2009/3/15(日) 『レッドムーン・ショック』とか人工衛星の本 ― 2009年03月15日 00:00
朝日新聞書評で唐沢俊一氏が取り上げた『レッドムーン・ショック』を皮切りに何冊か。
(マシュー・ブレジンスキー、NHK出版)
書店で見かけてすぐに買ったのだが、書評に先を越された。唐沢氏がこの種の本を取り上げるのは珍しいと思ったのだが、ツカミに「アイアン・ジャイアント」(⇒ SF映画データバンク)を持ってくるあたりは氏らしいひねりだ。
本の内容は人工衛星そのものや打上げについてよりも、それを取り巻く政治、軍事情勢や権力争いに重点を置いている。科学者、技術者の他に政治家や軍人が大勢登場するので、冒頭に「主な登場人物」が掲げられているのはありがたい。ともすれば「ライバルによる告発で強制収容所に送られるが生還し、匿名の<設計主任>として偉業を成し遂げた」と偉人伝的な印象にまとまってしまうコロリョフの人物像も明らかになっていて面白かった。
しかし、スプートニク・ショックで尻に火のついたアメリカが実用的なミサイルを揃えたのに対し、初期宇宙開発でリードを奪い世界に共産主義の優秀さを宣伝したソ連のロケット(ミサイル)は大きすぎ、手間が掛かりすぎて兵器として役に立たなかった(p.408)というのは皮肉な話である。
ところで、コロリョフはスプートニク1号を打ち上げたロケットにプリズムのような鏡を取り付けていた(p.244)。スプートニクを見た(と思った)人の大半は、実際にはこのロケットを見ていた可能性が高いという(p.270)。本書の読者の中には夜空を横切る初の人工の星を強く印象に刻んだ人もいるだろうに。NASAの元技術者ホーマー・ヒッカム・ジュニアの半自伝小説の映画化「遠い空の向こうに」(⇒ ウィキペディア)にもそんな場面があった(*1)。まあ、人工衛星として製作されたものでもロケットの燃え滓でも軌道に乗った以上は人工の衛星であることに違いはない(*2)。
もう一つところで、プロローグでV2のロンドン空襲を描いているのだが、秒速1600キロとした箇所がある(p.14)。V2でそれだけの速度を達成していたらその後衛星を上げるのに苦労しない。っていうか、宇宙の果てまですっ飛ぶぞ(*3)。文脈から秒速1600mの誤りと見当はつく(*4)が、本の最初でこういう間違いをしちゃいけないな。
(クルト・マグヌス、サイマル出版会)
1996年発行の本をネット古書店で購入。
フォン・ブラウンらは敗戦時に自発的にアメリカ軍に投降したが、こちらはドイツに残っていたところをソ連軍に拉致されロケット開発に従事させられた学者の手記。
本書も技術面より抑留中の生活などが主な内容。著者は46年10月22日に婚約者ともども自宅からソ連兵に拉致され、最初はモスクワ近郊の保養所に住まわされた。ここから製作所に通ってA4(V2)の復元に携わり、やがてミサイル試射場のカプスティン・ヤールで発射実験にも従事する。<設計主任>コロリョフと仕事をすることもあった。48年5月にモスクワの北西320kmにあるゼーリガー湖(セリゲル湖の表記の方が一般的らしい ⇒ グーグルマップ)のゴロドムリャ島(湖の下半中央、グーグルマップでは「ソルネチニ」の地名が目立つ)の収容所に移され、53年11月の帰国までを過ごすのである。ソ連側は勝手な労働契約書を作成し、従わなければ強制労働させることもできると脅した。指示に従う限りある程度の自由が認められたが、基本的に監視付きでドイツ人仲間がスパイに仕立てられている状況では本当の自由などあるはずもない。計画経済の建前の一方で闇商売がはびこり、数字の辻褄合わせだけでノルマ達成と称するソ連社会の愚劣さも描き出す。その中でよりよい待遇を求めて「信頼評議会」を結成し議員選挙を行うなどはいかにもドイツ人らしい。
戦後ソ連の手に落ちたドイツ人技術者の消息として興味深い。
(A.シュテルンフェルト、岩波新書)
1957年のスプートニク打上げの翌58年に出た本を街の古本屋で買っておいたもの。56年にソ連で出版された原著に訳者他によるスプートニク1、2号の解説を加えている。本文に「アメリカのヴァンガード計画では・・・」という記述が何ヶ所かあるのに対して自国の計画の具体的な記述が見あたらないのは、アメリカのオープンさとソ連の秘密主義を窺わせるようだ。
この本を買った時、手書きの「米ソ人工衛星比較表」(58/5/27打上げのバンガード2号まで)と「ソ連衛星三号」という見出しの朝日新聞切り抜き(発行日は不明だがスプートニク3号打上げは58/5/15)が挟まっていた。さらに表2(表紙の裏側)と表3(裏表紙の裏側)に次の書き込みがある。ステキな本だ。
○1957年10月4日、ソヴェトが人工衛星第一号(スプートニク1号)を打上げに成功した。人類にとって宇宙開発のための貴重な第一歩であった。人工衛星はあくまでも科学的にのみ利用されなければならない。これが全世界の偽らざる希望である。
○人工衛星 勉強のために 58.2.8 K.HARIU
未だ戦争の記憶も新しく、社会主義が世界平和と平等を達成するものとして輝いて見えた時代だろう。向学心に燃えて岩波新書の新刊に手を伸ばす針生青年の姿が目に浮かぶようだ。書き込みで古書としての価値は下がるが、前の持ち主の息づかいが伝わるこんな古本も悪くない。
データとしては古いが、当時ならではの問題意識--例えば「大気圏外の空間の所属はどうなるか」--などが知られて面白い。アメリカはこれ以前にU2偵察機をソ連領空に侵入させていた(60年には撃墜されている)が、衛星軌道から安全に他国を偵察できることになった・・・というストーリーが『レッドムーン・ショック』に語られている。訳者による解説の結びの一文「月への一番乗りも、ソビエトの手で行われる日も近いであろう」にも時代の息吹が感じられる(*5)。
(W.G.バーチェット & A.パーディ、岩波新書)
1962年発行。原著は前年にイギリスで出版されたもの。
次に読むつもりだが、目次に「宇宙犬、その学校と訓練」「考える人工頭脳」「火星?生物についての学説と可能性」などと並んでいて楽しそうである。
上に載せた写真はスプートニク打上げ当時の米ソの切手。
左は戦後アメリカに渡ったフォン・ブラウンらが最初に落ち着いた(『レッドムーン・ショック』の描写では「フォン・ブラウンとその仲間を人目につかないよう隠しておく場所」p.132)陸軍基地フォート・ブリスの100周年記念。1948年11月の発行でV2の打上げを描いている。
右2枚はソ連が1957年11月5日と12月28日に発行したスプートニク記念。バイコヌールから打ち上げて軌道傾斜角65°だから図案も正確か。10月4日の打上げから発行までに1ヶ月かかっているのは、ソ連首脳部が当初、人類初の衛星打上げの意義を理解していなかったことの表れだろう。ソ連はこの後、宇宙開発の成果を宣伝する切手を盛んに発行している。
・・・というところで1950年のアメリカ映画「月世界征服」(⇒ SF映画データバンク)を観たら、冒頭のロケット打上げテストはV2の実験映像の流用らしく、また月を目指す目的として他国に先を越されることへの懸念が語られていた。「宇宙空間からの攻撃を防ぐ方法はあり得ない。最初に月をミサイル基地にした国が地球を制します」。その一方、アメリカは宇宙一番乗りは自分たちだと信じ、元ナチのフォン・ブラウンには冷や飯を食わせていた。スプートニク・ショックの大きさは現代人の想像に余りあるものだったことだろう。
*1:この作品をロードショウで観た時、わたしはラストでは滂沱(ぼうだ)の涙でした。今回思い出したのだが、監督のジョー・ジョンストンは「アイアン・ジャイアント」にもキャラクターデザインで参加している。1950年生まれで、スプートニクに特別な思い入れがあるのかもしれない。
*2:ロケットの方が明るく見えたことは『人工衛星』の解説に書かれており、当時は周知のことだったらしい。ロケットと衛星本体の他に「いわゆる帽子」(フェアリング)が軌道に乗り、彗星などと同様に付けられた仮符号はロケットが1957α1、衛星本体がα2だった。日本で観測された光度は、ロケット1~2等級、帽子4~5等級で、衛星本体は6~7等級。明るい点に注目して衛星本体には気づかない場合も多かったろう。
*3:衛星を地球軌道に乗せるために必要な速度(第一宇宙速度)は約7.9km/s。地球軌道を離れる第二宇宙速度は11.2km/s、太陽系を離れる第三宇宙速度は16.7km/s。
*4:Google Book Searchで原文を見たら "a mile a second" だった。1マイル=1609m。
*5:実際、月に最初に到達した人工物体はソ連のルナ(ルーニク)2号で、59年9月12日に打ち上げ、14日に月面に激突した。
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