2006/7/15(土) 笹尾根10時間トレイルラン2006年07月15日 00:00

先月カモシカ山行で夜中から歩いた(https://marukoba.asablo.jp/blog/2006/06/09/9622340日本山岳耐久レースコースを再び辿る。
今回はS木・Y氏(女性)が「”登る足”を鍛えるための10時間早足山行」として無名山塾の自主山行を企画、自分とS藤・H氏が個人山行でそれに相乗りする形。
武蔵五日市駅に7時集合、10時間で三頭山避難小屋、そこからバス停に下りて数馬の湯へ・・・という計画だったが、前日の晩に列車時刻を確認したところ7時に間に合わず、7時半集合にしてもらった。申し訳なし。
という訳で7時半に3人が集合、不要物を駅のロッカーに入れ、レース出発点の五日市中学正門前へ。ザックに着けた温度計を見ると34度。早くもビールを飲んで帰りたくなってくるが、ともかく8:15に歩き始め。

通りから外れたところでS木氏に引っ張られて走ってみたりする。暑いさなかに駆け足だなんて、子供時分の夏休みでもこんなバカなことしなかったぞ。

今回は必ずしもパーティということではなく、各自マイペースで歩いてポイント毎に連絡を取り合うという仕切り。山道に入って変電所に向かう途中で、S藤氏と他二人に自然に分かれた。

9:10 今熊神社手前のベンチで小休止。S木氏はここまでの登りがきつかった模様。
女性の走りやさんが一人いて、ハセツネコースはこっちですか?と訊かれる。この道ですよと教えると軽々と走っていった。彼女とはこの先で何回か行き会ったが、レースにもう5回くらい出場しているという。走りやさんは道を覚える必要ないのだな。こちらも下りで軽く走ってみる。S木氏はともかく、自分はどたどたという有様。

10時頃、「市道山」「市道山まき道、関場」というような道標のある分岐。ここは巻くんだよねと歩いていくと蜘蛛の巣に飛び込み、じきに、カモシカの時こんな道あったっけ?という状態に。少し引き帰してみるがよく分からず、えい突っ込めばルートに出るだろうと吶喊(とっかん)・・・草を掻き分けて踏み後を辿ったけどダメでした。道標があったもののルートに合流しそうな様子ではなく、結局戻ることに。「♪消耗消耗、麻原ショウモウ」とかデタラメ歌ってなおさら消耗する。30分程のロス。

12時前、市道山頂手前の分岐。カモシカの時迷ったので、ためらわずに正しいルートを選択。さっきから鳴っている雷が近づいたようだ。おかげで気温が下がったのはありがたい。
このあたりからどうも疲れて登りが辛くなってきた。自称スロースターターのS木氏は元気。13時、醍醐丸で小休止。
連行山でも休憩するものの疲労が溜まり、茅丸の登りで太股が攣りそうになった。とにかくピークに上がって筋肉を伸ばすが、生藤山でもストップ。S木氏にコールドスプレーを貰う。感謝。

S藤氏と携帯メールが通じた。変電所の高圧線に雷がビシバシ落ちてるとか。それはちょっと見たかったなぁ。

騙し騙しという感じで、15:20 浅間峠。すっかり息が上がってしまい、ここで大休止。少し眩暈もする。レースではここまで9時間が第一関門。時間的には問題ないが、この状態では仕様がない。
30分も休んだろうか、ようやく落ち着いて出発。ここで打ち切りという選択もあったが、それではカモシカから進歩がなくて悔しい。

浅間峠までと違って登りも緩やかなのだが、また筋肉が痛む。とにかく動かして痛みをとろうとゆっくり進む。S木氏はペースを落として付き合ってくれた。
16:30 土俵岳。雷がますます近い。足の調子は回復してきた。

時間をにらんで笛吹(うずしき)峠からバス停に下りることにする。
雨が本降りになるが、どうせ汗みずくなのでシャワーを浴びるつもりで行く。S木氏は軽いレインウェアを羽織った。
途中、小棡(こゆずり)峠や丸山にバス停への道標があったのだが、昭文社地図で朱線が入っていないので見送り。山塾本科の自主山行は朱線ルートに限られるのだ。
雨に濡れながら、17:30 笛吹峠。身体の熱が取れたためかすっかり復調したが、ちょっと遅かった。

下っていくと、周囲が白く光った、と思う途端にバリバリバリッ。樹林帯なので直撃を受けるとは思わないが、さすがにヤバいので道にうずくまってS木氏のツェルトを二人で被る。一人用なので自分は頭を入れただけだが。雷が遠ざかったところで歩き出すが、まだ光る。S木氏は大きいのが来るとしゃがみこんでいた。光ってから小さくなっても遅いって。

やがて雷雨が去り、空が明るくなった。トラバースが終わって道が広くなったところで、二人で走り下りる。18:15にバス停。ちょうど10時間で30kmちょっと歩いた。

入山峠までで五日市に戻ったS藤氏は一足先に数馬の湯に行っている。しかしバスは30分以上先。通りかかった地元のオジさんに方角を確認して、ともかく歩き始める。が、数馬の湯から戻るバスの最終は19:17、どうしよう・・・と思ったところに先ほどのオジさんが軽トラでやってきて、寒いだろうから乗せてくれるという。ラッキー! おかげさまで汗を流して3人揃ってビールを1杯飲む時間ができました。ありがとうございます。
終バスで武蔵五日市に戻り、寿司屋でゆっくり食事。酒も料理も旨かった。

S木氏はこれで帰宅。S藤氏と自分は明日の沢登り講習のため、奥多摩駅まで移動し、川原の上の東屋でビバーグ。23時頃行ってみたら、寝ている人が5、6人いた。買ってきたアルコールをそれぞれ1缶だけ飲んで静かに就寝。

今回の不調の原因は、まず体力不足。最近、技術的な講習は受けているが、歩きが足りなかった。それに、いつものことだが水分摂取が少なくて、暑さと長時間行動のために影響が表面化したものと思われる。

■今回のルート(山行時のGPS軌跡を2023年10月時点の地形図に表示)
笹尾根ルート

2006/7/16(日) 奥多摩・水根沢2006年07月16日 00:00

無名山塾の沢登り講習。14単位目。

東屋のコンクリートの上にツェルト1枚で寝たが、特に寒い思いをすることもなく目を覚ます。ゆっくり食事しても時間があまり、もうひと眠りしてから奥多摩駅前に集合。
講習生はS藤・H氏と自分のみ、講師は自分と一字違いのK林・H氏、CUとしてM原氏(女性)。K林講師は挨拶したことはあるが受講は初めて、M原氏とは初対面。身支度していると、M原氏がお弁当をくださった。

水根バス停から少し歩いたところに奥多摩むかしみち休憩所があり、そこでハーネスなど着ける。10:50出発。昨日の雨のためか水量多く、茶色く濁っている。
これまでに経験した丹沢の沢は底が石だったが、ここは泥が溜まっている。これが10年くらいで流されてきれいになり、また周囲の土が崩れて・・・と周期的に様子が変わるのだそうだ。

この沢はゴルジュが多い。滝は寝ていて登攀という感じではない。そこをヘツったり、胸辺りまで水に浸かったりして取り付く。ロープを使ったのは高巻いて懸垂で下りたのと、最後の半円の滝の確保のみ。

水は山葵(わさび)田のある辺りから澄んだ。その先の広い釜を持った滝で遊んでいるグループがいて、二人で輪になって滝を転がり落ちたり(地獄車かい)、3人手を繋いで飛び込んだり。

次の滝、講師は水流左側の斜面を上がった(初めて履く鋲つきの靴がフリクション効かず苦労している)が、自分は水流の中のあそこに足を掛ければ何とかなりそうとチャレンジ。しかし、次のホールドを探しているうちに滑って水を被り、釜に押し流された。大人しく斜面を上がったところで、S藤氏から「メガネは?」。ありゃぁ、水流に飛ばされたか。先ほど遊んでいたグループも加わって探してくれるが見つからず。遠くのディテールが見えないだけでそれほど困らないが、ゴミを残していくのが申し訳ない。

半円の滝は講師が肩絡みで確保するロープをカラビナでちょいと掛け、手足を突っ張って登る。この滝をウォータースライダーにする連中もいて、ホントに楽しく遊べる沢だね、ここは。

そこから登山道に出て、休憩所に15:20頃帰着。
駅に戻って旅館・玉翠荘の日帰り入浴を利用。すでに宿泊客の入浴時間になっていたが、特別ということで入れてくれた。

明日の海沢(うなざわ)講習のため東屋ビバーグの御三方(受講生ひとり!)と駅前で別れ、美味いと聞いていた駅前の蕎麦屋へ入ってみる。ところがこれが汚い店で間違えたかなと思うが、ともかく生酒とざる蕎麦を注文。出てきたものは予想を裏切ったのか期待に応えたのか、ホントに美味かった。田舎の蕎麦屋は侮れない。

2006/7/20(木) 小松左京&谷甲州、『日本沈没』を語る2006年07月20日 19:00

ロフトプラスワンのホームページよりコピペ。
> 7/15に映画「日本沈没」も公開。そして小説「日本沈没」第二部も発売。
> 小松左京氏とともに第二部作者の谷甲州氏をお招きしてのトークライブ。
> この対談イベント、必見!
> 【出演】小松左京(作家)【Guest】谷甲州(作家)
> 【聞き手】松浦晋也、笹本祐一

<第一部>を読み返し、『第二部』は読みかけ、映画リメイク版は未見という状態で参加。あ、『日本ふるさと沈没』は読んだ。
K田・T(ミクシィネーム:さざんかQ)氏に声を掛けておいたら、S戸口(ミクシィネーム:++ungood)氏、先日のロフト寄席(https://marukoba.asablo.jp/blog/2006/07/11/9632179)でお会いしたK子さんも見えて、演台のまん前に陣取った。S戸口氏は古本屋で買った光文社の新書版を持ち込み。

小松御大、杖をつき、舞台に上がるのも大儀な様子。登場したのは上記に加えて御大の秘書役・乙部順子氏。
ロフトプラスワン 小松左京&谷甲州
ロフトプラスワン 小松左京&谷甲州
出演者が揃うと、まずは谷氏のトークから。始まって早々「今回はネタバレ一切ありで」(笹本氏)。地球寒冷化は第一部完成時にもう考えていたとのこと。谷氏の話を聞くのは初めてだが、これほど面白い人とは思わなかった。

御大の第一声は「どうもこんばんは小松左京です」。さすがに滑舌は悪いが、喋り始めるなり「演台でタバコが吸えるってんで」と本領発揮。昔の記憶に多少の混線が見られるようだが、K田氏曰く「いいんですよ、ご本人の口からエピソードを聞けるんだから」。

谷氏が『第二部』を完成したのは6/13だったとか。自分は7/5に買っている。よく出たねぇ。後で小学館の担当者が登場したが、本も映画もずいぶん当たっているそうである。
御大との分担について谷氏「結局一人でやりました」。第一部の25年後、寒冷化、パプアニューギニアを舞台とすることについては話し合ったが、キャラクタは谷氏の考え。

以下、メモとして御大の言葉を書きとめておく。
○9年かけて書き上げた『日本沈没』が星雲賞を獲った。同時受賞は筒井康隆が1週間で書いた「日本以外全部沈没」。「これでSFファンというものが大好きになりました」。
○その「全部沈没」の映画に出て欲しいと言われた。「不渡老人役として出て『花江、みてくれんか・・・』と前をばっと開く」。SF作家ってのはいくつになってもバカだねぇ。ああ、星新一との掛け合いが聞きたかったなぁ。
○セーヌ川が凍結して水車が回らず、パンが出来ないことがフランス革命の一因となった。
○北村小松の「火」、ライト兄弟の飛行(1903)、特殊相対性理論(1905)→B29の原爆
○『果てしなき~』の時点では冥王星の衛星カロンは未発見だったが、名前を正解。
○松浦氏の「ヘンな砂時計持ってませんか?」に対して「古道具屋に売っちゃった」。
○新作映画の『日本沈没』について、「CGと、大地真央に対する映像演出がいい」。
○『エスパイ』の映画は樋口監督でなければやらせない。

2006/7/22(土) アニドウ上映会2006年07月22日 19:00

池袋で献血(手帳上で127回目)し、秋葉原で無線機(STANDARD VX-6)に合うケース(\1,780)とアウトレットのデジカメ(CASIO EX-Z500、\19,800)を買って、なかの芸能小劇場へ。
本日は唐沢俊一氏、K元・T氏、K田・T(ミクシィネーム:さざんかQ)氏。加藤礼次郎氏と中野貴雄氏はとりあえず唐沢氏への挨拶のみで他の席へ行かれた。

本日のお題は「アヌシーVSアニドウ 今世紀の短編ベスト100より」。アヌシー映画祭がアニメーション誕生100年に当たってベスト作品を選定したのに対抗して、アニドウ版をぶつけようという趣向。

上映前のなみき会長おしゃべりは、昨日、本日の上映フィルムを繋ごうとしたところで編集機が故障、今日は1作品ごとに自らフィルムを掛け替える、と。で、引っ込む時に映写室に向かって「触るな。触るんじゃない」。しかし、会長の腕前をもってしても、都度掛け替えは時間が掛かる。最後の1本で手間取った時には映写室から何やら怒声が響いていた。

上映は、手始めにいつもの特報。この間も上映したゴジラとメカゴジラがフラフラのニュースと、「海底軍艦」のモノクロ3本。ムー帝国の土人(高度な文明を誇る住民とは思えん)がウロウロしている場面など可笑しい。いつも思うが、こういうのをDVDの特典に入れて欲しいものだ。

上映本体はベスト作品だけあって手堅い印象だが、「Bambi Meets Godzilla」(アニドウ版No.95)が入るのはやはりアニドウ。ディズニーの戦意高揚映画(枢軸3国の首脳が出てくる)が観られたのは嬉しい。
今回初見は2本。ひとつは74年カナダ作品で、控えめに食べ始めた男がしだいに貪欲になっていく。線画が物凄いモーフィングをするので却って手書きかと思ったが、やはりコンピュータだった。もうひとつは70年アメリカ作品。アンクルサムと相棒のスニーカー履きの鷲の活躍。時々現れてフィルムを回すカメラマンが謎。

終わって、加藤氏、中野氏を交えて中華料理へ。料理が並ぶ前にK元氏から『さあ、場違いになりなさい』にサインをいただく。この面子では自然に話題が映画に流れて死ぬフラグを列挙したり。
今回はおとなしく23時で先に失礼して帰宅。

2006/7/24(月) 映画「日本沈没」2006年07月24日 00:00

もう内容についてはいろいろ聞いている(この記事もネタバレあり)が、それでも人物関係には驚いた。

SF映画としてはヌルい。もともと原作が日本列島を沈めるという大仕掛けを除けばPF(ポリティカル・フィクション)なのだが、そのSFの部分である列島沈没の理論付け過程を放棄してしまっている。田所博士の「科学者にとっていちばん大切なのは勘だ」のセリフもなし。だから、政治家(政治屋という扱いだ)が田所を揶揄する場面も浮いて見える。

ヌルいと言えば、小野寺があの状況で玲子を抱かないのもヌルい。あの時点で小野寺は死を覚悟しているのだから、イギリスで幸せに暮らそうなどと言うのはそれこそ綺麗事。唐沢俊一氏も書いておられたが、抱いてこその未来ではないか。
もっとも、災害救助現場にあって二人だけでテントを一晩占有している時点でリアリティがないから、その中で何が起きても起きなくてもどうでもいいや、という気がしないでもない。

・・・と貶したが、スペクタクルがあって不可能に挑む男がいて結果何とかなるという、ハリウッド流にものを考えさせない映画としては正解のまとめ方だろう。ここまでご都合主義でやったのだから、もしかして小野寺を助けるのではと思ったが、さすがにそれはなかった(それをやったら「ザ・コア」だ)。

納得いかないのが爆薬の件。N2が「数は揃わないが核なみの破壊力」なら、核を使えよ、核を。何があっても核兵器を肯定的に扱わないのが政治的に正しいのだな。
しかし、あのタイミングで爆発が起こるなら、結城は最初から生還を見込めなかったのでは? 起爆はリモートコントロールにして、安全圏まで離れてから点火するよね、ふつう。

オタク的には、N2爆薬、「この地方に被害はない」、「奇跡は起きます、起こしてみせます!」など、どこかで聞いたようなセリフに内心(笑)。

まあ、映画としては結構見られる。及第点を付けていい。
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