2012/3/3(土)~3/4(日) 仙ノ倉北尾根(敗退)2012年03月03日 00:00

無名山塾の自主山行。
M井・Y氏(女性)リーダ、U野・E氏、F見・M氏、I干・S氏、自分の5人パーティ。
北尾根から仙ノ倉山に上がり平標(たいらっぴょう)山を経て松手ルートを下る計画だったが、取付きを間違えて進行が遅れたり雪の状態が悪かったりで途中で引き返した。それが結構楽しかったりもしたが。

■3/3(土)
越後湯沢駅に集合し、タクシーで毛渡(けと)橋へ。
曇り、小雪、気温4℃。気温は行動中ずっと変わらず。
8:10 身支度して林道を歩き出すとやがて暑くなり、ヤッケを脱いだ。毛渡沢に沿う林道はまだ除雪されていないが、トレースは付いている。

10:30 取水関のような施設の手前で休憩している10人ほどの先行パーティ(後で判ったが三峰山岳会さんだった)に追いついた。ここに吊橋が掛かっており、事前に読んだ記録にバッキガ平でワイヤだけの吊橋を渡るとあったので、まっさらな雪を踏んで橋へ。踏板は外されているもののアルミのフレームが付いていて写真で見たのと少し違うようだがリニューアルしたのか。制限人員3名とある橋をリーダから順に渡る。対岸に接する部分に雪が山になっており、それを避けて橋から降りる時が怖い。対岸に移っても、雪を踏み抜くとそのまま川まで落ちそうでヒヤヒヤするが、全員無事に渡りきった。
仙ノ倉北尾根 吊橋
                (決死の、しかし無駄な吊橋渡り)

一休みして、ここからほぼ真南に尾根を上がればよい・・・はずだが、どうも方角がずれる。U野氏と自分はパーティの後ろを「少しヘンかも」と言いながら登っていったのだが、11:45 やや傾斜の緩んだところ(標高850m)でGPSを出してみると、本来の吊橋より手前で沢を渡っていたことが判明した。岸まで引き返したが吊橋は渡りたくない。上流側に少し進み、水流の浅い箇所をワカンのまま何とか渡渉。河原と思しき平坦地を突っ切るとトレースに出た。
吊橋を渡る前の毛渡沢左岸に戻ったのだが、実はこの時点でまだ現在地を誤認しており、トレースを進めばすぐに目的の北尾根に乗るものと思っていた。ところが、歩いても一向に尾根に取り付く様子がなく、引き返して現在地確認。
右往左往の挙句に素直にトレースを踏み、左手に半分雪に埋もれた短い吊橋、右手に群大仙ノ倉山荘を見る。すると、これから本番の吊橋か・・・と思っていると、コンクリ製の立派な橋に出くわした。昨シーズンの記録にあった吊橋が夏の間に架け替えられたのか、それとも先ほどの短い吊橋が記録のものでコンクリ製は別物なのか。
仙ノ倉北尾根 バッキガ平の橋

橋を渡ると既に13時。このまま上がってもテン場適地の小屋場ノ頭まで行き着けるか分からずここにテント設営という案も出るが、とりあえず登って様子を見ることになった。
一定の傾斜で高度を上げていく尾根でラッセルになると大変そうだが、先行パーティが丁寧に踏んでくれたおかげで階段のように登れる。予想外に早く、14:20に小屋場ノ頭へと続く平坦部に至り、ここに泊まることにする。
雪を均して4人用、2人用の2張りを建て、大きい方でお茶から酒。夕食はF見氏のペミカン豚汁。
明日は時間的に計画通りの縦走は無理なので4テンを残して山頂往復、ただし登頂できなくても11時には引き返すこととした。

夜はまったく静かだった。

■3/4(日)
5:40、テントを整理して出発した時には頭上に雲が掛かっていたがやがて快晴に。気温は朝は-4℃だったが、日が昇るにつれ何度まで上昇したか、暖かだった。
すぐに小屋場ノ頭のピーク(1182.0m)を通過、昨日の先行パーティはその先にテントを張っており、出発準備中だ。
今度は我々のパーティがラッセルとなり、適宜にトップ交替していく。自分が先頭になった箇所は特に尾根が細く、眼下がいくらか緩やかな左斜面を横歩きで稜にピッケルを刺しながらトラバースしようと思うのだが、足元の雪が固まらずに稜から離れそうになる場面も。雪と格闘していると暑い。1400m手前で休憩中に後続パーティが追いついてきて再びラッセル交替。

1530m付近、シッケイの頭手前のピークに向かう斜面を前に休憩している先行の横を抜けてまっさらな斜面に取り付く。
仙ノ倉北尾根 敗退斜面
             (戻ってからの写真なのでトレースがある)

右に傾き加減の面で左手は稜を挟んで雪壁。もし雪崩れるなら雪面が右の方に切れるだろうと、自分が先頭で左寄りに稜から一定距離を保つように上がっていく。と突然、左方から「ボスッ」という不吉な音が。I干氏は同時に身体が沈むような感覚があったと言う。左の雪壁からの音と思うが一応、傾斜の緩む部分まで戻って斜面を観察した。見た目に亀裂などなくすぐに崩れることはなさそうなので、トップ交替して今度はやや中央寄りにルートを取る。急斜面を上がり、最後に自分が斜度の落ちるところに上がろうとしたところ、また「ドンッ」というような音。ただし、自分には聞こえず、先に上がっていたメンバが騒いでいた。I干氏が指す方を見ると雪面に細い亀裂が入っているのだが斜面に対して曲がっていて、そこから切れたとしてもどちらに落ちるのか判断できない。現在地の傾斜からすると差し迫った危険はなさそうだが、今回はこれから気温が上がった頃にここを戻らなければならない。相談の結果、ここ標高1560m地点から引き返すこととなった。時に8:20。上がってきた後続パーティに音や亀裂のことを伝え、入れ替わりに斜面を下る。

斜面を下った安全地帯で山座同定などしながら暫し休憩。のんびりとテン場に戻れば振り返る登れなかった山が美しい。
仙ノ倉北尾根
撤収して群大ヒュッテに11:30。そこからの林道歩きがやたらと踏み抜いてしんどかった。タクシーを頼んでおいた13:30ちょうどに毛渡橋に戻って山行終了。

越後湯沢駅前で入浴(江神共同浴場、\400)し、駅構内で打上げ。

■今回のルート(山行時のGPSトラックデータ+2022/8時点の地形図)
仙ノ倉北尾根ルート

2012/3/10(土) アニドウ上映会2012年03月10日 19:00

久々の上映会は「アヴェリー歌えば!~故・望月信夫氏追悼上映会」@なかの芸能小劇場。
故人の好んだテックス・アヴェリーを中心とした作品上映に、友人&なみき会長によるトークとビデオ上映。

上映作の中では「なんとしてでも当選させよう」Hell-Bent for Election(C.Jones) ~1944年大統領選挙時のルーズベルト側のキャンペーンフィルム~が初見だった。「赤頭巾」2本や、日本ではおそらくビデオ化不可能な「デカ吉チビ助のこびと狩り」は何度観ても傑作。

K田・T氏、S戸口氏とはしばらくぶり。上映会がないとなかなか会えない。唐沢俊一氏、K元・T氏がお見えにならなかったのは残念。


翌日、別冊奇想天外「SFアニメ大全集」(1980/5/10発行)を発掘。
目次を見ると並木(漢字表記だ)会長が大塚康生氏や富野善幸氏にインタビューしていたり、森卓也氏や杉本五郎氏が寄稿していたりとアニドウ人脈が...
望月氏は「SFアニメーションの流れ」を書いているが、やはりベティやアヴェリーから説き起こし、「禁断の惑星」に行くかと思えば「やぶにらみ」へ、ウィリス・オブライエンからハリーハウゼンへ。時流に背を向けわが道を行く感じ。

2012/3/17(土)~3/18(日) 白毛門~赤沢山2012年03月17日 00:00

無名山塾の技術委員会企画。
S木・Y氏(女性)リーダ、自分サブリーダ、メンバH方・Y氏、K藤・H氏(女性)、F本・M氏(女性)、S木・T氏の6名パーティ。
白毛門山頂からの眺望は得られなかったが、覚悟したほどには天候も雪質も悪くなく、楽しめた。

■3/17(土)
水上駅に集合、バスで土合橋へ。小雪の舞う中、登山道を少し入り、東黒沢の手前、雪がなければ駐車スペースであろう場所で身支度。最初からアイゼンを履き、場合によってはロープを使うかもということでリーダ、サブリーダはハーネスも着ける。
ビーコンチェックなどして、松ノ木沢ノ頭まで自分が先頭、その先白毛門山頂までS木氏先頭と決め、9:20 歩き始め。
東黒沢の橋には厚く雪が載っていて問題なく渡れた。足元にはしっかりトレースがある。間もなく雪が雨に変わり、その後は雨混じりの雪が降ったり止んだり。気温は8℃程度もあるので淡々とした登りは暑い。K藤氏は体調よくない(胃炎で十分に食事摂れず)とのことでやはり馬力が出ないようだが付いて来ている。
12:10 松ノ木沢ノ頭。ここにテントスペースを作っているパーティとツェルトを被っている一団がいた。その先を下ると静かなのに、何故また風の強いピークに? トレースはツェルトの一団によるもので、ここから踏み跡が薄くなった。

松ノ木沢ノ頭を下りた平坦部で休憩がてら雪質を観るコンプレッション・テスト。表面5cmほどは新雪でその下に凍った面があり、表面から30cm辺りがやや弱い。が、すぐに雪崩れたりすることはなさそうだ。ガスも出てきたが視界は40~50m程度ある。雨雪はどうやら止んでいる。以上、前進可能と判断。

先頭交替してS木氏がラッセル気味に進む。雪が深い分、岩は隠れ、山頂手前の雪壁も緊張するほどの斜度はなくなって、問題なく歩けた。
白毛門へ
山頂に至る平坦部で先頭のS木氏が雪を踏み抜いて穴に嵌まる。やはりもう春で、植物の周りの雪が解け、空洞が出来ているのだ(自分も翌日、落とし穴に落ちた)。
白毛門(1720m)山頂は指導標も雪に埋もれていたが、14:20 ここが一番高いと思われる箇所に到着。ガスの中で集合写真を撮ると全員が白一色の世界に浮かんでいるようだ。
白毛門
ここで泊まるか引き返すならば「残念ながら眺望なし」で済むのだが、今回はここから踏み跡のない東の尾根に入らなければならない。ガスの晴れ間を捉えて進路を見定め、山頂から進んで一段下りたところから尾根に入る。ガスはそのまま晴れてきたのでルート取りに問題ないが、メンバに交替でトップを務めてもらう。
思ったより雪が深く、と言って積極的にワカンに替えるほどのラッセルでもなく、結果的に予想以上の時間を取られて、丸山手前のコルに着いたのは16:30。それから雪を踏み固めて4人用、2人用のテントを張り、4人用に全員集まる頃にまた雨が落ちてきた。
食事はS木氏のチゲ豚しゃぶ鍋に各自一品持ち寄りでなかなか美味。腹の虫を鳴かせながら食べられないK藤氏が気の毒。
23時就寝。静かな夜。

■3/18(日)
3時起床、テント撤収してワカンを履き、5:15出発。最初は小降りの雨だったが未明のうちに止み、行動中に少し青空が覗く程度にまで回復した。
今日もメンバ先頭でルーファンしてもらう。
丸山山頂6:10。ピークまで行き、この先を南下するために自分たちのトレースを無造作に戻ったら、最後尾の自分が踏み抜いた。下は樹木の空洞で腰まで落ちる。
地形図と照合しながらP1482~P1391と進むと、反対方向から来たスノーシューパーティに出会った。残念ながらノートレースはここまで。
1391から赤沢山へ向かう
そこから赤沢山に向かうと左に少し雪庇が出ている。雪庇に近づかないよう注意する一方、左の樹林に寄り過ぎると踏み抜きやすいので、メンバにはトレースに頼らずに歩く場所を考えてもらう。赤沢山(1328.1m)に9:50。ここにも数人が休憩していた。

休憩後、北西に伸びる尾根を行く。先ほどからずっと飛んでいるヘリは西黒沢を捜索しているようだ(後で確認したところスノーボードの雪崩死亡事故だった)。
1200m辺りで西向きの尾根を選択、平坦部の先で尾根が合している箇所で下降地点を最終決定する。西に向かって今回の出発地点付近か、西北西で土合山の家か。結果は山の家で、下りに掛かるとすぐに雪が薄くなり落ち葉が出てきたのでアイゼンに履きかえた。ただ、樹木の間の段差で踏み抜くとそのまま雪に固められてしまい、K藤氏の足をシャベルで掘り出す場面もあり。
6年前の講習の時(https://marukoba.asablo.jp/blog/2006/03/25/9462949)はこの下りで尾根を間違え、腐った雪を踏み抜いて転んだりミニ転落したり急斜面で木に掴まったりした挙句に道路の法面に出てしまい懸垂下降したのだった。今回はきちんと方位を見定めながら広い斜面を下りたが、膝上から時に腰まで潜る急斜面で汗をかいた。
土合へと下る
13時、首尾よく山の家に降りたが、H方氏は雪にアイゼンを片方取られて失くしたとか。

この間、7:00(P1482手前の小ピーク)、12:00(山の家に向かう斜面600m付近)、13時過ぎ(山の家)に白毛門ピストン隊と無線交信。どこも良く通った。

土合駅で荷物整理し、S木・T氏の車とバスで水上へ。駅前「くぼ田」でピストン隊を待った。

■今回のルート
白毛門~赤沢山ルート

2012/3/31(土)~4/1(日) 雪山訓練2012年03月31日 00:00

無名山塾の定例訓練山行。

■3/31(土)
雪山サバイバル訓練で白毛門登山口の駐車場付近で雪崩ビーコンの使用法など。雪混じりの雨に濡れて寒かった。

夜は土合駅泊りで、先日の白毛門~赤沢山(https://marukoba.asablo.jp/blog/2012/03/17/9519553)同様S木・Y氏(女性)の鍋。M本・Y講師結婚祝いで花の贈呈もあった。

■4/1(日)
昨日と打って変わって上天気。雪上訓練で芝倉沢付近まで入る途中、雪山風景が美しい。
内容は雪山でのロープワーク。スタンディングアックスビレイからの自己脱出、土のう袋に雪を入れての支点作り、スノーボラードでの懸垂下降など。雪面に何か埋めて支点にする際は雪を良く踏んで固めておくこと。

朝の天気にも関わらず、訓練中昼くらいから雪となった。終わって水上へ出ると、下界は天気雪みたいな状態。

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