2011/9/23(金)~9/25(日) 越後三山 ― 2011年09月23日 00:00
無名山塾の自主山行。「越後三山」とは、越後駒ヶ岳、八海山、中ノ岳のこと。今年GWの駒ヶ岳~中ノ岳(http://marukoba.asablo.jp/blog/2011/04/29/9281062)を完遂できなかったため、次の機会のための下見を兼ねる。メンバは前回と同じく、自分がリーダでI干・S氏、T口・H氏。
ところが八海山に上がってみたら「土砂崩れのため縦走路通行禁止」となっており、またもや(越後駒は2008.11から3回目だ)ケチがつくのかと思ったが、今回は計画通りに実施できた。
・・・と書いたところで急いで断っておくけれど、これを読んで「通行止めは有名無実」などと考えないこと。自分たちは崩壊箇所の状況によってはロープで確保して通過、それでも危険ならば諦めて下山するつもりで進んだ。
エアリア(昭文社の山と高原地図)のルートとしては普通のコンディションでもキツい部類である。そこに不用意に突っ込んで事故に遭っても、当局は一切関知しないのでそのつもりで。
■9/23(金・祝)
六日町駅に集合(8:41着の列車。実際には越後湯沢で3人顔を合わせた)、タクシーで二合目登山口まで。農道のような細道に入る手前に最近の台風の跡か、多少崩れている箇所があった。二合目はエアリアにはPマーク20台とある広場だが、今日は停まっていない。曇り。
傍らに<屏風開闢?木食普寛行者>という碑がある。木曽御嶽の王滝村ホームページに「普寛行者が御嶽山王滝口を開山した際、越後国八海山大頭羅神王と上野国武尊王を黒石に勘請し、八海山大神とした」とある、その普寛行者が開いた道なのである。
9:20 屏風道に入り、沢を渡る。両岸の櫓をワイヤで繋いで底が金網のカゴを釣った「カゴ渡し」は、ロープを手繰ればカゴが往復するようになっている。
三合目の大岩の下にはお狐様が祀ってあり、霊神碑があり、熊野修験の札があり、さまざまな信仰が習合しているらしい。
50分ほどで四合目(清滝)に到着。ここで雨が落ちてきた。指導標から沢に下りたところに行場の小屋がある。壁のトタンは剥がれ屋根にはブルーシートが掛けてあるが、雨風は凌げそうだ。
水場はちょっとした滝になっている。上の小屋近くの水場は量がなさそうなので、ここでたっぷり汲んでいく。
ここから上はクサリの連続する急登で、下るのは危険なので下山禁止になっている。そこをカッパを着て攀じ登ると暑くてたまらず、雨の具合に合わせて上着を脱いだり、また着たり。
左前方に臨む山肌は急斜面に襞が深く、何段にも重なった滝が流れ落ちている。GPSは電池切れになってしまった(エネループを満充電しておいたのだが長く使うと低温に弱くなるのか。翌日、試みに電源を入れてみるとパワーが回復していた)。昼前の休憩地点で崖際に生えていたのが「ノゾキの松」だろうか。エアリアに「巻機山の眺望」とあるがガスで遠くは見えない。大岩のゴロゴロする沢筋の直登に出くわした時には「この程度の雨でよかった」。雨量があればそれなりの流れになるだろう。最後に笹薮を掻き分けて、13:40 八海山避難小屋に到着。
小屋に入ってみると、なんと「八ッ峰縦走路通行止めの情報」の掲示が。「大日岳下部(中ノ岳側)の縦走路ならびに新開道迂回路の一部が土砂崩れにより、登山道が崩落して通行できません。それに伴い八海山~中ノ岳間(入道岳~五竜岳~荒山~御月山方面)の縦走路も通行できません。南魚沼市」。あっちゃー、事前の情報収集不足だったか(後日、観光協会のHPを確認したところ、きちんと情報掲載されていた。土砂崩れは昨年のことのようだ)。隣接する千本檜小屋が営業していないのもこのためか? 時間は早いがガスで何も見えず、肌寒い。無人の避難小屋に大きく陣取り、お茶を飲みながら作戦会議。明日はともかく崩落現場まで行って、ダメなら下山するしかないが、その後、近場の山に向かうか帰宅するかはその時決める(作戦になってないか)。食事の後、メンバ二人はほとんど酒を飲まないのでやることもなく、18時頃に就寝。
■9/24(土)
5時出発の予定だったがガスが深く、岩場で視界のないのは嫌なので明るくなるのを待って5:40に出発。曇り、ガスは変わらず。身体を冷やさないよう雨具を着ける。
八ッ峰は止めにして迂回路を行く。迂回と言っても歩きやすい道ではなく、要所にクサリのついたルートだ。30分少々で通行止めトラロープの張られた分岐に到着。右は新開道で登山口に戻り、左は大日岳・五竜岳へ。ロープを潜って左に入ると、やや荒れた感じだが、それによって困難さが増していることはない。
間もなく長いハシゴがあって上がっていくと、その左手が崩壊現場だった。石混じりの土砂が斜面を覆っている。その上ではハシゴも流されたようだが、崩壊地の脇に踏み跡があり、特に危険を感じることもなく通過できた。しかし、雨が降れば踏み跡は消え、さらに崩壊が進むこともあるだろう。通行止めは正しい措置と思う。6:40 稜線に上がり、「!危険!通行禁止」の標識前で記念撮影。ここから大日岳に上がることはできたと思うが、ガスで眺望もないのでそのまま五竜岳へ向かった。
摩利支天の石碑などある地点を入道岳頂上と思うとすぐに九ヶ岳の山頂標があり、入道岳=九ヶ岳らしい。八ッ峰の次で九番目か?(山頂標の文字は凡ヶ岳とも見えるが) ここが八海山の最高地点(1778m)になる。そこから200m近くを下って、7:40 五竜岳(1590m)。晴れ間がのぞいてきたので、カッパを脱いでスパッツだけ着けた。
ここから御月山まで、エアリアに「難路につき初心者は入らぬこと」とある破線ルート。今回のメインイベントだ。草木の露で袖とズボンを濡らしながら進むと急な下りとなり、滑りそうな岩に難儀する。要所にはクサリが付いているので危険というほどではないが。行く手を眺めると延々と尾根が延び、最低点オカメノゾキから先は特に細くなって急激に立ち上がっている。
8:50に荒山(1344.3m)。さらに行くと、沢がいくつも集まってくるデトノアイソメが眼下に見える。
9:40 最低鞍部(1245m)。ここがオカメノゾキだと思うのだが、目印らしきものはない。Web記録の中には岩にペイントがあると写真を載せているものもあるのだが、見落としたのだろうか。後で中ノ岳避難小屋で聞いたところでは、ここで女性が転落死したとのこと。話してくれたのは遭対協の方かと思うが「毎年一人くらい死ぬな」。試しにオカメノゾキでGPSの電源を入れてみると電池が回復していた。
ヤセ尾根とクサリ場を行くが、出雲先の登りは特にキツい。クサリに頼らなければ登れそうにない岩が3段連続、その上も真っ直ぐな急登で息が上がった。出雲先から先は「竹ヤブがひどい」とエアリアにあるが、きちんと道ができておりヤブこぎ不要。12:30 御月山の手前で休憩する。エアリアで五竜岳から御月山まで7.5時間となっているのは幾らなんでも長過ぎだろう。再びガスが上がってきた。
13時に御月山を通過。ここから先は下山まで一般的な赤線ルートだが、先頭を歩いていたI干氏、足元の蛇(マムシか?)に驚く場面も。
祓川の水場に着く頃には日が差して暑くなった。水を汲み、顔を洗い、タオルやここまでで泥だらけの手袋を流れに浸す。
祓川から中ノ岳避難小屋(2070m)まで標高差約350mはほとんど水流の跡を辿る真っ直ぐな登り。ひたすら足を動かして身体を持ち上げていくだけだが、行程の最後にこれは辛い。樹林を抜けて風が通ると少しは楽だ。
14:30 小屋の下まで来ると、先着の人が「大変だったね」と声を掛けてくれた。昨日タクシーを降りて以来、ここまでまったく人に会っていない。通行止めのせいもあるだろうが、三山縦走する人は多くないらしい。
小屋の前に石碑などがまとまっていて、中には「奉納 昭和7年」云々の銅のプレートもあった。やはり昔から八海山と繋ぐ信仰の山なのだ。中ノ岳山頂は小屋の向こうにポッコリと丸く見えている。
小屋は1階がほぼ一杯なので2階に陣取った。駒ノ小屋と同様に協力金を置く方式かと掲示を探したが、それらしきものはない。屋内に一つだけのトイレも無料。ただし「必ず清掃してください」と書いてある。水は天水を貯めているタンクから取れるが、これは不味いだろうから祓川で汲んできた。
小屋に荷物を置き、15:10に山頂(2085.2m)に立つ。今回の最高地点だ。ここには小さな鳥居付きの石祠と方位指示盤があるが、残念ながらガスがかかって眺望は得られなかった。
小屋に戻り、適当にお茶や酒、食事。小屋への到着は我々が最後だったらしく、2階は先に入っていた遭対協の方らしい2名と我々だけだった。日のあるうち濡れた靴を窓際に置いて干す。日が落ちると周囲は間もなく静まってしまい、こちらも早々に就寝。
■9/25(日)
金色に染まる東の空に細い月の掛かる上天気。T口氏の靴底が剥がれかけたためテーピング用テープで補修し、5:30に出発。
この天気なら足元は乾いているだろうと思ったのだが、急な下り道は笹薮に覆われている。エアリアに注意書きのある出雲先よりよっぽど酷い。葉に乗った露で靴の中まで湿ってしまった。日が昇ると、これから駒ヶ岳に向かって歩く尾根の影が八海山に差す。
7時、檜廊下に入る。生い茂る檜やコメツガを掴んで細い岩の稜線沿いに登ったり、根を足がかりに下りて樹林の中をトラバースしたり。この辺は前回GWには到達できていないのだが、雪の腐った時期に突っ込んでいたら手こずったことだろう。
7:30 前回の引き返し地点。前回は雪が悪くて稜線を進めず、一段降りてロープで確保しながらトラバースしたところで諦めたのだった。今見ると、トラバース箇所は急傾斜で立っていられるようには見えない。雪で足元が分からなかったとは言え、よく行ったなぁ。
檜廊下を過ぎてもところどころ、百名山~200名山を繋ぐ道とは思えないほど草や笹の深い場所がある。グシガハナへの分岐も、GWには雪原の上だったものが今は笹薮の中でずいぶん印象が違う。
9:30に駒ヶ岳(2002.7m)登頂。前回は山頂標識の他には行者像が見えているだけだったが、像の足元に三角点票や例によって石碑などがあるのだった。円盤(鏡)を載せた形の銅のプレートは「奉納 昭和7年」で中ノ岳のものと同じシリーズだ。八海山にもあるだろうか。
よく晴れて、八海山の避難小屋から八ッ峰、オカメノゾキに下ってから辛い登りで中ノ岳避難小屋へと昨日辿ったルートが一望できる。写真を撮ったり、T口氏は靴の手当てをしたりと30分以上もゆっくりしてから下りにかかる。
駒ノ小屋はバイオトイレの工事中だった。前回2階入口の踏み台と思っていたのは1階入口の庇だったのだな。
下り道は雪の時とほとんど重なっているのだが、樹があると印象は全然違う。小倉山に11:50。前回はこの先のピークから下りる尾根を間違えたのだが、駒ノ湯方面へは完全に一本道で迷いようもない。結構な急坂をどんどん下り、登山口手前の吊橋(冬は板1枚で怖いが、今は安心)を渡って14時半前に駒ノ湯に到着。
駒ノ湯で電話を借りてタクシーを頼んでおいて入浴。立寄り入浴は\500で奥の別棟になる。32℃くらいの源泉とそれを沸かした湯船があるが、洗い場が一つしかないのには困った。小出の街でT口氏は帰途のための靴を購入、列車の待ち時間に駅前の富貴亭で食事して山行終了。
思ったよりもハードなルートだった。雪のある時期に歩くとしたらGWは適期とは思われない。充分に付いた雪が締まっている頃がいいが、年によって日程が変わってきそうだ。
■今回のルート















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