2010/11/6(土)~11/8(月) 白砂山~稲包山ヤブこぎ縦走 ― 2010年11月06日 00:00
無名山塾の自主山行。
2泊3日で上越国境の道のない山を、ヤブを掻き分けて縦走しようという大バカ企画。
昭文社の山と高原地図「谷川岳」には『国境稜線は猛烈なヤブ/篤志家向き』とあり、もちろん登山ルートを示す線はない。
自分の立案でメンバー募集したところ、応じてくれたのはM本・K氏(29期)ひとり。もう一人くらい欲しいところだが、そうそうバカはいないか。
■11/6(土)
朝家を出て、11時前に長野原草津口駅。M本氏は忘れ物のため30分ほど遅刻。タクシー車中から見る山は紅葉だが、だいぶ色が落ちたという。野反湖畔までかなり高度を稼いで約1時間、11,330円。
12:30 「皇太子徳仁殿下白砂山行啓登山」の碑のある登山口から白砂山(しらすなやま)に向かって歩き始め。晴れ。今日のところは軽い一般道だ。皇太子殿下が歩かれたのなら、その際にいっそう整備されているかもしれない。
堂岩山手前で<水場>の標識に従って沢に下り、2泊目予定のムジナ平で万一調達できない場合の余裕も考えて5リットル汲む。登っていくと日陰には雪が残っている。植生はササ+ハイマツ+シャクナゲから、白砂山にかかるとササが主体となる。
15:40 白砂山(2139.7m)登頂。今回の最高地点で、全体としてはここから下っていくことになる。気温7℃。
山頂にはちょうど3人用テント1張り分の平坦地がある。ここまでの行程中で下ってくる人3~4人に会ったが、この時間ならばもう人は来ないと堂々とテント設営する。事前に読んだ記録の中には悪天候のためこの山頂で遭難しかけたというものもあったが、静かな上天気でよかった。
食事をして持参の酒を少し飲んだらM本氏は早くもウトウトしだし、やることもないので19時頃就寝。この時間ではさすがに寝付かれない。
■11/7(日)
4:00起床。テントも周囲も霜で真っ白。晴れ、-5℃。街の灯も見えるが星も美しい。夜中に妙に寒かったのはまだ身体が慣れてないせいか。
『この先危険!』の標識を跨ぎ越して6:00出発。
始めはひざ下くらいのササヤブだが、進むにつれて背丈も密度も増してくる。ササの間には人が通っていくらかヤブが薄いかと思われる箇所もあるが、踏み跡と言うほどのものではない。11月になればヤブもおとなしくなるかと思ったのだが、踏み込んでみるとササが元気だ。
地形図に従い尾根を辿りたいのだが、ササに立ち上がりかけたハイマツが交じり出し、ハイマツを避けると急斜面に出て進路修正、灌木と格闘するなど前進に体力と時間を使う。
見通しの良いところで植生を観察すると、稜線を境にしてたいてい群馬側(右手)がササ、新潟側(左手)が灌木交じりになっている。地形は、群馬側の方が急傾斜になっている場合が多い。
狭い尾根の上にシャクナゲなど生えていると非常にジャマ。枝を掴みながら群馬側のササ斜面を通る。
7:30 上ノ間山(かみのあいやま、2033.3m)。-1℃。やや曇ってくる。
忠次郎山まではササが主体で時々灌木。といっても登り斜面ではササが首までくるのだから楽ではない。
10:40 忠次郎山(2084m)。雲は取れて気温5℃。山頂は広く、樹木に遮られて下り口がよく分からない。後でGPSデータを見たら少し外していた。北側斜面は足元ばかりでなくササの葉の上にも雪が載っている。
次のピークで尾根の方向が変わる箇所も判りづらく、樹幹に打たれたプレートを発見してから方角を変えた。ここもGPSデータによるときれいな尾根ルートを外して新潟側に膨らんでいる。
方向を変えた次のピークで30分あまり休憩。無風で暖かく、眺望がよく、動きたくない。
上ノ倉山(2107.8m)は山頂手前から尾根上の灌木が邪魔なので群馬側のササ原をトラバース気味に進み、灌木の切れ目から頂に上がる。山頂には<G.W.V 84'なつ 上越のヤブより彼女へ愛をこめて!!>のプレートがあった。このルート、ピークにはこのようなプレートがあり、要所要所の樹幹にはプラスチックのプレートが打ってあったりするので、それを辿れていればそれほど心細くはない。
大黒ノ頭で再び方向変換。ここもGPSデータを見ると新潟側に膨らんでいる。ヤブの中、特に下りでは行き易い方に行くとしばしば方角がずれてしまう。足元も見えないササの中、右足のスパッツをヤブに盗られた。ベルクロとホックが緩んだのをいつの間にか持っていかれたようだ。
ムジナ平は名前の通り平坦で方向が取りずらい上、ふたりともテン場=草原と思い込んでいたので少し迷う。標高と足元の傾斜具合からすればこの辺なのだが、この灌木混じりのササヤブの何処にテントを張れと? 幸い、もう少し行くと木の下にちょうどテント設営できる広さだけ地面の出ている箇所がみつかった。14時、テント設営。
しかし、まだ水の入手という仕事が残っている。テントでラジオを鳴らしておいて南のドウハツ沢源頭に向かって下りると水の流れていない沢があり、それを辿ると水流に出た。冷たくてうまい水だ。たっぷりと汲み、ついでに顔を洗ってテントに戻る。
静かな夜で、標高の下がった樹林のためか昨晩のように寒くもなかった。
■11/8(月)
3:30起床、まだ薄暗い5:30に出発。晴れ、-1℃。今日の行程は昨日よりアップダウンが少ないが距離が長い。
出だしでセバトノ頭(1890m地点)に上がる際、下るのを嫌って進んだら地形図に現れない小ピークに出た。周囲を見回してより高い箇所を目指し、そこで方向を見定めて進む。
ヤブの中を歩く事に慣れて(あるいは麻痺して)きたが、標高1750~1700m付近のコメツガの林には閉口した。いくらヤブこぎとは言え、とても正しいルートとは思えないほど密生している。事前に読んだ記録でも「今回の山行で最も苦労した」とあり、知らなければルートを外したと判断しかねない。
それでも枝が折れたりしているので、ある程度ルートは決まってくるらしい。抜け出したところの樹幹に、またプラスチックプレートが打ってあった。
再びササヤブを下って行き、1600mと1550mの間で分岐した尾根を南に向かい、すぐまた東南に戻す地点。90度の角度で2枚のプレートが打ってある樹を見つけ、「方向転換したどちらから来ても分かるようにしている」と推測して尾根を探りながら行ったのはいいが、ヤブで視界が利かず、ヤブを掻き分けるためにコンパスの確認も疎かになり、谷に向かって下り過ぎてしまった。正しい方角にトラバースして尾根に乗ったと思ったが、次の目標ピークに続くのはさらに向こうの尾根。結局登り返して復帰した。今回最大の失敗。
1502地点(ピークではない)を過ぎた地点はともかく尾根上を行くのだと思って小ピークに上がったら行き止まり。東に進んでいるはずが、いつの間にか南を向いており、正しいルートは目の下にあった。
1449地点の手前にあるピークにササを掴んで登り(最後まで楽をさせてくれない)休憩。一般道は1449地点付近からで少し先かと思ったら、休憩地点から尾根を下りたところで道標にぶつかった。ここで11:30。やれやれ。
天国のような一般登山道をとっとと歩く。ヤブのためずっと着用していた雨具を西稲包山の登りにかかるところでやっと脱いですっきりした・・・と思うところに小雨。幸い、すぐに止んだが。
12:30 稲包山で休憩して歩いてきた尾根を振り返る。白砂山と思しきピークまで見通すことができ、出てくる感慨は「バカだねぇ」。
キワノ平ノ頭(1511地点)に上がる頃には再び晴れ、ハイキング気分。ここでヘリコプターが近づいてきたが一瞥して歩き続ける。県警のものらしく思えたが、救助要請でもあったのだろうか。
最後の最後に長倉山の直登に息を切らし、15時過ぎ、三国峠に到着。ここで携帯が通じたのでタクシーを呼ぶ。
15:40 三国トンネルの群馬側、上越橋に下りて無事終了。
タクシーで上牧和風の湯まで、1万円以上かかる。猿ヶ京で入浴してからバスという手もあったかもしれない。タクシー車中で車酔いしそうな気配だったのは脱水のためらしい。意識して水は多めに飲んでいたが、やはりヤブ避けの雨具で汗を搾り取られたのだろう。
上牧駅前の食堂(和風の湯で聞いたら開いているか分からないとのことだったが、やっていた)で慌しく食事し、上越線に乗った。
■今回のルート
■参考情報
事前に調査したネット上の記録では下記が参考になった。作成者に感謝するとともに、参考情報として記載します。
2010/11/16(火) はやぶさ、mission complete! ― 2010年11月16日 00:00
6/13に帰還を果たしたはやぶさ。はるばる持ち帰ったカプセルに入っていた粒子がイトカワ由来のものと確認された。
これで採点表の項目はことごとく【達成!】。素晴らしい。
このニュース、i-modeで配信される1行ニュースで仕事中に知った。残業残業で頭の重い毎日だが、おかげで元気が出た。
2010/11/21(日) 奥多摩・大岳山~御岳山 ― 2010年11月21日 00:00
山の名前の由来について調べていたら、奥多摩の御岳山(みたけさん)と大岳山(おおだけさん)、それぞれにある神社を確認しておきたくなった。
今日は天気もまずまずなので、運動不足解消を兼ねて奥多摩ハイキング。
武蔵五日市から軍道までバスで移動、馬頭刈(まずかり)尾根を上がる。岩登りの練習場つづら岩には1組が取り付いているだけで静かだった。地形図で1054mの富士見台で休憩。大岳山がよく見える。
大岳山まではあまり人がいないが、大岳山頂はいきなり大混雑。ちょっと休んだだけで大岳神社に下る。
この大岳神社には、秩父のいくつかの神社と同じように狼の狛犬があるというので見ておきたかったのだが、いましたよ、可愛いのが。お座敷狼か。こんなのだったら飼ってもいいな。台座には「宝暦九卯四月吉日」とある。1759年、ざっと250年前だ(年代に関する一文は2020/6/6に追記。写真を見直していて、年号が読み取れるのに気付いた)。
そこから奥の院を経て御岳山の武蔵御嶽神社に向かう(山と神社で、タケの字が違う)。本当は御嶽神社→奥の院→大岳神社と行くのが順序と思うが、今回は逆周り。
御嶽神社の観光客は足を伸ばさないと見えて、奥の院にはハイカー姿のみ。社殿の前に魚と柿、米、塩、酒が上がっており、子供連れの女性が今お供えした、と別のハイカーに話をしていた。お神酒をどうぞ、と言ってくれたので、酒のふたで頂く。信仰が生きているのだなぁ。
武蔵御嶽神社は鎌倉時代に武将の信仰を集めたという歴史を誇り、門前の土産物屋や宿坊で山上が賑わっている。ケーブルカーで上がれるとあって物見遊山の客で一杯だが、派手な拝殿の裏、玉垣内は静かだった。
「日本武尊が東征の際、御岳山の山中において狼に難を救われた」(大口真神(おおぐちまがみ)社の説明書き)とのことで、ここにも狼の狛犬が見られる。なるほど、拝殿、本殿の前それぞれに立派なものがある・・・のはいいが、何だこれ?。
皇御孫命(すめみま)社の前のもの。一応犬か? ブタみたいだが(帰宅してからネット検索したところ、「神使として奉納された猪であろう」との記事があった)。狛犬はたいがい座っているので、尻が見られるのは珍しいのでは?
狼グッズがひとつ欲しかったので、登山安全のお守りを購入。\500也。
御岳山から大塚山を経て古里駅まで歩いて終了。行動7時間弱、踏破距離12kmくらい。
■今回のルート
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