2015/8/7(金)~8/9(日) 木曽駒ヶ岳・三ノ沢岳 ― 2015年08月07日 00:00
単独個人山行。
金曜を振休にして、2008年に駒ヶ岳~越百山を縦走した時に「カッコイイ山だ」と眺めた三ノ沢岳に行ってみることにした。坐骨神経痛やもう1ヶ月も治まらない咳のために最近サボっていて身体が鈍(なま)っているので、易しいところでリハビリというつもりもある。
■8/7(金)
新宿から高速バスで伊那へ。食事して(少ない飲食店が11時では何処も開いてない。11:30まで待った)、タクシーで桂木場(かつらこば)へ(\3700)。今回は『聖職の碑』ルートなのである。車中で入道雲を見る。桂木場の木陰で身支度、気温26℃。ぐずぐずしていると夕立に遭いそうだ。東屋の下に登山届け提出ポストがあるが、用紙切れだった。
12:30 歩き始め。桂木場からはちりめん坂を上がる一般ルート(昭文社の山と高原地図で実線)と、沢沿いに入っていく信大ルート(破線)がある。今回はおとなしく一般ルートを採る。道端に「この登山道はアサヒビールの寄付金により整備しました」と札が立っていた。スーパードライは好みではないが、下山したら感謝を込めて飲むことにしよう。
右に谷を見ながら行くと、左手に上がっていく踏み跡がある。ショートカットして尾根上を1612m地点へ直行するのかもしれない。横道は無視してまっすぐ行くと、水場<ぶどうの泉>があった。ここで谷を横切る訳で、水は塩ビパイプから出ている。のどを潤し、念のためペットボトルに1本汲んだ。
歩きやすい道を登っていくと、ツアーらしい休憩中の一団がいた。地図に「渇水注意」とある野田場の水場はパイプからチョロチョロ。横山への分岐(刈り払いはしてあるが歩く人は少なそうな道。昭文社地図の最新版には記載なし)、馬返し、白川分岐と過ぎる。平坦な道脇の樹幹に<昭五〇.七.二四 午後一・四〇 落雷事故現場 伊那中学校>のプレートあり。石碑も建っている。このまま頑張れば18時過ぎには頂上山荘のテント場まで行けそうだが、先ほど雷らしい音も聞こえたことだし、予定通り、この先の大樽避難小屋に泊まることにしよう。
14:30 避難小屋に到着。
窓が小さく中は薄暗いが、割合に新しくて快適。トイレは小屋に備え付けの便袋を使い、トイレ脇のバケツに回収する方式。水場は小屋前に「この先と奥にもあります」と案内表示があるのだが、行ってみると洗面台を置いた水飲み場は枯れており、その先は笹薮で踏んだ跡も見えない。しばらく探ったが、結局諦めた。真水はぶどうの泉で汲んだ500mlしかないが、夕食朝食ともにグラノーラにすれば間に合うだろう(夕食はラーメンのつもりだったが、無理だ)。
そう決めると、あとはやることもない。先ほどのツアー一行が小屋前で休憩し、トイレを使っていく。静かになったところで、最初は外で、涼しくなると小屋内で読書。小鳥の声が聞こえ、時折ドアの敷居まで来る。逆光でよく見えないが、バババ・・・と忙しなく羽ばたく鳥は何だろう?
持参のウィスキーをストレートで飲んでもかえって喉が渇くので、少しだけにして早々に就寝。結局、雨も雷もなかった。
■8/8(土)
4:30 行動開始。晴れ。
間もなく信大ルートと合流し、胸突八丁。尾根上をまっすぐに高度を上げていくが、道はよく整備されており困難はない。1時間ほどで島津神社の道標。と言っても祠などは見当たらなず、地図は「島津様跡」となっている。「ヒカリゴケ」のプレートもあり、岩の隙間がそれっぽいが、朝の光では分からなかった。
少し上がって等高線の間隔が広がった2500m付近にテントスペースあり。もっとも、緊急避難でなければ避難小屋に泊まった方が楽だろう。
胸突ノ頭を過ぎて平坦になると、お花畑が少し残っていた。花の終わったチングルマ(稚児車)が朝露を含んで美しい。
茶臼山分岐の道標には「分水嶺」とある。その先、地面に置かれた道標には稜線ルートもあるが<冬道(迷)>。水を取らなければならないので、素直に夏道を西駒山荘に向かう。
6:30 西駒山荘。手前の水場で顔を洗い、小屋の受付に避難小屋のトイレ回収バケツが満杯であることを告げる。入口前に据えてあった小型の天体望遠鏡で槍ヶ岳の穂先がきれいに見えた。
小屋前の分岐から将棊頭山(しょうぎがしらやま)に向かったところで、昨日のツアーとすれ違い。団体が朝食中に追い越そうと思っていたが、先を越されたか。6:50 分岐ルートの先端、将棊頭山。ここに山頂標識もあるが、最高点は分岐から駒ヶ岳方向に進んだ2730m地点のようだ。しかし、眺望はこちらが上だろう。雄大な御嶽山、乗鞍、三角に突き出た宝剣岳などよく見える。
もとの道に戻り、2730を過ぎると「聖職の碑」がある。想像より大きい。大き過ぎて、傍らにある小型版(平成16年製)に先に目が行ってしまった。
その先、八合目から馬ノ背経由で駒ヶ岳に向かうつもりが、道標を見落としたのか、宝剣山荘へのルートに入ってしまった。ツアー一行に追いつき、言葉を交わして前に出て、濃ヶ池に出たところで気づいたが、まあいい、このまま進もう。
しばらく水平だった道が樹林から出て伊勢滝方面からの道を合わせると登りになる。8:50 宝剣山荘に到着、一休み。
宝剣岳に向かう岩場に入り、安定した岩陰にテントや宿泊道具をデポして宝剣山頂へ。ピークの順番待ちが少しあって、前の男女二人連れと言葉を交わす。男性はピークに挑んだが断念し、次は自分の番。前回は混んでいることもあって試みなかったが、手を伸ばしてみるとわずかに指が掛かり、カッコよくはないが一度ヒザをついて上がることができた。9:20 宝剣岳(2931m)登頂、先ほどの二人がカメラを構えたところでバンザイ。
ピークに立ってみると岩に浅い四角の窪みが切ってあり、かつてはここに祠が載っていたのだろう。慎重に下りて、写真をメールしてくれるようお願いした。
岩場を伝い下り、三ノ沢分岐で一息。
大きく見える三ノ沢岳に向かって踏み出すとグッと人が減る。地形図の2676地点を過ぎた辺りが最低鞍部で、宝剣から260m下ったことになる。脱水気味で疲れが出てきた。そこから延々、という気分で稜線を辿っていく。行動食を口に入れてもツバが湧かず、いよいよ脱水だ。足が重い。やはり身体が鈍っているなぁ。ふと気づくと、ズボンのポケットに入れていた昭文社地図がない。宝剣のピークに上がった時にでも落としたか。
山頂手前に残ったお花畑に癒されながら、やっとの思いで11:10、三ノ沢岳(2846.7m)登頂。平らな岩の上にひっくり返った。ガスが湧いてきて眺望はよろしくない。
少し回りこむ感じで山頂に上がったが、下りは大岩の間をショートカット。岩に「山馬蝗10周年記念」のプレートが付いていた(設置者のブログ ⇒ http://fujitenzan.exblog.jp/11889244/)。山馬蝗とはヌスビトハギからできる生薬だそうだ。
下りはいいが登りにかかると中高年夫婦とほとんど変わらないスピードしか出ない。ようよう三ノ沢分岐まで戻り、宝剣の岩場を乗り越えてデポを回収した。
宝剣山荘に13:50。朝、山荘の表(宝剣岳側)で通じなかった携帯が、裏では使える。人がゾロゾロ歩く中、中岳(2926m)への緩い登りがまたダルい。14:20 ヨレヨレで頂上山荘のテン場に到着。
一人で寝るだけなので適当にテントを設営、幕営料\900。食欲も出ないので、お茶だけたっぷり飲んで読書する。持ってきた文庫本を読み終えてしまった。
■8/9(日)
グラノーラで朝食、4:20 出発。晴れ、やや風、7℃。
4:40 駒ヶ岳(2956.1m)に登頂。ご来迎を待つ人たちに自分も加わることにした。八ヶ岳から放射状に光が差し、5時に日の出。下界は雲海に覆われ、その上にこの山の影が伸びる。朝日の御嶽山が美しい。
最後に木曽前岳(2826m)を稼いで、あとは上松Aコースをどんどん下る。八合目の上、三ノ沢岳に対面する位置にまだ新しい三沢不動明王の石像があった。駒ヶ岳は信仰の山だが、三沢岳も崇敬の対象のようだ。その後も結構急な勾配が続く。五合目(金懸小屋)の上に<胸突き八丁>があるのは、<八丁>が長過ぎないか? 登るにはキツいルートだと思っていると、何組かと擦れ違った。
9時に敬神ノ滝。アルプス山荘へ30分との道標があって、舗装路に出る。これで終わりと思ったところが、砂防工事中で山荘への登山道は利用できず、迂回看板に沿って行け、と案内が出ていた。その迂回指示に従うと、日の照りつける舗装路の登り。うんざりしながら歩いていると、前からタクシーが来た。しまった、アルプス山荘まで行かなくても、この道は一般車が入れるのか。ともかく山荘までと思って北俣沢の橋を渡り終えて9:30。ここで先ほどのタクシーが戻ってきたので捉まえて、山行終了。最新の地図を見ると、アルプス山荘は廃業したのか載っていないが、タクシーが来なければ、まだしばらく歩かねばならないところだった。
タクシーで上松駅へ。観光案内で寝覚の床の国民宿舎で入浴できることを確かめ、そちらへ。入浴料\500は良心的だが、どこか怪しい<トロン温泉>である。こういう怪しさは好きだが。そこのレストランで定食を食ったが、近くの蕎麦屋に入った方がよかったかも。
坐骨神経痛は山中では意識に上らなかった。咳も冷房にやられたもので行動には特に支障なし。登りながら咳き込んだ時には息切れの一因になったかもしれないが。しかし、脱水には年々弱くなっている気がする。筋肉が減って、身体の保水力が落ちているのだろう。筋トレしないといけないなぁ。
■今回のルート









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