2005/10/27(木) もの言うどーぶつ2005年10月27日 00:00

岩波文庫の『耳嚢』をだんだんに読んでいる。
武士の心得やら市井の出来事やら日常の呪い(まじない)やら、根岸鎮衛(やすもり)が人から聞いた話をゴッタ煮的に書き留めたもの。
現代の怪談集『新耳袋』にタイトルを取られるくらいで怪談奇談の類も多い。稗の粥にぬれ菰を掛けておくとはさみ虫になる(中巻 p.419)なんてヘンな話もある。

著者は教養ある人物だが、狐狸が人を化かすとか幽霊生霊の類なども「なきとも申し難き」といった態度。そんな出来事は江戸人には身近なものだった。もっとも、その感覚が必ずしも過去のものでないことは『新耳袋』や松谷みよ子の『現代民話考』を読むとよく分かる。

その『耳嚢』に猫がものを言う話がある。寺の猫が鳩を捕りそこなって「残念也」(中巻 p.35)、武家の猫が雀に逃げられて「残念也」(中巻 p.359)。諸星大二郎の『栞と紙魚子』に登場する猫はこれのいただきだな。『新耳袋』にも猫が喋るのをビデオに撮ろうと狙っている話があったっけ。

実際、動物は人間の言うことを分かっているのではと思うことがある。
自分が学生だった頃、アルバイトに郵便配達をしていた。ある家に配達した時、「すいませーん」と呼ばれた気がしたので周りを見たが誰もいない。傍に九官鳥のカゴが置かれていたので戯れに「おまえか?」と話しかけたら「ちがうよ」と答えた! それが本当にしらばっくれるように首を傾げて喋った・・・ような気が。20年以上(四半世紀か?)前の出来事なのでディテールは薄れたが、ホントの話である。その時は思わず笑ってしまったが、偶然にしては出来すぎだよね。
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