2016/5/5(木・祝) 岩岳~飛龍山 ― 2016年05月05日 00:00
今日はエアリア(昭文社の山と高原地図)の破線ルートで飛龍山に登る。帰りのバス本数が少ないので、待ち時間に丹波山温泉に浸かろうという計画。
ハイキング客で混み合う青梅線で立って雑誌を読んでいると横から「こんにちは」。見ると無名山塾同期のK室氏で、お互いの近況や今日のルートなど話す。彼は日原から鷹ノ巣山へトレランとのこと、奥多摩駅でそれぞれのバス停に別れた。
駅からバスで1時間、終点の丹波へ。バス停近くに水場があり、太いパイプから威勢よく出ている。9:50 歩き始め。
青梅街道(国道411号)を20分ほど行くと、左にキノコ・山菜の売店、右に頌徳碑あり。松浦隆康『バリエーションハイキング』にはこの頌徳碑から熊倉尾根を上がるルートが紹介されている。10:20 今回のルート入口となる余慶橋(地形図は崖マークと川とで等高線がないが、標高690m程度)。
橋の袂から特に標識もない道に入る。地図に「大高巻き」とある通り、尾根の横腹を770mくらいまで高度を上げてからようやく沢(火打石谷と小常木谷の合流点)に下りる。木橋で流れを一つ渡ると、右手はトラロープの付いた斜面、左手は沢沿いに平坦になっている。地図を見るともう一つの沢を横切るのだがルートは一本なのでロープの付いた方だろうと行ってみると、林業用モノレールの始点小屋がありレールに沿って沢の間の尾根を上がっていく道だった。ルートの正解は沢沿いで、ちょっと回り込むとまた木橋が架かっている。
その後、道は尾根の腹をじわじわと上がっていく。ところどころ石垣があるので、昔から作業道として使われていたのだろう。積もっている落葉を踏んだ様子はあるが、人を見たのは下りてきた夫婦のみ。指導標はおろかテープなどの目印もほとんどないが、素直に進めば問題ない。が、素直でない自分はすぐに合流するだろうと思う分岐を曲がってみて、結局方向の違う作業道と判明して引き返したり。まことに地味な道で、標高1330m(地形図の1388と1366地点の間)でようやく尾根に乗った。
地形図を見て岩岳の山頂(1519.6m)が左手に来るはずと思いながら行くが、どうもしっくりこない。そうするうちに鞍部があって岩岳を通り過ぎたと判断。三角点ピークを逃すのは癪(しゃく)なので、手前の小ピークに取り付いてみる。踏み跡のない急斜面を木の根や枝を掴んで登るが、上には何もなかった。そこから見るもう一つ手前のピークが岩岳なのだろうが、そこまで戻る気にはなれない。下りは踏跡っぽいところを選んだら尾根を外して下り過ぎ(雨の流れた跡が踏跡らしく見えた)、元の鞍部までトラバース&登り返し。破線とはいえ地図に載っているルートという油断があって地図読みが甘い。13時、ここで小休止。
(帰宅してからGPSの軌跡を見ると、岩岳山頂の左=西側を通過している。地形図の道は山頂の右に付いており、これがしっくりこなかった理由だろう。道の描き方はエアリアの方が正確)
岩岳から先が岩岳尾根となるようだ。道は1515ピークも巻き、エアリアにハシカキノタルとある付近には雪量計が置かれていた。尾根上を地道に高度を上げる。1800m辺りからシャクナゲが現れ、一部は道に被さってトンネル状になっており少々煩い。
14:30、飛龍山、ミサカ尾根との分岐(1920mの露岩)に到着。岩に<前飛龍 1954m>の看板が立てかけてあり、ここが前飛龍の山頂扱いなのかもしれないが、1954mピークはこの先だ。ここからは実線ルートで、さっそく飛龍方面からきた単独男性に会った。1954mピークまで行って小休止。ここには標識もなく眺望もないので、やはり露岩の方が山頂として見栄えがする。
腰を上げ、小さな祠の置かれた将監峠~雲取山縦走路との交差点に15時、飛龍山頂(2069.1m)に15:20。山頂には三角点と山名を刻んだ木柱があるばかり。最高点は今通ってきたルート上の高まり2077mだが、そちらには特に目印もないようだ。
小休止して下山開始。分岐からミサカ尾根に入ると馬酔木(あせび)が咲いている。
熊倉山(1624.0m)16:30、サオラ(竿裏)峠16:50。さて、ここから天平(でんでいろ)尾根を丹波天平まで行き丹波山温泉へ下りる計画だったが、最終バスは丹波を18:20で残念ながらもう余裕がなく、このまま丹波へ下りることにした。実線ルートをどんどん下り、畑の猪鹿避けのゲートを出ると、沢の傍らに水場があった。パイプから出ている水で喉を潤し、人目がないのを幸いTシャツを脱いで身体を拭きシャツの汗も流す(畑に出てきたおばさんと上半身裸で「今日は暑かったですね」とか挨拶することになったが)。バス停に17:50。ビールが欲しいが、ガソリンスタンド自販機のコーラで我慢した。
■今回のルート
2016/5/21(土) 権現山~扇山 ― 2016年05月21日 00:00
上野原駅から不老下行のバスで終点まで。身支度して9:10歩き始め。晴れ。
集落の道を不老山の指導標に従って行くと墓地の横から山道に入り、少し登ると鳥居と真新しい祠。ここから集落を見守ってきた神様が現在も大切にされているのだろう。裏には「展望所」の札と丸木のベンチがあった。西進する尾根に乗って650mで南からの尾根と合流、地形図ではそちらの尾根にも道の線が付いているが、登山道というほどのものはないようだ。北に向きを変えて10:10 不老山(839.4m)。南側が開けており、下は談合坂SA、左手遠くには相模湖が見える。
高指山(911m)、ゴウド山(887m)と通過、林道を横切って少し行ってから道標の立っているのが和見峠だろう。<危険 旧登山道>の示すのは地形図で西へ伸びている道か。2本の木の間にしめ縄の縄だけ(よく見ると紙垂(しで)の跡がある)が張ってあるのは何処のご神域か。<雨降山近道>の道標に従って上がると鉄塔脇を通って雨降山(1177m)、ここで11:30。
道は西に向かう尾根に乗り、ほぼ平坦となる。道端に置かれた馬頭尊の碑には「大倉組」など組が3つ並び、「大群山職ユ一同」と彫られている(「ユ」は何かの略字だろうか)。この先の権現山の手前に<大ムレ権現>があるから、この辺がオオムレ山で、林業に馬を使った時代の職業組合なのだろう。
下りはこの尾根上の1245m地点から南下する尾根を使うのだが、あまりの歩きやすさについ確認するのを忘れてしまった。
大ムレ権現は岩を掘り込んだ階段の上に社が建っている。祭神は日本武尊、屋内に掲げられた「王勢龍神社由緒沿革」には神犬が盗賊火難を防いだとある。秩父に見られる、狼が日本武尊を案内して難を逃れたという伝承に連なるものか。
大ムレ権現の裏から急登を上がって権現山(1311.9M)に12時。休憩している人が3人ほど。三角点標石は「国地院/基本/二等三角点」と刻んだ豪華版だ。
さて、下り。来た道を引き返す訳だが、南に下りる尾根を確認し忘れたし、平坦なため標高もあてにならない。尾根の分岐っぽい個所を試しに下りてみると、これは向きが違う。元の尾根に平行な踏み跡(林業のもの?)を辿ると、また尾根が出ていて、今度は方向もあっているようだ。踏み跡は断続的だが、これを下りていく。間違えていなければ1050m辺りで尾根が分岐して真南の957地点を踏むはずだ。・・・はずなのだが、どうもおかしい。この尾根も違ったかと、少し登り返してまたもや薄い踏み跡を見つけ、東に向かってトラバース。ところが踏み跡は消えるは倒木に行く手を阻まれるはで、結構難儀した。結局、谷をひとつ渡って尾根に乗り、これも向きが違うのでさらに登ると、ようやく予定の尾根だった。あらかじめ地形図で見ておいた1050mの分岐で、進路にはしっかりした踏み跡にテープもある。時に13:30。こんなことなら最初に間違えた時点でものぐさをせず登山道に戻っていれば、よほど早かった。
一休みして改めて下る。このルートは『バリエーションハイキング』から採ったもので、957地点を過ぎ、900m辺りから南東へ向かう支尾根に入って746mで林道に出る・・・とルートを決めておいたのだが、支尾根に入ったら踏み跡が消えてしまった。本に掲載された地図を読み誤ったか?と思うが、短距離だし藪というほどでもないので強引に進む。道路際は低い法面だったので飛び下りた。やはり、支尾根に入らずにまっすぐ南下するのが本のルートだったのだろう。14時。
舗装路を下って行くと<亀石 200m>と道標のある分岐。入っていくと、沢の一段上が整地されて丸岩がふたつ置かれている。これが「棚頭の亀石」で、石灰岩質砂岩と硬砂岩の互層構造で風化の経過を知ることができる標本的価値の高いものであり、また、生痕化石の可能性もあるとのこと。傍らには亀石神社と作業小屋がある。岩を観察して14:30。
いったん沢に下り、テープに従って浅川峠に向かう尾根に乗る。沢から上がるところは荒れていて、尾根に乗ってもあまり人は通っていない感じ。峠近くで傾斜が緩むと踏み跡が薄くなって適当に上がる。浅川峠(867m)を15:10に通過、直進すると尾根は南に向きを変えて扇山(1137.8m)に15:50。下りを飛ばしながらも時間的に終バスは無理だろうと思ったが、16時半に道路に出てみると四方津行が待機しており、バス停まで行ってちょうど乗れた。
四方津でそれほどの待ちもなく乗車、八王子で降りて居酒屋「多摩一」に入った。日本酒「多摩一」「八王子城」旨し。
■今回のルート
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