が一足先に行列に加わり、T口氏もそこまで進んで自分は手前のビレイポイントで待ち。ここでピッチを切らずに追い越して行った二人組が待ち行列を避けて取り付いたが、岩を落としたらしい。「ラク!」の声と共に下の谷の雪面を黒い物が転がっていく。
ようやく前が空いたので自分も岩場へ進み、先のパーティ(H方組との間に入っていた)が登るのを待って取り付く。前回怖かった箇所(上記の巻き)を通過していないので混乱していたが、ここが上部壁の入口だ。一登りの後、記憶にあったボルトで中間支点を取ってトラバースし、核心のチムニーへ。前回はここでエイト環を下げたカラビナが中間支点と干渉してエイト環を落としたのだった。
先のパーティに続き、手掛かりとアイゼン前爪を載せる足掛かりを探して垂直に近い(と感じる)岩壁を攀じる。ピッケルは腰に差した。途中のボルトは使用中だったが、そこで止まっていた先行パーティの一人に断って共用させてもらう。その上はホールドが乏しく、今取った中間支点に掴まってピッケルを取り出し、雪面にピックを打ち込んで身体を持ち上げる。チムニーを抜け出してピッチを切った。
T口氏、上がってくるなり「よくここをリードしたね」。まあ、自分は2回目なので。しかし、前回より少し怖かった気はする。前回は登り始めで引っ掛かり、その後は状況を認識する余裕もなく無我夢中だったということだろうか。
次の岩は一段上がったところで姿勢を変えるのに苦労する。前回も同様だったのを思い出すが、後でT口氏に聞くとそんなことはなかったとの返事。どうも登り方かルートの取り方が拙(まず)いらしい。
そこを抜けると確保の必要もなくなって稜線の一般登山道が見えてくる。
先に登山道まで上がったH方組はロープをしまって「小屋に行ってます」。こちらも稜線に出てみると、途端にすごい風。雪粒がバシバシ顔に当たり眼に入り、たちまち涙目になる。これはたまらんとロープをザックに押し込み、頂上山荘の陰で待つ先行二人に合流した。
赤岳山頂(2899.2m)に14時。周囲は真っ白。とにかく皆の写真を撮り、次に自分を入れて撮ってもらおうとしたら、もうカメラが動かなかった。
強風に飛ばされる雪粒に目潰しを喰らいながらお地蔵様まで行き、手を合わせてから地蔵尾根を下る。樹林帯に入ると稜線の荒れ様が嘘のようだ。
15:20 行者小屋に帰着。朝テントを出てから10時間も飲まず食わずだったので、小屋に入って皆でカップラーメン。人心地ついてからテント撤収し、16:30に下山開始。意外に速いペースで駐車場所まで行き、運転のプロであるT口氏のハンドル捌きで雪の登り坂をクリア、茅野駅には19:30頃に到着。閉店間際の売店で飲み物など買い、空いているあずさ34号に乗車できた。
■今回のルート(核心部はGPSの電池切れのため記録なし)
2014/1/19(日) 大同山・百蔵山 ― 2014年01月19日 00:00
無名山塾のユース山行。自分の担当で、ゲスト(女性)1名、本科からN瀬・C氏(女性)、サポートH方・Y氏の計4名。
昨年11/26に下見した(https://marukoba.asablo.jp/blog/2013/11/26/9402405)バリエーションハイキングルートだが、昨夜の雪が残っている。
8:45 宮古橋バス停から歩き始め。日露戦争記念碑から山に入ると、風で樹上の雪が降るように落ちてくる。山の西面で足元は白く、雪と落ち葉でゲストが滑りそうな箇所ではロープを垂らした。
10:20 大洞岩(509m)に上がると無風快晴、富士山が美しい。
大洞岩を東に下り、いったん舗装路に出て南西尾根から大同山(907m)に登る。こちらは南面で雪もほぼ消えている。
大同山からは一般ルートで、12:50に百蔵山(1003m)。山頂は広々として、ここもまた無風快晴。秀麗富嶽12景の一で富士山が大きく見えるが、この時間では逆光気味だ。30分ほどお茶してゆっくり過ごす。
下りは西の泉福寺方面へ。上部は傾斜がきついが、雪が消えていたのでゲストも問題なし。
14:40 葛野(かずの)バス停に下り、間もなくバスが来た。
■今回のルート
(800.1m三角点から下山までGPS電源入れ忘れ)
最近のコメント