2021/10/2(土) あきる野市・御嶽神社~オオカミ狛犬探訪2021年10月02日 00:00

バイク(rebel250)の乗り慣らしがてら、青柳氏のブログ(http://asiaphotonet.cocolog-nifty.com/blog/2017/10/post-348c.htmlhttp://asiaphotonet.cocolog-nifty.com/blog/2021/05/post-4226ec.html)で知ったあきる野市の御嶽神社を訪ねた。

関越~圏央道であきる野市へ。バイクで高速道路を走るのは2005年6月の妙義山(https://marukoba.asablo.jp/blog/2005/06/12/9429245)以来ではなかろうか。納車時にセットアップしてもらったETCは無事に動作したが、自分で付けたドラレコは関越に乗って間もなく沈黙。車体の振動に電源部が接触不良を起こしたらしく、その後、下道を走行中に勝手に死んだり生き返ったりしていた(翌日確認したところ、やはり電源の接続が緩んでいた)。高速走行での振動は前のXR-BAJAより少ない印象だが、久しぶりの高速道は緊張する。だいたい90km/h前後でおとなしく左レーンを走っていた。

事前に見ておいた自宅から御嶽神社までのGoogle経路案内に従ってあきる野ICで下りたのだが、改めて現在地からの経路案内を見ると、日の出IC近くまで戻ってから西進するルートを示している。下りるICを勘違いしたのかと案内に従ったが、帰宅後に再度自宅からの経路を表示するとやはりあきる野ICから西へ向かう。スタート地点のずれで全然違う案内になるのか、ずいぶん遠回りさせられ、それも車のすれ違いもできないような道を含むヘンなルートだった。

とにもかくにもGoogleの示す神社入口まで来たのだが、そこはすぐに民家で「私有地につき通り抜け禁止」というような札が出ている。神社はその先の山の上と思われるのだが、上がり口が判らない。しばらくウロウロした挙句に道端の畑で作業していた地元の方に訊いてみたところ、民家の軒先を通る(上記の通り抜け禁止か?)か、またはその先の路地(舗装路)を入って左へ折れれば参道に通じるとのこと。後者を行くと草原の道になったので、そこにバイクを停めた。

草の道を行くとお墓などあり、左から合流する道がたぶん民家から来ているのだろう。低いロープを跨ぎ越して進むと「御嶽神社参道入口」の看板があり、コンクリ階段が付いている。階段を上がると鳥居があった。神社は山の上としては広い境内を構え、木々の間から街を見下ろす位置になる。扁額の「御嶽神社」の左右に侍る狛犬は武蔵御嶽神社の護符から写したようだ。格子の間から拝殿の中を拝むと、御嶽神社の他に「金峰山」の額も見える。
御嶽神社
御嶽神社の扁額と拝殿内部
神社の来歴は以下。

創建の時期は不詳。
宝暦11(1761)年2月2日付の神道裁許状があり、当時の社名は「金峰山蔵王権現」。
明治35(1902)年11月、「御嶽堂」から「御嶽神社」に改称。
大正8(1919)年10月15日、無格社石神神社(小和田字石神)と無格社五霊(ごりょう)神社(小和田字柏原)を合祀。
参道入口の看板の裏側には合祀100年記念とあった。

拝殿前の狛犬は昭和49年と新しいが、それだけ地域に大切にされてきた神社ということだろう。一応オオカミ狛犬なのだろうが、ほぼ犬。顔をアップにするとちょっとカピバラ的でもある。
拝殿前の狛犬

拝殿に向かって右に小祠が二つ並び、その左右の古い狛犬が青柳氏ブログにあったもの。氏の言うように大口真神の「大口」を強調したものかは判断しかねるが、口吻の長さが特徴的だ。しかし、その口に牙は見えないし爪も目立たない。丸い耳は垂れていて愛らしい。正面から見ると首を傾げて甘えてきそうだ。ただ、横に回した長い尾はオオカミ的である。
台座の後ろ側に文字が彫られているように見えるが判読できず、年代は不詳。
小祠と狛犬

大口の狛犬

大口の狛犬

帰りは下道を行くことにしてGoogleの示すまま、武蔵五日市の駅前を通り、秋川街道、小曽木街道を繋いで飯能経由。スマホに気を取られていると大域的なルートが見えてこない。今回はGPSを忘れて経路を記録できなかったのは惜しかった。
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