2006/2/3(金) アニドウ上映会 ― 2006年02月03日 19:00
最近忙しい。毎日普通に出勤して22時過ぎまで残業している。
が、今日は定時退社して(その代わり明日も休日出勤だ)、中野の芸能小劇場へ。
19時間際に到着、予約しておいた『森やすじ画集2 もぐらノート』を購入して入場すると、K田・T(ミクシィネーム:さざんかQ)氏、eno(ミクシィネーム)氏、「天動説」のS氏がいらっしゃった。今日は唐沢俊一氏はラジオのお仕事、K元・T氏もお見えにならず。
今回のお題は「豆なアニメーション特集/杉並区:杉並アニメ匠塾 課外授業」。豆は節分だが、アニメ塾とは? 会場の中央前よりにいた女の子達がそれか? googleして初めて知った、杉並がアニメのまちだったとは。
作品ラインナップは課外授業ゆえおとなし目。なみき会長は「ひねくれた大人の唐沢さんがいないから」などと喋っていた。
恒例の予告編は「原子怪獣現る」。言わずと知れた「ゴジラ」の元ネタ。鳥小屋を手前にしたカットも入っていて、ああ「ゴジラ」にもあったなぁ。灯台を襲うところはブラッドベリだ。
ゴジラ繋がりだが出自の分からないプロモーションフィルムと前回に引き続いてのビートルズがあって、サイレント、モノクロ時代の作品で1リール。ちょっと眠かった。
中盤はプラキシノスコープから紙芝居(S40年代前半の風景か?)、アブ・アイワークス、日本の'40年代前半の2本と、アニメの歴史のお勉強。1本は「くもとちゅうりっぷ」で、なみき会長の喋りと歌がひとくさり。「昔のアニメータの試験は「くもとちゅうりっぷ」をどれだけ知っているかだった(ここでくもの口真似および歌)、今後はそれを復活させようと思います」。歌が上手い。
後半はベティ1本とMM3本。MMは年代を'42→'38→'33と遡ってキャラクタの変遷を見せる。やはり'38頃のがいい。この時代、アニメート技術も見事。
節分→豆というお題だが、鬼でピックアップした作品もあり。フライシャーの日本語タイトルで「鬼」になるのはモンスターだったり地獄の悪魔だったりするのが可笑しい。
終了後、K田氏は子供と節分のためまっすぐ帰宅、残り3人は中華料理屋へ。
2006/2/4(土) シュレディンガーのチョコパフェ ― 2006年02月04日 00:00
予定通り休日出勤。
10時に作業場に着き、MP3プレイヤーで中島みゆきや岡村孝子や植木等(なんだこの組み合わせは)を聴きながらプログラムを書くが思ったより難航、20時半まで仕事。現在使っているPDA(SONYのCLIE)のバッテリーがヘタってきたので、新しいの(SHARPのZaurus)を買い、居酒屋に入ってマニュアルをめくりつつ酒を飲む。南や石鎚が美味。
しかし、こうやって書いてみると、我ながら訳分からないことをやっているな。
行き帰りの電車で山本弘『まだ見ぬ冬の悲しみも』を読む。
収録6編中4編は初出の「SFマガジン」で読んでいるが、その1編「シュレディンガーのチョコパフェ」に「(前略;パフェに関するトリビア)などという、唐沢俊一ぐらいしか喜ばないようなこと」なんて一節があってニヤリ。この作品、他にもオタクネタ満載なのだが、薄い自分には半分も分からない。初出時はここまで濃くなかっただろう、単行本収録で手を入れたかと思って去年の2月号(たった1年前だ)を引っ張り出してみたが、特に変更はなかった。これは記憶力の問題か、それとも現実が変容しているのか?
2006/2/10(金) 『狂信 ブラジル日本移民の騒乱』 ― 2006年02月10日 00:00
高木俊朗・著、株式会社ファラオ企画/ファラオ原点叢書2
ISBN4-89409-102-X \3780
『と学会レポート 人類の月面着陸はあったんだ論』で紹介されていて面白そうだとネットで注文。
ちと高いかと思ったが、届いたのは箱入り、パラフィンを被せたハードカバー。こんな立派な体裁の本を買うのは久しぶりだ。
届いたのをさっそく読む。次々に買い込んで長いこと積んでおくのが常態の自分としては珍しい。
南米に戦後しばらくの間、日本の勝利を信じる「勝組」がいたことは知っていた。いつだったか帰国した勝組が日本の繁栄を見て「これが負けた国か、やはり日本は勝っていた」と言ったというのも聞いた覚えがある。しかし所詮は情報不足と戦前教育からくる、一部の人間の認識の歪み程度のものと思っていた。
それがまあどうだ、これだけ長期間にわたり、大規模で、危険で、怪しい奴らが跳梁跋扈する複雑怪奇な現象であったとは。なにしろ、「事件は太平洋戦争中にはじまり、日本の降伏後には、騒乱と暗殺がつづいた。その後は、愛国運動を偽装した詐欺事件となった。その主犯が逮捕されて、一応の落着を見せたのは、昭和三十年であった。この間、十二年もつづいていた。しかも、その後も、形を変えた騒乱や詐欺が昭和四十年ごろまで連続していた」(p.391)のだ。勝組の組織「臣道連盟」の会員数は、昭和16年の在留邦人25万に対して11万5600人だったという(p.277)。また、日本が負けたなどと言う非国民を標的に臣道連盟が引き起こした暗殺騒乱事件で、暗殺された者16、巻き添え死1、暗殺者側の死亡1、ブラジル人の死亡2であった(p.256)。そのうちの溝部幾太(みぞべ・いくた)暗殺の後、勝組の間で狂歌が回覧された。
世の中に幾多(幾太)の罪を残しおき きょうの最後のザマを見ぞべえ(溝部)(p.229)
偏狭な正義感に凝り固まった人間の恐ろしさ。
勝組はさまざまなウソニュースを流したが、傑作なのは工学士を名乗る松永という男のホラ話。その講演によると「アメリカ軍の空襲の目をくらませるために、東京のそばに、東京そっくりの模擬都市を作って、そこに爆弾がおちるようにした」(p.277)そうである。『月面着陸はあったんだ論』で触れられていた「新日本説」(日本から追放された共産党員がアマゾン河奥地に新日本を作っており、日本から来たあるいは日本へ行ったという人は本当の日本には行っていない)は昭和27年になっても各地の日本人の間に案外広く行きわたっていた(p.355)。他の人には雑音しか聞こえないが信念を持ってひねると戦勝のニュースが聴けるラジオもあった(p.84)。人間というのは、どんなにバカバカしくても信じたいことを信じてしまうものだ。
読み始めてすぐ、登場する人間を覚えきれないと思ってメモを取り始めたが、次々出てくる人名に紙が一杯。身近な状況と資料を調べたり話を聞いたりして得た知識とがうまく配分されているが、まとめあげるのは一仕事だったろう。たいへん興味深い本だった。
この日記を書きながら、手塚治虫の『グリンゴ』に勝組の危険な側面が描かれていたのを思い出した。手塚もこの本を読んだのかもしれない。
2006/2/11(土) ロケットまつり10 ― 2006年02月11日 19:30
今日も休日出勤。しかも朝8時から。しかし予想よりもスムーズに進んで夕方5時に上がれた。で、無理かと思っていた新宿ロフトプラスワンの「ロケットまつり」へ。
人気企画ゆえの二桁開催で、6時過ぎには地下への階段からはみ出す行列が出来ていた。多少早くに開場になったが店内は行列組でもう満杯。一段高い座敷に席を取れたが窮屈だった。人気があるのも痛し痒しだ。
登壇者はいつものゲスト(へんな言い方)の垣見、林氏、聴き手に笹本、松浦氏。あさり氏は締切に追われて最後まで登場せず。
今回は林氏の66歳の誕生日に合わせた日程。1970年の今日は人工衛星おおすみの上がった日でもある。そこで、恒例となった「砂消し」、今回はバースデーケーキのロウソクに姿を変えた。林氏が吹いても消えなかったりして。
今回は技術的な話はほとんどなし。資料もなし。話の中でデータが分からなくて、会場から前回配布された林氏自身の文章の提供を受けたくらい。
全体に「薄い」回だったが、かと思うと「ここだけの話」と念を押されるような話題もあり。「ここだけの話」はちょっと嬉しい内容だったが、当然ここには書けない。
以下、オープンな話題をいくつか。
最近の「ISASニュース」に野本陽代が寄せた文章で、糸川の太平洋20分横断構想を「ハッタリ」と書いているのはどうか(林)というのに対して、「あれはハッタリとしか言いようがない」(松浦)。垣見氏もハッタリ寄り。林氏の「ハッタリというのは出来ないと分かっていて出来ると言うこと」という定義にも一理あるが、まあ、先駆者にはハッタリも必要だろう。
的川教授の最近の著書『逆転の翼』にはウソが多い・・・と思ったら、垣見氏が編集した『荻窪ロケットの思い出』という300ページ以上ある文集を元にしていた。この文集、1000円くらいで頒布したそうだ(同人誌だね)。垣見氏、編集時に人の文章は読んでいなくて、今回いろいろ間違いを見つけて「アハハ」。「アハハじゃないですよ」(松浦)。松浦氏、300ページ以上をコピーしたのだが、垣見氏が首から下げていたUSBメモリーに「全部入ってる」と聞いて、「それください」。
どこの施設だかメモし損ねたが、糸川の預けた資料がダンボール70箱あり、フォン・ブラウンから贈られたものも入っている。捨てると言っているので拾いに行こう。もっとも、何が出てくるかは分からない。
今回林氏が取り出したのは、いつもの各種ペンシルに加えて「ひてん」のキックモーター。糸川が「くれ」と言うのを「宇宙研のものだからダメです」と断ったが結局貸したもの。それをどういう訳かパン屋の親父が「糸川先生からもらった」と持っていたのを取り戻した・・・ってあなた、宇宙研のものがいつの間に私物になっているのか(笑)
はやぶさプロジェクトは川口プロマネと広報の的川教授の二人が揃わなければ成功しなかった(松浦)。隠したがる川口プロマネに何でも出しちゃう的川教授、と言うと川口プロマネの印象が悪くなるが、非常に優秀(頭が切れる)な上に、人間関係でアメリカのDSNの使用許可を取れるのはこの人くらいだとか。だから、「はやぶさ2」計画ではプロマネを若い者に譲ると本人は言っているが、誰に出来るのか。
最後の質問コーナーより。
宇宙に対するイメージは?・・・星が好きだったが、ロケットは宇宙に行くと思っていなかった。人工衛星で初めて宇宙を実感した(垣見)。
設計者に対するアドバイスを・・・日に3度手を洗え、つまり製作現場に出向いてどういうものを作っているのか見なさい。
ロケット=兵器だが、アメリカの妨害は?・・・警戒はしていたが妨害はなし。技術供与して傘下への取込みを図った。
次回は4/22(土)の予定。
2006/2/23(木) 宇宙旅行ものなど読む ― 2006年02月23日 00:00
最近いよいよ仕事が切羽詰まり、この前の週末は土日とも出勤。
昨夜は別件の夜勤で、普通なら午後ゆっくり出勤するところだが通常通り朝から作業した。もっとも、これで忙しい仕事も一段落ついた。さすがに今日は早上がり。
最近は買物する時間もなかったので、紀伊国屋に寄って『蟲師』第7巻、『UFOとポストモダン』(平凡社新書)など買う。さらに神保町に回って久しぶりにくだん書房をチェックしようと思ったのだが、心覚えの場所は別の書店に変わっていた。閉店してしまったのかと古書店街をぶらついて帰ってきたが、ビルを移っていたのか。
そんな最近だが、通勤電車や昼休みに宇宙ものノンフィクションを続けて読んだ。
(1) 『宇宙の歩き方』 林公代、ランダムハウス講談社
(2) 『JAXA長期ビジョン JAXA2025』 宇宙航空研究開発機構、丸善プラネット
(3) 『宇宙旅行ハンドブック』 エリック・アンダーソン、文藝春秋
(1)と(3)は同趣向の本だが、(1)が写真豊富で楽しい。内容もよくまとまっている。昨年7月の出版だが、「ホリエモン、宇宙進出?!」なんて記事は今になってみるとなんともはや。
(3)の著者はデニス・チトー氏らを実際に国際宇宙ステーションに送り込んだSpace Adventures社の社長。その分、「ハンドブック」というタイトル通りの具体性がある。
(3)によると、Virgin Galactic社でアンサリXプライズを獲ったスペースシップワンをベースに設計中の宇宙船はエンタープライズ号だそうである(p.134)。VSS(VirginSpaceShip) Enterprise は絶対に USS Enterprise のシャレだ。トレッキーはスペースシャトルの時に早まって宇宙に行けない機体に栄光ある船名を与えてしまったが、今度は行けそうである。
しかしチトー氏を「世界初の民間人宇宙旅行者」(p.7)としているのは、TBSの秋山さんを忘れているのではないか? あれは「宇宙特派員」という社命を受けたのだから旅行者とは違うか。いずれにせよ、当時は「金で宇宙へ行くなんて」という声もあったが、「金で行ける時代になったか」と感慨を持ったものだ。それがいよいよビジネスになる時代になった。
(2)はJAXAの今後20年間程度のビジョンを示したもの(プレス資料 ⇒ https://www.jaxa.jp/press/2005/04/20050406_sac_vision_j.pdf)。「自在な宇宙活動能力の確立」を掲げながら、「20年後頃までには、安全に人が乗れる打上げ・帰還システムの実現と運用の開始をめざす」(p.17)のみで、自前の有人宇宙飛行を行わないというのは無理がある。「国際宇宙ステーション計画などを通じて有人宇宙活動技術の蓄積を図」る(p.16)と言うが、独善的なアメリカの言いなりでどれだけの経験を積めるのか。そもそも、ISSまで乗せて行ってもらう立場で対等な関係を結べるのか。「次の国際的な有人宇宙計画への参加に備える」(p.57)というのも主体性がない。それに20年後に有人技術を持ったとしても、市場は米ロ中(含民間)に押さえられていて、結局ビジネスとしての自立は難しいだろう。輸送機の再使用にもこだわり過ぎ。スペースシャトルの問題点を克服する目処がつくとも思えない。
それと、航空産業の分野で「環境・安全に関する課題は必須命題」と捉えるのは正しいが、「「人と地球に優しく、より安全に」が社会からの要請」(p.61)とするのも引っ掛かった。技術者たる者、「地球に優しい」などとイメージ優先、偽善的な言葉を安直に使うな。
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